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真間山 弘法寺

天平の昔行基菩薩が真間の地に
語り伝わる手児奈の霊を供養して
一寺を建て「弘法寺」と称した。


その後弘法大師によってこの山上に
七堂伽藍が造営され「真間山弘法寺」と
改められたのが本寺の起こりと伝えられる。



手児奈霊堂

奈良時代の初め山部赤人が下総国を
訪れたとき 手児奈の伝承を聞いて
『われも見つ人にも告げむ葛飾の
真間の手児名(奈)が奥津城処』
と詠ったものが万葉集に収録されている。


文亀元年には弘法寺の七世日与上人が
手児奈の霊を祀る霊堂として世に広めたという。
手児奈の物語は 美人ゆえ多くの男性から求婚され
しかも自分のために人々が争うのを見て
人の心を騒がせてはならぬと
真間の入江に身を沈めたと伝えられている。



真間の継橋

国府台に下総国府が置かれたころ
上総の国府とをつなぐ官道は市川砂洲上を通っていた。
砂洲から国府台の台地に登る間の入江の口には
幾つかの洲ができていて その洲から洲に掛け渡された橋が
万葉集に詠われた『真間の継橋』なのである。