渡し舟料金(片道) 矢切の渡しは松戸市下矢切と 明治以降は地元民の足として、 この川は、「太井川」あるいは「太日川」と呼ばれた 「からめき川」「からめきの瀬」という呼び名もあったこの付近は、
大人100円
子ども50円
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東京都柴又を往復する渡しで、
その始まりは370余年前
江戸時代初期にさかのぼります。
当時江戸への出入りは
非常に強い規則のもとにおかれており、
関所やぶりは「はりつけ」
になるという世の中でしたが、
江戸川の両岸に田畑をもつ農民は
その耕作のため関所の渡しを通らず
農民特権として自由に
渡船で行きかうことができました。
これが矢切の渡しの始まりで、
いわゆる農民渡船といわれるものです。
また自然を愛する人々の散歩コースとして
利用され現在では唯一の渡しとなっています。
この渡しの庶民性と矢切の里の素朴な風景は、
千葉県の生んだ歌人でもあり
小説家でもある伊藤左千夫の小説「野菊の墓」の
淡い恋物語の背景となっており
その小説の中で美しく描かれております。
中世までは利根川の本流でした。
江戸時代初期、銚子から関宿を経て行徳に至る舟運路を開いたり、
洪水の防止、新田の開発などのために
徳川家康の命による上流の大改修が行われ、
その後江戸市中に物資を運ぶ重要な内陸水運のルートとして
「江戸川」と呼ばれるようになりました。
古くは雨の少ない時期に浅瀬となり、
対岸に歩いて渡れたということです。
大正時代ころまでは川岸に川魚を扱う料亭があり、
多くの文人が訪れています。
明治時代末に金町から小岩にかけての堤上に桜が植えられると、
上野、飛鳥山と並ぶ桜の名所として、
昭和30年代半ばまで花見客で賑わいました。