「清泉寮」は清里村と大泉村のちょうど境に位置することから、一文字ずつとって名づけられました。
米国人宣教師ポール・ラッシュは、関東大震災で倒壊した東京と横浜のYMCA再建のために1925年、28歳で初めて来日しました。彼は、自ら結成した日本聖徒アンデレ同胞会の、指導者訓練キャンプ地として1938年、41歳で清泉寮を建設しました。
この日は清泉寮前の広々とした牧草地で「ポール・ラッシュ祭〜八ヶ岳カンティフェア〜八ヶ岳の麓、大草原の収穫感謝祭」と題して様々なイベントがおこなわれ、名産品や手工芸品の展示販売などが行われていました。
ポール・ラッシュ博士がこの地でめざした活動はKEEP(Kiyosato Education Experiment Project)と呼ばれています。それは信仰と教育、食料と健康の4つの柱を目標に掲げた清里一大開拓プロジェクトでありキリスト教精神"他者への奉仕"に基づくものでした。
日本と日本人をこよなく愛したケンタッキー出身のアメリカ人ポール・ラッシュ博士は不屈のフロンティア精神と崇高なボランティア精神を発揮して八ヶ岳清里を拠点に戦後日本の復興と民主化にその生涯を捧げました。