第66回
新聞だって価格破壊
〜沖縄本島カントリーサイン 二日日その二&三日目〜

 喜屋武岬を出たところで時刻は14時。残り3つの市町はさすがにすぐに回れそうだ。時間が余るかもしれないが、この先何が控えてるかもわからないのでまず3つを回ってしまうことにする。

 やや奥に入ってすぐのところに東風平町。ただ、すぐにカントリーサインは見つからず。そういえば、横浜の時と比べて沖縄はカントリーサインが無いことが少ない。これも観光客に向けたアピールなのだろうか。何度か市町境を走り発見。

東風平町

 カントリーサインがだいぶ風化している。昨今盛んな市町村再編も東風平は関係が無いようだ。

 ここで初日から走ってきた車にガソリン枯渇の危機。山道を走っている時の給油ランプはドキドキする。役場付近を走り、ようやくガソリンスタンドを発見。ついでに用を足すが、このガソリンスタンドの自販機でこんなものを発見。

苦そう…

 「ぐいっと飲める」の謳い文句に誘われて購入。ただ、ものがものなので苦さがあるのでは…ととりあえず一口。しかし、ゴーヤの味がまったくしない。普通の野菜ジュースだ。これなら確かにぐいっと飲めることは飲めるが、ゴーヤの味がしないということは大阪で野菜ジュース買っても一緒だということか。損した気分だが、まあ沖縄でしか飲めないものだからと割り切っておこう。

 給油も無事終わり(105円/Lだった。安い!!)、いざ出発。残るはあと2つ。

 豊見城市はすぐに発見。有名人といえば石嶺か。でも豊見城高校は「とみしろこうこう」と読むはずだ。市の名前だけ「とみぐすく」であとは「とみしろ」なのだろうか。切り分けがわからん。情報求む。

豊見城市

 残るはあと1つ。終点となる那覇市だ。ただ、豊見城から那覇に向かう道路は広いバイパスのようなものである上、渋滞が激しい。さらに、最初に那覇市に入った際には市境がトンネルだったためか、カントリーサインが存在していなかった。一度通り過ぎてしまうと戻りづらい大きな道路であることと、さらにカントリーサインが無いことが、あとたった1つとなったこの時点でのクリアを難しくさせている。結局、別の道からのアプローチをしてようやくたどり着いた那覇市であった。

那覇市

 これにてカントリーサインは終了!!横浜に比べて土地も格段に広く、数も3倍近かったが、思いつきで始めた割には充実した企画だった。2日(実際は1日半ぐらい)で全部回れたのも大きい。これからはやっと自由行動の時間である。って一人旅でツアーでもないのに「自由行動」もへったくれも無いか。

 時刻は15時。ここまでひたすら車で走って来たが、もう行動が那覇市に限られていることから一度車を降りて観光しようと思い立つ。車を置く場所が無いので、まずはチェックインすることに。宿の人から「お早いお着きで」と言われたが、確かに15時台だからお早いお着きか。チェックインはしたがすぐに外出。ゆいレール(那覇市内を走るモノレール)に乗る。

 ゆいレールは2003年に開通した新しいモノレールで、当然沖縄初見参の私は乗ったことが無い。ゆいレールができるまでは沖縄に鉄道は無く(戦前はあったらしいが)、今回が初めて(人によっては久しぶり)の鉄道である。興味も高い。

 しかし私の興味は「ゆいレールに乗る」ではなく、「本州最南端の駅に行く」である。こんな時にネタを求めてしまうのが元クイズ研の悲しい性だ。鉄道マニア以外はあまり興味を持たないだろう(例え興味を持ったとしても、いちいち下車して記念撮影まではしないだろう)。

 というわけで、ゆいレールに乗る。駅の構内に入ってきたモノレールに対して、身を乗り出して写真撮影したら、車内で「ホームで身を乗り出すのは危険です」云々のアナウンス。ちなみにこの駅でこのモノレールに乗ったのは私一人なので、明らかに私宛のメッセージである。困ったもんだ。しばらくして最南端の赤嶺駅に到着。下車して記念碑を撮影。

危険を冒してまで撮った写真
赤嶺駅と記念碑

 赤嶺駅は観光客でもっと盛り上がってるかと思ったが、閑散としていた。やっぱり浮いている元クイズ研。

 時刻は17時を過ぎた。そろそろ晩飯も視野に。観光名所は明日にまわすとして、買い物から入る。那覇で買い物と言えば国際通りだ。ていうか他に知らない。ガイドブックを持たない私は耳で聞いた情報のみが頼りだ。

 国際通りでは、自衛隊派遣反対のデモをやっていた。警察が先導していたが、ということは警察も反対を叫んでいるのだろうか。ともかく、多少交通の邪魔にはなっていたが、まあ反対運動をやることに関しては賛成なので頑張ってほしい。国際通りは途中にいろいろ横道があり、あてもなくフラフラしていたがめぼしいものが見当たらず。泡盛とか興味ないもの(酒飲めないから)。結局無難な土産物屋に落ち着く。この次の月にあるボウリング大会の賞品を物色。「さとうきび1年分」か「シーサー1年分」かどちらか迷ったが、将軍に相談したところ後者がいいということでシーサーをしこたま購入。

 晩飯は国際通りからほど近い食堂で。写真は無いが、ゴーヤが入った炒め物を食す。「ゴーヤチャンプルー」とメニューに明記されてはいなかったが、私の知識が間違ってなければ食べたものはゴーヤチャンプルーだった。苦味はなく、かなりの美味。しかし昼のジュースといい、沖縄に来てゴーヤのイメージがだいぶ変わった気がする。

 朝早かったため、さすがにこの日は早く寝ようと宿に戻る。しかしながら、もう1つさんぎょーから言われていた某社交街の写真だけは撮りに車を飛ばす。まったく無駄な体力の消費だ。ちなみに中を冷やかして入ったが、店の中には入っていないのであしからず。

沖縄一有名な社交街

 よう見たら電気1つ消えてるやん。

 帰りに将軍から連絡が。シーサー1年分を購入したことを告げると、今度は「沖縄のライオンズマンションを撮って来い」との指令が。当時、「トリビアの泉」で「沖縄のライオンズマンションの前には獅子ではなくシーサーがいる」というトリビアが紹介されてすぐだったから、というのもあるが。まあ私も見たいので探すことにするが、さすがにこの日は暗いこともあるし、場所も不明なので就寝。

 翌21日(月)。飛行機は夕方なのであと半日はゆっくり観光できる。まずは上記にあるとおりライオンズマンションを撮影。住民に怪訝そうな顔をされてしまった(当たり前か)。

ライオンズマンション

 続いては首里城に。まだ朝も早いということで駐車場も空いているだろうと余裕こいていたら、近いところは大体満車だった。読みが甘い。少し離れた民間の駐車場に停める。行ったことがある人ならばわかると思うが、首里城は見学コースがなだらかな起伏があり、歩いていくと相当しんどい。前日ちゃんと寝ていてよかった。まず守礼門に行くが、

見通し悪し

 修復工事中だった。とことんついてない…。続いて万里の長城なみの長い石畳を歩いて登る。

人、多いってば
起伏も多いが階段も多い
漏刻って…水時計?

 しばらくして正殿にたどり着く。すべてが朱色を主体とされていて美しい。さすがプロジェクトXで復興作業を追っただけはある。

正殿と横断歩道のような床

 この先に博物館があったが、そこでは写真撮影ができず。帰りは今登ってきた道をひたすら降りるのだが、朝露にぬれている石畳とつっかけでは危険を伴う。ソロソロとけが人のように慎重に降りる。歴史的にかなり重要な建造物だけあって、見るボリュームもたっぷり。次はやるとしたら本島にある首里城以外の城跡をまわるのも悪くない。いくつあるか知らないが。

 続いて、那覇市内にできたばかりの免税店、「DFSギャラリア沖縄」に。空港以外で普通の街中に免税店ばかりのショッピングモールがあるのは非常に珍しい。しかし、空港じゃないところにあるということは、別に飛行機に乗らなくても買い物にいけるということ。予想できるのは混雑具合だが、中に入ってみて驚いた。想像を絶する。3連休の最終日というタイミングの悪さもあっただろうが。とにかく人が多い。観光バスもやたら止まっている(コースに入っているのだろう)。地元の人は少なそうなのだが、明らかに観光客向けなのだろう。とんでもないところに来てしまった。ブランド物に興味ないし、ここは滞在時間40分程度で退散。ただ、やはり免税店だけに値段は安かった。興味のある人は行ってみたらどうだろうか。モノレールの駅からはすぐのところにあり、交通の便は抜群。

ギャラリア沖縄。広い…。

 つまらんことに時間をとられてしまった。1時近いので腹が減ったのだが、そろそろ沖縄料理も飽きてきた。ということで、沖縄そばか何かで済まそうとしていたところに吉野家発見。うん、牛丼も全然アリ、と意気込んだのだが

吉野家に!?

 タコライスがメニューにあったのでついつい購入。でもポテトサラダは普通の吉野家と一緒。

 朝食べておらず、少し物足りなかったのでコンビニでさらに購入。すると…

スポニチの値段に注目

 50円て…。関東より関西が10円安い、というレベルの問題じゃないなこりゃ。

 続いて、前日にチェックしていた沖縄県立博物館に。首里城だけでは学べない歴史を探索に行こう、と。しかし!!

今度は「封鎖」

 なんなんだよ、全く。予定がことごとく狂う。結局あと那覇市内で撮ったのは

首里高校

 「唯一甲子園の土を持って帰れなかった高校」の写真だけ。虚しい最終日となってしまった。

 そのままレンタカーを返して空港に。土産は十分買っているので空港でもやることなくそのまま伊丹に。

 というわけで沖縄の3日間が終了。なりゆきで始まったカントリーサインから、50円スポニチを拝める幸運と守礼門&博物館が見られないという不運と様々な体験。次回行くとすればキャンプ中の2月か、海開きしている時か。一人旅ならではの体験ではあったが、実の無い旅行に疲れだけを持って帰ってきた3月の連休だった。


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