2004年10月「広島・宮島」へ                                                     

ライン
   

忘れ得ぬ出来事


20数年前に広島で出会った
忘れ得ぬアオギリの木と、おじいさんから聞いた
お話に短歌を添えました。




蝉しぐれ照りつける平和公園の片隅に立つ被爆アオギリ   
     


                     写真提供Nさん




もう一度予定なき公園さまよへばアオギリの木と運命の出会い              



アオギリとの運命の出会いとは・・・


今から、約20数年前、自身の勉強のために広島に旅に出ました。

戦争について何も知らなかった私は、原爆ドーム、平和公園、平和資料館、

平和記念館を見学し、市役所と日赤病院でお話を伺いました。

その時うかがったお話では、被爆したことが原因で亡くなっていく方が

まだいらっしゃると言うことを耳にして、とてもショックでした。

未だに戦争が終わっていないということを知りました。

その日は、生まれて初めて近くの教会に入って世界の平和のために祈りました。

翌日は、宮島に向かうはずでしたが、なぜかもう一度平和公園に行ってみたくなり、

再び平和公園を散策しました。峠三吉の詩碑を見ていると1人の見知らぬおじいさんが

やって来て、「こっちへ来なさい。広島人のど根性をみせたる。」といって、

一本の木の所へ案内してくれました。

そこで、おじいさんがその木について話して下さったのが、下記のようなお話でした。





広島に原爆が落とされて、この地には80年間は草も木も生えないと言われていた。

ところが、このアオギリは、今でも枯れないで生き続けている。

アオギリの木のこっちの爆心地に近い半分は、幹が白っぽく枯れたようになっているけれど、

その反対側は青々としている。

(おじいさんは、幹の上の方のうろに手を入れて、

中から黒くてどろどろした物を取り出しながら)

ほら、中は腐っとるが、上を見てみなさい。

葉は青々と見事に茂っているじゃろう。

(おじいさんは、アオギリの葉を私に一枚取ってくれて、)

もし、この先、苦しいことや辛いことがあったら、このアオギリの葉を見てじっと耐えなさい。

そして、これからは、本当の平和について考えて下さいよ。





その後、この話をあるメーリングリストで書いたところ、アオギリのお写真を頂いたり、

新聞の記事(2000年8月2日『朝日新聞」で、「被爆木の種 世界へ」という見出しで、

「不屈のアオギリが、ユーゴ難民の心をいやした」という記事。)

を紹介して下さったり、交流の輪がひろがりました。


上記とは別のMLの伊豆のつぼみさんのHPに、広島に行かれた時の紀行文

「感動の広島日記」があります。その中に、

私のアオギリの話も載せて下さっていますので、ぜひ、ご参照下さい。

http://www2.wbs.ne.jp/~izutsubo/diary/hirosima.htm





『アオギリよ芽をだせ 被爆した広島の木』(大川悦生著)という

児童文学の中で、被爆アオギリの種が芽を出し、いろいろな国や多くの人々に

勇気と感動を与えているというお話も読んでみると参考になると思います。







木にかわり静かに語る老人の人生表す手で葉を取りくれぬ
     


  
                        写真提供Aさん     






一枚の葉を老人より受けし時歴史の重み感じて涙す


            
                              写真提供Nさん






病得て職を退く終(つい)の日に被爆アオギリ壇上にて語る
     



                  写真提供Aさん






時流れ縁ありアオギリ写真届く忘れぬ約束私の課題




*最後になってしまいましたが、遠隔の地、広島になかなか足を
運べない私に、被爆アオギリのお写真をご提供下さいました
Nさま、Aさまに、厚く御礼申し上げます。
お二人のご協力のおかげで、このページができました。

心か
ら感謝致しております。

写真その他の複製、転載等は、かたくお断りいたします。




2004年9月台風18号により、被爆アオギリが倒れてしまいました。
すぐに埋め戻されたというニュースにほっとしたのですが、やはり
その後が気になって20数年ぶりに広島のアオギリに再会しました。

詳しくは以下をご覧ください。
 04 広島・宮島