タッチ毛球症手術体験記
(1998年3月)
タッチは、グレーのミニウサギで、この(’98)7月で3歳になる男の子です。
3月上旬から、急に抜け毛がひどくなってきました。
いつもと比べても、抜け方がひどく、ちょっと引っ張っても、
ゴッソリ抜けてしまうという感じでした。
特に、タッチはきれい好きというか、日頃から一日中毛づくろいに余念がありませ
ん。
3月9日頃から、少しフンが小さくなったなあという感じがしました。
そして、食欲減退。
「タッチャン、おやつ!」といえば、いつもはどこに隠れていても必ず飛んでくるのが、来ない。
大好きな小鳥の餌の缶の音にも無反応。
試しに、大好きなおやつのクッキーを口元に持っていっても、全く食べない。
これは一大事と、すぐに獣医さんに連れていきました。
その結果、何かを飲み込んで、胃に詰まっているのではないかということで、注射を
し、
薬(粘滑剤ーオイルのようなもの、と整腸剤)をもらって帰ってきました。
翌日は、レタスなどを少し食べられるようになりましたが、やはり、だんだんおかしくなってきて、
とうとう何も食べなくなってしまいました。
フンも出ない、さらにオシッコまでも出なくなったときには、休診日でしたが獣医さんに電話をして、
留守電に症状を入れておきました。
その日の夜遅く、獣医さんから電話があって、すぐ診てくれると言うので、十時過ぎでしたが出かけました。
もう、そのころは、タッチのお腹からはキューグルルンというような変な音がしっぱなし。
ずっと、お腹のマッサージを続けていましたが、だんだん鼻先と口元が白っぽくなってきていました。
先生と相談して、すぐ手術ということになりました。
このままでは、とてももちそうもなかったので、ほとんど迷うことなく
手術の承諾書にサインをしました。
先生から、
「これからいろいろ準備して、手術をします。たぶん大丈夫だと思いますが、万一の時の覚悟もして
おいて下さい。手術が終わったら、電話をしますので、おうちで待っていて下さい。」
と言われたので、後ろ髪を引かれる思いでタッチを託して帰宅しました。
夜も更け、日にちも3月13日に変わっていましたが、まだ電話は鳴りません。
午前1時になりました。
未だに電話がないのはダメなのかもしれない、という思いが強くなって、心臓が張り
裂けそうでした。
そして、眠れずに2時半を迎えました。
その時、家の電話が鳴り響きました。
午前2時半。私の予想より遅い時間だったので、受話器を取るとき少し手がふるえて
いました。
待ちに待った獣医の先生の第一声。 それは決して暗くなかったので、落ち着いて耳を傾けることができました。
「今、手術が終わりました。手術は成功したと言っていいでしょう。
ただ、胃だけではなく、腸も詰まっていたので、胃と腸と両方の切開になりまし
た。
特に、腸管はすごく細いので傷を付けないように毛球を取り出すのが大変でした。
きょうの夕方にでも電話をしますので、その時は会いに来て下さい。」
という内容でした。
日頃、神仏には頼らない私ですが、今回だけは、「どんな神様でも仏様でもいいです
から助けて下さい。」
とずっと祈っておりました。その祈りが通じたようです。とにかく、タッチは助かったという思いで、短い眠りに
つきました。
その日の夕方、病院へ行きました。道々、先生の言った、
「ただし、急変する子もいますから覚悟もしておいて下さい。」
という一言が心に引っかかっていました。
それで、カメラ持参で病院へ行きました。
タッチは、入院したときに持っていったペットキャリーの中にいました。
少し毛が濡れているような感じでしたが、思ったよりは、やつれておらず、ほっとして写真撮影もしました。
ただ、名前を呼んでも無反応。
犬だったら、涙の抱擁シーンになるはずだったのに。
それでもタッチの頭をそっとなでたら、ぺろぺろなめてくれました。
お腹の傷が痛いのに、なんてけなげなんだろう。
涙がこぼれそうになりました。
先生がキャリーから出して、お腹の傷も見せてくれました。
傷は7センチくらいで、まだ赤く、何カ所も糸で縛ってありました。
胃と腸を切開して中から取りだしたものも、見せてもらいました。
ほとんど毛球でした。
タッチは、本などの紙、布、鞄などの革、机に登っては消しゴムを・・・など、日頃
から色々なものを食べて
しまうことがありました。
けれども、胃と腸内には毛球しか入っていなかった、ということはそれらは全部うまく排出されていた
のでしょう。
「タッチ、奇跡の生還!」と安心したのも束の間。
2日後に、先生から電話があって、タッチがお腹の糸を全部かみ切ってしまい、傷口
がパッカリ開いて
しまったというのです。
「夕方、もう一度手術をして縫い直します。」、と言われました。
聞くところによると、静かにしていたのは1日目だけで、翌日はキャリー内に敷いてあったタオルを
かみ始めたそうです。
あわてて先生がカラーを付けたら、まるで別うさぎになったように(人格が変わった)、大暴れをするので、
とうとうカラーを付けることはあきらめた結果が、自分のお腹の糸のかみきりでした。
それでも2度目の手術は、うまくいきました。
ただし、タッチのお腹は今度はワイヤーで縫われていました。
ああ、痛そう! かわいそうなタッチ。
ワイヤーで縫合されたタッチを連れて帰れるのかと思いきや、まだ、退院許可は出ませんでした。
先生も、タッチがまた糸(ワイヤー)を噛むのではないかと心配で、もう少し様子を
みたいとのことでした。
翌日、とうとう待ちきれなくなった私は、病院に電話をしてみました。
先生曰く「おうちで、面倒をみられそうでしたら、今日のお昼頃迎えに来てもいいですよ。」
やったー。やっと、タッチが帰ってくる!
退院の不安も、確かにありました。
それでも、タッチのいないケージを見ているのがつらくて、
とにかく退院させて家で面倒をみよう、
という気持ちでした。
食べ物のこと、排泄のことなど心配はたくさんありました。
でも、最大の難関はカラーができないということです。
何らかの方法をこうじて、お腹をなめないようにすればいいんだなー。
それじゃあ、そばに付いていられない時は、おんぶしていようか。
布の袋に入れて頭だけ出して、おんぶひもで背負って・・・
ばかばかしいと思われるようなことを真剣に考えながら、
病院に向かいました。
先生のお話では、カラーができないから、とにかく目を離さないように。
おんぶは、落として骨折する可能性があるからダメ、とのことでした。
それじゃ、仕方ない・・・
「先生、カラーを貸して下さい。何とか付けてみます。」と、決意した私。
先生は、カラーを付けるとタッチが別人(兎)になって飛び回り、
弱った心臓や傷口へ悪影響を引き
起こすことを心配されながらも、やさしく見送ってくれました。
家に着くとすぐに、タッチのケージに入れてやりました。
タッチは何事もなかったかのように大根葉を食べ始めました。
三十分くらい様子を見てから、ついにタッチにカラーを付けてみました。
すると、お気に入りのワゴンに入って、不機嫌そうな顔をしていました。
タッチに言い聞かせながら、長いことタッチの顔(特に鼻に近いところ)をなでなでしてやりました。
それがよかったのか、やっと少し落ち着いてきました。
うまくいった。カラーはめ、成功!
うちに帰れたせいか、先生のおっしゃるような別人(兎)に変身すること
はありませんでした。
それでも、狭いところはことごとく通れず、バタン、ドタンとぶつかっています。
顔も、いつも傾けているようで、人(兎)相も変わってきました。
顔を洗っても、カラーをなめるだけ。毛づくろいも邪魔でできない。
ケージにもうまく入れない。タッチのストレスは、たまる一方。
幸い、食べ物は大根葉、キャベツ、レタスなど、よく食べてくれました。
ところが、今度はウンチが出ない!
小さいものが少しだけしか出ない。盲腸フンも全くしない。
一日のフンを全部集めて、紙の上に一列に並べる。
少ないときは個数をカウント。少し増えたら、何センチ×何センチくらいの量に
なった、と先生に
ファックスで報告しました。
次の心配は、水を飲まない、オシッコもほとんど出ないこと。
仕方なく、水は何度も何度も手につけてなめさせました。(口もとに水を持っていっても飲まないので。)
トイレにも、こまめに連れていって、「オシッコ、チー」と声を掛ける。
薬も飲まないので、レタスに付けてくるくる巻いて、だましだましあげ
ました。
それでも、一番怖いのが朝。ケージをあけると、カラーしてないタッチがそこにいることがあるのです。
(どうやって、はずすのかしら?)
すぐにお腹の点検。ワイヤーが所々かみ切られ、傷も赤くなって、グチャグチャしていました。
色々なことをキャンセルして、タッチにつきっきりの日々。
少しずつフンが大きくなっていき、オシッコも出始め、だんだん堅いものも食べられ
るようになって・・・と、
うれしい回復でした。
ただし、抜糸の方は(普通は一回でできますが)三回に分けてしました。
ワイヤーもかたいけれど、かさぶた状になったものもかたくて、先生も、助手さんも、タッチ自身も大変でした。
(見ている私も疲れた。)
3/9 初診。
3/13 第一回手術。
3/17 第二回手術(再縫合)。
3/28 第一回抜糸。
3/31 第二回抜糸。
4/4 第三回抜糸。
という日程でした。
おかげさまで、タッチは、その後は元気で悪い子している毎日です。
牧草、ブラッシング、パインジュース、を三種の神器として、継続させていこうと思います。
(1998年5月 記)
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