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今は月の住人たちパート1

   

常にうさぎの一羽飼いを心がけているわが家では、一羽が月に帰ってしまうと、次の子を飼う・・・という方法でこれまで来ました。

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アイコンタロウ

1991年7月13日に、初めてのうさぎとして

幼稚園からもらって来たのが、タロウです。

わが家では、小鳥を飼っていましたが、これまで一度もうさぎを飼いたいと思ったことが

なかったので、最初はとまどいました。

園の親ウサギが次の出産で、まだ子兎だった三羽の兄弟を邪魔にしていたので、全員が

里子に出されました。タロウは、「ぴょんぴょん」と言う名前でした。

妹たち(?)は、「ララ」と「リリ」という名でした。

わが家に来たときは、体重800g、5月生まれなので、生後約2ヶ月ちょっとでした。







得意技は、仰向け寝



うさぎなどは、普段しない仰向けにすると、急におとなしくなって動かなくなってしまいます。

これは、俗に「うさぎに魔法をかける」とか、「催眠術」とか呼ばれて

いますが、不動化反射というものです。このままずっとじっとしています。

ただし、ちょっと体を傾けてやれば簡単に起きあがります。




タロウの思い出を、当時11才だった子どもが次のような作文に書きました。


タロウの思い出

 うさぎのタロウは、1991年7月13日に我が家に来た。妹が幼稚園からもらって来たのだ。体重は800gだった。みんなにいつも抱かれ、かわいがられていた。 

 月日が流れ、タロウは成長した。そんなある日、ベランダから落ちて歯を折ってしまった。歯が生えてくるまではエサも柔らかくしてやった。やっと歯が生えてきたけれども、普通のうさぎとは歯の生え方が違ってしまった。下の前歯が、上の前歯よりも前に出てしまい、前歯がのびて来たら歯を切らなければならなかった。歯を切るのは大変で、父と母が二人がかりでやっていた。タロウは、小さな声で、「キュウ」と言うくらいだったが、終わった後涙をためていることもあった。

 もうすぐ、1才になるころ、タロウは体重は2、2kgになった。いつもかごから出して、家の中を歩かせたり、胴輪をして庭に出したりした。公園に連れていくと野原を大喜びで走り回っていた。走り回ると言うより、飛び回っているという感じだった。

 1992年8月に母の実家に車で行った。初めて遠くへ行くのでペットキャリーを買った。車は苦手らしく、キャリーの中でぺちゃんこに腹ばいになってハーハー体で息をしていて、かわいそうだった。到着しても初めての家なので、警戒してあまり動かなかった。けれども、何日かたつと慣れてきて、部屋から長い廊下を通って台所へ行くようになった。姿が見えなくて探したら押入の中に入ってじっとしていたこともあった。

 タロウの人生で一番の出来事は、「我が家のアイドル」という写真のコンクールで銀賞になったことと、新聞社の写真展で「サマーランド賞」に入賞したことだった。

 写真は、タロウが背中に手乗り文鳥のヨッチャンといつこさんを乗せているせているものだった。タロウは、小鳥のエサが大好きで、よくもぐもぐ食べていた。

 秋には、体重は3kgをこえ、鉄アレーのかわりに使えるようになった。かごが小さくなったように感じた。すっかり人にもなれ、家の中をポックリポックリ歩いていたり、嫌々お風呂に入れられたり、抱っこされて散歩もしていた。僕はひまがあるといつもタロウと遊んでやった。横になっている僕の隣にタロウ専用の布団を持ってきて、その上に乗せると僕にくっついて昼寝までした。

 10月のある日、僕が学校に行っている間に、タロウは突然死んでしまった。目やにが少し出ていたが、元気そうだったのでみんなが驚いていた。その後も、学校から帰ってくると、つい、いつものようにタロウのかごをのぞいてしまう。何もいないかごは、とってもむなしい。タロウが永眠したのは、10月26日だった。





雪のつもった庭で遊ぶタロウ






「手作りの墓標に書く字のにじみをり
             タロウながいあいだありがとう」



他にもタロウに関する歌は豊富で、曲の付いた「ポンポンちゃん」、「ボン太郎ロック」がある。


お風呂をいやがるタロウを子ども(幼稚園時)が詠んだ歌もある。

「ふろきらいうしろ足で立ってがまんする
       出たいと目でいう うさぎのタロウ」

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