「へぇ、あなたにしてはいい店知ってるじゃない。」
とりあえず気に入って貰えたようだ。僕は、安堵した。
僕は、普段からの感謝と、そして、それ以外の思いも込めて、僕にとっては少し高いこの洋食店を予約し、上司である、小沢さんを誘った。僕などの誘いに応じてくれるかかなり不安だったが、あっさりOKが出た上、結構いい方向にことは運んでいた。
「あなた、こんな店、予約するなんて、結構、辛いんじゃないの。お財布。」
スープをスプーンですくいながら、ニッコリ笑う彼女。僕は、目のやり場に困る。正直、給料前で、少し、きつい。しかし、今日でなくてはならない理由があった。だから、そんなことを顔に出す訳にはいかないのだ。
「だ、大丈夫です。僕はこう見えて計画性はありますから。」
「無理しちゃって。」
クスリと笑う小沢さん。見透かされてる・・。
「む、無理なんかしてません。」
「まあ、いいわ。せっかくだから、おごってもらうわね。」
「まっ、任せて下さい。」
僕は、精一杯強がった。
サーモンを主体とした前菜が運ばれてくる。
僕は、自分から誘ったくせに、何を話して良いか、分からず、箸で前菜をつつく。
「あっ・・。」
つるりとサーモンが落ちた。また、やってしまった。
「氷川君、箸も下手ねぇ。」
クスクス笑う小沢さん・・。僕は顔が熱くなる。こんな時によりによって・・。かっこ悪い・・。でも、その小沢さんの笑顔は職場のそれとは少し違っていて、少し、暖かい感じがして、ますます、僕は熱くなった。
それから、いくつかの品物が運ばれ、メインディッシュの魚料理。
今度こそ・・。僕は唾を飲み、ナイフとフォークを握った。
魚を切る。
ガチャン・・。い1cmもきらない内に両方、落してしまう。何でいつも・・。僕はガックリと肩を落した。
「すぐに新しいものとお取り替えします。」
気が付いた店員がナイフとフォークを持っていった。
まわりから、小さな笑い声が聞こえる。僕は小沢さんの顔なんかもはや見ることもできずに下を向いた。
「こんなところで、こんなことするなんて、あなたらしいわね。」
「す、すみません・・。」
「いいのよ。面白いから。それにあなたの無器用は今にはじまったことじゃないんだし。」
「は、い・・。」
つくづく、自分がきまらない男だと実感してしまう、僕・・。
「ほら、顔、上げなさい。代わりのナイフとフォークもきたみたいだし。」
「お待たせしました。」
店員が丁寧に白いナプキンの上に新しいナイフとフォークを置いた。
「さっ、食べましょ。せっかく氷川君がおごってくれるんだから。」
「は、はい。」
顔を上げた僕にニッコリ微笑む小沢さん。その笑顔がとても綺麗で、思わず、見とれてしまう、職場では見ることができな小沢さんの一面。こんなに綺麗に笑う人だったのだと、僕は改めて実感した。
それから、一通りの料理が出され、食後のコーヒー。
「ああ、食べた。」
小沢さんは満足そうにお腹をさする。
「あの、小沢さん、いつもありがとうございます。いつも助けて頂いて、小沢さんフォローがなかったら、僕・・。」
僕は目をつむって、一気に言葉をすすめた。緊張のあまり、自分が何を言っているのかよく分からない。
「なーに?いきなり改まっちゃって。」
小沢さんは、きょとんとして僕を見た。
「あのっ、それから、その、お誕生日おめでとうございます。」
僕は、真っ直ぐ手を伸ばして、赤い、小さな包みを差し出した。
今度は、不意を突かれた顔する小沢さん。
「そういえば、今日、私の、誕生日・・?」
「そっ、そうです。」
「忘れてたわ・・。でも、氷川君、覚えててくれたのね。」
「もっ、勿論です。」
「ありがとう。」
小沢さんは、赤い包みを丁寧に受け取ってくれた。僕のプレゼントを大切そうに手の平にのせる小沢さんが可愛くて・・。
「ねぇ、開けても、いいかしら・・。」
「はいっ・・。その、気に入るかどうか、自信がないのですが・・。」
「大切なのは気持ちよ。」
そう言って、小沢さんは赤い包みを開けていった。そして、小さな、黒い箱の中から、ハートリングを取り出す。
「フフ、可愛いじゃない。あなたがハートを選ぶなんて。」
「その、気に入って・・。」
「お気に入りよ。」
「でも、給料前で大変だったんでしょ。」
「いえ、そんなことは・・。」
数日前・・。
「お客様、何かお探しでしょうか。」
僕は、普段足も踏みいれたこともない、女性ものの宝石店にいた。
店員がニコニコしながら、僕に話し掛けていた。
「プレゼントですか?」
「はい・・。」
「でしたら、これが今女性に人気なんですよ。」
ショーケースの中から取り出される、ハートのリング。
「そ、そうですか。」
「はい。」
少し、考える、僕・・。
「あの、それ、下さい。」
「はい、かしこまりました。」
「5万3千円になります。」
ごっ、5万・・。僕は慌てて、財布の中身をチェック・・。
「その、おっ、降ろしてきます。」
僕は慌てて店を飛び出し、近くのキャッシュコーナーにでお金を下ろし、戻る。
「すっ、すみません。」
「いいんですよ。大切な方も喜んで下さると良いですね。」
「はっはい・・。」
正直、衝動買いだった。
でも、買って良かった。心の底から、そう思えた。この笑顔を見ることができるなら、給料前のわびしい生活など、辛くはないと思った。むしろ、幸せだった。
「ありがとう、大切にするわ。」
そう言ってそのリングを僕に見せないように、そして、顔が少し赤くなっているのは、気のせいだろうか、大切そうにはめる小沢さん・・。
そのリングは一体、どの指にはめられたのかは僕は知らない。
しかし、僕はその小沢さんの表情に微かな希望を抱いたのは言うまでもない。