「帰り道」
秋。受験生という身分の者にとっては正念場ともいえる季節である。
ほとんど成り行きで「メガレンジャー」などというものになってしまっ
た彼ら5人にとっても変わりない。
もっとも、個性的な面々は、やはり個性的に今の状況を受け止めてい
たりするのだが。
「千里、この例題を参考にしてみたらいいんじゃないか?」
耕一郎が小声で千里に話しかけてきた。シャーペン片手に眉間にしわ
を寄せて問題集と対決していた千里が顔を上げると、すっと参考書が手
元に差し出される。
「え?ああ、これ?」
見てみると、確かに千里を悩ませている問題を解くヒントになるよう
な例題だった。
「ほんとだ。ありがと、耕一郎」
とりあえずめどがついたことにほっとした千里が笑顔を浮かべた。
「いや。俺も昨日そこでかなり悩んだからな」
「じゃあ、早く教えてくれればいいのに」
耕一郎の言葉に千里がぷう、と少し頬をふくらませる。さっきから1
5分以上はこの問題にかかりっきりだったのだ。それを向かいで見てい
ながら、どうしてすぐに教えてくれなかったのか。
千里としては文句の一つもいいたくなる。
が、耕一郎の答えはあっさりとしたものだった。
「何言ってるんだ。まずは自分の力で解いてみなくちゃ、意味がないじ
ゃないか」
いまどき珍しいくらいの真面目な優等生、耕一郎らしい返答ではある。
あまりにも予想通りの答えに、千里はなんともいえない微笑を浮かべた。
怒るほどのことでもないし、それに、耕一郎らしいことがなんとなく
おかしかった。
「はいはい、ごもっともです」
「千里」
「それよりも、そろそろ閉館時間だよ、耕一郎」
「ああ、そうだな」
千里の言葉に、耕一郎は図書館の大きな窓から見える中庭に視線を移
した。紅葉し始めた木々の葉が、風に揺られて落ちていく。
「……もう、秋なんだな」
耕一郎の言葉とその口調に、千里ははっとして耕一郎を見た。向かい
に座っている彼の視線は千里のすぐ脇をすりぬけて中庭へと、いや、も
っと遠い何処かを向かっていた。
千里が見ていることにも気づかない様子で。
「……耕一郎?」
おそるおそる千里が声をかけると、耕一郎は目の前にいる千里をまっ
すぐに見つめた。
「じゃあ、帰ろう」
「あ、えっと。う、うん」
そう言った耕一郎はいつもどおりだった。机の上を片付け始めた耕一
郎を数瞬見つめていた千里だったが、慌ててそれを手伝う。
さっき感じた違和感の理由を、心の中で必死で探しながら。
「久しぶりに呼び出しも何もなかったわね」
歩道橋の階段を上りながら千里が耕一郎を見上げると、「そうだな」
と短い言葉が返ってきた。
「このまま何も起こらなければいいんだが」
ああ、まただ、と千里は思う。
どこか遠くを見つめて、誰の声も届いていないような横顔。
いつか、見たことのある寂しげな表情。
あれはいつだった?
千里は必死で記憶を手繰り寄せる。思い出や共に過ごした記憶は千里
が思っているよりもたくさんあって。
けれど、こんな表情を見せることなど滅多にないから。
階段を上りきったところで、千里は求めていた記憶にたどり着く。思
わず歩みを止めた。
「耕一郎」
千里の呼びかけに、数歩先を歩いていた耕一郎が足を止めると、いつ
ものように振りかえる。
そして、千里の表情に気づいて眉をひそめた。
「どうした?」
「耕一郎、何か悩んでる?」
単刀直入、ストレートな一言だった。耕一郎は特に自分のことには無
頓着で、はっきり言わないと伝わらないことが多い。
それが共に過ごした高校生活の中で、千里が気づいたことの一つ。
「え?あ、いや。別に悩んでるってわけじゃ」
案の定、耕一郎は困ったような表情を浮かべている。
嘘をつくのが下手。そして、責任感が強くて、自分がしっかりしてな
くてはいけないのだと、いつも思っていて。
何よりも、ただ、仲間たちのために。
「耕一郎」
千里はゆっくりと耕一郎に近づくと、俯きかけた彼の顔を覗き込むよ
うにして見上げた。
「……本当に、悩んでるってわけじゃないんだ。ただ」
「ただ?」
「戦うのが当たり前になってたんだな、ってそう思っただけなんだ」
そう言うと、耕一郎は千里の瞳から逃れるように身体を少しだけ動か
した。
「戦うのが嫌だっていうんじゃない。ただ、戦うことに慣れてしまいそ
うな自分が怖いと、そう思った」
目の前にある大きな背中を見つめながら、千里は思う。
ああ、耕一郎だなあ、と。
正義感が強くて、この地を、みんなを守るために自分が傷つくことな
ど恐れない。仲間が傷つくこともリーダーである自分の責任だと断言し
そうなくらいに、真面目で。
そして、とても優しい人。
千里が思い出したのは修学旅行でのこと。森が無くなることを、それ
が人のせいであることに悩んでいた。それは耕一郎のせいではないのに。
全てを背負ってしまおうとする、痛みも苦しみも。
あの時と同じ表情をしている、今も。
「大丈夫だよ」
背を向けたままの耕一郎に、千里は話しかける。
「耕一郎一人じゃないんだから。あたしや、みんなと一緒に戦ってるん
だよ?だから、絶対に大丈夫」
そんな言葉で彼が抱えた悩みが解決できると思ってはいない。ただ、
忘れて欲しくないのだ、自分たちがいるのだということを。一緒に戦い、
傷つき、歩いてく者たちが傍にいるのだと。
「……ああ」
振り向かずに、けれど、彼は柔らかな声音でそう言ってうなずいた。
千里は耕一郎の右隣へ立つと、前を向いたままの彼の横顔を見上げる。
「ありがとう、千里」
さすがに照れくさいのか、耕一郎は千里を見ようとはしない。千里の
方もそう言われてしまうとなんだか気恥ずかしい。
……それに。
「なかなかいい気分だなあ、耕一郎にお説教できるのって」
「説教って、千里」
「何奢ってもらおうかな〜。あ、クレープなんかいいかも」
「お、おいっ?」
困ったような表情を浮かべた耕一郎にはかまわず、千里が軽い足取り
で歩道橋を歩いていく。
滅多に弱音を吐かない耕一郎の、その支えに少しでもなれているのか
もしれないということ。それが千里には嬉しい。
もちろん、そんなことは誰にも、みくにも言えないけれど。
「ちょっと待て、千里。帰宅途中に買い食いをするのはだな」
「誰も今からなんて言ってないでしょ?」
千里はそう言ってから歩みを止めて、くるりと振り返ると。
戸惑っている耕一郎を見つめながらいたずらっぽく笑ってみせた。
「次の日曜、図書館帰りに奢ってよね?耕一郎」
終