決別 ( MASKED RIDER BLACK )



 ブラックは地に膝折れた。
 互角だったはずのパワーが、気がわずかに乱れ、同時に放った死力のキック技は、ブラックの敗北に帰した。
 シャドームーンは冷徹にブラックを見下ろしていた。
 荒涼とした闘いの舞台。
 乾いた砂煙りのあがるこの場所は、二人の宿命の決着には似合いの場所、なのかもしれない。
 これまで圧倒し追いつめさえして、結局は信彦の姿に戻ったことに動揺したのがブラックサンの運の尽きだった。
 ためらっていた戦いを、もう一度思い出してしまったのかもしれないとも考える。
 だが、もう遅い。
 この宿命の戦いから逃げることはできない。逃がしはしない。
 この手でブラックサンを倒し、キングストーンを、太陽の石を手中にしてみせる。
 そして、次期創世王の力を手に入れることになるだろう。
 この地球の覇王となるために。

 シャドーキックの破壊力は精確に伝わっていた。
 ブラックはダメージに耐え、立つこともままならずあえいでいた。
 シャドームーンはじりりと足を運ぶ。
 数歩先に、赤い透き通る刀身の剣が大地に突き刺さり、主人を再び迎えるために待っている。
 剣を大地から引き抜いた。
 吸い付くようにサタンサーベルはシャドームーンの手に馴染んでいった。
 その刀身と同じ色の血を欲しがるかのように、脈打って冷徹な意志を伝えてくる。
 ブラックは苦しみを乗り越えて立ちあがる。
 しかし、それは文字どおり立っただけの姿が明らかだった。
 もう、戦いは決しているとシャドームーンは看破する。
「信彦、」
 シャドームーンは呼び声には構わなかった。
 隙だらけの宿敵へと歩み寄り、力強くサタンサーベルを斜に薙いだ。
 鋭利に。
 また一閃。
 リプラスフォームはまともに裂け、フィルブローンを切り裂いて火花を散らす。
 シャドームーンは白煙をあげ後退するブラックを追いかける。
 緑色の眼光は、追い詰めた獲物を鋭く射抜く。
 踏み込み、間合いを詰めた。
 一刀の元、ブラックは赤い剣に袈裟掛けに斬られた。
 手応えは十分だった。
 強化皮膚も、改造筋肉もサタンサーベルの前では意味はない。
 一瞬、重みを両手で受けながら、ブラックはシャドームーンのパワーを跳ね返すことなくそのまま切り裂かれていった。
 黒い体は脱力し、宙を泳ぎ、大地に倒れた。

「信彦……」
 敗者の遠吠えは快感をいつもシャドームーンの身に覚えさせる。
「ブラックサン、いよいよ最期の時が来たようだ」
 そう。お前は完敗した。
 この戦いに敗北した者は死ぬ運命。
 シャドームーンはもう起き上がることも、身動きすらできないブラックへ、ゆっくりと近付いて行った。
 この時を惜しむかのように。
「信彦。この地球はゴルゴムのものではない。人類の、いや生きるもの全てのためにこの地球はあるのだ……分かってくれ」
 苦しい息の下、そうつぶやくブラックの言葉は、シャドームーンを陶酔させた。
 そんなきれいごとを並べた言葉が本当に届くとこの男は思っているのだろうか。
 地獄へ行け。
 サタンサーベルを上段にふりかざす。
 逆手に持ち変えた。
 金色の柄を握りしめた。
 横たわるブラックを見下ろす。
 そう、終わりだ。
 最期だ。

 シャドームーンは全身の力を込めて剣を振り下ろした。
 腹部を貫通した切っ先が地面にまで突き通ったのを感じた。
 外気へ放出されるブラックの残エネルギーが、ビリビリと剣を伝ってくる。
 貫かれた致命のダメージに叫び声を上げて硬直したブラックの体は、終に力を失って弛緩した。
 エナジーリアクターがキングストーンのエネルギーを伝導を止め、マルチアイの光は失われる。
 そして、ブラックは動かなくなった。

 遠くに、霞にかかったように、シャドームーンは頭に反響する絶叫を意識していた。
「ライダー!!!!!」
「光太郎さんッ!!!!!」
 よく聞き知った、女の甲高い叫びだった。
 誰なのか思い出しもしたくなかった。
 邪魔されたくもなかった。
 シャドームーンはその存在を頭から消す。

 直後、大地を大きく地鳴りが這い、揺るがした。
 勝利への歓喜がシャドームーンの中を駆け抜けた。
 それは、地震よりもシャドームーンを強く胎動させる。
 シャドームーンはサタンサーベルをブラックの体から荒々しく引き抜き、天を突くように掲げた。
「ブラックサンが死に、地球も悲しみ……私が勝ったのだ!!」
 声高らかに宣言する。
 敵の死の影への快感。
 自分自身の手で送ったことへの陶酔。
 そして、次期創世王へのふつふつと湧き上がる野望。
「見事だ、シャドームーン」
 どこからともなく、空間を支配して創世王の言葉が響いてきた。
「さあ、ブラックサンの体を切り裂き、キングストーンを取りだせ。それでお前は次期創世王だ」
 その通りだった。
 時間はあまりない。
 この時にも太陽の黒点は広がり、創世王の命は尽きようとしている。
 創世王の助力を得、ゴルゴムの洗礼を受けた自分の命もまた同様。
 背中を押されるまでもなかった。
 自分が完全なる力を手に入れるために、ブラックサンのキングストーンは必要なのだ。
 シャドームーンは手を伸ばした。
 ブラックの体へと。
 腹部のベルト部へと。
 そのエナジーリアクターを中心とする細胞の下に、赤い、太陽のキングストーンが埋まっている。
 それをもぎ取ってしまえば、宇宙を支配する力を得ることになる。
 次期創世王として宇宙に君臨する未来が開ける。
 
 手が届く寸前、突然リアクターが燦然と輝き出した。
 シャドームーンは不振に見守った。
 光は動かなくなったブラックをとりまくように輝き、瞬時にしてその体を、全身の細胞を元の人間の姿へと変化させた。
 一瞬、衝撃がシャドームーンの全身を貫いた。
「光太郎、」
 不覚にも、完全に動揺した感情を乗せてしまっていた。
 呼ぶつもりもないその名前が、無意識に口をついて出た。
 シャドームーンは自分の信じられない行動と、ぐらつく心に鞭を打つ。
 狂気が射し込むのを制動できずに揺れる。
 激震する。

 


 ……これはデジャ・ヴュ?
 以前に何処かで見た……あれが夢なのか? 今が現実なのか?
 葬り去ったはずの信彦の心の狂気に囚われて、完全なる失態を繰り広げる夢。
 心を惑わす狂気の嵐が作り出す、最悪なシナリオ。
 ためらい、迷い、できないと、倒しながらも南光太郎からキングストーンを奪えなかった自分がたどる道。
 シャドームーンは心にかかる霞を振り払おうと懸命にもがいた。

 ふと聞こえたのは、背中からの呼び声だった。 
「信彦さん」
 また、忌わしいあの名。
 体に覚えている声。
 憂いを帯びた表情。
 怒りを複雑に混ぜた表情を彼女は向ける。
「信彦さん、もうやめて」
 かつての恋人を、変わり果てた恋人を見ても、彼女の愛は変わらないらしい。
 その心を利用されようとしても、どんなに陥れられようとも、自分の気持ちを紀田克美は決して諦めようとしなかった。
 熱い視線が注がれていた。
 それが微妙に胸をくすぶらせた。
 シャドームーンは手を上げた。
 克美へと伸ばす。
 殴った。
 言い様のしれない疼きが体を走って、その力を弱まらせる。
 それでも、人間の彼女は叫びを上げて地に叩き付けられた。

「お兄ちゃん、これ以上みんなを苦しめないで!!」
 新たな敵だった。
 シャドームーンにとっては克美以上の、ブラックサン以上の手強さを持つ敵だった。
 向けられたのはほとんど泣きそうな顔。
「お兄ちゃん、私、優しいお兄ちゃんを覚えてる」
 涙にぐしゃぐしゃの顔を隠すこともなく、射るように強い視線。
 妹という存在。
 その生命エネルギーを、シャドームーン復活に差し出したこともある秋月杏子。
 血という絆がもたらす激痛を、杏子は忘れた頃に時折招く。
 それでも、手にかけることをためらわずにはいられない存在。
 これが自分の甘え。
 失態の一因。
 シャドームーンは妹の首をしめあげた。
「ッ……!」
 細い首を掴んで、その細さに力が緩む。
 みるみる土気色になる杏子の顔色に吐き気がして、その手を思わず離した。 

 できる。
 できない。
 できはしない。
 心は揺れ続けた。
 自分で認めたくはなかった。
 過去を離したくなくて、信彦の、人間の心が泣いているのを。
 シャドームーンが抑えられないことを。
 このまま、たったひとりの人間に臆して逃避する、自分を繰り返したくはない。
 もう一度見たくはない。

 これは幻夢。
 自分を試すはずの。
 現実にごくごく至近の、リアルな幻。

 頭は次第に冷めはじめる。

 今最もすべきこと、最も的確な行動。
 やらなければ、自分は自壊する。
 いつまでも囚われていることこそ、危険な思想だった。
 切り抜けてこそ、生き残れるのだということだけははっきりしていた。
 できなければ、自分の生の意味はない。
 世紀王シャドームーン、次期創世王の座を手に入れるのは誰でもない、自分なのだから。
 冷静に、冷酷に、無情に、冷徹に。
 ゴルゴムの生きる道はそれがすべて。
 ……意識がはっきりするのを自覚した。




 成し遂げて、すべてを断つ。
 
 


 シャドームーンはサタンサーベルをもう一度片手に持ち上げた。
 あの時。
 迷ってしまった過去を取り戻したい。
 その強い思念が甦らせた、この場所。
 もう逃げ出しはしない。

 地が剥き出しになった、ざらつく風が吹きすさぶ場所。
 眠っているかのように目を閉じて横たわる、南光太郎の顔が視界に入った。
 戻る。
 あの時に。
 ブラックサンの人間の姿にためらうあの時に。
 その穏やかな表情に、死に逝く方が楽になるのかとさえ思う。
 改造人間の回復能力は、最後まで働いているらしい。
 光太郎の体は、ほんの表面的には傷口が消えてしまっているのか、貫いた傷の血痕さえ残っていない。もう一度腹を裂き、キングストーンを取出す。それが最善の策。
 今まさに尽きようとしている命にとどめを刺す。
 サターンサーベルの半透明な刀身のぎらつきを見て、シャドームーンは落ち着きを取り戻した。
 サーベルを持つ手に力を込める。
 緊張は最高潮に体中を走り抜けていた。
 一気に再びサーベルを突き下ろす。
 びくりと南光太郎の体が跳ねた。
 すでに人形のように声を上げもしない。
 人間体の体はまるで手ごたえなく、サーベルに串刺しになった。
 あまりの軽さと柔らかさに疑いを持って、シャドームーンは剣を引き抜いた。
 ビシャッと何かが散り、シャドームーンの頬を、胸を濡らした。
 剣も濡れている。
 透けたなその刀身が、半透明でなくなるほどもっと濃い赤に染まり、艶やかに光る。
 それは血。
 人間の脆い体の証だった。
 喉を逆流したらしい血泡を吹いて、ほとんど呼吸もしていない光太郎の表情は苦悶に変わる。
 心がさざめくのを無視できない。
 シャドームーンは手を伸ばす。
 指がかすかに震え、わなないた。
 その銀色の装甲に縁取られた指先を見つめながら、じっと耐えた。じっと己を試す。
 意識がとびそうになるのにシャドームーンは抵抗した。

 突然、パリンと鏡が割れるように、心の中の何かが砕けたように感じた。
 手足の先まで浸透して行った動揺は、満ちた潮がいつかは引くように、やがて、おさまる。
 後には無の闇が残り、頭が再び冷やかに冴える。

 シャドームーンは光太郎の傍らに膝間づき、夥しく流血する傷口に一気に深く手を差し入れた。
 みしみしと音を立てて体細胞を破ると、やがて強固な細胞に守られた赤い玉を見つけてもぎ取った。
 血を滴らせながら、空へと高く、太陽のキングストーンをかざす。
 赤い玉がよりいっそう赤く、黒く光を放つ。
 歓喜が湧いた。
 息苦しさからやっと開放されたことを知る。
 シャドームーンは高笑う。
 克己する。
 もう、ひとかけらさえも迷いを感じることはなくなった。
 この歓喜がどんなに官能的なことか。
「私の勝ちだ、真の勝利だ!! そして宇宙を統べる新たな創世王として私は未来に君臨する!!」
 本能のままに笑い、本能のままに叫んだ。
 −−−−− 





 気づくと、シャドームーンは暗闇の神殿の玉座に佇んでいた。
 カーラとマーラが石像のように傍らに控え、何事もなかったかのように微動だにしない。
 大怪人ダロムは、ブラックサンの骸を探して奔走しているはずだった。………
 ……すべては白昼夢だった。
 己の迷いを断つための幻視。
 キングストーンを目の前で見送ったブラックサンへの不要の情を洗い流すため。
 もう一度、試練を自分に仮すため。
 過去をやり直せたわけではない。
 太陽の石を現実にこの手に入れたわけではない。
 だが、打ち克った自分は、明らかに、創世王への資格を取り戻した。
 シャドームーンは再び玉座に立つ足に自身を漲らせた。


 その時、体内に在る月の石が胎動した気がした。
 シャドームーンは何かに気づき、頭をあげる。
 それは暗闇から見つめる視線だった。
 黒い体が闇に紛れて半身を影に落とし、燐光のように赤い眼が光っている。
 シャドームーンは一瞬たじろぎ、我が眼を疑った。
 カシャン、と動揺に踏み込んだ足が、レッグトリガーを引いて神殿内に低くこだまする。
 ブラックサン……。
 声にしない声でつぶやいた。
 確かに死んだはずだ。
 それが現実だ。
 赤い光はシャドームーンの意志に反応するように消え、代わりに、薄明かりの下へと影は進み出た。
「信彦」
 影は呼ぶ。
 心の奥底に聞こえるような声。
 紛れもない南光太郎のもの、人間の姿だった。
 これはまた幻視なのか。
 違う。
 ここは本当の世界。
 呼び声は響きながら、シャドームーンの心にそれ以上の感情を生むことはなかった。
 静閑なる湖面のように、波立つ波紋は広がらなかった。
 シャドームーンは沈黙で答える。
 過去との決別を。
 死者の姿は悲しそうな表情を浮かべ、消えた。

 予感が去来していたのかもしれない。
 死者はもう一度生き返ることはない、それが自然の摂理であっても。





 ……運命の輪がキリキリと巡り出す。
 時は止まり、再び動き始める。
 宿命の戦士たちをもう一度舞台に上がらせるため。
 闇に飲み込まれる運命を戦士たちに等しく紡ぎながら。
 永遠の決別を突き付けるために。




 近付く時の足音を、シャドームーンは、静かなる闇の底で聞いていた。





 fin.