the last valentine

「小沢さん、本当に辞められるんですか?」

警視庁から歩いてすぐの小さな喫茶店。小沢澄子と氷川誠はその中の小さなテーブルで向き合っていた。

「ええ、そうよ。」

「そんな・・。」

悲しそうに俯く氷川誠。

「そんな顔しないの。私ね、別にG3ユニットがあなた達が嫌で辞める訳じゃないのよ。」

「じゃあ何故。」

そう言う氷川の口調は少し強いものであった。

「私ね、こう、もっと広い世界に出たくなったの。もっと自由に生きようって思えたの。実は貴方を見てそう思ったんだけどね。」

「僕を?」

「そう。貴方は最後まで氷川誠でいた。貴方は、人間の氷川誠として自由な意志で闘うことができたじゃない。それを見て、私のしたいことって何なんだろうって考えた。そして出た答えは。」

「出た、答え・・?それは何なんですか?」

「答えは出なかったの。だから、探そうって思った。もっと広い世界へ出て。私はこの日本も東京も大好きよ。だけど、もっと外に出れば何かあるんじゃないかって思ったの。」

そう言って小沢澄子は微笑んだ。その微笑みを見れば見るほど辛くなるのは氷川誠の方であった。

「僕は・・。」

小沢澄子を止めたい。しかし、彼女の強い意志を誰にも止めることはできない。それが氷川誠は辛かった。

氷川誠は思った。笑って送り出さなければならない、と・・。自分が彼女にできる唯一のことなのだと・・。

「僕は・・。」

その先がなかなか言葉にできない。本当は止めたい。止めたくてたまらない。

「無理、しなくていいのよ。」

「いや、小沢さん、今までありがとうございました。僕は、小沢さんのお陰で自由な意志で人を守ることこそ僕の生きる意味だということがやっと分かったんです。小沢さんには感謝してもし足りないくらいです。」

「氷川君・・。」

「がんばって見つけて下さい。僕は、いつでもあなたを見守ってますから。」

氷川誠はその事が言えて安心した。大丈夫。自分は彼女を笑って見送ることができる。自分にそう言い聞かせた。そして彼女に再び出会うことを待つことができる。

「ありがとう。」

「ところで今日は何の日か知ってる?」

「いえ・・。」

突然の小沢澄子の言葉に氷川誠はきょとんとした。

「はい。これ。」

「これは・・。」

小沢澄子は、照れ隠しにすこしどもった声で言った。

「チョコレートよ・・。」

「あ・・。」

「今日が日本で最後のバレンタインなの。」

「私ね、バレンタインなんて今までしたことなかったの。別にこの日にチョコレート渡してどうのこうのするのって興味ないし、面倒くさかった。でもね・・。今年は気が変わったみたい・・・。」

そう言ってにっこり微笑む。

「小沢さん、本当にありがとうございます。」

氷川誠はそのチョコレートがどれだけ心がこもり温かいものか十分に知っていた。小沢澄子の日本で最後のバレンタインチョコ。

氷川誠の脳裏に小沢澄子と過ごした一年間の記憶の一つ一つが鮮明に蘇える。楽しかったこと、その時の小沢澄子の笑顔、口惜しい思いをし、悔しかったこと、苦しかったこと、自分の能力に悩んだこと、その度に小沢澄子に叱咤激励され小沢澄子という女性の大きさを肌身をを通じて感じたこと。この一年間、氷川誠の記憶には常に彼女がいたことを今になって思い知らされる。また彼女と再会したい。その思いは更に強くなる。

「時々、電話するから。」

「はい。」

「日本に帰ってきたら連絡するから。」

「はい。」

小沢澄子の言葉の一つ一つに別れを実感させるものを感じた。

そして、自分の手の中にあるチョコレートが妙に切なく感じられる。これからいなくなってしまう女性から貰ったチョコレート。

「何度も言うけど、貴方は私の英雄よ。どんなに時がたっても。あなたは私だけの英雄よ。」

「小沢さん・・。」

その夜、氷川誠はチョコレートの包みを開けた。手作りだった。少しハート形が無器用に曲がってはいた。小沢澄子の日本で最初で最後のバレンタインチョコ。

少し割って口に含む。無器用に台所に立ち、あまりつけたこともないエプロンをつけて、必死で料理の本と睨めっこする小沢澄子の様子が目に浮かぶようだった。そして、次に浮かぶのがやはり小沢澄子との思い出。自分の嘘偽りのない気持ち。しかし、結局伝えることはできなかった気持ち。今伝えたら、彼女が困るのは目に見えている。氷川誠それだけは避けたかった。

それから数日後、小沢澄子はイギリスに旅立った。

そして、氷川誠はペンを手にとった。

「前略

 小沢澄子様

  私は貴方が旅立った後、捜査課に配属されることが決まりました。そして、尾室さんは新たにできたG5ユニットのリーダーになりました。僕は、今も僕なりのやり方人を守ることを使命を全うしようと全力を尽くしています。それが僕の自由な意志なのですから。

 小沢さんは、見つけることができたでしょうか。貴方の自由を。あなたのいるべき場所を。僕は小沢さんにならきっとできると信じています。何故なら、あなたも僕にとって永遠の英雄なのですから。そして、貴方は僕の」

氷川誠は、思わずここでペンを止め、苦笑した。便箋を代え、新しく書き直す。そして、氷川誠は”そして、貴方は僕の”部分を書かくことはなかった。勿論その続きも。それはまだ自分には早すぎる、そう思ったからであった。

”前略

小沢澄子様

  私は貴方が旅立った後、捜査課に配属されることが決まりました。そして、尾室さんは新たにできたG5ユニットのリーダーになりました。僕は、今も僕なりのやり方人を守ることを使命を全うしようと全力を尽くしています。それが僕の自由な意志なのですから。

 小沢さんは、見つけることができたでしょうか。貴方の自由を。あなたのいるべき場所を。僕は小沢さんにならきっとできると信じています。何故なら、あなたも僕にとって永遠の英雄なのですから。

 それから頂いたチョコレート、噛み締めて食べさせて貰いました。貴方の最後バレンタインデーにチョコレートを貰えて僕は幸せ者です。とても美味しいです。本当にありがとうございました。

 また再会できることを楽しみに、僕は日々精進を続けていくつもりです。

 それではお元気でご活躍下さい。

                                                           氷川誠”