「ディ、アナ様、な、何をなされてるのですか・・・。」
ロランは叫んだ。
「見て分からないのですか?お料理ですよ。」
「そんなの、僕がやりますから。」
月と地球との戦争が終わり、平和が戻った。キエル・ハイムはディアナと入れ替わり、月の女王として月へ昇った。ディアナは地球人としてロランと平和に暮らすことになったのである。
ディアナは嬉しそうに言った。
「いつも、あなたばかりがお料理をしていては、不公平ですから。ねっ。それに私はもう、女王ではないのですよ。」
「でも、それではあまりにも・・・。」
ロランは動揺を隠しきれなかった。
「何を言っているのです。ロラン。私にやらせて下さい。つっ・・・。」
ディアナの顔が引きつる。
「どうなさったのです。見せて下さい。」
ロランはディアナの手を取った。ディアナの白く、美しい手は切り傷だらけだった。
「お綺麗な手が傷だらけじゃないですか。」
ロランがまたも叫んだ。
なにしろ、女王として何百年も暮らしていれば、家事などと無縁の生活になってしまう。ディアナは顔を赤らめて言った。
「お、大袈裟ですよ。」
「手当てしないと・・・。」
ロランは、消毒と包帯を持ってきた。
「ロラン、こんな傷なんともないのですよ。」
ディアナは傷を隠そうとした。
「駄目ですよ。」
ロランはディアナの手を取り、硝子細工を扱うように、そっと消毒を塗っていった。
「痛く、ないですか・・・。」
ロランは恥ずかしそうにディアナを見た。ディアナの手は柔らかく、ロランはその感触に卒倒せんばかりだった。その様子にディアナが微笑む。
「何ともないですよ。ありがとう。」
「そ、そんな・・・。」
ロランは顔から耳まで真っ赤だった。
「ごめんなさい。貴方のお仕事を減らしたかったのですが、逆にお仕事を増やしてしまいました。」
「そ、そんな、ディアナ様のそのお心こそ勿体無いです。」
ロランは自分のことを思ってくれているディアナの心が嬉しくて、しどろもどろに応えた。
「ロラン、頼みがあります。」
「なんでしょう。」
「今度、お料理、教えて頂けませんか。」
「お料理ですか。」
「お料理だけでなく、色々なお仕事もしたいのです。」
ディアナは地球人として暮らすのなら、女王だった自分を捨てたかったのだ。今まで、やったことはないとはいえ、料理だってしたいし、家事だってしたいのだ。楽をすることが心苦しくてたまらなかった。
「僕が、働きますから。ディアナ様はここにいて下さるだけで僕はもう・・・。」
ロランはとんでもないというふうに言った。
「駄目ですよ。ロラン。私は人間らしく生きる為にここにいるのです。でしたらここで暮らす以上私だって働かなければならないのですよ。」
そう言うディアナの目はロランから見て今までに比べてずっと生き生きしていた。
ロランは、その時初めて分かった気がした。ディアナにとってロラン達の当たり前を手に入れるのがどんなに困難だったか・・・。「月の女王」という柵に縛られ、普通に働き、友人と笑い会い、恋をすることすらままならなかったディアナの悲しみが・・・。そして、ディアナが当たり前だが、贅沢な生活をどんなに夢見ていたのか・・・。ロランは胸が苦しくなった。
「すみません。僕の重い心がディアナ様に負担をかけていたのですね。ディアナ様が何故地球でお暮らしになるのか、もっと考えるべきでした。」
ロランは悲しそうに言った。
「そんな顔をしないで下さい。ロラン、あなたは笑顔が素敵ですよ。」
ディアナは微笑んだ。
「はい。」
ロランは、溢れかけた涙を拭い、自分ができる限りの笑顔を作る。
「では、教えて頂けますね。お料理。」
「はい。」
その時、ロランは初めてディアナが自分に近い存在になったような気がした。それがロランにとってどんなに嬉しかったか。それは、初恋が実ったような感覚に少し、似ていた。