自責の念に駆られた翔一は、バイクを走らせた。

しかし、自分に逃げる場所などあろう筈もないことは翔一自身、よく分かっていた。

翔一は、バイクを一旦止め、方向を変え、真魚が入院している病院に向かった。

夜9時頃だった。翔一が病院に着いたのは。

病院は、受付も閉められ、僅かな明かりが点っている状態であった。

翔一は、暗闇の廊下を歩き、真魚が入院している病室の前に立った。

悔しさと、情けなさ、そして、真魚を失うかもしれないという恐怖が込み上げる。

病室の戸の取っ手に手をかけたが、入ることもなく、ただ、俯いたままであった。

「ごめん・・・。真魚ちゃん・・・。ごめん・・・。」

涙があとから溢れ出した。

その日、翔一は、美杉家に帰ることはなく、そのまま、病院で眠ってしまっていた。

自分を責め、疲れたのか、翔一は夜勤のナースが起こしても起きることはなく、心配した一人のナースが毛布を持ってくる始末であった。

それから、翌朝だった。真魚の意識が戻ったのは。

その朗報をナースから知らされた翔一は、真魚の病室に飛び込んだ。

翔一が見た真魚は身体を起こし、目をパッチリと開けていた。

「真魚ちゃん。」

翔一は真魚の顔を、見た。

あの青年の言葉は嘘なのだと、思った。

現にこうして真魚は意識を取り戻し、生きているではないか。

「良かった。俺、真魚ちゃんが心配で・・・。」

とめどない、思いをうまくまとめきれないでいる翔一に対して真魚が出した言葉は、その後、翔一を呆然とさせた。

「あなたは、誰・・・。」

「真魚ちゃん?」

「あなたは、誰、ですか・・・。」

「真魚ちゃん、何、言ってるの?」

「もしかして、俺のこと、からかってる?やだなぁ。」

翔一は、笑って見せた。

しかし、それが冗談でないことはすぐに分かった。

「嘘・・・。」

「真魚ちゃん、ほんとに、分からないの?」

「だから、真魚って、誰・・・?あなたは、誰・・・?」

「嘘、だろ・・・。」

翔一は、真魚の肩に手を当てた。

「やだっ、触わらないで。あなたは私の何・・・?」

真魚の声は震えていた。翔一に触わられた嫌悪感からそんな言葉が出た訳ではなかった。ただ、怖かった。理由もなく恐ろしかった。

「真魚ちゃん・・・。」

翔一の声も震えていた。

遅れて、義彦と、太一も病室に到着した。

「先生、真魚ちゃんが・・・。」

「聞いたよ。先生から。」

「父さん、真魚ねえ、本当に忘れちゃったの・・・。」

医師が言うことには、恐らく、何かのショックによる一時的な記憶喪失ではなかろうかとのことである。

(一体、真魚に何があったというのか・・・。)

義彦は、考えたくないことが次々と込み上げてくる。

「翔一君、君は何か、知っているのかね。」

「それは・・・。」

翔一は口を閉ざした。あの青年のことをどう、説明すれば良いのだろう。

「先生、俺が、何とかします。真魚ちゃんの記憶を取り戻します。」

「君は・・・。」

義彦は、それ以上、何も言うことができなかった。信じてみよう。翔一に賭けてみよう、義彦は自然とそう思った。

記憶喪失以外には、問題がないということで、真魚は、すぐに退院することになった。

翔一は、その時、心に決めた。真魚を守ろうと。何があっても自分が真魚を守るしかないのだと思った。そして、もう一つ、真魚の前では笑っていよう、そう決めた。

真魚が退院してから一晩経った、朝。

真魚はとりあえず、学校を休むこととなった。

「真魚ちゃん。」

義彦は、大学に、太一は小学校に行った。

翔一が真魚の部屋をノックした。

「朝ご飯できてるから、食べにおいでよ。」

返事はなかった。

翔一は真魚の部屋を覗いた。

そこには、亡き父親の写真を眺めていた、真魚の姿があった。

「真魚ちゃん・・。」

翔一の声に真魚は振り向く。

真魚の目から涙が流れていた。

恐らく、亡くなった父親の記憶の断片が、明確ではないにしろ、デジャヴのように蘇ったのだろうか。

「あの、津上、さん・・・。昨日は、ひどい、こと、言って、ご、めん、なさい・・・。」

真魚の口調はかなりぎくしゃくしていた。

「真魚ちゃん・・。」

”津上さん”

他人行儀な呼び名だった。翔一の心がズキンとなった。今まで、”翔一君”と呼ばれるのが当たり前だった。以前「歳上なのだから翔一君と呼ぶのはやめて欲しい。」などとも言った。しかし、今は、そう呼ばれることはなかった。翔一は、痛感する。真魚の自分に対する記憶がないのだということを。それが、どんなに悲しいことは、今まで、想像したこともなかった。今までがあまりに当たり前のようにあったから。

しかし、翔一は笑って見せる。自分は笑わなければならないのだ。真魚の為にも。

「朝ご飯、できてるから。」

「ありがとう・・・。」

「そうそう、これから、俺、ケーキ作ろうかなって思うんだけど、真魚ちゃん、良かったら、食べない?」

真魚は、少し戸惑いながも、頷いた。

「良かった。楽しみにしててね。」

それから、真魚は、一階に降りて来て、翔一の作った朝食を食べる。

「美味しい・・・。」

真魚は思わず呟いた。

洗い物をしていた翔一がそれに気付き、真魚の方を見て、ニッコリ笑う。

「嬉しいなぁ。」

その笑顔に真魚は戸惑いながらも、少し笑みをこぼす。

「ケーキ、楽しみに待っててよ。」

真魚は、翔一の言葉に僅かに頷いた。