バルバンとの闘いは日増しに激しくなっていく。

そんな折だった。

サヤは、一つの考えに悩まされ、稽古に、集中できないでいた。

「ヤァッ!」

「エイッ!」

「あっ。」

ヒカルの一撃でサヤは剣を地に落とした。

「おい、サヤ、最近、剣の腕、鈍ってきてるんじゃないの?」

「えっ?」

それは、思いがけない、ヒカルの一言だった。

”腕が鈍ってきている”

「べっ別に、そんなこと・・・。」

サヤは思わず、言い返そうとしたが、言葉が途切れる。

図星だったから。

いや、正確に言うと腕が鈍っているのではない。

問題は、サヤの心であった。

「何か、最近のサヤって変だぞ。」

ヒカルは不思議そうに言った。いつもなら、弱くなったとか、からかうところだが、サヤがおかしいのは、ヒカルも見抜いていた。

「何でもないよ。ほら、稽古、続けるよ。」

そう言って剣を構えるサヤ。

しかし、その表情は動揺の色が隠せない。

「あっ、ヒュウガっ。」

ヒカルが突然指をある方向に差し、叫んだ。

「えっ。」

サヤは更に動揺の色を露にし、ヒカルの指した方向を目で必死で追った。

「ヒュウガのことだろ。サヤが考えてる事って。」

「べっ、別に違うよ。」

「だって、さっきの慌て方、普通じゃなかったぜ。」

「そっ、それはあんたが急に大声出すからじゃない。」

サヤは顔を真っ赤にしてムキになった。

「素直になった方がいいんじゃないの?」

ヒカルが言った。その言い方は、いつもと違い、からかうそれとは違っていた。サヤを気遣っているといったものであった。

そう、ヒカルも、リョウマも、ハヤテもゴウキも最近サヤの様子が心配だったのだ。そして、それは、ヒュウガのことだと、薄々気付いていた。当のヒュウガは気付いているか否かは不明であるが。

「うっ、うるさいよっ。行くよっ。」

吐き捨てるように言ってサヤは剣を構え直す。そして。

「ヤッ!」

その剣の筋はサヤの苛立ちと、焦りを表しているようであった。ヒカルは、その剣を、受け流すように躱す。いつもなら、剣を交えると、強敵の筈のサヤが今日は全然素人じみていた。

「エイッ!」

それでも、サヤは苛立ちをぶつけるかのように、ヒカルに向かった。

それから、サヤは不意に攻撃を止めた。そして。

「ちょっとヒカル、やる気がないなら、やめたら?」

苛立つ口調でヒカルに食って掛かるサヤ。

「そうだな。俺、今のサヤと戦っても面白くないしな。」

そう言い放つとヒカルは聖獣剣を鞘に収めた。

「ほんと、素直になった方が一番だと思うけど。」

そう言って、唖然とするサヤを残してヒカルは牧場の方へ言ってしまった。

「素直に・・・。」

サヤは、そう呟くと、その場にへたれ込む。もはや、ヒカルを追い回す気にもなれなかったのだ。

「ヒュウガ・・・。」

思わず、その名前を口にしてしまう。

思えば、以前、ヒュウガが作戦とはいえ、一人の、それも、自分と同じ年くらいの女性を優しく抱きしめていたのが脳裏によぎる。あの時、自分は、ヒュウガにどんな感情を抱いていたのだろうか。

「私は・・・。」

「ヒュウガを・・・。」

「信じていた・・・。」

(それだけ・・・?)

(それだけなのか・・・?)

自問自答が脳裏を巡る。

「それだけだよ。」

サヤは自分に言い聞かせるように、声に出していった。

しかし、そうではないであろう、もう一つの感情がサヤにじりじりと迫る。

”嫉妬”

そう、あの時、サヤは確かにある一つの考えが、脳裏の底によぎっていた。

”私が戦えなかったら、ヒュウガは守ってくれるのだろうか・・・。”

”ヒュウガに・・・。守られたい・・・。”

あんな風に・・・。

”抱きしめられたい”

止めようとしても止められない感情がサヤから溢れ出る。

(何を考えているんだ。私は・・・。)

(ヒュウガは尊敬できる先輩で・・・。憧れで・・・。)

(私は、今、やらなきゃならないことがあるんだ・・・。)

(でも・・・。)

溢れ出る感情とそれを戒めようとする二つの感情がサヤの中で戦っていた。そして、それに割って入るような感情。

”自己嫌悪”

(私、戦士なのに、そんなこと、考えるなんて・・・。)

”最低だ。”

「サヤ。」

「サヤ。」

サヤを呼ぶ声。

「もう、誰っ?」

苛立ちに任せた声とともに、思わずサヤは我に返り、立ち上がった。

「あ・・・。」

振り向くと、その声の主はヒュウガだということが分かった。

「ヒュウガ・・・。」

「お前、ここで何をしてるんだ?」

「それは・・・。」

サヤが言葉が詰まったのを見て、ヒュウガは不思議そうな顔をした。

「ねぇ、ヒュウガ、あの時さ、もしだよ。もし・・・。」

「何言ってるんだ?」

「その・・・。」

思わずサヤは下を向いた。

「作戦じゃなくても、その・・・。」

「抱きしめてくれるの・・・。私でも・・・。」

サヤの声が急に小さくなり、ヒュウガには、サヤが何を言っているのか分からなかった。

「サヤ、何を言っているのか分からないが。」

サヤはヒュウガの問いには答えず、無言で、ヒュウガの肩に腕を回した。

「サヤ?」

サヤのいつもでは考えられない突飛な行動で、思わずヒュウガは驚愕した。

そして、サヤの方も、あまりに、大胆すぎる行動をとっている自分に、ヒュウガ以上の戸惑いを感じていた。

(私、何をやっているんだ。)

(早く、離れなきゃ・・・。)

しかし、自分の意志とは逆、いや、潜在的な意志のままに、体の方はヒュウガから離れない。

ヒュウガの心臓の音が間近に聞こえた。

熱かった。

そして、微かに感じられる、ヒュウガの吐く、息・・・。

(このままじゃ、駄目なのに・・・。)

(このままじゃ・・・。)

そう思うが、だんだん、意識すらとんでいるように感じた。

「サヤ。」

「サヤ。」

意識の向こうで、誰かが呼んでいる。

その声の響きは次第に明確になっていった。

一気に現実に引き戻されたような感覚に襲われる。

「サヤ、気が付いたのか。」

頭の上から、声がする。

サヤは、ゆっくりと目を開ける。

さっきとは、全然違うが、見慣れた、風景。生活の、臭いがした。

そう、サヤは宿舎の自室にいたのだ。

見上げると、ヒュウガがいた。

そして、サヤは理解した。声の主がヒュウガであることを。

「私・・・。」

サヤは思わず飛び起きる。

「寝てるんだ。」

ヒュウガが一言言い、サヤをベッドに戻すように、額に軽く触れた。

大きな手の感触。

温かい。

サヤは、落ち着きを取り戻す為に、小さく呼吸をして言った。

「ヒュウガ、私、どうしたの?」

「熱がひどくてな。稽古場で意識を失ったんだ。」

「そっか・・・。」

「ねぇ、ヒュウガがここまで?」

サヤの問いに、ヒュウガは小さく頷いた。

「ごめん・・・。私、戦士なのに、ヒュウガに迷惑掛けたんだね。」

サヤは自分が情けなくり、下を向く。

「サヤ、戦士も倒れるし、傷つく。気にする事はない。」

ヒュウガはサヤに言い聞かせるように、言った。

それは、兄が妹に言い聞かせるような物言いにサヤは感じてしまい、思わず切なくなる。

「そう言えばサヤ。お前、あの時、何を言おうとしていたんだ?倒れる前だ。」

「あ・・・。」

サヤはヒュウガの言葉で明確に思い出した。自分の大胆すぎる、行動と、とんでもない、発言が。

(そっか。ヒュウガ、知らないんだ。)

サヤは思わず安堵する。今になって、サヤは思ったのだ。その答えを聞く事によって、自分が、自分でなくなるかもしれないと。

「ううん。何でもないよ。」

「本当にか?」

「うん。」

「そうか。じゃあ、今日は、しっかり寝るんだ。戦士にも休息は必要だ。」

「うん。そうさせてもらうね。でも、明日は、バリバリ稽古もやるから、相手してよ。」

「ああ。」

ヒュウガは笑って頷き、サヤの部屋を出た。

その後、サヤは小さく呟いた。

「ありがと。ヒュウガ。」

そして、今のサヤは熱こそあるが、僅かな切ないものが、胸に残るものの、苛立ちはなかった。

(私は、ヒュウガの側に居れる。)

サヤはそう、自分に言い聞かせた。