『受話器の向こうで通じた心』
今日は、デジタルワールドの復旧作業について話し合う為、選ばれし子どもたちは、我が家に集まった。そして、話し合いを終え、全員が引き上げた、その時だった。
「賢ちゃん。これ、お友達の忘れ物じゃないかしら。」
母が、手にしていたのは、白い、少し深めの帽子だった。
「あっ・・・。それ、高石君の。」
僕は、慌てて、マンションの下まで降りていったが、時すでに遅し。高石君を含め、選ばれし子どもの姿はもはやなかった。
仕方なく、我が家に帰った。
「ねぇ、賢ちゃん。高石君にお電話してみたら。」
母がやけに嬉しそうに言った。
「電話・・。」
「そう。ほら、賢ちゃん、この前、お友達から住所と電話番号、書いて貰ったって嬉しそうに言ってたじゃない。」
「うん・・。」
「いい機会じゃない。お電話、してみたら?」
僕が人から住所や電話番号を書いて貰うなど、初めてだったので、嬉しかったのは本当だ。しかし、僕は、今まで、人の家に自分から電話を掛けたことはなかったので、正直、迷った。そして、まだ、不安だった。僕なんかが電話まで掛けて来て高石君は迷惑だと思うのではないだろうか。彼は、つい最近まで、僕のことをあまり良くは思っていなかった。当然と言えば、当然なのだ。だからこそ、僕が掛けることで、高石君がどんな反応を示すのか、怖かった。
怖い。人から拒否されるのが、怖い僕。人から嫌われるのが怖い僕。
あんなにひどいことをした僕がムシの良いことを言っているのは分かっている。
でも・・・。
僕は、俯いた。
「賢ちゃん。」
母が僕の心を何とく察したのだろう。優しく、僕の名前を呼んだ。
「不安なのは、分かるわ。でも、ここから、一歩を踏み出さないと、何も手に入らないのよ。」
そして、にっこり、笑った。
そうだ。僕から踏み出さないと、何も変わらないし、そして、僕自身変わらないのだ。
僕は、僅かに震える手で受話器を上げ、住所を書いて貰ったメモ紙の電話番号をダイヤルする。しかし、なかなか手が進まない。色々な感情がぐるぐるとよぎる。いつのまにか、ダイヤルしていたらしく。”トゥルルル”という音が、耳に入った。
心臓が飛び出しそうだった。
”ドクン、ドクン”
”トゥルルルル”
二種類の音が、僕の頭にごっちゃになって流れてくる。
なかなか出ない。このまま出ないってことで切った方が楽だと思った瞬間だった。
「はい、高石です。」
それは、落ち着いた、少し、低い、でも、少し綺麗な声だった。
本人だった。
何から言えば良いのか分からなくて、頭が混乱をはじめ、なかなか、最初の一声が出ない。
「もしもし?どちら様ですか?」
高石君の不思議そうな声が耳に入る。
(これじゃ、いたずら電話じゃないか。何とかしないと。)
やっとの思いでしぼり出した一声。
「あの、その、高石君?」
「そう、だけど・・・。君、一乗寺君?」
「う、うん・・・。そ、その、こんな時間に電話なんて、そ、その、ご、ごめん・・・。寝、てたのかなとか思ったりして。」
額を油汗が伝う。
「何言ってんのさ。まだ7時だよ。」
電話の向こうでクスクスという声が聞こえてきた。もしかして、笑ってるのか・・。
「一乗寺君、何緊張してんの?」
高石は、僅かに笑い声を含めて言った。
「べっ、別に、緊張なんて・・・。」
「で、僕に何か用?」
「そ、その、高石君、帽子、僕んちに忘れたから、だから・・・。」
だんだん声が小さくなっていく。
「ああ、そう言えば、すっかり忘れてた。帰る時、何か頭がすうすうするなって思った。」
「そっ、そうなんだ・・・。」
「ハハ。一乗寺君。わざわざ、電話掛けてくれたんだ。」
「う、うん・・・。」
「ありがとう。」
軽やかな口調で高石君は言う。そして、僅かに、笑いを堪えるかのような声だった。
「もう、ほんと、何緊張してんのさ。」
「だって、僕、人の家に、あんまり電話なんてしたこと、ないから・・・。」
「そっか。でも嬉しいな。一乗寺君が電話掛けてくれるなんて。」
嬉しい?僕は、思わず、自分の耳を疑った。
まさかそんな反応が返ってくるとは夢にも思わなかったのだ。
「その、迷惑じゃ、なかった?僕なんかが電話掛けたりして。」
「どうして?全然そんなことないのに。」
予想外の答え。てっきり、冷たく受け流されるかと思ったのに。それどころか「嬉しい」と言われてしまった。
「一乗寺君、実は、僕に電話掛けるのが怖かったんでしょ。例えば、冷たい声で対応されるとか思った?それとも、無言で切るとか。」
高石君は図星をついていた。
「全く、僕って信用されてないんだね。」
高石君は、不機嫌というよりも、むしろ、からかうように言った。
「ご、ごめん・・・。」
「君が謝ることないじゃない。僕も君を殴ったりしたからね。それに、冷たいことも言った。君が僕を怖がるのは当然だよね。」
「それは、僕が・・・。」
「ほんと言うとね、僕は、もうずっと前から君を許してた。というか、君と仲良くなりたかった。大輔君みたいにね。でも、どうしてかな。僕、変なところで、ひねくれてるみたい。」
少し、真剣な口調になりながらも、言葉の語尾でクスリと笑い声が混じっていた。
「高石君・・・。」
「一乗寺君。改めて、言わせて。今まで、ごめんね。僕は君と仲良くなりたい。」
高石君の口調ははっきりとしたものであった。
「そんな、こちら、こそ・・・。」
目がジワジワとしてくる。
僕は、嬉し泣きをしている。友達からこんなことを言われることがこんなにも嬉しいことだとは思わなかった。
「これで、君は、僕を怖がらないよね。」
電話の向こうで、優しげな、低い声が明瞭に耳に入る。
「ごめ・・。僕、君のこと・・・。」
涙が邪魔をして、まともに喋れなかった。
「ありがとう。一乗寺君。」
「あり、が、と、う・・・。高石、君・・・。」
やっとのことで絞り出した”ありがとう”。
やっとのことで、通じ合えた心。
今度は、顔は見えなくても、僕には、分かった。
高石君は笑っている。
僕の罪が消えたわけではない。
でも、これだけは、言える。
僕は、それを背負って少しだけど、立ち上がった。また、一人の仲間の優しさに支えられながら。
それが、嬉しかった。
ありがとう。僕は心から高石くんに感謝していた。
「帽子さ、僕、また君の家に取りに行くよ。また、君に会う為にね。」
「うん。一杯遊びに来て、ね。」
「それじゃあ、おやすみ。」
「おやすみ。」
どのくらい、会話をしたのだろう。長いような、短いような会話。
母が言った。
「賢ちゃん、どうやら、成功したみたいね。」
「どうして分かるの?」って聞くと、母は言った。
「だって、賢ちゃんの顔、心から笑ってるもの。」
心から笑うこと。今までとても縁遠い言葉だったような気がする。
今の僕だから、心から笑える。
今、高石君から笑える力を貰った。それは、受話器の向こうと、少し遠かったけれど。
だから、今、心から笑えた。
大輔の時もそうだった。
罪は消せるものではないし、忘れることもできない。
でも、こんな僕でも、笑える。
それを背負いながらも、僕には、まだ、心から笑えるのだと、思った。
受話器の向こうで、通じた心。それが、心からの笑顔を引き起こした。声だけでも通じた。笑えた。
あまり好きではなかった電話。
でも、今日は、ちょっとだけ、この受話器に感謝した。