|
||||||||||||||||
|
| ||||||||||||||||
|
房総方面への列車体系は昭和47年以降特急化への道のりを進み始めていたが、急行列車も存置され、共存体制が続いたが、成田線経由で銚子へ向かうルートは急行列車の天下が続いていた。 しかし、昭和57年に至り、国鉄は房総方面の急行列車の全廃を決め、特急格上げを行う事となった。この時、成田線経由で銚子に向かう特急が設定され、「すいごう」となった。これで、房総方面の特急体系の整備が一通り終了した。 編成は房総特急としては異例のグリーン車なしの6両編成で、運転本数も2往復にとどまり、房総特急としては唯一L特急にも指定されない特急となり、どこと無く影の薄い存在となってしまった。 これは、成田線系統の特急は「あやめ」が一定本数確保されており、一方で銚子方面も「しおさい」が幅を利かせていたためであろう。 もともと、影の薄い存在であったため、利用率は振るわなかったようで、昭和60年のダイヤ改正で、運転本数こそ変わらなかったが、佐原以遠が普通列車に格下げされてしまう。 この状態でJR時代を迎えるが、高速道路の進展など、乗客は減る一方で、ついに1往復に削減され、夜東京を下り、翌日の朝に東京に登ってくるという通勤特急的な運用となった。しかし、末端区間の乗客の減少には歯止めをかけることができず、下り列車は佐原打ち切りとなってしまう。(註・・・実は佐原到着後30分ほど停車した後、別列車としてであるが、銚子行きの最終列車となっていた・・・) 平成16年までなんとか生きながらえてきた「すいごう」だが、列車の実態は「あやめ」と変わるところがほとんど無く、愛称を統一するため、平成16年10月のダイヤ改正で「あやめ」に統合された。
「すいごう」は房総特急の中でもなじみの薄い特急列車であった。データイムに走らない列車であったため、小さい頃は見る機会がまったくといってよいほど無かったためだ。 そのご、気付いたら1往復しかなくなっていたため、こいつは乗っておかないとやばそうだ・・・などと考え、平成9年の帰省時に利用することとした。 もっとも、利用する区間をどうするのかを決定しなければならなかったが、総武線を一旦下らないといけないことを考慮すると成田から乗車するしかなかった。とりあえず、成田から東京まで乗車することにした。 肝心の乗車時の印象があまり残っていないのだが、私が乗車していた1号車の乗客は8人しかいなかったことは覚えている。さすがに指定席はこんなものだろうな。。。と思い、納得していた。シートはモケットの色こそ変わっていたが、材質等は国鉄時代のものと変わりなかったと思った。 さて・・・平成16年10月、「すいごう」は廃止となったが、最終日にさよなら乗車ということで往復乗車してきた。 沿線にはファンの姿が多くあり、いつもは空気輸送に等しい指定席車がそれなりに埋まっていたことを除けば、いつもと変わらぬ運転であった。上りは所々で徐行をしなければならなかったが、下りは特急にふさわしい走りを見せてくれた。 結局車内放送でも特に最終日をアナウンスすることなく「通勤特急」としての役目を終えた「すいごう」であったが、いつもの通りというのが非常に印象深かった。
|