伝説の武具

神話や伝説などに登場する武器の類や、古の名将が使用した武器を紹介する。
聖剣・魔剣と呼ばれるものは、超常的な力が付加されていることも多い。

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と共に、日本に伝わる三種の神器の一つ。
須佐之男尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した際に、尾の中から手に入れたという。
八岐大蛇の頭上が雲に覆われていたことから、「天叢雲剣」と名づけられた。
その後、日本武尊(やまとたける)が東征に出た際、叔母である倭姫命(やまとひめのみこと)から受け取っている。
彼が駿河国で火攻めに遭ったとき、この剣で草をなぎ払い、迎え火を焚いて難を逃れた。
この一件から「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」と言う別名が付いている。
また、名称については「クサナギ」が「奇妙な蛇」と言う意味で、こちらが本来の名だったと言う説もある。

エクスカリバー
『アーサー王伝説』に登場する、アーサー王の剣。
妖精が作った剣であり、500人の敵騎士を倒した際も、刃こぼれひとつしなかったという。
また、エクスカリバーの鞘には特殊な魔力が込められており、身に着けている者の傷を癒す効果があるという。
魔法使いマーリンが「剣よりも鞘の方が大事」言っていることから、エクスカリバーは征服ではなく守護の象徴だと考えられる。
まぁいわゆる『聖剣』の類として、エクスカリバーは最も有名なものではないだろうか。

干将・莫耶(かんしょう・ばくや)
干将とは春秋時代の呉に住んでいた刀工で、莫耶はその妻の名である。
呉王・闔閭(こうりょ)が王位に就いた際、干将夫婦に自分が手にする剣の製作を命じた。
これに応じた干将は、最高の材料を集めて宝剣の鋳造にかかるが、なぜか材料が上手く溶け合わない。
しかし、莫耶が炉に己の身を投げると、たちまち金属は溶け合っていった。
こうして出来た二振りの剣は、陽剣に干将、陰剣に莫耶と名づけられた。
だが、妻の死を悲しんだ干将は莫耶だけを王に献上すると、そのまま行方知れずになってしまったと言う。
ちなみに、莫耶という名は『封神演義』で黄天化(こうてんか)の宝貝としても登場している。

ゲイボルグ
ケルト神話の英雄であるクー・フーリンの槍。
元は影の国の魔女・スカアハが作った槍で、クー・フーリンが彼女に師事した際に受け取っている。
通常の武器だと簡単に叩き壊してしまうと言う怪力を誇るクー・フーリンが扱えるくらいに、重く頑丈に出来ている。
また、敵に向かって投げると無数の鏃が飛び出して敵を撃ち倒すという。

童子切安綱(どうじぎりやすつな)
安綱とは平安時代の人物で、伯耆の国(今の鳥取県)に住んでいたと言う刀工の名前。
ここで言う『童子切』とは、源頼光が酒呑童子という鬼を斬ったときに使われたと言われている太刀である。
かなりの業物で、室町時代には天下五剣のひとつに数えられたほどである。
現在では国宝として、東京国立博物館に収蔵されている。

十握剣(とつかのつるぎ)
日本神話に登場する、柄の部分が拳10個分の長さと言う剣。恐らく刀身も、それに見合うほど長大だと思われる。
火の神である迦具土(かぐつち)は、生まれてきた際に母親である伊邪那美命(いざなみのみこと)を焼き殺してしまう。
これを嘆いた伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が迦具土の首をはねた剣が、この十握剣だという。
このとき斬られた迦具土はこの剣に宿り、この剣は炎の剣・火之迦具土(ひのかぐつち)と呼ばれるようになったとも言う。
その後息子である須佐之男尊がこの剣を受け継ぎ、八岐大蛇を退治するときに使われた。
この一件から天羽々斬(あめのはばきり)という名も付くが、八岐大蛇の尾に入っていた天叢雲剣に当って、少し欠けてしまった。
この他にも阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)が死んだ天若日子(あめのわかひこ)と間違えられ、怒って喪屋を斬った時の剣。
さらに建御雷神(たけみかづちのかみ)が葦原中原を脅し取る際に使われたのも、この十握剣だという。
ちなみに十握剣は折れたり再登場したりしており、これらの話に出てくる剣はそれぞれ別物だと言う説もある。

如意金箍棒(にょいきんこぼう)
『西遊記』の主人公である、斉天大聖・孫悟空の武器。
元々は夏の禹王が治水工事に使っていた鉄の重石で、神珍鉄(しんちんてつ)と呼ばれていた。
ある日、孫悟空が自分に合う武器を求めて竜宮に訪れた際、この神珍鉄が孫悟空を待っていたかのように光り輝いたと言う。
それからは孫悟空の武器として、両端に金の箍がはまった棍の形状で使われる。
意のままに長さ・太さを帰ることが出来、孫悟空は普段は針くらいの大きさに縮めて耳の中にしまっている。

正宗(まさむね)
最高の刀として知られている日本刀。
本来は鎌倉時代に幕府に仕えた刀鍛冶の名であり、一般的に「正宗」と言う場合は初代正宗を指す。
正宗が幕府に仕えていたことと、貴人に献上する刀には銘を入れないと言うことから、正宗の刀は無銘だと言うのが刀剣の常識である。
村正の師匠だという伝説もあるが、生まれた時代がまったく違うため、これは明らかな創作と言える。

村正(むらまさ)
『妖刀村正』として恐れられている刀。日本における妖刀伝説はだいたいが、この村正をモデルにしているという。
元々、村正とは伊勢(今の三重県)に住んでいた刀鍛冶で、初代村正は正宗の弟子であるという話もあるほどの名工である。
また、刀だけでなく槍なども作っており、かなりの多作だったという。
この刀が妖刀として忌み嫌われたのは徳川家との因縁が原因である。
家康の祖父・清康や父・広忠が臣下に斬りつけられた時の刀と、嫡男・信康が切腹したときの介錯刀が全て、村正だった。
さらに家康も、関が原の戦いの際に村正の槍で手傷を負っている。
このことから「徳川家に祟る刀」として、江戸時代には使用が禁じられてしまった。
だがこのことが転じて、幕末には勤王倒幕の志士が「倒幕の剣」として村正を求めるようになったという。
しかし、村正が高性能で多作だったことと、伊勢と徳川の本拠・三河が近いことから考えると不幸な偶然から妖刀とされてしまった感もある。

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