■ 同窓会記念誌 (抜粋) 岡部中学校1975年卒同窓会ホームページ  

  - 目 次 -
● 恩師の挨拶
    小林 寛也 先生
    田中嶋 満 先生
    笠原 栄一 先生
    島田 孝雄 先生
    柿沢 俊雄 先生
※文章はすべて2002年8月の同窓会開催に書かれたものです。
※同窓会の記念誌に掲載された他の文章も今後紹介する予定です。
- 同窓会ホームページ事務局 -


小林 寛也 ..... 近況報告
  暑い日が毎日続いておりますが、皆さんお元気でしょうか。
  過日は、同窓会の案内をいただき、ありがとうござました。
  早速、当時のアルバムを持ち出して開きました。
  懐かしい皆さんの写真を見ると、当時の様子が思い出されてなりません。
  40歳を過ぎ皆さんが、それぞれの家庭や職場で中堅または幹部として活躍している逞しい姿を想像すると感慨無量です。
  私は皆さんが卒業して2年後、川本中学校に移り、それから8年間を経て定年となり、現在に至っております。
  現在は岡部町の教育委員として、皆さんの子供たちや孫たちが、心豊で思いやりのある人間に成長されますよう、お手伝いをさせていただいております。また、趣味の草花や盆栽などいじりながら、毎日を過ごしています。
以上、私の近況報告です。
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田中嶋 満 ..... 皆さん! こんにちは
  皆さん! こんにちは。暫くでした。
  先日は、同窓会の招待状、誠にありがとうございました。
  卒業生、それぞれの方が試練に耐え、今日まで頑張ってこられたのではないかと思います。
  私も、退職10年が過ぎました。晴耕雨読の日々を送っています。皆さんに会えるとは、本当に夢のようです。
  来る、8月17日を楽しみにしています。
  では、その日まで。
  さようなら。
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笠原 栄一 ..... 思い出
  この度、中学校を卒業して25年を記念して同窓会を行うこと大変有意義であり喜ばしいことと思います。皆さんも40歳をすぎ人生の頂点に達しようとしています。
  いま中学校当時を思い返すと感無量のことと思います。あの頃の中学校は土日も夏休みもないような日々で毎日部活や受験勉強におわれていましたね。今の学校が週休二日制を思うと羨ましいかぎりですね。だから思い出というと部活で絞られたことでがすぐにおもいだされますね。
  あの熱いさなか汗びっしょりになって頑張ったこと、凍るような寒さのなかで声をだしながら頑張りぬいたことはその時は辛かったけれど、今思い返すとかえってよい思い出となっていることと思います。
  鉄は熱いうちに叩けと言われますが、若いときにした苦労はその人の人生を豊かにしたくましくするものです。
  でも中学校時代がよい思い出ばかりとは言えません。自分を理解してくれない先生や友達に悩んだ人や家族の不協力に困った人もいると思います。しかしながら過ぎ去った悪い思い出は早く忘れて、新しい気持ちで出発してこそ人生は楽しいのです。
  人、それぞれに考え方の違いや価値観の違いは有りますが、誰も幸せになる権利は有るのです。皆さんの今までの生活のなかで親や兄弟や家庭は選べませんでしたが、これからは皆さんが伴侶や子供たちに選ばれた夫であり、妻であり、親であるように努力してください。
  まだ結婚していない人はこれからの人生について、いかにすべきかよく考えて幸福な人生になるように頑張ってください。
  私も73才になりました、人生の終着駅をそろそろ考えるこの頃です。しかし希望と張り合いを持ってこれからも生きていこうと思っています。そして次の同窓会にも元気で出席したいと思っています。皆さんのますますのご活躍を期待しています。
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島田 孝雄 ..... 昭和の弘法大師たれ!
  まず同窓会が開催されますことを、卒業生の皆様と共にお喜び申し上げます。
  卒業して、もう30年もたちましたか!  全く "光陰矢の如し" の通りですね。
  皆様を送り出してから、現在までのことをお知らせいたします。
  教員生活25年のうち、実に岡部中学校には16年間という長きにわたりお世話になりました。ここで皆様をはじめ地域の方々に厚くお礼申し上げます。
  実は私の父親も旧岡部小でお世話になりましたので、その因縁もあったのでしょう。
  25年で退職したのは、交通事故による後遺症が強く残ったのがその理由であったわけですが、皆様もご存知の通り、私はもともと寺の2男坊(浄土宗西運寺)でしたので、いつかは大仏教界へ帰ろうとも思っていました。(ただし寺から出ているままで…)
  退職してから呑竜上人で有名な群馬県太田市の大光院(徳川家康先祖の寺)へ皆さんがお願い(祈り)にくる手助けを2年間しました。
  この時、教え子の黒澤正之君より頂きましたお手紙の中に"昭和の弘法大師になれ"といる大変心温まる言葉がありました。
  そうだ、教え子のいう坊さんに一歩でも近づかなくてはと一念発起し、浄土宗大本山寺増上寺(東京タワーのすぐ下の寺)へ修行僧の指導と共に自らも真の仏教に精進すべくいって参りました。
  とうとう昭和の弘法大師には、なれませんでしたが"平成の法然上人"にちょっと似ていたと、後日思われるべく日夜研さんして参りたいと思っております。
  これからもどうぞよろしくお願いいたしますと共に、この会がますます発展されますよう心からお祈り申し上げます。
平成14年7月 仏喜日
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柿沢 俊雄 ..... 紫陽花の花が雨にぬれて
  庭に咲く紫陽花の花が雨にぬれて美しさを増しています。
  皆さんは、中学校を卒業して三十年、今ではそれぞれの場で活躍しているものと想像します。私は今年で五十九歳になります。岡部に生まれ、岡部に育ち、岡部中学校榛沢分教場を二十二歳の若さで教員生活が始まりました。以後、深谷中学校、岡部中学校、教育局、熊谷・別府中学校、長瀞第二小学校、深谷・藤沢中学校、そして、岡部中学校と三十七年目を迎えました。その三十七年間のうち、岡部中学校の勤務は十八年になります。教員生活の大半はこの岡部中学校で過ごしたことになります。思えば、昭和四十年代の後半は、私としては、部活動に夢中の時代であったように思います。また、修学旅行で行った東北地方も、高速道路が一年ごとに着実に伸びていっている時であったように思います。
  現在は、第三の教育改革といわれ、学校完全週五日制が始まりました。そして、授業時数の削減、学習内容の精選、選択教科の拡大、総合的な学習の時間の創設、絶対評価の導入等大きな変化が見られます。また、生徒・保護者も大きく変わりました。簡単にいうと、価値観が多様化したということでしょうが、何か大切なことを忘れているような気がしてなりません。
  最後になりますが、皆様のますますのご健勝とご活躍を祈念いたします。
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