■ 同窓生の近況など | 岡部中学校1975年卒同窓会ホームページ |
2019年4月9日(火) 【 近況 】 下山 ■【 映画『危険な情事』もう一つのラストシーン 】 相変わらずテレビ受信無しなので150本のDVD映画鑑賞を繰り返している。久しぶりに『危険な情事』(Fatal Attraction 1987公開)を観て、思う。人間とは一体何なのだろうか。 弁護士ダン(マイケル・ダグラス)の浮気相手アレックス(グレン・クローズ)が狂気の沙汰で幸福な家庭を襲い、最後はダンの妻によって射殺される、という物語。公開当時は世の夫たちが深く悔い改め、フェミニストからは大抗議を受けたという世界的ヒット作だが、その衝撃的なエンディングは直前に撮り直されたものだ。オリジナル作品は当初、アレックスの自殺で結末へとつながる予定だった。 今はDVDの特典映像としてその未公開映像をみることができる。その映像の方が「人間存在の謎の深さ」を描写しているので残念に思う。興行を成功させ売上を優先させるには仕方ないのだろう。とくに主役グレン・クローズにとっては俳優としての大事な転換点となった役どころだけに心残りに違いない。 さて、先日、新刊本だと思い込んで書店で取り寄せた本、『心とは何か〜アンドロイド研究から解き明かす〜』が、なんとこの春から始まるNHKラジオ講座(講師:石黒浩)のテキストだった。さいわい聴講可能な時間帯だったので第1回放送分「人間に近づくロボット」(4月7日(日)午前6時45分〜7時25分)を聴いた。 このところ朝の目覚めが、自然にどんどん早まっている。まだ暗い4時過ぎには目が覚めるので布団から抜け出し、夜9時を過ぎると眠くなるのでもぐりこむ。 知人たちからは、老化だと言われている。早起きは三文の徳、至極快適なのだ。 ■【人の気持ちを考えなさい】を本当の意味で“素直”に受け止める少年 石黒少年11歳の頃、親や先生から初めて言われた言葉、「人の気持ちを考えなさい」。 当時の彼は、「人」や「気持ち」や「考える」について、「人って何?」とか、「気持ちとは?」、「考えるとはどういうことか?」などという問いなど意識せずに日々を過ごしていた。だから大人から投げかけられた「人の気持ちを考えなさい」の言葉に少年は驚いた。そして、自分の知らないそれらの答えを知っているらしい大人という存在に対して畏敬の念を抱いたという。それほどに前述の言葉は、新鮮に少年・石黒浩の中に沁み込んでいった。 ところが、その親や先生たちが果して「人とは何か」、「気持ちとは何か」、「考えるとは何か」に対する回答を持っているのかといえば実はそうではないようだ、と気づく。少年はますますこの問題が気になる。今までも、これからも、彼の研究テーマはまさにこの一点なのだ。 わたしは思い出す。 やはり石黒少年と同じくらいの年頃だっただろうか。大人たちの会話の、ふとした単語が耳に入った。 「例の話だけどね!」 “例の・・・”?? わたしは、その言葉が発せられた大人たちのやり取りを注意深く観察し、どんな場合に「例の・・・」という言葉が使われるのかを知ろうとした。カッコイイと感じたのだ。そしてこの言葉を使ってみたいと思った。しかし、自分の周りの子供たちはこの言葉を使っていなっかたし、子供が使ってはいけない単語なのかもしれないという気持ちもどこかにあった。大人の会話ですら頻繁には出てくる単語ではない。 ある日、ねらっていた機会が訪れた。勇気をもって使ってみた。使う場面としては問題なかったと思うが、わたしの口からこの単語を聞いた大人たちは一様に怪訝(けげん)な顔をした。 あぁ、やはり10歳の子供が使う単語ではなかったらしい・・・。 たった一つの言葉を、これほど意識して使ったことは初めての体験だったが、そんなわたしの覚悟を周りの大人たちは知る由(よし)もなかった。 ■【わかる、わからない】には2つある(“枠”(わく)の有る無し) 「わかる」とは何なのか?とも思っていた。「わからないことは辞書を引けばいい」と親や先生から教えられていたからそうするのだが、辞書の説明文にはさらにわからない言葉がたくさん出てくるし・・・。 そしてわかった。 あらかじめ人間が決めた前提(わかったとみなす世界)をもとに構築した世界ならば、それがどんなに複雑な中身だとしても「わかるのは能力と時間の問題」ということになるだろう。 たしかにそれも「わかる、わからない」のことではあるが、それはどこまで行っても自分の発見ではないし、人間が想定した閉じた世界での話だ。 わたしは徐々にその枠をはずした「わかる、わからない」問題に足を踏み入れていった。 ■人の死・・・、愛犬の死・・・、アイボ(犬型ロボット)の死・・・? “石黒少年”のこのラジオ講座は、40分間の講義で13週間連続です。テキストの内容は、各回の要点が非常によく整理された読み物になっています。 この研究テーマは、マツコ・デラックスのそっくりアンドロイド(ちょっと気持ち悪い)などを使った個性派学者の冗談と誤解されたり、または私たちの現実生活とは無関係なテーマと見なされてしまうのかもしれません。 石黒少年が手放せない“面白さ”というのは、「funny」(変な・滑稽な)ではなく、「interest」(興味・関心)の追究なのです。 このラジオ講座の後半、第7回以降は、かなり衝撃的な内容になっています。 冒頭に取り上げた映画の衝撃性と重なります。原題『Fatal Attraction』は、『ヤバイ親和力』とか、『あなたの知らない“蟻地獄”』と訳しても間違いではないので・・・。 テキストに書かれている石黒少年の“告白”、を以下に紹介しましょう。 ・・・僕は、人間の無機物化を進める力こそが「知性」なのだと考えています。・・・ ・・・究極的に、人間は人間を知るためにしか生きていないのだと僕は考えています。・・・ ・・・有機物は、無機物から生まれて無機物に戻ろうとしているのです。・・・ ・・・有機物は知能の発展を推し進めるための一時的な形態に過ぎないのです。・・・ ・・・人間が技術を発達させ続けて身体や脳を無機物にし、永遠の命を手に入れて身体の心配をしなくてよくなれば、純粋に心だけが残るはずです。つまり人類が誕生した意味とは、そのような純粋な心、純粋な精神なるものを生み出すためだと僕は考えています。・・・ ・・・知的生命体を生むために無機物の中から有機物が発生し、しかし有機物たる人間は技術を発達させた果てに、無機物の身体に還っていく。そうして心は有限なる肉体から解放され、純粋な精神体になるのです。・・・ ・・・現在の人間にとって「個」は重要ですが、未来において「個」が意味するものが変わっていくかもしれません。・・・ ・・・これまで人間は、心をひとつの肉体の中で醸成してきました。しかしその前提から解放されれば、生まれた瞬間から情報ネットワークに接続された心を持つ存在が現れるでしょう。人の身体は、そのような巨大な心を作るための、ゆりかごだったのかもしれません。・・・ 第7回「アンドロイドは意識を持てるのか」・・・5/19(再放送5/25) 第8回「ロボットは人の仕事を奪うのか」・・・5/26(6/1) 第10回「最後に残る人間らしさとは」・・・6/9(6/15) 第11回「ロボットは死の定義を変えるのか」・・・6/16(6/22) 第12回「宗教とロボット化社会」・・・6/23(6/29) 第13回「心とは何か」・・・6/30(7/6) |
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2018年11月30日(金) 【丸山君のこと】 下山 丸山君はサッカーが好きでした。 小学生の彼は、なんとなく斜に構えるというか、皮肉屋というか、子供らしくない子供、という印象でした。小学校生活の中での彼との接点は比較的多いほうでした。しかし中学になってからは部活で忙しくなり、話をする機会がほとんどなくなりそのまま卒業してしまった。 二十歳の時、突然の手紙をもらいました。 私は山形での独り暮らしを始めていた頃で、封書の差出人を見て驚いた。 手紙には少年の頃の思い出が書き連ねてあり、私との一場面も記されていた。その出来事は私にとっても忘れられないものです。 中学での球技大会、一年一組で同級生だった私たちは同じチームの選手としてサッカーの試合に出場していました。 丸山君が左サイドからセンタリングしたボールを、私は胸でワントラップし、そのままボレーシュートを放ち、ゴール!!! 絵に描いたようなプレーでした。二度と出来ないプレー。 完璧なセンタリングと、完璧なシュートの美しさ。 その瞬間、彼と私の中の何かが変化したと思います。 そして、一心同体というのはこれだな、と了解したような感覚。 自他合一!(大袈裟かな?) お互い、たった今の行為が自分でも信じがたいという強い驚きがあったと思う。 その後に私たちが特に親友になった、ということはありませんでしたが・・・。 ここまで書いてきて、私は妙な感覚におそわれています。 あの出来事は、私が見た“夢”の内容ではなかったか? すでに手元にはない手紙には、球技大会のことなど書かれていなかったのではないか? いや、やはり事実だと思う。これまでに数人の別の友人にもこのことは話している。 あの夢のようなプレーは、丸山君と私との「一瞬の奇跡的な出会い」だったような気がします。人と人との出会いは本当はすべて奇跡的なのだけれど普段はそんな風に思ってもみない。でも、時として強くそれを意識させられる瞬間があると思う。 13歳、その「一瞬」から7年、死を間近にした彼にとっても、あれは「奇跡的」だったに違いない。丸山俊一くんはそれを伝えたかったのだと思います。 |
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2018年11月22日(木) 【「自由よりも安全を!」 覇権国家、衰退の兆し】 下山 ある存在が衰退し、新たな存在が勃興する・・・、その兆(きざ)し。 怖(おそ)れる者はその兆しを消し去りたい衝動に駆られる。 オリバー・ストーン監督の映画『スノーデン』(USA公開2016、日本公開2017)の中で、のちにアメリカ国家を裏切ることになる主人公スノーデンに対して担当教官が語る。 「大抵のアメリカ人は、自由よりも安全を望んでいる。」 50年近く前の映画が、すでにその雰囲気を伝えている。 『イージーライダー』(USA公開1969、日本公開1970)。 主人公のピーター・フォンダと共にバイクで旅する2人、デニス・ホッパー(■)とジャック・ニコルソン(★)が語り合う場面がある。 (旅の途中、田舎のモーテルで宿泊拒否され、町のパレードに飛び入り参加すれば“無許可”を理由に留置所へ。ようやく釈放された3人が野宿の焚火を囲みながら・・・、) ★「アメリカはいい国だった・・・、どうなっちまったんだ?」 ■「臆病になったのさ。 二流のモーテルさえ泊まらせないんだ。」 「何をビビってやがるんだ?」 ★「怖(こわ)がってるのは・・・、 君が象徴してるものさ。」 ■「長髪が目障りなだけだ。」 ★「違う!」 「君に“自由”をみるのさ。」 ■「“自由”のどこが悪い?」 ★「そう、何も悪くないさ。」 「自由を説く事と、自由である事は別だ。」 「カネで動く者は自由になれない。」 「アメリカ人は自由を証明するためなら殺人も平気だ。」 「個人の自由についてはいくらでも喋るが・・・自由な奴を見るのは怖い。」 ■「怖がらせたら?」 ★「非常に危険だ!」 (・・・このあと彼らは・・・、 「美化運動」を推進する同じアメリカ人達に殺される・・・。) |
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2018年10月11日(木) 下山 これまでに影響を受けたマンガは何だろう。 やはり、『巨人の星』か。 『ゲゲゲの鬼太郎』かもしれない。 『妖怪人間ベム』の、「はやく人間になりたい!」・・・何でまた人間に? 『魔法使いサリー』第60話「ポニーの花園」には息を詰まらせて泣いた。 人魚が辛苦とひきかえに人間になる話、『魔法のマコちゃん』も好きだった。 思えば、『巨人の星』以外はどれもこれも人間以外が主人公だ。(消える魔球を投げる星飛雄馬も超人だが・・・。) 中学生になる頃にはマンガへの関心は失われてしまい、その後に話題になった『ナウシカ』や『トトロ』には興味は湧かなかった。 ところが、最近になって想定外のマンガが私の目の前に現れた。作品が作られてから年月は経っているが出会いの機会が無かった。押井守の作品、『GHOST IN THE SHELL攻殻機動隊』(1995年公開)とその続編『イノセンス』(2004年公開)である。 以前に言及した映画『マトリックス』(1999年公開、続編2006年公開)にも影響を与えたとか。(この映画にはアニメ編『アニマトリックス』がある。) これら作品には、1982年公開の映画『ブレード ランナー』(続編2017年公開)(ハリソン・フォード主演)という元祖がある。 テーマは一体何なのかといえば、「人間とは何か」。 そこには“人造人間”(ガイノイド、レプリカント、アンドロイド)が描かれている。「ペットは家族です!」の次には、「アンドロイドは家族?」が来る。 石黒浩というロボット研究者がいる。 自分自身のアンドロイドや、夏目漱石、マツコ・デラックス、桂米朝そっくりのアンドロイドを作りつつ「人間とは何か」を追究している。少年の頃からの“疑問”だそうだ。愛娘のアンドロイドを作ろうとして娘から嫌われた。 石黒浩は、今もその疑問を持ち続けている。 彼にとって、人間に似たアンドロイドを作ることが目的なのではない。その、“人間”、と呼ばれているものの正体は何なのか、が問題なのだ。このゴシック体の部分が、どうやら理解されにくい。ここに、深くて暗い河がある。「黒の舟唄」のようだ。だから、・・・エンヤコラ今夜も船を出す・・・。 『僕がアンドロイドをつくる理由』2018年 世界思想社 『人はアンドロイドになるために』2017年 筑摩書房 『人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか』2016年 講談社 “What is this?”“It’s a pen.”のことではないのだ。 掴みきれていないことに対する、ほとんど絶句としての“What?”のこと。 ところで、『漫画 君たちはどう生きるか』原作・吉野源三郎(原作は1937年 新潮社)がベストセラーとなって、小さな書店(Amazonの影響で世界中の出版社や書店が消滅しつつある!)にも平積みされている。 さて、先ほどの疑問文、「人間とは何か」と「君たちはどう生きるか」を比べてみて一言でいえば「前者は“What?”、後者は“How?”または“Why?”」 『君たちはどう生きるか』の本文中にも「人間とは何か」の追究場面はある。でも私の印象では、「まったく弱い」。事の順序としては、「どのように生きるか?なぜ生きるか?」よりも先に「生きるとは何か?」が問われるハズなのだ。 この土俵の違いを分かってもらえるだろうか?『14歳からの哲学』(2003年トランスビュー)を著した池田晶子はそれを強く指摘している。 石黒浩のように子供の頃から“What?”を味わい続けるというのは、やはり尋常ではない。昨今、一歩間違えば「ある種の病気」と診断されかねない。 オブラートに包むなら「性分」か。押井守もブルース・リーもC.G.ユングも多分そうなのだ。もちろん一握りの無名人もいるだろう。 そうでない多くの人々にとって“What?”とは、不気味、不安であり、冷たさをあるいは“死”をも予感させてしまう世界なのだ。 だから絶望と希望のすべてが“How?”の世界でのみ展開される。“How?”の世界でだけ繰り広げられる喜・怒・哀・楽。その本人にとっては、籠城でもなければ幽閉でもない。 本来は“What?”が桃太郎で、“How? Why? Who? When?Where?”などは、犬、猿、キジだった。ところが、子分たちが鬼ヶ島で態度を豹変させ鬼に寝返ってしまう。さぞかし桃太郎は驚いたことだろう。いや、腰の“キビ団子”で誘った桃太郎の蒔いた種なのか?「桃太郎、ガンバレ!」 このような事柄について、湧き上がる情熱と峻厳な知性によって語ってくれる巨人がいる。見渡せないほどに大きな人なので、無理を承知で見渡したくなってしまう、そのような人なのだ。そして彼の後(あと)をついて行きたくなる。その人は、井筒俊彦(1914-1993)。 『イスラーム哲学の原像』1980年 岩波新書 『意識と本質 精神的東洋を索めて』1983年 岩波書店 『井筒俊彦全集』2016年 慶応義塾大学出版会 |
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2018年4月18日(水) 【挑戦】 久しぶりに下山です。 嬉しさと驚きと「なぞなぞ」(笑)も添えられた投稿。 わが同窓生の7歳年下の兄弟?姉妹?のかたが、思い切って投稿してくれたことへの喜び。 7歳年下にもかかわらず、我々同窓生の名を当時の兄さんの話の記憶として憶えておられることへの驚き。 さて、その「兄さん」とは一体どなたなのか? 恥ずかしながら私などは、田中島先生が三年何組の先生であったかも失念している次第です。 2枚のクラス写真の両方ともに先生が写っているので、つまり私にとっては二重に難易度が高い「なぞなぞ」。 その逆境をものともせず、他のヒントをもとに挑戦します。 「兄さん」は・・・ずばり星空観察の好きなかた! ハズレでしたら、完全に降参です。 |
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2018年2月28日(水) 七学年下の後輩より 突然のメールにて、お許し下さいませ。 兄がそちらの学年でしたので、大変に懐かしく思い失礼を顧みずメールさせて頂きました。 私は、先輩方より七学年下の、1982年度(昭和57年度)に中学三年生で、1983年3月に岡部町立岡部中学校を、卒業したものです。 下山様のお名前は、私が幼稚園の頃から両親や兄からのお話で存じあげておりました。 具体的にお名前をあげさせて頂きますと、 金井淳一様、小林郁男様、黒澤雅之様、武井様、お名前は失念しましたが、越後屋様、等等のお名前は私も兄のお話で記憶にありました。 そして、こちらのHPにございました、同窓会のクラス写真、(田中島先生のクラス)に兄が写っており、大変に驚きました。 実は、私達の学年も、本年の2月11日に、深谷駅近くの埼玉グランドホテルで、岡部中学校昭和57年度同窓会がありました。 私も一時期、同窓会の参加を考えたのですが、高齢な親の介護を抱えており、それ以外にも、インフルエンザのリスク(今年は特に大量発生しましたが)もあり 同窓会の参加を断念致しました。 八王子市在住の兄にも、こちらのHPのことを、すでに知ってはおるかもしれませんが、連絡致します。 時節柄、御自愛下さいませ。乱筆乱文にて メール、ありがとうございます。事務局 杉本 |
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2017年7月19日(水) 下山 ≪熊谷市≫、≪五家寶≫、って知ってる? と尋ねられたら、これまでは「知ってるよ!」と応えていました。 でも、ほんとうは全然知らなかった。 先月、和菓子をテーマにした古い雑誌を眺めていた連れ合いが、≪五家寶≫の名店の記事に目をとめた。 「五家寶って、埼玉でしょ?この店、知ってる?」 ≪たねに≫という屋号の熊谷市内の老舗だったが、まったく知らない。 先週、帰省の折に訪ねてみた。 熊谷女子高校から細い一方通行路を入り少し行ったところにその店はあった。 小さな店だったが店先から職人の手元が垣間見える粋な造りの感じの良い店だ。 店にたどり着く前に、町の界隈がにぎやかな太鼓と鐘のお囃子で活気に満ちていることが気になる。 店主にそのことを言うと、「そこに貼ってある祭りなんです」と言って入口の戸に貼ってあるポスターを示した。 関東一の祇園祭り!うちわ祭り! えっっ??? これまたまったく知らなかった。 12台の山車・屋台が出て繰り広げられる埼玉県でも三指に入る祭りらしい。 残念ながら今回は参加できかねるが、来年は是非!と決めた。 地方都市の商店街はどこもかしこも意気消沈しつつあるようだが、こんな街もあるのだと、聴こえてくるお囃子の音が教えてくれた。 最後になりましたが、≪たねに≫の≪五家寶≫はおススメです。 |
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2016年11月9日(水) 下山 【「神の見えざる手」と「人体の芸術的な完成度」】 今年に入って、ものすごくビックリして、ある意味感動したこと2つ。 ◆その@:≪“マイナス金利”へ突入!≫ この言葉、“マイナス金利”、何度聞いても変な言葉に聞こえる。 常識的な表現とは思えない、と思い英和辞典をめくってみれば「negative interest」の邦訳らしい。Negativeは確かに「マイナスの」という意味としても辞書に載っているけれども、だからと言ってこれを“マイナス金利”と訳すのはどうも違和感がある。ズバリ≪ついに“金利否定”へ突入!≫と報道したほうが事実と実感が一致するのではないだろうか。 この件についてもう少々考えて見れば、この事件は本格的な“財産税”導入の始まりではないだろうか。 そういえば、10年以上も前に面白半分でシティバンクに口座を開いてみた頃、【口座維持手数料】という仕組みがすでにあった。先日、信用金庫に勤めている知人に確認したところやはりこの仕組みを小さな金融機関ですら準備中とのことだ。三菱UFJ銀行が日本国債引受特権をみずから返上するという“大事件”が起きたではないか。 近い将来に銀行業界でどんなことが起きるのかは想定できるはずだろう。そうこうしていたら、インドの通貨ルピーの高額紙幣使用停止が突然発表された! さっさと【自己防衛】したほうが良さそうだ。 ◆そのA:≪ノーベル医学生理学賞・大隅先生の基礎研究≫がすばらしい! 連れ合いの実家でたまたま「大隅先生の記者会見」が耳に入ってきた。そしてその内容にズンズン引き込まれてしまった。 「あっ! これでまた医学界や栄養学会の主流派が、あわて出すゾ。」(そんなことはない、無視するのです。) 一方で、「製薬メーカーが新たな飯のタネとしてこの発見を捻じ曲げていくだろう。」とも思った。 大隅先生とその仲間たちがおこなっている【オートファジー(自食作用)】の研究。中でも「自分のタンパク質を自分で分解し、その材料を使って必要なタンパク質を再 合成する。」という【自食・自浄作用】がものすごく興味深い。【体内のリサイクル機能】とも言える。食事として外側から摂取する材料で合成されるタンパク質の2倍ものそれをオートファジーで再合成しているそうだ。 酵母という身近な微生物の観察・基礎研究から、何が起きているのかをジッと確認する事で、物事の本質が解明されていくのだろう。 しかしながら人類は、そのオートファジーという驚異の作用が発動できなくなるくらいに“重篤なゴミだらけ状態”に突入している。物であふれかえった我家もまたおそらく手遅れに近い域に入っている。そんな状態であっても、「モノは必ずコワレル」の法則は、やっぱり大きな意味では【自食・自浄作用】なのだ。 そして、「癌でなくても人は死ぬ」 話がドンドンそれてしまいそうなのでこのあたりでお仕舞にいたします。 |
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2016年11月1日(火) 下山 【日本は自立できるのか?】 秋晴れの日常は静かに流れているように見えても、世界はほんとうは激しく運動している。 今朝のNHKトップニュースは「朴大統領問題」を大きく扱っていた。 本来は「朴大統領」のことではなく、「ヒラリー・クリントン」の事実報道をすべきなのに、 NHKに限らずこの国の報道機関はこの期におよんでもなお“自主規制”しているようだ。 「ヒラリーは何をしたのか?」 民主党大会に集まった党員の中のサンダース支持派の中から「彼女を投獄せよ!」という声が上がる理由はなにか? 共和党党大会で「彼女を逮捕・拘留せよ!」という大合唱が起こったのはなぜか? 「ヒラリーが私用メールを使って“仕事”をした」。そしてそのこと自体が問題だ。 というところまでしか日本では報道されない。 「ヒラリーは何をしたのか?」 本当は彼女がメールも使用しておこなった“仕事”の内容こそが問題なのだ。 ハッキングされたメールの中身が、彼女の国務長官時代におこなった“仕事”の証拠だったことで彼女は逮捕される。 犯罪の証拠が満天下に晒されるのだから、逮捕されなければならない。 トランプ候補は言った。 「ISの生みの親はヒラリーとオバマだ」、と。 トヨタの新車トラック3000台と戦闘員と多量の武器は、一体どこから生じたのか? トランプも、そしてたぶんフィリピンのドゥテルテ大統領も、彼女のやった“仕事”のことを知っている。 「犬にパンを放るように我々を扱うアメリカ!」と言い放ったドゥテルテ。 アメリカという国が、ほんとうのならず者国家に成り下がることがないように、犬扱いされている我々の側が犬根性からの脱却を実現しなければならないときだ。 |
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2015年8月20日(木) 下山 岡部のこと 昭和43年の学年末に春日部から引っ越してきた私は、近所の坂田君や田島さんたちに可愛がってもらいました(笑)。 越してきてすぐに小学校の校庭で駆けっこさせられました。 「どんな転校生がやってきたのか?」 子どもたちにとって、まずは“足の速さ”が第一の判定基準なのですね。岡新田の小林君と対戦させられ完敗しましたが、そもそも粕壁小学校で鈍(どん)足だった自分ですから岡部小学校のトップと競争して負けるのは当たり前なことでした。校庭の中央にあった太い木まで(いや、往復だったか?)走りましたよ。そうか、坂田君とも競争しましたっけ? 私の印象では、当時の坂田君は“野性児”(すみません)のよう。近づきがたいパワーを感じたものです。 10歳の頃、私は急に俊足になっていきました。体格が大きくなるにしたがって身体能力も発達し出し、12歳のある日(仮校舎の頃)、小林君と走ってみたら勝ってしまった。でもその後、私の走力は13歳でピークを迎え、14歳の時には同じ野球部の大沢君に負けます。盛者必衰、“カモシカのような脚”も一瞬の出来事でした。 ☆『巨人の星』の影響であれほど巨人軍を目指していた私なのに、今はプロ野球選手の名も埼玉県の高校名もほとんど知らないで過ごしています。あのころの埼玉の強豪といえば、所沢商・上尾。県北では熊商・・・このあたりで時間が止まってしまいました。 先日、用事ができて岡部へ帰りました。 道路や新しい住居の風景は一見すると「こんなに変わった!」という印象を受けるのですが、歩きながらよく見ると、45年も前の道や建物が意外にもあちこちに残っています。そんな古い風景に出くわすと息が止まりそうな感じになり、45年前のあの時へと迷い込んでしまったような錯覚におそわれます。 「変わったことなど何もないのではないのか?」 私の中には、「刻印された岡部」があります。 |
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2015年7月28日(火) 坂田 上里町在住の坂田 忠です。 久々に投稿いたします。 最後の投稿が5月ですね。下山君元気ですか? 下山君は、当時私の実家から徒歩5分程の近くにいて、良く遊んだ記憶があります。足が速く確か負けた記憶。今は実家周辺も大分変わりましたが、やはり岡部は いいところです。 現在、私は東京タワー近くの会社に勤務していますが、最近少々通勤疲れ気味です。片道2時間チョイの通勤時間です。名前は思い出せませんが、熊谷駅で新幹線に 乗り換え時に時々見る同級生がいい顔しています。確か普斎寺に住んでいたかな?。現在、夏の高校野球は甲子園に出場が全国で日々決まってますが、7/28の埼玉県大会の決勝戦が行われ花咲がついに頂点にたちました。甲子園ではがんばってほしいです。小生の下の息子も小3から高校三年生までやり、最後の夏は順調に勝進みましたが、あと一歩で負け敗れました。もともと野球にはあまり興味がなかった私ですが、子供を通して高校まで全国の酒飲み親父仲間が出来、それが財産となりうれしい限りです。 仕事がら全国を飛び回る事が多いせいか、ご当地の旨いものを食べるのが楽しみです。お盆明けは、青森と弘前です。 猛暑続きの近頃、7月もあと少しで終わりです。 皆さんお体を大切に。 メールのチェックを怠っていました。掲載が遅れて申し訳ありません。(同窓会ホームページ事務局 杉本 2015年8月16日) |
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2015年5月3日(日) 下山 ゴールデンウイークの真っただ中、今回は歴史を訪ねてみようと思います ★今年、平成27年(2015年)は、徳川家康の400回忌です。 生誕の地・愛知県岡崎市(岡崎城)、活動の拠点だった静岡県(駿府城)では記念の行事が始まっているようです。 埼玉県川越市にも重要な場所があります。 喜多院(きたいん)。 HPには次のような内容説明があります。 ・・・喜多院の物凄く偉いお坊さんである天海僧正(慈眼大師)は、慶長16年11月に徳川家康が川越を訪れたとき親しく接見し、天海の意見により寺領4万8000坪、500石を下し・・・ どうやら家康と喜多院の天海僧正はたいへんに懇意だったようです。 さて、埼玉県熊谷市出身の漫画家・清水おさむ著『劇画 史疑 徳川家康事蹟』という漫画本があります。 この漫画は、明治35年民友社(徳富蘇峰主宰)から出版された村岡素一郎著『史疑』が原本です。 徳川家康の“素性”とは? 天海僧正と家康の因縁とは? ★東海地方は焼き物の地、常滑、美濃瀬戸、萬古、瀬戸・・・。 愛知県瀬戸市が生んだ陶工の中で異彩を放つ二人がいます。 それは、【加藤唐九郎】と【岡部嶺男】という父と息子。(いずれも故人) 二代にわたってこの世に鬼才が生まれるということがあるのだなぁ、と不思議な思いがします。 今、地元での初めての展覧会「岡部嶺男展」(瀬戸市美術館)が開催されています。 個人的には岡部嶺男の作品に強い魅力を感じるのですが、いったいどんなにすごい作品がこの展覧会に並んでいるのか、見る前から興奮気味です。 お好きな方はこの連休を利用して愛知県の“岡部”をご堪能ください。(笑) ★最後に、2年後のアメリカ大統領選挙の動向について アメリカの中は二つに割れているそうだ。「民主党」vs「共和党」という形の割れ方ではなくて、 「大きな戦争派(世界の警察としてのアメリカ推進派)」vs「穏やかな時代のアメリカにもどろう派」のぶつかり合いだ。 共和党から立候補した“ランド・ポール”という人物のことは日本ではニューズになりませんが、現地ではどうなのでしょうか? ロン・ポールという政治家の息子だ。(ロン・ポールの邦訳本は書店で入手できる。) もう一度大きな戦争をおこしてアメリカが世界を主導するべきだと考えるヒラリー等との争いは、現地ではどのように展開されているのだろうか? |
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2015年2月12日(木) 下山 <伝えたい「あとがき」> 下山です。 私は、ビートルズもボブ・ディランも、ちゃんと聴いたことはないのです。 また、これから引用する本の本編もまだ読んではいません。「あとがき」を先に読む癖があるのです。 しかしながら、一刻も早くこの「あとがき」を紹介したい衝動を抑えきれませんので、少し長文になってしまうのですが、ぜひ読んでください。 昨年出版された『絶望の裁判所』瀬木比呂志著、(講談社現代新書 税別¥760)の、著者あとがきです。 ・・・引用開始・・・ あとがき − 不可能を可能にするために この書物を書いている間、私の頭にたびたび浮かんでいたビートルズソングは、彼らの代表的アルバムの一つ『リボルバー』の中でも最もさりげなくかつ奥深い一曲「エリナー・リグビー」(ジョン・レノン&ポール・マッカートニー)であり、その、 「あの寂しい人たちは、どこからやってくるの? あの寂しい人たちは、どこに属しているの?」 という一節であった。 日本の裁判官は、一言で言えば、「寂しい人々」である。本当は、何も持っていない、本当は、どこにも属していない、それにもかかわらず、そうではないという幻想を抱き、それにしがみついて生きている、その意味では哀れな根無し草である。 彼ら自身の問題としてみるならば、そのような生き方、法服をまとった官僚、役人、裁判を行っているというよりもひたすらに「事件」を「処理」し続けている役人という生き方、精神的な収容所、見えない檻の中の囚人、制度の奴隷に近い生き方も、御自由といえるかもしれない。日本は民主国家であり、他人を傷つけない限り、どのような生き方も基本的に自由であり、許されるはずだからである。 しかし、彼らは、現実には、厳然として「裁判官」であり、裁判を行うことによって、国民、市民の、つまり、あなたの運命を左右する存在なのである。 だからこそ、日本国憲法第七十六条には、裁判官の独立が、「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」ことが、定められている。 しかし、この条文は、日本国憲法のほかの数多くの輝かしい条文と同じように、実際には、踏みにじられ、愚弄されている。 既に本書をお読みになった読者の方々は、以上の私の文章が含む意味、趣旨を十分におわかりになるのではないかと考える。 私がこの書物を書いた理由については、もう一人の偉大なロック音楽家であるボブ・ディランの言葉から三つを引用しておきたい(『ボブ・ディラン全年代インタウ゛ュー集』インフォレスト)。 「つまり我々の誰からも声が上がらなかったら、何も起こらず、〔人々の〕期待を裏切る結果になってしまう。特に問題なのは、権力を持った者の沈黙による『裏切り』。彼らは、何が実際起きているかを見ることさえ拒否している」 「俺にとっては右派も左派もない。あるのは真実か真実でないかということだけ」 「俺は常に個人的見解を持った一個人として生きてきた。もし、自分が存在しているという意味があるとすれば、みんなに不可能が可能になるって教えてやることだ」 最初の言葉には、まだ少年期を抜け出したばかりの若者の言葉とは思えない深い洞察が含まれている。ディランの言葉は議論の余地なく正しい。私は、これからの研究生活を含めるならば、裁判官の経歴と学者としての経歴をほぼ同等にもつだろう者として、日本の国民、市民に、つまり、この書物の読者であるあなたに、私が日本の裁判所と裁判官について知りかつ考えるところの「真実」を告げ知らせる義務があると考えた。 私の書物について書かれた最も的確な批評の一つは、民法学者である水野紀子教授(東北大学)による「その土地を熟知してはいるがその土地の者ではない異邦人が案内してくれる旅」というものであるが、それは、この書物にも、いくぶんは当てはまるのではないかと考える。私は、常に、学者の目をもった異邦人として、日本の裁判、裁判官をみてきたからである。おそらく、そのような異邦人にしかみえてこない真実というものがあるはずであり、私は、それを、あなたに伝えたいと考えた。 もっとも、私自身、いつも、自分に見えているものよりもみえていないもののほうがはるかに多いと考えながら手探りで生きてきた迷い人であることも否定できない。 ビートルズのいわゆる『ホワイト・アルバム』から、今度はジョージ・ハリスンの「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」を引くなら、 「どのようにかは知らない。でも、誰かが君をあやつる。 彼らは君を買い、そして、君を売った」 という一節は、まさに私に向けられたもののように感じられる。私の軌道は、四六年前にこの曲を初めて聴き、エリック・クラプトンによる、青白く燃える炎のようなギターのフレーズに戦慄したその瞬間から無意識のうちに始まり、今もなお、この一節が含む問いかけに答えるために続いているといってもいいのかもしれない。 そして、この曲には、本書の読者であるあなたに向けられたと感じられる一節もまた含まれている。 「床を見てごらん、汚れている。掃かなきゃならない」 日本の司法というあなたの前のステージはピラミッド型ヒエラルキーのキャリアシステムと、その奴隷であり、それに毒された裁判官たちとによって、すっかり汚されてしまっている。 この書物の読者であるあなたには、そのことに気付いてほしいと思うのだ。そこから、あなたの第一歩、司法に対するあなたの問いかけが始まることだろう。 そして、あなたが歩み始めるときには、ディランの最後の言葉を思い起こしてほしい。 「もし、自分が存在している意味があるとすれば、みんなに不可能が可能になるって教えてやることだ」 私は、およそ書物の名に値するすべての書物がその内に含んでいる言明は、ディランのこの言葉ではないかと考える。 日本で法曹一元化制度を実現することなど不可能だ、日本の無知な民衆には「お上」が面倒を見てあげるキャリアシステムこそお似合いなのだ、と訳知り顔で語る人が、多分、あなたの前に何人も現れることだろう。そのときには、ディランのこの言葉を、そっと口ずさんでほしい。 なぜなら、あなたも、私も、およそ人間というものは、不可能を可能にするためにこそ生まれてきたのではないかと、私は、考えているからである。 この書物は、私の研究の総論であり、私の研究の方法論、そこにおける人間認識、人々や実務家の法意識について語り、裁判所・裁判官制度を含めた司法制度批判をも行った書物である『民事訴訟の本質と諸相−市民のための裁判をめざして』(日本評論社2013年)に講談社現代新書出版部の編集者高月順一さんが注目して下さったことから始まった。適切なアドヴァイスを与えつつ私を励まして下さった高月さん、そして、講談社現代新書出版部長である田中浩史さんと出版部の方々に感謝したい。また、多忙な中原稿に目を通し貴重な御意見を寄せて下さった先輩の中込秀樹さん(元名古屋高裁長官。現弁護士)にお礼を申し上げたい。 なお、前期の書物は、学者として書いたものではあるが、他分野の専門家、知識人や司法に興味を抱いている市民にもお読みいただけるよう、本書ほどではないとしても、わかりやすく書くことに努めたものなので、先のようなテーマに興味を持つ方々には、御一読いただければ幸いである。 本書は、もちろん一般読者向けに書かれたものであり、難解な法律用語等は一切用いていないし、若干でも専門的な事柄については必ず説明を加えているが、そのことによって記述の水準をいささかも落としてはいない。十分に大部の専門書が書ける内容をぎりぎりまでコンパクトに凝縮したものであり、また、私は、このテーマについては、当面は専門書を書くつもりはない。そのような趣旨の書物としてお読みいただければ幸いである。 最後に付け加えれば、本書は、ある意味で、司法という狭い世界を超えた日本社会全体の問題の批判的分析をも意図した書物であり、そのために、社会学を始めとする社会科学一般の方法をも適宜援用している。私たちの社会の組織、集団等のあり方、バブル経済崩壊以降のその行き詰まり、停滞には、本書で私が種々の側面から分析したような問題に起因する部分が大きいのではないだろうか?日本の裁判官組織は、法律専門家エリートの閉ざされた官僚集団であるために、そのような問題が集約、凝縮されて現れ、社会病理学、精神病理学的な様相を呈しているのではないだろうか? それが、私の仮説である。その意味で、本書で私が提起した問題には、一定の普遍性があるのではないかと考えている。 二〇十四年一月一日 瀬木比呂志 ・・・引用終わり・・・ |
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2014年12月27日(土) 下山 <アメリカもロシアも日本も・・・> 下山です。 岡中卒業から40年近くになりますね。 そして、1971年8月15日の記念日からは44年になろうとしている。 「ニクソン・ショック」 当時は何のことかわからなかった。 あの日までは米国の銀行へ35ドルを持っていけば、いつでもゴールド1オンス(約31g)と交換できたそうです。 米国の金保有量の激減(流出)でその約束ができなくなった記念の日です。 その後、各国の通貨はゴールドの裏付けから解放され?米ドル傘下の為替変動相場制となりました。 ゴールドが殺され、ただの鉱物という扱いになったのです。 一時1オンス$2,000に近づいたゴールドでしたが、最近は$1,200割れのレベルです。 シカゴの店頭では金貨、銀貨、プラチナ貨は自由に買えていますか? 今、先進諸国では、通貨発行権を有する中央銀行が国債や有価証券を制限も無く買い 受けるという異常な(本当は違法な)事態となっている。 安倍首相も「この道しかない!」と叫んでいる。 しかし、“この道”の先には、「いつか来た場所」が見えてくる。 地元の中日新聞もNHKも、米国ではヒラリークリントンの人気が高いという報道になってきました。 オバマの次か、その次は初の女性大統領という筋書きがあるとかないとか・・・。 いずれにしても、「ドッカ〜ン!!!」、という方法を熱望する勢力の策略に利用されて、 アジアや中東での“おおごと”へと誘導されてはいけないと思います。 そういう意識を持って、シリアやウクライナ、リビアやエジプト、 そして日本、中国、韓国、北朝鮮、台湾での出来事を見つめて、考えたい。 同志と共に。 |
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2014年8月20日(水) 下山 和宏 <感謝> 3回目の会で、ようやく相手の目を見つめながら話ができたような気がします。当時はほとんど話すことも無かった彼や彼女と語らいの時間を持てるなんて、思えば奇跡的なことです。なかでも卒業後38年の歳月を超えて初参加してくれた方々と、言葉を交わせたことが本当に嬉しく、感謝いたします。 3次会の会費を立替えてもらった次回幹事長・聡君に、感謝いたします。 |
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2014年8月18日(月) 小林 郁男 <とてもいい時間> 昨日の同窓会は、とてもいい時間を過ごすことができました。幹事の皆さんお世話になりました。 みんなからパワーを貰ったので明日から気持ち新たに頑張りたいと思います。 3年4組 小林郁男 |
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2014年8月16日(土) 塚越 智恵 <とても楽しい同窓会でした> 今日は有り難うございました。とても楽しい同窓会でした。 幹事さん方は大変だったでしょう。私は皆さんと素晴らしい時間を過ごす事が出来、本当に感謝しています。 有り難うございました |
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2014年6月6日(金) 新井 <同窓会でお会いできるのを楽しみにしています> 先日、同窓会の事前打合せに飛び入りで参加した新井浩です。懐かしい皆さんとお会いすることが出来て、たいへん楽しい時間でした。 話の勢いで、つい近況画像をお送りすることを承諾してしまい、しまった!と反省しきりです。制作風景2枚、制作途中の作品画像1枚、完成作品画像4枚をお送りしますので、適宜お選びいただいてお使いください。 また同窓会でお会いできるのを楽しみにしています。 ![]() ![]() (新井さんの作品) |
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2014年4月14日(月) 杉本 <検索してください> 放置されていた同窓会のホームページを更新しています。 ホームページのアドレスがわかりづらく  (アドレスの入力が面倒!)  何とかしたいな、と思っていました。 ふと思いついて「岡部中学校 同窓会」で検索すると、ヤフー グーグル で上位に出てきました。 同窓生でホームページが見られない方に教えてあげてください。岡部中学校 同窓会 で検索してみて と トップページではありませんが、そこからたどれば問題ありません。 |
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2014年3月2日(水) 武政 <同窓会やっとやりますよ〜> 5組だったと思いますが武政進です。 今年、6年ぶりに同窓会をやるようですよ。 幹事長の高橋伸吉がやっと重い腰をあげました。これについては神岡カツが大分、ケツをひっぱたいたようですが、本日、2014.03.02PM6:00に準備会が招集されました。 詳細がわかり次第、またおつなぎします。 みんなができるだけ集まって楽しい同窓会になればいいな〜 |
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2009年1月14日(水) 下山 <思い出のシカゴ> 下山です。今朝の名古屋は冷え込み、午前中、雪が降りました。松島菜穂子さん、時の街シカゴの様子をありがとう。 あれは17年前の11月、わたしは使えない英語を克服できないまま、同じ境遇の先輩社員と二人だけのアメリカ・カナダ出張を体験しました。その日、すでに日も暮れた時刻にシカゴ空港に降り立ち、ホテルに素泊まり交渉できなければ凍死を覚悟しなければなりません。空港内にずらっと並んだ電話機がホテル直通電話だと気付いたまではまだ序の口でした。素泊まりの交渉をするには受話器の向こうの相手にどんな英語で話せばいいの??? 送迎の車が我々をピックアップしてくれるらしいけれど、そもそも我々は今どこに居て、どこで待てばいいの??? ようやくそれらしき送迎場所で待つも、11月のシカゴ空港の夜は足の先からだんだん凍ってくる極寒の地。運命共同体のはずの同僚(先輩)は、寒さと空腹と底知れぬ不安で怒りだした。(二度とこの男とは一緒に出張はしないぞ!) 奇跡的にホテルにたどり着いて、おそい夕食のテーブルに座り、初老のウェィターに「ソルティ・ドッグ」を注文したのだけれど、つうじない。あきらめてビールで乾杯していたら、かなり遅れて「ソルティ・ドッグ」が運ばれてきた! あのウェイターが調べまくって注文を実現してくれたのでした。この瞬間の驚きと感激は人生の名場面として刻まれました。 さて、もうすぐオバマ新大統領の就任式です。サブプライム+αの後始末はこれからが本番。世界中で財政出動があたりまえのようにおこなわれている現状を見ていると、ベルリンの壁の崩壊でソ連が消えたように、資本主義体制が崩壊し、さらに国民国家体制そのものも崩壊してゆくように見えます。(まさか?) |
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2008年10月20日(月) 小林京子 初メールです(^-^)/ こんにちは小林京子です。 同窓会、楽しかった〜♪みんなの笑顔に会えて嬉しかったです。幹事のみなさんお疲れ様でした。横浜にも無事CDが届きましたよ。ありがとうございます。娘に教えてもらいながら見る事ができました(^_^;) カメラマンの杉本くん遠目に撮ってくれてありがとー(笑) 先日、大宮ソニックにNACK5(埼玉のFM局)の20周年ライブに行ってきました。岡部を離れて30年ですから、そんなラジオ局が出来たのも知りませんでしたが、最近、大宮アルディージャのホームがNACK5スタジアムになってましたね。湘南新宿ラインで大宮駅に着いて降りようとした時に『京子ちゃん!』って声をかけられました。まさか私?って思って声のする方を見ると8月に同窓会で会った柿沢洋子ちゃんだったのです。すごい偶然にビックリです。中学の時、洋子ちゃんと熊谷会館に『アリス』のコンサートに行ったのが初めてで… 高校の時も『かぐや姫』の再結成ライブに横浜スタジアムまで一緒に行った事を思い出しました。でも同窓会で会ったばかりだったから気づいてもらえたんだと思います。またー緒に行きたいですね〜。 同窓会後、何人かの人達とメール交換したり、会ってお茶したりしてます。日本橋三越での新井浩くんの彫刻展にも行ってきました。とてもステキな世界でした。 石塚隆くんの絵も深谷駅市民ギャラリーで見ました。石塚くん、わざわざ来て説明してくれてありがとう。道の駅で売ってる『しいたけ』網で焼いて醤油をたらして食べましたよ(何かのCMでやってました)スゴく良い香りです。 主田としおちゃんは本庄にラーメン店をオープンするとか…がんばれー!! 地元では、みんな知ってるかもですが、なかなか横浜まで情報が伝わって来ません。小さな事でもHPに書き込みして教えて下さると嬉しいです。 |
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2008年9月19日(金) 下山 「第2回同窓会写真集」の感想 下山です。 「第2回同窓会写真集」が届きました。発送作業をしていただいた皆さん、ありがとうございました。いろいろな「うなり声?」を出しながら眺めています。瞬間を写し取られてしまう「写真」というのは、恐いと言えば恐いのですが、あらためて32年という月日が感慨を呼び起こしますね。 中学時代の思い出のことで、木村君は水越さんの書き初めの美しさと才能にショックを受けた、と書いていました。今回の同窓会で私は、(木暮)富士江さんと握手して思い出しました。彼女の書き初めの、その所作と文字の出来ばえに圧倒された事を。たしか皆よりもやや太目の筆に、驚くほどたっぷりの墨をふくませ、小さな身体からは想像もつかない力強い文字を生み出していました。その一連の動き、集中力の強さに、私は心を動かされたことがありました。思えばこれは、私の中学時代の思い出の中でもすごく印象深い場面でした。 写真を見ていると、当時のささやかな場面を思い出すことがありますので、また投稿する事にします。皆さんの投稿も楽しみにしています。 |
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2008年9月1日(木) 下山 同窓会をふり返って 下山です。今朝、2週間前にお会いした友人と夢で再会しました。金井くん、村山くん、加藤通くん、そして6月8日の夢で久々に会った大谷聡くんの4名と。大谷くんとお会いしたかった今回の同窓会でしたが、直前に急逝されたと知り、私の中の半分が驚き、半分はまるで知っていたかのような感覚でした。「会いたくなったのなら、すぐにでも会いに行けばよいではないか」心の声がしました。ご冥福をお祈りいたします。 47〜48歳という年齢で今という時代を生きている我われ。無職のひと、金融業関係のひと、教育行政関係のひと、農業関係のひと、病のひと、製造業関係のひと、食品業関係のひと、医療関係のひと・・・、たぶん、ほとんどの領域で、「拡大・膨張」→「縮小・収縮」という大転換の嵐に遭遇中でしょう。会場で数人の友人と交わした会話の端々にその苦悩が表れていました。 グローバル化を理由に、慣習が否定され、新しいルールが強制されます。規制緩和といいながら、テロ撲滅を理由に強烈な管理・規制へ進みます。希望の光は、どこに見い出せるだろうか。 一昨日、愛知県岡崎市を襲った「集中豪雨(140mm超/h)」もそうでしたが、「不景気下のインフレ」も「年金制度破綻」も「健康保険制度破綻」も、みな【想定外】(らしい)。ですから、「想定内」だけをよりどころにしていたら希望は生れるはずがない。勇気を出して【想定外】を見通す目を育成できるか否か・・・。あるいは、「固定観念・先入観という堅牢な城」から開放されうるか否か・・・。同窓会をふり返って考えた事です。 良い会を企画してくれた青木くんと山本くんとスタッフの皆さん、ほんとうにありがとうございました。 |
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2008年8月19日(火) 山下(水越)理恵子 こんにちは。3年5組 山下(水越)理恵子です。 第2回 同窓会に出席させて頂き有り難う御座いました。 32年という月日が、過去に向かってワープしたかのように、みな中学時代の顔に戻っていましたね。ほとんどの方に、32年間お会いしていなかった私は、最初どなたか分からず、失礼ながらまず「誰?」から会話が始まりました。でも、話してゆくうちに、すっかり昔に戻って・・・いやぁ懐かしかったです。生徒会長だったということで、お話しの機会を頂いたにもかかわらず、高いところからお話しするのに気が引けて、目立たぬところでわからん内にその場の感想しか述べることが出来ずに終わりました。お元気でご出席下さった恩師の先生方へのお礼も、あまりに早く逝ってしまった13名の友人のご冥福も申し上げず、相変わらずの水越で済みませんでした。 先生方というのは、いつまでも受け持った生徒のことを気に掛けてくださっているのですね。80歳を前にされた笠原先生のお言葉に、そのお気持ちを感じ有り難いことだなぁ・・と感じました。また島田先生が以前にも増して、大変お元気で、楽しそうに縁結びをしていらっしゃるのがとても嬉しかったです。縁結びをすると元気になるものなのかしら? きっとよいご縁が沢山できそうです。田中島先生も昔のまま、浪々と山の歌?を歌われて、美声はご健在でした。 また頂いた同窓会の名簿を拝見して、実は私が伝え聞いた方々より多くの友人が既にこの世に無いことも驚きました。時もお盆明け、きっとまだ残っていて、同窓会に参加されていたかもしれません。私たちより少し先に向こうの世界に逝っただけかもしれませんが、向こうで安心していてくれるといいな。でも、あまりに早かったからきっと思い残すこともあったことでしょうね。ときどき、思い出して話をするのは供養になるそうですよ。ありがとう!というこちらの思いが向こうでは安心へと導くようです。ご冥福をお祈りいたします。 そして、幹事の皆様方、本当にご苦労さまでした。いい会でした!! 住所の件など、色々お手数をお掛けしましたm(__)m これからは、幹事さんにご迷惑掛けないように、住所変更後は必ずご連絡しますね。次回は高橋伸吉くんが幹事だそうです。有り難いことです。祭りのなかった岡部に祭りを創ってくれたそうですね。実は祭りは人間の活性化にとても大切みたいです。腰を大事にしながら頑張って欲しいです。深谷市に合併して、岡部の名前が住所から消えました。時代の流れで仕方ないとはいえ、ちょっと残念です。でも、私は 岡部町立岡部中学校の卒業生であることにこだわりたい気持ちです(^^) 岡部町万歳!! ではでは、本当に素敵な時間をありがとうございました。また、お会いできる日を楽しみに・・・。 |
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2008年7月5日(土) 下山 下山です。 「続 近況」を書きます。 13年前、テレビとビデオデッキを義妹一家にあげてしまいました。軽い気持の新築祝いでした。それ以来、我家にはラジオ(目覚し付き)が1台です。(7年前、必要に迫られて買ったパソコンは今も旧式でテレビ受信できません。) その後、新聞の購読もやめました。すぐにたまる古新聞の処分がめんどくさくなったのです。さらに付け加えれば、愛知県人にもかかわらず、自動車を所有したことがない。他人にこのことを話すと、「そんなこと、できない!有り得ない!」「余った時間、家で何をしているのか?」という反応が返ってきます。おおげさな決断をしてこうなった訳でもないし、時間が余っているという感覚もないので、どう伝えたらよいものか・・・。 先日、同僚に借りたDVD映画『マトリックス』3部作を、連れ合いの実家の装置を借りて観ました。こりゃあ、すごい映画だ!、と思いまして、同僚に入手方法を尋ねると、ブック・オフやその他レンタルショップで中古が安いと言う。さっそく3部作\1,500で購入し、じっくり鑑賞、研究中です。初めて知ったのですが、DVD装置にはいろいろな機能が付いていて、すごくおもしろい。字幕・音声の選択機能があったり、チャプター選択で観たい場面へ飛んだり・・・。 ところで、『マトリックス』という映画、約10年前に第1部が公開された当時、その驚異的特撮映像で大きな話題になったようです。だれかれなく尋ねてみると、観た、という人が少なくありません。私は今、この映画を、英語字幕・日本語音声で、早送り、巻戻ししながら、全セリフとその主題(テーマ)を追っているところです。そのセリフの一部を紹介しよう。 「I remenber that I am here not because of the path that lies before me... but because of the path that lies behind me.」 (私の先にある道が私をここに導いたのではなく、私の歩んだ道が私を導いたのだ。) わたしは、この部分をメモしながら気が付いた。これは、中学生の時に出会ったあの詩のことだ! 「僕の前に道はない 僕のうしろに道はできる」こんな書き出しの詩。『道程』という題は憶えている。誰の詩だったろうか?大辞林を引くと、高村光太郎。わたしの記憶の中の『道程』が、『マトリックス』によって新たな息吹を与えられた思いです。 予期せぬ副産物がありました。中学生以来、まったくものにできない英語という言語。生れて初めて、おもしろい、と感じています。 |
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2008年6月8日(日) 下山 近況 3年5組8番、下山和宏です。文字通り、近況を書きますね。 今朝の夢、の話です。 <中学生時代の、試験結果の発表をしているようです。どんな順序で発表しているのか?判然としません。予想通り、水越さんは好結果を出したようです。(800点満点で700点台後半だったようです) 他の数人の上位者の発表のあと、いよいよトップ成績者の公表です! 「800点、大谷聡君!」会場がどよめきに包まれます。わたしは大谷君を目でさがします。彼は、小さな身体で目線を下にして、ボソボソと何かつぶやいています。さて、自分の成績はどうだったんだろう? しらべてみると、ジャスト400点。(ありゃりゃ・・・もうちょっといけてたと思っていたんだけどなぁ) ことし、6年ぶりの同窓会が開かれるとの知らせがあって、前回(平成14年8月17日発行)の『同窓会記念誌』をじっくり読んだのでした。榎本(篠崎)由美子さんの「ご無沙汰しています」には腹をかかえて笑いそうになった。じつにうまく書けていて、泣きそうになった。6年が経過し、あのカモシカのような・・・は蘇えっただろうか。そして、名簿の中の大谷聡君(前回は欠席)の名前を見つけ、会ってみたいと思っていたのです。本当に久しぶりに夢でお会いしました。(この夏、実現したらうれしいです) 「夢」というのは不思議なものです。目を閉じ、睡眠という「無自覚」な時間帯に、あのような鮮明な映像や音声や、場合によっては味や香りさへ体験できるのですから。ときどき自分で羽ばたき、鳥のように空中を舞う夢を見ます。夢の中で文字を読んでいる事もあります。一時期、「夢日記」をつけていた事がありましたが、まったくおもしろい世界です。(ところが、夢を見ない、という人もいるということをずっとあとになって知りました) さて、前述の記念誌に「メタモルフォーゼ(変容)する頃」と題する近況報告を書いたつもりでしたが、田代(梅沢)信恵さんが「下山の文はわけわからんぞ!」と感想を述べたと洩れうかがい、こりゃあいかん、ちゃんと近況を書かなければ、と6年間思ってきたのでした。とはいえ、同じ記念誌に木村敏彦くんも書いていますが、「何を書いても個人的なことになってしまうので、みんなに読んでもらっても、つまらない文章になってしまいそう・・・」で気後れするわけです。そろそろ電池切れの様子です。また日を改めて「近況」のようなものを書こうと思います。8月16日を楽しみにしながら・・・。 (2008/06/08) |
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2003年1月28日(火) 坂田 エジプト旅行のことなど ---毎日仕事の終わりにHPを見て帰宅する日課となっておりますが、また少し書いてみました。--- 結婚する前に、最後の大きな旅行で始めて一人で海外にいってきました。それまでは、会社の報奨旅行等で人並みに行ったぐらいで、通とは言えませんが新婚旅行を含め3回ほどです。その中で1回だけ海外に1人で行ったのがありました。 ちょうど会社の勤続表彰と有休を利用しての「9日間のエジプト旅行」でした。湾岸戦争が勃発する前の90年2月です。 成田を出発し、バンコク・マニラと経由して約20時間かかりカイロに到着しました。エジプトに決定するにあたって、候補地としてアラスカやインドなどもあがりましたが、治安がよく物価の安いエジプトに決めました。このHPをご欄の方で行った方はわかると思いますが、私としは衝撃的な国でした。 カイロに降りたってまずビックリしたのは、ターバンを巻いた大きい人間でした。ろくすッポ英語も出来ず度胸だけで行ったけれど、さすがに、ビックリです。エジプトでは、感激した事が沢山ありすぎて言葉にいいつくせませんが、やはり一番印象に残ったのは、ひとなつっこさがある「エジプシャン」でした。数ある観光地を電車・飛行機・バスで移動しながら見ましたが、スークと言う日本で言えば門前市と言った所です。交渉すれば言った値段の半値以下、私の性格にはとっても合う所で最高に面白いです。時には一瞬恐喝された時 もありましたが、少し足が速いので即効で逃げ全然問題なし。また、お祭りの中に入り、近くに居た人と腕相撲になり、バッタバッタの勝ち進み突然最後に大物が現れ強い! 私は敗れました。 そんなこんなで、あっというまに旅も終わり成田に着きましたが何とも日本の物価の高さに悲鳴をあげるしだいでした。当時のエジプトでは、一泊3食付きで2,000円もあればOK、ホテルも含め全て値段は交渉しだいです。だから面白い。列車も6時間遅れても何のアナウンスも無し、これも面白い。こんな事から、この様な国(インド等) にのめり込む人が居ると聞いた事がありますが、良くわかる気がします。 またダラダラした文章になってしまいました。読んで下さった方大変ありがとうございました。 |
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2002年10月23日(水) 坂田 近況報告です。 先日会社の報奨旅行で10年ぶりに秋の北海道へ2泊3日で行ってきました。北海道は過去に9回ほど行った事があり、結婚してからは始めてで期待いっぱいで行きました。会社の旅行とあって自由はあまりききませんが、2日目はフリータイムなので予約しておいたレンタカーで札幌を起点に約320K走りました。 札幌8:00→小樽→余市→積丹半島:積丹岬→カムイ岬→岩内→倶知安→喜茂別→大滝→支笏湖→札幌17:00 と言う具合に走りました。積丹半島は今回で3回目です。夏・冬・秋とそれぞれ季節は違いますが、大変良かったです。途中雨が降り出し田舎の衣料品店で簡易雨具を買い、岬に行きました。これもおつなもので、私1人しかいませんでしたが久々に「北キツネ」にカムイ岬で逢いホットした気分でした。 北海道の事で少しお話ししますと、(ご存知方もいらっしゃると思いますが)小学校高学年から初めた自転車小僧は22〜24才くらいまで続き、沖縄を除き分割ながら日本中をくまなく走りました。特に印象に残ったのは北海道で、高校2年の夏の16才の時1人で一周してきました。約一月で2800Kは走ったと思います。一言では言えない思い出が沢山あり、すばらしかったです。 また、上野から夜行電車を乗り継ぎ1人冬の北海道に行ったときは、数々ある中で網走の「流氷」は今も忘れないダイナミックな自然とめぐり逢えたと思います。これは、高校最後の2月でした。 そんなわけで、冬・夏等合わせ今回で10回目くらいになると思いますが、何回行っても行きたい所です。ただ所帯を持った現実・現在は「ムリ」です。・・・・・・ ナハハ だらだらした文ですが、この辺で失礼致します。 仕事も終わり、帰宅前に会社のPCで書いてみました。 |
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2002年10月10日(木) 坂田 ご無沙汰しておりました。 今回の同窓会を振り返って・・・ 招待状が自宅に届き、思わず懐かしさが先に脳裏に思いがつのりました。時が経つのが早い事をしみじみと感じました。 早速出席の返事をポストに投函し、当日ホテルに行きましたが、姿・形の変わった方もいれば、全く変わってない方もいるし、とても楽しかったです。宴席の会話の中でも波乱万丈の人生も多多あった方もいましたが、なんとも言葉に表現しきれませんでした。 また先日写真が自宅に届き、HPを見て早速メールをしてみました。幹事の皆さんのご苦労を画像で見ました。改めてありがとうございました。 小生の事を少しお話ししますと・・・ 現在、神保原に地所を2年前に構えて子供が2人(小2と4才)おります。仕事は群馬県にずーと勤務して 今は、前橋市に勤務しております。仕事は群馬県ディーラーのOA機器販売会社に転職もせず勤務しております。世間では IT革命 等々で言われていますが、日々一刻と変わっていく業種です。 実家は当然岡部町の岡上にありますが、月に1回程度行きます。まだまだ神保原と同様に田舎でして、田舎は私の体にあっている様でなんとなく落ちつきます。 今度の10月13日(日)のコスモス祭りも行く予定です。また、誰かに会うかもしれませんが・・・ では、まとまりませんでしたが、この辺で失礼致します。また、有志の集い等がありましたら声をかけて下さい。岡部まで10分程度です。喜んで出席させて頂きます。 追伸:会社のPCで昼休み書いてみました。 |
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2002年9月24日(火) 下山 新聞のコラムに「秋の七草」のことが書いてあったその翌日のこと、職場のおばちゃん曰く、「春の七草は語呂がいいせいか覚え易いんだけど、秋の七草はどうしても覚えられない!」 その夜、ざっと目を通しただけだったあのコラムを引っ張り出して読み直した。 山上憶良がこう詠んでいるそうだ。 「萩の花 尾花(おばな) 葛花(くずばな) なでしこの花 女郎花(おみなえし) また藤袴(ふじばかま) 朝貌(あさがお)の花」 はっきりとわかるのは萩の花、それとつい最近観た葛花・・・だけか。 女郎花ってどんなんだった? 尾花といえばヤクルトの・・・ってなことになってしまう。 「尾花」とは、ススキのことだそうだ。さらに「朝貌」は、キキョウのこと。 ふ〜んと、うなってしまった。 そしていつしか「秋の七草」をそらんじていたのでした。 「瀕死の "土" が復活してくれれば、その "土" が元気な米や野菜を育んでくれるんだ。」 という思いで農作業に汗する人々がいます。その農産物や加工食品を販売する店を手伝っています。夏の長雨の影響で、北海道・富良野産のニンジンは元気不足です。今日は総合学習中の女子中学生二人が、自然農法と微生物のことが知りたいと言って訪ねてきました。先月は、なかなか学校に登校できない中学生が別々に二人、この店で職場体験したいということで共に働きました。 急に日が短くなり、シャッターを下ろす時には深く澄んだ暗い青空に一等星が驚くほど強い光を放っています。あすの夜は、知人のおばさん二人と月見酒です。 |
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2002年9月16日(月) 杉本 E-mail 同窓会、楽しかったです。幹事のみなさんが一生懸命やってくれたおかげです。 私は幹事の一員でしたが、ほとんど何もしていません。 罪ほろぼしに同窓会のホームページを作ってみました(時間だけはあるので)。次の同窓会までの間、同窓生の交流の場にできたら・・・ と考えています。「近況」など送っていただければ掲載します。郵送、E-mail どちらでもよいです。 |
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