アイザック・ウォルフ・バーンハイムは1848年、バーナード・バーンハイムは1850年ドイツで生まれ、1867年、若き二人の兄弟がアメリカへ渡る所からこの物語・・、いや伝説が始まって行くのだ・・。

 今回は、現代においてもビッグネーム「I.W.Harper」の垂直テイスティングに標準を絞り、禁酒法時代、60年代、70年代、現代へと、少々掻い摘んでとなりますが、およそ100年の旅へ、皆さんと一緒に旅立ちたいと思ってます。

 また、少々長い文章になるかと思いますが、本銘柄の輝かしい歴史を知ることにより、更に深いテイスティングが出来ると思いますので、もし「参加したい」とか「興味があるけど・・」と、思われる方は一読して頂けるとありがたいです。では、始まり始まり・・。

SINCE 1872年

 なぜ、この若き兄弟がアメリカに来て5年足らずで起業したのかは現代の感覚では理解出来ませんが、ドイツに在住中、アイザックは既に16歳で事務職に就き簿記などを学んでいること(その後ビジネス展開したとの記述もある)、更に叔父がアメリカに渡っており一定の成功を収めていたこと、そして南北戦争(1861-1865)直後ということもあり、渡航当初は仕事が無く、決して順風満帆という訳では無かったが、雑貨商から酒類事業の実業家へと成長して行く過程の中、サイレント・パートナー(恐らく事業に関与しない出資者。エルブリッジ・パーマー)を得、ついに製造業へと展開する。ちなみに2人がユダヤ人だったことも影響していると思うのだが・・さて、どうでしょうかね〜?。

この時代は南北戦争の英雄ユリシーズ・グラント(グラント将軍)が大統領。

1877年銘柄誕生

 更に5年後、ついに「I.W.Harper」誕生となりますが、バーンハイム兄弟のことは書かれていても、一方のハーパーさんのことは「親友」とか、当時著名な馬のブリーダーだとか位の記述しか無い。本当はいったいどのような人物で、どう関わりがあるかは今の所皆目見当付かないが、酒名にする位だから深い間柄であったことは想像に難くない。しかし、一方ではアメリカらしい名前にしただけだと言う記述もあるのだ(笑)。

 少し掘り下げて考えると・・、ケンタッキー・ダービーは1875年創設されており、当時の大馬主が参加を嫌ったとされていることから、その世界での権威付けは決して高く無いと思われる。馬主であるハーパーは、第1回、2回と出走させたらしいので、恐らく一部地域においては知名度があり、ウイスキーの販売網としてはアメリカ全土をターゲットにしたものでは無く、ある程度絞ったセールスの形態だとも現時点では考えられる。

 そして誕生から2年後、1879年には登録商標を取得している。

受賞履歴(ゴールド・メダルの由来)

 現在のボトルにも書かれているゴールド・メダルという表記は、1885年にニューオリンズで行なわれた万国博覧会で金賞を獲得したことを皮切りに、1893年シカゴ「Worlds Fair」金賞、1900年「パリ万国博覧会」金賞、1904年「ルイジアナ州セントルイス万国博覧会」金賞、1907年「Greater Louisville Exposition」金賞、1915年「サンフランシスコ万国博覧会」金賞と、各国の・・、と言うにはアメリカに片寄ってるとは思うが、禁酒法施行前に得た賞歴に由来していることは確かだ。

 1915年アイザック・ウォルフ引退。

禁酒法時代(1920年〜1933年)

 禁酒法に関しては、実際良く知られている1933年まで施行された法律以前にもアメリカ社会では根強く横たわっていた訳ですが、1917年2月、ついにアメリカ全土で禁酒法を達成する為の決議が提出、1919年、48州中36州が批准(既に全権代表者によって署名がなされた条約に拘束されることを国家が最終的に決定する手続き)、同年10月28日ボルステッド法により0.5%以上のアルコールが規制対象となり、1920年1月16日に修正第18条が施行され俗に言う禁酒法時代が始まった。

 なお、禁酒法について語ると長くなるので端折りますが、第1次世界大戦(1914年〜1918年)時、アメリカがドイツに宣戦布告(1917年4月)したことが多少なり関連していることも一応書いておきます。(興味があれば調べて下さいませ)

 大半のディスティラリーは閉鎖へと追い込まれたそんな時代であったが、バーンハイムのウイスキーは医薬品として製造販売を認可された数少ない蒸溜所の1つで、禁酒法が廃止された後、政治力があったのか無かったのか定かでは無いが、政府登録第1号という名誉を得ることになる(DSP-1)。

 ちなみに創業者の1人バーナード・バーンハイムは禁酒法時代真っ只中の1925年7月27日に死去している。

第2次世界大戦(1939年〜1945年)

 最終的に戦勝国になるアメリカでもアルコールは軍需品であり、大半は産業用アルコールのみを製造していた訳ですが、バーンハイムはウイスキーを軍隊へ供給しており、一般兵士向けでは無く、I.W.Harperは将校が飲用する上等なウイスキーという扱いであった。

 1937年、会社はシェンレー社へ。1945年冬、創業者アイザック・ウォルフ死去。享年96歳。1915年の引退後は慈善事業家としても知られている。

第2次世界大戦後

 第2次大戦後は、いち早くガラスのボトルを導入した会社だけに、1949年にはギフト商品としてクリスタル・デカンター入りのI.W.Harperを発売。1950年代から1960年代にかけては特にそのようなボトルが沢山出回っている。

 1961年には12年物が発売され、現代へリンクする商品群はこの時点で出そろったことになるだろう。

上記を踏まえ今回メインの2本を良く観察して頂こう!!

1917-1933年 禁酒法時代末期に詰められた16年物

1961-1966年 熟成年数表記無しデカンター

と、言う訳で・・

これでも随分端折って説明した訳ですが、皆さん読んで頂けましたでしょうか?

当日に上記の説明はしませんので、一応目を通して頂いた方が更に味わい深いものになると思いますよ〜!!

では告知〜!!

(場所)ザ・ウイスキー・バー / The Whisky Bar
(日時)8月12日(日)PM 14:00〜
(料金)フル・ショット¥10,000 ハーフ・ショット¥5,500
(特典)会当日に限り全商品15%オフ

(テイスティング・リスト 未開封分)

1917-1933 ボトルド・イン・ボンド(50%)禁酒法時代
1961-1966 ボトルド・イン・ボンド(50%)デカンター
1970's 43% Rotation for Japan 760ml Bottle
15年物 40% Heritage Collection 1990's Dead Stock
現行品 40% 比較の為ハーフにて提供

その他、1960年代12年、プレジデント・リザーブ等、当店在庫している物も皆さんでシェアしながら試飲して頂く予定です。

 お申し込みはメールにて。お名前、ご連絡先、フル、ハーフなどのプランをお伝え下さい。なお、当日都合が合わないという方は上記価格にてご予約承ります(特典はありません)。ご連絡頂けない場合は通常価格となりますので是非この機会にご予約下さい(会前日まで受け付けます)。以上、宜しくお願い致します。