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アカシックレコード【6月】 |

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- 6・21
前回より十日ぶりの日記です。
最近これといった事が無いので、書く事は無いのですが、何となく書いています。
そう言えばもうそろそろ学期末考査です。
中間考査は、思ったより良い成績だったので、この調子で期末も過ごせる事が出来ればいいんですけど・・・・・・。
それに、その後には『マルチメディア二級』の資格試験があるのをすっかり忘れていました。
三級は受かったのですが、二級の試験はテキストを取り寄せるのをすっかり忘れていて、ぜんぜん勉強をしていません。
これは間違いなく落ちますね。
確か三者面談ももうそろそろだった様な気がしますし、野球応援もそろそろ始まるみたいです。
始まるといえば、そろそろプールも始まるみたいですね。
あんまり乗り気じゃないんですけど、さすがに夏休み中に単位取りに学校に来るかレポートを書くのよりはマシですからね。
とまあ、無駄な事を書いて行を埋めてみましたが、思ったより今月と来月は忙しいみたいですね(他人事か?!)。
他にも映画の『メトロポリス』とか『A.I』(これはいつ公開でしたっけ?)も見たいのに。
でも『A.I』って、まるで『鉄コミュニケーション』のイーヴァとか『セイバーマリオネット』シリーズの主人公のマリオネットみたいですね。
といっても『J』ぐらいしか知らないんですけど。
あれは現代版の『ピノキオ』なんでしょうか?
それにしても、人工知能をつんだ人型ロボットが、人間に恋をしたり人間に憧れたりするのは、よくあるお話な気がするのですが、『A.I』や『メトロポリス』はそこをどうやって『お約束』を『変えて』もしくは『外して』くれているんでしょうか。
機会とお金があったら絶対に見てみたいです。
(お約束を外すといえばやっぱりエリアルかな?)
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- 6・11
今日の日記は、ついこの前起きた、小学校の事件についてちょっと思った事を書きたいと思います。
更に詳しく言えば、あの事件の犯人が『エリートの子供を殺せば死刑になれると思った』みたいな事を言っているのを、何かで見かけたか聞いた気がするのですが、その事についてです。
あの犯人は『エリートの子供を殺す』=『死刑(死ねる)』と解釈した訳ですが、この図式だけを見ると、単なる交換レートみたいに見えませんか?
これに似た図式で私の通っている学校に行く為のバスの路線のとある場所にある看板です。
駐車場にある看板なのですが『無断駐車をした者には罰金一万円』と言う物です。
これはつまり『無断駐車』=『一万円』と言う図式です。
この図式で行くと『どうしても無断駐車がしたければ一万円払いなさい』もしくは『一万円払えば無断駐車してもいいです』と言う解釈にとる人間も居るのではないでしょうか?
もし、これを『殺人=死刑』の公式に当てはめてしまえば『死刑になってもいいなら殺人をしてもいいよ』とか『死刑になりたいなら殺人を犯しなさい』と言う妙な図式になる事も全く無いとは言えなのではないでしょうか?
実際あの事件ではそういう見方をした節があるように私は思いました。
『自殺志願者を死刑にする事はその罪を償っている事になるのでしょうか』みたいな事を一年ぐらい前に友達に言ってみたのですが、その時は本当に自殺したい人間はいるのか否かの議論になってしまったのですが、これで実例が出来たと思います。
あまりあって欲しくない実例ですが、これで多少私の言った事が現実味を帯びたような気がするのは私だけでしょうか?
あの人は死刑になりたくて、自殺(?)したくて人を殺したのですから、その人の望みは結果として全部かなってしまった事になる訳なので、その人の中では一切罪を償っていないと言う見方が出来ますよね。
結果として責任が訪えないと言う事で不起訴になったと言う事ですが、そうなればまた同じ事をしようと思うかもしれませんし、かといって死刑にしてしまえば犯人の願ったりかなったりでしかない訳です。
終身刑を課す場合が一番最適と言えなくも無いですが、この交換レート式罪と罰は考えた方がいいような気が私はします。
『罪』=『罰』ではなく『罪』=『償い』にした方がいいと私は思います。
もし罪を犯した人に課す罰が、犯した者にとっての罰でなければそれは罰を課す側の単なる自己満足になってしまいますし、逆に罪を犯した側の基準での罰は与える事が遥かに難しい事ですし、罪を犯したも者が被害を与えた被害者の側の裁量による罰もまた違う事でしょう。
もしも、受けた被害と平等な被害を相手に返すとするなら、まずそこにある価値観の壁を取り除く事が必要です。
その後に与えられた者と同等と思われる被害を相手に返す以外にありません。
しかし完全な価値観の統一など夢のまた夢でしかありません。
被害者はどう転んでもその立場を動く事は出来ず、加害者もどう転んでもその立場を動く事が出来ません(あくまでも『立場』で、立場が同じでも『見方』が変われば『見え方』は変わる)。
ですから、完全に受けた被害と同等の者を加害者に返す事は出来ません。
と言う訳で私は『罪』=『償い』として、その『償い』を『従来の罰にとらわれない罰』もしくは『相手にとっての罰』にするのが最もいいと私は考えます。
(どうやらちょっと前に見たディベートがまだ頭に残っているらしいです)
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- 6・7
どうもご無沙汰しております。
日記を書くのも久しぶりです。
今日、学校で模試を行いました。
さすがに工業高校、理科が半分、数学が四分の三、そして極めつけに英語が約九割以上分かりませんでした。
英語はもともと不得意でしたから、分からなくてもうなずける部分もあるのですが、自信があった理科も半分しか分からなかったのはショックでした。
これは本気で推薦を狙わないとまずいですね。
しかも、それで入っても学校でついていけるかどうか・・・・・・。
それでも物理関係は好きなので、何所でもいいから物理学科のある大学に入りたいです。
ところで大学の紹介をしている本でよく見かけるのですが、『物理科学科』と『物理学科』の違いは一体何なのでしょう?
この二つの違いと、『物理科学科』の区切り方が『物理科
学科』なのか『物理科学 科』なのかがよく分からないのですが、どっちなのでしょう。
それとも『科学』が『化学』の誤植なのでしょうか?
もし誤植なら、大変な事になりますよね。
どっちを選んでいいか分からないので、大学紹介の本に詳しい解説をつけるべきです。
そうでないと、望まない学部に入ってしまうかもしれないじゃないですか。
模試の出来が悪かったので八つ当たり気味なので、そろそろ終わらせて頂きます。
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