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アカシックレコード【9月】 |

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- 9・22
今日大学の見学会に行ってきました。
ここまで大学に関する事をいえば、何所の大学を狙っているか分かってしまいますね。
別に分かってもどうと言う事も無いのですが、会おうと思うのは辞めた方がいいでしょう。
私に直に会ったら不幸になります。
それは置いておいて。
今日行った大学の見学会は、予定では二時間で終わるはずだったのですが三時間もかかってしまいました。
両親が待っていて下さったのですが、一時間以上待ちぼうけを食らわせてしまいました。
さて話が少し変わるのですが、私は前回のAOT期を受けた時に、課題が出ている事に気付かなくて、それをしないまま受験に行ってしまったと言う事は以前に書いたのですが、その時、その場しのぎで去年の課題を変わりに解いて何とかしたのですが、それが実は今年の課題にも出ていたのです。
そして全く同じ問題がAOU期にも出てるのです。
その同じ問題を同じ方法で解いて、それを今回の課題として提出していいのかと聞いたのですが、あっさりと了承されてしまいました。
つまり、前回は課題が出ている事を知らず、準備不足で受験したので、不合格と言う判断が下された部分があったようです。
そのおかげで、今回はそれをちゃんと文章として提出し、それをまた面接で発表する事が出来るようです。
何度も本当か確認したのですが、大学の先生は問題なく了承して下さいました。
少々考えてしまいます。
同じ問題を同じ方法で、(もしかしたら同じ)試験管に説明をすると言うのはいいのでしょうか?
間違いなく減点されるような気がするのですが、いいのなら私としては楽なのですが……。
一応他の問題もあるので、それを解いてみて、その中で納得のいくものがあればそれを選ぶつもりです。
さて、明日は本当に一日休みなので、ゆっくりさせて頂きましょう。
お休みなさい。
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- 9・17
今日学校のとある教室で捨てられていた時計(掛け時計ですけど)をもらってきました。
もらってすぐに友達と一度分解してみたのですが、どうやってもモータがまわらない。
おそらくモータに繋がっている回路がやけて焼き切れているのだろうと言う結論が出て、そこで分解するのを辞めて元に戻しました。
今私の後ろに落ちて(?)います。
そろそろ掃除の時期ですね。
ある程度の周期で部屋を大々的にレイアウト変えをするのです。
別に今使ってるのに不自由だと言う訳でもないのですが、何となく変えたくなるのです。
と言ってもアンテナ線とか電話回線の性でテレビとビデオとパソコンは大きく動かせないのです。
本棚は小さい棚が四つ埋ってしまったので、他の開いているカラーボックスを綺麗にして使おうかと思います。
私の部屋にあるカラーボックスは二種類ありまして、立てると左右にまず分かれて、上下が無く、片方が三段右が二段の物と、三段の物があるのです。
それぞれ三段型が二つ、左右に分かれて二・三段型は一つなのですが、それを横にして三つを積み上げて使っています。
ほとんど空なので、綺麗にして上手くしまえば一つか二つ空くと思うので、それに本を詰め込もうかと密かに考えています。
もう一つ、大きく動かせないテレビとビデオをアンテナ線を伸ばして大きく動かす計画もありますが、今の所それは順調に延期されています。
私の寝る場所を中心として、私の部屋にある電子機器を円形に配置する事(棒を使って操作できるぐらいの距離)が第一条件なので、それを考えるともしかしたら今と同じまま、単に向きを変えただけになるかもしれません。
それにしても北枕が縁起が悪いって誰がきめたんでしょうねぇ。
実は風水では確か成長促進とか何とか合ったような気がするのですが……忘れてしまいました。
鴉も縁起が悪いと言われていますが、ある程度遡ると高天ヶ原の使いとかで縁起がいい鳥だったんですよね。
物の考え方なんて、時と場合によって変わるもんですからね。
学校で『日本人の集団性』と言う文章に付いて作文を書いているのですが、その元の文がどう考えても中世的な立場(集団性に付いて肯定否定どちらでもない状態)から物を言っていないのです。
題名があれなのなら、いい面と悪い面のどちらもを書くべきだと思うのに、内容がどう考えても危険性しか書いていない。
だったら『日本人の集団性の危険性』にでもすればいいのです。
そういう矛盾はよくあるようですね。
言葉の概念を理解した上で、新しい語を創作するのはいいですが、新しい語だけを書かれると本当に理解しているか不安です。
私も理解しているつもりで新しい言葉を小説によく書くのですが、間違っていたり、誤って理解されている事でしょう。
しかし、それは受け取るあなたの自由なのです。
私はただ、一般に日本語と呼ばれる記号を並べ立てて遊んでいるだけなのですから。
その中から何を読み取り、それをどう思うかは読む側の自由なのです。
私の思いを理解して欲しいと思う事もありますが、そこに私が干渉する訳には行かないのです。
別に禁止されている訳ではありませんが、私の思いを直接相手に知らせてしまえば、元の文章を書く意味がほとんど無くなってしまうような気がするからです。
伝えたい事を全て文章にしてしまえば、文章力の無い私は説明がずらずらと続く(今もそうですが)面白味の無い文章になってしまうでしょう(今もそうですが)。
それに私に限れば、私の書いた文章には元々意味なんて無いのです。
特に詩や短編などは、単に語感で遊んでる事が多いので、そこに書いてある事に共感してくれたり、何かを読み取ってくれたとしても、それはあなたの中に、その文字の中からそれだけの事を読み取る才能があるのだけなのです。
『ある才能の無い人がした事を見て、その事に対して面白いと思えたらそう思った人はその事に対して才能があるのでしょう』
と言うのが私の考えなのです。
だから、私は誰かの才能を見つける為にこのサイトを開いた様な物なのです。
もとは単に誰かに小説を読ませたかったのですが、ちょっと前からそう思うようになりました。
誰かの才能を見つけて、その人にその才能を伸ばすきっかけを造るのも面白いでしょう。
私がつまらない小説を書き続けるのも、そんな所があるのでしょう。
そうでもなければ救いが無いですし……(弱笑)。
だから頑張って下さい。
私の小説や詩や短編を読んで、もし万が一にでも『つまらない』以外の感情がほんの僅かでも生まれたのなら、それはあなたの才能の芽です。
大事に大事に育てて、大きな樹にして、大きな花を咲かせて、大きな実をつけて下さい。
私はここでは作者ですが、現実の属性としてはまだまだ読者です。
だから、読者として作者の芽を見つけ出す手伝いが出来る事は、とても嬉しい事です。
将来そんな人の本を読める事が今後の夢の一つです。
更に、ここを読んで『つまらない』とか『何を言いたいのか分からない』などと思う方々。
それはあなたが正しいのです。
上のように思う人の方が普通ではないのです。
別にどちらもけなしている訳ではないのですが、それほどまでに凄いし、元々数少ない人達だと言う事です。
普通に正しい反応をした人達は、おそらく他の面の才能があるのでしょう。
元々何も無い物、空っぽの箱を見て空っぽだと言うのは当たり前です。
物の真実を見て、素直にそれを現せると言うのも才能の一つだと思います。
今思い出しましたが、前に読んだマンガに『誰でも宝石を持っている、でも自分には宝石が無いと嘆いている主人公が、実は自分には他人に宝石をあげられると言う事に気付き、あげる側ももらった側もどちらも宝石を持っていると言う事に思い至る』と言う物があったのですが、私も宝石や元々原石の方々を削って、少しだけでもその姿を出す手伝いが出来ていればいいなぁなどと思います。
まぁ思っているだけなので、実際どうなのかは分かりませんけどね(そもそも誰も来てないって、こんな所)。
(掲示板消そうかなぁ……)
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- 9・14
今日学校から帰ってくると、大学の合否通知が送られてきていました。
さあ、もったいつけても意味が無いので、言いましょう。
『不合格』でした。
まあ当然でしょう。
あそこまでやったんですから。仕方が無いですかね。
本命がAOU期なので、次頑張りましょう。
それにしてもU期はT期と同じ事を書いてはまずいらしいので、自己PR文や、志願理由をもう一度練り直さなければならないのが、とても辛いです。
更に、推薦文を誰かに書いてもらわなければならないので、それがめんどくさいです。
しかし、今回は外せないのでもし落ちたら間違いなく浪人でしょう。
その可能性が高い気もしますが、それはそれです(駄目じゃん!!)。
前回は大学の説明会にいけなかったので、今回は出来れば最低でも一回は行ってみたいと思います。
それに出願用紙もぎりぎりではなく、もっと余裕を持って発送したいです。
(書いたものの、更新を忘れてしまった)
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- 9・12
最近日記に書くような事が思い付かないです。
何かあったか探してみましょう。
……検索中……
見つかりました。
今日学校の帰りに、ジャンクヤードからヒューズを一つぎってきました。
別に何に使うと言う訳でもないのですが、何となく積んであった電源装置の、すぐに外れる場所に取り付けてあったので、誰も見ていない事を良い事に(多分十人ぐらいは見ていたと思うんですけど……)その場で取り外してもらってしまいました。
あの芥捨て場と言うか粗大ゴミ捨て場は、ちゃんと屋根を造って、更にそこにおいてある物を整理すれば、十分にジャンクヤードとして活用できると思うのですが、何で誰もしようとしないのは何でなのでしょう。
まぁ私もする気はないので、そうなのでしょう。(どうなんでしょう?)
それから……。
そう、昨日の夜。ニューヨークの何とかタワー(名前を忘れてしまいました)に飛行機がぶつかったようですね(確か三機か四機だったはず……)。
なんだかきな臭い事になっていますが、私に一番関係が有るのは、それに対して日本がどう対処するかでしょう。
地球の反対側で何が起ころうと、いん石でも落ちてこない限り物理的・直接的な影響はないのです。
ちょっと話は変わりますが、『小娘オーバードライブ』の三巻の中で、『李純麗』と言うキャラクタが持ち出す理論だったと思うのですが、『自由主義経済は国家と言うシステムに載っている限りいつかは破綻する』と言う物が会って、それを防ぐ為の解決策のが三つあって、一つは『市場が無限に拡大していく事』二つ目は『コントロールされた災害』三つ目が『戦争』だそうです。
これを今の状況に照らし合わせると、まさに『コントロールされた災害』を発端に『戦争』が起こるかもしれない状況な訳です。
まるで上の三つの方法の内二つを使って、今の不況を打破しようとしている見たいです。
凄い偶然ですね。
つまりは何だかなぁって事ですけど、皆さんはどう思うのでしょう。
そういえば、『封印サイトは詩的私的手記』がやっと読み終わりました。
今度は『ミッシング』(スペルが分からないのでカタカナにします)を読み始めました。
森博嗣さんの小説は、他に『墜ちていく僕たち』と、更にまだ他にも買っていない本が三冊あったはずです。
とりあえずは今は今もっている新旧あわせて十五冊を読み切る事でしょう。
それと小説を書かないと……。
入試の結果が明後日に返ってきます。
楽しみであり不安であり複雑な気分です。
受験生だとしたら、おかしいですよね。
普通なら不安だけしかないようなイメージが有るのですが、私はこの状況でこれなのですが他の人はどうなのでしょう。
そういえばAO入試の報告書を提出したのですが、どうも受け取ってくれませんでした。
どうやら書いてある事が少なすぎるからのようですが、それは本当に憶えていないし、憶えている範囲では書けるだけ書いたのです。
先生が今後の生徒の為に言っているのか、それとも周りや上司の先生から好かれたいからやっているのか、どちらでもいいですが私はそれ以上は書けないのです。
真実を書いただけで足らないのなら、創作を書くか関係の無い事を書くしかないのです。
生徒の為なら無関係な事を書く訳にもいかないし、周りの先生や上司の先生によく見られたいだけなら、読まれたら一発でばれます。
創作を書くと言うのはどちらも騙せますが、生徒の為にはまりません。
ただ上司や周りの先生によくは思われるかもしれません。
しかし、私の想像力と文章力(大した事は無いと言うか、遥かにマイナス側ですが)はそんな事をする為に有る訳では有りません。
私の物書きのプライド(?)にかけて、そんな事は出来ません。
どうしてもと言うのなら、私を説得するほどの理由と根拠を(重複表現)を提示して欲しいです。
それで私の気が変わったのならいいです。
一言言いますが、例え人命がかかっていても、場合によっては納得しないですし、それでその人が死んだとしてもそれは私の責任ではなく、私に無関係に私に関する約束をしたのが悪いのです。
つまり、私が了承した後、その上で人命をかけるのなら良いのです。
と言う冗談はさて置いて、大学の結果がとても気になる今日このごろでした。
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- 9・9
昨日に続いて昨日の状況を説明したいと思います。
おそらくそこを受験していた人か関係者が読めば、もしかしたら私が誰なのかすぐ分かると思います。
まず受付に父と一緒に行くと、名前と受験番号を聞かれました。
名前と番号を応えると待合室の場所と最低限部屋に居て欲しい時間を教えてもらえました。
時間より遥かに早く行ったので、その間自由に構内を歩いて良いと言う事だったので、父の車の中で時間まで待ち、時間の三十分前に待合室に向かいました。
待合室に付くと、その部屋の担当になっている先生に自分の名前と受験番号を答え、適当な席に座らせて頂きました。
私の座った席はその部屋の一番後ろの一番左。
そこに待合室担当の先生が歩み寄ってきて
「発表にOHPは必要ですか?」
と聞いたのです。
私は面接だとばかり思っていて、パンフレットの中に書かれていた問題も口頭試問で出るものだと思いこんでいたので、きょとんとしてしまいました。
それを聞いた私は、
「え?」
と間抜けな声を上げて、その先生の顔を見上げてしまいました。
先生の方も困ってしまったらしく、
「入試案内は読みましたよね」
とおっしゃいました。
私は急いで鞄の中に入れておいた過去問の書かれた冊子を一つ取り出してその先生に見せました。
どうやら後から考えてみるとそれとは別の冊子だった様ですが、それでもよかったらしくその冊子を持って別の部屋に行く事になりました。
エレベータで二階に上がり待つ事数分。
別の部屋に先程の先生と、別の先生に連れられて入りました。
椅子に座った先生は机の上に別の冊子を広げ、その物理学科入試のページのとある場所を指差しました。
「ここに書いてあるんですけど、うちから発表された幾つかの課題から選んでそれを解いて、それを面接の際に発表するのです」
と説明されました。
その後、
「見学会には来なかったのですか?」
と聞かれました。
私は見学会には溶接の資格取得試験や、まだきめていない頃にやっていたので、行けなかったのです。
私はその事を先生に説明しました。
その後二人の先生で何か話していました。
「課題って郵送されないんだったっけ?」
とか
「問い合わせて申し込むか説明会でもらうかインターネットでもらえたはずなんですが……」
などとぼそぼそおっしゃっていました。
ふと突然私に
「この問題はやったんですよね」
と聞いてきたので、
「はい」
と応えました。
次に
「この問題を解いた時の紙は有りますか」
と聞かれました。
その時、偶然にもその問題を解いた紙を鞄の中に入れて持ってきていたので
「はい」
と応えました。
「では、課題を知らないようなので、この問題に対する答えを発表して下さい」
と言う事になりました。
本来なら発表された課題を解いて、それを発表するはずなのに、それを知らなかった私はその過去問らしき問題を先生方に発表することになりました。
家に帰ってから調べてみると、それとよく似た問題が課題として出されていたようでした。
「では空のOHPを上げますから、それに必要な事などを書いて、説明して下さい」
と言われて待合室に帰されました。
後はもう急ぐしかありませんでした。
帰ってから鞄の中に入っている紙を探し、待合室担当の先生に渡されたOHPにペンで図を二枚ほど書き、説明の用紙もOHPに起してもらい、何とかぎりぎりで発表に間に合いました。
面接では、もうごちゃごちゃでした。
「名前と番号と選んだ課題の番号を言って下さい」
と言われたのですが、
事情を説明し、先生方もあらかじめ知っていたようなので、そこは何とかなり、問題の説明になりました。
ごちゃごちゃに緊張する中何とか説明すると、済し崩しに質疑応答に。
その問題の解き方に付いて説明されたり、何でその式になるのかを聞かれたりしました。
その質問に答えきると、面白い解き方だと言われました。
それだけで私は十分でした。
大学の先生方が、私の問題の解き方に興味を持って頂けただけで、ただそれだけで幸せでした。
その証拠にそこまでの大失態を犯していながら、自分としては後悔も無くなぜかとても喜びが込み上げてきてしまうのです。
おそらく自分の考え方を誰かに発表し、それを熱心に聞いて頂いて、更にそれに興味を持って頂けたからでしょう。
だからもう不合格でも良いんです。
それにまだAOU期もありますし、十分です。
ただ、やはり受かっていて欲しいです。
だって落ちるよりは、受かっている方がいいじゃないですか。
元々受かる為にあそこに行ったのですから。
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- 9・8
今日は昨日書いた通りにAO入試の試験がありました。
今まで面接だと思っていたのですが、どうやら口頭発表だった様です。
口頭試問と読み間違えたようです。
と言う訳で発表の道具を用意せずに大学に試験を受けに行ってしまいました。
試験の控え室でその話を聞いて、どうしようかと見事に焦りました。
しかし、大学の控え室の先生と面接の試験管が話し合って、ちょうどその時AO入試の案内書に書いてあった過去問の解き方を書いた紙を持っていたので、それを発表しました。
OHPなども控え室の先生が急いで用意して下さって、それを使って発表が出来ました。
しかし、あの様子では落ちているでしょう。
確かに問題の解き方は先生方の予想外の解き方だった様で、驚いてはいましたが、それをプラスの評価としてもおそらく足らないぐらいのマイナス点でしょう。
ただ、もう一つの考え方としては、あそこまで私の世話をしておいて落すとなるのなら、最初からその手間をかけずに『あなたには受験資格が有りません』の一言で落せると思うのです。
しかし、それをしなかったのはなぜなのでしょう。
希望有りと考えて良いのでしょうか?
しかし、あそこまで面接の練習をしておいてその全てを無駄にしてしまうとは、今までの二週間かけた物理の勉強って一体なんなんだったのでしょうか。
確かに大学に行く前に基礎は憶えなければならないので、いつかはやるつもりでしたが、こんな中途半端な時期に学校での範囲外の物理を必死に勉強したのは、何だったのでしょう。
そもそも一年近くかけて受ける授業をここ二週間で勉強するのは、正直に言って辛かったです。
年間二百日の授業日数があって、週三日が一時間の物理の授業がある日だったとすると、
(200/((6+5)/2))*3
で約百九日つまり百九時限。
それを私の場合は一日の内、約五時間(授業中もやっていたので)を物理に当てていたので、一時限を五十分として考えて、
109*50=5450
分で、
5450/60=91
です。
一日六時間で14日ではでは
5*14=70
となって
94-70=24
だから24時限分足らないのです。
しかも、先生が居ないで自分だけで解かなければ行けない問題も有ったりして、どうしても解けないとそのまま引き摺ってしまったり、飛ばしてしまったり。
遥かに普通の状況ではない状態で、元々ないも同然の集中力を出来る限り持続させてやったのに、全くそれを使わないと言うのはショックでした。
しかしそのショックの性で、憶えていた事をすっかり忘れてしまいました。
あれだけ練習した事も全く使う事も無く、全て終わってしまいました。
いやぁ悲劇でした。
しかし皆さん、笑ってやって下さい。
『どうにもならない今日はせめて、笑い話に変えられます様に』
と、とある歌の一節にも有りますし、私的にも悲劇よりは喜劇の方が遥かにマシです。
とまあ、上の文章はこの一説が書く為の前振りだった訳です。
さてその帰りに、とある所によって知恵の輪のような物を買ったのですが、数十分であっさりと解けてしまいました。
『世界的クリエータの造った』と箱の裏に書いてあるのですが、世界的クリエータの思考は大学受験で大失態を犯し、その帰りに車に揺られながらの数十分の受験生と同レベルの思考なのでしょうか?
これは大きな謎です。
他にもこの知恵の輪は、シリーズ化されているようなので、機会があったら買って見ようと思っているのですが、それに期待したいと思います。
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- 9・7
今日はとても憂鬱です。
明日AO入試の面接なのです。
心配です。不安です。
口頭試問もあるのです。どうしましょう。
一応練習は何回かしたのですが、全くの不安です。
まあ気楽に礼儀正しくと言う言葉をモットーに、がんぱってみますが、絶対に緊張して上がってしまいます。
上がり性で涙もろくて赤面性で怒りっぽくて、しかもその間の記憶がほとんど飛んでいる。
まさに多重人格です。
それに口頭試問もまだ勉強が完全じゃない部分が多くて、『どうしたら良いの?』って感じです。
でもこれが終われば、一段落です。
受かるにしろ落ちるにしろ、明日でこの苦しい日々は終わります。
AOの二期は口頭試問ではなく小論文ですし、それにまだ時間が十分あるのでそうなれば多少楽になるでしょうし、一期を受けている分面接にも耐性が付いている事でしょう。
どうかここをお読みの方々、よろしければ私の合格をお祈りしていて下さい。
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- 9・4
今日面接の練習がありました。
予定では来週にクラスで予定されているらしいのですが、私はAO入試の面接が今週の土曜にあるので、それでは見事に間に合わなくなってしまうので、今日に前倒しされました。
と言っても、私の相手になった先生もどうやら始めてか、もしくはあまり経験の無い方だった様で、どうもギクシャクしてしまいました。
一応面接のシュミレーションのつもりで始まったのですが、口頭試問の節になって崩れてしまいました。
どうも私の問題の解き方が、全く予想外、もしくは問題外の解き方だったらしく、その説明をしてくれと言われて、その為に使った紙を持ってきて説明するはめになってしまいました。
結局口頭試問で一つ問題を出されて、それを終わらせて、終わってしまいました。
つぎは明後日になるそうですが、それで大丈夫なんでしょうか?
物理も色々とやってはいますが、間に合うかどうか……。
しかも大学見学にとある理由で行けなかったので、遥かに不利なのです。
自分の意志をはっきりさせて何がしたいか、とか何でその大学を受けようと思ったのかと言う理由をしっかりとしないと行けないのですが、子供の頃からそういう事を言うのは苦手なのです。
何でなのかと聞かれたら、それがしたいからとしか応えようが無いのです。
それ以外に理由はないし、それ以上の理由はない気がするのですが、さすがにそれを言う訳にも行きませんし、どうしたら良いでしょう。
ただ一縷の望みとしては、基礎的な物理の問題がでると言う事です。
まだ基礎だけなら何とか収まるかもしれませんが、それ以上はちょっと難しいです。
今から三日で何が出来るか、挑戦してみるしかないでしょう。
ここまで来たら腹を据える(『きめる』でしたっけ)しかないでしょう。
と言った所でやはり駄目なんだろうなぁ……。
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