ウィーン少年合唱団が団員募集 

フレーベル少年合唱団OB会のFひらと申します。
館長さんにはいろいろお世話になっています。

Yahoo!でこんなニュースを見つけました。(ソースはサンケイスポーツ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040508-00000005-sks-ent

 上記削除されてる可能性もあるので、簡単に内容を説明すると、
「500年以上の歴史で初!ウィーン少年合唱団、日本人団員募集!」
とのことです。来年の9月に向けて、日本の少年を2〜4名迎えたい、と会見したようです。9歳くらいが望ましいとか。


   
粟国淳さん 

 日本のソリストに「アグニジュン(粟国淳)」を加えたとのことで、早速読ませて頂きました。粟国姓、イタリア、オペラ..ときたので、あの粟国さんかな?と思いましたが、Fひらが思い受けべたのは粟国安彦さんのほうでした。..って、安彦さんの息子さんが、粟国淳さんなんですね!初めて知りました。がーん。

 Fひらは高校生の頃、声楽家になりたくて、東京声専音楽学校(昭和音大の母体ですね)を受験したことがあります。当時の学校のパンフレットには関係の深い藤原歌劇団とのからみで、粟国安彦さんのことが大きく書かれており、オペラ演出家としてすごい人なんだなーと、とても印象に残りました。

 結局、音楽学校には行かずに平凡な人生となりましたが、数年後、新聞の訃報欄をたまたま見た時、粟国安彦産が亡くなったという記事が小さく載っていてびっくりした記憶があります。これから日本のオペラ界を発展させるというか、世界をまたにかけて活躍するはずの優れた人材が夭折したというのは、とても残念なことでした。

 その後は粟国さんのこともすっかり忘れ、粟国と言えば「粟国の塩」くらいしか思いつかないつい頭になっていたのですが、最近、南大東村のホームページの、島の著名人・功労者の項で、またも粟国安彦さんを発見してビックリ。確かに沖縄の名字ですが、南大東の人だったとは。この島から世界に通用する人材が出たというのが、また驚きでした。
http://www.vill.minamidaito.okinawa.jp/famous.htm

 そして今回また粟国さんということで、3度目のビックリです。長男の淳さんのについては、以下の琉球新報の記事に少し載っていました。イタリア育ちなんですね。
http://www.ryukyushimpo.co.jp/news01/1998/9803/980307d.htm

 それにしても、安彦さんは1992年に亡くなられて享年46歳。ということは、淳さんは安彦さんが21歳の時に生まれたんですね、うーむ。よけいなお世話か。('o')\バキ


   
ラジオでたまたま 

 今日車を運転しながらAMラジオ(NHK第一)をつけたら、夕方の番組で女声合唱の「流浪の民」(シューマン)をやっていました。

 そんなにうまい合唱ではなかったのですが、ソプラノ・ソロの部分に入ったとたん、おおっ!と思わせる純粋クリアな響きに心地よさを感じました。

演 奏が終わってアナウンサーが、「ウイーン少年合唱団の演奏による流浪の民でした」と言うので、ああ、なるほど、と思いました。女性のアナウンサーが「シブい曲ですね。あまり楽しそうな感じではないですね。」というのには、さすがにまいりましたが..。>NHK

 AM放送のザラザラ音声でも、あのボーイソプラノの心地よさは感じ取れます。声楽の世界がどんどんパワフル指向になっていく現在、声楽家の声はスゴい!と思うことはあっても、心地よさを感じることはだんだん少なくなってきましたからね。

 あくまで個人的な見解です。汗


   
フレーベル少年合唱団の定演 

「フレーベル少年合唱団 第44回定期演奏会」

【日時】 11月17日(水) 18:00 開場/8:30 開演
【会場】 イイノホール(http://www.iino.co.jp/hall/)
【入場】 1,500円

 演目等詳細は、チラシが手に入ったらまたご連絡します。現役&父母の会合唱団&OB合唱団で、組曲「筑後川」全曲をやります。現役がソプラノ担当、お母さん達がアルト(25名くらい)をやります。父母の会合唱団といいつつ、お父様は一人もみえません..。OBはテナー、バスともに、2〜3人ずつになりそうです。はは..。平日練習で、暗譜が条件ということで、男声には厳しい条件が重なりました。

 ところで、10年数年くらい前から、毎年水曜夜の開催となっています。

 フレーベル館としては、ご招待する幼稚園の先生方などが、平日のほうが都合が良いということで、水曜開催を続けていると、かつての担当者から聞いています。

 平日に変えた当時は、団員が激減した時期で、お客様(父兄)の入りが少なかった、という事情があったように思います。しかし近年は団員も幼稚園生からと大幅に増え、毎年大入りで2年前にトッパンホールで開催した際には、お客様が入りきれずに大変なことになったものです。

 こうした経緯を考えると、子供達やその父兄、また純粋に少年合唱を聴きたいというファンの方々のためにも、昔のように休日開催に戻した方が良いとも思うのですが、会社のほうに過去の経緯や、当時の様子を知る人も少なくなっており、なかなか難しくなっています。

 休日開催に戻すことで起きる手間をなど考えると、このまま平日開催が続きそうな気配です。ウィークエンドの開催を希望される方は、いろいろな形でぜひアピールして下さい。(^_^;

 OB会がそういうことを主張するのって、結構びみょーなもので。('o')\バキ


   
3周年おめでとうございます 

 webの更新というのは本当に大変ですが、継続は力なり、今後も一層のご活躍をお祈り申し上げます。

 さて、制服一覧、拝見しました。フレーベルの項、ズボンが白半ズボンとなっていますが、実はグレー半ズボンです。ところで、ブレザーの下に着るYシャツは、広い襟の特殊なもので、胸には団のfマークが入っています。フレーベルの場合、ハイソックスと革靴以外はすべて団から無償供与され、サイズ交換や退団の際に返還します。なので代々受け継がれるスタイルになっているため、ブレザーの色が微妙に違ったりします。(笑)

 制服にはいろいろ裏話があります。制服デザインは1期生団員の姉がデザイナー?で、若い女性の感性でデザインされた、しゃれた制服となりました。三越だったか高島屋だったか、有名デパートで仕立てた高級品だったという話です。制服はこのほかにも、演奏旅行やハイキングなどの移動の際に着る、専用のYシャツや帽子がありました。また、10期生くらいまでは、冬用のコートもあったという話を聞いたことがあります。

 当時のフレーベルは、運営委員である会社幹部の方たち(大学で男声合唱をしていた)の、ひとつの道楽だったようです。古き良き時代ですねぇ。


   
定演コンサート評を読んで 

 フレーベル少年合唱団OBです。道楽さんのコンサート評を楽しみにしていましたので、興味深く拝見させて頂きました。

 当事者でもあるある我々OBは、それぞれいろんな想いがあるのですが、身内だからこそ微妙に具申できないこともあり、感想を率直に書いて頂けることは大変ありがたく思います。我々OBにとっても当事者として大変参考になります。今後も率直なご意見を頂きたく思います。

 ご意見に対していくつかご説明(弁明?)を。

 
(1)チケット販売の対応について

 できることから改善しないといけないですね。

 例年、会社取引先へのご招待(企業としてはどうしてもこれが一番大事です)と、団員家族関係者への販売だけでほぼ満員ですので、会社としては(会場を広いところに変更するなど)リスクを負ってまで一般の方への販売PRを行うことをしないのでしょう。このため、一般のお客様の購入をほとんど想定しておらず、ご不満を招く対応になってしまっているのだと思います。

 一般の方への販売アピールが行われていないことに対して、僕も大変残念だと思っているのですが、さらに別の事情もあります。演奏会の事務作業全般をフレーベル館の社員の方たちが、普段の会社業務と平行して行っている限界です。時間的制約や、会社関係のご招待で手一杯という現実です。また、数十年来のベテラン担当者が病気で倒れられて以来、その引き継ぎに苦労しているという事情もあります。

 そうはいっても、今すぐにでもできる改善点はあるので、なんとかしたいですね(と他人ごとのような回答しかできず、申し訳ありません...)。


 
(2)共演の和太鼓二つの音が大き過ぎた問題

 ある日の練習後に和太鼓の方が「和太鼓の音を子供たちの音量に合わせて小さくしたら、和太鼓の意味がないんですよ。だからもっと大きな声で歌うように子供たちに言って下さい。」ということを、困惑した表情で関係者に述べているのを、ある時たまたま耳にしました。

 我々の頃と違い、子供たちの数が減ってからは演出上の理由で、色々な楽器との共演や、子供たち以外の演奏者の出演が増えていました。とはいえ一昨年辺りからは、子供たちをなるべく全面に出すシンプルな演出に戻ってきています。この辺の演出事情は、音楽監督?の裁量によるところで、いろいろ難しいところなのでしょう...。

 会社の人たちも事務方として一生懸命やっているのですが、ベテラン担当者の突然の病欠によって、ほとんどが音楽素人に近いの方たちによる作業になっています。いたらないことも少なくないと思いますが、ご指摘を頂きながら、どうか暖かい目で応援して頂ければと思います。

 中途半端な立場で、無責任な書き方になってしまい申し訳ありませんが、どうか今後とも、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。


   
立場上の難しさ
 

 館長さん、道楽さん、先日はありがとうございました。ヨタ話ばかりでスミマセンでした。館長さんに「志が高い」と言われるとこそばゆいです。

 我々の恩師である、磯部俶先生、山本健二先生らの教育は、「君たちが大きくなって家族を持った時に、家族で音楽をたしなむことができるような、そういう大人になって欲しい」というものでした。そうした理念に感化されたOBたちによって、仲間が集まればいつでも歌えるOB合唱団ができ、音楽を楽しく長く続けることをモットーに、これまで活動してきました。

 OB会としては、現役合唱団のために何かができればいいのですが、40〜50代という一番忙しい世代が中心のOB会ゆえ、これといって何もできていないのが実情です。

 30才代くらいのOBまでは現役時代、夏休みの御岳山合宿で引率に来てくれていたOBの先輩たちとの交流がありました。ですから卒団すればOB会に入り、今度は自分たちがOBとして現役のお手伝いをするのが当たり前でした。しかし合宿がなくなった現在、「当たり前」に新OBが活躍する機会がなくなってしまいました。

 今の時代、合宿の費用までフレーベル館が負担することは難しいですし、団員の平均年齢が大幅に下がったこともあって、合宿や公演旅行が大変難しくなってきています。その結果、OBと現役との交流が断たれてしまい、若い世代がOB会活動に参加してくれません。

 OB会としては、夏の御岳合宿の復活は確かに望みなのですが、OB会で責任を負えるものでもなく、指導の先生方や会社に対して必要以上の負担をかけるわけにもいきません。OB会はフレーベルの関係者であっても当事者でなはい、そのことを常に省みないと、目の上のたんこぶになってしまします。

 少年合唱界全体の発展に寄与したいと思いつつも、今は、いちOBである私個人の興味としておくべきだと思っています。フレーベルという名前を使って動くことは、それなりに責任がともないますし、OB会が現役合唱団に先んじてあまりに動いてしまうと、話が違ってきてしまうと思うのです。あくまで裏方でなければなりません。

 どの合唱団でも、指導者間の考え方の違いや、保護者の要望など、その運営には難しいものがあると思います。フレーベルの場合は、さらに会社としての意向や、お客様である幼稚園業界の動向、事業としての側面が複雑にからんできます。

 フレーベル少年合唱団の草創期のように、経営陣と指導者が意気投合して、会社の金でエイヤっと少年だけの合唱団を創り、大人の道楽でガンガンやってしまえた古き良き時代とは違うのが難しいところです。事業として考えれば、テレビやCMの出演なども必要でしょうし、テレビ出演は子供たちも親たちも喜びます。ただ、テレビ業界が求める歌い方と、純粋音楽的な少年合唱指導と、さらには教育的側面とを、どのように結びつけていくか、それは非常に難しいことだと思うのです。

 ひとつの強烈なポリシーがないと、どっちつかずになってしまいますし、かといって、今の時代にそれが許されるかという問題もあるでしょう。

 最近は昔ほど、合唱団同士の交流もなくなってしまいましたし、教育的活動(合宿や演奏旅行といった団体行動)も減りつつありますから、いちOBとして、そのことは非常に残念に思っています。

 社会人になると、自由な時間が減ってしまい、いわゆるボランティア的に、こうしたお手伝いをできる人間を確保できません。時間をシェアするシステムがない日本では、なかなか難しいのかもしれません。まずは個人としてできることから少しずつ、ですね。


   
全国少年合唱大会  

 全国少年合唱大会の第4回大会がこの夏にあるとのことで、桃太郎少年合唱団HPを覗いたところ、活動予定のページで大会の開催日と場所(8/6(土)、栃木大会)だけは確認できましたが、ネット検索をかけても、今年の情報はまだどこにもないようです。

 過去の大会の様子は「ボーイ・ソプラノの館」にある記事で勉強させて頂きましたが、第3回大会以降、数年のブランクがあるのですね。連盟組織がない難しさなのでしょうか。少年合唱団の数が10団体ほどまで減っている現在、少年だけの大会があること自体珍しく、もっとニュースメディアが飛び付いてもおかしくないと思うのですが..。

 過去の参加団体が3〜4団体と意外に少ない気もする一方、全国に散らばる各少年合唱団ごとの事情(年間計画や運営方針など)もあって、参加に踏み切れない団体もあるのでしょう。大会の趣旨は理解できても、各団体にとっては大会参加のメリットが明確にならないと、予算や労力をつぎ込めない現実があるのかもしれません。

 「少年合唱界の危機的状況を乗り越え、今こそ連携を!」というかけ声は、都市部の少年合唱団には逆効果かもしれません。最近は団員が増え過ぎて困っていたり、TV出演などで年間予定が手一杯という現状です。これも別の意味で危機だと思うのですが、いずれにしても、ネガティブな隠しテーマは前面に出さず、少年の大会にふさわしい、明るい演出を期待したいところです。


   
栃木少年合唱団定期演奏会  

 栃木少年合唱団の定演に行ってきました。道楽さん、あちらではいろいろありがとうございました。栃木の関係者のかたともご挨拶できました。

 会場全体から、みんなで合唱団を支えているという雰囲気がとてもよく伝わってきました。40年数年の歴史のある合唱団ですから、関係者の熱意やプライドもあるでしょう。人数が少ないからといって、決して小さな合唱団ではありません。栃木市長もOBだそうですし。

 かつてフレーベルも人数が激減して存続が危ぶまれた時期がありました。
文京区への本社移転を機に、当時の担当者は地域の新聞屋さんに子供の多い地域を聞き出し、その地域に重点的に織り込みチラシを配布するなどの努力をした結果、団員数はすぐに回復傾向を示したのです。

 栃木の関係者の熱意がある限り、団員数の問題はいずれ解決の方向に向かうのではないかと感じた次第です。

 僕は今回の定演に、「人数が少ない合唱団だから応援してあげたい」という気持ちで足を運びましたが、そうした一方的な想いは歴史ある合唱団のプライドに対して少し失礼だったかなと反省しているところです。

 各合唱団にはそれぞれが背負っている歴史とプライドがあります。それはぜひ大切にして欲しいと思います。僕はいち少年合唱経験者として、個人的立場で、今後の栃木少年合唱団の展開に関心を寄せて行こうと思っています。

   
変声期 

 変声期の項、いろんな調査があるものだと関心しました。確実に低年齢化しているのがわかりますね。しかも、その進行度合いが逓減していますし。

 僕の経験(20年くらい前(^^;)では、中学1年の時、少年合唱団ではソプラノを、中学校の合唱部ではアルトとテナーを歌っていました。中学(音楽授業含む)では、変声前の男子は(ソプラノの音域が出ても)すべてアルトを歌わされました。アルトは難しいパートなので、おかげでうまくなりましたが。(^^;

 最近思うのですが、時代や国の違いで、会話の音域がまるで違うことが興味深いです。例えば昭和30年代のNHKアナウンサーの声は男女ともかなり高い声です。今はかなり低くなっていると思いますが、最近でも、例えばブラジル人男性のしゃべる音域は、異常なほど高く感じます。(ジーコやアルシンドの声を思い出して下さい)

 現在の日本だと、10代後半から20代前半の若い女性の会話が、異常に高いのが気になります。ようする社会性によって、だいぶ音域というのが変わるようですね。

 ちなみに僕は、伊藤咲子(古い..)くらいの音域であれば、カラオケで同じ音域(つまり女性の声)で歌うことができます。ファルセットではなく女性声そのものです。クラッシック的発生ではありませんが、アナウンサーなどノドをコントロールできる職種の男性の中には、女性声で歌える人が多いようです。

      
ボーイ・ソプラノ居酒屋

  題名が怪しすぎましたか。('o')\バキ
先日忘年会で、終電を逃してしまった大学の先輩につきあい、高円寺にある小料理屋さんに入りました。先輩の行きつけの店で、もう店を閉めるところだったのを強引に入り、一杯だけとの約束で席に着きました。先輩は僕を紹介してくれたものの、結構べろんべろんで、僕が大将と女将さんを相手に話すことになりました。

  店内にはなぜかアヴェマリアの曲集がかかっていて、クリスマスシーズンとはいえ、居酒屋にはちょっと不似合いな感じ。そのことで話しを切り出すと、なんでも大将(というよりマスターと呼びたくなる方)は長崎の出身で、教会で洗礼を受け、少年時代はボーイ・ソプラノを歌い、当時、長崎のテレビ局でレコードに録音したこともあるとのことでした。(どうもソロ録音したEPらしい)

  声変わりの時期にきちんとした指導を受けなかったために、声をコントロールすることができず、その後は歌を続けなかったそうですが、東京へ出てきた時に、歌を続けるためにどこかの合唱団に入りたいと、大まじめに探したそうです。ただ、当時の時勢や、仕事のこともあって、合唱団に入ることはかなわなかったそうですが、そのかわり今では二胡を演奏し、店ではクラッシックをBGMにする、変わり種居酒屋のご主人となりました。

  一杯だけの時間でしたが、マスターや女将さんとボーイ・ソプラノネタで盛り上がりました。教会音楽は、教会の反響音を考慮して作られていることなど、グロリアGさんに教えてもらった知識で意気投合。マスターたちはこの夏前に、ポルトガルに詳しい店の常連さんとともに、少年使節団ゆかりの地や、リスボンを訪ねてきたとのことです。まさにグロリア少年合唱団の演奏旅行と同じで、またもや互いに驚きました。

  そして、映画「コーラス」の話題も。マスター曰く、映画はたいしたことないけど、彼らの歌声をぜひ聞いて欲しいと、DVDから自分で作ったサントラMDをわざわざかけて聞かせてくれました。

  こういう小料理屋さんが高円寺にあるのですが、みなさんご興味ありますか?(笑)

    第5回全国少年合唱祭に行ってきました

  関東は記録的な大雪で銀世界でしたが、意外にも栃木市内だけは雪が積もることもなく、大会は予定通り開催されました。呉少年合唱団の飛行機が空港で2時間足止めになった影響で、彼らはリハ無しで、出演順も急遽変わりましたが、それ以外は大きな混乱もなく無事に演目は進みました。
  栃木団長の開幕の挨拶や栃木市長の祝辞といった開幕セレモニー、桃太郎、京都、呉、栃木の順に各団体6〜8曲ずつの演奏、最後に合同演奏を4曲行い、予定時間の18:15に終演。アナウンスや照明など段取り全般で色々ありましたが、父兄の方々の努力による手作り演奏会ですし、入場無料なのに立派なプログラムを入口で頂きましたし文句を言えた義理ではありません。アンコール、カーテンコールがないまま緞帳があっさり下りた点はちょっとビックリはしましたが。(^^;

      
フレーベル定演御礼

フレーベルの定演は無事終演しました。ご来場下さったみなさん、PRして下さった館長さん、ありがとうございました。会場では道楽さんやグロリア少年合唱団OBのGさんにもお会いでき、終演後にOB会のメンバーの宴席におつきあい頂きました。

演奏会の内容としては、主席指導者の手島英(すぐる)先生が、細部までしっかりと指導されていることがよくわかり、とても好感が持てました。脇田先生は八面六臂の大活躍で、出演したCMソングを紹介するコーナーでは、ピアノだけで子供たちをリードし、スマートに聴かせてくれてかっこよかったです。

三幕では新しく追加したユニフォーム?でリズミカルに歌っていました。赤茶上着に蝶タイ、グレーのスラックスというバーテン軍団の様相。(笑) 曲の雰囲気に合わせた衣装として面白かったのですが、これが少年のユニフォームといわれると??な方もいるかもしれません。外国語を歌い上げた子供たちには拍手ですが、せっかくのリズミカルな曲が斉唱ではもったいない。ユニゾンがほとんどでもよいから聴かせどころはハモって欲しかったです。下世話なことですが、このユニフォームも高かったろうなぁと…。

改善して欲しい点としては、構成が「あれもこれも」という感じで、実際は八幕構成くらいに感じました。管楽器の高らかなファンファーレで開幕しましたが、それから団員が入場してきたり、幕の途中で何度も出入りがあったり、そのたびに中断が長く、特に指導者のステージはソリストが出入りする毎にピアノの移動があるなど、ちょっと学芸会チックでスマートではありません。また、子供たちの位置決めにビニールテープでのマーキングをしておらず、子供たちが上手(かみて)に大幅に寄りすぎのままだったのはちょっと恥ずかしかったです。なお、プログラムにはステージ毎の出演クラスや指揮者・ピアニストが書かれていなかったので、いま歌っているのがどのクラスで誰先生なのかがわからなかったのは残念でした。

下のクラスの子供たちには、左右にスウィングしながら歌わせていましたが、子供たちがスウィングすることに気を取られて声が小さくなってしまうなど、ちぐはぐなところもありました。スウィングがずれるのはご愛嬌で可愛かったのですが、男の子は一度に二つのことができないので、歌に集中させてあげたほうが良かったかもしれません。

最後の組曲「星の旋律」は5拍子の曲などもあり、よく最後まで歌いきったと思います。それだけでも十分拍手を送りたいです。2時間30分にも及ぶ演奏会だったので、子供たちもさぞや疲れたことでしょう。もっと構成をシンプルにしてあげたほうが、子供たちの表情がよりリラックスできたかもしれませんね。

終幕後、会場最後尾にあてがわれたOB会の座席付近で、TOKYO FM のステッカーをしていた親子づれのお客さまとお話しができ、カッコイイ団員証などを見せてもらいました。春のTOKYO FMの定演に伺ったことなどをお話ししたところ、お母様から「実はフレーベルに入団させたかったのですが、ホームページがなかったので、きっと幼稚園の推薦とかが必要なんだろうと思い、ホームページに募集のあったTOKYO FMのほうに入団させたんです。」とのお話しを伺いました。

さもありなん、というところでしょうか。


    フレーベルのクラス分け

フレーベルのクラス分けは、現在はB組が幼稚園児、A組が小学校低学年、S組が小学校高学年と、大雑把に言えばそんな感じですが、S組の中の12名が選抜隊という形で、定演の中でも所々で12名だけ出てきたりしていたと思います。台本にS12というような記載がされていました。

もともとS組は、A組の中の選抜隊ということで、かつてはA組セレクトメンバーと呼ばれていました。それがいつしかセレクト組として独立し、さらに近年になってS組と呼ばれるようになったと記憶しています。最近はそのS組からさらにセレクトされたメンバーがおりまして、セレクトのセレクトなわけですが(笑)、まだ名無しのようで、今回はS12という記載になっていたというわけです。Sはスペシャルではなく、セレクトのSなのです。

僕が現役だった時代(紀元前くらいの大昔)は2クラスしかなく、B組は小学校1〜4年生くらいまで、A組が4年生くらい〜中学2年生まででした。まだ幼稚園児は入団資格がありませんでしたから、クラスは大きく2つに分かれていただけでした。年齢で大雑把にわけていましたが、実力で上のクラスに上がる年少者もいれば、年少者の世話ができる5年生くらいのリーダーを敢えてB組に残すようなこともしていて、先生方もいろいろ苦心されて編成を組んでいたように記憶しています。ですので、B組だけで単独の演奏会を行うようなこともあり、年令なりの声を生かした演奏というものも模索されていました。

さらに時代をさかのぼれば、確かJ組が選抜クラスで、その下にA組とB組の2つのクラスを並列して競わせていた時代もあったと聞いています。この辺は当時の元団員に聞いてみないといけませんが、その時代ごとに指導者が苦心した跡がうかがえます。

そうした記録が、残念ながら合唱団には残っていません。(整理された資料がありません)

僕らの時代までは中学2年で卒団することになっていましたが、少なくとも中学1年まで続けないとOB会に入会する資格が得られませんでした。ですが今は子どもたちの体格や環境が変わり、変声期も早く、受験やら何やら忙しいので、中学生になっても合唱を続ける子どもは多くないと聞いています。

ですが、今年ご覧頂いた中で、変声期に入った子どもたちに変声した声で歌わせるシーンがあったと思います。これは野本先生が、変声をしてもまだ歌を続けたい意志がある子どもには、もったいないから合唱を続けたらどうか、という提案により、今回から始めてみたということのようです。

ですので、将来的にはもしかしたら、もう一つ上のクラスができるかもしれませんね。新しい試みに期待したいと思います。

                                                                                                          
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