バーンスタイン作曲 ミサ井上道義指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
平成29(2017)年 7月15日(土) 大阪 フェスティバルホール


 予備知識をほとんど持たずに鑑賞した「バーンスタインのミサ」は、キリスト教の典礼のミサというよりは、反ミサのオペラのような仕立てで、司祭役はバーンスタイン自身であるようなつくりになっていました。この作品の背景には、ベトナム戦争で疲弊した当時のアメリカ社会の混迷やヒッピー文化真っ盛りの時代的なものがあります。音楽的には、ラテン語・英語・日本語等が入り混じっただけでなく、バレエや児童合唱と共に、ロックやブルースなどがあちこちに登場します。演劇的には最後には、司祭自身が儀式用の杯を床に投げつけ、祭壇の飾られた布もはがしてしまい、床に転がって神への不信を訴えるというミサという名の反ミサに唖然としてしまいました。

 司祭役の大山大輔は、最初から最後までほぼ出ずっぱりで、このミサの骨格をつくっていましたが、次々と登場する日本ではかなり高名な声楽家たちもストリート・コーラスの一員という扱いで、贅沢な配置でした。また、児童合唱やボーイ・ソプラノソロの部分だけ取り出して聴けば、なかなか素晴らしい出来で、男子率7割超という日本では珍しいキッズコール OSAKA による児童合唱もよい響きを出していました。児童合唱やボーイ・ソプラノソロの部分は4か所出てきます。第2曲の第一入祭文では、マーチング・バンドに率いられストリートコーラスが上手下手の花道から登場して、ボーイ・ソプラノが中央で歌います。この動きがなかなかよくできていました。第6曲のグローリア 栄光あれは、独得のリズム型が面白く、神への感謝が過去のものになったと歌うところが神の栄光を讃えるのとは真逆になっていました。第12曲のオッフェルトリウムでは、司祭の語りの後、少年合唱・聖歌隊の交唱に手拍子が加わり、高揚感を伴って踊り出すところが動きとして面白かったです。第17曲の平和・聖餐式「シークレット・ソング」では、ボーイ・ソプラノの込山直樹は、透明度の高い声質を生かして、天上よりすべり台を使って下界に下りてきて、白いピアノの上に立って歌うという演出は魅せてくれました。少年は 歌いながら、倒れていたストリートコーラスを一人一人起こしていくところが、この世の崩壊後の救済や復活を表現していたのでしょう。また、たとえミサに描かれたようなキリスト教的世界は否定しても、未来は子ども達に託すしかないということでしょうか。井上道義の指揮はダイナミックで、その身体能力の高さは、指揮だけでなく舞台によじ登るところにまで随所に感じられました。

 このように、視点をもたずにこの作品に接すると、断片的な印象だけが残ってしまいます。一度観ただけでは、全貌を深く理解することはできませんが、バーンスタインが「宗教」「政治」「音楽」を一体として考え、このような破天荒な作品に仕上げたということはできるでしょう。