3 ボーイ・ソプラノの美学

 
(1)消え去ることの美

 1980年代に、アレッド・ジョーンズという「百年に一人」と言われた優れたボーイ・ソプラノがたいへん脚光を浴びました。出身地のイギリスでは、そのCDがプラチナ・ディスクとなり、少し遅れて、アレッド・ジョーンズが変声してから、日本でも、十枚近いCDややビデオが発売されました。その解説書や紹介記事には、アレッド・ジョーンズの歌唱を通して、ボーイ・ソプラノの魅力についても各界の人が、一文を書いています。そこで、それらを参考にしながら、ボーイ・ソプラノの美について、私見を述べていきましょう。
 作曲家の三枝成章は、アレッド・ジョーンズのボーイ・ソプラノを、この喧騒の時代への慰めとなる「静的な心の平安」をもたらしてくれるものとして捉えています。音楽評論家の志摩栄八郎もまた、心が洗われ、しばし、この喧騒な浮世を忘れさせてくれると述べています。
 さらに、漫画家の砂川しげひさは、次のように述べています。
・・・・・月下美人という花がある。ぼくは、アレッド・ジョーンズを聴いて、真っ先にこのはかない花を思い出した。この少年は自ら滅びゆく運命を拒絶して、今の時期をただ美しく、一生懸命咲き誇っていることに感動する。この月明かりに光ることに全力を注ぎ込んでいる短い開花を、「むごい」ととるか「極限の美意識」と捉えるか、人それぞれだろうが、ぼくは絶対後者をとりたい。・・・・・
 また、堀内修は、男がボーイ・ソプラノの声にひかれるのは、永遠に失った少年時代の声に憧れるからという説を、あまりあてにならないとしながら紹介しています。
 私は、ボーイ・ソプラノの美を、ただ可愛らしさだけによるものではないと考えます。それは、「天使の歌声」という言葉に象徴される、清純でストイックな美しさであり、また、同じ高さの声を持つ少女や大人の女には出せない、少年だけが出し得る透明な世界であると考えます。しかし、その時を精一杯生きている少年たちは、おそらく、その本当の美には気付いていません。美は、むしろそれを愛でる人の心の中にあるものではないでしょうか。
 大人は、知っています。自分が成長の過程で失ってきた美しいものがいかに大きいものであったかを。また、人は年齢に係わりなく、聖なるものに対する憧れをもっています。それらが、ボーイ・ソプラノの歌声を聴くときに、心に甦り、現れてきます。ボーイ・ソプラノを聴くとき、心が洗われ、安らぎをもたらすのはそのためではないでしょうか。「癒しの音楽」としてボーイ・ソプラノが脚光を浴びるようになったのは決して偶然ではありません。
 「少年の日は、いま」という合唱曲があります。そのクライマックスに、
「少年の日は、いま、君だけのもの」
という歌詞がありますが、そのようなことに気付いている少年は、どれほどいるでしょうか。もし、自分のボーイ・ソプラノの「美」を誇る少年がいたら、それはむしろ「醜」につながります。何故なら、この資質は、天から、あるいは両親から与えられたものであるからです。謙虚さは、ボーイ・ソプラノを清冽な美しさにします。哲学者のアランは、次のように言っています。
「もし、歌手が一寸でも謙虚さを失ったら、それは、ただの叫び声に過ぎない。」
と。
  同時に、この美は、移ろいすいものです。もし、変声期というものがなければ、ボーイ・ソプラノは、これほどの輝きを見せないのではないでしょうか。消え去るが故に美しいのです。作家の増山のりえは、これを“変声期の残酷で輝きを増す少年たちの聖なる声”という詩的な表現で表しています。このような美意識は、桜花や、初霜の美を愛でる心にも似ています。もし、散らない桜、消えない初霜があったならば、それは、「美」といえるでしょうか。仮にそこに美があったとしても、それは、むしろ、しぶとさや不とう不屈を表すような、また違ったものになるでしょう。

  
(2)  時分の花

 能楽の完成者として知られる世阿弥は、その芸術を論じた「風姿花伝(花伝書)」で芸における生涯教育論を述べています。これは、人間が成長していくそれぞれの段階でいかなる教育をすべきかについて書かれた教育論でもあります。そして、若い頃の芸を「時分の花」という含蓄深い表現で表しています。・例えば十二、三歳の頃は、あまりやかましく言わず伸び伸びとやらせるのがよいといいます。なぜなら、この頃は、だいたい何をやっても可愛いので、それはそれなりに規制せず、舞と謡いという基本だけをしっかり練習することが大切だと言います。ただ物まねは教えないほうがよろしい。というのは、その役柄を評価できる判断力が備わるまで待つべきであるというのです。
 翻って考えれば、つまり、この頃の年齢の芸は、その姿形、声の可愛らしさに依拠しているところが大きく、もし、それが失われたとき、その基盤を失ってしまうので、まだ本当の芸とは言えないということを述べているのです。この考えは、ボーイ・ソプラノとその指導にも通じる考え方と言えるのではないでしょうか。そして、世阿弥は、「マコトの花」が咲くように背伸びをせず土台をしっかりと作るべきだと厳しく言い切っています。

   
 (3)   芸に生きるということ

  「子役は大成しない」という言葉があります。事実、そのようなことが多いようです。最近、「あのスターは今」というようなタイトルで、往年の名子役や、青春スター、あるいは、アイドル歌手が、今何をしているかを追跡したスペシャル番組が不定期に放映されています。すると、たいていが、芸能界を去ったり、無名の一タレントとして細々と生きている姿が写し出されます。別の道で頑張っていたり、平凡な市井の人として平和に暮らしているのなら幸せですが、いつまでも過去の栄光を追い求めているならば、決してその人生は幸せとは言えないでしょう。それだけに、ある意味ではたいへん残酷な番組です。しかし、何故大成しないかを考えてみると、いくつかの理由が挙げられましょう。まず第1に、子役はたいした芸を持っていないのに、可愛らしさによる人気だけが先行することが挙げられます。だが、可愛らしさはいつまでも続くものではないし、年齢によって求められるものは変わってきます。第2に、この人気が曲者です。人気は、文字通り人の気持ちで、移りやすいものです。これらのスターのファン層は、同世代や、中高生が中心です。この時期の好みは変化しやすいものであるだけに、いつまでも人気が続くとは限りません。第3に、自分を深く見つめることができない時期に人気だけが出てしまうと、ついスター意識だけが身について、自分を見失うことになりがちです。これらの理由から、子役は大成しにくいのではないでしょうか。また、実際には、子役をお稽古事としてやっているので、最初から俳優を職業として選択しないというケースも多いでしょう。
   数年前、昭和40年代後半の人気番組だった「○○屋けんちゃん」シリーズの人気子役 宮脇康之の自伝が出版され、またその再現ドラマが放映されて注目されましたが、そこでは人気に溺れ、自分を見失っていた少年スターの姿が克明に描かれていました。また、子どもの人気のため夫婦・兄弟間の絆が切れ、家庭までがもろくも崩壊していた事実までが生々しく告白されていました。暖かい家庭の中ですくすくと成長するけんちゃんの姿に理想の家庭像を見た人もいることでしょう。日本の子役史上最大の人気スターの舞台裏の実態を知り、虚像と実像の落差に愕然としたものです。
 このように、少年俳優から青年俳優になるためには大きな壁があります。その壁の前で少年俳優たちは苦闘するのでしょう。「北の国から」や「男はつらいよ」で子役から青年役までこなした吉岡秀隆は、成功した例の一つでしょうが、やはり、少年期から青年期に移るとき大きな悩みを持って、寅さん役の渥美清に人生と職業について相談したこともあるそうです。
  さて、どの芸術分野においても、「芸に生きる」ということはなみたいていのことではありません。声楽家として、大成するためには、男女を問わず、変声後、歌の勉強と同時に、人間としての勉強を積み重ね、学び続けなければなりません。また、現在の日本では、コンサート活動だけで生きていける声楽家は、きわめて少数です。たいていが、教師を兼務して生きているのが現状です。島田祐子は、その声楽の師、人生の師・柴田睦陸から、次の様な言葉を繰り返し聞かされたと言います。
「歌がとびきりうまくなって、歌手として成功する。しかし、それは小さなことに過ぎない。人間として、大きくなることがなければ、それは歌を習ったことにも、音楽を勉強したことにもならない。」
また、歌は高等な趣味にとどめておいて、別の職業を持ちながら趣味として歌い続ける方が、かえって美しい歌の世界を維持できるかもしれません。そして、そのような道を選んだ人も少なくありません。その選択は、その人の才能と努力と人生観とによります。

   
  (4)  ボーイ・ソプラノの鑑賞

  それでは、ボーイ・ソプラノの鑑賞について、いくつかの切り口から述べてみましょう。先ず、最初は、ボーイ・ソプラノの分類から。

     
 @ ボーイ・ソプラノの分類の必要性

 大人の声、例えばテノールにも、ファルセットをもとにしたカウンター・テノールは別としても、軽い方から重い方へ、レジェーロ、リリコ・レジェーロ、リリコ、リリコ・スピント、ロブスト、ドラマティコ、ヘルデン等と声の質によって分類が行われています。これは、オペラの場合、役柄などとも密接に関係してきます。自分の声にあった歌を歌わないと、その個性を生かすことができないばかりか、喉を痛めることになりかねません。日本声楽界の大御所 五十嵐喜芳のデビューは、、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」のトゥーリドゥですが、後年になって、
「その頃は歌わせてくれたら何でも嬉しくて歌っていたけれども、トゥーリドゥは、自分の声には重すぎて合っていない。」
ということを述べています。  このことは、大人の声だけでなくボーイ・ソプラノにも言えるのではないでしょうか。

   
A ヨーロッパのボーイ・ソプラノの分類

 イギリスBBC放送の合唱指揮者J・H・トーマスは、優秀なボーイ・ソプラノを「聖歌隊員的なもの」と「ソリスト的なもの」の二種類に分けて、前者は、「良い耳、ピッチの正確なセンス、楽譜を正確に読む、音楽の知識、などを十分トレーニングし、本人がそれを吸収できれば、優れた歌手になる」とし、後者は、「本人に強い声と、優れた資質さえあれば、ソリストとして成功する。」「だが、この二種類が合体することは殆どない。」と述べています。そして、その僅かな合体の例として、アレッド・ジョーンズを挙げてます。この発言があった時点ではまだ活躍していなかったコナー・バロウズなども、その例と言えましょう。
  増山のりえは、これを参考にしながらも、これに満足せず、ボーイ・ソプラノのタイプを分類しています。それによると、ボーイ・ソプラノは3つに大別できるといいます。
  第1は、前述した二つを合体したもので、女声ソプラノと同様声が太くて安定しているボーイ・ソプラノです。その代表として、アレッド・ジョーンズの他に、ベジュン・メータや、マックス・エマヌエル・ツェンチッチを挙げています。
  第2は、細く透明で硬質な歌声のボーイ・ソプラノで、イギリスの聖歌隊のトップ・ソリストに多いものです。この声は、女声とは全く異なり、「少年にしか出せない声」である。ドイツやオーストリアの少年合唱団のソリストも、この系列に入りますが、イギリスの少年よりややソフトです。声は細いが歌は総じてうまいのも特徴です。このタイプの代表として、ニコラス・シリトー、アラン・ベルギウスなどを挙げています。
  第3は、「子供っぽいボーイ・ソプラノ」というタイプです。このタイプは「可愛らしい」という印象が強いために、評価が別れます。声質の愛らしさによって特徴づけられるタイプです。このタイプの代表としては、サイモン・ウルフを挙げています。
  当然のことながら、その中間タイプもあり、また、フランスやスペインの「明るく朗々とした輝くようなソプラノ」や旧東欧の合唱団によく見られる「地声発声」のボーイ・ソプラノまで入れると、さらに細分化されるといいます。

B 日本ののボーイ・ソプラノの分類

  それでは、日本のボーイ・ソプラノはこの分類に当てはまるのでしょうか。私がこれまでに聴いた日本のソリストについて考察してみましょう。
 クラシックや童謡・唱歌系の歌唱に絞ってみますと、録音が残っている日本のボーイソプラノと言えば、たいていが元気のよい凛々しさと青竹のような素直さか、あるいは甘みのある可愛らしさがその特徴です。これは、童謡歌唱の影響が大きいと考えられます。前者の代表としては、加賀美一郎、岩瀬寛、福村亮治、神林紘一。後者の代表は岡田孝、岡浩也。これら両方の要素をもっているのに坂本秀明、鈴木賢三郎、小川歩夢が挙げられます。
 これとは、別の系統のヨーロッパと日本の歌唱が融合したタイプとして、林牧人、村上友一、小澤賢哲、小野颯介が挙げられます。最近のTOKYO FM少年合唱団のソリストたちの歌唱は、この系統にあると言えましょう。
 また、20世紀の終わりごろから、日本でも純粋なヨーロッパ系の希少な歌声をもつ少年が現れてきました。東京少年少女合唱隊の隊員の水谷任佑(フォーレの「レクイエム」のソロをCDに残しています。声はややアルト系)、横須賀芸術劇場少年少女合唱団の秋山直輝、フレーベル少年合唱団の栗原一朗、大垣少年合唱団の松野孝昌が、この系列にあげられるでしょう。

 また、歌謡曲の系統には、唱歌に近い大慶太から、妖艶なナルまで幅広くいます。最近ではロック系、フォーク系、J−POP系、ミュージカル系(これにはいろいろなタイプがある)等といろんなタイプのボーイ・ソプラノがいますので、声質だけでの分類が難しくなってきました。

  さて、結論として、増山のりえは、「どの少年の声に惚れ込むか」という個人的な価値判断が一番重要で、その上で、できるだけ多くのボーイ・ソプラノを聞き込んで耳を肥やすことが何より大切であると結んでいます。確かに、マニアックなファンにとっては、声の分類もボーイ・ソプラノを聴く楽しみの一つでありましょう。しかし、より大切なことは、自分の好きなタイプの声や歌を見つけることです。この点に関して、私は、増山のりえと同意見です。このような考え方は、他の音楽、いや芸術すべてに通じることです。

                                              (この節続く)
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