ボーイズ・エコー・宝塚
宝塚にある少年合唱団、「ボーイズエコー宝塚」の団員一人一人がソロを歌う「のど自慢大会」に出かけた。今年3月に定期演奏会を聴きこの合唱団に興味をもったのがきっかけだ。この時のメンバーは約20名。内半分が1年生で演奏レベルはそれほど高くないものの何か自分を惹きつけるものがあった。1年生にしっかりした声の子が二人いてどう成長しているかが楽しみだった。
のど自慢大会は22名の団員が参加して行われた。さすがと思わせる上級生もいれば音がはずれる、歌詞を忘れたのか歌えない下級生もいて希望者が集まった合唱団とはいえレベルの差が著しい。そんな中で自分の楽しみにしていた二人の現2年生は予想以上の出来だった。一人はソプラノで「気球に乗ってどこまでも」を歌って1位になった。この子は一見大人しそうだが芯はしっかりしている感じ。もう一人は「大空讃歌」を歌ったアルトで2年生に似合わず響きのある強い声を聴かせてくれた。この子はエネルギッシュな感じ。3月の演奏会ではもう少しシャキッとした態度ができればと思ったがいい感じになった。自分の目に狂いはなかったと自己満足を味わった。
のど自慢が終わり、トイレタイムの後に何曲か合唱を聴かせてくれた。先ほどのソロと違いそれなりの出来だ。指導の中安先生の話によるこの「のど自慢」の目的は一人一人にソロを歌うことを通して度胸をつける、みんなで歌うことと一人で歌うことの違いを肌で感じてもらうことだとのこと。ソロを歌うということは、歌が好きでも想像以上のプレッシャーがあるのだろう。その意味で特に下級生の団員にはこの日の体験をプラスの方向に転じ、よりよい歌を歌って欲しい。プレッシャーに打ち勝つのは自分自身との戦いなのだ。これを乗り越えることでよりよい演奏ができるのだ。ボーイズエコーの演奏を聴いて心を慰められる人が少なからずいることを知って欲しい。
(平成15年8月27日)
11月3日、10時30分頃、雨の降る中をベガホールに到着した。入場料300円也を払って前方右端の席へ座った。ホールは想像以上に立派なので驚く。宝塚市が文化を大切にしようという気概が伝わってきた。女声コーラスが4団体続いた後、いよいよボーイズエコー宝塚の登場だ。メンバーは20人。整列したところで女子中学生の団体が前の方の席に置いた荷物を取りに入ってきてざわついたが、指揮の中安先生は冷静に静まるのを待った。それを見て「大丈夫。いい演奏ができる。」そう確信した。先ず8月の「のど自慢」で1位になった2年生が「おいしいホットケーキとアイスクリームを召し上がれ」と挨拶。続いて「ホットケーキ飛んだ」と「アイスクリームの歌」が演奏された。次に竹内弟君の「空の旅を楽しんでください」の挨拶に続いて「気球にのってどこまでも」と「翼を広げて」が演奏された。竹内君は、挨拶が終わってひな壇に戻るとき、こけて一瞬ひやっとさせたが大丈夫。3月には一番前の列で歌っていたのが考えられないぐらい堂々とした感じになった。挨拶した二人は3月の段階で注目していたが期待通りに伸びてきた。演奏はメンバー全員が姿勢よく力を合わせ一生懸命歌っているのが伝わってきた。欲を言えばもう少し楽しそうな顔で歌えるとよいが「のど自慢」の時、心配な子が何人もいたことを考えれば上出来といってよい。ここまでもってきた指導者の苦労は並大抵でなかったろう。ホールの外で解散するメンバーに「今日は、かっこよかったよ」と声をかけた。「猫かぶるのがうまくて」とのことだがそれができるのも能力の一つと考えよう。本当にかっこよく歌えたのだから。「特に先生方に苦労をかけている下級生諸君。6年生が終わるまで歌い続けて、『立派になったね』とまわりの人に言われるようにがんばれよ。」必要な時に猫をかぶれる君たちへのメッセージである。
(平成15年11月3日)
子どもたちの力 ― 宝塚ニューイヤーコンサート ― |
1月11日(日)羽田を朝7時発の便で伊丹着、そこから清荒神、売布神社、手塚治虫資料館を見学した。この話だけでもかなり書けるがそれは別の場所で発表することにして本題に入ろう。
1時40分の時点でべガホールは観客でにぎわっていた。舞台には今年の干支である申を使った舞台装飾がありニューイヤーの雰囲気が出ていた。開演するとまずは千吉音頭子供会による千吉音頭の演奏だ。子どもたちが入場し床に置いてあったマイクを取り上げた男の子が歌い始めた。ボーイズ・エコーの稲垣君に似ているなと思ったらそれもそのはず本人だった。舞台をよく見ると他にもボーイズ・エコーのメンバーが歌っていた。友情出演なのだろう。稲垣君の声はますます磨きがかかってきた。日本の民謡を好んで聴くことはあまりないがボーイソプラノが歌うと新鮮に感じる。堂々と歌う稲垣君にさわやかな印象を感じた。
5番目にボーイズ・エコーが入場してきた。ひな壇で一人こけたが無事。前回も似たようなことがあったことを思い出した。整列したところで人数を数えた。19名、一人減ったかと思ったが稲垣君が挨拶のため離れた場所にいた。11月と人数が変わっていないことでほっとする。稲垣君の「明けましておめでとうございます」で始まる挨拶はマイクを使わなくてもよく通る。
曲名は「くいしんぼうのカレンダー」「世界がひとつになるまで」「青い空は」の3曲だ。
「くいしんぼう」は始めて聴く曲でうぐいす餅や栗鹿子など季節の和菓子を歌にしたものだ。聴く方も歌詞をしっかり味わいたいものだ。静かに歌うのを聴きながら11月に聴いたボーイズエコーと違うと思った。あの時は小学校低学年の歌という感じだったが上級生の歌声に変わっていたからだ。次の「世界が一つになるまで」でその思いを強くした。「青い空は」は稲垣君と森本君の声が光りそれを支えるメンバーの声が調和のあるハーモニーを創り出した。夏の『のど自慢』を思えば考えられない進歩だ。ここまでもってきた中安、辻両先生の計り知れない力量と情熱を感じた。「諦めるな。子どもには無限の力がある。」そう語りかけてくるような合唱だった。
全員合唱の「アイーダ」と「ラデッキー行進曲」はボーイズのメンバーもしっかり声が出ていた。すごく進歩していてうれしくなった。
終演後、中保先生に会うと気のせいか顔色がよかった。今日は手応えを感じたのだろう。定期演奏会は期待しています。そう思って会場を後にした。
帰京して間もなくOBの西田君からメールが来た。「ぼくに気がつきましたか」と素敵な笑顔の写真を送ってくれた。ボーイズエコー宝塚をこれからも応援しよう。その思いを深くした。たった10分ほどの演奏を聴きに出かけることは他の合唱団ではあり得ない。そんな自分を東京から足を運ばせる力が君たちにはあるのだよ。
心温まる合唱 第19回ボーイズ・エコー・宝塚定期演奏会
2004年3月21日 |
先ず、自分のハンドルネーム「道楽さん」について数名から問い合わせがあったので書いてみる。人は「人生」という人の道を歩いている。この道は苦労が多い。この苦労を楽しむようになりたい。道を楽しもうということで「道楽」なのである。とはいってもなかなか思うようにいかないがそれも人生と割り切るようにしている。
伊丹空港からモノレールに乗り蛍池で阪急宝塚線に乗り換えるのにはすっかり慣れた。阪急電車はいつ乗っても落ち着きがある。この沿線を訪ねるのはけっこう楽しみで時間があればゆっくり歩いてみたいと思う。おばやし小林駅に降りて西公民館併設の図書館でしばし時間をつぶす。開場時間が近づき入口に行くと「ボーイソプラノの館」の館長さん(後は館長さんと略す)がいらしたので挨拶し話をしているとOBの西田君が来た。メールをやり取りしたことはあるが会うのは初めてなので初対面の挨拶をする。今日は手伝いがあるそうだ。ここ宝塚で次第に顔なじみの人が増えてきたのはうれしいことだ。開場になり名前を書くときに来賓の名簿に書くよう勧められたのでそのようにした。客席に座ると保護者の方から「子どもたちに一言メッセージをお願いします」と頼まれたので軽い気持ちで引き受けた。
プログラムを紹介しよう。
団歌「ボーイズエコー宝塚」の歌
ぼくたちの好きな歌
1.
大きな古時計
2. 切手のないおくりもの
3. すみれの花咲く頃
4. ひょっこりひょうたん島
5.
少年時代
大空に向かって
1. ぼくはひこうき
2. つばさを広げて
3. 気球に乗ってどこまでも
4.
にじを歌って
5. うちゅうのうた
6. 星物語
7.
見上げてごらん夜の星を
8. 大空讃歌
9. 太陽のマーチ(ラデッキー・マーチ)
おやつタイム
1.
おなかのへる歌
2. ふしぎなポケット
3. チョコレートの歌
4. ホットケーキとんだ
5. くいしんぼうのカレンダー
6.
アイスクリームの歌
ぼくたちからのメッセージ
1.
世界がひとつになるまで
2. さとうきび畑
3. 折鶴
4. 青い空は
5. しあわせはこべるように
6.
世界に一つだけの花
さようなら
時間になりメンバーが整列した所で「団歌」が始まった。指揮は寺本君、伴奏は有留君。ゆっくり目の演奏でその分、メンバーの声がしっかり出ていた。終わって中安先生、辻先生が出てきて本番の始まりだ。「ぼくたちの好きな歌」はまずまずの出来。期待していた「少年時代」は新しく加わった曲ということでまだ自分たちのものにできていない。もう少し静かに歌った方がこの歌のよさが伝わるだろう。時間をかけて練習し、またプログラムに入れて欲しい。2部の「大空に向かって」はジャケットを脱いでの合唱だ。ここから本調子になった。昨年はライト兄弟が初飛行に成功してからちょうど100年とのことでプログラムに入れたそうだ。「ぼくはひこうき」は3人が飛行機の振りを見せてくれた。次の「つばさを広げて」「気球に乗ってどこまでも」は11月にもベガホールで聴いた。そのときよりうまくなっている。ステージで観客を前に歌った曲はメンバー一人一人のものになっている。観客を前にして演奏することは貴重な財産になる。「うちゅうの歌」は5年生3人がソロを聴かせてくれた。落ち着いて歌う3人を見て来年度も楽しみになった。ボーイズ・エコーは他の少年合唱団に比べいろいろな子がソロを歌うのが特徴だ。夏の「のど自慢大会」が今回の演奏にいかされているのがわかる。「星物語」はボーイズ・エコーのレパートリーになった感じだ。今回はソロなしだがこれもいいものだ。2部で印象に残ったのは竹内玲君の「見上げてごらん。夜の星を」だ。声変わりした竹内君はしっかりした音程で静かに歌った。6年生でこの曲の特徴を掴んでいるのはさすがだ。無理な発声をすることなく歌えているのは中安、辻両先生の指導の結果だろう。弟の郁君はじめ下級生のメンバーがコーラスをつけるのも心が暖まった。声変わりしてもやめることなく団長を続けた竹内君に心から拍手を送った。次の「大空讃歌」はアルトが頑張り過ぎソプラノが目立たなかった。もしかしたらアルトの子たちはこの曲の特訓を受けその成果かなと思う。「太陽のマーチ」はニューイヤーコンサートでも元気に歌えたが今回もしっかり声が出ていた。下級生のだれかに観客への手拍子の指揮をやらせたらおもろしろいだろう。
休憩後、宝塚市教育委員会、館長さんの挨拶が続き最後に自分がスピーチした。舞台に上がるとは思っていなかったので少々あせったが無事終了。客席がほぼ満席なのでうれしくなった。
次の「おやつタイム」は歌う前に「なんだかおなかがすいたなあ」とか「おかあさんの作ってくれたホットケーキが一番だ」など簡単なスピーチがあった。こういう言葉は歌へのイメージを深めてくれる。自分も「ビスケットはこの何年間も食べてないな」とか「季節に合った和菓子はいいな」とお菓子のことをあれこれ思った。和菓子といえば贔屓にしている和菓子屋の主人が「若い人が来ない」と嘆いていた。何年か前にかのこ鹿子やきみしぐれ、きんつばなどの和菓子を知らない若い人がいるのを知った。かのこ鹿子をボーフラと勘違いしていた人もいて驚いた。「くいしんぼうのカレンダー」に出てくる和菓子がわからなかったら味わってみることだ。そうでないとこの歌を聴いてもなんのことだかわからないだろう。話がそれた。本題にもどろう。次の「ぼくたちからのメッセージ」に移るに前に稲垣君が平和で安全な世界を願うスピーチをした。素朴な話し方だが心に染みた。「世界がひとつになるまで」は、ハーモニーきれいになった。曲によってはばらけた感じがあったがこれは全員の心が一つになっているように感じた。この感じは最後の「しあわせはこべるように」まで続いた。ボーイズ・エコーは歌を通して命の大切さを学びそれを訴えることができる合唱団だ。特に阪神淡路大震災の犠牲になった人々に捧げる「しあわせはこべるように」でそれを感じた。歌声が自分の心になにかを語りかけてくるようだ。他の団体の演奏を聴いてこのような気持ちになれるだろうかと思う。これからも歌い続けて欲しい曲の一つである。
「世界に一つだけの花」を観客、保護者全員で歌った後、団長の竹内君がお礼の挨拶をし新団長の稲垣君とバトンタッチの握手をした。「ボーイズ・エコーを一つにまとめていきます」と話す稲垣君は張り切っている。来年度は3名の6年生を中心に3年生の成長が期待できるのでよりすばらしい合唱になりそうだ。来年の第20回定期演奏会が今から楽しみになった。最後に「さようなら」を歌いながらメンバーが客席左右に分かれて降りていき「きょうのよき日」を歌って終了した。
演奏会が終わり中安先生、辻先生に挨拶すると緊張が解け、舞台で転げまわっている数名の下級生を見ながら「練習していて本当にどうなることかと思いました。」とホッとした表情で応えてくださった。「本番に強いということだろうけど先生たちを心配させないように練習しようよ。もっとうまくなれる力があるから。」そう言いたくなった。それでも、昨年開場前に数名がきゃーきゃー騒ぎながら走りまわっていることを考えれば、マナーは少しずつよくなっているのだろう。この後、館長さんに池田の町を案内していただき町歩きができたのは楽しかった。近いうちまた訪問しようと思わせる町並みだった。阪急宝塚線沿線への興味が更に深まった。
自分も歌ってみたくなりました ボーイズ・エコー宝塚の練習風景 |
4月28日(水)に休暇が取れたので大阪へ赴いた。大阪での用事は1時過ぎに終わったので宝塚小学校を訪れ飛び込みでボーイズ・エコーの練習を見学させていただいた。6年生が遠足でいないとのことで少々残念だが見学できるだけありがたい。この日参加していたのは2,3,4年生で10名。ピアノの音に合わせて「ハヒフヘハヒフヘホ」と発声練習。次はピアノなしで「パピプペパピプペポ」と声を出す。辻先生から「お腹に力の入っていない人がいる」「爆発させるような感じ」「A君、よく響いてる」と声がかかる。鼻をつまんで行う発声練習の時に「ハナクソが痛い」という声がする。思わず笑いそうになる言葉だ。「ラリルレラリルレロ」では「お盆に載せて上へあげる感じ」とアドバイスだ。「こわい声にしない。変な声の子がいる。やり直し」自分が発声したらなんといわれるかなと思いつつ辻先生の言葉のイメージで頭の中で発声してみた。「右手を口の近くに置いてみて。声届いてますか」試しに声に出さずにやってみると腹から息を吐かないと手に届かないことがわかった。自分も次第に辻先生の話に引き込まれた。適切なアドバイスをしながらも落ち着かないB君に「うちの子じゃないって顔するよ」と厳しい言葉も入る。練習を続けるうち遠足から帰ってきた団長のC君が入ってきた。どこかの遺跡を見学し解散してすぐやって来たとのことで団長としての気概を感じた。
発声の後は「クラリネットをこわしちゃった」の楽譜が配られた。今日はこの曲の練習だ。知っている子が多そうだが一気に歌わず最初の「ぼくのだいすきなクラリネット」の部分だけを繰り返し歌う。このような感じで少しずつ繰り返しながら先に進んでいく。飽きてきて落ち着かなくなってきた下級生の間に年上の子を入れて練習は続く。「B君、先生の所へ来なさい」辻先生が落ち着かないB君を自分のそばに招いた。「なんでえ?」といいながらもB君は辻先生のそばに行った。練習は「どうしよう おー」の部分に入った。「『おー』は『オー マイ ゴッド』のおーです」「『おー』が下手です。」「困ったときの『おー』は強くいいません」「『オーパキャマラド』の『オー』は喧嘩に行く『おー』ではありません」そのようなことを意識したことはなかったので「そうか」とうなずく。一見簡単にみえる曲でも音楽は奥深い。「『クラリネット』の部分は息継ぎに気をつけて。『クラ、リネット』になってる人がいます」「『オーパキャマラド』はゆっくりやるように」「『オーパキャララド』になってる子がいる」「クラリネットがこわれた歌です。のどがこわれている人が一人います」教わる方も大変だろうが教える方はその倍以上大変だ。疲れてきたのか腹這いになる子が3人ほど出たがもちろん注意されすぐ直す。辻先生のそばにいたB君もいつのまにか落ち着いた表情になっていた。パート練習を何回かやった後「1番、2番、3番通しでいきます」の先生の声に「無理だ」の声があがったが「がんばろう」ということで演奏開始。まずまずの出来で なんだかんだ言ってもさすがに合唱団だ。「『こら』が元気です。」中安先生からの一言だ。
練習が一段落すると「クラリネットをこわしちゃった」は以前、ある、おかあさんにクラリネットを吹いて貰い歌った話が紹介された。この曲はクラリネットの生演奏があるかないかで違うのだ。続いて先の「花とみどりのフェスティバル」での辻先生の友だちのボーイズ・エコーに関する感想がいくつか紹介された。「言葉がはっきりしていた。」「子どもたちが楽しそうに歌っていた」とのことだ。その時歌った曲を特別に披露してくれた。「おー 牧場はみどり」「象だぞう」「丹波の天狗」の3曲だ。「おー 牧場はみどり」でC君とともにハイソプラノを歌った4年生のD君の声に注目した。3曲の中では言葉遊びのような「象だぞう」がよかった。いつもの半分の人数だがしっかり声がでていた。3月の定期演奏会の曲でなく新しい曲を発表したことに日々前進していく姿勢を感じると同時にメンバーがたのもしく思えた。「だれが一番うまかった?」との質問に「合唱はみんなでやるものだから」という意味のことを答えておく。合唱はアンサンブルのよさが魅力で一人二人うまくてもなあと考えているからだ。キョロキョロして頭が動く子が数名いたので「ふだんから しっかりしてないと舞台ではうまくできない。」旨を追加すると「ほら、言われた。」と中安先生。思うことは皆同じだ。川崎から転校してきた4年生のE君がきちんと座っていた。聞けば東京の某合唱団(男子は3名)に入っていてインターネットでボーイズ・エコーのことを知り楽しみにしていたとのことだ。きちんとした態度を一部のメンバーが見習ってくれればと思う。
その後、「花とみどりのフェスティバル」で家の人からの感想を出し合った。「うまかった。」「口がしっかり動いていた。」などが出る反面「何もいわれなかった」という子もけっこういた。「よそで歌ったら、どうだったか聞いてください。」と辻先生。「保護者がよい所とそうでない所を評価をしてあげた方が励みになる。」これは自分の意見だ。「終わってからどうしましたか。」の質問には「ラーメン食べた。」「マックに寄った。」「遊具で遊んで頭を打った。」など食べ物の話題が多くでたがなにか違う感じだ。子どもへの問いかけは難しいものだ。辻先生はだんじりを話題にしてF君のおかあさんが自分の住んでいる地域にはないのでうらやましかったこと、知り合いのおじいさんが子どもの頃、おそろいのハッピが着れてうれしかったことを紹介した。子どもたちは特に興味をもった様子はなかったが自分は興味をもちそのだんじりを見てみたくなった。
最後にこれから歌ってみたい曲を聞かれると定期演奏会で歌った曲がたくさん出た。練習を積んだ曲は愛着があるのだろう。新しい曲で「さくら」も出たがこれは合唱曲にするのは難しそう。約1時間30分の練習だが密度は濃い。この練習風景を見学し、もし自分が小学生だったら入ってみようと思うだろう。それだけの魅力があるのだ。
これで帰京するつもりでいたが甲子園球場に行くと、当日券が取れたので阪神・横浜の試合を観戦して大阪で1泊。翌日はここまで来たのだからと高槻へ行き 高槻少年少女合唱団の定期演奏会に出演する桃太郎少年合唱団を聴き、大満足で帰京した。
最後に
自分はタイガースファンである。甲子園球場の独特の雰囲気はなんともいえない魅力がある。この夜は観戦後、ホテル阪神に宿泊。バーのスタッフとタイガースのことで話が弾んだ。次の日、昼食を食べた高槻の寿司屋でタイガースファンのご主人と盛り上がった。ふだんなら飲み物を追加してしばらく歓談するが高槻少年少女合唱団の定期演奏会のため切り上げた。桃太郎少年合唱団は昨年の定期演奏会よりメリハリがついたように感じた。
今シーズンも楽しみなボーイズ・エコー宝塚 宝塚合唱交歓会 2004年7月18日 |
空港行きのバスが蒲田駅前を出発したのは11時15分、後から乗り込んできたお客に空港までの所要時間を尋ねられた運転手が「32分です」と答えるのを聞いて「やばい」と思う。飛行機は12時発、搭乗手続きは15分前の11時45分まで。間に合わないとあせるがバスに委ねるしかない。出発してすぐの京急線の踏切で3分ほど足止めをくらったが道が空いておりターミナルビルには11時43分に到着。搭乗手続きはぎりぎり間に合った。ボディチェックを受け15番ゲートに行くとすでに搭乗が始まっていた。B744の機内はがら空きでこれでは赤字と心配になる。席は62K窓際で翼の機体番号JA8960をメモ。離陸後揺れはあったが機内サービスは行われコーヒーを注文。イヤホーンで馬風と米朝の落語を聞きながら過ごす。伊勢湾上空を過ぎる頃うたた寝してしまい目覚めたら伊丹空港の滑走路に着陸する寸前。短い睡眠時間だったが頭はすっきりした。空港からいつものようにモノレールに乗り蛍池下車。駅ビルの中でマグロソテーとほうれん草のついたカレーライスで昼食後、13時43分発の阪急普通電車で清荒神下車。何回も来ていると「ちょっとそこまで」の感覚になってしまう。
べガホールに着いたのは2時過ぎ、舞台に立っている合唱団の様子はロビーからモニターテレビで見ることができるので演奏が終わって退場する間に客席に入った。
ボーイズ・エコー宝塚は本日17名、野球の試合や家族旅行で6名が欠席とのことだ。ミッキーマウスの顔がプリントされた白いTシャツに同色の半ズボン、白ハイソックスの夏服を見るのは初めてですっきりした印象だ。ミッキーマウスでなくアトムや火の鳥など手塚治虫のキャラクターにしたほうがこの合唱団には似合うだろう。
今日は並木君が挨拶担当で「先ず楽しい曲を歌います」に続いて「クラリネットをこわしちゃった」と「象だぞう」の演奏だ。2曲とも4月に練習を聴いている。「クラリネットをこわしちゃった」は「どうしよう、おー」の「おー」は全員で歌い弱い声で歌い困った感じを表していた。はっきりした「おー」で困った感じを出せれば満点で今後に期待。この部分はソロでやってみると面白いだろう。前奏のドレミファソラシはクラリネットでやると雰囲気が出るがピアノだと感じが出ない。この部分は省略してもよかった。「象だぞう」は楽しい仕上がりを証明するように隣の幼児が一緒に口ずさんでいた。次に「心を込めて歌います」の言葉に続いて「歌声のメッセージ」「歌に願いを」が演奏された。はっきり声が出ていて17名という人数の少なさは感じずきれいにまとまった合唱に仕上がった。「心を込めた合唱」はボーイズ・エコーのテーマで今回も十分伝わった。
演奏が終わってロビーに出ると館長さんに出会った。
「やはり、いらしたんですか。」
の言葉に
「来るなと言われても来ます」
と答えた。翌日は東京でTFBCも出演するレーゲンスブルグ大聖堂少年合唱団の演奏会がある。時間の制約上、出かけるのは今日か明日かどちらか一つだが今日のボーイズ・エコーを選んだ。来てよかったと感じる歌が聴けて満足した。館長さんといっしょに中安先生のところへ挨拶に行くと「今日は、保護者から電話があるたび、欠席じゃないかと冷や冷やしてました。」と話された。予定人数は揃ったのでほっとしていることだろう。話している横を新人の幼稚園児A君が通り過ぎた。年の割にしっかりしているそうで舞台でも一生懸命歌っているのがわかった。4月に転校してきた4年生のB君もすっかり慣れた感じで伸び伸びと歌っていたし今シーズンも期待できそうだ。中安先生に別れの挨拶をして館長さんと池田にある老舗のうどん屋に行き歓談した。
地域に貢献するボーイズ・エコー宝塚 ソリオ北のフェスティバル出演 |
2004年10月30日
今回、書き続けてきた秋のツアーの始まりは宝塚での千吉音頭だった。終わりは同じく宝塚でのボーイズ・エコー宝塚だった。話を遡らせて千吉音頭について書いてみよう。
10月30日(土)に宝塚駅前の商業ビル、ソリオきたを訪れた。当地にある少年合唱団ボーイズ・エコー宝塚のメンバーの一部も参加する「千吉音頭」に興味をもち、同合唱団のOBであるN君にその旨を話したら地図付きのメールを送ってくれた。このメールはかなり時間がかかったはずでN君でなければ作ってもらえなかっただろう。夜は広島少年合唱隊の定期演奏会だが宝塚にはぜひ寄らねばと旅立った。
いつものように伊丹空港に到着後、阪急電車で宝塚着。地図のおかげで迷わずソリオきたの場所を確かめた。今回の千吉音頭は「橋上駅舎を作る」運動に関するイベントの一環と知る。時間に余裕があるが雨模様で散策する気になれず近くの小さな喫茶店に入りコーヒーを飲みながら朝刊に目を通しつつ時間を潰す。年輩のマスターが一人で仕切っている落ち着いた雰囲気の店でこういう場所が珍しくなりつつあるのは残念だ。店内にはクラシック音楽が静かに流れていて音質がいい。帰り際、スピーカーのメーカーを尋ねると「有線局がつけていったのでわかりません。」とすまなそうな答えが返ってきた。有線局というのも久しぶりに聞く言葉で古い商店街なのだと思う。ソリオにもどってウインドショッピングをしているとN君を見つけたので声をかける。「中安先生が探してましたよ」というのでそちらへ行くと先生がいらしたのでご挨拶。「ここは宝塚駅前なのに人が少ないでしょう」と言われてそういえば閑散としているなと思う。JR宝塚駅からここへ来るには歩道橋を昇らなければならない。昇って左へ行けばソリオきただが右方向の阪急宝塚駅へ目がいってしまい北へは足が向きにくい。人は温泉や劇場のある南へ自然に足が向くのだ。橋上駅舎設置を望む理由がわかった。宝塚には何度か来ているがいつも阪急を利用するのでこういう運動があることを初めて知った。イベントの前に市長の挨拶もあったから宝塚市として大切な問題だというのも認識した。挨拶が終わると千吉音頭の始まりだ。ボーイズ・エコーの団長でもあるA君のソロはいつもながらよく通る。声にも張りがでてきてボーイソプラノとしては今が一番良い時かもしれない。歌はA君の他、3名の女の子が順番に歌う。ボーイズ・エコーからも他に3名が合いの手で歌っていた。これに踊り手が10名、酒樽をたたく子が7名で、にぎやかに演じる。雨模様で外は暗いがこの一画だけは明るい雰囲気だ。千吉音頭の由来は昔、川面(地元の町の名前)で火事が多かったためそれを鎮めようと千吉神社に納めたのが始まりだそうだ。今でも毎年8月19日に千吉神社に奉納されるそうで都合をつけて見に来ようと思う。千吉音頭についてはN君のサイト「The ボーイズ」に載っているので一読をお勧めする。中安先生から千吉音頭の楽譜を頂いたので歌詞を紹介しよう。一時、廃れていたのを中安先生が採譜をして復活させたことを付け加えておく。
@
知らぬ他所から今きてうたうよ 合うも合わぬもゆるさせと 若衆
A 川面 若い衆 囃子を頼むよ 囃子がなければ音頭がとれぬ
B
親が見たけりゃ中山のお寺よ 五百羅漢の堂にござる
C 大工雇うなら小浜の大工よ 朝は早よ来て夜おそくしまう
D
宝塚よいとこ 一度はおいでよ いで湯 歌劇に歌の町
E ここは山本 植木の名所よ 植えておかしや 五葉の松
F
清荒神 中山寺 千吉の稲荷に一度参れば千の福
G
川面のみなさん やぐらの下で 老いも若きも陽気に踊れ
この歌に地元のことが集約されており、近々当地を訪問して見ようと思う。ゆっくりしたいが中安先生とN君に挨拶をして広島へ向かった。
ソリオ北での千吉踊り
たたくのが難しい太鼓
2004年 12月5日
話を12月にもどそう。北九州少年合唱隊の定期演奏会翌日である。ホテルでバイキング朝食をしっかり食べてチェックアウト。御堂筋線江坂駅から新大阪経由で宝塚に向かう。この日は宝塚で『補助犬シンポジウム』が開催されておりそれにボーイズ・エコー宝塚が出演するのだ。JR東日本のICカードスイカ(改札口をスイスイ通れるカードが名前の由来)がJR西日本(イコカの方がわかりやすい)でも使えるのは便利だ。乗り継ぎがよく思ったより早く宝塚駅に到着。橋を昇ってソリオきたに行くがひっそりしている。「そうだ。南だった」とそちらへ行くとシンポジウムのプラカードが出ていた。きたに比べこちらのソリオは華やかだ。プラカードのそばにいた係員に場所を尋ねると親切にエスカレーターまで案内してくれ「4階です」と教えてくれた。
ホール内に座り演劇、吹奏楽を鑑賞。終わるとボーイズ・エコー宝塚の登場だ。今日のプログラムは『歌のメリーゴーランド』『世界中の子どもたちが』『鉄腕アトム』『山寺のおしょうさん』『しあわせはこべるように』の5曲。ボーイズ・エコーの歌声を聴くとなぜか家に帰ってきたような安らぎを覚える。1曲目はリズミカルに、2曲目は「覚えるのが難しかったけどがんばりました」という手話を入れて、3曲目は元気に、4曲目は高音と低音をバランスよくというようにそれぞれ曲の特徴を捕らえての合唱だった。十八番の5曲目はいつ聴いてもしっかり決まる。今年のボーイズ・エコーは舞台で歌うのに慣れたのか、余裕が出てきて安心して見ていられるようになった。ただ靴のかかとを踏んでいる団員がいるのはよくない。ステージが終わり通路に出るとN君を見つけたので声をかける。ロビーで二人して団員を待つが来ない。そこへA君のおかあさんがいらして控え室へ案内してくださった。これからニューイヤーコンサートの練習をするそうだ。控え室は二間の和室で一方は保護者の方々が、もう一方にボーイズ・エコーがいて主催者である某新聞社の社員が挨拶している。ここでも一部の子が話しを聞いているのかどうかわからない態度で落ち着きがない。中安先生から一言お願いしますと頼まれ「見ている人にかっこよく見せるにはどうしますか?」と質問。2年生のC君が真っ先に手を挙げ(落ち着きのない一人)「指揮を見て姿勢良く歌う」と答えた。多分、いつも言われているのだろう。続いてN君が「歌っている最中、靴下を直している子がいる」と話すと「おまえだろう」と言う声がした。なんだかんだ言っても話は聞いているようだ。「ならきちんとした態度をしなさい。」と言いたい。この課題を乗り切ればもっといい合唱ができるはずだ。午後に紙風船といっしょに歌う『翼をください』とニューイヤーで歌う『花祭り』の練習も一部のメンバーが集中しているように見えない。そんな中でA君が大きな歌声で正しくリードしているのが頼もしく感じた。辻先生の説明をメモしていたらC君が後を向いているので辻先生の方を向くよう注意したら新聞社から記念にもらったボールペンの入った箱を出して「これ土産にあげるよ」と言った。大切なものをもらうわけにはいかないので断ると私の手にしているボールペンを指さして「これあげるから、それをちょうだい」と言う。限定品のモンブランをあげるわけにはいかない。すると「そっちでもいいよ」と上着の胸ポケットに差してある別のモンブランを指さした。「おぬし、なかなかやるな。隅に置けないね。」そう思った。見るべき物はしっかり見ているC君の慧眼にある意味感心した。その気になれば向上しそうだ。がんばれ。ここで昼食休憩になったので町へ出た。9月に見つけた屋久杉で作った家具を扱っている店で欲しいなと思うテーブルを見て品定め。結論は先延ばしにして杉で作った杯を購入。これは日本酒をおいしく飲める逸品だった。続いて前回は工事中で断念した宝塚温泉の浴場で一浴び。少年合唱団がある町で温泉を有するのはここ宝塚だけだろう。
会場に戻って補助犬シンポジウムを聞く。現場最前線の人たちの話はとても勉強になった。続いて紙風船のコンサート。このジャンルは疎く初めて聞く名前だがレパートリーの一つ『冬が来る前に』だけは聴いたことがある。自分としてはマイクを通した歌声に馴染めないがまわりの観客は楽しそうに聴いていた。ボーイズ・エコーの登場は最後。客席にばらばらに座って待つのは気の毒で主催者側の配慮のなさを感じた。出演してもらう以上、きちんと控え場所を準備すべきだ。ステージにあがった子どもたちを見て隣の女性が「エコー、ああ合唱団だったんだ。エコ活動をしているのかと思った」と一言。「関西唯一の少年合唱団の名前を覚えてください」とお願いした。少なくとも地元の知名度は上げたいものだ。紙風船との『翼をください』は無事終了。続いて身体障害者シンポジウムアピール文の発表をA君が行う。いつもながらA君は落ち着いて堂々と話す。大勢の人を前にしてこの落ち着きはどこから出るのか一度教えて欲しいと思う。すべてが終了し会場を出ると5時近くなっており予約してある6時発のANA東京行きの時間が迫っていた。中安先生とN君に手短に挨拶し伊丹空港に着くと5時45分。「ぎりぎりだ」と思いつつ機械にチケットを入れると30分遅れの表示が出てきてほっとする。わかっていればもう少し宝塚でゆっくりできた。聞けばこの日、関東地方は風が強くて飛行機のダイヤが乱れているとのことだった。秋の少年合唱ツアーはこれで終わり。宝塚に始まり宝塚に終わったのはなにかの縁だろう。「ボーイズ・エコー宝塚のみなさんへ。きょうは1日仕事でお疲れさまでした。地域のいろいろなイベントに協力していることを知りました。再会を楽しみにしています。」この場を借りてメッセージを送ろう。
成長が見られるボーイズ・エコー宝塚
第22回宝塚ニューイヤーコンサート 2005年1月16日 |
2005年の初ツアーは宝塚のニューイヤーコンサートである。前日の1月15日(土)の関東地方は雪の予報が出ていたが雨で済んだ。もし雪だと飛行機も新幹線も遅れや運休が予想されるので心配したが大丈夫だった。翌16日、冷たい雨の降る羽田を朝7時に出発し伊丹に着くとこちらは晴れていて安心する。蛍池から乗った電車は途中の雲雀丘花屋敷駅止まり。「この電車はこれまででございます」という放送に一瞬どきりとし、地域によっていろいろな言い方があるなあと思う。宝塚駅に到着後、近くの食堂で朝食。出てきた和食は薄味の炊き合わせや出汁巻きなどがついており関西に来たことを実感する。朝食後、荷物をソリオきたにある100円ロッカーに預け顔なじみになった家具屋で杉を使った小さな湯呑みを買うと値段を引いてくれた。ここで千吉踊りを奉納する千吉神社の所在を尋ねると首をひねりながら別の神社の場所を教えてくれた。地元の人なら誰でも知っていると思ったがそうでもないらしい。この後、宝塚温泉で一浴びして身なりを整えてコンサートに備える。宝塚駅にもどり周辺地図を見ると千吉神社が見つかった。さっきの家具屋からはそう遠くないが行くには中途半端な時間なので次回としよう。昼食は人が少ないソリオきたを応援しようとビル内の食堂でカレーライス。その後、ビルの並びにある自分の好きな喫茶店Dで熱いおしぼりつきのホットコーヒー。年輩の男性が一人で仕切っている小さな店はなぜか安らぐのだ。ロッカーから荷物を出し電車に乗って清荒神下車。駅前にあるベガホールの列に加わる。普段は通過する快速急行が止まっているのを見た子どもが父親にそのことを告げると「初詣の時期は止まるのだよ。この時期止まらなかったら清荒神にお参りする人は困るから」と教えている。自分も知らないばかりに電車を1本遅らせた。旅に出ると普段はどうでもいいことが新鮮に聞こえるのがいい。そうこうするうちに開場になり席を確保してロビーのソファで一休み。ボーイズ・エコー宝塚のB君が人待ち顔で別のソファに座っているのを見つけ声をかけようかと思ったが本番前にやたら話しかけるのはエチケットに反すると考えているのでやめておく。受付に中安先生がいらしたので新年の挨拶を述べると、受付をしている女性に「東京から見えたんですよ」と紹介していただいた。
開演時間近くになるとプログムのトップに出る千吉音頭の踊り手が集まってきた。それを見て自分も客席に入ることにする。
千吉音頭の歌い出しはいつものようにボーイズ・エコーの団長A君だ。気のせいかいつもよりテンポが幾分速いように感じるとともに声がやや疲れているように感じた。それでも賑やかな千吉音頭は開幕にふさわしい華やいだ雰囲気だ。お囃子を歌っているC君を含めたボーイズのメンバー4名も場を盛り上げていた。
プログラムの5番目にボーイズ・エコー宝塚が登場した。最初の挨拶をした3年生のS君はしっかりした話し方で感心する。彼は1年生のときからのメンバーで確実に成長しているようで喜ばしいことだ。最初の『花まつり』はまだぎこちない。しかしピアノの音が1ヶ所「おや」という部分があったにもかかわらずそのまま歌いきったのは立派だった。12月の練習を見学した時、辻先生が出だしの「ぬるんだ」の「ぬ」をしっかり発音するよう教えていたのを思い出した。ポイントを押さえ定期演奏会でのリベンジを期待したい。2曲目の手話をつけた『世界中の子どもたちが』になるとうって変わって安定した合唱になった。やはり舞台で歌い続けてきた曲は違う。歌が終わると別の団員が「阪神淡路の震災から10年になります。この間(かん) 新潟、インドネシアで地震がありました。被害に遭われた方々が1日も早く幸せな日が送れるよう『しあわせ運べるように』を歌います」という旨の心に響くスピーチをした。このスピーチを取り込むような前奏に続き演奏が始まる。いつ聴いても「くじけずしっかり生きよう」と静かに訴えかけてくれるこの曲は、2年前の定期演奏会以来、何度か聴く機会があったが次第に心のこもった合唱になってきている。今日の演奏は静かな余韻を残して終えることができた。この歌は団員の成長していく一翼を担っているようにも感じた。歌い終えると「定期演奏会においでください」というスピーチがあった。この日の合唱を聴き「行ってみようか」という観客が多数出ればと思う。
プログラムは進み最後の『ラデッキー行進曲』は災害にあわれら方々を配慮して手拍子なしの演奏になった。これも災害を体験した地域ならではのことだ。終了してロビーに出るとボーイズ・エコー、千吉音頭、ベルキッズ宝塚の子どもたちが整列し『今日のひととき』を歌っていた。指揮をするのはA君。「さあみんな、しっかり歌うんだ」というような力強い指揮を終えると観客の方を向き「きょうはありがとうございました。暗くなってくるので気をつけてお帰りください」と挨拶した。観客の中から「ほう」と感心する声を出す人がいるぐらい堂々とした挨拶だった。子どもたちが解散していくロビーを見渡し館長さんとOBのN君を見つけて話をする。若葉奨学金の募金箱を持って募金を呼びかけるボーイズのメンバーたちの中にスピーチをしたS君がいたので「挨拶よかったよ」と声をかけた。「ありがとうございます」と返ってきた一言に成長を感じるとともにこれからのボーイズ・エコー宝塚の演奏に期待をもった。「控え室に行って来ます」というN君と別れ、館長さんと池田へ。老舗の牡蠣料理屋でご馳走になり少年合唱団を話題に歓談しくつろいだ時間を過ごした。
第20回ボーイズ・エコー宝塚定期演奏会
2005年3月13日 |
プロローグ
「道楽さん、あんたは東京人だろ。だったらボーイズ・エコー宝塚じゃなくてTOKYO FM 少年合唱団(以下TFBCと略す)の演奏会に行くべきだ。今回は20周年の記念演奏会なんだぞ」「君には悪いけどボーイズ・エコー宝塚に行くことに決めた。こっちだって20回目の演奏会だ。君は知らないだろう。この合唱団のことを」「ぼくはTFBCしか知らない。でもそれで充分だ」「それはよくない。一つのことだけでなくいろいろな所を見るのは必要だ。どうする? 留守番か? それとも飛行機で宝塚へ行くか?」「…わかった。行ってみるよ。だけど誤解するなよ。宝塚に行きたいんじゃない。飛行機に乗ってみたいだけだ」ぼくは渋々承知した。道楽さんがどちらの演奏会に行くか迷っているのは知っていた。一時はTFBCに行く気になっていたようだがボーイズ・エコーのレポートを何回か読んでいる姿を見て「やっぱりな」と思った。でもぼくとしては残念、悲しい、口惜しい、腹立たしい、その他いろいろなものが混じり合った「落ち込み」というシチューの香りを泣きながら嗅いでいる。そんな気分だ。
飛行機の旅
2005年3月13日(日)。早朝5時半に道楽さんは身支度を整えてぼくの前にやって来た。普段はこんな時間に起きないくせに勝手なものだ。「演奏会は午後だろう。もっと遅くてもいいじゃないか」「前回行けなかった千吉神社を見てみたい。それに交通機関は何があるかわからないから早めの行動が必要だ。さあ、行こう」道楽さんはぼくを抱き上げた。「待てよ。ぼくなんか抱いて外に出たら変なおじさんに見られるだけだ。鞄に入れてくれよ。心は外に出られるから」「そうか。わかった」ぼくは鞄に入ると心だけ外に出した。「ほうら、姿が見えるだろ。話し声も聞こえるだろ」「便利なんだな。君は」道楽さんは笑った。そう。ぼくは人間ではない。「じゃあ何者なんだい?」その疑問に答えよう。ぼくはTFBCのそっくりさん人形だ。「なんでお互いに話ができるんだ?」みんなはそう思うだろ。それはだんだんに話していこう。
羽田を7時に出発する伊丹行きANA13便、B744(ボーイング747―400)に乗り込んだ。「おはようございます」笑顔で迎えてくれたキャビンアテンダントに道楽さんも元気に挨拶を返した。それを聞いて「うきうきしてるな。」と思った。ぼくも初めて乗る飛行機が珍しくてキョロキョロしつつ映画館みたいだと思った。スクリーンもあるから余計だ。席は57Kで窓際。「今日は晴れてるから富士山が見えるはずだよ」と道楽さん。やがて飛行機は動きだし滑走路をすごい勢いで走り出した。背中が背もたれに押しつけられるような気になりちょっと怖くなったが無事飛び立ち右に傾く感じで旋回しながら東京湾を見下ろし上昇していく。揺れるので心配になったが道楽さんは落ち着いて景色を見ている。「大きく揺れましても飛行に影響はございません」のアナウンスに「本当?」と思ったけど周りにいる人たちは何事もないように新聞を読んだり目を閉じたりして騒ぐ様子はないのでぼくも静かにしていることにした。そのうち揺れなくなったので一安心。「富士山が見えてきた」道楽さんに言われて窓から見ると富士山がはっきり見えた。道楽さんは望遠レンズで撮影している。ぼくも頼んで覗かせてもらった。「すごーい」この風景は感動的だ。アテンダントが飲み物のワゴンを押してやってきた。道楽さんはスープを頼んだ。ぼくも匂いをかがせてもらう。いい匂いだ。「スープがおいしいな。風邪を引いてるから余計だね」「だったらキャンデーをもらってくれば。乗るときにあそこに置いてあったよ」「あそこ? ギャレーのことだね。そうしよう」道楽さんは立ち上がったがすぐもどってきた。「持ってきてくれるそうだ」と言って座り直した。ほどなくアテンダントが袋に入ったキャンデーを持ってきてくれた。「ありがとう」と言う道楽さんの声を聞いたアテンダントが「お風邪ですか。でしたら機内が乾燥しておりますので何かお飲み物をお持ちしましょうか」親切な申し出に道楽さんは日本茶を頼んだ。「よかったね。飛行機っていいね」ぼくもうれしくなった。
降下体勢に入ると少し揺れたが無事着陸。飛行機が停止し到着のアナウンスが流れると乗客たちは出口へと向かう。「ありがとうございました。行ってらっしゃいませ」笑顔で挨拶してくれたアテンダントに、ぼくのことは見えないし聞こえないのはわかっていたけど「行って来まあす」と元気に手をあげた。TFBCに行けないことを忘れて気分がよくなった。
気分よく宝塚を歩く
モノレールを蛍池で乗り換えて阪急電車で宝塚下車。北口からJRの踏切を渡り小さな喫茶店「D」に入りトーストとホットコーヒーを注文。道楽さんお奨めの喫茶店は静かだ。コーヒーをサイフォンで1杯ずつ入れてくれるのがいいそうでカウンターにいるとコーヒーが出来上がる様子がわかる。新聞を読みながらゆっくりとコーヒーを飲んでいる道楽さんから離れてカウンターへ行き別の客が頼んだコーヒーの出来上がる様子をじっと眺めた。アルコールランプで温められたお湯が上にあがりコーヒーの粉と混じり合う様子はおもしろい。お終いかと思っていたらご主人はもう一杯作りテレビを見ながら自分で飲み始めた。ぼくは空いている席に座ってご主人と道楽さんを交互に見た。「すごく似てる」ぼくは可笑しくなった。コーヒーを飲み終えても道楽さんは週刊誌を読んでいる。退屈してきたので「そろそろ行こうよ」と声をかけると時計を見て立ち上がりお金を払った。ご主人に千吉神社の場所を聞くとゆっくりした話し方で丁寧に教えてくれた。最後の「その辺でまた聞いてみてください」という言葉でわかりにくい場所というのがわかった。坂道を登って住宅街の道をしばらく歩き掃除をしていたおばさんに尋ねると「行ったことはないんですが」としばらく後戻りして「千吉神社 参道」の看板の場所まで案内してくれた。矢印に従い細い土の道を歩いていくと田圃のあぜ道があり、その先に千吉神社はあった。社をくぐり短い階段を昇ると祠があった。それだけだ。「ここでどうやって千吉踊りをやるのかな。境内がないね」道楽さん祠をじっと見つめてから手帳を出し何かをメモした。ぼくは難しいことはわからないけどなんでここだけ田圃が残っているんだろうと思った。「きょうはここまでだ」道楽さんは引き返した。通りを逆戻りせず「多分、こっちの方が近いよ」と歩き出した。その言葉通り来るときよりも短い時間で「D」の通りへ出た。市の掲示板がありなんとなく見ていたらボーイズ・エコーのポスターがあったので「見てごらん」と教えてあげた。「手作りだね。自分たちで色を塗ったんだな」道楽さんが言った。「いいな。こういうの。みんなでポスター作ってる姿が想像できるよ」ぼくは寒い道を歩き続けてる時に「一休みして暖まっていきなさい」と誘われたような気分になった。
この後、宝塚温泉に浸かりソリオきたの食堂でお昼ご飯を食べた。そして道楽さんがよく話して聞かせてくれる屋久杉の家具を置いてある店「T」に行った。「こんにちは」と入ると「千吉神社はわかりましたか」と店の夫婦が出てきた。道楽さんは1月にここへ来て千吉神社の場所を尋ねている。ただ夫婦の言葉は2ヶ月も経っているのについ昨日のように感じた。「ついさっき行って来ました。調べてみたいこともできました」道楽さんの言葉も昨日の続きという感じだ。この店を気に入っているのはお互いの波長が合うからだ。そう思った。「この間の湯呑みよかったです」「あれでお茶を飲むとおいしいでしょう」「そうですねえ」と曖昧に答えるのはお茶ではなくお酒を飲んでいるからだ。「作っている所を見学したいのですが」「作っているのは屋久島ですのでちょっと無理ですね」ぼくはその時、屋久島の場所を知らなかったので「同じ日本だろ」と思ったがそう簡単に行けないことを後から知った。ただ道楽さんならいずれ行くような気もした。「その時は、ぼくも一緒だぞ」購入を考えているという応接用のテーブルはすごくいいけど値段もいい。「ピアノを先に買おうよ。あんたの趣味に必要だろ」「そうだけど」と言いつつ小物をあれこれ見た道楽さんは菓子皿を買った。「いつもありがとうございます」という夫婦に「自分はボーイズ・エコー宝塚という少年合唱団の演奏を聴くために宝塚へ来ています」と合唱団の宣伝をした。残念だけどお二人ともご存じなかった。「知らなきゃ覚えてもらおう」耳うちされたぼくは「そこまでやらなくても」と思ったけどあのポスターを見たことで道楽さんの気持ちはわかるような気がした。店を出て清荒神の参道にある佃煮屋さんでも買い物。「東京で買えば」と言ったら味が違うんだと言ってシバとキクラゲの佃煮を購入。半日いっしょにいて宝塚を思った以上に知ってるんだと驚いた。ここから歩いてすぐの場所にあるベガホールに到着。この後のことは道楽さんが「自分が書きたい」と言うのでバトンタッチ。ぼくは気楽に演奏会を楽しむことにしよう。
千吉神社 祠
町の掲示板で見つけたポスター
ベガホール入り口
市長も応援、課題はあるが成長を確信した定期演奏会
ボーイズ・エコー宝塚の定期演奏会は3回目である。初めて来たのは2年前だ。この時の印象は約20名のうちおよそ半数が1年生だったことで合唱の出来がどうのこうのよりも少年合唱団として運営しているだけですばらしいということだ。合唱の評価は3年後ぐらいだなと思い1年生の成長を追跡していこうと決めた。その年の夏、仕事を休んで「のど自慢大会」に訪れた。この時のことは「ソロを歌うプレッシャー」という題名でレポートを書いたが下級生の態度が悪いのに驚いた。他の子が歌っているのに自分勝手にしゃべっている。上級生が目の前に行って注意してもそんなものはどこ吹く風で態度はあらたまらない。普通の人なら「もう来ない」と思うだろうがそこは普通でない自分だ。追跡の価値ありとのめり込むきっかけとなった。その年の11月、広島少年合唱隊、桃太郎少年合唱団の定期演奏会を聴いた帰り道、市民合唱祭に出場するボーイズ・エコーが気になり宝塚に立ち寄った。「のど自慢」のことを考えると合唱の出来がなぜか心配になったからだ。(自分が心配しても仕方ないが)ボーイズ・エコーが出てきた時、なぜかどきどきしたことを覚えている。この時のことは「宝塚合唱祭のボーイズ・エコー」というレポートに書いた。翌年のニューイヤーコンサートで急成長したのを見て追跡の甲斐があると思い時間が許す限り宝塚を訪れてボーイズ・エコーに接してきた。その時の話は「ボーイソプラノの館」に掲載していただき自分の励みにもなっている。今回の第20回定期演奏会は節目ということで楽しみにしていた。この日はTFBCの定期演奏会もあり一時はTFBCに傾いたのだが自分の書いてきたレポートを読み直すうち宝塚に来るべきと思い直し2005年3月13日(日)午後1時前に会場となるベガホールへやってきた。開場は1時半なので同じ建物の中にある中央図書館で読書をと思ったが暖房が効きすぎているので外のベンチに座って待つことにする。寒さが気にならないのは気持ちが高ぶっているからだろう。阪急電車がすぐそばを通るこの場所は鉄道ファンには退屈しない。通用口から出てきた6年生の有留君が向かいのコンビニに入っていくのを見て「復帰したんだ」とうれしくなる。しばらくぼんやりしていると館長さんがいらしたのでご挨拶。雑談するうち会場内に案内された。中安先生とご主人、息子さんにもあらためてご挨拶する。今日はいつにない華やいだ雰囲気だ。開演間際までこの雰囲気を楽しみいつものようにアルト側の席へ座った。
当日のプログラム
団歌
歌はぼくたちの宝物
1. 栄光の架橋
2. ぼくらのハーモニー
3. 歌のメリーゴーランド
4. 歌声のメッセージ
5. 歌に願いを
おまつりワッショイ
1. おまつり
2. 祭ばやし
3. 秋まつり
4. おまつり
5. 村まつり
6. 花まつり
みなさんと一緒に歌いましょう
1. 鉄腕アトム
2. 太陽のマーチ(ラッデッキーマーチ)
平和を願って
1. 世界中のこどもたちが
2. U&I
3. 世界がひとつになるまで
4. 折り鶴
5. 翼をください
6. Belive
7. フィンランディア
8. しあわせ運べるように
さようなら
整列した21名の団員たちは少々緊張しているように見えたが最初の『団歌』を聴き大丈夫と思った。指揮と伴奏は昨年の定演と同じ寺本君と有留君。寺本君は昨年に比べ余裕がある指揮、有留君のピアノもなめらかでこの後の期待が高まった。終わると宝塚市長が挨拶。ボーイズ・エコーを応援するとのメッセージは心強い。それに応えるように『栄光の架橋』をきれいなハーモニーで合唱した。『ぼくらのハーモニー』は短い曲ながら前の曲を上回るきれいなハーモニーが聴けた。『歌のメリーゴーランド』は伴奏に気合いが入っているように聞こえた。辻先生も気分がのっているのだろ。その音に負けない元気な合唱がよかった。続いての『歌声のメッセージ』『歌に願いを』は一転して心の思いを穏やかに伝えるような合唱だった。好調な出だしで序盤を終了。次のゆかいな歌も勢いがあった。このコーナーはジャケットを脱いでの合唱となる。『象だぞう』の「象だぞう 象だぞう 象だぞう 象が雑煮をたべてるぞう」に始まる歌詞はいつ聴いてもおもしろく、楽しそうに合唱しているメンバーを見ると気持ちが明るくなる。『たんばのてんぐ』は一転ゆっくりしたテンポになる。山に棲む天狗を少々不気味に思う感じが出ていた。最後の部分を内緒話をするように静かに終えたのはうわさ話の雰囲気が伝わった。次のアメリカ民謡『バケツの穴』は「穴をどうしようか」という問答のような歌詞だ。田舎ののどかな雰囲気が伝わってくる面白い歌で初めて聴く曲だ。前半は4年生のソプラノ2名がきれいな声でリード。後半は3年生のソプラノ森本君とアルト竹内君がリード。この2名のソロを2年前に聴き「将来が楽しみ」と感じたことを思い出す。思った通り成長していてうれしくなる。歌い出しを間違えた森本君をさりげなく止め「さあ、ここからだよ」という感じで小さく合図する竹内君の表情はやさしかった。歌だけでなく精神的にも成長してきたことの証明た。『クラリネットをこわしちゃった』はOBの森 正人さんがクラリネットで共演した。残念だったのは歌声がクラリネットの音に負けていたことだ。自分としては「どうしよう おー」の「おー」の部分をしっかり聴きたかったがクラリネットが邪魔をしてしまった。歌っているときは小さめに、間奏で大きくという工夫が欲しかった。『チョコレートの歌』は第1小学校のメンバー4名がテンポよく元気に歌った。4名でもしっかり歌う姿に頼もしさを感じた。『山寺のおしょうさん』は軽快な合唱。このあたりは山寺の雰囲気がある寺が多そうなのでその風景と重ね合わせて聴いた。服部良一作曲のこの歌は戦前、男声4名のボーカルカルテットグループが歌っていたはずだ。時代を経て小学生の少年たちが合唱しているのも不思議な縁でレパートリーに入れて欲しい曲だ。「ゆかいな歌」のコーナーは同じような曲でなく様々な「愉快」を集めているのがよく聴き応えがあった。ここで休憩。
後半は先ず「おまつりわっしょい」。拍子木が鳴り「お祭りが始まるよ」の一声で「ボーイズ・エコー宝塚」の文字が入ったお揃いのハッピと豆絞り姿で元気に登場。20回目にふさわしい賑やかな幕開きだ。整列すると森本君のソロで『おまつり』が威勢よくスタート。「みんな来な よってきな」で始まるこの歌は昔「みんなの歌」で放送されて以来、久しぶりで聴いた。森本君は9月の「のど自慢大会」で1位になった(2年連続)そうで伸びのある声で先が楽しみだ。続いて「おみこしが来たよ」の声で舞台に友情出演の幼児グループがみこしをかついで登場。客席の二つの通路から獅子がしらをつけたメンバーが舞台に上がり「おまつり」を盛り上げた。みこしと獅子がしらはそれぞれ保護者とOBが作ったことが紹介された。最近ではなく10年ほど前と知りきちんと保管していたことに感心。『祭ばやし』から『おまつり』までは小学生の歌をそのまま歌い『村まつり』は混声合唱のための唱歌メドレー『ふるさとの四季』版。太鼓が勇壮に鳴る様子を込めて編曲された曲を元気に歌いこのコーナーを盛り上げた。『花まつり』は盛り上がった雰囲気を静かに締めくくる効果があった。ニューイヤーコンサートではぎこちない感じだったがきょうはきれいな合唱だった。最後の部分を静かにまとめられると完璧だったがしぼむような感じになったのは残念。
「みなさんと一緒に歌いましょう」のコーナーはメンバーの家族とOBが舞台にあがって歌う趣向。OBの人数がいつになく多いように感じた。OBがこの人数集まるのなら現メンバーとの混声合唱を1曲できないだろうか。聴き応えがありそうだし検討していただければと思う。
「平和を願って」は6年生の寺本君が昨年起きた災害の話をした後、「平和を願って歌います」という旨の言葉でプログラムが始まった。このスピーチを聞くとボーイズ・エコーの演奏会に来たことをあらためて実感する。手話をつけた『世界中のこどもたちが』は自信をもっての合唱で完全なレパートリーになった。『U&I』は平和を願う気持ちが力強く込められていた。『世界が一つになるまで』はトーンを変え語りかけるような合唱。このジャンルの歌はボーイズ・エコーならではのハーモニーが出来上がってきた。続いてきょうが最後の演奏会となる6年生3名のソロだ。先ずは有留君の『折り鶴』。修学旅行で広島へ行き平和の尊さを知りこの曲を選んだそうだ。出だしの音程が少々おかしかった(ブランクのためだろう)が次第に持ち直しやわらかなソプラノを聴かせてくれた。次は寺本君の『翼をください』。6年生で習ったときに良い曲だと思い選んだそうだ。声変わりは始まっているが落ち着いたアルトを聴かせてくれた。最後は稲垣君の『Believe』。5年生の最初の音楽で習い、いい歌だと思ったそうだ。伸びのあるソプラノはいつも通り。2年前のソロは声を張り上げている感じがしないでもなかったが無理なく張りのあるきれいな声が出せるようになった。「明るい未来を信じて歌います」の言葉通りの歌だがテンポが次第に速くなってしまった。集中力が途切れているのだろうか。彼としては珍しいことで「何があったんだろう?」と思う。卒団を祝うかのように後輩たちがコーラスをつけるのは心あたたまる光景だ。だが気になることがあった。一つは『折り鶴』の時、クスクス笑っていた下級生が2名いたこと。仲間同士でこのようなことになるのはみっともない。竹内君が真剣な顔で注意していたがしばらくおさまらなかった。竹内君の気持ちが伝わっただろうか。本番中にあってはならないことでリハーサルの時に修正しておくべきである。この2名は途中姿勢もくずれ森本君からも注意を受けた。コーラスを始めるときも「仕方ない、やるか」というような感じに見えてしまい反省が必要。二つ目は友情出演した幼児グループでこちらは例年、歌の雰囲気を盛り上げるために舞台へ上がるが今年は出番が多過ぎた。動きのわからない子もいてその都度中安先生が指示を出していた。20回目の記念演奏会ということだろうが出番をもっと少なくすべきだった。こういうことがあると中安先生、辻先生、更にメンバーも気持ちを集中できなくなるだろう。6年生のソロの場面にも大きな折り鶴や鳥の翼を持って出てきたがこれは必要ない。むしろソロを歌う一人一人に観客の注目を集めさせるべきだった。三つ目、これは強いて言うつもりはないがソロの時、マイクを使わず肉声で聴きたかった。会場がいつもより広いことなどやむを得ない事情もあったと思う。最後にもう一つ、歌う前にメンバーが交代で短いスピーチを行う。いいことだがせっかくやるのなら「明るい声」「姿勢良く」「礼は頭を下げたら元の位置に戻す」などを頭の中に置いて行うべきだ。この点は普段気をつけていればよくなっていくだろう。ほんの一つの仕草で観客の評価は変わることを知って欲しい。話を戻そう。『フィンランディア』はアカペラでの合唱だ。短い曲だが少年らしい清らかな声が聴けた。この日最高の出来と言ってよく「ここまで成長してきた」とうれしくなった。続いて稲垣君の震災に関するスピーチがあり十八番の『幸せ運べるように』だ。2年前の定期演奏会で「まあこんなものだろう」と思っていた時にこの歌を聴き、「急にうまくなった」と驚いたことを思い出した。ボーイズ・エコーが歌うこの歌はいつ聴いてもいいなと感じていたが、きょうの合唱は残念ながらそれほどよいとは感じなかった。いつもより広い会場で歌い続けた緊張感がここで途切れてしまったように思えた。終わると稲垣君のお礼の挨拶がある。その中に「20人ちょっとのメンバーでは少ないのでみなさん入ってください」との話があった。歌の好きな男の子が「入りたい」と思うにはどうすればよいかをメンバーは考えて欲しいものだ。続いて新しい団長となる4年生の並木君とバトンタッチの握手。稲垣君の「ボーイズ・エコーを引っ張っていってください」に対し並木君は「みんなと力を合わせてがんばっていきます」と応えた。客席からの大きな拍手が収まると『さようなら』を合唱。アンコールの拍手で『おお、牧場はみどり』を合唱し二人一組で舞台を降り通路を通ってロビーへ退場。終了のアナウンスを聞いてロビーへ行くとメンバーが整列し、稲垣君の指揮で『きょうのひととき』を歌っていた。指揮を終えてお礼の言葉を話す稲垣君に「がんばり続けたね」声をかけたくなった。近くのテーブルでアンケートを書いていると箱を持ったメンバーが「お願いします」とまわってきた。「今、書き終えるからちょっと待ってて」と言うと終わるまで待ってくれた。そういう姿を見ていると観客との距離が近く親しみを感じる。課題はあるけれどボーイズ・エコー宝塚は確実に成長を続けていると確信した今回の演奏会だった。
帰り際、館長さんといっしょに中安先生にご挨拶。オペラ『ラ・ボエーム』に合唱団の一員として出演されることを知り「お元気だなあ」と思う。元気の秘訣を伺いたくなった。このオペラには児童合唱団が出演し、ほんの一部だがソロがある。もしかしてボーイズ・エコーも出演するのではと期待したが残念ながらそれはなし。館長さんにお誘いを受け前回食事をした牡蠣料理屋で歓談した。雪が降ってきて飛行機に影響が出るのではと心配になったが「その時は、考えよう」と割り切り会話と食事を楽しんだ。
エピローグ
食事を終えて外へ出ると雪はやんでいた。積もってもいなかった。飛行機も時間通り離陸した。「きょうはどうだった」彼に問いかけると「来てよかった。『なごみ』というシチューの香りを楽しめたよ。心があたたまった感じだ。それから6年生のソロがかっこよかったなあ。でもTFBCも忘れず応援してくれ」「もちろん」疲れて目を閉じると6年生のソロが耳に蘇ってきた。
みどり深い宝塚を実感
花とみどりのフェスティバルで幕開きを担ったボーイズ・エコー宝塚
2005年4月29日 |
寝台急行「銀河」は定刻6時43分に京都駅に到着した。東京を8分遅れて出発したので乗客の中には「無理な運転をしたんじゃないか?」と話している人がいたが深夜の停舎時間が長く取ってあり福知山線の快速と違って余裕のあるダイヤなので10分程度の遅れは無理なく回復できるのだ。反対側ホームに長い編成のコンテナ貨物列車が入ってきたので両数を数えながら見送り写真撮影。久しぶりに鉄道ファンを楽しんだ後、地下鉄で烏丸御池へ行きそこから老舗の喫茶店「I」まで歩きモーニングセットを注文。運良く旧館に通された。ここはゆったりしているので立ちたくなくなりコーヒーをもう一杯追加する。のんびりしたところで席を立ち自宅用にとコーヒーの袋詰めを購入。河原町まで歩き阪急京都線の特急に乗車。残念ながらクロスシート車でなく一般車だったが運転台後ろの特等席に座って前方の景色を楽しむ。通過する大宮駅のホームに京都市少年合唱団の制服を着た男の子を発見。何かイベントがあるのだろう。電車は最高110km/時まで出すが速さは感じない。「衝突したら一発で死ぬね」数人の声が聞こえるが怖がっている様子はない。電車は順調に走って十三着。宝塚線の急行に乗り換えると運転士の後ろの席が空いていたので着席。運転席横の運行表を見ると宝塚着9時45分となっている。市役所に近い末広公園で、10時5分にステージに上がるボーイズ・エコー宝塚に間に合うかどうか微妙だ。地図を取り出し中山駅あたりで下車し、タクシーを使えば早く着けるはずと考えそれを実行。末広公園には10時前に着いた。ステージでは渡部市長が挨拶していた。渡部市長の挨拶を聞くのは昨年9月以来4度目。自分の住む場所の区長の話は一度も聞いたことがないことを思えば数多く聞いていることになる。市長がステージを降りると司会の女性が「ボーイズ・エコー宝塚のみなさんはステージにお願いします」とアナウンス。14名のメンバーと辻先生が舞台に上がったが中安先生の姿が見えない。「10時5分からなのでまだ保護者の方とお話ししています」と辻先生。進行が5分ほど早まっているのは市長の話が予定より短かったからだろう。長々と話さない市長の人柄を感じた。ここ末広公園は昨年の夏に訪れた。ボーイズ・エコーがどんなステージに立ったのか興味をもったからだ。広い公園の中にある屋根付きステージはどう考えても合唱向きではない。ここでどのように合唱するのかを見てみようと今日はやってきたわけだ。伴奏はキーボード、1列に並んだメンバーの前にスタンドマイクが5本、これもほぼ等間隔で1列に並んでいる。これで納得した。中安先生がいらっしゃるまで女性の司会者が「最近の男の子はハーフズボンを穿いているので半ズボンが新鮮ですね」などと話しアルト側の一番端に立っている三田村(兄)君にインタビューしながら間をつないだ。中安先生が舞台に登場し準備が整うと新団長の並木君が「ぼくたちの歌を歌います。聴いてください」と挨拶。この日は、団歌、花祭り、動物園(ハイドンの交響曲94番 「驚がく」に日本語の詩をつけた)U&I、おお牧場はみどりの5曲で季節感と合唱団をアピールする意味でよい選曲だった。姿勢もよく声もはっきり出ていてイベントのトップを飾るにふさわしい合唱だったが関心を示す人が少ないのは残念。歌い終えると森本君が「団員を募集しています。歌の好きな男の子は入ってください」とスピーチし全員が舞台を下りる。自分も待機場所へ行き中安先生、辻先生にご挨拶。辻先生の進行で反省会が行われる様子も見学した。最後に「一言お願いします」と頼まれたので簡単なスピーチをした後、「間違えていたら訂正します。手を後ろに組んでいるのを初めて見たような気がするのですが」と言ったら保護者から「いつもそうです」という声が上がったので訂正。「しまった。まずかった」と思いつつ「いつも靴下を直したりズボンを直す子がいるのにきょうは最後まで姿勢がくずれなかったのがよかったです」と話しを終えた。中安先生が「ほめられてよかったですね」とフォローしてくださり感謝。この日は3月に卒団した稲垣君も一緒に合唱した。合唱団の練習を続けながら中学校を受験し合格したことも知った。「いつも落ち着いて挨拶しているけどコツはありますか?」と質問したら「そういうことはあまり考えていません」と答えてくれた。歌も含めて何事も自然体でやっているのだろう。ゆっくり話を聞いてみたくなったが、場所的にそういう雰囲気ではなかったのでやめにした。中安先生から団員たちに配るクッキーのおすそわけをいただき、この公園が某銀行のグラウンドだったこと、例の事故で合唱団の関係者は無事だったこと、山本の植木の話などを伺った。事故のことが一番気になっていたので一安心する。解散した団員たちは模擬店などを楽しむようだ。今日は天気がよいので楽しく過ごせるだろう。自分は接ぎ木の成功で植木が発展したという山本へ行くことにして公園を後にした。
野外ステージで合唱
逆瀬川駅まで歩き電車に乗って山本駅下車。植木の町を歩き回る。接ぎ木のことを紹介する資料館でもあればと思ったがなし。植木を扱う店が多いが東京と違い広い敷地に並んでいるのがよく、町中がみどりにあふれている感じだ。ボーイズ・エコーの団歌にある「みどり深い宝塚で」はこの辺りを示しているのかもしれない。昼食は園芸振興センター内にある木造の建物でハーブティーとチキンサンド。木組みの柱を見ていると気分が落ち着いてくる。しばらくのんびりして阪急の線路に沿うように中山寺方向へ向かう。途中に池があり渡ってくる風が爽やかなので立ち止まり風を楽しむ。日常生活ではあり得ないことで旅先ならではだ。
中山寺を見学すると歩き疲れたので電車で清荒神へ向かう。座席に座ると
「道楽さん、ここからぼくが書くよ」
と“彼”が出てきた。
「今回は書きたくないと言ってたじゃないか」
「そのつもりだったけど緑の中を歩いていたら気分がよくなったんだ」
「了解。じゃあ頼もうか。ユー ハブ コントロール」
「ラジャー アイ ハブ コントロール」
清荒神駅に着き最初に行ったのは佃煮屋さんだ。道楽さんはあれこれ眺め山椒が気に入ったようだ。しょう油味と味噌味をどちらにしようか考えているので「試食させてもらいなよ」とアドバイス。店の人は快く試食させてくれた。その結果、味噌味を選んだ。店を出ると次は家具屋の「T」だ。前回、道を覚えたので
「先に行ってるね」
と走り出すと
「車に気をつけるんだよ」
と道楽さん。
「じゃあ追いついてこいよ」
と走っていくと道楽さんも走って追いついてきた。二人並んで「T」のある通りまで走った。
「年の割に速いね」
「足は自信がある。まだ君には負けないぞ」
道楽さんは息を「ハーハー」させながら笑った。緑の中を歩いてきた効果で道楽さんも元気が出たのだろう。「こんにちは」と「T」に入ると「シャモジが入ったから取っておきました」と奥さん。旦那さんが杉のシャモジを何本か持ってきてくれた。前回シャモジを買おうとして、品切れになっていたことを思い出した。シャモジを選んでいる道楽さんに「テーブルもできるだけ早く買ってあげようよ」と言った。ぼくたちの忘れていたことをしっかり覚えていた夫婦の人柄を好きになったからだ。品物を受け取り店を出ようとすると「座ってお茶でも飲んでいってください」と冷たい麦茶を持ってきてくれた。これにはぼくも大感激した。道楽さんと夫婦はしばらくの間、楽しそうに話していた。ぼくも冷たいグラスに手をあててくつろいだ。店を出て宝塚温泉まで歩く。渡されたロッカーの鍵は、007番。なぜか道楽さんはうれしそうだ。007シリーズというスパイアクション映画があったことをジェスチャーをまじえて話してくれたけどぼくはピンとこない。それより「コーラス」に連れて行って欲しい。浴場は空いていてのんびりできた。ロビーに行き湯上がりのビールをおいしそうに飲む道楽さんを横目にぼくはソファーで手足を伸ばした。「終わり良ければすべて良し」そう思っていたら
「家に帰るまで旅は続くんだ。よく覚えておきなさい」
という声が聞こえた。
「はい、そうします」
声に出して答えたぼくを道楽さんは「どうしたの?」という顔で見つめた。
「なんでもない。独り言だ。気にしないでくれ」
ぼくは取り繕った。「わかった」という顔で道楽さんは何も聞いてこなかった。
「この先も気をつけて帰ろう」
ぼくは言った。
集中力をつけるのは難しい
宝塚小学校でのボーイズ・エコー宝塚の練習風景
2005年6月15日 |
道楽さんは特別休暇をもらい2泊3日の旅をすることになった。行き先は宝塚。「他に行く所はないのか? ほんとに宝塚が好きだな」ぼくは感心するやら呆れるやらなんとも言い表せない気持ちだ。「君はどうする? 来るかい?」「ぼくが行かないとあんたはさびしがる。それとお酒を飲み過ぎる。心配だからついていくよ」「ありがとう。やさしいんだね」道楽さんは笑いながらぼくのおでこを人差し指でつついた。
というわけでぼくたちは宝塚にやってきた。いろいろなことがあったけど読者のみなさんが一番関心のあるボーイズ・エコー宝塚の練習見学のことをレポートしよう。「道楽さん、頼むよ。ユー ハブ コントロール」「ラジャー アイ ハブ コントロール」
宝塚小学校の職員室に行き案内を乞うと「3階の多目的ホールへどうぞ」と言われた。「去年来た時は、『怪しい人では?』という目で見られたけど今日はすんなりだ」と言うと「ぼくが教えた通り、ちゃんとジャケットにネクタイを着用してきたからだ。なんだかんだ言って人は見かけが大事なんだぞ」“彼”が偉そうに答えた。多目的ホールに入り中安先生、辻先生にご挨拶。3年生のメンバーが駆け寄ってきて「3年生と5年生しかいないんだよ」といつもの明るさで話してくれた。人数が少ないと思っていたら「きょうは、猿が逃げ出した」とのことで集団下校になったそうだ。一度帰宅してから戻ってくるメンバーが途中で合流し9名(1年 1名、3年 6名、 5年 2名、)が参加した。最初は発声練習。辻先生がピアノを弾きながら「声響いてますか?」と声をかけ中安先生が一人一人をチェックしていく。続いて左手を前に伸ばし手のひらを自分の方へ向けて声がどこまで届いているかを確認する。これは子どもによって差が出るが気持ちが集中していないと吐いた息を確かめられないだろう。次はロングトーン(息を長い時間吐く)でドレミレドレミレドーと息が続く限り声を出し続ける。最後のドからどれぐらい伸ばせるか時間を計る。10秒から20秒というところだ。「ぼく、肺活量が少ないから」とあきらめ顔のN君に「きれいな声なら長く続きします。緊張しない」と先生がアドバイス。「第1小学校のM君は31秒続いた」という話を聞いた3年生のI君は対抗意識を出しなんとか続けようと息継ぎをしながらごまかそうとしたが友だちに指摘されムッとした様子。自分も帰宅してからやってみたら10秒程度しか続かないのでにわかに対抗意識を起こし暇を見つけては発声している。以外と難しく息の吸い方を工夫しているがコツがつかめないでいる。30秒は無理としてもなんとか20秒までは持っていきたいものだ。中安先生が、すみれが丘小学校のS君が51秒続いた話をやりかけたが「へー」とか「ふーん」とか茶々が入ったのでやめてしまったのは残念。
続いて新しい曲の練習に入る。今回は『春の動物園』『動物園』『もんく』『月のさばく』『ゆかいな行進』の5曲。『動物園』はハイドンの『驚がく』に日本語の詩をつけた曲、『春の動物園』、『もんく』は聴いたことのない曲だ。「歌の声になっていない人がいます」などと注意が飛ぶ。蒸し暑さもあって集中力が落ちているがこの程度で我慢できないのはおかしい。少しずつ丁寧に楽譜を追っていくが3年生2名が集中しないためはかどらない。2名のうち1名はI君。さっきのロングトーンがうまくできなかったことが尾を引いているようだ。本人だけが落ち着かないのならまだしも隣の子にちょっかいを出すので見かねて注意。さっと逃げていくのを見てしつこい注意は控え、つかず離れずの位置に立って様子を見る。こういう場面に接すると日頃の指導の大変さがよくわかる。『ゆかいな行進』の最後にI君など3年生の元気なグループが「おー」と手を挙げる。「挙げることにすると必ず誰かが忘れるのでやりません」と先生が指示。このような調整も大変だ。練習は進み7月31日の合唱交歓会で台湾の合唱団と歌うことになっている台湾民謡『杵歌』に入った。いかにも台湾風の曲で「きれいな月が出た」という意味の詩がついている。ここまできてどうにか練習に集中してきたがすでに時間が半分過ぎている。ピアノの伴奏があればそれなりに歌えるが伴奏がないと苦しくなるのは確実に音が取れていないからだ。「今日の空みたいにお月さんが出てこない」と辻先生。きれいに歌えてないという意味での話だが「出ないよ。今日は曇ってるんだから」と真面目な口調の答えが返ってくるのは小学生の男の子ならではだ。トイレタイムをはさみ『杵歌』の練習が続く。ピアノなしでも前半はよくなってきた。ここでタイムアップ。中安先生から「集中力をつけるにはどうするかを話していただければ」と頼まれ、ピアノの音をよく聴くということを自分の経験に基づいて話した。アマチュアコーラスをやっていた頃、半音の違いが取れないでいたら床に寝て足を30度上げ、ピアノの音通りに発声を続けるうちOKが出たという話だ。これをきっかけに音に気をつけるようになったのだが現在は微妙な音の違いはわからない。話し終えると辻先生が1年生のN君をお腹の上に乗せ腹式呼吸をやりながらN君が上下に動く様子を見せた。「昔は、ボーイズ・エコーでもやっていましたけれど今は何が起こるかわからないのでやっていません」と話してくれた。こういう話を聞くと外部の人間にはわからない現場の苦労を感じる。人ではなくカバンを載せてもいいとのことでやってみようかと考える子もいた。解散になり先生方と話しているともう1名の落ち着かない3年生A君が「キャッチボールやろうよ。下で待ってるよ」と誘いかけてきた。話を終えて校庭に行くとA君はグラウンド整備をしている先生を手伝っていてキャッチボールのことは忘れている様子。それを見たI君が「やろう」とボールを投げてきたので相手をする。キャッチボールをしていて思ったのだがちょっとでもボールから目を離すと取れない。最初から最後までボールを追わないとだめなのだ。投げるときも相手の胸を見て肩と肘の高さをほぼ同じにしてボールを投げるとが大切だ。集中力をつける鍵はここにもありそうだとヒントを掴んだ。5時になったところで切り上げ「さよなら」をして校門を出た。
「今度はグローブを持ってこようかな」「あんた、キャッチボールしていてすごく楽しそうだったぞ。あの子がちょっとうらやましくなった。だってぼくはキャッチボールできないから」「いいじゃないか。君には君のいいところがあるし君だけにしかできないこともあるんだから」そう話すと“彼”はうれしそうな表情になった。
いい顔 いい声 いい心
宝塚第1小学校でのボーイズ・エコー宝塚の練習風景
2005年6月16日 |
宝塚第1小学校の事務室で案内を乞うと昨日同様、「どうぞ」という感じで音楽室の場所を教えてくれた。不審者と間違えられては困るため「入校証のようなものはありますか?」と尋ねると首にかけるカードを用意してくれた。校舎は宝塚小学校に比べて広く木材がふんだんに使われていて落ち着いた雰囲気だ。音楽室に入ると舞台で顔を知っているメンバー7名(1年 1名、4年 6名)が集まっていた。発声に続きロングトーンの練習に入る。昨日話題になったM君は30秒近くきれいな声を出せる。「高い声はいいけど低い声は苦手」と話すM君は伸び盛りだ。声が続かないK君に辻先生から「肩を上げて入れた息はすぐに抜けます。お腹に息をいれるように」とアドバイスがある。これを実行すると一気に2倍近くに伸びた。長く声を伸ばすコツは呼吸の仕方にあることがわかった。続いて左手を前に出し手首を直角に曲げて「パピプペポ」(スタッカートの練習も兼ねる)「カキクケコ」「サシスセソ」と発声して声の届き具合を確認する。「『サ』は届かないけど『ス』なら届くよ」という声があがるのを聞き、良いところに気付いていると感心する。発声が終わると『春の動物園』の練習だ。先ずはソプラノのパート練習。この間、アルトは心でうたっているようにと指示がある。すると静かに譜面を追う感じになる。昨日の3年生に比べると落ち着いており、3年生と4年生の違いを実感する。中安先生が譜面のファイルを貸してくださったので自分も音符を追いかけた。ちょっとでも気がそれるとどこを歌っているのかわからなくなるので昨日のキャッチボール同様、集中力が必要だ。「歌なんてやってもしょうがない」と考えている多数の大人に「それは違う」と反論したくなる。ファイルには「えがおであいさつ。いい顔、いい声、いい心」と書かれた紙が貼ってあり、「いいな」と思う。ソプラノに続きアルトが練習を終えると、辻先生が譜面に書いてある「Andante」に注目させ「なんて読みますか?」と質問。M君が「アンダンテ?」と答えた。意味は「歩く速さ」。曲のテンポを確認すると新しい部分を音取りしながら進行していき、終わると全員で合唱する。いい感じだと思っていたら辻先生から「思っていたより上手です」と褒め言葉が出た。次は『杵歌』だ。「きらいだ」という声もあがったがやめるわけにはいかない。「5段目が速くなってしまうので注意してください」との確認があり練習。ポイントを指摘されながら続けていくと、15段あるうちの13段目まできた。予想以上に早く進行しているとのことだ。ここで休憩。
メンバーが揃うと『動物園』の練習に入る。「『動物園』をはっきり言うように」「みんなの歌を聴いても動物園に行きたい気持ちになりません。聴いているお客様を行きたい気持ちにさせるようにしてください」と難しい注文があり再度歌う。「1年生のO君の顔を見ていると行きたい気持ちになります」と辻先生。難しいことを考えず素直に歌うのが一番のようだ。次は『もんく』。短い曲だがきつねとロバが童話に書かれている『ずるい』イメージと『のろい』イメージに対して集会を開き文句を言い合う楽しい歌だ。「短いから、もっと長い曲を歌いたい」と言う声に「長い曲は他に歌うから」と辻先生が答える。辻先生は黒板に音符を書き「タッカ、タッカという感じでね」とアドバイス。更に「先生の知り合いが引っ越しすることになり楽譜を処分しようとしていました。古い楽譜もあり貴重なのでもらいました。今みんなが歌っているのはその楽譜の一部です。ボーイズ・エコーが練習していることを知り、その人は本番を楽しみにしていますが今の状態では楽しみにしてもらえません」と厳しい言葉がある。7月31日の本番までにどこまで仕上げられるかを期待しよう。歌はかなり知っていると自負している自分も初めて聴く曲なので貴重な合唱を聴くことになりそうだ。話が終わると『月の砂漠』『ゆかいな行進』を練習して終了。『ゆかいな行進』は「東西南北が春夏南北になっている人がいます(春夏秋冬(はるなつあきふゆ)の詩もあるので混同している)」「和音がおかしいです」と注意がある。短い練習時間だが全員一生懸命歌っていた。最後に次の日曜日に清荒神へハイキングに行く話があった。虫を捕ることもできるそうで楽しみにしている子が多いようだ。手塚治虫さんの少年時代を思いだし自分も行きたくなったがそれはできない。「楽しんできてください」
子どもたちが帰った後、中安先生がランチルームや大きな亀の甲羅を展示している場所など校内を案内してくださった。予想以上に贅沢な空間でこういう学校に通える子どもたちは幸せだ。玄関近くに置いてある木製の立派な展示台は中安先生の教え子である図工の先生が手作りしたと聞き「いいな」と思う。同時に本業で得意分野から遠ざかっている自分を振り返り「このままでいいわけがない」と反省。「校長先生をご紹介しましょう」と親切におっしゃってくださったが残念ながら出張中。自転車で帰宅する中安先生と駅へ向かいながら話を伺う。校庭の風力発電の装置を指して「地元の有志が作ってくれました」と説明。あの校舎もそういう人たちの協力があったのだろう。文化を大切にしようとする人たちがいるのを心強く思う。ボーイズ・エコーの練習もそちらの方の強い要望があったそうだ。ここで昨日のロングトーンが51秒続いたS君のことを質問した。その子はすみれが丘小学校の児童で自分では歌がうまいことに気付いてなかったが練習を続け、良い声が出るようになったそうだ。中安先生の指導で自分の声に気付いたその子は幸せだ。そういう男の子は他にもいるはずだ。今のメンバーも一生懸命練習して良い声を身につけボーイズ・エコーにいる幸せを感じてもらえればと思う。同時にこのような先生が地域にいらっしゃることを多くのに知って欲しいものだ。別れ際、宝塚名物の「乙女餅」をいただいたのでありがたく頂戴する。宝塚というと炭酸せんべいやチョコレートという固定概念がありこの菓子は見かけたことがなかった。帰宅して食べてみたらおいしかったのでお勧めしたい。次回の宝塚土産の一つに入れよう。話がそれた。
「中安先生、辻先生、ボーイズ・エコーのみなさん。2日間練習を見学させていただきありがとうございました。7月31日にまたお伺いするつもりです。みなさまのおかげで宝塚での特別休暇は予想以上に充実した時間を過ごすことができました。この場を借りてお礼申し上げます」
2005年、7月31日は宝塚で合唱交歓会が開かれボーイズ・エコー宝塚も参加する。練習の成果を見ようと、道楽さんとぼくは宝塚へやってきた。今回は時間に余裕があるので前日の30日に宝塚へ入り道楽さんの好きな店を訪れ、いつものようにボーイズ・エコーを宣伝した。夕方は宝塚駅北口にあるユニベール広場で行われた盆踊りに出演する千吉踊りを見て中安先生にご挨拶。宵の宝塚を楽しんだ。さて本題に入る前にみなさんにお伝えしたいことがあります。道楽さんがぼくに「薫」という名前をつけてくれました。「いつも、君って呼ばれるのいやだよ。ぼくに名前をつけてくれ」と道楽さんに頼んだら「どうだろう。ネットで公募して一番多いのにしようか」とどうでもよさそうに答えた。「そんなのいやだ。あんたがちゃんと考えてくれ」と口をとがらせたら「しばらく待ちなさい」と言われた。数日後「君はいつも香りを楽しんでるよね。コーヒーとかカレーとか木の香りとかをさ。その香りを君の中でよりよいものに育ててまわりの人に薫らせて欲しい。だから薫にしよう」「薫? OKそれでいこう」というわけだ。この際だからぼくのことを話してみよう。
好きなこと
緑の中を歩く
よい香りを楽しむ。サイフォンコーヒー、カレー、ハーブの香りなど
機械式時計の音を聞く
温泉の広い浴槽で泳ぐ
苦手なこと
子どもの相手(おもちゃにされることが多いから)
ぼくの役割
道楽さんの心を安定させること
道楽さんがお酒を飲みすぎないよう監視すること
旅行のレポートを手伝うこと
ぼくと話ができる人
道楽さん、ぼくの神様
これからの抱負
道楽さんと二人三脚で楽しい文章を書きます。応援してください。
薫という名前になりました。よろしくお願いします。
町歩き
7月31日(日)の朝、5時半頃、道楽さんはベッドから起き出すとペットボトルの水をコップに注ぎ、パソコンのスイッチを入れて新潟少年合唱団のレポートを書き始めた。「ずいぶん早いね。もっと寝てれば?」ぼくが言うと「眠くはないから」と答えた。「年寄りは早起きだね」ぼくがつぶやくと「なんか言った?」とパソコン画面を見たまま声をかけてきた。「なんでもない。ぼくもう少し眠るね」「どうぞ」というわけでうつらうつらしていると道楽さんが鍵を持って立ちあがるのに気がついた。「どこ行くの?」「散歩」「ぼくも行くよ」時間は6時50分。早朝の散歩はぼくも好きだ。行った先はカトリック教会だった。「7時からのミサに出てみようか?」「あんた、仏教だろう。なんで教会なんだ? 第一ミサに出るのにTシャツじゃまずいよ」「少年合唱団のことを書いていると教会は無視できない。ミサというものを見てみたいんだ」「小さい頃、教会に通ったって言ってたろ。経験してるじゃないか」「小さい頃は、昔々だ。記憶がない」「とにかく今日はやめとけ。地味できちんとした服装でないとまずいよ。そうか。今回はカラフルなシャツばかり持ってきたよね。地味なのも用意しなきゃ」「ミサに行くのを思いついたのは昨日、この教会を見てからだからね」「今日はなし。来週、東京の教会へ行ってみよう」ぼくが言うと道楽さんはあっさり引き下がった。近くの宝塚第一小学校でラジオ体操が始まる様子なので「こっちなら出られるよ」と誘ったけど「歩くほうがいい」ということでやめ。ぼくたちは近所を一回りして、8時から営業しているファミレスで朝食。あまり満足できる内容ではなかった。
千吉神社
ホテルに戻りNHKの日曜討論「郵政民営化」の話を聞きながら支度をして出発。電車を清荒神で降り、改札内のコインロッカーへ大きな荷物を預け千吉神社へ行く。祠まで行かずあぜ道の入り口からの風景を道楽さんはじっと見ていた。ぼくはここが苦手だ。よくわからない不思議なものを感じるからですごく不安になるのだ。道楽さんはザックからスケッチブックを取り出しスケッチを始めた。「写真じゃないの?」「絵を描く視点で物を見ると気がつかないところが見えてくる。君が不安に感じるものがわかるかもしれない」「別にわからなくてもいい。ぼく、かばんに入ってるからね」ぼくは一緒に見たくなかった。ここの神様が「余計なことをするんじゃない」と言っているような気がした。それがあってかなくてか雨が降ってきた。「もう行こうよ」「すぐ止むと思うよ」道楽さんは手を止めようとしない。「行こう。もうやめよう」ぼくが必死に訴えると道楽さんは「わかった」とスケッチブックを片付け神社を後にした。「デビスカップに行ってコーヒーを飲もうよ」ぼくが提案すると「そうしようか」ということになり細い路地を降りていくと昨日のユニベールの広場へ出た。ここからすぐのデビスカップへ入ると雨が急に強く降り出した。「あそこでやめといてよかったろ。あのままいたらずぶ濡れだったぞ」「神様が早く行けと君に警告したんだ。いい神様なんだよ。きっと」「だといいんだけど」ブレンドを頼むとマスターはいつものようにコーヒー豆を挽きサイフォンで入れてくれた。他に年配の男性客が一人いるきりで店は静かだ。ぼくたちはBGMのクラシックを聴きながらぼんやり過した。いつもならスポーツ新聞の野球欄を熱心に読む道楽さんは「疲れたから活字は見たくない」と言うし、マスターもきょうは無口で何も話しかけてこない。「なにか変」ぼくはそう感じた。静かなまま時は流れていった。お昼に近くなり「お腹すいたな」道楽さんが言いながら壁のメニューを見た。ここは飲み物中心で食事はできない。「そろそろ行こう」ぼくが言うと道楽さんはお金を払った。「カサを持ってますか?」マスターが心配そうに聞いてくれた。幸いに道楽さんはカサを用意していた。ここから道楽さんにバトンタッチして交歓会のことを書いてもらおう。
最後まで聴いて正解
会場のベガホールは立ち見も出る盛況だがこれには理由がある。今回招待された台湾の混声合唱団が幕開きで歌った後、歓迎する意味で全員合唱を行うため、前半に出演するグループに対し舞台衣装で客席待機の指示が出されたためだ。例年なら出演時間に合わせて会場入りするので満席にはならないはずだ。順番はくじ引きだそうでボーイズ・エコー宝塚は全員合唱後、すぐの順番を引き当てた。長時間の客席待機に耐えられないであろう一部のメンバーにとっては幸いなことと思う。ステージにあがったメンバーは15名で1列に並んだ。ミッキーマウスの顔がプリントされた白いTシャツに白い半ズボン、白ハイソックスの夏服を見られるのは一般の観客にとってはこの日だけだろう。最初の挨拶は河原君。「みなさん、こんにちは。ボーイズ・エコー宝塚です」と挨拶する声を聞いた女声合唱団のグループが「きれいな声ね」と感心していた。先ずは『動物園』(ハイドンの驚がく)。この歌をきちんとした会場で聴くのは初めてだ。野外ステージや練習場所で聴くのとはやはり雰囲気が違う。最初は押さえるように歌い、一瞬強く声を出し、動物の鳴き声の部分をはっきりしたハーモニーで合唱するのは見事だ。押さえる部分も客席にしっかり声が届いていてこの曲の魅力を伝えることができた。次は『もんく』。 並木君が「愉快な曲です」と紹介した通り「きつねとロバが集まって『ずるくはない』『のろまじゃない』と決起して本屋に抗議に行く」という内容だ。小林純一作詞、中田喜直作曲のこの歌は初めて聴く曲で短かい歌にもかかわらず客席が和やかな雰囲気になった。歌詞にメリハリをつけ、はっきり歌えたのが大きい。次は『月の砂漠』。 森本君が「おとうさん、おかあさん、おじいちゃん、おばあちゃんがよく知っている曲です」と紹介。前半は少年合唱団特有の澄んだ声の合唱でゆったりしたテンポを利用し声を充分に伸ばした。終わり近くソプラノとアルトのハーモニーがアンバランスな感じになったのは残念。最後は『ゆかいな行進』。 竹内君が「ぼくたちの好きな曲です」と紹介した通りのびのびとした合唱で元気な男の子たちに合っている曲だ。最後の「やー」で全員が片手をまっすぐ挙げるのを見て演出を変更したんだと気付いた。この方が何もやらないでいるより、男の子らしく自然に見えてかっこいい。歌い終わり菊井君が「きょうはありがとうございました」と話している途中に「ただいまの演奏は…」と場内アナウンスが入ったが落ち着いて声が止まるのを待ち「これからもボーイズ・エコーの歌を聴きに来てください」と最後まで挨拶できたのは立派だった。客席を出て舞台から戻ったメンバーの様子を見に行った。「うまく歌えたと思う人?」中安先生の質問にほとんどの子が手をあげた。「指揮を見ていなかった子が2名います」これは客席から見ていると一目瞭然だ。歌に集中するためには指揮をしっかり見なくてはいけない。先月、I君とキャッチボールをした時に得た教訓だ。今回、鑑賞しての感想は直さなければならない点はあるが成長は続いていることた。舞台に立つと全員それなりにかっこよく見えるのだから普段の練習の時、気持ちを集中し本番は自信をもって舞台に立って欲しい。自信をもてば自然と落ち着けるものだ。
普段ならここで帰るが最後に出演する台湾の布濃(フノン)族「Lilehの声」合唱団に興味をもち客席にもどって他の団体の合唱を最後まで聴いた。
お目当ての曲目は
T 栗の豊作を祈る歌 U 獲物をかついで家路へ V 飲酒の歌
W 臘銃を祭る歌 X 論功の宴 Y 歓楽の歌
である。人数は男性ばかり10名。全員が民族衣装を着て登場。神父さん1名以外は全員農業をやっているそうだ。歌の楽譜はなく先祖から口移しに伝わっている歌だそうで独特の発声法で聴く人をぐんぐん引きつけていく。時に肩を組んで内側を向き輪になっても声の響きは変わらない。10名にも拘わらず声がホール全体に響いてくる。一瞬どこかの聖堂で聴いていると勘違いを起こすぐらい声が響き合う見事な合唱で宝塚へ来た甲斐があった。残念だったのはボーイズ・エコーのメンバーが全員帰ってしまったことだ。この合唱を聴けば必ず感じるものがあったはずである。最後に『杵歌』を全員で歌って終了。客席はほとんどがこの曲を練習している合唱団のメンバーだけあって厚みのある歌声になった。
ロビーに出て中安先生にご挨拶すると『杵歌』の楽譜をいただいた。この時「少年合唱団の運営は大変です」という言葉にうまい受け答えができずに失礼してしまった。同時に前回、キャッチボールの相手をしてくれたI君が辞めることを知った。自分がどうのこうの言う立場ではないがさびしい気持ちになった。
道楽さんは夕食前などの空いた時間を使いロングトーンの練習をよくやっていた。ぼくも横に立ち「肩の力を抜いてリラックス。体を伸ばしてお腹に息を入れて」などとアドバイスをしながらいっしょに声を出した。道楽さんはなかなか上達しないけど一緒に声を出すのは楽しかった。それが宝塚からもどったらロングトーンをやらなくなった。「なんでやらないの?」「I君がやめたことを知ったらその気がなくなった。彼といっしょにやってみるのが目標だったけどその目標がなくなったからね」「でも健康にいいよ。その気になったらまたやろう」ぼくはその時を気長に待つことにした。
歴史のある素朴な信仰を実感
千吉踊りの奉納風景
2005年8月19日(金) |
羽田を7時に出発したANA13便、ポケモンジャンボは順調に飛びつづけている。本当は8時発の15便に乗る予定だったのが羽田に早く着いたので変更したのだ。仕事に行く時は早起きしない道楽さんは趣味となると張りきるのだけど、早起きした分気持ちよさそうに眠っている。別にいいんだけどと思いつつぼくはイヤーホーンで最近興味をもつようになった落語を聞いていた。今月はあまり面白くないなと退屈しているとアテンダントがワゴンを押しながらやってきた。道楽さんを起こして「スープ欲しいな」と頼んだら注文してくれた。もらった紙コップをテーブルの上に置くとまた眠ってしまった道楽さんに代わりぼくは香りを楽しんだ。ビーフコンソメはぼくの好きな香りの一つだ。「まもなく着陸体制に入りますのでカップの回収は行いません」とアナウンスがあったのでもう一度道楽さんを起こしスープを飲んでもらった。「満席近いから配るのに時間がかかったんだな」と言いつつ道楽さんはテーブルを畳んで紙コップを手に持ちスープを口に入れた。
到着後、預けておいた荷物を受け取り阪急電車に乗って宝塚南口で下車し予約しておいた宝塚ホテルに荷物を預けて市役所に行った。何しに来たかというと資料コーナーの統計を見て宝塚のことを知ろうというわけだ。ぼくは興味ないけど道楽さんは熱心に数字を見て「わかりやすいな」と言っている。ぼくは資料の並んでいる本棚に行きあれこれ見ていたら『わたしたちのまち宝塚』という小学生用の教科書と『宝塚小学校の地域活動』というファイルを見つけ道楽さんに「読みたい」と頼んだらすぐ用意してくれた。小学生用の教科書を見た道楽さんは「詳しくていいな。つまらないガイドブックよりいいよ」と感心している。統計を買おうとカウンターに行くと「ホームページに出てますからそちらをご覧ください」とのことだった。「良心的だね」道楽さんは感心した。『宝塚小学校の地域活動』の中に「ボーイズ・エコー宝塚」の活動を小さく扱っているプリントがあり「日本に10団体しかない少年合唱団のひとつ」と紹介されていた。「ボーイズ・エコー宝塚の資料を置くべきだよ。関西唯一の貴重な少年合唱団なんだから」と道楽さんが言うのを聞いて「でた」と思った。「あんたが作って寄贈すれば」と言いたくなったけど黙っていた。「千吉踊りの資料もないね」道楽さんは不満そうだ。今日は8月19日、千吉踊りを千吉神社に奉納する日でそれを見ようと道楽さんは宝塚に来たのだけど東京からわざわざやって来るような物好きな人は道楽さんぐらいだろう。調べ物を切り上げ「コーヒーを飲もう」と南口の駅近くにある手作りのお菓子があるHへ行った。「いらっしゃいませ」と迎えてくれた女性経営者のKさんはすっかり馴染んだ表情だ。「コーヒーとお菓子は暑いからフルーツゼリーをお願いします」と道楽さんも慣れた口調で注文した。コーヒーを飲みながらKさんと話すうち、前回道楽さんがミサに出ようとしたカトリック教会のことが話題になった。教会は村野藤吾さんという建築家が鯨をイメージしてデザインしたそうで中にはいると『ピノキオ』に出てくるゼベットじいさん(鯨に飲まれて体内にいる部分)の心境になるそうだ。「ぜひ見学してレポートに入れてください」と勧めてくれた。言い忘れたけKさんにはぼくたちのことを話してあるのだ。Tシャツでミサに出ようとしてぼくが止めたことも話題になった。「その子の言うことが正しいです」とKさんはぼくを認めてくれたのでうれしくなった。更に話しをするうち、逆瀬川駅のそばにある伊和志津神社に樋口一葉の手紙が保管されていることを知り道楽さんは興味深そうな顔になった。
Hの店内にて。ここは落ち着ける場所です。
店を出て先ず伊和志津神社に行ってみた。資料館のようなものがあるのかと思ったらそれはなかった。話を聞こうにも社務所はひっそりしているので何も聞けなかった。「教会は行かないの?」「ミサに出て雰囲気に浸りたいからまたにしよう。それと建物のことを調べて予習もしたいし」ということになり駅前のビルに入りカレー屋で淡路地鶏のカレーとサフランライス、ヨーグルトドリンクで昼食を食べた。道楽さんは「これは値打ちだ」と感心。ぼくも香りが気に入った。店を出ると「平日だから郵便貯金しよう」と地図を調べ線路を越え坂道を登って住宅地の中にある野上町郵便局に行く。「すみれの花咲く町 宝塚野上町郵便局」のゴム印を押してもらい道楽さんは喜んでいた。この後、宝塚第1小学校の前を通って宝塚ホテルにチェックイン。小学校の校庭にある太陽発電と風力発電の装置は街灯の電源になっていることを知った。ホテルの部屋で道楽さんはテレビをつけ高校野球の準決勝、駒大苫小牧と大阪桐蔭の試合を見ていた。野球に興味のないぼくはベッドに横になり休憩した。4時を過ぎた頃、「温泉に入って川面へ行こうよ」と誘うと「野球いいところなんだけど」と立ちたくない様子だ。「なに言ってるんだ。最優先するのは千吉音頭だろ。結果は夜のニュースで見よう」「そうだね」と道楽さんは残念そうにスイッチを切った。
宝塚温泉の男湯は今日も空いていたのでぼくはいつものように泳いだ。気分はいいけどぼくが知る限りここが混んでいたことはないので儲かっているのかと心配になった。「薫君が心配しても仕方ないけどどの程度人が入れば採算が取れるのか知りたいね」道楽さんは言った。
風呂から上がると道楽さんはいつものように缶ビールを飲みつつ休憩をして川面へと向かった。千吉踊りの会場となる川面公園の前を通り千吉神社を見に行った。前回は気付かなかったけど田圃の稲が成長していた。「あれ?きょうは何も感じないよ。どうしたんだろう」ぼくは首をかしげた。いつも感じる不思議な感覚がないのだ。「もしかしたら神様を川面公園に移したのかもしれない」と道楽さんは川面公園にもどった。テントの下に祭壇が置かれ神様はすでにお祀りされていた。それでも何も感じない。「奉納の日だから神様はお休みしてるんだろう」と道楽さんは祭壇に手を合わせ別のテントの下に座っている世話役らしい年輩の男性に「踊りは何時からですか?」と尋ねると「7時半ですがどちらからおいでになったんですか」と質問された。「東京からです」と道楽さんが答えると「まあ座ってください」とイスを勧められ話が始まった。ここからは道楽さんに書いてもらおう。
川面公園の祭壇
ここは手塚治虫先生が小学生の頃、昆虫採集をした場所であるという話を聞から始まった。昔はもっと広い敷地があったと想像していたのでその点を質問すると「ずっとあの場所にあり今と同じです」とのことだった。「昔は前の道、伏見街道といいますがそこに裸電球を吊り下げ8月18日と19日の2日間人々が道一杯になって踊っていました。最近は年輩者が増えたので19日だけになりました。きつねの化粧もしていたのですが今はやっていません」 その話を聞いた別の年輩の男性が「自分の書いた資料を持ってきましょう」と自宅からコピーを持ってきてくれた。その男性、大垣文男さんの『川面の「千吉おどり」と「千吉稲荷」』から引用させていただく。
私の住まいする川面地区は伊丹・池田から小浜宿を経て、三田・有馬・篠山に通ずる、いわゆる旧有馬街道筋に在ります。
昔、たびたび大火事に見舞われたようです。そこで当時の人は千吉稲荷をお祀りして、その神前で、当時、旧川辺郡一円で踊られていた「おどり」を奉納したところ、火事が無くなったと云われ、現在でも8月19日、「夏まつり」として、山の祠から人里に移し、その神前で踊っています。
このような理由で、いつしか「千吉おどり」と云われるようになりました。
現在、伊丹の「麦わら音頭」、安倉の「安倉音頭」が、同じ音頭で振りを変えて踊られています。
この踊りの音頭は、「チョイトカケタヨーイ、ヨーイ」の囃子言葉で始まり、歌い手と踊り手の囃子言葉の掛け合いで進める「一口音頭」形式で進みます。
この踊りの振りは腰をかがめて稲を苅り、くるりと束めて、稲木にチョイト掛ける仕草です。
なぜ、腰を曲げて踊るのか。何を「チョイトカケル」のか疑問を持ちながら関わってきましたが、平成6年夏、年寄りから「稲苅りの踊り」であることを知り疑問が解けました。
民族芸能学会会員・相川晶彦氏の著書によると、ヒザを曲げ、ぐっと腰を落として踊るのが特徴で、舞踊学上特筆すべきことで、身体の使い方がすこぶる古風である、しかも一コーラス八歩前進するのみで、ほとんど定位置で踊るのは、おそらく近世以前の古い庶民の踊りのスタイルをそのまま伝えている、と著しています。
8月19日会場で逢った時、この踊りは歌詞と振りが合致し、他に例がない貴重な踊りであるとの説明を受けました。
また音頭を取っているのが子供達であるので、保存会の在り方にお褒めの言葉を得ました。近世の庶民の踊りを後世に伝えるべく力を注いでいます。平成7年の大地震は旧有馬街道も往年の風景を一変する程、建物が倒壊しました。その後の千吉稲荷のおまつりで、「この大地震でも川面地区は火事がなかったことを有り難く感謝しています」との添え書きのあるお供えがあり、千吉稲荷が地元の人々と結びついた進行を得ていることを痛感しました。
千吉稲荷では「夏まつり」のほか、1月の大寒に「寒施行」として、川面地区にある十社程の稲荷の祠に赤飯の「いなり」をお供えし、寒中食べ物が不足する野山の動物に施しをする行事もあります。
春には伏見大社のお山参りをしてお札を受け、「初午祭」を催し、お参りに来たこどもさんにお菓子を渡しています。
時代は変わっても、今なお続けられている行事です。 (了)
以上の文章から歴史を感じると同時に日本人は農耕民族であることをあらためて認識した。最近、いろいろな所で成果主義を導入するものの効果が上がらない点が指摘されているが狩猟民族の真似をしても効果が出るわけはない。日本的考え方を否定する風潮があるのは困ったことで長い歴史に培われてきた風習を無理に変えるのは間違いである。話を戻そう。男性と話している間に地域の人がお参りにきてお布施を渡すと「おさがりをどうぞ」とお菓子の入った袋を手渡している。こういう時の「おさがり」という言葉は少なくとも自分の住む地域にはない言葉なので新鮮に聞こえた。またこの辺りは野生の猿やタヌキがよく出てきてゴルフ場(ミミズを食べるそうだ)や畑の作物を荒らすことがあり、動物が出てくると小学生は集団で下校するそうだ。「アライグマを見たことがありますがあれは獰猛ですね」という話も聞いた。アライグマ ラスカルをイメージしてはいけないようだ。祭壇の番をしている人たちが交代で夕食を食べに帰るのを見て自分もソリオきたの中にある食堂で生ビールとハマチの刺身定食で夕食にした。
7時過ぎに川面公園に戻ると中央のやぐらに明かりが灯り、その近くで中安先生を中心に子どもたちが打ち合わせ中だった。そこへハッピに短パン姿の稲垣君が加わった。打ち合わせが済むとボーイズ・エコーのメンバーが自分の所へ来たので話を聞く。稲垣君は「かり出された」とのことだ。中安先生から「声変わりするまで歌いに来なさい」と言われているそうで頼りにされていることがわかる。「先輩として後輩に言いたいことは?」と聞いたら「練習が心配です」と答えてくれた。心配な一人であろう荒木君は得意のけん玉を披露してくれた。一発で決めるのはなかなかのもので気持ちが集中している。練習中にこの感じが出ることを望みたい。現団長の並木君は両親の実家の話をしてくれた。時折、稲垣君に背中から抱きつくなど男の子同士ならではのスキンシップを楽しんでいた。中安先生によると今回の太鼓7名は新人でどうなるかと思ったが全員合格したそうだ。先月のユニベールでのイベントも問題なかったので安心だろう。時間になり町会長らしき人の挨拶が始まった。終わると歌とお囃子、大太鼓の子どもたちがやぐらに上がり稲垣君の「ハー」というかけ声で千吉音頭が始まった。稲垣君は現役当時と変わらぬ声でメンバーをリードしていく。
川面公園の風景
今回ボーイズから出ているのはソロに橋本君、お囃子に並木君と荒木君の3名だ。地域の人たちの踊りを見ていると先ほどの話の通りだ。ニューイヤーコンサートなら5分程度で終わるが本日は20分ぐらい続いた。終わると稲垣君が「声が枯れた」と言いながらおかあさんの所へ行き水をもらっていた。おかあさんが背中を軽くたたいてねぎらっているのを見てぬくもりを感じた。千吉は終わったがCDで民謡を流し踊りは続いている。聴いたことのない曲で遠くへ来たことを実感する。終わると15分の休憩となり本部席でジュースが配られた。自分はよそ者なので行かないでいたら大垣さんが「どうぞ」と持ってきてくださったのでありがたく頂戴した。自分の地元だとアルコール類もあるがそれはなし。奉納というのは浮ついた気分にならないということだろう。
休憩後、再び千吉音頭が始まった。今度は輪の外で自分も真似して体を動かしてみた。「あんた、リズム感が意外と悪いな」薫が笑いながら言い、「ぼくは覚えたぞ」と得意になって踊っている。「いいんだ。昔からそうだったんだから」と答えておく。踊っている人たちは地域の人たちだが年輩者と女性、子どもが目立つ。きょうは平日だからだろう。自分の地域の祭も昔は日が決まっていて平日でもやっていた。これも農耕民族の名残だったのだろう。ここ川面は今でも19日という日を変えないでいるのは伝統と察する。8月19日に祭をするのはなぜだろう?と新たな興味が湧いてきた。いつしか千吉音頭は終わりCDに合わせての踊りになった。これが終わると今日の祭は終了だ。短い時間だったが地元の踊りを見たり話を聞いたりと楽しく過ごすことができた。中安先生の所へご挨拶に行くと「昔、オープンテープに吹き込まれていたお年寄りの千吉音頭を聴いて歌えるようにおこしたんですよ」と話してくださった。勤務していた市内の小学校で教え、運動会で子どもたちに発表させたそうである。「ただ自分がいなくなると廃れてしまうのが残念です」とも話してくださった。伝統芸能を伝えていくのは並大抵ではなさそうだ。「昔は青年会がやってたけど、今やっているのは昔の青年会のメンバーです」と笑いながら話す世話役の声を聞きその思いをますます強くした。別れ際に聞いた「宝塚ほどいいところはありません」という言葉が印象に残った。
また宝塚へ行くの?
8月21日の日曜日に京都から帰ったばかりなのに道楽さんは「宝塚に行こう」と23日(火)、東京駅を23時に出発する寝台急行「銀河」に乗り込んだ。指定された寝台に座り車掌さんのチェックを受けるとカバンからウィスキーの瓶を取り出しチビチビと飲み始めた。自宅から持ってきた残り少ないものなので飲み過ぎる心配はない。車内には販売機もないし途中駅の売店はすでに閉まっているだろうから飲み物を追加することはできない。したがって道楽さんが飲み過ぎないよう監視する必要はないわけだ。電気機関車の汽笛を聞きながら深夜へと向かう外の風景を見ていると「旅に出るんだぞ」という気分を味わうことができる。「後ろに行って景色見ないの?」ぼくが言うと「ここでのんびりしよう」とぼんやりと風景へ目をやっていた。「薫君、自分はなんでこんなことやってんのかな?」道楽さんが考え込むように言った。「ぼくに聞いてもわからないよ。でも一つだけ言える。あんたはくたびれている。それと夏休みで仕事してないから体がなまってるんだ。あんたの場合、仕事をしなくなったらなんの意欲も出ないはずだ。だから仕事が始まればすぐ元に戻れる。今夜のことが近い将来のエネルギーになるよ。そう思うんだ」ぼくは偉そうなことを言った。「そうかな?」道楽さんは深刻な表情で答えた。夜が更けてきて「そろそろ休もうか」と道楽さんは歯を磨きに洗面所へ行った。そこへぼくの神様が現れた。「薫君、天気の良い日と悪い日があるように人間の気持ちは元気な時と落ち込む時があるんです。道楽さんは気分が落ち込んでいます。人間はそういう時、たとえ好きなことをやっていても楽しくなれないものです。そういう時は偉そうなことは言わず彼を黙って見守ってあげるべきです」と重々しく話す神様に「わかりました」とぼくは素直に答えた。「ところでこのウィスキーおいしそうだな。一口もらおう」と神様は急に軽い調子になりウィスキーを口に入れた。「相変わらず良い酒を飲んでるな」神様は満足そうな表情をして「では、また」と言っていなくなった。
翌朝、列車が京都を出発すると道楽さんは起きあがり身支度を整えた。ぼくたちのブロックには他の人がいないので気兼ねなく過ごせた。窓の外を眺めると家の前を掃いているおばさん、仕事に向かうおじさんたち、グラウンドで運動している中学生など日常の風景が見えた。日常とは違うことをしているぼくはなんとなく楽しい気分になった。道楽さんも窓の風景を一心に見ていた。ぼくは声をかけようかと思ったけど昨夜の神様の言いつけを守ることにした。
汽車の旅でご機嫌なぼく
大阪から福知山線の各駅停車に乗ると思った以上に混んでいた。「逆方向なのに混んでるね。大きな企業でもあるのかな?」道楽さんが言った。電車が伊丹に着くと大勢の人が下車し余裕ができた。反対側の上りホームは人がたくさんいるけど道楽さんは「東京ほどじゃないね」と言った。ぼくは朝の混雑を知らないので「そうなの」と言うしかなかった。宝塚に着いたのは7時50分頃だった。道楽さんは改札を出てソリオきたの前にある電話ボックスからどこかに電話をした。短い時間だったけど電話が終わると安心した表情になっていた。どうやら心配事があって気分が落ち込んでいたようだ。「朝ご飯にしよう」道楽さんはすっきりした表情で南口のワシントンホテルに入り和定食を注文。「ここの朝食はバランスがいいから」とお気に入りなのだ。ご飯をお代わりする道楽さんを見て心配する必要はないと思ったけどこういう時は何をするかわからないので監視を強めなければと気を引き締めた。
夏の練習を2時間見学
歩いて宝塚小学校へ行き玄関に立っていた先生らしき女性に「ボーイズ・エコーの見学に来ました」と道楽さんが声をかけると「どうぞ、どうぞ」とOKが出た。下駄箱で男の子の兄弟とおかあさんらしき人と一緒になった。「おはようございます」と互いに挨拶。この人たちの入った場所は練習場である多目的ホールだった。「もしかして新人?」と思ったらその通りだった。新人は5年生のT君。おかあさんと2年生の弟が付き添いだった。ホールには顔なじみの3年生が3人いたので道楽さんが「おはようございます」と挨拶すると集まってきた。背番号6のついたドラゴンズのシャツを着ているN君に道楽さんは「阪神ファンじゃないのかい?」と聞いた。「中日ファンだよ」と答えるN君に道楽さんはタイガースのハンカチを見せた。「ぼくは阪神ファンだよ」と話す道楽さんを見て同じようなレベルだなと思った。中安先生はまだのようで道楽さんが「準備してれば?」と言うと3人は「やろうか」という表情になった。「ちょっと待て。あんたが指導するのか?」ぼくが聞くと「ウオームアップの指導ぐらいならできるさ」と道楽さんが答えた。何をするかわからないと思っていたらその通りになった。「余計なことしなくていい。いつもと違うことをしたら中安先生にご迷惑がかかるぞ」と言いかけたら幸いにして先生が入ってこられたので一安心。「またいらしたんですか?」と先生は驚いていたけどそれが当然だ。「道楽がいつもご迷惑をおかけします」ぼくの声が聞こえないのはわかっていたけれど思わず言ってしまった。「きょうはこれだけ? K君からは休みの連絡があったけど他の子からは何か聞いてる?」中安先生の問いかけにみんなの顔は?マーク。「ちゃんと連絡くれないとさらわれたんじゃないかと心配するので休むときは連絡するように」と当然の話がある。結局、今日のメンバーは3年生のN君、I君、H君、団長のN君、新人のT君の5名だった。始まりの挨拶をして先ずは発声。「きょうは、この学校で宝塚市の音楽の先生たちが研修会をやるのできれいな声で歌ってください」と中安先生が話すとメンバーは一瞬ざわついたが関心はなさそうですぐにいつもの顔にもどった。「ロングトーンをやります」の指示が出ると「いやだな」と答える子がいた。「気持ちはわかる」進歩の見られない道楽さんがつぶやいた。「ドレミレドレミレドー」最後のドから何秒間伸ばせるかの練習だ。「風船の穴が大きいとスカッと出てしまいます。穴を小さくしないと長持ちしません」中安先生からアドバイスが出た。ぼくは見ているだけではつまらないのでそばへ行って声を出してみた。「お腹を固くして」「何秒続くか時計見てはかりなさい」の指示でぼくも数えてみた。結果? それは想像に任せます。6回ぐらい繰り返すうち少しずつ声を出す時間が延びてきた。6月の練習見学の時に比べ声もきれいになっているような気がした。新人のK君がカンニングブレスをしていたらおかあさんの注意が飛んだ。ピアノが高いキーになるとぼくを含めアルトのメンバーは苦しくなる。高音を出すのはどう工夫しても大変だ。基礎練習が終わると来月に予定されている「のど自慢」で歌う自由曲の一つであるモーツアルトの『セレナーデ』の練習に入った。これはよく耳にする曲でみんなが持っている楽譜を見ると日本語の詩がついている。「はゆる丘」「花は咲きみだれ」など歌詞の意味の説明を受けながら練習は進行していく。コマーシャルソングになっているそうで思ったより早くメロディーが頭に入っていくのがわかった。練習が一段落すると中安先生が沖縄の古いバンドのメンバーが「人を楽しませるためには自分が楽しまないといけない」という話をしてくださった。ぼくは楽譜を追うのが精一杯なので楽しむレベルにはなっていない。ボーイズのメンバーは楽しんでいるかというとノーだ。先生の目を盗んでは隣の子にちょっかいを出して楽しんでいる子がいるのは困りものだ。「やめろ」と言いたいけどぼくには無理だ。道楽さんに「そばへ来て注意してよ」と声をかけたら「部外者だからね」と遠慮気味に言った。「もう顔なじみだろ。悪いことは悪いと注意しないとあの子たちはわからないぞ。あんた合唱団の発展を望んでるんだろ」ぼくは強く言った。「その話しはわかった。でも自分の考えもあるから後で話すよ」「わかった」ぼくは引き下がった。練習は続き思った以上に早く最後までいった。「きょうははかどりました。休んだ子は損したことになります。オブリガードをだれかに頼んで入れてみましょう」という所で8分間の休憩に入った。道楽さんがぼくの本体を見えるようにイスに置いたらたちまちのうちにメンバーが集まってきて頭の上に載せられたりボール代わりにされたりして遊ばれた。痛い思いもしたけど楽しかった。この間、道楽さんは黒板に掲示されていた「のど自慢」の自由曲をメモしていた。主だったものを挙げて見よう。『おお牧場はみどり』『花祭り』『ビリーブ』『夏の思い出』『月の砂ばく』『もんく』『川で歌おう』『U&I』などお馴染みの曲に加えモーツアルトの『アレルヤ』『私は鳥刺し』『祝いのカノン』などが入っている。この中で『私は鳥刺し』が人気のある曲だったけどソプラノ向けでアルトには苦しいそうだ。休憩後も『セレナーデ』の練習は続き最後に録音した。これを明日の宝塚第1小学校の練習で聴いてみるそうだ。終了するとメンバーが輪になって座り『私は鳥刺し』を歌っていた。みんな真剣なので驚いた。練習態度に問題はあってもみんな歌が好きなのだ。ぼくはさすが合唱団員だとボーイズ・エコーを見直した。
道楽さんの話
「なんかくたびれた感じだ。2時間も集中したし声も出したから。それに休み時間は遊ばれたし」ぼくが言うと「ぼくも薫君と同じだよ。きょう一番の目的が終わったね」道楽さんも言った。「これからどうしようか」と投げかけたぼくに対し「お昼にしよう。気になっているパン屋があるからそこへ行こう」と道楽さんはぼくを誘った。宝塚南口駅近くのビルの1階にあるパン屋は小さなカウンターがありそこで食べられるようになっている。うれしいことにサービス期間中でポットに入っている暖かいコーヒーを無料で飲めた。白神酵母を使って焼いたというパンを道楽さんは「おいしい」と食べていた。セルフサービスで選んだのはサンドイッチとクリームパンだ。「パンがしっかりしている。これはいい」道楽さんお気に入りの店がまた宝塚で増えた。これで何軒目だろう。一段落すると道楽さんはさっき、態度の悪いメンバーを注意しなかった理由を話してくれた。ぼくは全面的に賛成できないけれど考えた上でのことというのはわかった。もう一つ『私は鳥刺し』の話をしてくれた。『魔笛』というオペラの中でパパゲーノという役(バリトン)が歌うのだそうだ。食事を終え市役所に向かって歩きながら『魔笛』を歌付きで解説してくれた。「知らなかった。オペラも詳しいんだね。もっと話してくれ」とぼくはせがんだ。
歌以外の活動もあります
親子カーニバルのボーイズ・エコー宝塚
2005年11月5日 |
家でラジオを聞いていた道楽さんが「京都御所の一般公開をやってるんだって。行ってみようか」と言い出した。「伊丹までの回数券が1枚残っている。この週末が期限だから使わなきゃもったいない」と言うけれどそれは遊びに行く口実だろう。「11月5日に宝塚小学校の親子カーニバルでボーイズ・エコーが輪投げの店を出す。午前中はそれを見よう。午後は図書館で文献調査をして宝塚に宿泊。6日の日曜日はカトリック教会のミサに参列してから京都へ行こう」話を聞いて前から考えていたんだなと思った。「薫君。一緒に来るかい?」「わかりきったことを聞かないでくれ。行くよ」ぼくは答えた。
11月5日(土)。出掛けにぐずぐずしたので7時発のANA13便を8時発の15便に変更した。羽田を定刻に出発したジャンボジェットは富士山を右に見ながら飛行していた。ちょっと霞はかかっているけれど富士山の全容がはっきり見えた。今日は快晴。絶好の飛行日和だ。「一眼レフ持ってこなかったよね」ぼくは言った。「重くなるから置いてきたけど惜しかったな」と道楽さんはデジタルカメラで撮影しながら残念そうに言った。ぼくは富士山が見えなくなるとイヤホーンを取り出していつものように落語を聞いた。古今亭志ん生の「火炎太鼓」がすごく面白かった。もう一度聞きたかったけれどその前に伊丹空港に到着してしまった。空港からバスに乗り歌劇場前で下車。ここから国道を渡り坂道を登れば宝塚小学校はすぐだ。この先しばらくは道楽さんにバトンタッチしよう。
受付を済ませ校庭への通路を歩いていくとボーイズ・エコーのA君がいたので「こんにちは。ボーイズ・エコーはどこでやってるの?」と聞くと「あっち」と指さした。そちらへ行くとボーイズのメンバーと保護者の方々、中安先生が地面にビニールシートを引きその上に人形などの景品を並べて輪投げの店をやっていた。順番を待つ列がほどほどに延びていて繁盛している様子。輪投げは1回50円で、人形やお菓子などの景品に向けて3回輪を投げる仕組みだ。投げる位置が年齢によって異なっている。持参したボーイズ・エコーの写真を入れたオルゴール(少年時代)を客寄せ用に貸し出した。それを見たB君がネジをまわして熱心に聴いていた。繁盛している輪投げを後回しにして校舎の中の催し物を見学する。スラロームの実演、ペットボトルのボーリング、紙飛行機飛ばしなどで賑わっている。ボーイズ・エコーの練習場所でもある多目的ホールでペットボトルボーリングの様子を見ているとC君、D君が列に加わり「道楽さんもやるの?」「大人だからやらないよね」と声をかけてきた。水の入ったペットボトルを倒すには力任せに投げてもだめでそれなりのテクニックが必要だ。やってみたくなったが大人なのでやめておく。廊下の壁に、1年生から6年生までの児童が自分の好きな本を紹介した文章が貼ってあるので読んでみる。当然のことだが学年が上にいくほどしっかりしている。要領よくまとめてある文章が多いので感心。それに比べ自分の書く文章は「くどいな」と反省。一通り見終わったので校庭に戻り輪投げに挑戦してみよう。「薫君、ここは君が書いてくれ」「了解」
道楽さんは「輪投げはちょっと自信があるんだ」と言うけれどぼくは当てにしないで見ていた。右足を前に出し腰を低くする姿はいいのだがやはり当てにならなかった。景品にスパッと輪はかからず、ぶつけただけだ。「どっちがいいですか?」恐竜のおもちゃとお菓子の袋を示された道楽さんはしばらく考え、プラスチックの恐竜のおもちゃを選んだ。これはゼンマイで歩く仕掛けになっていておもしろい。中安先生が景品を取れなかった人のために用意した残念賞をくださった。お宅にある月桂樹の葉(農薬は一切使ってないそうだ)を小さなビニール袋に入れた物で「これは貴重だ。残念賞の方がいいね」と道楽さんは喜んでいた。これに気を良くしたらしく宣伝用のプラカードを持って校庭を歩き、客引きを始めたけれど残念ながら反応なし。「もっと明るい顔をしろよ」ぼくが言うと「性格だからね。明るきゃいいってもんじゃないよ。無理なく自然体でやらなきゃね」と別のゲームを終えて出てくる人を狙って「輪投げをやってますのでお越しください」と呼びかけていた。閉店時間まで残り10分を切ったところで輪投げへ戻るとまだお客様が並んでいて盛況だ。「これどうぞ」とB君がラムネ菓子を手渡してくれると「ありがとう」とうれしそうな顔で受け取った。プラカードを置いてバザーのコーナーへ行き小さな手提げカバンを200円で購入した。これには手帳とデジタルカメラとぼくの体がすっぽり納まる。「荷物はホテルに置いてこのカバンを持って散策しよう」と道楽さんは満足そうだ。時間が来て店が閉店するのを見届け、みなさんにご挨拶をして宝塚小学校を出てホテルに向かった。
この後のことを簡単に書いておこう。昼食を済まし図書館で宝塚のだんじりに関する書物を読み、帰りに『宝塚大事典』(ボーイズ・エコーもカラー写真付きで紹介されている)を購入した。そしてT銘木で応接用のセンターテーブルを仮予約(後日、購入)して温泉でリラックス。翌日は雨の中、7時の礼拝に参列して京都御所を見学して夕方に帰宅した。いただいた月桂樹を使ってカレーを作った道楽さんは「おいしい」と自画自賛した。
多彩な曲を披露
第21回ボーイズ・エコー宝塚定期演奏会
2006年3月21日 |
ぼくがボーイズ・エコー宝塚の定期演奏へ来るのは2回目だ。ということはぼくが道楽さんのツアーにお供するようになって2年目に入るわけだ。ぼくにとって初めてのツアーはボーイズ・エコーの定期演奏会だったので記念日になるわけだ。わくわくした気分で入り口へ行くと受付をしていた保護者の方が道楽さんに「何か一言、お話をしていただきたいのですが」と頼んだ。「私でよかったら話します」道楽さんは気のない顔をしたが内心は喜んでいるようだ。この1年間、いっしょに旅してわかってきたけど道楽さんは見かけによらず人前に出るのが好きだ。「何をしゃべるの?」「みんなが成長してきたことを話すよ」「わかった。会場を暗くするような話をしちゃだめだぞ」「そんな話は嫌いだから大丈夫。任せなさい」客席に入ると道楽さんはいつものようにアルト側に席を取ったが、来賓席へ座るよう保護者に勧められてそちらへ移った。「来賓扱いしてもらえるのは光栄なんだぞ」さっきの席に未練があるらしい道楽さんに言った。「わかってる」「だったらもっとうれしそうな顔しよう。気分よく聴かなきゃだめだ。それが来賓の義務だぞ」「えらそうに言うね」「誰かさんの影響だ。それよりレポートをやろう。先ずはプログラムからだ」「了解。君は静かに鑑賞していなさい」「まずい、怒らせたかな?」と思ったけどそうではなかった。
プログラム
・ 団歌
・ ぼくたちの好きな歌
1.ゆかいな行進 2.太陽のマーチ(ラデッキーマーチ)
3.夏の思いで 4.見上げてごらん夜の星を
5.Believe 6.しあわせ運べるように
・アジアの歌
1.杵歌 (台湾山地民謡) 2.遊子回郷 3.川で歌おう
4.故郷の春 5.U&I
・にほんの四季
1. 一月一日 2.春よこい 3.春の小川 4.茶つみ 5.うみ
6.どんぐりころころ 7.たき火 8.虫の声
9.ゆき 10.冬景色 11.春が来た
・歌の動物園
1.動物園へ行こう 1〜3番 2.赤鼻のトナカイ 3.月の砂漠
4.もんく 5.ペンギンちゃん 6.象だゾウ
7.動物園 8.動物園へ行こう
・モーツアルトコンサート
1.お祝いのカノン 2.アルファベット 3.朝のうた 4.トルコマーチ
5.Twinkle.Twinkle.Little Star
6.五月の歌 7.歌劇「魔笛」より ぼくは鳥刺し
8.アレルヤ 8.セレナーデ
・いつまでも友だち
時間になり17名が整列するといつものように団歌でスタートだ。自分が見た過去3回は指揮と伴奏は団員が行っていたが、今回は中安、辻両先生だ。今回は6年生がいないことも影響しているのかもしれない。歌い終わると「みなさん、こんにちは。ボーイズ・エコー宝塚です。ただいま歌いましたのはボーイズ・エコーの団歌です。2代目団長、森 正人先輩が6年生の時に作詞作曲しました。ではただいまよりボーイズ・エコー宝塚の第21回定期演奏会を始めます」と代表の子がいつものスピーチをするとプログラムの始まりだ。この団歌は誰にでも歌える明るい曲で先輩のセンスを物語っている。さて最初は得意の行進曲で伸び伸びとした歌が聴けたがやや固い。2曲目の『太陽のマーチ』は一部の観客から手拍子が起きた。この曲は観客の手拍子と一体になると盛り上がるのでだれかが手拍子をリードするとおもしろい。参考までにウィーン少年合唱団はソプラノとアルトの子が1名ずつ前に立って強弱をつけた手拍子で観客をリードしていた。終わると一転して静かな曲だ。『夏の思いで』は少々ばらけた部分があった。もう少しゆっくり歌うと尾瀬の風景を想像できただろう。『見上げてごらん 夜の星』は出だしがあやしかったのが残念だがしっとりした仕上がりだった。ソロを歌った4年生のK君がさわやかなアルトを聴かせてくれた。次の『Believe』は「みなさんも一緒に歌いましょう」と呼びかけがあった。いきなりではなく歌う前に簡単な歌唱指導を上級生の団員がやれば観客はもっと声が出るだろう。次の『しあわせ運べるように』はボーイズ・エコーの十八番で例年は最後の方で歌う曲だ。野球で言えばクローザーか早々と出てきた感じで「えっ?」と思った。初めてこの曲を聴いた時、「急にうまくなった」と驚いたことを覚えている。それだけに毎年楽しみだが今年はまとまりに欠ける部分があり、思い思いに声を出しているような気がした。
2部に入ると団員はジャケットを脱いで登場した。最初の2曲は前年の夏、台湾の合唱団を迎えて開催した合唱交歓会での全体合唱の曲だ。歌う前に「台湾語はとても難しかったです」とスピーチがあったがそうは感じさせない合唱だった。最初の曲は「月を見ながら踊る」という意味の日本語の歌詞が一部に出てきた通り、踊りたくなるような歌で少年合唱に似合っていた。2曲目は情緒的な曲で清らかに歌い上げた。歌詞の意味は不明だが「故郷を懐かしむような歌らしい。自分の知っている曲だと『旅愁』に近いのかな?」と想像した。3曲目は3年生トリオが代わる代わるソロを披露した。1番のIn君は歌詞をはっきりと歌った。なによりソロがうれしくてしょうがないという気持ちが前面に出ていて微笑ましかった。2番のH君は落ち着いた態度で繊細な声を披露した。彼は千吉音頭のソロを担当しているので場慣れしている。3番のIs君はIn君同様はっきりした歌い方だった。姿勢を意識すればもっと良い声が出せそうだ。この3人を見ていて「成長してるなあ」とうれしくなった。4番目は韓国の歌で再び情緒的な歌だ。こういう曲をきれいに歌えるようになったとあらためて感心した。5番目の曲はレパートリーと呼んでいい曲だ。歌い込んでいるだけのことはありこの曲もきれいなハーモニーを聴かせてくれた。ここまで聴き、「きょうは行進曲でなく情緒的な曲の方がいいな」と思った。
続いては日本の曲である。「昔の子どもは難しい言葉を知ってるんだなと感心しました」というK君のスピーチを聞いた薫が「昔の子どもとしてどい思う?」と聞いてきた。「子どもの頃は歌詞の意味なんか考えなかったからね。今思えば確かに難しい言葉だ。でも今の曲だってけっこう難しいと思うよ」と答えておく。
歌を聴きながら子どもの頃、わからなかった言葉を拾ってみた。「ぞぞ」「きゆるところ」「みなとえ」など。また思い違いをしていたのが『春の小川』の「日なたで遊び」を「田舎で遊び」、「小鮒の群れ」を「コブラの群れ」である。「それはかなりひどいよ。なんで日本にコブラがいるんだよ。ちょっと考えればわかるだろう」「字を見ないで耳から入る言葉を覚えたんだな。歌うだけじゃなくて言葉の意味を教えておかないとこういうことになる」「あんたがぼんやりしていて説明を聞いてなかったんだろ」薫がため息混じりに言った。「今は使わない言葉があるから難しく思うのは無理ないよ。でもこういう歌は基本だからしっかり教えるべきだよ」「その話は後にしてレポートに戻ろう」
さて、日本の四季はメドレーで歌い続ける関係でオリジナルの曲とイメージが異なるものはあったが一生懸命歌っていた。『茶つみ』で手遊びを入れるなど楽しい演出もあり年輩の観客は懐かしそうだった。他に『うみ』を歌った5名の4年生、『冬景色』を歌った5年生3名の声はきれいだった。メドレーにこだわらず一つ一つを原調でて丁寧に歌う方法を考えてもよかったろう。ここで注意して欲しい点を一言。自分が歌わない時もきちんとした姿勢をしていなくてはならない。一部の曲に出だしが揃わないものがあり集中力の不足を露呈したのは残念だった。
続いては動物の歌を集めたプログラムだ。5年生のT君が前に出て「みなさんは、動物は好きですか?」と客席に呼びかけた。客席から「はあい」「好きです」と反応があった。「ぼくたちも大好きです」と話した後、しばらく間があき「ではみなさんを動物園へご案内しましょう」とスピーチを終えた。間があいても静かに待ち続ける観客を見て感動した。できそうでできないことだからだ。最初の『動物園へ行こう』は観客から手拍子が起きた。こうなると団員たちを押し上げることができるので楽しい舞台が期待できそうだ。終わると3年生のIt君が「トナカイとらくだを見に行きましょう」とスピーチし次の歌へ入る。『赤鼻のトナカイ』は手話をつけての楽しげな合唱。『月の砂漠』は1番を全員で歌い、2番を5年生のN君が、3番を同じ5年生のK君がソロを歌った。二人ともきれいなソプラノで安定感があった。ボーイソプラノできちんと歌われると曲は格調高くなる。4番は全員で合唱した。ややハーモニーがくずれたものの最後の部分はしっかり決まった。「おや? きつねとロバが集まって何か相談していますよ」とIn君がスピーチすると『もんく』だ。きつねとロバが決起して「ずるくない」「のろまでない」と本屋へ抗議しようという内容の楽しい歌だ。市民合唱祭でも歌っているので余裕のある歌い方だった。次は1年生のS君が「1,2年で『ぺんぎんちゃん』の歌を歌います」と力強く挨拶した。中田喜直作曲のこの歌を聴くのは初めてだ。小さい子ども向きのゆっくりした曲だ。1,2年生、4名の歌は微笑ましく観客も表情をゆるめて聴いていた。4名が列に戻ると「今度は大きなゾウさんを見に行きましょう」とスピーチがあり『ゾウだゾウ』を全員で歌う。言葉遊びのこの歌は合唱団のレパートリーと言ってよくいつ聴いても楽しい。続いてハイドンの『驚がく』に日本語の詩をつけたものだ。「めーめー」「ピーチク」など鳴き声の部分は感じが出ていてこれも楽しい歌だ。最後にもう一度『動物園へ行こう』を歌い「おとうさん、おかあさん。今度は本当の動物園へ連れて行ってね」という呼びかけで終了した。楽しい歌の合間のスピーチが調味料となった。自分もなんとなく動物園に行きたくなったことも付け加えておこう。ここでメンバーは舞台に座り来賓の挨拶となる。ここは薫に話してもらおう。
来賓の話は宝塚市教育委員会、桃太郎少年合唱団の棚田先生、館の館長さんと続き最後が道楽さんだ。ぼくは不安になったけど心配はなかった。「みなさん、インターネットで『ボーイソプラノの館』を開いてみたことがある方、どれぐらいいらっしゃいますか? 手をあげてみてください」見回しても数は少なかった。「宝塚は開拓の余地がたくさんありますね」とプラス思考の言い方で話が始まった。団員たちが成長してきた話に続き「新潟少年合唱団の練習を見学した時のことです。あっ、新潟にも少年合唱団があるんですよ」とさりげなく新潟少年合唱団をアピールした。「そこでこんな質問をされました。日本で一番上手な少年合唱団はどこですか? 自分は日本の少年合唱団をすべて鑑賞したことがあるのでこんな質問をされたんです」と忘れずに自分もアピールした。「やるじゃない」ぼくは思った。「実はこういう質問は困るんです。どこもそれぞれの良いところがあるので簡単に答えられません。それでも迷いながら二つの合唱団の名前を出しました」ぼくはその二つを知っているけど内緒にしておこう。「残念ながらボーイズ・エコーはこの中に入っていません」そんなことを言っていいのかなと思っていたらオチがあった。「そうしたら、もう一つ質問されました。一番好きな少年合唱団はどこですか? これには迷わずに答えました。(一瞬の間)ボーイズ・エコー宝塚です」と話すと会場から一斉に拍手が起きた。「やったあ」と思ったけどぼくは拍手をする気はなかった。理由はわかるでしょう。「この後もがんばってください」団員たちに語りかけ話は終わった。
「今年はモーツアルトが生まれて250年になります。ぼくたちはモーツアルトの歌をたくさん練習してきました。それではモーツアルトコンサートを始めましょう」と4年生のM君が挨拶すると最後の部の始まりだ。ボーイズ・エコーにとっては難しそうという曲もあったがハーモニーが一つになったのは立派だ。特に『アレルヤ』は高音部が大変そうだったが歌いきったことに拍手をした。他に合唱ではスキャットで歌った『トルコ行進曲』が、ソロでは『五月の歌』をドイツ語で歌った4年生のO君がよかった。また4年生のM君とT君の『ぼくは鳥刺し』は少年の声で聴くのは初めてなので新鮮だった。日本語の歌詞がはっきりと歌えたのもよかった。モーツアルトの曲は日本語もよく似合う。終わると団長の挨拶し、新団長へのバトンタッチの握手があった。「これからもボーイズ・エコーを良い団体にしていきましょう」「がんばります」二人とも5年生なのでこんな会話ができるのだ。最後の『いつまでも友だち』は感謝の気持ちがこめてしっとりと歌い上げた。終わると「きょうはぼくたちのコンサートにいらしてくださりありがとうございました。このコンサートが終わっても歌がうまくなるよう練習していきます」という旨のスピーチに会場から大きな拍手が起きた。それに対し「アンコールにお応えして『おお 牧場はみどり』を歌います」と話すと客席から笑い声が起きた。「やりますね」「さすが関西」薫と顔を見合わせた。歌が後半になると二人ずつ舞台を降りて左右の壁にそって並んだ。並び終わると恒例の『きょうのひととき』をアカペラで歌いすべてのプログラムが終了した。
しばらく時間が経ち、着替えを終えて舞台上に体育座りをしている団員たちに向かって前団長の稲垣君が普段の練習が大切なこと、指揮をちゃんと見なければいけないことなどを厳しい口調で訴えていた。名指しされた子が「ちゃんと指揮を見てるよ」と言うのに対して「そうは見えない」と容赦ない言葉を浴びせる。しかしボーイズ・エコーへの愛情は十分に理解できた。男の子の集団には厳しくも頼もしい先輩が必要だ。先輩と現役が一体になってよりすばらしい合唱団へ成長し続けることを願っておこう。
最後まで気を引き締めよう
宝塚市花とみどりのフェスティバルに出演したボーイズ・エコー宝塚
2006年4月29日 |
広島少年合唱隊の卒業演奏会のため、夕方に広島を訪れた29日は午前中、宝塚市花とみどりのフェスティバルに出演するボーイズ・エコー宝塚を聴くことにした。そこで羽田空港を7時に出発するANA13便伊丹行きを予約した。空港に着いたのは6時40分頃。普段は十分間に合うが手荷物検査場は連休初日とあって長蛇の列。出発時間が近づき「伊丹行きにご搭乗のお客様はお知らせください」のアナウンスを聞き保安会社の女声係員にその旨伝えると「6時55分発の便のお客様を優先しております」の一点張りで片付けられた。それを信じたのが間違いだった。検査を終え搭乗口に駆けつけると飛行機は出発した後だった。ANAのスタッフがすまなそうに頭を下げ、本来は変更のできないチケットにもかかわらず次の便の空席を確保し、すぐに出られるようにと出口近くの通路側の席を用意してくれた。これに感謝すると同時に「あなたのせいじゃない。悪いのは保安検査員だから」とフォロー。この場で末端の保安検査員を相手に文句を言っても埒があかないだろうと後日、保安会社にTELしてクレームをつけることにし、サンドイッチとコーヒーで気分を静めた。新聞で保安検査員が殴られたという記事を目にすることがある。もちろん乗客の理不尽もあるだろうが中には今日のようなケースもあるはずで混雑時の対応こそきちんとすべきだろ。指定された8時発の15便は順調に飛行し、伊丹空港に定刻9時5分に到着。急いでモノレールの駅へ行き9時25分に出発。乗り換えて蛍池駅の阪急ホームに行くとやってきたのは途中の雲雀丘花屋敷行きの電車。これでは間に合わない。そこでタクシーの拾えそうな川西能勢口駅に降りて客待ちのタクシーに乗ったのは9時43分。10時にステージに立つボーイズ・エコーに間に合いそうと思ったのは甘かった。道路は連休初日で渋滞していた。「高速が込んでるんで降りてきた車ですわ。遊びに行く人はいいけど用事のある人には迷惑ですな」と運転手がぼやいた。国道から市役所へ向かう道も車の列だ。「この先に場外馬券売り場があっていつも込んでますわ」の言葉であきらめがついた。今回のことは神様の思し召し(おぼしめし)と考え、気持ちを切り替えた。そして今回のことは様々な面で自分に生かさなければ意味はないと心に誓った。
どうにかこうにか市役所前に着いたのは10時6分。横断歩道の信号待ちで時間をロスし会場に駆けつけると10時10分。野外ステージではボーイズ・エコーの15名が『ビリーブ』を合唱中。この曲と次の『おお牧場はみどり』を聴けた。合唱を終えると前団長の並木君がお礼の言葉と団員募集のアピールを述べて退場。司会の女性が「きちんと挨拶ができました。それとみんなの姿勢がいいですね。合唱団に入ると歌もうまくなります」とフォローしてくれたことに感謝すると同時に他人から見てステージでの態度がよくなっているのだと感じた。ステージを降りるとボーイズ・エコーはミーティングを開始。合唱の中身に関してはマイクを使用する野外イベントなのでどうのこうの言うつもりはない。別の点で気になることをあげよう。それは話を聞きながら着替えをする団員が目立ったことだ。ミーティングと反省を終えてすべての演奏が終了するのだ。この場は演奏の続きなのだから、制服で臨むべきだ。ステージで踊るグループの音量が大きく、話に集中できないのは仕方ないで済ませてはいけない。そういう場所でこそ、工夫をし、気持ちを集中するのも大切なことで「今、自分は何をしているか。どうしなければいけないか」、このことを意識して欲しい。そうでないと現状維持が精一杯の合唱団になってしまう。中安先生の話に出てきた「練習に遅れてきたり、練習中ふざけている子がいる」では進歩は望めない。良くなってきた点はいくつもある。それらを伸ばすとともに反省を生かしてより魅力ある合唱団に育って欲しいので、ファンとしてあえて厳しいことを書いた。ミーティングが終了し館長さんと話をしていると団長の河原君が「これをどうぞ」とお菓子を持ってきてくれたのでありがたく頂戴した。子どもたちが解散した後、中安先生、辻先生、館長さんとしばし歓談。フェスティバルに出ている店を見に行く3人と別れ、手作り洋菓子の「華」(ここのケーキは自分の食べた中では最高)、屋久杉の店「津山銘木」へ行く。どちらも顔なじみになっているので話が弾んだ。「華」ではクッキー、「津山銘木」ではイチョウのまな板を購入。宝塚に来ると荷物が増えるのは毎度のことだ。最後に清荒神参道にある佃煮屋で辻先生が勧めてくださったいかなごの佃煮(美味)を購入し広島へと向かった。
落ち着いた心で平和への願いを込めた
合唱交歓会のボーイズ・エコー宝塚
2006年7月23日 |
道楽さんが宝塚へ来ると必ず立ち寄る場所がいくつかある。その一つが御殿山筋にある屋久杉を使った家具を扱うT銘木だ。ここで経営者のご夫婦と小1時間お茶を飲みながら話をして買い物をするのだ。この日の話は宝塚南口駅近くにあるおいしいそば屋とパン屋についてだ。そば屋の鴨南蛮とその店の並びにある白神酵母を使ったパンのおいしさを楽しそうに話しているのは道楽さんでご夫婦は聞き役だ。「次の休みに行ってみます。宝塚に住んでいても知らなくて」「自分もそうです。地元のおいしい店はわかりません」 確かに家にいる時は「どこかへ食べに行こう」ということはあまりない。道楽さんは、お気に入りの個人商店で魚、肉、野菜、豆腐などを準備して料理をするのが好きだ。「自分が食べたい味になるから」と自己満足しているのだから幸せだ。ぼくも家でのんびり食事を楽しむ方が好きなのでこの点はうれしい。「いけない、また話がそれた」 では本題を道楽さんに書いて貰おう。
ホールに着くと演奏中とのことで客席への立ち入りはできなかった。「イスに座って待つか」とそちらへ行き通路から階段下の入り口に目をやると辻先生が立っているのを見つけた。そちらへ行くとボーイズ・エコー宝塚のやんちゃ坊主A君をはじめメンバー3人も一緒だった。合間にトイレへ行き演奏が終わるのを待っているそうだ。4年生になったA君を一目見て「昨年に比べて落ち着いた」と思った。「大人になったらたばこは吸わないけどお酒は飲む」と話しているA君の話に加わりたいがこの場所では自粛しなければならない。辻先生から「静かにしなさい」と注意されるもののききわけがよくなっている。この日の出番は3時半頃とのことでまだ2時前。出番に合わせて会場入りするものと思っていたが客席で他のグループを鑑賞していることを知った。昨年は客席で待てないので順番をトップにしてもらったことを思い出した。客席の入り口近くに中安先生を始めとする保護者とメンバーがかたまって席を取っていた。自分は後ろの方に座るつもりでいたが中安先生から隣りの席を勧められたので好意に甘えた。おかげで貴重なお話しをいろいろとおうかがいすることができた。メンバーの鑑賞態度はおおむね落ち着いていた。うるさくなりかけて保護者から注意されることはあってもすぐにおさまる。昨年までは考えられないことで成長しているなと感心した。プログラムは進み出番となった。この日は各合唱団の男性との合同演奏で始まった。曲目は『ふるさとの四季』からで 舞台には15名のボーイズ・エコーと32名の男性が並んだ。司会者は「おじいさんと孫です」と紹介したが孫ではなく、ひ孫じゃないかと思った。それだけ高齢者が目立つのだ。お父さん世代は合唱ができないのかとさびしい気分になると「あんただってやってない」と薫が鋭い一言を投げかけた。そう。現役世代は忙しいのだ。臨時の男声合唱団を指揮するのは某女性合唱団の指揮者だ。それはいいのだが自分のイメージで『われは海の子』を「昔のきれいな海」を懐かしむように変えた。自分の合唱団ならいざ知らず臨時合唱団にそんなことを指示するのはよくない。『われは海の子』は男声が勇ましい声で歌ってこそ価値がある。合唱は指揮者の考え方だけが先行しどの曲も冴えなかった。指揮を見てどこで歌に入ったらいいのかがわからないのも一因だ。そんなわけで気持ちを一つにした合唱は聴けなかった。ただこれに懲りず別の機会に再挑戦をするべきである。せっかくの企画をこれで終わりにしてはもったいない。あれもこれもではなくどれか1曲に絞るのも方法だ。
さてお待ちかねのボーイズ・エコー宝塚である。この日は夏服ではなくいつもの赤いブレザーだった。ブレザーの下に白い半袖ポロシャツを着用しているのが冬と違う点だ。理由を聞いたら「なんとなく」だそうだ。曲目は『青い空』『折り鶴』『イッツ ア スモール ワールド』の3曲だ。先ずは成長株の一人、4年生のI君が「もうすぐ広島と長崎の原爆記念日です。日本は世界でただ一つ原爆が落とされた国です。今後どこにも原爆が落とされることがないよう『青い空』と『折り鶴』を歌います」とスピーチした。短いながら平和への想いを訴える気持ちが伝わった。また肉声でスピーチしたのも効果的だった。合唱は低学年のメンバーを含んだ15名にもかかわらずきれいな合唱に仕上がった。きれいなだけでなくボリュームもあり曲のイメージ通りに観客の心へ語りかけるような合唱を披露することができた。2曲を歌い終えると4年生のH君が「災害や戦争で真っ先に犠牲になるのは子どもです。子どもたちが早く幸せに暮らせるように『子どもの世界』を歌います」とスピーチした。H君も千吉踊りのソロを担当するなど成長しており、この日のスピーチも落ち着いていた。さて『子どもの世界』は手話をつけての合唱だ。馴染みの曲に手話をつけて歌うのはだいぶ慣れてきた。手話に気を取られることなくしっかりしたハーモニーをつけられるのは大きな進歩だ。また下級生の団員が今回の曲目を歌いきったのもうれしいことだ。3月と4月に聴いた時は本番前に内輪もめでもしたのかと思うくらい指揮を見ないなど集中力が欠けていた。この日は全員が中安先生の指揮を見ながら姿勢よく歌っている姿を見て安心した。少年らしい純粋な歌声が聴けたのも収穫だった。去年までやんちゃだった4年生が年齢相応に落ち着いてきたのも一因だろう。先生や先輩たちに支えられて成長してきたのだから今度は下級生を支える番である。出番が終わった合唱団の所へ案内されスピーチをしたI君、H君に「スピーチよかったよ」と声をかけると二人ともうれしそうな顔をした。「(話し方が)ちょっと速かったかな」と話すI君はお兄さんらしい表情だった。また「制服がきれい」と声をかけてくれた人がいるそうだ。中安先生が「合唱がきれいと言われるようになりましょう」と話された。きれいな合唱を目指して一人一人がしっかり練習に励んで欲しいものだ。
やんちゃな天使たち
ボーイズ・エコー宝塚ののど自慢大会
2006年8月31日
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「わざわざ東京から休みを取ってまで来る場所か?」と思うけれどそれに付き合うぼくも人のことは言えない。道楽さんにとって宝塚は特別の場所なのだ。ではのど自慢大会の様子を書いてもらおう
今回の会場である宝塚第1小学校のランチルームは木をふんだんに使った内装で雰囲気がよい。ここはピアノとオーディオ装置があり音楽活動にも使えるようになっている。こういう場所で食事をするのは楽しいだろう。ティータイムに団員募集を兼ねたボーイズ・エコー宝塚のミニコンサートという企画もできそうだ。「いいなあ。木は人を落ち着かせるね」「あんたはそうだろう。よくわかるよ。でも少なくともあの子たちは違うよ」室内を駆け回っているボーイズ・エコーのメンバーを見た薫が言った。上級生も下級生も年齢に関係なく楽しそうにしているのは悪いことではないがけじめは欲しい。それでも辻先生が黙って右手を挙げる(集合のサイン)と子どもたちはがやがやという感じで席についた。ある時、「昔のボーイズ・エコーはこのサインで集まれました」と話したところ、対抗意識を起こした子どもたちが「ぼくたちもやる」と言い出したそうだ。この日は午前中がいつもの練習で午後がのど自慢大会となっている。ではのど自慢大会に焦点をあてて書いていこう。
順番はくじ引きである。課題曲の団歌と自由曲の2曲を前に出て歌うのだ。その結果、次のようになった。
1.5年生 こいのぼり 2.2年生 山のごちそう
3.2年生 こいのぼり 4.4年生 われは海の子
5.4年生 美しいチロル 6.6年生 夏はきぬ
7.5年生 こいのぼり 8 3年生 野いちご
9.4年生 夏はきぬ 10.5年生 ウォシング マチルダ
11.6年生 われは海の子 12.2年生 サラスポンダ
13 2年生 野いちご 14.2年生 夏はきぬ
今回は14名の参加で、他に病気や家の都合で来られない子が4名いるそうだ。
開始時間が近づくと中学2年生のOB、稲垣君が差し入れのお菓子を持って駆けつけてきた。今日は審査員を頼まれているそうだ。自分も審査員を頼まれており中安先生と合わせて3名で審査をすることになるわけだ。「鑑賞には慣れてるけれど審査員という柄じゃないな」と思ったが頼まれたからにはしっかりやろうと引き受けた次第だ。
見学の保護者や第1小学校の先生が集まり、時間になると団長の河原君が「これからのど自慢大会を始めます」と挨拶した。舞台に見立てた正面に向かって左側の壁沿いに子どもたちがくじの順番通りイスに座って待機している。正面の客席には保護者や子どもたちの兄弟が座っている。右側に審査員3名が座り準備ができると最初の子が登場だ。学校名、学年、名前、自由曲の題名をスピーチして歌に入る。審査基準は、節がよい。言葉を間違えない。声がはっきり。高くよくひびく。よい顔、よい態度の5点となっていた。基準をクリアすれば各々1点がつき、全部クリアできれば5点、2曲歌うので最高は10点となる。これだけなら簡単と思う方々もいるだろうが迷う点が多々ある。その分、真剣に聴かなければならないので以外とやっかいだ。歌っている子どもたちにとっても全部をクリアするのは大変だ。鼻歌と違い、一人で観客を前に歌うのは気分が違うだろう。テンポが速くなったり音程がおかしくなる箇所が出るのは緊張があるからだろう。それでも4年生以上は「うまくなってるな」と感じた。夏の練習を休まなかった子もいるそうで着実に成長しているのはよいことだ。しかし中には休み時間中、声を出して遊び過ぎたために本来の力を発揮できない子もいた。このことは次の演奏会へ生かすようにして欲しい。また歌い終わって席まで走って戻る子がいた。今回は審査基準に入らないが伸び悩みの一因となるだろう。自分の足下をしっかり固めるよう心がけることを望みたい。いくつか指摘したが歌っている最中の「よい顔、よい態度」は自分の審査では全員クリアした。「そんなの当たり前だろ」と言う薫に「3年前はそうでなかった」と話した。あの時は待機中の態度も目に余るものがあったが今回は落ち着いている。「待っている態度が悪いと減点」だったがそんなことはどこ吹く風。最後まで騒がしかった。今回はそういう約束事はなく下級生には「がんばれ」と励ましの声がかかった。「良くなってるんだね」と薫が納得した顔になった。ところで4年生以上の子どもたちは課題曲を歌い終わり自由曲に入る前に「みなさん、こんにちは。ボーイズ・エコー宝塚です。ボーイズ・エコー宝塚は小学生の男の子ばかりの合唱団です。天使の歌声を目指して毎週1回練習しています」とスピーチする。演奏会でのスピーチの練習でもあるのだろう。どの子も落ち着いてはっきり話せるのは積み重ねの結果だろう。「天使ねえ。悪魔とは言わないけどやんちゃな男の子の声だね」「いいんだよ。人間はいろんな面があるんだよ。ある時は天使、あるときは悪魔」「ところで、あんたは天使の声を聞いたことがある? ぼくはないけど」「そうか。どんな声なんだろう?」「後で議論しよう。歌に集中だ」
14名が歌い終わると稲垣君と一緒に集計した。この間、辻先生がイントロクイズを行い子どもたちを飽きさせないようにしていた。子どもたちは楽しそうにしていたからなんだかんだ言っても音楽が好きなのだ。
集計の結果、6年生の河原君と5年生の川野君が同点の1位になった。約束で同点の場合は下級生が上位となるので優勝は川野君となった。同級生の場合だと後から入った子が上位となるので「河原君の方が後から入ったよ」との声もあがったがそれはなし。心情的には二人とも優勝にしたかったがそうはいかないだろう。さて優勝した川野君は一生懸命練習する子だ。昨年の今頃はロングトーンが5秒ぐらいしかできなかったが今は20秒以上伸ばせるようになった。練習もほとんど休まなかったそうで努力が報われたのはうれしいことだ。表彰式では、3位までの子に中安先生の家にある月桂樹の葉を使った冠が贈られる。上位に入った子どもたちは他の子が歌っている間、一緒に口ずさんだり体でリズムを取ったりしていたことも付け加えておこう。また感想を求められた稲垣君が「指揮者がいない時は正面を見るように教えられたけど、キョロキョロしている子がいた」と鋭い指摘をした。OBとして気になるところなのだろう。最後に中安先生から見学に来ていた3年生と1年生の兄弟の紹介があった。東京から引っ越してきたばかりで現役団員の保護者に教わって見学に来たそうだ。この2名が入団することになったのはうれしいことで良い出会いになることを望みたい。上級生の団員たちはやんちゃでいいから下級生を支える良き先輩になることを期待しよう。
会場を出たのは4時頃だった。「これで帰るのも芸がないな。余韻に浸ろう」という道楽さんの提案で宝塚温泉に入浴し手足を伸ばしてリラックスした。今日のお湯はぬるめだったので気持ちよく泳げた。上がってから「中川でビールを飲んで、蕎麦を食べてから帰ろう」と南口近くの店に行ったら蕎麦が売り切れで閉店していた。仕方なく並びの居酒屋に入りビールと湯葉を注文した。「普段、音楽を聴くときは点数をつけないだろ。きょうは審査と鑑賞の違いを経験した」「何が違うの?」「鑑賞しているだけなら『ウォシング マチルダ』を選ぶよ。竹内君はきれいで強いアルトになった」「あんたがアルトを好きだというのもあるんじゃない?」「そうかもしれない。でも点数だけじゃわからないことがある。どんな世界でもそうだけど」話がそれそうになったので「天使の声について話そう」と話題を変えた。和歌山のお酒を注文した道楽さんが時計をぼくの前に置いた。「最終便に間に合うよう計時してくれ」「わかった。ぼくはごはんとおみおつけが欲しい」お酒が進まないようにしなければならないからだ。
上級生たちの力を実感したボーイズ・エコー宝塚
2007年7月22日 |
この日は、宝塚市の合唱交歓会である。前日に宝塚入りし、宝塚小学校の盆踊り大会へ行くと中安先生にお会いすることができた。前回の「花とみどりのフェスティバル」の時は入院中だったが、お元気そうなので安心した。会場ではビンゴゲームが行われていた。進行役を務めている大学生はボーイズ・エコーのOBだそうだ。「言われてみれば声がよく通るね」薫が感心したような顔をした。「こうやって地域で活動しているのはいいことだ」これは自分の感想だ。前置きはこれぐらいにして本題に入ろう。
ベガホールの入り口近くでぼんやりしていると辻先生と5年生のA君がやってきた。彼は1年生の頃から知っており、やんちゃ坊主という呼び方がピッタリだった。練習の時も集中できず「続かないだろうな」という予想とは逆に成長してきた。根気強く指導を続けることがいかに大切かをボーイズ・エコー宝塚を見ているとわかる。A君は集まってくるメンバーを名簿でチェックしていた。更に、本番で舞台に入場する時はプラカードを持つように言われたのを見て「出世したね」と言うと照れたように笑った。メンバーが揃うとA君を先頭にホールへ入ってくのを見届け自分も客席へ入った。
この日、ボーイズ・エコーはプログラム5番目の登場だった。学習塾やスポーツ合宿等の関係で来られない子がいるので舞台に立ったのは17名だった。入場が完了すると3年生のB君が前に出てきた。きちんとした姿勢で「みなさん、こんにちは。ボーイズ・エコー宝塚です。昨年、丹波の河原で恐竜の化石が見つかりました。もしかしたら昔々、このあたりを恐竜がノシノシと歩いていたかもしれません。『化石の恐竜』と『パフ』を歌います」とスピーチした。マイクを使わなくても声がしっかり通るのはさすがだ。最初の曲は初めて聴く曲で、ソプラノ、アルトともきれいに声が出ておりボーイズ・エコーらしい明るさがあった。この歌は明るい中にも人間への警鐘が込められている。歌詞を紹介しよう。
恐竜って よく見ると かわいい目をしているね
こんなに 大きな体をして いったい なにをたべていたの
川や海をふみつぶして 亡びてしまった恐竜よ
恐竜って よく見ると やさしい顔をしているね
こんなに ごっつい体をして いったい どこにすんでいたの
森や山をあらしまわって 亡びてしまった恐竜よ
イエ、イエ、アナタガタ ニンゲンサマニハ オヨビマセンヨ
最後の部分を5年生でアルトのC君がソロを歌ったのが良いアクセントだった。C君も低学年の頃から知っており、歌での存在感が増した。また列から出てきて歌い終わり、元に戻る姿がきれいだった。それを見て「成長している」とうれしくなった。欲を言うと「川や海をふみつぶして」と「森や山をあらしまわって」をはっきり歌って欲しかった。そうすればソロがスパイスとして効いただろう。そうは言っても日本語の歌詞をはっきり歌うのは以外と難しい。しかしここを乗り越えればもっと良い合唱になるはずだ。次の『パブ』は明るいテンポにうまく乗れた。こういう曲はつい張り切って大声になりがちだが程好い声で合唱できた。英語の歌詞も違和感なく自然に声が出ているのもよかった。終わると2年生のD君が前に出て「いよいよ夏休みが始まりましたね。みなさんはどんな計画をたてていますか? ぼくたちは山へ行こうと思っています。山の曲を2曲歌います」とスピーチした。今回スピーチした2名は低学年ながらしっかりしていた。「レベルは上がっている」と再びうれしくなった。『夏の山』は、幼い感じながらソプラノ、アルトとも一生懸命歌っていた。幼いと感じたのは二つのパートが溶け合っていなかったからである。しかし「まだ歌い慣れていないから仕方ないか」と思っていたら、次の『すべての山に登ろう』は、一転、密度の濃い合唱となった。後で知ったのだがこの日が初舞台となる子が3名もいた。それでも合唱のレベルが保たれているのは本人たちが真面目に歌っているのはもちろんだが上級生が支えられるようになったのが大きい。自分はボーイズ・エコー宝塚と付き合うようになって5年目である。やんちゃだった下級生たちが成長して合唱団を支えられるようになってきたのを見て言えることがある。それは「根気強い指導をすれば、子どもは必ず伸びる」ということだ。もう一つ、その子が伸びるためには「辛抱強く続ける」ことだ。周りの大人たちには是非理解して欲しい。「辞めたがっていた時期もありましたが最後まで続けたことで子どもが自信をもつことがでました」という保護者のお話しも伺ったことがある。子どもが成長するためには互いの辛抱が必要だ。
合唱を終え、ホールの外で解散を前にした子どもたちへのスピーチを中安先生に頼まれた。そこで「中安先生と辻先生を信じて最後まで付いて行ってください。きっと成長します」と自信をもって話した。
この演奏会で「丹波の恐竜」に興味をもった道楽さんは後日、三田市にある博物館へ行き恐竜の骨を見てきた。更に、福知山線下滝駅近くの発掘現場へも行ったそうだ。道楽さんにそういう行動をさせる力がボーイズ・エコー宝塚の歌に込められていたわけだ。ぼくにはわからないけれどこの合唱団は道楽さんを元気にするものを持っているのだろう。
おおいに楽しませてくれた演奏会
ボーイズ・エコー宝塚第23回定期演奏会
2008年3月20日 |
宝塚市西公民館ホールのソファで開場を待っているとボーイズ・エコー宝塚のメンバーが目の前を走っていった。「ウォームアップですか? そのわりには楽しそうですね」。風君が不思議そうな顔をしていたら「走るんじゃありません」と注意する大人の声が聞こえた。「ウォームアップじゃなくて遊んでるんだよ。5年前はキャーキャー言いながら走り回っている1年生がいてね。変わった発声練習だなと思っていたら違ってた」と道楽さんが笑いながら言った。「本番前、30分は楽譜を読んだり、静かに座って集中力を高めないといけないんじゃないですか?」「この合唱団はああやって遊びながら集中力を高めるんだよ。人それぞれだ」「そうですか」。納得いかない風君の顔を見て3年前のぼくと同じだとおかしくなった。ぼくも初めての演奏会の時、似たようなことを感じた。「風君、本番を見るとそれがわかるよ」とぼくは言った。
当日のプログラム
団歌
楽しい歌
1.ウィンターワンダーランド 2.ねずみがチョロチョロ
3.化石の恐竜 4.パフ
山へ行こう
1. 雪山讃歌 2.山こそわが家 3.夏の山 4.アルプス一万尺
5.やまびこごっこ 6.とうげのわが家 7.会津磐梯山 8.箱根八里
9.富士山 10.フニクリフニクラ 11.すべての山に登れ
6年生の歌
1. 最後のチャイム 2.街は光の中に 3.元気に笑え
4.少年時代 5.旅立ちの日に
平和をねがって
1. 青い空は 2.折り鶴 3.しあわせ運べるように 4.フィンランディア
名曲コンサート
1. 春の川で 2.動物園 3.家路
4.ゆかいな行進 5.王様の行進 6.セレナーデ
いつまでも友だち
幕が上がると19名のメンバーが2列に並び、先ずは団歌だ。歌を聴き、声が揃い伸びるようになったと感心すると同時にきょうは良い演奏会になると確信した。指揮をする5年生のI君は上級生としての重みが出てきた。彼を下級生の頃から知っている自分としては感無量だ。終わると団員の一人が前に出て「みなさん、こんにちは。ボーイズ・エコー宝塚です。ボーイズ・エコーは小学生の男の子だけの合唱団です。ただいま歌いましたのはボーイズ・エコーの団歌です。2代目団長の森 正人先輩が6年生の時に作詞作曲しました」といつもの挨拶をすると客席から「ホー」という声がした。この団歌は誰でも気軽に歌える歌で好感がもてる曲だ。「歌えるものなら歌ってみろ」という感じの曲が増えている中では貴重な存在で歌い継いでいって欲しい曲だ。「2番の最後は気持ちを集中させないときれいに終われないよ。歌の基本は必要だ」「ぼくもそう思います。のど自慢大会で初めて歌う子は1番だけなのもそういう理由でしょう」。薫風の意見である。
I君が列に戻ると別の団員が前に出て「はじめに楽しい歌を4曲歌います。1曲目は冬の外遊びの歌、『ウィンターワンダーランド』です」とスピーチした。このように歌う曲名を団員が代わる代わる前に出て紹介するのがボーイズ・エコーのやり方だ。『ウィンターワンダーランド』は雪の中で元気に遊ぶ子どもたちを想像させるような合唱だった。『ねずみがチョロチョロ』は『ずいずいずっころばし』、『ミッキーマウスマーチ』など3曲のメドレーだ。『ミッキーマウスマーチ』は3名が前に出てスクワットのような楽しい振り付けがあった。『化石の恐竜』は歌詞がはっきりわかり最後の「いえ いえ あなたがた にんげんさまには およびませんよ」がよりスパイスを効かせる効果があった。夏の演奏会では歌詞が明瞭でない部分があったがこの点を克服しているのがうれしかった。また最後の部分をソロで歌った下級生の声に存在感があり将来が楽しみになった。話しが変わるが夏にこの歌を聞いたのがきっかけとなり丹波で発見されたという恐竜に興味をもちJR福知山線下滝駅近くの発掘現場へ出かけことを付け加えよう。次の『パフ』はリズムに乗りどの団員も楽しそうに歌っているのがよかった。終わると一度退場しジャケットを脱いで再び整列した。「ちゃんと手を後ろに組んで指揮を見ながら歌っている」と感心したら「そんなの当たり前じゃないですか。指揮を見てない子と手を組んでいない子もいますよ」と風が指摘した。「その当たり前が昔はできなかったんだよ。ズボンや靴下を直す子がやたらにいたんだ」と過去を回想した。ただそれは一瞬で「今から山の歌をたくさん歌います。先ず冬の山に登りましょう」というスピーチで気持ちを切り替えた。1番を全員で、2番から4番を三つのグループに分かれて、最後は再び全員で歌うやり方でグループの違いを楽しめた。『山こそわが家』と『夏の山』は夏のさわやかな風景を感じさせる歌で特に後者は高音部と低音部のバランスがよかった。『アルプス一万尺』は手遊びをしたくなるような合唱でソプラノグループの声がよく伸びていた。『やまびこごっこ』は1年生から4年生による合唱で「やまびこさん やまびこさん まねっこさん まねっこさん」という歌詞が楽しい。楽しいだけでなく各パートの声がやまびこのように響きあう上々の出来だった。これを聴いて後ろの席にいた男の子が「おもしろい」とケラケラ笑っていた。『とうげのわが家』は3年生2名と5年生1名が個性を生かしたソロを披露した。終わると宝塚市長が、市のイベントに出演してくれるボーイズ・エコーへの感謝、中安先生は小学校1年生の時の恩師でいまだに頭が上がらないこと、市役所の隣にあるNTTの工場が移転することになり跡地に文化ホールや高度医療を行える病院を作る予定があるというスピーチをした。市にとって税収入を考えると工場が移転することはかなり大きいだろう。また市役所は駅から離れているので文化ホールへお客様を呼べるかどうかも気になるところだ。話を戻そう。『会津磐梯山』は合唱用にアレンジされていて出だしの「しゃんちりしゃりちり」の部分を最初にアルトが歌いそれにソプラノがかぶさる感じで歌に入っていくのが面白い。『箱根八里』は飛び跳ねるような感じで始まり次第に平坦になっていく歌い方、『富士山』はゆっくりしたテンポで大らかな感じの歌い方だった。『フニクリフニクラ』はやや声がばらついたが『すべての山に登れ』はうまくまとまった。下級生には難しい歌だが一生懸命歌えたのは評価できる。
休憩の前に若葉奨学金に関するアナウンスが流れた。これは13年前に起きた阪神淡路大震災で親を亡くした子どもたちを高校卒業まで援助するための募金である。ボーイズ・エコーは毎年定期演奏会の時、観客に呼びかけて募金を集めている。このような地域貢献のための活動も行っていることを付け加えておこう。
次のプログラムは恒例の6年生によるソロで、先ずはK君の『最後のチャイム』だ。この曲にした理由は、卒業式で練習した曲の中でこれがいいと思ったからだそうだ。チャイムのメロディーをあしらったピアノ伴奏で始まるゆったりした曲を強弱つけながら歌い上げた。彼は1年生からの団員で一歩一歩着実に歩んできた。次はH君でK君同様卒業式の歌の中で一番気に入ったという『街は光の中に』だ。これもゆったりした曲で繊細ながらもきれいなソプラノでしっかりと歌った。特に最後の部分がしっかり延び合唱団員ならではの声を聴かせてくれた。彼は5年生からの団員でボーイズ・エコーに入ったことで歌に自信がもてるようになったそうだ。3番目は団長のO君で、去年、この曲を聴いてすごくいいと思ったので選んだという『元気に笑え』だ。最初ふらつく感じがしたが徐々に安定し強いソプラノを聴かせてくれた。弟のK君との二重唱の部分は気持ちを合わせて歌っていた。O君は2年生からの団員で声の存在感があった。印象に残っているのは4年生の時にソロで歌ったモーツアルトの『5月の歌』である。4番目のT君は大好きだという『少年時代』だ。これは自分のイメージからするとやや高いトーンでの歌唱だった。彼は1年生からの団員で5年前の定期演奏会で「将来が楽しみ」と思った一人である。ここまでアルトの要として合唱団を引っ張ってきた。印象に残っているのは2年生と5年生での、のど自慢大会である。2年生の時の『大空讃歌』での響きのある声、5年生の時の『ウオシングマチルダ』でのまっすぐな声は今でもはっきりと覚えている。最後のM君は、昨年の定期演奏会で先輩が歌うのを聴きかっこいいと思ったので選んだという『旅立ちの日に』だ。こういう話を聞くと先輩が後輩に与える影響は大きいと思う。M君も1年生からの団員で先のT君同様、将来が楽しみと思った子だ。歌のセンスがあり真面目なM君はそれを練習で磨いてきた。歌は音符を一つ一つ丁寧に取りながら歌っている感じで性格が表れていた。2年生の、のど自慢大会で先輩たちを抜いて1位になったことや、演奏会でのソロが印象に残っている。話は違うが5年前、自分が初めて聴いた定期演奏会でプログラムに『お山の杉の木』という曲があった。その時、ずいぶん古い歌を歌うなと思ったが後から考えると当時、半数を占めていた1年生へのエールではと感じた。歌詞の中にある「こんな チビスケ なにになる」だった杉の子同様、6年生は合唱団を支える存在に成長した。これで卒業するのは残念だがここまでやり遂げたことは大きな自信となって、ひとりひとりを支え続けるだろう。
最後のプログラムは有名な外国の曲に日本語の歌詞をつけたものだ。ここで感心したことを一つ書こう。プログラムは『春の川で』のはずが『動物園』の伴奏が流れそのまま合唱が始まった。「プログラムが変わったのかな?」と思っていたら合唱が終わったとたん、辻先生が「ごめんなさい。間違えました」と言った。この発言がなければ自分も気づかなかった。間違いにもかかわらず歌いきった少年たちにプロ根性を見せられたようでおおいに感心した。残りの曲はプログラム通りに進行した。元気系の歌は元々得意なので全員楽しそうに歌っていた。特に『ゆかいな行進』の最後に「おー」と右手を挙げるのがきれいに決まったのがよかった。この部分は以外に難しくきれいに決まらないことがあるがこの日は大丈夫だった。元気系の中で例外だったのがドヴォルザークの『家路』である。元気な少年たちがよそ行きの格好で歌っているのが微笑ましかった。しかし合唱団が成長していくにはこの手の曲をじっくりと歌うことは必要で指導者の意図を感じた。もう一つ印象的だったのはビゼーの『王様の行進』だ。地に足のついた合唱とは言えないが新しい方向への成長を期待させるものがあった。この曲の進化も楽しみだ。最後の曲に入る前に団長のO君が「きょうは定期演奏会に来てくれてありがとうございました。ぼくたちの歌はどうでしたか。(会場から拍手)ぼくたち団員はきょうのために一生懸命練習してきました。ぼくたちと一緒に歌を歌ってくれる男の子たちも待っていますのでどんどん入団してくださいね」と挨拶した。終わると恒例の新団長へのバトンタッチの握手だ。新団長のH君はO君と握手しながら「がんばります」と応えた。
最後の曲『いつまでも友だち』が終わって客席から拍手が起きると、「拍手をたくさんいただいたのでもう一度『アルプス一万尺』を歌います」というスピーチがあった、ぼくはこれを聞き出たと思った。「これアンコールの拍手とは違うような気がします」と首をかしげた風君に「これがボーイズ・エコー流なんだ。細かいことは考えないようにしよう」と言った。「先輩、道楽さんに似てきましたね」。風君が笑った。『アルプス一万尺』が終わりに近づくと団員たちは二人ずつ観客に挨拶をして左右の壁に沿って1列に並んだ。演奏会終了のアナウンスが流れはじめると合唱団はアカペラで『きょうのひととき』を歌いだした。舞台の写真は禁止だけれどこれはいいだろうと道楽さんは歌っているアルトグループにカメラを向けた。すると一部の上級生がカメラの前に来てVサインをした。「とにかく歌いなさい」と道楽さんはジェスチャーで伝えるのが精一杯だった。アルトグループが歌い終わっても客席を隔てて反対側にいるソプラノグループの歌は続いていた。「あれ? 向こうはまだ歌ってる。2部合唱だ」「ちがう、輪唱や。いつのまに?」この会話を聞いた風君は「アンビリーバブル」と叫び「道楽さんがカメラを向けるのが悪いんです」と憤慨した。それに対し道楽さんは「それはそうだけれど」と首をまわした。「いい味出してるよ。これがボーイズ・エコー宝塚なんだ」。ぼくは笑いながら風君の肩をたたいた。「ボーイズ・エコー宝塚は最高や」。道楽さんはそう言って会場を後にした。
「何が最高なんでしょうね。歌のうまさやマナーではグロリアのBクラスの方が上です。TFBCはもっとすごいですよ」「ぼくもだんだんわかってきたけれど歌がうまいだけじゃ人の心を動かすことはできないんだよ」「そのためには何が必要なんですか?」「それはわからない。道楽さんもそのことについては同じだよ」「難しいですね」。宝塚温泉に着くまでの間、ぼくたちは真面目な話を続けた。
気持ちを合わせた合唱を披露
合唱交歓会のボーイズ・エコー宝塚
2008年7月20日 |
「新幹線にしよう。飛行機の予約を取ってその時間までに空港へ行く自信はない」。地域イベントのボランティアから戻った道楽さんが疲れた顔で言った。その言葉通り夕食は珍しくノンアルコールだった。飲んだら体が熱くなって眠れそうにないからというのが理由だ。この日は暑く、ずっと外にいて動き回っていたそうでご苦労なことだ。
翌朝、自宅で朝食をゆっくり食べ、品川駅からのぞみのグリーン車に乗車した。昨夜は熟睡できなかったのでゆっくり休みたいそうだ。熱海を通過した頃から京都を発車するまでしっかり眠り、福知山線の宝塚へ到着したのは11時前だった。外は晴れあがりすごい暑さだった。ソリオ北にある100円ロッカーに荷物を預け清荒神商店街までゆっくり歩いて喫茶店に入り辛いカレーライスで昼食。自家製というタカの爪が入ったラッキョウが食べ放題で「おいしいな」と道楽さんは喜んだ。食後、いつもなら時間まで周辺を散歩するけれど暑いからとベガホールの中に新しくできた喫茶コーナーが空いているのをいいことに開場時間近くまで過した。「退屈ですね」とぼやく風君を外が見える場所に誘い、道行く人たちを観察しながら職業や年齢を想像して遊んだ。暑いせいか歩いている人たちも少なかった。では演奏会の様子を道楽さんに書いてもらおう。
この日、ボーイズ・エコー宝塚はトップの出演で14名が1列に並んだ。6年生3名が参加できないハンディを跳ね返す合唱を披露した。先ずは一番に出演するグループが担う『宝塚市歌』だ。以前にも一番で歌ったことはあるがその時、ボーイズ・エコーが単独で市歌を歌った記憶はない。年配の人が多い合唱団の市歌は聴いたことがありそれなりの味はあるが、元気な男の子の歌も新鮮でいい。日本には珍しい少年合唱団なのだから宝塚市は『市歌』と『幸せ運べるように』のCDを作ったらどうだろう。それを市役所や図書館、観光施設などで販売すれば市の宣伝になる。あわせて小学校や幼稚園などに配ればボーイズ・エコーの団員増加にもつながるはずだ。そんなことを考えているうちに市歌が終わり2年生のI君が前に出て「さあ、汽車に乗って一緒に旅にでましょう」とスピーチした。きちんとした姿勢ではっきりスピーチする姿は清々しく成長の跡があった。最初の曲は鉄道唱歌で「汽笛一斉新橋を」の一番と大阪と神戸の様子を歌詞にした60番と62番を歌った。この歌は合唱団の構成メンバーによって歌い方が変わる。この日のボーイズ・エコーはオーソドックスでその分、男の子の純粋な感性を表現していた。終わると「貨物列車とすれ違います」とスピーチが入り『かもつれっしゃのうた』が始まった。「ダダダン ダダダン ダダダンダン かもつれっしゃが はしる はしる」という出だしを聴き、荷物をたくさん積んで走る貨物列車の躍動感が想像できた。その後も牛や馬の鳴き声を入れて楽しそうに歌うのがよかった。また「ゴッツン ツン」(連結器の音?)の部分を一人で歌った団員の声に存在感があり貨物列車が元気だった頃をなつかしく思い出した。最後の「ガチャーン」という歌詞も列車が止まる時に出る連結器の音をうまく表現できた。続いて「間もなく 1番線より宝塚行き特急が発車します。ご乗車の方はお急ぎください。では出発進行」とスピーチがあり『三つの汽車の歌』が始まった。「いまは やまなか いまは はま いまはてっきょう わたるぞと」 「きしゃ きしゃ ぽっぽ ぽっぽ しゅっぽ しゅっぽしゅっぽぽ」 「おやまの なかゆく きしゃぽっぽ」をメドレーでつなぐ曲だ。一部を短調で歌ったり「しゅっぽ しゅっぽ」と汽車が走る様子を歌うなどメリハリが効いた合唱で汽車の旅を楽しむ様子を表現できた。歌い終わり伴奏が続くところで「宝塚 宝塚 終点です。お忘れ物がないように気をつけてください」というスピーチも楽しさを増幅した。6年生を欠いた14名という少ない人数だが全員が気持ちを合わせて歌えたのがなによりだった。この日の最上級生である4年生も合唱を支えていた。もし福知山線にイベント列車として蒸気機関車を走らせるようなことがあったらこの日の歌を車内で流して欲しい。そんな合唱だった。
「貨物列車が見たくなりました」。風君が言ったけれど「走っているとしたら福知山線だけど列車があるかな? あったとしても牛や馬は積んでないし車掌さんもいないよ。コンテナかタンク車だから単調だ」と道楽さんが答えた。がっかりした風君に「家に帰ったら模型を見せてあげるよ。しばらく出してないから虫干しだな」と言った。「ぼくはSL磐越号に乗りたくなった。風君を乗せてあげようよ」。ぼくたちは汽車の話題でしばらく盛り上がった。
この日は三田泊まりなので宝塚駅から福知山線の電車に乗った。電車内は冷房が効いていて快適だった。「80年代の半ばまでは ディーゼル機関車が客車を引っ張っていたから汽車だったんだよ。冷房はなくて扇風機だったな」。道楽さんはなつかしそうに言った。
お年寄りたちは大喜び
ボーイズエコー・宝塚ミニコンサート
2008年8月28日 |
「ではお願いします」。夢御殿のスタッフが練習場所へ呼びに来た。「えっ? 2時半からじゃないですか?」と驚いた表情の辻先生に対しスタッフは「1時半にお願いしてあります」と答えた。練習は途中だが「仕方がない。行きましょう」と辻先生が言うとボーイズ・エコー宝塚のメンバーは「そうですか」という感じで辻先生に従った。誰も不平を言わないことにぼくは感心した。風君も「ぼくなら文句を言います。ボーイズ・エコーを見直しました」と言った。この日は宝塚市の御殿山にある老人福祉施設『夢御殿山』での演奏会だ。朝の10時頃から施設見学と歌の練習。昼食をはさんで午後の練習中に迎えが来たのだ。
ホールでは40人ほどのお年寄りと施設のスタッフが開演を待ちかねており合唱団が整列を始めると「上手に歌えや」「かわいいなあ」という声が聞こえた。やや照れくさそうなボーイズ・エコー宝塚の14名が整列を終えると司会者から挨拶を頼まれた中安先生が「小学生の変声前の男の子は訓練をするととてもきれいな声が出ます」という旨の話をした。続いて団長の6年生H君が「みなさん、こんにちは。ボーイズ・エコー宝塚です。ボーイズ・エコーは小学生の男の子ばかりの合唱団です。きょうはステーションヘルパー室で練習させていただきました。お礼にミニコンサートを開きます」と挨拶した。H君は中安先生の言葉通り、きれいな声で挨拶した。
最初に団歌を歌い、曲が終わると再び前に出たH君がこの歌は2代目団長が6年生の時に作詞作曲しましたと紹介すると「ほー」と感心した声がいくつか聞こえた。続けて「汽車の旅に出かけましょう」とスピーチし『鉄道唱歌』が始まった。この日はややゆっくり目のテンポで1番、60番、62番を歌った。「貨物列車とすれちがいます」というスピーチの後で歌った『貨物列車』は男の子らしく元気に歌えた。この歌は貨物列車が止まり連結器の音が「ガチャガチャーン」と鳴って終わる。その感じがよく出ていてよかった。また前回の交歓会同様、牛や馬の鳴き声や石炭が振動する音に存在感があった。次の「蒸気機関車はかっこいいですね。一度乗ってみたいです」というスピーチの後に歌った『蒸気機関車の歌』も元気に歌えた。終わると宝塚小学校1年生2名による『お菓子の汽車』だ。練習では怪しい部分があったが本番はまずまずの出来。一人が途中緊張で笑ってしまったがすぐ立ち直った。それにつられずに歌ったもう一人は舞台度胸がありそうで今後が楽しみだ。次は2年目以上の団員7名による『フニクリ フニクラ』で、1年でも経験を積むときれいな声で歌えることを証明した。終わると全員で『線路は続くよ どこまでも』を元気に歌い『三つの汽車の歌』に移る。4年生のS君が「間もなく1番線より宝塚行き特急が出発します。ご乗車の方はお急ぎください。では出発進行」とスピーチした。はっきりした良いスピーチだが「出発進行」の前に一呼吸おくとよりリアルになる。駅員は「お急ぎください」の後に列車のドア付近を確認し「異常なし」と唱えるからだ。さてこの歌は先月の演奏会で歌っているのでより深まった感じだ。同時に男の子は鉄道が好きなのが歌に表れていた。合唱が終わりピアノの音が小さくなってきたタイミングを上手にとらえた4年生のH君が「宝塚、宝塚 終点です。どなたさまもお忘れ物がないよう気をつけてください」と締めくくった。続けて「汽車の旅はここで終りにして海にでかけましょう」とスピーチした。後半は「海は 広いな 大きいな」という歌詞の『うみ』で始まった。合唱団らしいハーモニーを聴かせたと言いたいがまだ煮込みが足りない。もう1曲、同じことが言えるのは『浜辺の歌』だ。これら2曲は練習を重ねれば声がやわらかくなり、観客の心にもっと訴えることができるだろう。逆に良かったのは外国曲の『海のマーチ』、『船乗りの歌』、『海はまねく』でリズミカルに歌えた。やはり元気系の曲を歌うと男の子は強い。海の歌が終わると合唱団18番の『しあわせ運べるように』だ。出来はまあまあだが自分には物足りなかった。この後、お年寄りたちに「ぼくたちと一緒に歌いませんか?」と声をかけ『うみ』、『浜辺の歌』、『鉄道唱歌』、『汽車』を歌った。お年寄りのみなさんは控えめに歌っていた。自分がうたうよりも合唱団の歌を聴きたかったのかもしれない。終わると団長のH君が前に出てお礼の言葉を述べかけると「まだ、まだ」と3年生のH君が出てきて「最後に『きょうのひととき』を歌っておわかれしましょう」とスピーチした。この日はスピーチの言葉を忘れた子がいるなどハプニングが多かったがお年寄りたちはかえって大喜びだった。そうさせるのもボーイズエコーがもつなにかの力なのだろう。すべての曲が終わりH君がお礼の言葉を述べると司会役の女性が少々声をつまらせながら「きれいな澄んだ歌で心が洗われました。また来てください」という旨の挨拶をした。続けて男性職員が「ここにいる人たちはつまらないとすぐ寝てしまうのですが誰も寝ませんでした。こんなことは初めてです」とうれしそうにスピーチした。一部のお年寄りにマイクを向けると「最高」「とても感激しました。ありがとうございました」「すばらしかったです」とお褒めの言葉が返ってきた。退場する時にはハーモニカで『蛍のひかり』を吹くお年寄りもいて良い雰囲気だった。このように好評だったが控室に戻ると辻先生から厳しいお話があった。次回はそれを生かしてより良い合唱をしてください。
「きびしいこと言われてもみんな明るいですね」「本番中、間違えても何もなかったように歌えるのは強いなあ」「せりふを忘れて責められても『急に決まったからしょうがない(休みの子がいたため)』と言えるのはたいしたものです」。ぼくたちは帰り道であれこれ話した。道楽さんがボーイズエコーは『最高』と言う中にはこういう点も含まれるのだろう。
少年ピアニストが伴奏
合唱交歓会のボーイズ・エコー宝塚
2009年7月19日 |
ベガホールの喫茶室でカウンターに座り、コーヒーを注文すると限定10食というカレーライスがあるのを見つけた。「去年はなかったね。こっちの方がおいしそうだな」。道楽さんが残念そうに言った。さっきカレーライスを食べてきたばかりでその内容に満足しなかったからだ。「あそこ、去年はおいしかったのにね」「質が落ちたんです。また別の店を開拓しましょう」。風君があっさりと言った。「ここでも食べれば?」。五月君の言葉に「昔なら食べられたけど。…年だなあ」と道楽さんは答えた。「決め付けないでください。暑いから食欲がないだけです」「そういうことにしよう」。道楽さんは笑った。「さあ、元気出して。ファイト!」。コーヒーを飲みながら時間を調整し、暑いからと開場時間が15分早まったベガホールの客席に入り最前列の席を確保した。ロビーに出るとボーイズ・エコー宝塚のメンバーが続々と集まってきた。その中に初めて見る上級生がいた。3年生のI君に似ているのでお兄さんなのだろう。新メンバー?と思っていたら伴奏ピアニストとしての参加だった。この日のプログラムはイタリア民謡の『はさみとぎ』、サウンド オブ ミュージックから『エーデルワイス』と『ひとりぼっちの羊飼い』だ。道楽さんが「『ひとりぼっちの羊飼い』か。難しい曲を歌うんだね」と言うと「そうなんですか?」と風君が応じた。「この歌は低いドと高いドが隣り合っている。それと同じフレーズが続くからぼんやりしているとどこまで歌ったかがわからなくなる。同じフレーズが終わると歌の感じが違ってくる。聴いていて楽しい曲だけれど難しいんだ」。ぼくは楽譜を覚えていたので、風君と五月君に歌いながら説明した。では道楽さんにバトンタッチ。
この日、ボーイズ・エコー宝塚は5番目の登場で18名のメンバーが1列に並んだ。1曲目はきれいにまとまった合唱だった。そう思わせたのは一人一人が自分の役割をきちんと果たし歌に集中していたからだ。また声の上で目立つメンバーがなく等質な感じなのもよかった。2曲目はぎこちなさがあったが練習を重ねれば改善されるだろう。3曲目の前に中安先生が「楽しく」と言葉をかけた。100%というわけにはいかなかったがその気持ちは伝わってきた。楽譜通りに歌うことに専念している感じで余裕はないが今の段階でこれだけ歌えれば十分だ。この曲も練習を重ねればボーイズ・エコー宝塚がもつ明るい雰囲気の合唱に仕上がるはずだ。3曲を通してボリュームという点では人数の関係でそれ相応だが、高品質な合唱が聴けた。何よりも少年のもつ純粋さが表現されたのがよかった。気になることをあげると緊張のためか肩に力が入っているメンバーがいたことだ。これだと声が十分に出ないので気をつけて欲しい。姿勢は大切だが極端になるのはよくない。ピアノ伴奏のI君は演奏中、中安先生の指揮を見ながら弾いていたのでかなりの腕前であることがわかった。一つ一つの音を大切にした生真面目な伴奏が少年らしい純粋な合唱を引き出すことに貢献していた。
演奏を終え、ロビーに集まったボーイズ・エコー宝塚のメンバーの表情は明るかった。最上級生になるボーイズ・エコーの5年生がI君の首に手作りカードをかけ感謝の気持ちを伝えていた。この日は前からはI君が弾くことになっていて一緒に練習をしてきたそうだ。その様子を見てお互いに信頼し合っていることがわかった。こういう関係はとてもよく、機会があればまた共演して欲しいものだ。
話が前後するが、開演前に合唱連盟の理事長が「こういうご時世なので文化予算が切り詰められている」という旨の話をした。確か昨年もそういう話があった。宝塚は音楽文化が盛んな町と考えている。ただ演奏する人は年配の人が中心だ。ボーイズ・エコー宝塚のような合唱団にもっと注目して欲しい。日本に二つしかない小学生の男の子だけの合唱団なのだから。世界的に見ても貴重な合唱団と気づいている人はほとんどいないだろう。宝塚市はもっと注目するべきである。
期待できる2,3年生
ボーイズ・エコー宝塚の練習見学
2009年8月20日 |
新潟空港を離陸したANAのボンバルディアは、順調に飛行を続けていた。ジェット機に比べて巡航高度が低く速度も遅いので景色がゆっくりと動いていた。それはローカル列車に乗っているのと同じような感覚だ。「プロペラはついているけどジェット機の仲間だよ。YS−11の製造を続けていればボンバルディアを買わなくてもすんだはずだ」。道楽さんは残念そうに言った。「物は長期的に見ないとね」。YS11に関する話は延々と続いたけれどそれは省略して宝塚の話題を道楽さんに書いてもらおう。
千吉踊りは、宝塚市の川面地域で行われる長い歴史のある踊りだ。宝塚駅ソリオ北近くの坂道を登って行くと有馬街道へ出る。そこから引っ込んだところに千吉稲荷がある。ここに踊りを奉納するわけだが境内がない。そのため、近くの児童公園に御本尊を運び、そこで踊りを奉納するのだ。時期は毎年8月19日と決まっており、地域の人で賑わっている。これについては自分のレポートで何度か紹介しているので省略するが自分は気に入っていて5年連続の参加となる。そんなわけで一部の方々とは顔馴染みになり、交流する楽しみがある。この日もそういう交流をしながら楽しく過ごした。
翌朝、ボーイズ・エコー宝塚の練習見学のため、宝塚第一小学校に赴き、職員室で来校を告げると先生と思われる女性が「あの、○○君が休みますと電話があったのですが」と言う。自分に言われてもと思ったが「わかりました。伝えます」と答え音楽室へ向かった。音楽室の前では5名ほどの団員が待っていた。「おはようございます」と挨拶すると団員の一人が「先生、鍵持ってきてよ」と元気に言った。「この学校の先生じゃないから駄目だよ。誰か行ってくれば」と言ったら一人が勢いよく走って行ったがすぐに戻ってきた。「中安先生が来るまでダメだって」「じゃあ、待つしかないね」とパソコンを取り出し、先の北九州BCと広島BCが交流した様子を見せたが、関心は示さなかった。自分や友達の画像でないと興味が起きないようだ。そのうち中安先生がお見えになり、鍵が開いた。この日はお盆休みや病気などで休みの子が多く出席したのは2年生と3年生7名だった。加えてピアノの辻先生が自宅で足を怪我してしまい、来られないということで伴奏なしの練習となった。
最初は、「ハヒフヘハヒフヘホ」と同音で発声し声を伸ばす練習だ。音が次第に高くなるが7名は「えー?」と言いつつも一生懸命声を出していた。高い声が続く子もいて日頃の練習の成果が窺われた。声を出し続けるコツはお腹に力を入れ、その他の余分な力は抜くことだがこれはなかなか難しい。「ボーイズ・エコーはもっときれいな声が出るはず」と発声練習は続いた。一人ずつの練習では、どの子も地声ではなくきれいな声が出ることに感心した。発声が済むと久石 譲作曲『いつでも 何度でも』の練習となる。この曲はあちこちに飛ぶので楽譜をしっかり見て内容を理解する必要がある。先ずはテープで曲を聴きながら感じをつかみ楽譜を見ながらどういう順番で歌うかを確認した。どの子も楽譜記号を理解していて確認はスムーズに進んだ。終わると再びテープ(辻先生の伴奏でボーイズ・エコーが歌っている)を聴きながら楽譜を見て歌う練習だ。声は十分ではないが全員、楽譜をしっかり見ながら確認しようと務めていた。歌い終わり中安先生が「迷わず歌えた人?」と質問すると「大丈夫」「ちょっと迷った」との声が半々だった。これを踏まえて2度目の練習を行った。歌い終わると「フー」という声が起きた。この曲は約4分かかるし楽譜を追わなければいけないので真剣に歌えば疲れるはずだ。ここまで約1時間。3分間のトイレ休憩となる。子どもたちはトイレから戻るとじゃれ合い始める。これは少年合唱団共通の風景だ。
休憩が終わると秋の合唱祭のため、『いつでも 何度でも』の時間を測ることになった。ちなみに持ち時間は出入りを含めて7分間だそうだ。出だしをテープで流すだけであとはアカペラの合唱だ。多少怪しいところはあったがなんとか最後まで歌えた。時間は4分20秒。このままでは舞台で歌うのは無理ということになった。「やるとしたらリピートを省略するとかしないとね」と中安先生が言うと「ラッキー」と言う声が出たがどうなるか。続いては同じジブリの『君をのせて』の練習だ。「この歌、知っている人?」の質問に「知らない」と答える子もいたがほとんどが口ずさんでいた。前回の演奏会では良く歌えたからと歌える子が真中に来て引っ張ることになった。出だしの部分だけだが声はあまり出ていない。中安先生がポイントを教え再び歌うと声が出るようになった。ここで歌うのを中断して楽譜を見ながら歌う順番と「眼差し」など言葉の意味の確認だ。言葉を理解するのは難しいが歌う順番はすぐに理解した。『君をのせて』はここまでで、この先は歌い慣れた曲(『ひとりぼっちの羊飼い』、『汽車のメドレー』)を歌うことになった。こちらは明るい表情でしっかり歌えた。合間に7月の合唱交歓会の写真が紹介された。
練習の最後は、中安先生の戦争体験の話を聞いた。空襲の時、防空壕に入って目の球をを押さえていないと目の球が飛び出す危険があった、焼夷弾が投下される音が聞こえているのは生きていることの証し、聞こえないと死んだ証し、中安先生のお兄さんが戦地で水筒の水を少しずつ飲んで生き残れたこと、戦争は絶対にしてはいけないことなど襟を正して聞く大切な話だが子供たちは実感がわかないようだ。しかしわからなくても語り継いでいくことは必要なので子どもたちにはしっかり聞くよう働きかけた。話が終わると中安先生から「片付ける間に、話をお願いします」と頼まれた。いつもなら面白い話をするのだがそれはこの場にはそぐわない。そこで江田島にある人間魚雷回転の資料館を見学した話をして「こういう犠牲があったからこそ平和な国になりました。犠牲になった方々のことを忘れないで一生懸命生きてください」という旨の話をした。締めくくりに『幸せ はこべるように』を歌って練習は終わった。この日、参加した7名はいずれも音楽的センスがよかった。合唱団の中堅となるメンバーだけに今シーズンのボーイズ・エコーはおおいに期待がもてそうだ。これは秋の二つの演奏会で実感できたがそれについては後日、レポートすることにしよう。
11月のボーイズ・エコー宝塚
2009年11月1日
道楽さんを含めてぼくたち3人が神戸空港へ降り立つのは初めてだった。この空港は海が間近なので風君は大喜びだった。風君の希望でターミナルビルの展望デッキからしばらく海を眺めた後、同じビルから出発する新交通システムの最前部に座り風景を楽しみつつ三宮へ移動した。三宮に着くと道楽さんは「ここのコーヒーがおいしいから」と駅近くの喫茶店へ入ってモーニングを注文。ここで神戸新聞を読みながらのんびり過ごした。道楽さんは家にいると家事など雑用をやらなければいけないのでこういう時間はほとんどない。不思議なことだけれど遠出した方が時間の余裕があるのだ。喫茶店を出ると最初の目的地「竹中道具資料館」に入った。開館と同時に入ったせいで他にお客さんは見当たらず、貸し切り状態だった。道楽さんは資料探しのために訪れたのだが目的のものはなかった。それでも「日本の大工さんの腕はすごいだろ」。道楽さんは目を輝かしていたがぼくたちはピンとこなかった。でも展示してある道具の多さを見て目的に応じた使い方があることを知った。「合唱と同じですね。それぞれの役割を担当して良い建物を作るんですから」。風君が言うと「ソプラノに相当する道具はどれ?」と五月君が道楽さんに聞いた。「難しい質問だね。答えられないなあ」と道楽さんは首をかしげた。見学を終えると三宮駅に戻り阪急電車に乗った。目的地は清荒神駅前のベガホール。この日は秋の市民合唱祭に出演するボーイズ・エコー宝塚を聴きに来たのだ。ぼくたちは到着するとベガホールの喫茶室に入り、前回見つけた限定10食のカレーライスを注文した。「野菜が多くて良心的な内容」。ぼくたちの結論だ。食後のコーヒーを楽しみつつ外を眺めているとボーイズ・エコー宝塚のメンバーが続々と集まってきた。では演奏会の様子を道楽さんに紹介してもらおう。
市民合唱祭は2日間に渡って行われる。それだけ参加団体が多く合唱が盛んなことがわかる。ただ若い人中心の合唱団は少なそうで将来的にはどうなるのか心配だ。あわせて文化予算が削られていくことも不安である。さてお目当てのボーイズ・エコー宝塚はトップに登場した。メンバー17名が1回での整列で場所が決まらず、各自が調整し合って動くと客席から笑いが起きるのはいつもの風景だ。だが合唱はいつもと違った。今回の曲目は『君をのせて』と『カントリーロード』の2曲である。この2曲は他の少年合唱団で聴く機会は何度かあったがボーイズ・エコーで聴くのは初めてである。1曲目の歌声を聴き「いいな」と思った。この合唱団の持ち味は元気の良さだが今回はそれだけではなかった。主旋律を歌うアルトとそれを引き立てるソプラノがきれいなハーモニーを作りだしていた。これはボーイズ・エコーではあまり感じたことがない繊細な表現だった。同時に少年合唱団がもつ純粋さもあった。一人一人も声が出ていて歌詞もしっかり聴き取れた。ただ残念だったのはピアノ伴奏が強過ぎ、この合唱を十分に聴かせることができなかった点だ。合唱とのバランスが悪いことも最後まで気になった。しかし2曲目はバランスが良くなり合唱を楽しむことができた。始まりは優しい歌い方で次第に決意を込めた力強さになっていくのもよかった。この日は新境地を開いたように感じ、新しいレパートリーが増えるのではと楽しみになった。
外に出ると雨が降っていた。合唱を終え、解散のために集合していたボーイズ・エコーのメンバーはみんな明るい表情をしていた。帰って行くメンバーを見送るとぼくたちは宝塚南口にある行きつけのケーキ屋さんに入り、この時期ならではの丹波の栗を使ったモンブランとハーブティーを注文した。「1曲目のピアノは曲にふさわしくなかった。道具をそれに合わせて使っていないのと同じだ。どうしたんだろう?」。五月君が言うと「こういうこともあるよ。だから物を作るのは難しいんだ。でも思い出には残ったよ」と道楽さんはニッコリした。ケーキを運んできたご主人が「宝塚は雨が降ると人が出歩かなくなるんです。せっかくお菓子をたくさん焼いたのに」と残念そうに言った。「そういうこともあります」。風君が話した言葉をそのまま、ご主人に伝えた道楽さんはいつものように世間話を始めた。
少年同士の意気はピッタリ
地域文化祭に出演したボーイズ・エコー宝塚
2009年11月28日 |
出番を終えたボーイズ・エコー宝塚のメンバーを前にして道楽さんは「きょう、自分がここに来たのは神様の思し召しです。急に京都のお寺の庭が見たくなり関西に来ました」と前置きをしてスピーチを始めた。「本当にそうなの?」「目的は宝塚でしょう」と話す風君と五月君に「庭が目的だよ。そういうことにしよう。ごたごた言ってもしょうがない」とぼくは言った。
京都の街は紅葉していてきれいだった。目的の大徳寺の中にある大仙院周辺も木々がきれいに色付いていたのでぼくたちは満足した。「東京では紅葉を見ていません」「東京にいると余裕がないからね」。道楽さんは縁側に座り枯山水庭園をじっと眺めていた。ぼくたちは本や写真集を並べた机を前にして座っている住職様の側に陣取り手八丁口八丁で参拝客に話す様子を楽しんだ。しばらくすると道楽さんもやって来て住職様と話をした結果、著書を購入してサインをもらった。「半分はお世辞なのに単純だなあ」「でも住職様が話すと説得力はあります」「確かにそうだ。厳しい修業をした人は違うね」。ぼくたちは感心した。
お寺を出て地下鉄に乗り四条で阪急電車に乗り換えた。車窓からも紅葉した山々を見ることができ「来てよかったね」と話した。では道楽さんにバトンを渡そう。
今回の会場は宝塚第一小学校なので宝塚南口で下車した。ランチタイムになっていたので迷わず手打ちそば「中川」へ行き鴨南を註文した。値段は少々張るが相応の中身なので満足している。これだけの物は東京でも珍しい部類に入る。関東風の濃い目の汁なのでご主人は東京で修業したのだろうと考えていたら静岡だそうだ。それはさておき鴨の季節になったとうれしくなった。食事を終えると地域の文化祭が行われている宝塚第一小学校の体育館に行きボーイズ・エコー宝塚の合唱を鑑賞した。舞台に上がったメンバーは19名。これに夏の演奏会で伴奏したI君が加わっていた。最初はこの舞台のために結成された小学生18名の合唱団と一緒に『みんな友だち』を歌った。続いてせっかくの機会だからと『森のくまさん』を披露した。歌い終わり、合唱団が引き上げるとボーイズ・エコー宝塚の出番だ。メンバーは舞台いっぱいの一列になった。この日、中安先生はフロアで指揮をされた。曲目は『もののけ姫』、『海のトリトン』、『はさみとぎ』、『エーデルワイス』、『一人ぼっちの羊飼い』の5曲である。最初の曲はボーイズ・エコー宝塚が歌うのを聴くのは初めてだ。出だしは静かに入り次第に強くしながらも一定のボリュームを維持しつつ強弱のついた歌い方だった。これは相当な練習を重ねないと歌えないはずだ。限られた練習時間でこれだけ歌えるのは個々のレベルが高いことを示している。2曲目は勢いのある曲だがそれだけに頼らず、きれいなハーモニーを響かせた。3曲目は職人気質の砥ぎ師が持ち主から頼まれたはさみを仕事がしやすいようにと気持ちを込めて砥ぐ様子をゆったりと表現した。知らない人が見ると楽しそうに砥いでいるが誰にもできない仕事をしている。そんな職人を連想することができた。4曲目はアルプスに咲くエーデルワイスの可憐な様子をのどかに表現した。最後の曲はメンバーが好きな曲だそうで伸びやかに歌った。5曲とも同じ感じにならなかったのもよかった。ソプラノにきれいな声のメンバーがいて全体をリードしているように感じた。またピアノのI君が夏に比べ音がゆったりしていた。この点を関係者に話すと「お互いに気心が知れてきたからでしょう」と返ってきた。それはアンコールで『ひとりぼっちの羊飼い』を演奏した時に証明された。途中、I君のピアノが止まってしまったがメンバーは動じることなく静かに待ち、ピアノが鳴りだすと迷わずそこから歌い出した。歌が終わると何事もなかったように舞台を降りてきた。とても良い場面を見ることができてよかった。メンバーには関係者からイベントに出されていたのであろう手作りの玩具が手渡された。それを互いに見せ合いうれしそうにしていた。この日、ここへ来たのは神様の思し召しとあらためて認識した。
年の初めは宝塚ニューイヤーコンサート
2010年1月16日 |
最近、道楽さんのお気に入りの場所が一つ増えた。食事やお酒を楽しむ場所ではない。京都にある大仙院という臨済宗のお寺だ。今回も宝塚へ行く途中に立ち寄った。品川を6時に出発するのぞみに乗るとお寺が開く9時にゆっくり間に合う。拝観料を払うと朝一番ということで係りの人が道楽さん一人のために説明してくれた。そのおかげで茶室の中をゆっくり見ることができた。一通りの説明が終わると住職様が座っている場所に案内し「きょうは、住職様がいらっしゃいますのでお札に署名がもらえます」と商売する姿勢になった。「いつもいるじゃないか」。五月君が言うと「運がいいだけかもしれないよ。決めつけちゃだめだ」と道楽さんは言った。この日、道楽さんは30分ぐらい住職様のお話を聞くことがきた。ただ1万円のお札を買いそうになったのでぼくたちは止めた。でもせっかく良いお話を聞いたのだからとお寺の写真集を購入し住職様のサインをもらった。ここは撮影禁止なので庭を見たくなったらこれを開けばいいわけだ。「名残惜しいな」とまだ留まりたそうな道楽さんを急かして宝塚へ移動した。道楽さんは移動中の電車内で前回購入した『すっきり禅』という本を熱心に読んでいた。「ぼくは興味ないや」と言って運転台の後ろに陣取った五月君につき合い、風君共々風景を楽しんだ。「今度は禅ですか? どうなりますやら」「道楽さんはじっとしているのが苦手だからのめり込むわけないよ」。ぼくたちさわやかボーイズは意見が一致した。
ランチを食べようとしていた手打ちそばの中川は臨時休業だった。仕方なくベガホールへ直行しニューイヤーコンサートの開場を待つ行列に加わった。ここで問題が起きた。整理券を持っている人を最初に案内し持っていない人は後からとなった。「去年は整理券はいらなかったはずです」「中安先生が送ってくださったのに持ってこなかったよね」。風君と五月君がとがめるように言うと「まあこれも修行の一つだ」と道楽さんはあっさり言った。幸いにして人波は早々と途切れ、すぐに入場して最前列を確保できた。ランチがまだなので喫茶室へ行き、限定10食のカレーライスを注文。この時間で売り切れないのを知り、毎日何食売れるのかが気になった。「この間よりおいしいね」「寒い中、お腹を空かせて待ったからだよ」。温かいカレーライスでぼくたちは一息ついた。ではコンサートの様子を道楽さんに書いてもらおう。
プログラムを見て今年が27回目ということに気付いた。中安先生を含めた発起人の提案で始まったそうだが、ここまで続いているのは並大抵のことではないだろう。客席も満席になるのだから宝塚は音楽文化が理解されていることも大きい。ただ若いグループがいないのは気がかりだ。参加団体は千吉音頭子供会とボーイズ・エコー宝塚が子どもたち、それに大人の合唱団が4グループ、ギターのグループ、金管合奏のグループ、宝塚高校吹奏楽部のOBである。参考までにボーイズ・エコーは2回目から連続して出演している。1回目から出演している宝塚高校吹奏楽部OBには及ばないが立派なことである。トップは例年通り、千吉踊りである。屋外と違い、音が響くので迫力がある。これを聴くたび、元気が出て後のプログラムが楽しみになる。前半はギター演奏と大人の合唱団が出演し、締めをボーイズ・エコーが務めた。例えが悪いが東京の寄席で言えば副主任になる。出世したようでうれしくなった。特に関係はないのかもしれないがそういうことにしておく。メンバー20名は横1列に並んだ。それを見て並ぶ位置が前回と一部違うのに気付いた。パート変更があったのかと思ったが今回は斉唱(のように聴こえた)で、曲目は『数え歌』と『さんぽ』である。『数え歌』は「1,2,3,4,5」と数える数字を英語やドイツ語、韓国語、トルコ語、スワヒリ語で歌う楽しい歌だ(歌う前にプラカードで示される)。ニューイヤーにふさわしく清らかな感じが出ていた。次の『さんぽ』も同じように清らかに歌ったが何かが違うと思った。パワーがないのだ。いろいろな考え方があるが、自分はこの歌は元気さが出た方が楽しいと考えている。ボーイズ・エコー宝塚は元気というか、はじけるようなエネルギーが持ち味だった。それがおとなしくなってしまったように感じた。歌う前、司会者が「朝から元気にはしゃいでいました」と紹介したのを思い出し、待ち時間の間にエネルギーを使い果たしたのかと考えた。「それぐらいでエネルギーはなくなりません。これが今年の特徴です」「さっき、保護者の方々とも話していたじゃないか。今年のメンバーはおとなしい子が多いんだよ」。薫風が言うがそれを結論にするつもりはない。歌はその日の体調や雰囲気に左右されるからだ。それより20名のメンバーが気持ちを一つにして、しっかり歌っていたことを評価したい。
終焉後、ロビーではボーイズ・エコー宝塚の5年生K君の指揮でボーイズ・エコーと千吉子供会が合同で『きょうのひととき』を歌いながら観客を見送っていた。観客の中にかってこの場面で指揮をした稲垣君がいたので話をした。「来年の今頃は共通一次です」というのを聞き、時が経つのははやいと感じた。「道楽さんもすぐ老人になっちゃうよ」「そう。一日一日を大切に過ごさなきゃね」「明日のエネルギーのためにこの瞬間を大切にしましょう」。さわやかボーイズがどこかで聞いたことを言いつつにっこりして合掌をした。
危機感をプラスに
第28回ボーイズエコー宝塚定期演奏会
2013年 3月16日 |
「ウィーン少年合唱団は指揮者がいません。真ん中にピアノを置いて先生がピアノを弾いています。形は違うけれどきょうはウィーン少年合唱団になったつもりで歌ってください」。道楽さんが楽屋で制服を着てスタンバイ中のボーイズ・エコー宝塚のメンバーに話すのを聞き、ぼくたちは驚いた。「めちゃくちゃなことを言ってます」。「で、ウィーン少年合唱団はマナーが良いです。おじぎをしたらすぐに引っ込まないで、一度客席をみてください」。「これはまともな意見だね」。でもやめさせよう。「さあ、本番始まるから引き上げましょう」と風君が強く言った。「ちょっと待った。もう一言」「なるようになるから大丈夫だよ」と言いつつぼくたちは道楽さんを席に戻した。この日、指揮の中安先生が体調不良で来られないため、指揮者なしで合唱することになった。中安先生の指揮なしで合唱するのは、短い出番では2度ぐらいあったが定期演奏会ではぼくたちが知る限り初めてだ。この日、午前中の練習が始まる前、ピアノの辻先生が「アカペラはないから指揮者なしでいきます」と決断した。「大丈夫か?」。道楽さんなりに不安となり、迷った末に開演直前の楽屋訪問となったわけだ。道楽さんは、開演直前は団員の気を散らせてはいけないからと言葉をかけることはしないから今回は例外だ。
プログラム
団歌
歌で世界旅行
1、 世界一周 2、クラリネットをこわしちゃった 3、はさみとぎ
4.ちょうちょ ぶんぶんぶん 5、追憶 6、おお牧場はみどり
7、サラスポンダ 8、一週間 9、線路は続くよどこまでも
10、ウオルシングマチルダ
6年生の歌
1、 Belive 2、世界が一つになるまで 3、翼をください
4、絆
日本の四季
1、 おぼろ月夜 2、こいのぼり 3、二つの雨の歌 4、うみ
5、われは海の子 6、さわると秋がさびしがる 7、もみじ 8、スキー
9、冬げしき 10、早春賦
心にのこる歌
1、 ふるさと 2、しあわせ運べるように
さようならみなさま
今日のひととき
舞台には15名が1列に並んだ。団歌の指揮は6年生の土山君。堂々としていて安心感がある。気のせいかいつもより気合が入っていると感じた。歌い終わると団長の佐々野君が「みなさん、こんにちは。ボーイズ・エコー宝塚です。ただいま歌いましたのは二代目団長、森 正人先輩が作詞作曲されたボーイズ・エコーの団歌です。それではボーイズ・エコー宝塚第28回定期演奏会をお楽しみください」と挨拶した。続いて辻先生が「お忙しい中、お集まりくださいましてありがとうございました。ボーイズ・エコー宝塚の主催者であり指揮者の中安保美が今朝から体調が悪くなりここに参加できなくなりました。指揮者なしで定期演奏会を行うことは不安ですがすばらしい集中力をもった子どもたちですのでいつも以上にしっかりと歌ってくれると思います。どうぞお楽しみください」と挨拶した。「辻先生、不安そうですね」「不安が団員に伝染しないことを祈るだけ」「でも、こんな時に明るい挨拶はおかしいです」「大丈夫。団歌がしっかり歌えたから」「道楽さん、バトンタッチ」。
昔々、二期会の『ニュルンベルクのマイスタージンガー』でこんなことがあった。主役の平野忠彦さんが体調不良で歌えなくなり急遽平野さんの弟子で無名だった松本 進さんが歌うことになった。開演前に理事長の中山梯一さんが「新人ですが必ず大役を果たしてくれます」と淡々と話した。この言葉通り、松本さんは見事に大役を果たし、絶賛の拍手を浴びた。このことをふと思い出した。
1曲目を元気に歌い、上々のスタートと言いたいが、成井弟君が隣の成井兄君に何か文句を言っている。指揮者がいないとこんなハプニングもあり心配だったが、弟君の隣にいる三谷君がさりげなく注意すると収まったので一安心。リハーサル中はソプラノとアルトが喧嘩をしているような違和感があったが本番は大丈夫だった。リハーサル後の反省で団員たちがそのことを話題にし、話し合いをして解決したのが良かった。2曲目は団員の藤村君のお姉さんがクラリネットで共演した。この曲、以前に比べて品良く歌っているなと思った。初めて聴いた頃はパワー全開でこれがボーイズ・エコーの特徴だったがメンバーの交代とともに弱音もよくなってきた。3曲目は5年生の成井兄君、渡辺兄君、朴君がしっかりした声でソロを歌った。3名とも1年生の頃から歌っているから成長したのがわかりうれしくなる。4曲目は宝塚第一小学校の11名がちょうちょを日本語とドイツ語で、宝塚小学校の4名がぶんぶんぶんを同じく日本語とドイツ語で歌った。宝塚小(3年生、4年生1名ずつ、6年生2名)は、6年生アルトが旋律を、ソプラノ2名がリズムを歌った。一人ひとりがしっかり歌い、存在感を示した。合唱は人数が少なくても良い雰囲気を出せることを証明してくれた。人数が集まらなくなりつつある少年合唱団の今後の参考になるだろう。5曲目は一転静かな曲となった。ここまでの雰囲気を引きずらず、曲想に合った合唱だった。長いこと、少年合唱を聴いてきて感じたこと、少年の声は一見もろそうでも強いことだ。静かに歌っても少年らしさが出せることをこの曲で示した。声6曲目はボーイズ・エコー得意の曲なので伸び伸びとした合唱が聴けた。ボーイズ・エコーはこの曲でトップソプラノがオブリガードを担当するのが特徴でいつもきれいな声を聴けるのが楽しみだ。今回も期待を裏切ることはなかった。きれいなボーイソプラノは鍛えられて出せるようになる。毎年、鍛えられたボーイソプラノの団員を育てるのは大変なことと思うがそれを続けている中安先生、辻先生に拍手を送りたい。7曲目は5年生以下のメンバーで歌った。「6年生がいなくても大丈夫だよ」という感じの歌だった。8曲目は出だしを3名ずつの団員が歌った。それぞれの個性が出ていて楽しく聴けた。別名『怠け者の曲』と団員は呼んでいるそうで「言われてみれば確かに」と思う。でもロシア語の歌詞はどうなっているのかな? 9曲目も何度も聴いているが「ポッポー」と汽笛を表す部分が追加された。参考までにフレーベル少年合唱団はこの版で歌っている。10曲目は団員一人ひとりの表情が硬くなっていた。それだけ手強い曲だったのだろう。曲を聴いていて行儀が良い歌い方と思った。合唱コンクールならそれもありだがそれでは物足りない。曲の雰囲気を出すのは難しいことだが、自由に暮らす男たちを表情で表現できるとよかった。指揮者がいればまた違っただろう。それでもよく健闘したと評価したい。
きれいなハーモニー
市民合唱祭のボーイズ・エコー宝塚
2014年11月1日 |
いよいよ秋の少年合唱団の季節になった。ぼくたちのとっての幕開けは市民合唱祭に出演するボーイズ・エコー宝塚だ。「4名にもかかわらず、よくやった」と道楽さんは評価していた。ではその様子を紹介しよう。
この日は、5番目の登場。辻先生を先頭に4名が一列に並んだ。先ずは渡辺君が「みなさん、こんにちは。ボーイズ・エコー宝塚です。ボーイズ・エコーは小学生の男の子ばかりの合唱団です」といつもの挨拶をした。先に出た4グループはスピーチがなく愛想がなかった。スピーチがあると観客も「さあ、聴こう」という気持ちになる。渡辺君の口調ははっきりしていて「さあ、行くぞ」という意欲を感じた。今年度のテーマの一つは学校生活だそうで「毎日元気に学校に通っています」というスピーチの後の曲は『学校坂道』。自分にとっては馴染みのない曲で「この坂道登ったらぼくの学校があります」で始まる静かな曲だ。ぼくの学校を誇らしく思う気持ちが込められている。調べてみたら1984年にNHK『みんなの歌』で放送されている。ゆっくりしたテンポなので息を十分に吸い、余裕をもって声を出していくと良さそうだ。静かな歌い方で曲の雰囲気は伝わったが、お互いに遠慮しあっているようで声のボリュームが十分ではない。この日が舞台デビューになる1年生の三谷弟君がいるので、先輩が声でリードできるとよかった。弟君は歌のセンスが良いので自信をもたせてあげることが大切だ。終わると「きょうは参観日です。算数と音楽です」と成井君が張りのある声でスピーチした。「さんすうってふしぎだな。さんすうってたのしいな。すうじと すうじが てをつなぎ・・・」で始まる明るい曲だ。これも『みんなの歌』で1988年に田中星児さんが歌っていることがわかった。軽快なテンポに乗って楽しげに歌えるといいのだがこれも遠慮気味に聴こえた。「もしかしたら、みんな算数苦手?」と推測した。しかし、最後の『ドレミの歌』になると一転元気になった。やはり音楽は好きなのだろう。安心した。終わると三谷兄君が「来年のニューイヤーコンサートに出演します」とこれまたうれしいスピーチを行った。ところで4名の舞台はこの日が初めてかと思う。遠慮気味な声だったのも緊張からくるものだろう。それは当然として次回はうれしそうな顔を心がけて歌って欲しい。昔、『題名のない音楽会』でテノール歌手の小林一男さんが「声を出すための条件はいろいろありますが先ず笑顔です」と話していたのを思い出した。
今回の収穫はハーモニーがきれいなことだった。これはチームワークが良いことの表れと考えよう。「歌はがなりたてるものではありません。大事なことはリッスン ツー ミーです」とソプラノの中沢桂さんがオペラのプログラムに書いていた。その意味で4名の合唱は評価したい。また少ない人数でもコーラスは成立することを証明した。緊張があって思うように歌えなかっただろうが良い歌を歌うための通過点なので自信をもって歌い続けて欲しい。
(続く)
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