道楽さんの映画鑑賞 |
大人の声になりきっていない少年が歌うアリアの魅力 2022年8月6日 |
ぼくたちは映画『ママに捧げる僕たちのアリア』を観るため、川崎市の新百合丘に出かけた。そもそものきっかけは14歳の少年が歌うアリアに興味があったからだ。さて、新百合ヶ丘は道楽さんの家から1時間以上かかる、なぜそこまで出かけたかについて話そう。最初は銀座で観るつもりだった。しかし映画館を訪れた当日、館内でトラブルがあり鑑賞できなくなった。やがて都内の映画館は上映期間が終了してしまい、やむなく遠出したわけだ。その映画館での上映は19:40の1回だけ、チケットの前売りがなく現地で当日券を購入する方法しかなかった。定員になるとチケットは販売しないとのことで早めに出かけてチケットを購入したけれど席は十分に余裕があった。「まあいいか」。ぼくたちはそう思うしかなかった。鑑賞レポートは道楽さんにお願いしよう。
最初に映画の内容について大まかに書く。舞台は南フランスの海岸にあるイタリア移民が多く住む集合住宅、病で昏々と眠る母親のために4人兄弟の末っ子14歳のヌールは『人知れぬ涙』(愛の妙薬より、歌はステファノ)を流す。母はオペラが好きなのだ。3人の兄は「音量下げろ」「よく飽きないな」「消せ」などと理解を示さない。兄弟は自宅で母を介護しているヤングケアラーだ。ヌールは夏休み中の学校でひょんなことからオペラ教室に参加し、ソプラノ歌手である先生から促されて毎日聴いている『人知れぬ涙』を歌う。最初はつまらなそうに歌っていたが次第に表情が変わってくる。歌を聴いた先生はヌールの歌の才能を見抜く。ヌールも歌に興味をもち周囲に内緒で教室に通う。どこかで聞いた話だと思ったら『ビリーエリオット』と共通点があることに気づいた。ヌールを演じる少年は音程を正しく取れるので吹き替えなしで歌っているそうだ。声は変声していてボーイソプラノではないが大人の声になりきっていない。この年齢にしか歌えない素朴な歌い方で好感がもてた。毎日聴いていたので歌を覚えたのだろうがオペラ歌手風ではなく自分の歌い方をしているのもよかった。ある日、先生は次回までに『椿姫』の『乾杯の歌』を覚えてくるようにと本を渡す。これを聞き、中学生にオペラを歌わせるのは喉の負担になるのではと思った。しかし次の練習日、先生は『乾杯の歌』をピアノで弾きながら「コンクールではないから正確に歌う必要はない」「あの女の子に語りかけるように歌って」「楽しそうに歌って」などと表現を重視していることがわかり納得した。アドバイスを受け、ヌールの表情が次第に明るくなっていくのを見て今の気持ちを表現していることがわかった。ヌールが歌い終わると先生はピアノを続けながら「ここで合唱が入るの」と話し「次はソプラノの番」と言うと教室の少女たちは「先生歌って」とリクエストする。それに応じて先生が歌うとオペラの楽しい雰囲気が伝わってきた。またストローを使って息を吐くコツを教え「一流の歌手は50秒ぐらい続きます」と話たり、ストローの先につけた小さい籠に入った玉を浮かせる場面を見て歌の練習は共通点があると思った。このような指導を受けながらヌールの歌は上達し、教室で一緒に学ぶ少女たちも一目置くようになる。順調だったヌールだが家庭の事情で教室に通えなくなる。心配した先生が家庭を訪れヌールの才能について意識のない母親に話し、長兄に自分が主役を演じるオペラ『椿姫』の招待券を渡す。別の場面でヌールは母親の寝室で『人知れぬ涙』を歌うと母親が少しだけ反応する。驚いたヌールは兄たちを呼び再び歌うが反応はない。しかし歌に理解のない兄たちは何かを感じる。やがて母親は亡くなり墓に埋葬する時にヌールは歌おうとするが悲しくて歌えない。しばらくして兄から手渡された招待券を持ち、劇場で先生が歌う『ああ、そは彼の人か』を聴きヌールは涙を流す。終演後のパーティでヌールが舞台前方に立って客席を見つめるのが印象的だった。
わざわざ足を運んだ価値のある映画だった。いくつかの場面で音楽の力は偉大だと思った。ボーイソプラノではない少年の素朴な歌にも惹かれた。訓練された声でなくても心を込めて語りかけるように歌う大切さも知った(ヌールを演じた少年は歌のレッスンを受けたはず)。映画の中で先生がマリアカラスの『ハバネラ』(カルメンより)を真似しながら歌い「最初は真似から入ることも大切」と話すのも印象に残った。このレッスンは「肩肘張らずにオペラに親しみ身体表現をしよう」が目的のようだ。歌に関してこのようなアプローチがあることは発見だった。