南アフリカの陽気な少年たち
ドラゲンスバーク少年合唱団の新潟公演
                     2005年9月19日(月)


  「新潟少年合唱団がドラケンスバーグ少年合唱団の演奏会に友情出演するそうだ」相川先生からの手紙を読んでいた道楽さんが言った。「えっ、ドラゴンなんだって?」ぼくは聞いた。「ドラケンスバーグ少年合唱団」道楽さんはゆっくりと言い直した。「確か南アフリカの合唱団だと思ったけど」と道楽さんは立ち上がり本棚から『少年合唱団』という本を取りだしてページを開いた。「陽気に楽しく歌い踊る少年たちが虹の国、南アフリカからやってきた。コンサートは前半の宗教曲から一転して後半はアフリカのフォークソングを陽気に歌い踊る。見る側の心までも浮き立ってくる楽しいコンサート」というようなことが書いてある。「実績ある合唱団のようだね。新潟との組み合わせはめったに見られないだろう」道楽さんは目を輝かせた。「もちろん行くよね」「その通り」ぼくもわくわくしてきた。道楽さんがメールを送るとチケット購入についての返事が来た。
 「いつまでも怒るなよ。しつこいな」新潟へ向かう上越新幹線の座席で道楽さんが困った顔をしている。「しつこい? 悪かったな。あんたのことを考えてるからだぞ」ぼくは口を尖らせた。この週末は土曜日から3連休。土曜日の午後遅く、道楽さんは来週の大きな仕事を無事乗り切れるようにと信心している場所でお祈りをした。夜に某演奏会場に行き音楽を鑑賞した。打ち上げに誘われお酒を楽しく飲んだ。ここまでは許せる。問題はこの先だ。遅くまで、いや違う。朝早くまで飲み続けたんだ。家に帰ると「いいじゃないか。めったにないことなんだから」と言う道楽さんに「大事な仕事があるんだろ。そんな時にそれでいいのか」ぼくは叫んだ。「甲高い声で叫ばないでくれ。頭に響くから」「あんた、変声期前の男の子の声が好きなんだろ。たっぷり聞かせてやる」「叫ぶ声はよくない。正しく発声しないと喉を痛めるぞ」そう言われてぼくは一瞬黙った。この隙をついて「少し寝るよ。君も寝なさい」と道楽さんは寝床に入った。ぼくは興奮して眠くないと思っていたけど横になると眠りに落ちた。
 目が覚めたのは昼過ぎだった。道楽さんが外出の支度をしているのを見て「どこ行くの?」と聞くと「彼岸の墓参り。薫君も来るかい?」と道楽さんは答えた。「ぼく、休んでいたい。一人で行ってくれ」と言うと残念そうな顔で出かけて行った。しばらくして「しまった」と思った。悪い予感がしたからだけどそれが当たってしまった。
 夜になって道楽さんは酔っぱらって帰ってきた。「また、お酒を飲んだのか?」ぼくは呆れた。「墓参りしたらお清めしなきゃいけないだろ。つい例の寿司屋で話がはずんでさ。はい。おみやげ。後で一緒にやろう」と寿司折りを出し仏壇に供えた。シャワーを浴びて着替えをしてきた道楽さんが酒瓶を取り出しお猪口に注いで仏壇にお供えし、更に自分の湯呑みにお酒を注いだ。「まだ飲むのか?」「固いこと言うなよ。ご先祖様と飲むんだから」「いいかげんにしてくれ」「いいね。良い、加減。素敵な言葉だ」ぼくはこの一言で切れた。後のことはみなさんのご想像にお任せします。身内同士の争いをごたごた書いても仕方がないので道楽さんにバトンを渡します。

 会場である市民会館のホールに行き、代金1000円を支払ってチケットを受け取りロビーのソファーでパンフレットを読む。それによると新潟市に事務局がある「虹の国・南アフリカ交流友の会」が愛知万博出演のため、来日したドラケンスバーグ少年合唱団を呼んだそうで準備期間3週間。急に決まった演奏会ということになる。そんな記事を読んでいると新潟少年合唱団に所属するS君のお母様とおばあさまがいらしたのでご挨拶し歓談した。

 当日のプログラム
  新潟少年合唱団  
私の回転木馬、へい踊れよ 歌は風にのって
  ドラケンスバーグ少年合唱団 
1部
   アフリカーンス語の歌など16曲
  2部
   アフリカ音楽

 新潟少年合唱団は20名がステージに上がった。前回より人数が多いのはドラケンスバーグの演奏会に出られることを知り「9月は休む」と言っていた団員が練習に参加した結果だそうだ。このあたりに団員集めや練習参加の要因がありそうだ。合唱も気のせいか張り切っているように感じた。合唱を終えた新潟少年合唱団が指定された客席に座るとドラゲンスバーグ少年合唱団が登場した。総勢18名。制服は白いカッターシャツにグレイの長ズボン。年齢は日本で言えば中学生から高校生ぐらいだろう。曲を歌う前に交代で一人ずつ、名前や年齢を達者な日本語でスピーチをする。指揮者はなく伴奏はアカペラか民族楽器を使う。歌う前にリーダーの少年が小さなハーモニカのような楽器で音を出しそれを合図に歌い始めるのだ。

  指揮者がいないにもかかわらず出だしはしっかり決まる。変声前と変声後の混声合唱は少年合唱団ならではの美しさだ。加えて全員が楽しそうな表情で歌い踊るので観客もそれに引き込まれ手拍子をしたり体を動かしたりする。この感覚がアフリカの音楽なのだろう。歌の前のスピーチは自分の名前と年齢を紹介し「新潟の観客は最高です」「日本に来れてうれしいです」「CDを販売しているのでよかったら買ってください」などのコメントが入る。日本人がやると不自然なことが、じつに自然に決まる。これに反応して観客が拍手をし会場がどんどん盛り上がっていく。その雰囲気をバネに合唱もよくなっていく。日本の少年たちとはDNAが違うのだろう。話が逸れるが近所の小学校で学芸会を見た時のことだ。舞台で1年生が軽快なリズムに乗って踊っていた。その中の黒人の男の子の踊りが郡を抜いていた。「リズム感が日本人と違うね。」見学の保護者たちから感嘆の声が漏れてきた。更に6年生のこれも黒人の少年がドラムをたたく場面があり、ここでも日本人とのリズム感の違いを証明する見事な演奏を披露した。国による違いを肌で感じたが、今回のドラケンスバーグもそれと同じ感覚だ。個々がもっている内面を見事に表現している。最後の曲は一部の観客が立ち上がってリズムに合わせて体を動かしていた。単なる合唱団ではなくエンターテイナーの要素をもっていると感じた。このように見事なステージだったが残念なことを二つあげる。宗教曲がなかったことと新潟少年合唱団との合同演奏がなかったことだ。おごそかな宗教曲をどのように表現するかは興味のあるところだ。また交流する意味で新潟少年合唱団と1曲合唱して欲しかった(ドラケンス側の都合でやらなかったそうだ)。その代わりというわけではないがプログラム終了後、同じ建物内の和室で交流会が開かれた。先ずは一人ずつ立ち上がり年齢と名前をドラケンスバーグは日本語で、新潟は英語で自己紹介が行われた。プレゼント交換がありドラケンスバーグはサンバイザーとボールペン、新潟は袋に入った物(中身は不明)を用意していた。新潟の団長O君が畳にすわり足を首の後ろに組むパフォーマンスを披露すると会場がたちまちなごんだ雰囲気になった。簡単な英会話を覚えたという小学生の団員が「サイン」と声をかけプレゼントされたサンバイザーにサインを貰い握手していた。この子は自分の話したいことを身振り手振りで一生懸命表現していた。他にも互いに簡単な会話をする者、「ジュウドウ」と言いながら技をかける者など交流の輪が広がっていった。難しい言葉はわからなくてもそこは少年同士、楽しい雰囲気になっていった。聞くところによるとドラケンスバーグは合唱学校の生徒ということで1日2時間練習しているそうだ。週1回2時間練習の新潟と単純に比較はできない。むしろ新潟はよくやっていると評価すべきだろう。このことは日本の少年合唱団に共通することだ。最後は新潟の団員が『さようなら』を歌い部屋を出ていくドラケンスバーグを見送った。少年たちはなごやかな表情をしており短時間ながらよい雰囲気の交流会だった。

 この後、久住先生と喫茶店で歓談し新潟駅へ向かった。薫が楽しそうにハミングしていた。「機嫌は直ったかい」と聞くと「飲み過ぎたことは許していない。だけど済んだことをあれこれ言うつもりはなくなった。次に気をつければいいよ」と薫は笑った。寛大なことでドラケンスババーグ効果のようだ。これには感謝。最後に自分が交流会に参加できるようご配慮いただいたSさんにこの場を借りてお礼申し上げます。


わったことがない感動
ウィーン少年合唱団2008年コンサート

                                          2008年5月4日

  ぼくたちは、館の掲示板を見ている道楽さんにウィーン少年合唱団のことをレポートしようと働きかけた。「これだけ話題になってるんだぞ。やるしかないよ」「海外の合唱団より日本の少年合唱団のことを書くのが自分の役目だよ。第一書くつもりはなかったからメモを作ってない」「だったら印象が濃いうちに書きましょう。日本人のヒビキ君がソロを歌ったんですよ。ぜひやってください」。というわけで道楽さんはウィーン少年合唱団をレポートすることになった。当日は開演20分前にサントリーホールへ到着した。
 指定された席座ると、後ろの席にいた8歳ぐらいの男の子がボーイソプラノで歌い始めた。歌を習っていると察せられる声だった。「始まったら歌うんじゃないよ」とお姉さんから注意されると「わかってるよ。終わったらまた歌うから」と答えた。
当日のプログラム
グレゴリオ聖歌:<来たれ、創造者なる精霊よ>
オルフ:<カルミナブラーナ>より(おお、運命の女神よ)
カルス:<しもべらよ、ともに歌え>
ペルコレージ:<スターバト・マーテル>より第1,8,12曲
フランク:<天使のパン> シュッツ:<今日こそキリストの生まれた日>
メンデルスゾーン:<我が魂よ、我が主をほめ讃えよ>
コープランド:<小さな馬たち> コダーイ:<夕べの歌>
フォーレ:<アヴェ・ヴェルム・コルプス>
イコチェア:<光が闇の中で輝き> イコチェア<詩篇第61篇>
休憩
J・シュトラウスU:ポルカ<ハンガリー万歳>  シューマン:<流浪の民>
シューベルト:<嵐にひるがえる旗> <小さな村> ロッシーニ:<散歩>
〜スピリチェアルズ〜
<主はダニエルをすくってくださったではないか>
<正しきことをなせ> <彼は決して私を見捨てない>
<千の風になって> <ねむの木の子守歌>
〜オーストリア民謡〜
<納屋の大戸> <ハスルー谷にて> <雪が溶けて緑が萌え出て> <森のハンス>
J・シュトラウスU:ポルカ・シュネル<観光列車> ワルツ<皇帝円舞曲>

 時間になるとグレゴリオ聖歌を歌いながら団員は整列し、2曲目のカルミナ・ブラーナに入った。ピアノの強い伴奏とともにボリュームのある澄んだ歌声が一気にホールを包んだ。この2曲でぼくは度肝を抜かれた。「すごいです」。風君も同じことを感じたらしい。ぼくたちが喧嘩する原因になる「TFMとグロリアはどっちがうまいか」なんてくだらないことだと思い知らされた。「これがウィーンショックか」とつぶやいた道楽さんにこの先を書いてもらおう。
 最初の2曲を聴いて衝撃を受けた。ウィーン少年合唱団の演奏会は4回目だがこのような感覚は味わったことがない。それだけすばらしい合唱だった。歌が終わると指揮者であり伴奏ピアニストでもあるイコチェア氏が「みなさん、きょうはウイーン少年合唱団のコンサートにおいでくださりありがとうございます」と流暢な日本語で挨拶した。合唱はどれもきよらかで絶妙なハーモニーだった。それはアカペラ曲で特に際立っていた。やはり少年合唱団にアカペラは良く似合う。5曲目の『天使のパン』を歌う前にヒビキ君が前に出てくるのを見て「えっ? もしかしてソロ?」と驚いた。ボーイソプラノが歌う名曲の一つを、しかもウィーン少年合唱団のソリストとして歌う。日本人の少年としては初めての栄誉だろう。こう思った観客は多数いただろうがヒビキ君はなんの気負いもなく平常心で歌った。声は素直に伸びるソプラノで、飾り気のない歌に好感をもった。同時にこれは日本人の少年の声だと思った。それを証明したのが後半のソロを歌ったオーストリア人の少年である。ヒビキ君が季節感あふれる細やかな味の和菓子とすればこちらはボリュームあるザッハトルテ(チョコレートケーキの一種)のような声だった。育った環境や体型で声は変わる。もとろんどちらが良いと言うつもりはない。違うタイプのソロでこの曲を聴けたのは収穫で「来てよかった」とうれしくなった。しばらく余韻に浸りたかったがプログラムは進行し「あっ」という間に前半が終わった。
 ぼくたちが、休憩でロビーに出るとバーコーナーでシャンペンを売っているのを見つけたので道楽さんに教えてあげた。「なんともいえない感動だろう。こういう時はシャンペンだよね」とぼくが言うと道楽さんは「今は何も欲しくない。すべては終わってからだ」と答えた。それを聞き「今までに感じたことがない気分なんだな」と思った。席に戻ると後ろの席の男の子がぼんやりと座っていた。「歌わないんですね」と言う風君に「あの合唱を聴いたらここでは歌えないだろう」と答えた。ぼくたちもコンサートで聴いた歌に感動するとそれを口ずさんでみるけどきょうはそんな気分ではなかった。


  後半のプログラムのために照明が暗くなると突然大きな拍手が起きた。「なんだろう」と思っていたら道楽さんが「見てごらん。皇后陛下だよ。『ねむの木の子守唄』の詩を作られたんだ」と教えてくれた。「いい時に来たね」「笑顔が素敵ですね。とても幸せな気分になれます」。ぼくたちも拍手をしながらそんなことを話した。
 後半で楽しみにしていた曲の一つ、『流浪の民』はソロの部分でいろいろな少年の声が聴けた。どの少年もごく自然に流れるような声を出すのは小さい頃から聴いたり歌ったりしていたからだろう。次のシューベルトの曲は、「先輩が作った曲」ということで誇りをもって歌っている気がした。これらヨーロッパ風の曲からスピリチュアルズ(黒人霊歌)になると一転して心を訴えかけてくるような感じになった。宗教曲とは違う何かがある。そう考え研究して深めてみよう思い立った。また『千の風になって』はテロの犠牲になった方々への哀悼を込めた合唱で心に響いた。『ねむの木の子守唄』は静かに語りかけてくる感じの合唱でヒビキ君を含めた3名が代わる代わるソロを歌った。身贔屓かもしれないがヒビキ君のソロがこの曲に一番似合っているような気がした。歌い終わり皇后陛下に向かって挨拶する少年たちは誇らしい気持ちと光栄に思う気持ちが入り混じった表情をしていて清清しかった。それを見て「こういう場所に慣れているんだな」と思った。日本人ならもっと緊張した表情になるだろう。次のオーストリア民謡は気のせいか全員リラックスした表情になった。指揮者が客席に手拍子のやり方を教えて合唱団の歌と一緒に盛り上げたり、4名の少年がチロル風の服を着てダンスを披露するなどして楽しい雰囲気になった。舞台の後ろ側の観客のためにそちらを向いて歌うのも好感がもてた。このようなことで気持ちがほぐれたところで聴くポルカ『観光列車』は曲に合わせて体を揺すりたくなった。同じ気持ちの観客もいて指揮者に合わせて手を動かしている人もいた。

 曲が終わると指揮者が「ウィーン少年合唱団にはいろいろな国の子がいます」と紹介した。指揮者が国の名前を言うと該当する少年が手を上げ、それに対して観客が拍手をして讃えた。地元オーストリアが半分近くで一番多く、他はハンガリー、スロバキヤ、ナイジェリア、カナダ、オーストリアなどがあがり「日本」と紹介されるとヒビキ君が手を上げた。客席の拍手は一番大きいように感じた。最後に「ペルー」と紹介し指揮者自身が手を上げた。「メジャーリーグと同じだね」。薫風がささやきあっていた。最後の『皇帝円舞曲』が終わると大きな拍手となりすぐにアンコールの拍手に変わった。アンコールは『浜辺の歌』、『ふるさと』そして『アルゴリズム行進』だった。最後の曲は指揮者を先頭にヒビキ君をはじめ数名の団員が楽しい振り付けを披露した。これには観客は大喜びで大きな拍手を贈った。

 「あっという間に終わったね」「ずっと舞台に集中できました」「日本の合唱団とは実力が違うよね」。悔しいけれどそう思わざるを得なかった。ホールに近い道楽さん行きつけのバーに向かいながらぼくたちは話した。バーのカウンターに座って道楽さんが注文したのはドライマティーニだった。「シャンペンじゃないの?」「ここに座るとドライマティーニが欲しくなる」「会場を出てホッとしたんでしょう。ぼくも歌いたくなりました」と風君は『ねむの木の子守歌』を口ずさんだ。「日本人でもあれだけ歌える人はたくさんいないよ」と言う道楽さんに「レベルの違いだね。日本の少年合唱団は太刀打ちできないね」とぼくが言うと風君が「待ってください」と話を始めた。「落ち着いて考えてみるとウィーン少年合唱団のメンバーはいろいろな国からきびしい試験を受けて入団します。その中で海外公演に出演できるメンバーは更に選ばれた人たちなんでしょう。その点、日本の少年合唱団は地域の子の集まりです。TFMは東京周辺、グロリアは鎌倉周辺です。少年合唱団に入るためによそから来る子は日本にはいません。それを考えればウィーンはすばらしい合唱が当たり前なんです。日本の少年合唱団と比べることは間違いです」「風君、良いこと言うね」。道楽さんが感心した。「ウィーン少年合唱団という目標をもつのはいいけど対抗心を起こす必要はない。それぞれの合唱団に合わせた活動をすればいいんだから」「日本の少年合唱団も全員楽しそうだし歌い終わると良い顔をしているよね」「先ずそれだよね」「海外に来ないウィーンのメンバーの合唱を聴いてみたいです」「なら地元の教会のミサかな?」と言う道楽さんにぼくたちはウィーンに行こうとせがんだ。「そんな簡単に行けるところじゃないよ」と言う道楽さんの話を聞き、ヒビキ君と去年聴いたカイ君の努力は並大抵じゃないだろうと思った。



二度目も感動
2008年ウィーン少年合唱団コンサート
                                      2008年5月31日


  ぼくたちは今年2回目のウィーン少年合唱団のコンサートを聴きに東京シティオペラコンサートホールへ出かけた。前回ProguramBを聴き、もう一つのProguramAも聴こうということになったわけだ。では当日の様子を道楽さんに書いてもらおう。

当日のプログラム

グレゴリオ聖歌:<来たれ、創造者なる精霊よ>
オルフ:<カルミナブラーナ>より(おお、運命の女神よ)
ダ・ヴィットーリア:<闇となりぬ>
パーセル:<来たれ、汝ら芸術の子>より
メンデルスゾーン:<我が魂よ、我が主をほめ讃えよ>
シューベルト:<詩篇第33篇>
ゴダーイ:<アヴェ・マリア><天使と羊飼い>
イコチェア:<グラシアス・ア・ディオス>
ヴィルト:<ミゼレ・メイ>
イコチェア:<詩篇第61篇>

休憩

J・シュトラウスU:ポルカ<ハンガリー万歳>  シューマン:<流浪の民>
シューベルト:<嵐にひるがえる旗> ビアソラ:<天使の死>
世界の民謡
アイルランド:<ダニー・ボーイ> ウズペキスタン:<王と物乞い>
ブルガリア:<ディルマノ・ディルロ> チリ:<黒い瞳売ります>
<ふるさと>  <千の風になって>
オーストリア民謡
<あなたが谷を通り抜けるとき> <雪が溶けて緑が萌え出て> <森のハンス>
J・シュトラウスU世:<浮気心>/<酒・女・歌>より/<喜びのワルツ>

 会場でもらったプログラムを見て来年の東京公演の日程が決まっていることを知った。時期は今年と同じで日本の少年合唱団とバッティングしないのがなによりだ。客席はほぼ満席だったが1/4強は某私立女子中学校の団体で占められていた。こうしないとチケットが売れないとしたら先行きが不安である。コンサートや美術展は個人で訪れるべきであるというのが自分の考え方だ。「ごたごた言わないでいいよ」「他も見てください。小学生の男の子を連れた家族もけっこういます」。薫風に言われて視線を向けると確かにそうだ。年配の人も多いが孫を連れてきている人たちもそこそこいた。この年代の人たちは若い頃、ウィーンショックを受けた年代だ。年配のお客様が多いのはここらあたりにも原因がありそうだ。「さあ、始まるよ。メモの用意をしよう」。
 客席の照明が落ちるとにぎやかにしゃべっていた中学生たちから「シー」と声が出て会場はたちまち静寂になった。このタイミングを待っていたかのように舞台下手から静かな歌声が聴こえたかと思うとすぐに大きな声に変わり団員たちが整列を始めた。最後に指揮者が登場し指揮を始めた。終わると間髪を入れずにピアノが鳴り『カルミナ・ブラーナ』が始まった。ここは前回同様でこの日も観客をたちまち舞台に引き寄せた。この日のメンバーはピアノをはさんで左側にソプラノ15名、右側にアルト9名で合計24名。ヒビキ君の姿はなかった。終わると指揮者のウェルカムスピーチがあり3曲目に入った。これは自分にとって初めて聴く曲である。パンフレットの解説を読み、作曲者はスペイン・ルネサンス最大の作曲家で歌の内容は十字架にかけられたキリストが絶命するまでを歌った4声の無伴奏モテトとわかった。各パートの声が幾重にも重なり合い教会で聴いたら敬虔な気持ちになりそうだ。合唱と言うよりソリストの競演と言ったほうがよい曲だ。途中、トップソリストのマヌエル君が澄み切った強い声で歌い、存在感を示した。「マヌエル君は前回は後列にいたけどきょうは前列です」「それも真ん中だね。日本だとトップソリストは端に立つけど違うんだね」。薫風がうなずきあっていた。次のパーセルの曲はクイーン・メアリーU世30歳の誕生日を祝う曲の一つだそうだ。当然のことだが前の曲と違い明るさにあふれた曲だ。こちらは完全な合唱で声のバランスが取れていた。誕生日にこんな曲を歌ってもらったらさぞかし幸せな気分になれるだろう。次のメンデルスゾーンの曲も祝いの歌でこちらは活版印刷の400年記念のために作曲されたそうだ。今回歌うのはその一部でソプラノ独唱と合唱の部分である。またこの曲はメンデルスゾーンの交響曲第2番と呼ばれているそうだ。
  歌が始まりはマヌエル君のソプラノでこれに合唱が重なっていく。「パワーが違いますね」「立ち姿が自然だよ。体に余計な力が入らないからきれいな声がだせるんじゃないかな」「心は緊張。体はリラックスですね」。薫風もよく観察していると感心した。次のシューベルトの曲はゴダイによる詩に曲をつけたものでシューベルトを愛好していたグループの中のフレーリヒ姉妹の長女に依頼されたそうだ。彼女はピアニスト兼歌手である。この曲は彼女の声楽の生徒たちのための合唱曲で明るい感じの歌で、女声合唱曲らしい雰囲気があり、比較的平坦な曲だが少年たちは聴かせどころを心得て歌っていた。次のコダーイの『アヴェ・マリア』はソプラノとアルトの掛け合いという感じだった。この曲は9名のアルトがしかりした声で歌い存在感を示した。自分が今まで聴いた『アヴェ・マリア』に比べ土着っぽいと感じたがそれもそのはず作曲者は民族音楽を研究していた。続いての『天使と羊飼い』はキリストが誕生した時の天使と羊飼いの会話をモチーフにしたものだ。羊飼いをアルトが、天使をソプラノが歌い最後に合唱で締めくくる曲で、ソプラノ2名のオブリガードが厚みを出した。次のイコチェアの曲は神への賛美を歌ったもので短いが美しかった。「今気が付いたけど残響ありますね」「マヌエル君の声もしばらく残るよね。すごいなあ」。終わると指揮者が「魔笛を歌います」と話すと『お導きします』の伴奏が始まった。「栃木で聴いた曲ですね」「そうだよ。道楽さんの好きなオペラだ」。3人の少年が前に出て歌い、タミーノのパートは指揮者が自ら歌った。とてもやわらかいテノールでタミーノ役が似合いそうだ。3人の少年は声がしっかりしているのは当然だがそれぞれの性格が表れる歌に感心した。オペラでは感じることはない3重唱を聴くことができた。特にナイジェリア出身のアルトが残り二人を支える歌で存在感を示した。歌い終わるとピアノの下に隠れる演出があり観客の笑いを誘った。プログラムにはない曲だが、やや重い宗教曲が続いたので良い箸休めとなり気持ちがリフレッシュした。この後は現代作曲家による宗教曲が2曲続いた。前半最後の曲は指揮者が観客に手拍子を促すとソプラノとアルトから一人ずつ少年が前に出て手拍子を打って見せた。それだけでなく舞台を動き回りながらテンポも示してくれた。「すごく自然ですね。いいなあ」「素直に手拍子をしたくなるよね」。客席ともども盛り上がったところで15分間の休憩だ。「ロビーに出て手足を伸ばそう」。薫風に声をかけて席を立った。
  椅子に座り一息ついていると「シャンペンやワインがあるけどどうする?」と薫が話しかけてきた。前回同様、何も欲しくないのでそう答えると「あんたと同じ心境の人が多いのかな? 飲み物を買う人が少ないね」。言われてビュフェを見ると行列はできていなかった。逆に賑わっているのはグッズやCDを販売しているコーナーだ。「見てみましょう」と
風に言われて行ってみたが特に欲しいものはなかった。CDに食指が動いたが普段購入する店に行けばポイントがつくので見合わせた。代わりというわけではないがファンクラブ会員を募集していたので入会しCDとポスターをもらった。CDは店頭で販売していないそうでお値打ちだ。ポスターは荷物になるし貼る趣味はないが「せっかくだからもらっておこう」と薫風に言われたので仰せに従った。そんなこんなで休憩時間はたちまち終わった。
 後半は軽快なポルカで始まった。ポルカのリズムで観客の心がほぐれると聴き処の一つ『流浪の民』だ。やや重い感じで始まった曲は次第に軽快になり再び重さが増すと間奏が入る。観客は自然に惹きこまれソロに気持ちが集中していく。このあたりはさすがだ。ソロを歌った団員たちはいずれもきれいな声で様々な声を堪能できた。中でもアルトを歌った少年のしっかりした声が印象に残った。次の『嵐にひるがえる旗』は勇しく嵐に立ち向かおうとする気持ちを感じた。アカペラで歌うことでその気持ちがより強く表れた。次の『天使の死』に関してパンフレットから引用する。作曲者ビアソラはモダンタンゴで金字塔を打ち立てた人だそうである。この曲は4曲からなる組曲の3番目で器楽曲なのだがイコチェア氏が合唱曲に編曲したとのことだ。曲は鋭いリズムで始まりやがてゆったりとしたリズムに変わり最後は再び鋭いリズムになって終わる。歌うには難しそうだがそうは感じさせないのがウィーン少年合唱団だ。なおこの曲ではメンバーの前列と後列が逆になった。曲が終わると再び列が元通りになり『ダニー・ボーイ』が始まった。前の曲で気持ちが集中した分、くたびれたのでホッとするような曲はありがたい。ソロを歌った少年は体調をくずしているのか声に輝きが足りなかった。しかし他のメンバーがそれを補う合唱をして支えた。ソリストはまわりに支えられて輝けることを認識した。次の曲はウズペキスタンの歌だそうである。『ダニー・ボーイ』を歌った少年がチェロを担当し、他に3人の少年が民族楽器のような打楽器をたたいた。ソプラノとアルトが1名ずつ前に出て全体をリードした。チェロの音が、重い足取りで歩く王と物乞いの姿をイメージさせた。終演後、歌詞を読んでみたので書いておこう。
 みよ 王と物乞いが同じ道を旅していく
 世界の運命はそれぞれの方向に動いていく  
 皆よいことをしたつもりでも
それはなにももたらさない
世界は仮の姿 夢かうつつか
わたしにはわからない
みよ 王と物乞いが同じ道を旅していく
作曲者は1963年生まれなので新しい曲である。「歌詞はもっと前にあったかもしれないよ」。薫の言葉を聞き宗教に関連があるかもしれないと思った。いずれ調べてみよう。
次のブルガリアの歌はアカペラだった。歌詞の意味かはわからないがいかにも民族の力強さを示すような曲だった。続いてのチリの歌は打楽器とパーカッションを使った陽気な曲だった。指揮者に代わってピアノを弾いている少年が指揮も兼ねていた。この少年の指揮は堂に入っていて未来の指導者を予感させる雰囲気があった。客席からの拍手が一段落するとメンバーはこの日初めて楽譜を開いた。アカペラの『ふるさと』は情緒的な仕上がりで日本人の心にも響いた。続いての『千の風になって』も流れるようなきれいな日本語で曲の特性を掴んだ合唱を披露した。終わると6名のメンバーが退場しオーストリア民謡に移った。『あなたが谷を通り抜けるとき』は恋人を想う女性の気持ちを静かに歌う合唱だった。終わるとプログラムには載っていない『ハスルー谷にて』となりアコーディオンを入れたにぎやかな合唱を披露した。次の『雪が溶けて緑が萌え出て』はチロル風の衣装に着替えた6名のダンスを入れての合唱で客席から自然に手拍子が起きた。ダンスの足の運び方を見て日本人は慣れるのに時間がかかりそうだと思った。「リズム感がよくないからだ。ぼくならすぐできるぞ」。薫が得意そうに足を動かした。次の『森のハンス』を歌う前にイコチェア氏が歌いながら手拍子をして見せた。観客がそれに合わせて手拍子をすると頭打ちと後打ちのやり方を示した。前回、これがよくわからなかったが団員二人がやるのを見て理解できた。後打ちは頭打ちよりワンテンポずらすのだ。わかったけれどこれが意外と難しい。「難しくなんかないですよ」。薫風が歌いながら頭打ちと後打ちをやってみせた。「だてに合唱団のマスコット人形をやってるんじゃないよ」「そうです」。一通りのレクチャーが終わると軽快な合唱が始まった。団員たちも楽しそうで観客もそれに合わせて楽しむことができた。客席と舞台が一体となったところでポルカ『浮気心』だ。ダンスをしたメンバーが着替えを終えて列に加わり明るいポルカを披露すると手拍子の余韻を残している観客はおおいに酔った。終わると前回同様、団員の出身国の紹介があった。残念ながら日本は紹介されなかった。拍手がやみ、『喜びのワルツ』をしっとりと歌い終わるとすべてのプログラムが終わった。アンコールはこれも前回と同じ『浜辺の歌』と『アルゴリズム行進曲』だ。後者の曲で指揮者を先頭に団員たちがユーモラスな動きをするのはいつ見ても楽しめる。歌い終えると団員たちは観客に手を振りながら退場した。今回は2回目だから前回ほど感動しないと思っていたがそうではなく音楽的に深めることができた。これもウィーンの実力を示すものだろう。ロビーに出ると一人の男の子が「ぼくたちはこうやるんだよ」と母親に『アルゴリズム行進曲』の動きを見せていた。どこかの合唱団に所属しているのかもしれない。だとしたら演奏会を聴いたことで良い歌が歌えそうだ。
「さあ、どこかで一杯だろ。どこに行く?」「確実にくつろげる場所がいいな。ちょっと遠いけどいつものバーにしよう」。ぼくたちは電車を乗り継ぎ、最寄り駅で降りて歩き出すと「見てください。ウィーン少年合唱団のバスです」。風君の言葉に視線を向けるとメンバーを乗せたバスがホテルの玄関に横付けされメンバーがホテルの中へ入っていった。ぼくたちも追いかけてロビーに入った。メンバーはひとかたまりになり部屋のキーを順番に受け取っていた。はしゃいでいるメンバーはなく静かに待っているのはさすがだ。「みんな以外と小さいですね。舞台にいる時は大きく見えたけど」「どこも共通だよ。日本の合唱団や俳優さんも舞台では大きく見えるよ」。ロビーにいる人たちは合唱団に注目をしているが握手など求める人はなく好ましい雰囲気だった。メンバーの中に私服姿のヒビキ君がいた。なんらかの理由で出られなかったが元気そうな顔だった。寝込むような病気ではなかったようで一安心。「スケジュールきついからね」「そうです。ぼくたちだって長距離移動することがあるけどかなりくたびれます」「ぼくたちは見るだけでも向こうは舞台で歌わなければいけないからね」「先ず元気でないとできません。中でもトップソリストは休むわけにいかないから余計大変です」「でも合唱はみんなで作るんだよ。一人いないだけでも大変だ。きょうはみんなでヒビキ君の分をカバーしたはずだよ」。メンバーが引き上げて行くまでぼくたちはロビーで過ごした。


存在感ある清々しいトップソリスト
2009年ウィーン少年合唱団演奏会

                                                2009年6月13日


  「あなた泣いてるの?」。その声に振り向くと涙ぐんでいる女性がいた。「その気持ちわかります」。風君の言葉にぼくも同感だ。素敵なエネルギーがぼくの心を満たしていた。こんな感覚を味わうのは初めてだった。「前回より良くなっているよ。悔しいけれど実力が違うなあ」。五月君が言う通りでこの日、ぼくたちは3度目なのだ。では演奏会のプログラムを紹介しましょう。
 プログラムA
 デュモン作曲  サルヴェ・レジーナ
 オルフ作曲   カルミナ・ブラーナより
         見よ、今は楽しい 
ここで輪を描いて回るもの〜おいで、おいで、私の友だち
運命の女神の痛手を
 ロッティ作曲   我々の苦悩を
 M・ハイドン作曲  アニマ・ノストラ
 アルカデルト?ディーチュ作曲  アヴェ・マリア
 ヴィルト作曲 ミサ・アポストリカより キリエ グローリア
 J・ハイドン作曲 オラトリオ 天地創造より  天は神の栄光を語り
 モーツアルト作曲 パッター・ペーター・ポン
 J・シュトラウスU世作曲 ハンガリー万歳
 休憩
 オーストリアから日本へ
 オーストリア
きれいな水がある  陽気な鍛冶屋たち あなたが谷を通り抜けるとき
ハンガリー
コダーイ作曲 ジプシーがチーズを食べるとき
ルーマニア
りんごの木の花
インド
ジョグ・ワ
イスラエル
シャーローム・アーレイヘム
パキスタン
ハク・アリ
中国
李叔同作詞 オードウェイ曲  送別歌
日本
天皇陛下作詞 皇后陛下作曲 歌声の響
成田為三作曲 浜辺の歌  
アンジェラ・アキ作曲 手紙〜拝啓十五の君へ
ジーツィンスキー作曲 ウィーン、わが夢の街
ヨーゼフ・シュトラウス作曲 鍛冶屋のポルカ 
J・シュトラウスU世作曲 美しく青きドナウ
  
 道楽さんが新宿の人ごみを強引に通り抜ける姿を見て「気合が入っているな」と思った。この日、会場に到着したのは開演10分前を切っていた。平日の鑑賞はどうしてもぎりぎりになってしまう。そのまま客席へ向かおうとした道楽さんに風君がストップをかけた。トイレに入り、手を洗って顔と服装をチェック。水を一口飲んで気分を落ち着かせると風君が「先輩、いいですか?」と確認を求めた。「OK」。以前はぼくがやっていたことを風君がやってくれるようになった。その分、余裕ができた。では演奏会の様子をレポートを道楽さんにお願いしましょう。

 先ずは、舞台に向かって中央左側の入り口から団員が歌いながら入場した。この日、自分の座った席は舞台右側、前側と後ろ側を分ける通路に面した席だったので入場する様子がよく見えた。団員が舞台に整列すると指揮者が舞台左側から登場しピアノの前に座った。団員はピアノを挟んで左側に12名、右側に10名で合計22名。トップソリストのシンタロウ君が前列ピアノの左隣、もう一人の日本人マサヤ君は前列左から2番目で二人とも元気そうなので一安心。今回はマサヤ君のソロはなかったが数年後に期待したい。
 1曲目が終わるとシンタロウ君を入れた3名が前に出てきた。『カルミナ・ブラーナ』はシンタロウ君がこの日も堂々とした声を披露した。別の団員が鳴らすタンバリンが観客の心を音楽にずんずんと引き込んでいく効果があった。曲が終わると指揮者のフローリアン・シュヴァルツ氏が日本語で歓迎の挨拶を述べた。2曲目は『カルミナ』で熱くなった心を冷ます静かな合唱。3曲目はシンタロウ君のソロを入れた清らかな合唱だった。4曲目の『アヴェ・マリア』はこの日はシューベルトの作品でソプラノソロを入れた合唱だった。自分としてはシューベルトの方が馴染みがあるので素直に心に入ってくる。5曲目はシンタロウ君が再度きれいな声を聴かせてくれた。彼の声は繊細ながらも力があり聴いていて心地が良い。また曲によって微妙に歌い方を変えるのでメリハリがある。かなりの勉強家と察することができ、このようなボーイソプラノは本場でもそうはいないだろう。曲が終わるとシンタロウ君がマイクを持ち「1部はウィーン少年合唱団の伝統的な作品と中世の作品を歌います。今、歌った曲はヨーゼス・ハイドンが作曲したミサ曲(題名は聞き取れませんでした)です。ぼくたちは今、生きている現代作曲家の作品もよく歌います。次に歌うのはぼくたちの音楽監督であるヴィルト先生が作曲なさった作品です」と紹介した。曲を聴いてみてゆったりした感じのクラシックと違いリズムが微妙に変化するように感じた。一概に言えないが時代に応じた人間の生きるスピードの違いだろうか。なんだか緊張するような曲だった。次のハイドンの曲で心はほぐれた。旧い作品の方が自分には馴染みやすい。「年のせいだよ。ぼくたちはこれもいいなと思うよ」。さわやかボーイズの意見だ。モーツアルトの『パッター・ペーター・ポン』はアカペラの楽しい曲だ。団員たちもなごんだ表情で歌っていた。1部の最後は定番の一つ『ハンガリー万歳』だ。スピード感あふれるこの曲は自分のモチベーションを上げる効果がある。ここで休憩となるが座席に座ったまま余韻に浸った。

 2部はアカペラの静かな曲で始まった。少年合唱にはやはりアカペラが似合う。次はチロル風の衣装をつけた6名が大きな動きのダンスを披露した。いかにも男性の踊りという感じで動きが速い。見ている自分も汗をかきそうだった。終わると再び静かな合唱が行われた。終わるとシンタロウ君が「今、歌った曲はオーストリア○○(聞き取れませんでした)地方の典型的な民謡です。ぼくの友だちのフィリップが故郷のフォークダンスを取り上げたので披露しました。この曲でぼくたちの音楽の旅は始まります。ルーマニア、パキスタン、そして中国を通って日本に到着します。今年は日本とオーストリア修好140周年となる記念の年です。みなさんと一緒にお祝いできることをうれしく思います」と挨拶した。この挨拶を聞きウィーン少年合唱団が親善大使も兼ねるという意味がわかった。合唱を聴いているとヨーロッパと東洋の文化は違うなと思った。今回は打楽器を使ってそのあたりを証明した。印象に残ったのはパキスタンの曲でシンタロウ君を含めた3名が客席を歩きながら観客に手拍子を促した。観客もすぐに応え一緒に音楽を楽しむことができた。次の中国の歌は『旅愁』と言えばわかるだろう。ここでもシンタロウ君がソロを披露した。こうして聴いてみると心に響く。続いての歌は初めて聴く曲で沖縄の木々が静かに揺れる様子が頭に浮かんだ。今上陛下ご夫妻の沖縄への想いが伝わる曲だった。次の『浜辺の歌』は知らなければ日本の合唱団が歌っていると信じてしまうだろう。例年だと独特の日本語で外国人の歌とすぐわかるのだが今回は日本語がしっかりしていた。メンバーによるとシンタロウが教えてくれたからだそうだ。この一言からシンタロウ君は周りの人望が厚いと察せられた。トップソリストは歌がうまいだけでは務まらないのだろう。『手紙』は恥ずかしながら初めて聴いた。NHKの合唱コンクールの課題曲として賛否両論あるのは知っていたが実際に聴いてみると良い曲だった。「もしかしたら日本の合唱団よりうまいかもしれない」。手拍子をしながらそう考えると同時に熱い気持ちになった。

 最後は定番のウィーンの曲だった。仲でも鍛冶屋の音を出しながら合唱する『鍛冶屋のポルカ』がおもしろかった。やはりウィーンと言えばポルカだ。演奏終了後も拍手は続きアンコールに応える団員に「ありがとう」と心の中で感謝した。
 



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