京都市少年合唱団

 第56回京都市少年合唱団定期演奏会
                            2005年8月21日

       京都へ向かう

  三ノ宮から乗車した新快速は複々線区間を気持ちよく走行していた。うわさに聞いていたとおりJR西日本の新快速は速いし快適だ。道楽さんはホームで買ったデイリースポーツを熱心に読んでいる。阪神ファンとしてタイガースの勝利はうれしいんだろうけどなぜここまで熱心なんだろう? 阪神が勝とうが負けようがぼくたちの生活になんら影響はないのだ。そうそう。昨日は三ノ宮のホテルにチェックイン後、阪神電車に乗って梅田の阪神デパートに行きタイガースグッズをあれこれ見ていた。驚いたのは子どもの客ばかりではなく道楽さんみたいな男性客がけっこういたことだ。道楽さんはタイガースのマスコット人形(トラッキーという名前だそうだ)が気に入ったけど「ぼくがいるんだぞ。買わなくていい」と止めた。「焼き餅を焼いてるのかい?」道楽さんは笑った。なんと思われようが構わないけどトラッキーはぼくの趣味ではない。結局何も買わずに再び阪神電車に乗った。「夕食は尼ヶ崎で食べよう」と駅前商店街からちょっとはずれた所にある洋食屋さんで海老フライとハンバーグとハムサラダ盛り合わせ定食に生ビールを注文した。「あちこちよく知ってるんだね」いつものことだけど店を見つけるのは上手だ。夕食後、尼ヶ崎駅のホームに上がると青とクリーム色の各駅停車が入ってきた。それを見た道楽さんは「ジェットカーだ。これで三ノ宮まで行こう」と乗り込んだ。道楽さんによると短い時間で加速減速ができる各駅停車専用の電車で特急に使う電車より性能がいいそうだ。走り出すと「ほら、この感覚いいだろう。いいだろう」と話しかけてきたけれどぼくにはわからない。特急で早く着く方がぼくとしてはいいけど道楽さんの気分を害しては悪いので「そうだね」と答えた。こういう所は子どもとそう変わらないけれどそれだからぼくと話ができるのだろう。退屈しかけてきたら途中からぼくたちの前の座席に座った小学生の兄弟が仲良くしているかと思うと喧嘩してまた仲良くなる様子を観察していたら楽しくなった。
 話をもどそう。ぼくたちの乗った電車は無事に京都駅に到着した。大きな荷物をコインロッカーに預けると「伏見稲荷に行ってみよう」と道楽さんが言い出した。これは一昨日、千吉神社が伏見稲荷からお札を受ける話を聞いたからだ。近鉄電車に乗り丹波橋で京阪電車に乗り換えて伏見稲荷に到着。思ったより広いので時間の関係上、全部を見ることはできないので本殿で手を合わすだけにした。家の近所の神社に置いてある狛犬の代わりに狐の像があった。道楽さんは興味のある顔でじっと見つめていたけどぼくは薄気味悪く感じた。多分、稲荷神社と相性が悪いのだろう。
 「京都に戻ろう」と京阪電車に乗って京阪三条下車。三条通りを歩いて老舗の喫茶店「イノダ」に入りチーズトーストとコーヒーで昼食。カウンターに座りコーヒーを作る様子を観察した。ここはドリップ式で細い口のポットからお湯を少しずつ丁寧に注いでいた。「おいしくいれるコツらしいね」家で普通のやかんを使ってドリップする道楽さんが言った。「味が変わるかもしれないね。家に帰ったらやってみようよ」ぼくは答えた。「京都に来たらここのコーヒーを飲まないと落ち着かないな」道楽さんはコーヒーをすすりながら言った。ぼくもカウンターに漂う香りに満足した。このままのんびり過ごしたいけれどそうはいかないので出発。この先は道楽さんにバトンタッチしよう。

        観客の期待を満たすのは大変

 会場の京都コンサートホールはすでに列ができていた。ここは階段でなく螺旋状のスロープで入り口まで行けるのが特徴でこのスロープに並んで待つのだ。昨年は建物の入り口当たりまで列が伸びていたが今年は余裕があった。人によっては2時間近く待つのだから時間の無駄のような気がする。整理券を配布して集合時間を決めればランチタイムでもあり、近くの飲食店などで過ごす人たちもいるはずだから多少なりとも地域経済に貢献できるのではと考えつつ列に加わった。
 プログラムは全員合唱、ミュージカル、小学生女子、中学生女子などから構成されているがここでは少年合唱にしぼって書くことにする。メンバーは約50名で変声期前と後の混声だ。今回のプログラムは小林一茶の俳句をベースにした『雀』『蝉』『月』。日本語をきれいに発音するという目的は達成され高音と低音のバランスもよく夏の暑さでくたびれている心身に染み入るような合唱だった。ただ勝手なことを言わせてもらうとこの選曲は自分の期待したものと違った。「少年合唱」という料理屋に入り何が出てくるのかとわくわくしている所にもりそばが出てきたとでも言ったらいいだろうか。もちろんこのもりそばは手打ちのおいしいそばなのだが「この店ではそばでなく別のものを食べたかった」という心境だ。少年合唱だけでプログラムを組みその中にこの曲があれば違う印象になっただろう。しかし限られた時間で演奏しなければいけない演奏会で素人受けしない曲を選んだことは評価したい。
休憩時間になり、昨年はOBによるロビーコンサートがあったので今年もそうだろうと早々とロビーに行くと少年合唱のメンバーが待機していた。もしかしてと思ったらその通り今回のロビーコンサートは少年合唱だった。演目は『森へ行きましょう』『若者たち』『大きな古時計』の3曲。1曲目は低声部が主旋律を歌い高音部がそれに続き、後半は高音部が主旋律に変わる。めりはりの効いた合唱を楽しめた。次の『若者たち』は昭和40年頃のテレビドラマの主題歌でフォーク調の曲だ。「だのに なぜ 歯を食いしばり」という詩に時の流れを感じるとともにひたむきな気持ちを表すのに少年合唱はよく似合うと感じた。最後の『大きな古時計』はプログラムに歌詞が印刷されていて観客もいっしょに歌うよう呼びかけがあった。近くにいた年輩の女性が楽しそうに歌うなど和やかな雰囲気でロビーコンサートは終了した。やはり少年合唱にはこの手の曲がよく似合う。「そうだよ。これが食べたかったんだ」という気持ちになった。先ほどのステージの曲だけでは物足りなかったがこれで満足した。帰り際、アンケート用紙に「一番よかったプログラムはなんですか?」の項目に「悪いな」と思いつつロビーコンサートと記入した。少年の人数は多いのだから「少年合唱団を独立させればどうだろう?」と思うのは自分だけだろうか。

   終演後、館長さんと一杯ということになり寺町通りにあるバー「サンボア」にお誘いしたが残念ながら夏休みだった。作家の池波正太郎さんによると京都に昔から住む人は「朝はイノダのコーヒーを飲まないと始まらない」「夜はサンボアに来に来ないと終わらない」と紹介されている。その話しの通り狭いが落ち着いた空間で自分も気に入っている。そこで四条通のビヤレストランに行き歓談しているとたちまちのうちに時間が経過した。 


 

   ロビーで合唱する少年合唱団(男子部)


宗教曲は手強い
      
京都市少年合唱団定期演奏会の男子部
                                2006年8月19日


 
 市営地下鉄北大路駅近くのお寿司屋さんは、道楽さんが言う通り雰囲気がよかった。ランチサービスのにぎり寿司にハモが1カン入っていたので道楽さんはうれしがっていた。ぼくは赤出汁の山椒の香りが気に入った。暑さでバテ気味だったぼくたちはこれで元気を回復した。京都市少年合唱団の定期演奏会が行われる京都コンサートホールがある北山はここから地下鉄で一駅だ。元気が出た道楽さんが「歩いても、たいした距離じゃないだろう」と歩き出したのが失敗だった。道を間違えてかなり遠回りをしてしまった。「だから地下鉄に乗ればよかったんだ」ぼくが言うと「町並みウオッチングができたからいいだろう。無駄にはならない」と道楽さんがこともなげに答えた。そのおかげでウェルカムコンサートを見ることができなかったのでぼくは不機嫌だった。「本番には、間に合ったんだからいいじゃないか」「ぼくが違う道を歩いていることに気が付いたから間に合ったんだろ」「そうだった。薫君がいてくれると助かるよ」道楽さんは笑いながらぼくの頭に手を置いた。「しっかり見てレポートを書いてくれ。バトンタッチ」

 今回も男子部の舞台をレポートしよう。プログラムは
 シューベルト作曲『ト長調ミサ(D167)』より『キリエ』、『グロリア』
シューマン作曲『楽しき農夫』の3曲だ。
宗教曲を歌うことがわかり楽しみになった。少年合唱団には宗教曲が似合うからだ。全員合唱が終わると男子部41名が2列に整列した。指揮者が登場しピアノの合図で全員が発声。一瞬の間をおいて前奏が始まった。出だしで高音がやや弱いように感じた。それも当然で41名のうち半ズボンを穿いた小学生が13名。残りは中学生で低声部の方が多いからだろう。それでも高音部はそれに負けずに健闘しているのは伝わってきた。特にソロを歌ったソプラノ2名は良い声でここを境に調和が取れてきた。しかし何かが足りない。宗教曲は聴く人の心に訴えるものがあるかどうかが鍵だ。これがないと、楽譜の表面をなぜるだけになってしまい深い味わいがでないのだ。今回の合唱は、うまさは認めるが深みが足りなかった。栃木のフェスティバルではすばらしい合唱を披露した少年部なのだから次回に期待しよう。2曲を歌い終えると小学生3名がかつらをかぶりモーツアルト(M)、シューベルト(S)、シューマン(Sn)に扮して会話劇を演じた。
M やあ、シューベルト君。日本で君の曲が聴けてうれしいね。
S これはこれはモーツアルトさん。ほんとうにうれしいですね。 何人かに感想を聞いてみましょうか。(中学生にマイクを向けて) どうでしたか?
 中学生1 ラテン語の発音が難しくて苦労しましたがちゃんと歌えてよかったです。
S そうですか。もう一人聞いてみましょう。(別の中学生にマイクを向けて)どうでしたか?
中学生2 難しかったけど最高でした。(客席から拍手)
Sn そういえばモーツアルトさん。あなたの曲もこの日本でよく演奏されていますよね。
S シューマン君、モーツアルトさんの曲は日本だけじゃなくて今年は世界中でモーツアルトイヤーにちなんで演奏されてますよ。
M 生まれて250年になるぼくの曲がこんなに演奏されてほんとうにうれしいよ。
S この合唱団も1月にはモーツアルトさんの魔笛を演奏したとか。
M そう、京都だけでなく栃木でも演奏してくれたんだ。あっ、きょうはシューベルト君の歌に続いてシューマン君の曲もやるんだって?
Sn そうよく言ってくれました。先輩。ぼくは天国に来て150年なんです。今年はシューマンイヤーでもあるんです。
M もともと娘さんのために作った曲だとか。
Sn ええ、子どものためのアルバムというピアノ曲集の10曲目になります。リズミカルに楽しく農作業の様子を表現して欲しいな。
3人で ではお聴きください。楽しき農夫
この会話劇の3名は男の子ならではの感性が出ていておもしろかった。合唱はスキャットで歌われ、こちらはシューマン君の言葉通り、リズミカルで楽しい合唱となった。少年たちが伸び伸びと歌っているのもこの曲を楽しくした要因だ。宗教曲との違いはこの辺にもあるのだろう。少年合唱の魅力は楽しさと敬虔さがミックスされたプログラムで発揮される。それには3曲では物足りない。少年部が独立した演奏会を行えば魅力がもっと出せるはずだ。

休憩時間になりOBのロビーコンサートを見た後、歌い終えたハンドルネーム「たいままさん」にご挨拶した。お話を伺ううち、1月の修了公演にも足を運んでみようかと思った。この日の夜は宝塚の千吉踊りを見に行くのでこれで失礼した。
「シューマンが生まれて150年って知ってた?」ぼくは聞いた。「知らなかった。シューマンも有名なのに可哀想だね。もっと取り上げるべきだよ」ぼくたちはシューマンの曲についてあれこれ話しながら電車に乗った。



合唱を堪能
第59回京都市少年合唱団定期演奏会

                                           2008年9月6日


  洗濯物を干し終えて仏壇の掃除をしていたら「京都に行かないんですか?」「いいのかな? 後から行けばよかったとぼやきそうだけど」「ぼくたち、ぼやきは聞きたくないです」と薫風コンビが声をかけてきた。「品川から新幹線に乗ってひと眠りしたら京都だよ」「ぼくは京都市少年合唱団を聴いたことがないです」「そうだよ。思い切って行こう。こんな日に家で仕事をしても効率はあがらないよ」「わかった。行こう」「やったあ」。ハイタッチをして喜ぶ薫風を横目に支度をして家を出た。品川駅からのぞみの自由席に座り、日経を読んで居眠りするうち京都に到着した。地下鉄で北大路駅近くの寿司屋でランチに

 2年前にここからホールまで歩こうとして迷子になった経験から地下鉄に乗って北山で下車。開場30分前に京都コンサートホールに着くと待っている人の列は短く入口近くに並べた。2年前はもっと早く来たのに長い列ができていたから拍子抜けだ。おかげで3階席の正面先頭の列をゆうゆうと確保できた。では少年合唱に焦点をあてて紹介しよう。今回の曲目はシューベルト作曲、峯 陽訳詞、河野正幸編曲による『魔王』、モーツアルト作曲、早野柳三郎作詞・編曲による歌劇『フィガロの結婚』序曲だ。
 舞台には55名のメンバーが2列に並んだ。先ずはシューベルトと友人2名による楽しい寸劇である。「もう少し、もう少しで曲ができそうなんだ」「シューベルト、何をしているの?」「いったいどうしたんだ?」「これを見て」「これはゲーテの『魔王』じゃないか」「これに曲をつけたいんだ。うーん、うーん」「この詩をどうするんだい?」「そうだ。よし、できたぞ、できたぞ。聴いてくれたまえ」。この寸劇は心の準備に役立った。一呼吸おいてピアノの重々しい前奏が始まり合唱へと入っていく。子ども、父親、魔王のパートが絶妙のアンサンブルで自然に歌に引き込まれた。特によかったのは魔王のパートで編成後のメンバーとアルトが時にやさしく、時に怖い雰囲気で子どもを誘う場面だ。大人のソロでは表現しきれないところまで深く入り、歌いきれるのは実力の証だ。曲が終わった時、体の力が抜けたようになったのは自分の気持ちが歌に集中していたからだ。その気持ちをほぐしてくれたのが次の『フィガロの結婚』だ。指揮者がカツラをかぶって登場すると客席から笑いが起き、楽しい雰囲気で合唱が始まった。間に入る笑いを誘う振り付けも楽しく、自分の心の中でも序曲が鳴り続けた。歌詞がはっきり聴き取れないのは残念だったが違和感なく合唱を楽しめた。この曲に詩をつけて合唱したことはうれしい驚きだった。

 次の今年入団した42名による合唱にも少し触れよう。『ゆかいに歩けば』、『元気に笑え』など児童合唱団にはポピュラーな9曲を披露した。ポピュラーとはいえ編曲により一味違ったもので「これだけ歌えるんだ」と感心した。男の子は約10名。この中に体でリズムを取り楽しそうに歌っている子がいたのは微笑ましかった。この子が、来年少年部で歌うのが楽しみになった。

 「来てよかったです。すごく聴き応えがありました」。帰りの地下鉄の中で風君が言った。「これを聴かなかったら絶対後悔するぞ。よかったね」。ぼくが言うと道楽さんは満足そうな顔をした。この後、余韻に浸ろうと出かけたのは寺町通りにある老舗のバーだ。バーテンさんがロンググラスの中で作ったマティーニを全量、表面張力いっぱいにグラスに注ぐのを見て「職人わざだ」とぼくたちは感心した。どうやって飲もうかと思案する道楽さんにバーテンさんは「どうぞグラスに口をつけて飲んでください」と言った。これで気持ちがなごみ演奏会の話で盛り上がった。



ひと味足りない少年合唱
第60回京都市少年合唱団定期演奏会

                                       2009年8月8日


 
 「あれはパルプ工場の煙突じゃない?」。五月君が言うので通路をはさんだ右側の車窓に目を向けると煙突はどんどん増えていき新富士駅を通過した。東京駅を出発して約1時間、ぼくたちは話に夢中になっていて新丹那トンネル通過にも気がつかなかった。急いでデッキに行ったけれど富士山は雲に隠れて見えなかった。「晴れてるのにね。こんなこともあるんだ」「天気が安定しませんね」。風君の言う通り今年は8月になっても梅雨が明けきっていない。ぼくたちは諦めて座席に戻った。かわりというわけでないけれど新岐阜駅を通過した後、再びデッキに行った。関が原を見るためだ。「意外と狭いですね。実際に歩いてみたいです」「道楽さんに頼んでおこう」。すぐにというわけにはいかないけれどそのうち実現するだろう。電車が米原を通過すると「京都はもうすぐだよ。降りる支度をしよう」「五月君は気が早いね。まだ平気だよ」。
 京都は晴れ渡っていてとても暑かった。駅から北へ向かって裏道を歩くと仏壇を扱う店が集まっている箇所、東京では見かけない細い格子の家があった。それと豆腐と湯葉を扱っている店がけっこうあることに気がついた。道楽さんは京都の町の話をいろいろしてくれた。イノダ本店まで歩きコーヒーを飲みながら休憩。ここから地下鉄で北大路駅まで行き、大徳寺の中にある大仙院の枯山水庭園を見学した。ぼくたちは退屈したけれど道楽さんは縁側に座り、満足そうに庭を見ていた。「いいんだよ。退屈で。自分も中学の修学旅行で来た時は退屈した。若さの証明だ」と笑った。庭は退屈だけれどお堂の中にある「50、60花なら蕾、70、80働き盛り、90で迎えが来たら100まで生きて追い返せ」という言葉がおもしろかった。「気は長く、心は丸く、腹を立てずに、己は小さく人をたてる」という文字もよかった。これは売店で短冊が売られていたけれど1万円は高い。「住職様の直筆と言っても買う気になりません」「お寺って儲かりそう」。風君と五月君はうなずき合っていた。「でも修行は厳しいし寺を維持するのもお金がかかる。儲かりはしないよ。さあ、昼ごはんを食べてコンサートホールに行こう」と道楽さんは立ち上がった。どこにしようかと迷いつつ昨年も入った北大路駅近くの寿司屋さんでランチにぎりを注文。今年もハモのにぎりと山椒入りの味噌汁に満足した。では道楽さんにバトンを渡そう。
 新入団と男子部のことをレポートしよう。プログラムは次の通り。

 新入団
 「中田喜直童謡曲集」より
 ・もりのよあけ  ・もんしろ蝶々のゆうびんやさん ・はなのおくにのきしゃぽっぽ
 ・夕方のおかあさん、豆っこ打ち
 男子部
 ・島人ぬ宝  ・島唄  ・花  ・風になりたい

 新入団グループは44名の編成だ。歌を聴きながら昔風だなと思った。曲と歌詞がおっとりした感じだからだ。歌詞の意味を噛みしめるという点で新入団の子にはふさわしい。中田喜直さんの曲は子どもたちにもっと歌ってもらいたい。こういう曲をしっかり歌えば想像力が膨らみ歌の基本ができるはずだ。自分は『夕方のおかあさん』で「ごはんだよ」とソロを歌った男の子の繊細な声に注目した。全体的には悪くはないが、観客に発信する力が昨年に比べ弱かった。

 男子部は47名でうち小学生は約1/3である。混声合唱で低音部はしっかりしていたが高音部はやや弱いように感じた。2曲目はメンバーの一人が三線を引き雰囲気がよかった。しかし1曲目、2曲目ともきれいにまとまってはいたがそれでは物足りない。特に1曲目は少年が島のことを元気に語る曲だ。それを観客に訴えるエネルギーが欲しいのだがそれは感じなかった。2曲目は静かに歌う前半と力強い後半との対象がメリハリをつけるのだが同じようなトーンとなった。1曲目をエネルギッシュに歌い、2曲目を後半で盛り上げれば静かな感じの3曲目が生きただろう。4曲目のサンバ調の曲も物足りなかった。4名が打楽器を、残りのメンバーが小さなマラカスのような楽器をも鳴らしてにぎやかに歌おうと意図したのだろうが上品なサンバになった。せっかくの少年合唱なのだからはじけるようなエネルギーが欲しかった。このプログラムは1曲目を元気に、2曲目、3曲目でクールダウンさせていき、4曲目で盛り上げて終わろうという狙いが窺えた。それが4曲とも同じような感じになったのは残念だ。他のプログラム(・小6、中1女子 ・中2、中3女子)は上品な感じの合唱でそれは曲に合っていた。60周年ということで都人らしい上品さを目標にしたのかもしれない。もしそうだとしても男子部は品位を保ちつつエネルギーのある合唱ができるはずだ。男子の感性を自然に出すような合唱が聴きたかった。

 次の中2、中3の女子グループが歌っている時、信じがたい光景を見た。特別出演のため、客席に座っているドイツの某児童合唱団(中高生女子?)が隣同士でこそこそしゃべっている(全員ではないが)ことに気がついた。これは聴くに値しない態度で後半を聴く気がいっぺんに失せた。この児童合唱団は3部の出演になっている。2部は京都市のメンバー全員によるオペラでここまでは聴こうかと思ったが少年役が女声と知り打ち切ることにした。1部が終わり、休憩中に合唱したOBメンバーを聴き終えると会場を出た。OB合唱団は中年以上のグループで年齢相応の味がある合唱を披露した。こういう合唱を聴くと「続けるのはいいな」と思う。

 「こんなことで打ち切るなんて大人げないです」。風君が道楽さんに抗議した。「50,60は蕾だからいいんだ」「『気は長く、心は丸く、腹を立てずに、己は小さく人をたてる』でしょう。そうなってないです」「時と場合によるよ。それよりもつまらないことで時間を無駄にしたくない。時は金なりだ」「薫さん、なんか言って」。五月君に言われて間に入った。「あの言葉通りにするのは簡単じゃないよ」「でも努力して欲しいです」「そうなったら、煩悩がなくなる。道楽さんはぼくたちを忘れて、少年合唱ツアーにもやめてしまうかもしれないぞ。ぼくは人間臭い道楽さんのほうが好きだ」「でも、最後まで聴きたかったです」「来年も来てCDを買おう。この件はこれでおしまい。気分を変えて小倉へ移動だ」。そう言ってぼくも気分を切り替えた。


 京風の味がする合唱
第62回京都市少年合唱団定期演奏会

                      2011年 8月7日


 十三から乗車した河原町行き特急は混んでいた。電車が桂に着くと道楽さんは「気分を変えよう」と嵐山行きの電車に乗り換えた。幸いにしてこちらは空いていた。電車は緑濃い風景の中を走り嵐山に到着した。渡月橋へ向かって歩いていくと砂の彫刻がいくつも展示されている場所があった。「よく作れるな」とぼくたちは感心した。渡月橋を渡ってすぐの場所に京福電鉄嵐山線の駅があった。路面電車のような電車が1両で走る路線だ。「足湯があるよ。150円だって」。五月君がホームの端にある施設を見つけた。「まだたくさん歩いていないからいいよ」ということで外から眺めるだけにして電車に乗り込んだ。電車が走り出すと「鎌倉に似ていますね」と風君が言った。海はないけれど緑とお寺が多いところは似ていた。途中の帷子ノ辻で白梅町行きの昔風の電車に乗り換えて終点で下車。近くのスーパーで水を購入してバス停に行くと大徳寺を通る路線バスが来たので乗車した。ぼくたちが京都に来たのは京都市少年合唱団の定期演奏会のためだ。演奏会までの間、京都の町歩きを楽しもうというわけだ。では演奏会の様子を道楽さんに書いてもらおう。

 京都コンサートホールでは3階正面に座ると決めている。席を確保してプログラムを開き、みやこ光(少年合唱団)のページを読んでいると「久しぶりに男性の先生の指揮となり、男同士とあってか、子どもたちもうれしそうです」という一文があった。これを読んで「指揮者が代わったことがうれしいんだろう」と思った。ご存知の通り、女性が指揮する少年合唱団は複数以上あり、どこもお互いに信頼しあって聴き応えのある合唱を創りだしている。この何年間か少年合唱団を聴いてきてわかったことがある。少年合唱団の指導は音楽関係者なら誰にでもできるものではないことだ。男の子の特性と感性を理解して合唱を指導することはとても難しい。音楽的な素養と大らかさ、根気強さが必要で、それを備えている人は男性、女性は関係なく限られている。これが少年合唱団を育てていく難しさの一つだ。そんなことを考えているうち、早朝から活動している疲れが出て睡魔に襲われた。この睡魔を退治したのが新団員による合唱だ。余計な飾りがない純粋な声は新鮮な魚や野菜の味を上手に引き出した料理のようだった。こういう素材を使うときは余計な味付けは邪魔になる。子どもたちが伸び伸びと歌う合唱は暑さで疲れた体を元気にしてくれた。この影響でお目当てのみやこ光を気分良く聴けた。曲目は鈴木憲生作曲による混声合唱とピアノのための「民話」より、「若返りの水」 「雪の降る夜」  「鬼とおじいさん」。以上3曲だ。

 舞台には47名が整列した。内、和服の子が7名(黄色系が4名で多分中学生、水色系が3名で多分小学生)いた。メンバーは全員裸足だ。指揮者もピアノの女性も和服姿でこれは民話の雰囲気を出す意図だろう。先ずは和服の中学生1名がマイクの前に進み出て「人里遠くはなれた山の麓にひっそりとおじいさんとおばあさんが暮らしていました。ある日、山に出かけたおじいさんは小さな不思議な泉を見つけました。それは若返りの泉だったのです」とスピーチした。少年たちは6列になり隣同士がくっつきあう体型になった。(小さな泉のイメージ?)。ピアノが静かに前奏曲を流し、泉が見つかった部分を高音部がきれいに歌った。この後、ピアノが強く速いテンポに変わりどんな泉か、おじいさんとおばあさんが飲んだことをやや強く歌い、最後はおじいさんが赤ん坊になったおばあさんを背負って出てくることを静かに歌う。ハーモニーも発声もしっかりしており強弱のつけかたもこの曲の魅力を引き出していた。終わると別の和服の中学生が「笠地蔵、それは雪の降る夜にお地蔵さんがやさしいおじいさんとおばあさんのところにたくさんの宝物を運んでくるというお話です。民話の中では、心の優しい人のところには幸せがやってきます」とスピーチした。これは終始、ゆっくりと静かに心の優しさを歌う曲でソプラノとアルトを主体にし、さりげなく低音部を聴かせる心温まる合唱だった。終わるとまた別の和服の中学生が前に出て「昔話の鬼たちは心優しく人間と仲良しでした。月夜の晩に鬼たちがかがり火にゆれながら踊っています。それをこっそり見ていたおじいさん。鬼があんまり楽しそうだったのでおじいさんも一緒に仲間に入って踊りだしました。大きな森の中でぽつんとかがり火を囲んでおじいさんと鬼たちが一晩中踊っています。鬼たちが苦手な朝がやってくるのも忘れて」とスピーチした。この曲はテンポの良い曲で、歌いだしは太鼓が鳴る感じを表していた。続いて太鼓を表現する低音部のパートに高音部がメロディーをのせていく。このバランスはよかった。鬼役の3名の小学生団員(水色系の和服)が前に出て踊りながら歌う演出だ。手拍子や振りをつけての合唱は元気がよく、何かに夢中になると周りが見えなくなる男の子の特性がよく出ていた。途中からおじいさん役の和服の中学生1名が加わって踊った。最後は朝が来たこととで慌てた鬼(和服の3名が仰向けに倒れる演出)が小判を忘れて逃げ出すことで終わる。その場に残されたおじいさん、「人の物には手を触れない。でもこのままでは誰かが拾って持って行ってしまう。そうだ。自分が預かっておいて今晩返しに来よう。また一緒に踊ればいい」と考えている気がした。

 ぼくたちは休憩時間中に会場を出た。「ミュージカルは見ないの?」と尋ねた五月君に道楽さんは「何年か前に見たけれど主役クラスは先生が歌っていた。自分にとってそんなのはつまらない」と答えた。ぼくたちはイノダ本店に行きコーヒーを味わいながら話をした。「きれいな合唱だったけれど低音部が目立ちませんでした」「多分、指揮者の考えだよ。高音部を強調するために低音部を押さえたんじゃないかな? 歌が好きな子は、はっきり歌うのが得意だよ。それを目立たないようにそれでいて存在感を示す声を出すのは難しい。それ相応の技量が必要だからレベルは高いということだ」「なるほど」「でも3曲目は楽しさを伝えるためにもっと元気に歌ってもよかったね。好き好きだけれど行儀の良い合唱だった」。道楽さんの感想だ。



 京都らしい合唱
京都市少年合唱団第63回定期演奏会

                            
 2012年8月11日


 京都に来たら必ず訪れる大仙院の見どころは枯山水庭園だ。でもこの日のぼくたちは柱や廊下の板を触ってみた。「これは槍ガンナで削った感じです」「こっちもそんな感じだよ」「この時代は台ガンナがあるはずだけど」「まだ、行き渡ってなかったんです。縁側は雨が当たることもあるから槍ガンナで仕上げたんでしょう」。なんでこんなことを話題にしているかというと工具の歴史と槍カンナの使い方を元宮大工さんに教わったからだ。この話をすると長くなるので省略するけれど古いお寺の部材は全て手作りなのだ。それを人の手で組み上げる。合唱もこれに通じるところがあるというのがぼくたちの結論だ。「そろそろ行こうよ」。せっかちな五月君がぼくたちを促した。向かう先は、京都市少年合唱団の定期演奏会が行われる京都フェスティバルホールだ。

 コンサートホールに到着すると名誉指揮者の長積徹夫雄先生が逝去されたことを知った。1月の修了公演の時はお元気な様子だったので驚いた。直接お話したことはないが栃木と岡山の少年合唱大会でお話を伺ったことがある。厳格そうな方だがお酒が入ると話が面白いというのが私の印象だ。「さあ、席に戻って心の準備をしよう」。五月の言葉に従って開演を待つことにした。

オープニング2曲目の『証』が始まる前に男子中学生1名が前に出て「ぼくたち男子が入って間もない頃、長積先生に頭をなぜてもらいました。普段は優しいのですが、時として厳しく指導してくださいました。そんな先生を偲んで歌います」という旨のスピーチ行った。あらためてご冥福を祈ります。

 お目当ての少年合唱のプログラムは『ソーラン節』、『南海にて〜安里屋ユンタ〜谷茶前節』、『八木節』で日本民謡が今回のテーマだ。メンバー46名は裸足で登場し、3列に並んだ。伴奏はピアノ、これに修了生の男子が太鼓で加わっていた。指揮者は修了公演時の男性から女性に交代していた。「さあ、どうなりますやら」と思ったが少年の声と感性を引き出した合唱が聴けた。1曲目はメロディーラインを変声後のメンバーが歌い、変声前のメンバーが「ハイハイ」などと合いの手を入れた。それが二番、三番では変声前がメロディーラインを歌ってリードした。こうすることで海が様々に変化していく様子がイメージできた。太鼓も程よい音で効果的だった。ソーラン節というと威勢のよいものを連想するだろうがこれは京都市少年合唱団らしく品の良さがうまく混じっていた。次の安里屋ユンタは静かな伴奏から始まりそのまま落ち着いたきれいな合唱へ入った。三つのパートのバランスも良く心地よい気持ちで聞けた。続いての谷茶前節は速いテンポから入っていくことで変化がついた。この曲を沖縄で聞くと指笛が入りややあらっぽい感じになるが京都らしい落ち着きと品位があった。速いテンポから再び落ち着いた安里屋ユンタとなり徐々に声が小さくなり余韻を残した状態で曲が終わった。体の中を爽やかな海風が拭きぬける感じだった。最後の『八木節』は小気味よい太鼓で始まりこれにピアノの前奏が続いた。合唱団の体型は八の字になり、ソプラノ、アルト、テノールの順で「あー」と出だしが入った。合唱に入るとソプラノがリードしアルトとテノールが合いの手を入れながら体を動かした。これは少年らしいきびきびした動きだった。ここでも三つのパートが自分たちの役割を果たし、バランスの取れた合唱に仕上げた。威勢のよい日本民謡が合唱向きに編曲されることで違った味になることを多くの観客が感じたことだろう。

 休憩中に行われたOBによるロビーコンサートを聴いてぼくたちは会場を出た。外はこの旅初めての雨になっていた。地下鉄に乗り、道楽さんは顔なじみになりつつあるバーのカウンターに座った。「宮大工さんが『槍かんなを使うコツはお腹に力を入れて腕に力は入れないこと』と言ったね。歌うときと似ているね」「合唱団のメンバーも一人一人じっくりと教わります。手作りですね」「最初は道具を上手く使えなくても辛抱強く練習しなければいけないんだよ」「そう考えると舞台で3年ぐらい歌っているメンバーは辛抱強いということになるね」「物を手作りするのは合唱と似ています」。手際よくカクテルを作るバーテンさんに「何気なくやっているように見えるけれど大変でしょう」と道楽さんが声をかけると「修行ですね」とにっこりした。

 体への栄養剤 京都市少年合唱団みやこ光
                                     2017年8月20日


 ランチを食べに入った食堂ではテレビで高校野球の中継をやっていた。「暑いのに大変だね」「野球もだけどコーラスも大変だよ」「長い時間集中できなくなるし」「集中できないと微妙な音を取るのが難しいです」などとエネルギーを吸収しながらしゃべっているうちに会場へ向かう時間になった。

  コンサートホールに入り、客席に腰をおろすと睡魔に襲われた。暑さの中の町歩きとランチの影響だろう。幸か不幸かお目当ての『みやこ光』は第2部出演なので第1部は休息モードに切り替え、体を休めることにした。しかし、どのグループも気持ちが入ったコーラスを披露したので居眠りモードにはならなかった。1部終了後、水分を補給して体を伸ばし、首を回すなどしてから客席に戻り、『みやこ光』のコーラスに備えた。この日の曲目は合唱のためのエチュード「雅」、『日本の四季めぐり』より「夏は来ぬ」、『地平線のかなた』へより「ネロ」と「サッカーによせて」の4曲だ。

 客席が暗くなるとメンバーが舞台背後など舞台上のあちらこちらから入場し体型を作った。人数は40名強。パンフレットによると変声前のメンバーは3部編成、変声後のメンバーは1部で4部合唱だ。舞台が明るくなるとすぐに歌が始まった。最初のソプラノの声は小さな穴から強い光が漏れてくる感じで、自分の体が目覚めた。続いて各パートの声が重なってゆくのは心地よかった。少年たちは、自分のパートを歌うと同時に他のパートの声も聴いているのだろう。一つのパートが突出することなくバランスの取れたコーラスだった。これは基本がしっかりできている証だ。2曲目一番は高音部が、2,3番は変声後のメンバーがリードした。こちらも主旋律のパートに他のパートが巧みに混ざってくるコーラスだった。2,3番はジャズ風にアレンジされていて「こういうのもありか」と思った。自分より上の世代はこの曲をよく知っているが若い世代にはなじみがないだろう。この日の観客は若い世代が多かったので本来の歌い方でこの曲を聴かせた方がよいのではと感じた。ジャズ風が本来と思っては欲しくない。話は違うが「花より団子」は間違いで「花より男子」が正しいと思っていた高校生がいた。話を戻そう。3曲目は静かなゆったりとしたテンポで少年の悲しい気持ちを歌うものだ。悲しいと言っても暗いのではなく、それを糧に未来に向かって歩んでいく歌詞だ。4曲目は一転、明るく力強い感じの曲だった。2曲とも各パートがバランスよく混じりあい心地良く聴けた。この曲は少年が歌うのに相応しく、全員楽しそうに歌っていた。最後の伸ばす部分もきれいに決まり「ブラヴォー」と思った。しかし、退場しながら客席に向かって両手を振るのを見て「取り消し」と思った。ここまで少年らしい一途な気持ちで歌ったのだから高校球児のように胸を張って堂々と退場して欲しかった。少年たちが軽い集団に見えてしまい残念だった。

 暑い中での健闘  京都市少年合唱団定期演奏会
                                                                          
2018年8月19日


  京都市少年合唱団の演奏会は2時からだ。地下鉄の北山駅に着いたのは12時過ぎだったけれど「食堂に寄らないで早く行く方がいいような気がする」という五月君の意見に従うことにした。昼食用にとコンビニでハンバーガーを購入してコンサートホールに行くとかなりの列になっていた。「ほら、正解だった」と五月君は得意そうだ。日本の少年合唱団の会場での座席はほとんどが自由席だから良い席に座りたかったら早めに来て並ばなければならない。この日も東京を早朝に出発した。ある人が「日本の少年合唱団を聴くツアーとは優雅ですね」と言ったけれどそうではない。忍耐あるのみだ。並んでいる間にハンバーガーの香りを嗅ぎながらお客様の様子を見ているとそれほど退屈はしない。やがて開場になった。三階の正面席を確保してロビーコンサートを聴こうと合唱団を正面から観ることができる2階の場所を確保した。「距離を離して聴く方が好きだ」という道楽さんの考えである。この日の曲目は、新入団員39名による京都市歌だ。京都らしい優雅さと力強さが混ざった歌だ。「うまいなあ、基本がしっかりできている。新人とは思えないよ」。道楽さんは感心していた。「ある程度のレベルがある子を集めてるんじゃないの?」。これはぼくたちの考えだ。気になったのは、子どもたちに手を振っている大人が目立つことだ。これは明らかなマナー違反だ。合唱団の子どもたちには「客席に向かって手を振らないように」と教えているはずだ。大人も我慢するべきである。

 やがて開演になった。最初は全員合唱の『キャロルの祭典』だ。最初の『入場』はアカペラだった。少年たちが明かりを持って会場から舞台の合唱団の列に入っていく。全員が舞台に揃うとハープが伴奏を行った。「TOKYO FMとは違うような気がする」「これが京都風なんです」「これはこれでいいよ」「女の子の声が多いせいでしょう」。ぼくたちの感想だ。ではこの後は道楽さんに頼もう。
 少年合唱について書く前に「京桜」(小学5年から中学3年女子)の『ていんさぐぬ花』について触れる。アカペラでのピアニッシモの合唱に惹きこまれた。ただ小さい声で歌うのでなはない。しっかりと地に足がついた声だ。人数が多いので可能なのだろうが全員一点に集中して歌っていた。言葉もよくわかった。少年少女合唱団を聴きに来る観客は大きな声の合唱を喜ぶ傾向がある。それはそれでいいのだがピアニッシモで観客に伝える合唱にもっと注目すべきである。自分も合唱をやるようになって分かったが、大きな声を出す方が簡単なのだ。小さい音量で観客に伝えるというのはかなり難しい。それをしっかり行ったこの日の合唱を自分も見習おうと思った。そのためには、取りあえず腹筋を強くしなければならないだろう。

 では少年合唱の「みやこ光」(小学5年から中学3年の40名)について書こう。曲目は
混声合唱組曲「風に鳴る笛」より  未来、地球があんまり荒れる日には
混声合唱組曲「季節へのまなざし」より  ゆめみる
である。変声前と変声後の混声で各パートのバランスが取れていた。基本的な発声もしっかりしていた。少年らしい澄んだ歌声も心地よかった。それに、指揮者の振り方は強弱やテンポがわかりやすかった。音楽的には良かったが惜しいのは歌詞の意味が伝わらなかったことだ。帰宅して、歌詞を調べて意味が分かった。3曲とも作詞者の深い思いがあり何度か繰り返して読む必要があった。日本語をはっきりと歌うことは難しい。それがあってかなくてか少年たちの表情が硬い(自分はそう見えた)のも残念だった。しかしレベルの高い合唱団だから改善されていくだろう。

 一つ付け加えておこう。7月の下旬に京都を訪れ、午後2時半ごろ、街を散策していたら気分が悪くなってきた。「これはまずい」とホテルに戻り休憩した。気分が落ち着いたところでテレビを点けると「市内の気温は38度、危険な暑さです」とアナウンサーが伝えていた。「これが危険な暑さか」と実感した。京都市は盆地だから暑さがこもり易い。この暑さの中で練習してきた少年少女たちに敬意を表したい。

 京都市交響楽団クリスマスコンサート
                2020年12月20日
(日)京都コンサートホール

プログラム
1部 ファンタジックメロディ
アンダーソン作曲:そりすべり、 忘れられた夢、 フィドル・ファドル
バッハ=グノー作曲:アヴェ・マリア
チャイコフスキー作曲:「くるみ割り人形」から花のワルツ
2部 スノーマン
 オーケストラのライブ演奏によるアニメーション・フィルム上映
 原作:レイモンド・ブリッグズ/音楽:ハワード・ブレイク
 ボ−イソプラノ:京都市少年合唱団員

 京都コンサートホールは、一部の席は使用不可になっていた。それだけでなくロビーの喫茶コーナーとクロークが営業休止だった。使用不可の席はあっても余裕があるのは自粛のためかもしれない。ただ来場している観客のみなさんは「生の音楽を聴けるのがうれしい」という雰囲気だった。生きていくうえでこのような文化がないと生活が潤わないので演奏会ができるのはうれしいことだ。
   フル編成のオーケストラを聴くのは久しぶりだ。よく知っている曲も迫力があり重苦しい雰囲気を吹き飛ばそうというように思えた。

   2部は一転して静かな演奏に変わった。舞台の照明が暗くなり、スノーマンの主題曲『Walking in the air』が流れてスクリーンにアニメが映った。雪の降る中、少年が雪だるまを作り、交流が始まる様子に目を奪われているとソロを歌う京都市少年合唱団員の少年(小6か中1?)が静かに登場した。マイクを通した声はボーイソプラノらしい美しさで画面に映る少年の期待感と不安感を表現した。声は繊細系でこの曲に似合っていた。ただ目線が下向き加減なことと表情が固いことが気になった。自分は3階正面の前列に座っていた。そこから見ての感じ方だったから1階席のお客様は気にならなかったかもしれない。自分の合唱の経験から言うと意識しなければいけないのは先ずは指揮者だ。併せて顔をやや上向きにしないと声は遠くまで伸びない。3階席まであるホールで歌った時もそこが見えていた。この日のソプラノ君は緊張しているように見えたのでそこまで余裕がなかったのかもしれない。歌のパートを終えて舞台から引き上げ、演奏が終わって指揮者に呼ばれて出てきた時も緊張が解けていない様子で気を付けの姿勢だった。少年らしい姿だがこういう時は客席を万遍なく見ながら拍手に応えると舞台映えがしてより大きな拍手が送られただろう。
  演奏会終了後、客席から出口に向かう観客の反応は良かったことを付け加えておく。


 京都市少年合唱団第126回定期演奏会
                      2022年8月14日 (日)   京都コンサートホール



プログラム
第1部
全員合唱
組曲「もうひとつの京都」
第1曲 茶かおる〜「お茶の京都」のテーマ 
第2曲 懐かしの里山へ〜「森の京都」のテーマ 
第3曲 天とつながる海〜「海の京都」のテーマ 
和(なごみ)
「サウンド・オブ・ミュージック」より
 アレルヤ 
 サウンド・オブ・ミュージック 
 ひとりぼっちの羊飼い 
 ドレミの歌 
雅(みやび)
 混声合唱のためのカンカータ「土の歌」より
 祖国の土 
 天地の怒り 
 地上の祈り 

第2部
新団員
 京都市歌
 勇気100%
 Dream&Dream〜夢をつなごう〜
全員合唱
 京都市少年合唱団創立65周年記念委嘱作品
 編作集「鳥啼く夕べに」〜混声合唱とピアノのために
 T夕日
 U雀の学校
 V鳩
 W七夕
 X小鳥の結婚式
 Y夕焼け小焼け

 先ずは中学3年生と思われるメンバーが掛け声とともに登場して整列し、携帯電話に関する注意事項をコーラスで説明した。
薫「道楽さんの言いたいことはわかる。」
 風「携帯電話に関するコーラスは良い。レベルも高い。女声で始まり男声が重ねていくのは聴き応えがある。ソプラノのオブリガードもきれいだった。だけど・・・」
五月「『お仕置きよ』のセリフとポーズは余計。コーラスが台無しになる。普通に『ご協力をお願いします』と言えばいい。」
 空「あのポーズ、格好悪い。」
 ぼくたちは伊達に長いこと道楽さんと一緒にいるのではない。道楽さんの考えていることはおおよそ見当がつく。ぼくたちの発言で気分が落ち着いた道楽さんにこの先を書いてもらおう。
 全員合唱でステージに並んだのは約200名、小学5年生から中学3年生までこれだけの人数が集まるのは合唱団の伝統があるからだろう。
 1曲目は、京都の静かなお寺の茶室で抹茶を楽しんだこと、住職様のありがたい話を聞いて心身ともにリラックスしたことを思い出した。うまく表現できないけれど京都で抹茶を味わうと他の土地で飲むのとはちがった気分になる。京都の土地柄だろう。合唱団も京都らしさがあると毎回思う。
 2曲目は嵯峨野あたりを新緑の季節に爽やかな風を受けて散策している気分になった。男声が抑え気味に入るのも効果的だった。この合唱も京都らしさがあった。
 3曲目は短調の速いテンポに変わった。日本海の荒れている感じが出ていて京都は穏やかなだけではないと言われている気分になった。途中から長調になり穏やかな雰囲気に代わるが再び単調になる。「海は同じ状態じゃないよ」と教えられた気分になった。
全員合唱は人数分の厚みのあるコーラスをじっくりと味わえた。

 グループ「和」は同声3部のグループで男子と女子の合同チームだ。1曲目はアカペラで歌詞を丁寧に表現していた。各パートのバランスも良かった。
 2曲目は出だしがアカペラで歌声をじっくりと聴けた。これだけ人数がいるとメゾピアノでもコーラスに厚みが出ていた。もちろん一人ひとりの技能が高いのは言うまでもない。
 3曲目は振付を何のためにやるのか疑問だった。声が出しやすくするためなら良いがあまり関係なさそうだ。合唱そのものはきれいに表現しているのだから歌に専念した方が良いのでは?と思った。観客に楽しんでもらおうというのが目的だと思うが自分たちが歌うことで楽しめれば観客も良い気分になるものだ。
 4曲目は出だしの部分を前列のメンバーが前に出てマスクをはずして歌った。こちらは元気なコーラスで観客も手拍子をして盛り上がった。気にすることではないが「ドミミ、ミソソ・・・」のアルトと「ソドラファミドレ・・・」のソプラノが重なる部分だけだけおしとやかだったが最後は元気に終わった。おしとやかに歌っても3階席まではっきり声が聴こえるのはさすがだ。

 グループ「雅」は小学5年生から中学3年生までの混声合唱だ。
 「和」を優雅というなら「雅」は強さがある。これはテノール、バスの男声の存在があるからだ。
 1曲目と2曲目にそれが表れていた。もちろん男声だけが目立つのではなく女声をしっかり支えているのが良かった。
 3曲目は一転静かになり、女声の祈りの気持ちが前面に出ていて包み込むような感じだった。天の恵みの部分のバスパートの声が良かった。最後の部分、男声の静かな声とピアノの後奏のフォルテシモが効果的だった
 4曲目を聴くといつもホッとするというか力が抜ける。男声と女声が互いに主張せず静かに歌うので耳に心地良かった。。
 全体の印象として強弱がはっきりしていることで気持ちを集中することができた。男声の人数が多いのでコーラスに厚みがあった。数が多いのにもかかわらず声が抑え気味なのも良かった。

 新団員のコーラスは毎回楽しみにしている。何よりも初々しいのが良い。
 1曲目はいつ聴いても京都に来ていることを実感する。この曲は先輩たちが歌うとしっかりした合唱になるが、自分はこの初々しさが好きである。
 2曲目は楽しい雰囲気になる曲だ。振り付けが入るが義務でやっているような気がした。
 空「みんな、見て。あの男の子は一緒に手を動かしているよ。楽しそう。」
五月「他にも楽しんでいる人がいるはずだよ。振り付けで観客が楽しめるのならいいんじゃない?」
 この意見にそれもありだなと納得した。
 3曲目はやや難しい曲だがきちんとした合唱になっていた。残念だったのは最後近くアルトが大きな声になったことだ。歌っているうちに調子が出てきたのだろう。そんな時、他のパートの声を聴くようになることが課題だ。
 最後の合唱は馴染みの曲が編曲により一味も二味も違うがっしょうになることを実感した。
 空「『ムチを振り振りチーパッパ』って児童虐待の歌?」
 薫「そうじゃないよ。でも今の時代ではそうなるね。」
五月「ところで少年合唱がないのは寂しいね。」
道楽「そう思う。あれだけテナーとバスのメンバーがいるのだから男声合唱が聴きたかった。」
 風「ソプラノとアルトの少年合唱も聴きたかったです。」
 今回は無難なプログラムだったと思う。というのは少女主体の合唱はそこそこのレベルがあり枠に収まるからだ。それに対して特に変声前の少年合唱は枠からはみ出ることがある。それは少年の持つエネルギーだ。少年合唱はふたを開けてみないと悪魔が出てくるか天使が出てくるかわからないことがある。少年合唱の面白さは悪魔が天使になることがあるし逆もあり得ることだ。指導者としては扱いにくいだろうが少年合唱を復活することを望みたい。
 風「それをアンケートに書きましょう。」
五月「今回はアンケートがないよ。」
 薫「コロナのせいだよ。味気ないね。」
 空「でも演奏会ができてよかったね。それと最後までいたのは久しぶりだ。」
 いつもはグループ「光」(少年合唱)を聴くと帰るからだ。



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