京都市少年合唱団

第56回京都市少年合唱団定期演奏会
                            2005年8月21日

     
京都へ向かう
 三ノ宮から乗車した新快速は複々線区間を気持ちよく走行していた。うわさに聞いていたとおりJR西日本の新快速は速いし快適だ。道楽さんはホームで買ったデイリースポーツを熱心に読んでいる。阪神ファンとしてタイガースの勝利はうれしいんだろうけどなぜここまで熱心なんだろう? 阪神が勝とうが負けようがぼくたちの生活になんら影響はないのだ。そうそう。昨日は三ノ宮のホテルにチェックイン後、阪神電車に乗って梅田の阪神デパートに行きタイガースグッズをあれこれ見ていた。驚いたのは子どもの客ばかりではなく道楽さんみたいな男性客がけっこういたことだ。道楽さんはタイガースのマスコット人形(トラッキーという名前だそうだ)が気に入ったけど「ぼくがいるんだぞ。買わなくていい」と止めた。「焼き餅を焼いてるのかい?」道楽さんは笑った。なんと思われようが構わないけどトラッキーはぼくの趣味ではない。結局何も買わずに再び阪神電車に乗った。「夕食は尼ヶ崎で食べよう」と駅前商店街からちょっとはずれた所にある洋食屋さんで海老フライとハンバーグとハムサラダ盛り合わせ定食に生ビールを注文した。「あちこちよく知ってるんだね」いつものことだけど店を見つけるのは上手だ。夕食後、尼ヶ崎駅のホームに上がると青とクリーム色の各駅停車が入ってきた。それを見た道楽さんは「ジェットカーだ。これで三ノ宮まで行こう」と乗り込んだ。道楽さんによると短い時間で加速減速ができる各駅停車専用の電車で特急に使う電車より性能がいいそうだ。走り出すと「ほら、この感覚いいだろう。いいだろう」と話しかけてきたけれどぼくにはわからない。特急で早く着く方がぼくとしてはいいけど道楽さんの気分を害しては悪いので「そうだね」と答えた。こういう所は子どもとそう変わらないけれどそれだからぼくと話ができるのだろう。退屈しかけてきたら途中からぼくたちの前の座席に座った小学生の兄弟が仲良くしているかと思うと喧嘩してまた仲良くなる様子を観察していたら楽しくなった。
 話をもどそう。ぼくたちの乗った電車は無事に京都駅に到着した。大きな荷物をコインロッカーに預けると「伏見稲荷に行ってみよう」と道楽さんが言い出した。これは一昨日、千吉神社が伏見稲荷からお札を受ける話を聞いたからだ。近鉄電車に乗り丹波橋で京阪電車に乗り換えて伏見稲荷に到着。思ったより広いので時間の関係上、全部を見ることはできないので本殿で手を合わすだけにした。家の近所の神社に置いてある狛犬の代わりに狐の像があった。道楽さんは興味のある顔でじっと見つめていたけどぼくは薄気味悪く感じた。多分、稲荷神社と相性が悪いのだろう。
 「京都に戻ろう」と京阪電車に乗って京阪三条下車。三条通りを歩いて老舗の喫茶店「イノダ」に入りチーズトーストとコーヒーで昼食。カウンターに座りコーヒーを作る様子を観察した。ここはドリップ式で細い口のポットからお湯を少しずつ丁寧に注いでいた。「おいしくいれるコツらしいね」家で普通のやかんを使ってドリップする道楽さんが言った。「味が変わるかもしれないね。家に帰ったらやってみようよ」ぼくは答えた。「京都に来たらここのコーヒーを飲まないと落ち着かないな」道楽さんはコーヒーをすすりながら言った。ぼくもカウンターに漂う香りに満足した。このままのんびり過ごしたいけれどそうはいかないので出発。この先は道楽さんにバトンタッチしよう。

      
観客の期待を満たすのは大変
 会場の京都コンサートホールはすでに列ができていた。ここは階段でなく螺旋状のスロープで入り口まで行けるのが特徴でこのスロープに並んで待つのだ。昨年は建物の入り口当たりまで列が伸びていたが今年は余裕があった。人によっては2時間近く待つのだから時間の無駄のような気がする。整理券を配布して集合時間を決めればランチタイムでもあり、近くの飲食店などで過ごす人たちもいるはずだから多少なりとも地域経済に貢献できるのではと考えつつ列に加わった。
 プログラムは全員合唱、ミュージカル、小学生女子、中学生女子などから構成されているがここでは少年合唱にしぼって書くことにする。メンバーは約50名で変声期前と後の混声だ。今回のプログラムは小林一茶の俳句をベースにした『雀』『蝉』『月』。日本語をきれいに発音するという目的は達成され高音と低音のバランスもよく夏の暑さでくたびれている心身に染み入るような合唱だった。ただ勝手なことを言わせてもらうとこの選曲は自分の期待したものと違った。「少年合唱」という料理屋に入り何が出てくるのかとわくわくしている所にもりそばが出てきたとでも言ったらいいだろうか。もちろんこのもりそばは手打ちのおいしいそばなのだが「この店ではそばでなく別のものを食べたかった」という心境だ。少年合唱だけでプログラムを組みその中にこの曲があれば違う印象になっただろう。しかし限られた時間で演奏しなければいけない演奏会で素人受けしない曲を選んだことは評価したい。
 休憩時間になり、昨年はOBによるロビーコンサートがあったので今年もそうだろうと早々とロビーに行くと少年合唱のメンバーが待機していた。もしかしてと思ったらその通り今回のロビーコンサートは少年合唱だった。演目は『森へ行きましょう』『若者たち』『大きな古時計』の3曲。1曲目は低声部が主旋律を歌い高音部がそれに続き、後半は高音部が主旋律に変わる。めりはりの効いた合唱を楽しめた。次の『若者たち』は昭和40年頃のテレビドラマの主題歌でフォーク調の曲だ。「だのに なぜ 歯を食いしばり」という詩に時の流れを感じるとともにひたむきな気持ちを表すのに少年合唱はよく似合うと感じた。最後の『大きな古時計』はプログラムに歌詞が印刷されていて観客もいっしょに歌うよう呼びかけがあった。近くにいた年輩の女性が楽しそうに歌うなど和やかな雰囲気でロビーコンサートは終了した。やはり少年合唱にはこの手の曲がよく似合う。「そうだよ。これが食べたかったんだ」という気持ちになった。先ほどのステージの曲だけでは物足りなかったがこれで満足した。帰り際、アンケート用紙に「一番よかったプログラムはなんですか?」の項目に「悪いな」と思いつつロビーコンサートと記入した。少年の人数は多いのだから「少年合唱団を独立させればどうだろう?」と思うのは自分だけだろうか。

 終演後、館長さんと一杯ということになり寺町通りにあるバー「サンボア」にお誘いしたが残念ながら夏休みだった。作家の池波正太郎さんによると京都に昔から住む人は「朝はイノダのコーヒーを飲まないと始まらない」「夜はサンボアに来に来ないと終わらない」と紹介されている。その話しの通り狭いが落ち着いた空間で自分も気に入っている。そこで四条通のビヤレストランに行き歓談しているとたちまちのうちに時間が経過した。 

 

   ロビーで合唱する少年合唱団(男子部)

 

宗教曲は手強い
      
京都市少年合唱団定期演奏会の男子部
                                2006年8月19日


  市営地下鉄北大路駅近くのお寿司屋さんは、道楽さんが言う通り雰囲気がよかった。ランチサービスのにぎり寿司にハモが1カン入っていたので道楽さんはうれしがっていた。ぼくは赤出汁の山椒の香りが気に入った。暑さでバテ気味だったぼくたちはこれで元気を回復した。京都市少年合唱団の定期演奏会が行われる京都コンサートホールがある北山はここから地下鉄で一駅だ。元気が出た道楽さんが「歩いても、たいした距離じゃないだろう」と歩き出したのが失敗だった。道を間違えてかなり遠回りをしてしまった。「だから地下鉄に乗ればよかったんだ」ぼくが言うと「町並みウオッチングができたからいいだろう。無駄にはならない」と道楽さんがこともなげに答えた。そのおかげでウェルカムコンサートを見ることができなかったのでぼくは不機嫌だった。「本番には、間に合ったんだからいいじゃないか」「ぼくが違う道を歩いていることに気が付いたから間に合ったんだろ」「そうだった。薫君がいてくれると助かるよ」道楽さんは笑いながらぼくの頭に手を置いた。「しっかり見てレポートを書いてくれ。バトンタッチ」

 今回も男子部の舞台をレポートしよう。プログラムは
 シューベルト作曲『ト長調ミサ(D167)』より『キリエ』、『グロリア』
シューマン作曲『楽しき農夫』の3曲だ。
宗教曲を歌うことがわかり楽しみになった。少年合唱団には宗教曲が似合うからだ。全員合唱が終わると男子部41名が2列に整列した。指揮者が登場しピアノの合図で全員が発声。一瞬の間をおいて前奏が始まった。出だしで高音がやや弱いように感じた。それも当然で41名のうち半ズボンを穿いた小学生が13名。残りは中学生で低声部の方が多いからだろう。それでも高音部はそれに負けずに健闘しているのは伝わってきた。特にソロを歌ったソプラノ2名は良い声でここを境に調和が取れてきた。しかし何かが足りない。宗教曲は聴く人の心に訴えるものがあるかどうかが鍵だ。これがないと、楽譜の表面をなぜるだけになってしまい深い味わいがでないのだ。今回の合唱は、うまさは認めるが深みが足りなかった。栃木のフェスティバルではすばらしい合唱を披露した少年部なのだから次回に期待しよう。2曲を歌い終えると小学生3名がかつらをかぶりモーツアルト(M)、シューベルト(S)、シューマン(Sn)に扮して会話劇を演じた。
M やあ、シューベルト君。日本で君の曲が聴けてうれしいね。
S これはこれはモーツアルトさん。ほんとうにうれしいですね。 何人かに感想を聞いてみましょうか。(中学生にマイクを向けて) どうでしたか?
 中学生1 ラテン語の発音が難しくて苦労しましたがちゃんと歌えてよかったです。
S そうですか。もう一人聞いてみましょう。(別の中学生にマイクを向けて)どうでしたか?
中学生2 難しかったけど最高でした。(客席から拍手)
Sn そういえばモーツアルトさん。あなたの曲もこの日本でよく演奏されていますよね。
S シューマン君、モーツアルトさんの曲は日本だけじゃなくて今年は世界中でモーツアルトイヤーにちなんで演奏されてますよ。
M 生まれて250年になるぼくの曲がこんなに演奏されてほんとうにうれしいよ。
S この合唱団も1月にはモーツアルトさんの魔笛を演奏したとか。
M そう、京都だけでなく栃木でも演奏してくれたんだ。あっ、きょうはシューベルト君の歌に続いてシューマン君の曲もやるんだって?
Sn そうよく言ってくれました。先輩。ぼくは天国に来て150年なんです。今年はシューマンイヤーでもあるんです。
M もともと娘さんのために作った曲だとか。
Sn ええ、子どものためのアルバムというピアノ曲集の10曲目になります。リズミカルに楽しく農作業の様子を表現して欲しいな。
3人で ではお聴きください。楽しき農夫
この会話劇の3名は男の子ならではの感性が出ていておもしろかった。合唱はスキャットで歌われ、こちらはシューマン君の言葉通り、リズミカルで楽しい合唱となった。少年たちが伸び伸びと歌っているのもこの曲を楽しくした要因だ。宗教曲との違いはこの辺にもあるのだろう。少年合唱の魅力は楽しさと敬虔さがミックスされたプログラムで発揮される。それには3曲では物足りない。少年部が独立した演奏会を行えば魅力がもっと出せるはずだ。

休憩時間になりOBのロビーコンサートを見た後、歌い終えたハンドルネーム「たいままさん」にご挨拶した。お話を伺ううち、1月の修了公演にも足を運んでみようかと思った。この日の夜は宝塚の千吉踊りを見に行くのでこれで失礼した。
「シューマンが生まれて150年って知ってた?」ぼくは聞いた。「知らなかった。シューマンも有名なのに可哀想だね。もっと取り上げるべきだよ」ぼくたちはシューマンの曲についてあれこれ話しながら電車に乗った。



合唱を堪能
第59回京都市少年合唱団定期演奏会

                                           2008年9月6日


  洗濯物を干し終えて仏壇の掃除をしていたら「京都に行かないんですか?」「いいのかな? 後から行けばよかったとぼやきそうだけど」「ぼくたち、ぼやきは聞きたくないです」と薫風コンビが声をかけてきた。「品川から新幹線に乗ってひと眠りしたら京都だよ」「ぼくは京都市少年合唱団を聴いたことがないです」「そうだよ。思い切って行こう。こんな日に家で仕事をしても効率はあがらないよ」「わかった。行こう」「やったあ」。ハイタッチをして喜ぶ薫風を横目に支度をして家を出た。品川駅からのぞみの自由席に座り、日経を読んで居眠りするうち京都に到着した。地下鉄で北大路駅近くの寿司屋でランチに

 2年前にここからホールまで歩こうとして迷子になった経験から地下鉄に乗って北山で下車。開場30分前に京都コンサートホールに着くと待っている人の列は短く入口近くに並べた。2年前はもっと早く来たのに長い列ができていたから拍子抜けだ。おかげで3階席の正面先頭の列をゆうゆうと確保できた。では少年合唱に焦点をあてて紹介しよう。今回の曲目はシューベルト作曲、峯 陽訳詞、河野正幸編曲による『魔王』、モーツアルト作曲、早野柳三郎作詞・編曲による歌劇『フィガロの結婚』序曲だ。
 舞台には55名のメンバーが2列に並んだ。先ずはシューベルトと友人2名による楽しい寸劇である。「もう少し、もう少しで曲ができそうなんだ」「シューベルト、何をしているの?」「いったいどうしたんだ?」「これを見て」「これはゲーテの『魔王』じゃないか」「これに曲をつけたいんだ。うーん、うーん」「この詩をどうするんだい?」「そうだ。よし、できたぞ、できたぞ。聴いてくれたまえ」。この寸劇は心の準備に役立った。一呼吸おいてピアノの重々しい前奏が始まり合唱へと入っていく。子ども、父親、魔王のパートが絶妙のアンサンブルで自然に歌に引き込まれた。特によかったのは魔王のパートで編成後のメンバーとアルトが時にやさしく、時に怖い雰囲気で子どもを誘う場面だ。大人のソロでは表現しきれないところまで深く入り、歌いきれるのは実力の証だ。曲が終わった時、体の力が抜けたようになったのは自分の気持ちが歌に集中していたからだ。その気持ちをほぐしてくれたのが次の『フィガロの結婚』だ。指揮者がカツラをかぶって登場すると客席から笑いが起き、楽しい雰囲気で合唱が始まった。間に入る笑いを誘う振り付けも楽しく、自分の心の中でも序曲が鳴り続けた。歌詞がはっきり聴き取れないのは残念だったが違和感なく合唱を楽しめた。この曲に詩をつけて合唱したことはうれしい驚きだった。

 次の今年入団した42名による合唱にも少し触れよう。『ゆかいに歩けば』、『元気に笑え』など児童合唱団にはポピュラーな9曲を披露した。ポピュラーとはいえ編曲により一味違ったもので「これだけ歌えるんだ」と感心した。男の子は約10名。この中に体でリズムを取り楽しそうに歌っている子がいたのは微笑ましかった。この子が、来年少年部で歌うのが楽しみになった。

 「来てよかったです。すごく聴き応えがありました」。帰りの地下鉄の中で風君が言った。「これを聴かなかったら絶対後悔するぞ。よかったね」。ぼくが言うと道楽さんは満足そうな顔をした。この後、余韻に浸ろうと出かけたのは寺町通りにある老舗のバーだ。バーテンさんがロンググラスの中で作ったマティーニを全量、表面張力いっぱいにグラスに注ぐのを見て「職人わざだ」とぼくたちは感心した。どうやって飲もうかと思案する道楽さんにバーテンさんは「どうぞグラスに口をつけて飲んでください」と言った。これで気持ちがなごみ演奏会の話で盛り上がった。



ひと味足りない少年合唱
第60回京都市少年合唱団定期演奏会

                                       2009年8月8日


  「あれはパルプ工場の煙突じゃない?」。五月君が言うので通路をはさんだ右側の車窓に目を向けると煙突はどんどん増えていき新富士駅を通過した。東京駅を出発して約1時間、ぼくたちは話に夢中になっていて新丹那トンネル通過にも気がつかなかった。急いでデッキに行ったけれど富士山は雲に隠れて見えなかった。「晴れてるのにね。こんなこともあるんだ」「天気が安定しませんね」。風君の言う通り今年は8月になっても梅雨が明けきっていない。ぼくたちは諦めて座席に戻った。かわりというわけでないけれど新岐阜駅を通過した後、再びデッキに行った。関が原を見るためだ。「意外と狭いですね。実際に歩いてみたいです」「道楽さんに頼んでおこう」。すぐにというわけにはいかないけれどそのうち実現するだろう。電車が米原を通過すると「京都はもうすぐだよ。降りる支度をしよう」「五月君は気が早いね。まだ平気だよ」。
 京都は晴れ渡っていてとても暑かった。駅から北へ向かって裏道を歩くと仏壇を扱う店が集まっている箇所、東京では見かけない細い格子の家があった。それと豆腐と湯葉を扱っている店がけっこうあることに気がついた。道楽さんは京都の町の話をいろいろしてくれた。イノダ本店まで歩きコーヒーを飲みながら休憩。ここから地下鉄で北大路駅まで行き、大徳寺の中にある大仙院の枯山水庭園を見学した。ぼくたちは退屈したけれど道楽さんは縁側に座り、満足そうに庭を見ていた。「いいんだよ。退屈で。自分も中学の修学旅行で来た時は退屈した。若さの証明だ」と笑った。庭は退屈だけれどお堂の中にある「50、60花なら蕾、70、80働き盛り、90で迎えが来たら100まで生きて追い返せ」という言葉がおもしろかった。「気は長く、心は丸く、腹を立てずに、己は小さく人をたてる」という文字もよかった。これは売店で短冊が売られていたけれど1万円は高い。「住職様の直筆と言っても買う気になりません」「お寺って儲かりそう」。風君と五月君はうなずき合っていた。「でも修行は厳しいし寺を維持するのもお金がかかる。儲かりはしないよ。さあ、昼ごはんを食べてコンサートホールに行こう」と道楽さんは立ち上がった。どこにしようかと迷いつつ昨年も入った北大路駅近くの寿司屋さんでランチにぎりを注文。今年もハモのにぎりと山椒入りの味噌汁に満足した。では道楽さんにバトンを渡そう。
 新入団と男子部のことをレポートしよう。プログラムは次の通り。

 新入団
 「中田喜直童謡曲集」より
 ・もりのよあけ  ・もんしろ蝶々のゆうびんやさん ・はなのおくにのきしゃぽっぽ
 ・夕方のおかあさん、豆っこ打ち
 男子部
 ・島人ぬ宝  ・島唄  ・花  ・風になりたい

 新入団グループは44名の編成だ。歌を聴きながら昔風だなと思った。曲と歌詞がおっとりした感じだからだ。歌詞の意味を噛みしめるという点で新入団の子にはふさわしい。中田喜直さんの曲は子どもたちにもっと歌ってもらいたい。こういう曲をしっかり歌えば想像力が膨らみ歌の基本ができるはずだ。自分は『夕方のおかあさん』で「ごはんだよ」とソロを歌った男の子の繊細な声に注目した。全体的には悪くはないが、観客に発信する力が昨年に比べ弱かった。

 男子部は47名でうち小学生は約1/3である。混声合唱で低音部はしっかりしていたが高音部はやや弱いように感じた。2曲目はメンバーの一人が三線を引き雰囲気がよかった。しかし1曲目、2曲目ともきれいにまとまってはいたがそれでは物足りない。特に1曲目は少年が島のことを元気に語る曲だ。それを観客に訴えるエネルギーが欲しいのだがそれは感じなかった。2曲目は静かに歌う前半と力強い後半との対象がメリハリをつけるのだが同じようなトーンとなった。1曲目をエネルギッシュに歌い、2曲目を後半で盛り上げれば静かな感じの3曲目が生きただろう。4曲目のサンバ調の曲も物足りなかった。4名が打楽器を、残りのメンバーが小さなマラカスのような楽器をも鳴らしてにぎやかに歌おうと意図したのだろうが上品なサンバになった。せっかくの少年合唱なのだからはじけるようなエネルギーが欲しかった。このプログラムは1曲目を元気に、2曲目、3曲目でクールダウンさせていき、4曲目で盛り上げて終わろうという狙いが窺えた。それが4曲とも同じような感じになったのは残念だ。他のプログラム(・小6、中1女子 ・中2、中3女子)は上品な感じの合唱でそれは曲に合っていた。60周年ということで都人らしい上品さを目標にしたのかもしれない。もしそうだとしても男子部は品位を保ちつつエネルギーのある合唱ができるはずだ。男子の感性を自然に出すような合唱が聴きたかった。

 次の中2、中3の女子グループが歌っている時、信じがたい光景を見た。特別出演のため、客席に座っているドイツの某児童合唱団(中高生女子?)が隣同士でこそこそしゃべっている(全員ではないが)ことに気がついた。これは聴くに値しない態度で後半を聴く気がいっぺんに失せた。この児童合唱団は3部の出演になっている。2部は京都市のメンバー全員によるオペラでここまでは聴こうかと思ったが少年役が女声と知り打ち切ることにした。1部が終わり、休憩中に合唱したOBメンバーを聴き終えると会場を出た。OB合唱団は中年以上のグループで年齢相応の味がある合唱を披露した。こういう合唱を聴くと「続けるのはいいな」と思う。

 「こんなことで打ち切るなんて大人げないです」。風君が道楽さんに抗議した。「50,60は蕾だからいいんだ」「『気は長く、心は丸く、腹を立てずに、己は小さく人をたてる』でしょう。そうなってないです」「時と場合によるよ。それよりもつまらないことで時間を無駄にしたくない。時は金なりだ」「薫さん、なんか言って」。五月君に言われて間に入った。「あの言葉通りにするのは簡単じゃないよ」「でも努力して欲しいです」「そうなったら、煩悩がなくなる。道楽さんはぼくたちを忘れて、少年合唱ツアーにもやめてしまうかもしれないぞ。ぼくは人間臭い道楽さんのほうが好きだ」「でも、最後まで聴きたかったです」「来年も来てCDを買おう。この件はこれでおしまい。気分を変えて小倉へ移動だ」。そう言ってぼくも気分を切り替えた。


 京風の味がする合唱
第62回京都市少年合唱団定期演奏会

                      2011年 8月7日


 十三から乗車した河原町行き特急は混んでいた。電車が桂に着くと道楽さんは「気分を変えよう」と嵐山行きの電車に乗り換えた。幸いにしてこちらは空いていた。電車は緑濃い風景の中を走り嵐山に到着した。渡月橋へ向かって歩いていくと砂の彫刻がいくつも展示されている場所があった。「よく作れるな」とぼくたちは感心した。渡月橋を渡ってすぐの場所に京福電鉄嵐山線の駅があった。路面電車のような電車が1両で走る路線だ。「足湯があるよ。150円だって」。五月君がホームの端にある施設を見つけた。「まだたくさん歩いていないからいいよ」ということで外から眺めるだけにして電車に乗り込んだ。電車が走り出すと「鎌倉に似ていますね」と風君が言った。海はないけれど緑とお寺が多いところは似ていた。途中の帷子ノ辻で白梅町行きの昔風の電車に乗り換えて終点で下車。近くのスーパーで水を購入してバス停に行くと大徳寺を通る路線バスが来たので乗車した。ぼくたちが京都に来たのは京都市少年合唱団の定期演奏会のためだ。演奏会までの間、京都の町歩きを楽しもうというわけだ。では演奏会の様子を道楽さんに書いてもらおう。

 京都コンサートホールでは3階正面に座ると決めている。席を確保してプログラムを開き、みやこ光(少年合唱団)のページを読んでいると「久しぶりに男性の先生の指揮となり、男同士とあってか、子どもたちもうれしそうです」という一文があった。これを読んで「指揮者が代わったことがうれしいんだろう」と思った。ご存知の通り、女性が指揮する少年合唱団は複数以上あり、どこもお互いに信頼しあって聴き応えのある合唱を創りだしている。この何年間か少年合唱団を聴いてきてわかったことがある。少年合唱団の指導は音楽関係者なら誰にでもできるものではないことだ。男の子の特性と感性を理解して合唱を指導することはとても難しい。音楽的な素養と大らかさ、根気強さが必要で、それを備えている人は男性、女性は関係なく限られている。これが少年合唱団を育てていく難しさの一つだ。そんなことを考えているうち、早朝から活動している疲れが出て睡魔に襲われた。この睡魔を退治したのが新団員による合唱だ。余計な飾りがない純粋な声は新鮮な魚や野菜の味を上手に引き出した料理のようだった。こういう素材を使うときは余計な味付けは邪魔になる。子どもたちが伸び伸びと歌う合唱は暑さで疲れた体を元気にしてくれた。この影響でお目当てのみやこ光を気分良く聴けた。曲目は鈴木憲生作曲による混声合唱とピアノのための「民話」より、「若返りの水」 「雪の降る夜」  「鬼とおじいさん」。以上3曲だ。

 舞台には47名が整列した。内、和服の子が7名(黄色系が4名で多分中学生、水色系が3名で多分小学生)いた。メンバーは全員裸足だ。指揮者もピアノの女性も和服姿でこれは民話の雰囲気を出す意図だろう。先ずは和服の中学生1名がマイクの前に進み出て「人里遠くはなれた山の麓にひっそりとおじいさんとおばあさんが暮らしていました。ある日、山に出かけたおじいさんは小さな不思議な泉を見つけました。それは若返りの泉だったのです」とスピーチした。少年たちは6列になり隣同士がくっつきあう体型になった。(小さな泉のイメージ?)。ピアノが静かに前奏曲を流し、泉が見つかった部分を高音部がきれいに歌った。この後、ピアノが強く速いテンポに変わりどんな泉か、おじいさんとおばあさんが飲んだことをやや強く歌い、最後はおじいさんが赤ん坊になったおばあさんを背負って出てくることを静かに歌う。ハーモニーも発声もしっかりしており強弱のつけかたもこの曲の魅力を引き出していた。終わると別の和服の中学生が「笠地蔵、それは雪の降る夜にお地蔵さんがやさしいおじいさんとおばあさんのところにたくさんの宝物を運んでくるというお話です。民話の中では、心の優しい人のところには幸せがやってきます」とスピーチした。これは終始、ゆっくりと静かに心の優しさを歌う曲でソプラノとアルトを主体にし、さりげなく低音部を聴かせる心温まる合唱だった。終わるとまた別の和服の中学生が前に出て「昔話の鬼たちは心優しく人間と仲良しでした。月夜の晩に鬼たちがかがり火にゆれながら踊っています。それをこっそり見ていたおじいさん。鬼があんまり楽しそうだったのでおじいさんも一緒に仲間に入って踊りだしました。大きな森の中でぽつんとかがり火を囲んでおじいさんと鬼たちが一晩中踊っています。鬼たちが苦手な朝がやってくるのも忘れて」とスピーチした。この曲はテンポの良い曲で、歌いだしは太鼓が鳴る感じを表していた。続いて太鼓を表現する低音部のパートに高音部がメロディーをのせていく。このバランスはよかった。鬼役の3名の小学生団員(水色系の和服)が前に出て踊りながら歌う演出だ。手拍子や振りをつけての合唱は元気がよく、何かに夢中になると周りが見えなくなる男の子の特性がよく出ていた。途中からおじいさん役の和服の中学生1名が加わって踊った。最後は朝が来たこととで慌てた鬼(和服の3名が仰向けに倒れる演出)が小判を忘れて逃げ出すことで終わる。その場に残されたおじいさん、「人の物には手を触れない。でもこのままでは誰かが拾って持って行ってしまう。そうだ。自分が預かっておいて今晩返しに来よう。また一緒に踊ればいい」と考えている気がした。

 ぼくたちは休憩時間中に会場を出た。「ミュージカルは見ないの?」と尋ねた五月君に道楽さんは「何年か前に見たけれど主役クラスは先生が歌っていた。自分にとってそんなのはつまらない」と答えた。ぼくたちはイノダ本店に行きコーヒーを味わいながら話をした。「きれいな合唱だったけれど低音部が目立ちませんでした」「多分、指揮者の考えだよ。高音部を強調するために低音部を押さえたんじゃないかな? 歌が好きな子は、はっきり歌うのが得意だよ。それを目立たないようにそれでいて存在感を示す声を出すのは難しい。それ相応の技量が必要だからレベルは高いということだ」「なるほど」「でも3曲目は楽しさを伝えるためにもっと元気に歌ってもよかったね。好き好きだけれど行儀の良い合唱だった」。道楽さんの感想だ。


                                                                                                                戻る