日本の少年(少女)合唱団のコンサート (年代順)

 滝野川少年少女合唱団と蕨少年合唱団のチャリティコンサート
                      1976年12月26日
(日)  東京赤羽会館ホール

 この文章は自分の記憶だけで書きました。ただ内容、日にちと場所だけは新聞縮刷版で確認しました。内容に違う箇所がありましたらご指摘ください。

  1976年12月、朝日新聞夕刊のプログラム欄に『滝野川少年少女合唱団チャリティコンサート』の件が載っていた。曲目は『青春の歌』、『気球に乗ってどこまでも』他になっていた。これだけなら興味はなかったが、友情出演、蕨少年合唱団の文字を見て行ってみようと決めた。会場の東京赤羽会館ホールは職業別電話帳で住所を調べ地図で確認した。

 当日、ホールには早めに到着した。リハーサル中だったが入場することができ、後方の席で聴いた。滝野川のメンバーは小学1年生から高校2年生までの約40名(だったと思う)で女の子が大半だった。キャプテンと思われる少女が厳しい声で下級生に指示を出していた。「おっかない」と思ったがそうしないと下級生は指示に従わないのだろう。そうこうするうちに「ワサビが来た」という声がした。蕨少年合唱団のことだ。「滝野川起立」、キャプテンの指示で滝野川は迎えるため整列した。
 蕨少年合唱団の人数は約30名(だったと思う)。下級生はいなかったように思うから選抜メンバーだったかもしれない。舞台に上がると発声練習が始まった。「ドレミファ」ではなく「ハニホヘ」だった。これを見て「合唱団はこうなんだ」と思った。指揮者は50代後半の男性、ピアノは20代ぐらいの女性で指揮者のお嬢さんに見えた。この日の曲目は『トリッチトラッチポルカ』『ウィーンの森の物語』『美しく青きドナウ』(だったと思う)。明るく軽やかにうたっていたような気がする。聴きながら少年合唱団の歌声はいいなと感じたことを憶えている。
 開演時間近くに自分の座っている横に中学生と思われる少女3人組が座り、せんべいをバリバリと賑やかな音で食べ始めたので急いで席を変えた。

 先ずは滝野川少年少女合唱団の歌だ。覚えているのは『アヒルの行列』(〜アヒルの行列騒々しいったらありゃしない〜)と合唱組曲『チコタン』だ。『チコタン』は歌の前に「なんでかな」「プロポーズ」「ほっといてんか」「こんやく」「だれや?」という題名を3,4年生の男の子が照れくさそうに発表したことが印象に残っている。この曲の題名は知っていたが聴くのは初めてだった。聴いてみての感想は、曲の特徴を把握して歌っていたように思う。他の曲目も歌ったはずだが残念ながら記憶にない。滝野川の出番が終わると蕨少年合唱団の登場だ。滝野川の少女団員が「蕨少年合唱団と滝野川少年少女合唱団は仲の良い合唱団です」と紹介するのを聞き「そうなんだ」と思った。

 『トリッチトラッチポルカ』は明るく軽やかに、『ウィーンの森の物語』と『美しく青きドナウ』はオーソドックスな歌いかたっだったと記憶している。今なら違った感想をもつかもしれないが当時は聴き方に慣れていなかった。3曲を聴き、合唱団のレパートリーは世界の名曲らしいと思った。現在なら演奏会終了後、感想を言いがてら指導者に挨拶し、この先の演奏会の予定などを尋ねるが当時は考えもしなかった。今にして思えば惜しいことだった。最後に当時の制服のことを書いておく。滝野川は(はっきりした記憶ではない)えんじ色のベストに男子は白カッターシャツ、えんじ色半ズボン、女子はベストの色は同じで白ブラウス、えんじ色のスカート、男女とも白いベレー帽。蕨は紺Vネックセーター、白カッターシャツ、紺半ズボンだった。
 
  蕨少年合唱団による蕨市制10周年の歌をネット上で聴くことができるのでお伝えします。蕨市は1959年に誕生しているので歌の吹き込みは1969年のことと思います。この当時のメンバーは少年だけのはずです。


 1982年の合唱フェスティバル
                               
             1982年7月

    道楽さんはコロナワクチンの2回目接種をした。その結果、翌日に38度の熱が出てダウンしてしまった。幸いにして翌々日には36度台に治まった。「熱は下がったかけれど外出は最小限にしましょう」「それがいい、何かあったら大変だし」「この機会に資料の整理をすれば」というわけでカセットテープの整理を始めた。そうすると、1982年の東日本少年少女合唱フェスティバルのテープが出てきた。「NHKラジオの放送を吹き込んだものだな」と道楽さんはテープを再生した。そこには東京放送児童合唱団、荒川少年少女合唱隊など著名な合唱団の歌が劣化することなく吹き込まれていた。その中にビクター少年合唱隊とフレーベル少年合唱団もあった。「少年合唱団の分をレポートしようよ」

   このフェスティバルでは各合唱団とも発表する曲は一曲だけ、これはゲスト出演するモスクワ少年少女合唱団の演奏時間を確保するためだろう。一発勝負で合唱団をアピールするのは難しいだろうがどの合唱団もしっかりと発表できていた。合唱の前に各合唱団の代表が紹介スピーチをするのだが指揮者と伴奏者、曲名がないのは残念だった。これはホールで行われたので当日の観客には指揮者、伴奏者、曲名のパンフレットを配布していたからだろう。

         ビクター少年合唱隊。
   「みなさん、こんにちは。ぼくたちはビクター少年合唱隊です。ぼくたち合唱隊員は小学1年生から6年生までの男の子だけで、現在114名おります。練習が厳しくて厳しくて辛い時もありますが、今日のように一生懸命がんばって皆様に聴いていただけるのがぼくたちの一番うれしい時です。ぼくたちの仲間入りをしたいと思う人は4月の募集の時、是非おいでください(客席から笑い声)。ぼくたち一同心から歓迎いたします」。
   歌の曲名はわからない。「モグラ、モグラ、骨持って、・・・ごめんなさいと謝って後戻り」という歌詞だ。曲名を、ご存知の方がいらっしゃいましたらお知らせください。曲は短調の速いテンポだ。導入部で「シャシャシャ」とモグラが土の中を進んでいく様子を再弱音で歌い、徐々に声を大きくして「モグラ、モグラ」とフォルテで歌う。同じ音量ではなく微妙に声の大きさを変えるのでモグラの動きが想像できた。曲の終わり近くはフェードアウトしていき、短い後奏が入り、最後は「パ」とフォルテで終わる。メリハリある歌声は聴き応えがあった。

   フレーベル少年合唱団。
 「こんばんは(客席から「こんばんは」の声)、ぼくたちはフレーベル少年合唱団です。少年合唱団ですからもちろん男の子だけ。だから、これからの演奏はオール ボーイズ オン ステージということになりますね(拍手)。でもぼくたち少年合唱には悲しい宿命があります。それは声が変わるということです。今、一番後ろに並んだ中学生は来年には一緒に歌えなくなるでしょう(どよめき)。今日の演奏がぼくたちみんなにとって少年時代の大切な思い出の一つになるよう力の限り一生懸命歌います。それではみなさん、聴いてください」
   曲は『与作』だ。この日の合唱団は児童向けの合唱曲ばかりだったから毛色の違う選曲だ。
導入部は声を抑え気味だった。ゆっくり目のテンポで徐々に音量が上がっていき「与作、与作、もうすぐ日が暮れる」でフォルテになった。また「へいへいほー」「とんとんとん」などで高音部と低音部の追いかける箇所はバランスが取れていた。途中からパート別の合唱になり、最後の「へいへいほー」ではオブリガードが入った。全体的に厚みのある合唱で静かな雰囲気だった。そのため、耳に心地よかった。どのような曲でも編曲次第で雰囲気が変わる良い例だろう。
両合唱団とも声の大きさをきめ細かくコントロールしているなと思った。これは指揮者と伴奏、合唱団が心を一つにした結果だ。

 聴き終えるとぼくたちは感想を出し合った。「この一曲にかける意気込みを感じました」「生で聴いてみたかったね」「今の合唱団と雰囲気が違う」「雰囲気が違うのは時代の違いかな?でも今の合唱団も素敵だよ」。このことについて、ぼくたちは考えることになりそうだ。

ビクター少年合唱隊の歌について回答がありましたので紹介します。曲の題名は大熊義和作詞 亀山法男作曲の『トンネルほって』です。
   歌詞は「もぐらもぐら とんねるほって 遊びに行ったらうっかり 蛇のおうちをほっちゃった ごめんなさいと謝り あともどり あともどり」です。
   耳だけだと聴き取れないですね。ご協力くださったnxさんと館長さんにこの場を借りてお礼申し上げます。

ジュン君と初対面(ノンフォックスコーラス)
                  渋谷区民合唱祭 2006年6月17日


 ぼくたちは、渋谷にある東京都児童会館ホールにやってきた。サイトでやり取りしたことのあるジュン君が所属するノンフォックスコーラスが出演する渋谷区民合唱祭を聴くためだ。1時開演だけはわかっていたので着いたのは12時35分頃。プログラムによるとお目当てのノンフォックスコーラスの出番は最後の18番目だ。「なんだ。これならもっと遅くてもよかったね。レポートの調子が出てきたところだったのに」道楽さんの言葉に対し「いいじゃないか。他の合唱団を聴くのも勉強だ。少年合唱団をより理解するためにも必要だ」ぼくが言うと「それもそうだ」と客席へ入りかけたので「お昼ご飯を食べなきゃだめだ。お腹が空いていると気持ちが集中しないぞ」と提案し近くのステーキ屋で1000円のランチを注文。食べ終えて会場に戻ると最初の団体の歌が始まるところだった。

 最近、くたびれ気味の道楽さんは合唱を子守歌代わりに居眠りしていた。出演団体には失礼だがいびきをかくわけではないからそのままにしておいた。別の席でひそしそ話をしているおばさんグループに比べれば罪は軽い。さて、ぼくの感想を言おう。合唱団のメンバーは年輩の人が多い。それはそれでいいのだが若い人が目立つ合唱団の方が声に活気がある。男声合唱団が2団体出演していて混声合唱団の男性に比べ生き生きと歌っていた。やっぱり男同士がいいのかもしれない。15番目の児童合唱がステージに上がった時、隣で気持ちよさそうに目を閉じている道楽さんに「そろそろ起きよう」と声をかけた。

 お目当てのノンフォックスコーラスは10名(男女5名ずつ)がステージに上がった。ジュン君は女声パートなので男声4名、女声6名の編成だ。この日の服装は黒いTシャツにジーンズ姿で一見地味だが職人気質の舞台俳優のように見えた。最初は『大きな古時計』。 歌いながら時計の動きを肩や膝を動かして表現するのがおもしろい。歌をリードする男声は4名にもかかわらず深さと存在感がある。テンポが早めなのも合唱団には合っていた。次は『サザエさん』の主題歌だ。これも体の表現を使っての合唱でなんともユーモラスだった。歌詞が3番に入った時、隣にいた女性が「まだやるの?」と笑っていた。ジュン君が振り付けのミスをしたのはご愛敬。この歌もメンバー全員が楽しそうに歌っているのが印象に残った。3曲目は『ヘッドライト・テールライト』。この曲はメンバーの表情が真剣になり、「これがノンフォックスコーラスだ」と言わんばかりの気合いの入った合唱だった。一生懸命歌っているジュン君を見て「心から歌を楽しんでいるな」と思った。終了後の拍手は薫によると一番大きいそうだ。ここで合唱団の指揮者である高橋先生のリードで全員合唱の『大地讃頌』を練習する。全員合唱でこの曲を歌うのは珍しいことだ。それでも観客は合唱団のメンバーが大半なのでパート練習もスムーズだ。「では、全員立ちましょう」と合唱が始まった。自分は部分的にしか歌えないがまわりの声を聴きながら良い気分を味わった。まさに合唱祭らしい締めくくりで主催者側の心意気を感じた。

 すべてが終了し、ロビーに出て待つことしばし。ジュン君に声をかけ初対面の挨拶。とても明るい少年でサイトに載っているイメージ通りだった。今後の活躍に期待しよう。

レベルの高い合唱
横須賀芸術劇場少年少女合唱団ステージ14

                      
2009年3月28日



  「駅に行って下りが先に来たら横須賀、上りが先に来たら暁星の演奏会にしましょう。ぐずぐずしないで出発です」。どっちに行こうか結論を出せない道楽さんに向かって風君がきっぱり言った。「そうしよう」。道楽さんはゆっくりと立ち上がった。駅に着いたら下りが先にやってきたので横須賀行きとなった。横浜で乗り換えの時、「横須賀線にしよう」と道楽さんが言った。「京浜急行の方が便利だよ」と思ったけれど従った。横須賀駅に到着し、改札を出た時に横須賀線にしたわけがわかった。「ここは自衛隊の基地だから情緒はないね」。道楽さんはそう言ったけれど風君は海を見てうれしそうだった。「よかったね。風君」。ぼくが話しかけると「道楽さん。この店チキンライスがあるよ」と五月君が大きな声でぼくたちを呼んだ。「気分壊すな」「なんで? お昼ごはん早く食べないと間に合わないよ」。真面目な顔で主張する五月君を見てぼくたちは笑ってしまった。「OK。早くご飯にしよう」。チキンライスを食べ終えて海沿いに歩き、横須賀芸術劇場に着いたのは開演20分前。当日券はあっさり手に入った。3階の正面席で道楽さんに言わせると声が一番集まってくる場所だ。ではいつものように道楽さんにバトンタッチ。

 当日のプログラム
第1部
Jラター作曲
 キャンドルライト・キャロル   ロバのキャロル
 降誕のキャロル   美しい地球のために
以上Mクラス(小学5年生〜中学2年生) Sクラス(中学3年生〜高校3年生)
ナンシー・テルファー作曲 ミサ・ブレヴィス
               キリエ グローリア サンクトゥス アニュス・デイ
以上Sクラス
第2部
 女声・同声合唱曲集  地平線のかなたへ  谷川俊太郎作詞 木下牧子作曲
  春に サッカーによせて 20億光年の孤独 卒業式 ネロ―愛された小さな犬に―
ディズニー名曲集
  サークル オブ ライフ(ライオンキングより) 美女と野獣
  ホール・ニュー・ワールド(アラジンより) 以上Mクラス Sクラス
  ミッキーマウス・マーチ  おおかみなんかこわくない(3匹の子豚より)
  くまのプーさん  小さな世界  
以上Jクラス(2年生〜4年生) Mクラス Cクラス

 最初に余計な話をしよう。横須賀の定期演奏会に来るのは4年ぶり3回目である。この時期は2006年から始まった新潟少年合唱団のミニ演奏会と重なるからだ。今年は新潟が1週間早くなったのでスケジュールが空いた。当初は暁星の演奏会へ行くつもりで予約しようと電話をしたら「担当者がおりません。当日券で大丈夫です」と言われた。この一言で気持ちが消極的になり、横須賀が選択肢に加わったのだ。では本題に入ろう。
 1部の宗教曲は初めて聴く曲ばかりだ。70名近くの上級クラスの合唱は、20名前後の少年合唱団を聴き慣れた耳には重厚に聴こえる。少女の声は少年より厚みがあるのだろう。2部の『地平線のかなたへ』は言葉の美しさとそれに調和した曲に心がほぐれた。難しそうな曲だがそう感じさせないのは合唱団のレベルの高さの表れだろう。すっかり大きくなった秋山直輝君は列の中央にいた。口の動きから判断するとパートはソプラノのようだ。歌い終えると指揮者から曲の解説がある。これがあると曲への興味が深まるのでありがたい。続いてディズニーの曲の解説が始まりその中で『おおかみなんかこわくない』は「Jクラスの2年生、3年生、4年生のボーイソプラノがソロを歌います」とあった。そのJクラスは先輩たちと比べても声に遜色はなかった。ソロを歌った3名について話すと1番目はやや荒削り。ソロのトップということで緊張もあったのだろう。2番目と3番目の子は落ち着いて歌えた。3人とも素直に伸びる声で成長が楽しみだ。この合唱団で男の子のソロを聴くのはこれが初めてである。来年以降も続けて欲しい。思い切って少年だけで歌う曲をプログラムに1曲ないし2曲入れてみてはどうだろうか。
 アンコールの『友だちはいいものだ』、『さよならはいつも』(曲の題名がわかりません。間違えていたら連絡ください)で演奏会は終わった。「少年少女合唱団もたまにはいいですね」「確かに。同じ分野ばかりだと偏るしね。きょうは3名のソロを聴けてよかった」。道楽さんが言った。「さあ、急いで帰ろう。次の予定を忘れちゃだめだよ」。ぼくたちは会場を後にした。

 少年合唱団の存在価値を発見
            
    小倉少年少女合唱団の定期演奏会
                     
2013年 4月29日


  ヴィールス性腸炎(医者がそう言った)のため下痢気味だったが、11:30のANAで福岡空港着。なじみの寿司屋で酒を飲みながら、さよりの刺身とにぎり4貫で昼食。食欲はないがアルコールはなぜか大丈夫。博多駅からソニックにちりんで小倉へ行き、西鉄インにチェックイン。しばらく休んで夕食をと外へ出るが食欲はなし。ホテルに戻るべきだったがこれも馴染みのリーガロイヤルホテルのバーでドライマティーニを作ってもらい半分ほど飲んだら気分が悪くなりトイレで嘔吐した。だがこれがきっかけで下痢が治まった。胃の中の悪い菌がでてくれたようだと都合のよい解釈をする。普段ならもう少し飲むが大事をとってホテルに戻った。
 翌日は、駅前のパン屋のサンドイッチで朝食。これも自分のお気に入りだ。演奏会は15:00からなので門司にある鉄道記念館を見学した後、アーケード商店街を歩いていたら鉄道のグッズを飾ってある和菓子屋を見つけ饅頭を購入。若い女店員に「ご主人は鉄道ファンですか?」と聞くと「そうなんです。郵便局の並びにも店があるので行ってみてください」と勧められたので足を運んだ。そこは行き先表示板や機関車のヘッドマークなど大物が飾ってあったのでご主人はかなりの鉄道ファンだ。門司に来たら必ず寄って何か買おうと決めた。
 小倉へ戻り、小さな食堂のカウンターでチキンライスを注文して昼食。下痢は治まったが食欲はなし。しつこく感じたから体調はまだ完璧ではない。それでも全部食べた。この店は母親と娘さんがやっているので家庭の味がした。

 さて小倉少年少女合唱団の定期演奏会である。少年少女と言ってもメンバーは少女のみだ。2年前には少年が一人いたが今はいない。それは置いといて今回は合唱がすんなり体に入ってこなかった。さっき食べたチキンライスがしつこかったのと似たような感じだ。「来なきゃよかったかな」という気持ちになったが次の少年隊の合唱はすんなり体内に入ってきた。体と心が癒される感じだった。曲目は『宇宙への手紙』、『天使の羽のマーチ』、『花は咲く』の3曲。メンバーはセーラー服の制服を着た中学1年生以下が8名とベストを着た中学2年以上が6名で合計14名。人数は少ないが気持ちを一つにして歌っているのがよかった。1曲目は小学生2名が出だしを歌った。1名が目線と首が下がり気味だったのが残念だった。顔を上げるだけで声は良くなる。2名とも声はきれいなので秋の演奏会が楽しみだ。2曲目は少年合唱団によく似合う曲だ。低声に支えられたソプラノのオブリガードとのバランスがよかった。高校1年生になった西田君のよく響ソプラノは健在だった。3曲目は一番小さな団員(就学前?)が一度引き上げたと思ったら合唱が始まると花束を持って登場し、他の団員に一輪ずつ配って歩いた。これは楽しい演出だった。この曲も少年合唱団に似合っているとあらためて思った。今年はウィーン少年合唱団もこの曲を歌うので楽しみになった。

 これで引き上げようかと思ったがせっかくなので最後までいた。みんなで歌いましょうのコーナーは『こいのぼり』を2曲(屋根より高い、いらかの波)を会場全体で歌う。希望者はステージに上がることができ、少年隊と並んで歌えるのが楽しいのだが今回はやめた。それで正解だった。まともに歌うことはできず、体調の悪さを実感した。目玉の合唱ミュージカル「スターライト エクスプレス」は鉄道模型がテーマだった。楽しいミュージカルで少女たちはのびのびと歌い演技していた。ただ鉄道ファンに言わせると首をかしげる内容だった。「細かいことは言わなくていいよ」「体調悪いとつまらないことが気になるんですね」。人形たちが笑った。「でも体調を悪くしたから少年合唱団の歌が癒しになることがわかったよ」と答えた。

 後日ウィーン少年合唱団のファンクラブの集いにでかけた。その中で少年合唱団のメンバー1名が「ぼくたちを知ったきっかけはなんですか?」と質問した。これには5名ほどのファンが答えたが一人の女性の話を紹介しよう。年齢は60歳前後の方で「私は病気にかかり車イス生活になるところでした。そんな時、ウィーン少年合唱団のCDを聴いて過ごすうち、元気になりました」。この話を聞き「わかる」とうなずいた。少年合唱団の歌声で元気になる人がいる。これからは、少年合唱団は存在価値があると自信をもって言うようにしよう。






                                                                
                                                  続く