5th Japan Boys Chorus Festival
栃木市文化会館
2006年1月21日
1月22日の日曜日、ぼくたちは栃木市内のホテルで目覚めた。「きょうは晴れてるぞ。朝ご飯の前に散歩しようか」道楽さんの誘いに「OK」して表通りに出ると昨日の雪が嘘のように晴れ上がっていた。寒いけれど気分よく歩き始めると前方に人が集まっているのが見えた。近づいていくと昨日のボーイズコーラスフェスティバルに出演した桃太郎少年合唱団と京都少年合唱団がバスに乗り込むのを栃木少年合唱団のメンバーと関係者が見送っているところだった。時間は8時を少々廻ったところでどちらも朝早くから大変だなと思う。栃木の方々にご挨拶し、出発する合唱団をお見送りして散歩を続けた。「ねえ、朝ご飯を食べたら大平山へ行こうよ」とぼくが提案すると「いいね。栃木市に来たらあそこに行かないとね」ということでぼくたちは大平山に行き謙信平から冬の風景を眺めた。「いつ来てもいいなあ」ぼくたちは満足した。「栃木市の他のお勧めスポットを紹介してみようか」「長くなるからやめよう。それより昨日のレポートをやらなくちゃ」とぼくは道楽さんに言った。「了解 そうしよう」
話を前日の朝に戻そう。「おい、薫君。雪が降ってるぞ」「雪?」薫も窓から外を眺め、「大変だ。急いで出発しよう。電車が止まるかもしれないぞ」薫にせき立てられて、7時15分には家を出た。北千住へ向かう日比谷線の車掌のアナウンス「雪でホームが滑りやすくなっております。本日は寒いです。この先も気をつけておでかけください」を心に留めた。北千住から乗車した東武の準急電車は途中徐行運転をしたが栃木駅に10時2分の定刻に到着した。「なんで?」と不思議そうな顔をした薫に「いつも、南栗橋で3分ぐらい止まるだろう。余裕があるダイヤだからだ」と鉄道ファンとしての見解を伝えた。栃木も雪は降っているが幸いにして積もるような雪ではない。文化会館に着くとリハーサル室では5名の研究科生が『フニクリフニクラ』を練習中。研究科独特の深い声の響きは心地よい。「歌詞が全然出てこないよ。やばいな」と言う声はするが、全員余裕の表情だ。研究科は本来7名だが部活その他の関係で残り2名は本番に間に合うように来るそうだ。その後もテンポや歌詞のチェックなど練習が続く。風邪でマスクをして歌っている中学生のS君に「大丈夫?」と声がかかると「がんばれば大丈夫」と返ってきた。前向きな姿に「えらい。さすがだ」と思う。ここで休憩。そこへ本科の小学生10名が入ってきた。「もう少し休憩していていいよ」と神永先生が言うと「わあ」と歓声をあげて雪の降る外へ飛び出し、うれしそうに走りまわっている。「そういう意味じゃなかったんだけど」と話す神永先生に「男の子は、こうでなきゃ困りますよ」とフォロー。引き上げてきた小学生たちは「暑いよ。クーラーつけて」「今年一番の寒さなんて嘘だ」「夏より暑いよ」などと元気な声を出す。このまま舞台に立てばエネルギーたっぷりの合唱を披露するのではと感じた。そんな小学生たちの傍らで各合唱団からの連絡を受ける世話役は深刻だ。この時点で京都少年合唱団と桃太郎少年合唱団が乗車している東海道新幹線は1時間の遅れ。呉少年合唱団は飛行機が飛び立てず広島空港で待機中とのことだ。それはそれとして本科も練習開始。「きょう、ぼくはふざけない」と宣言したD君がいつもの自分に戻っていたり、歌い出したはいいが2番の歌詞から入ってしまう子がいて笑い声が出たりと活気ある様子はいつもと変わらない。歌い終わり「いいね。うまい」と神永先生が褒めると「ラーメンよりうまい?」「にんにくよりうまい?」などと冗談が飛び出す。そんな様子を見ていると「天気相手に心配してもしょうがない。なるようにしかならない」と気分が落ち着いてくる。「それは、あんたが部外者からだ」と薫が怒った声を出した。その後も、曲のテンポや歌詞の意味などを確認しつつ練習は続き12時前に終了。神永先生は「体力を消耗しないこと」をメンバーに厳しく言い渡した。開演は4時。その前にリハーサルはあるが待機時間は経験したことのない長さだそうだ。「大丈夫だよ」明るく答える小学生たちに「危なそう」と思った人は大勢いるだろう。「ぼくたちもホテルに行って体力を温存しよう」と提案する薫の言葉に従い、雪の中を歩いてサンルートホテルにチェックイン。宿泊者割引のサウナに行き、汗を流しながらストレッチをして寒さで固くなっている体をほぐし、昼ご飯を食べたらたちまちタイムアップになった。
3時過ぎに会場となる文化会館に戻り、情報を聞くと「呉は羽田空港に到着しました。桃太郎と京都はすでに到着して練習をしました」とのことだ。ホールを覗くと栃木、桃太郎、京都の団員たちが合同演奏で歌う『ジュピター』を練習していた。この時点で呉少年合唱団は舞台にいなかった。練習が終わった3時半頃、受付に開演時間を確認すると定刻の4時に始めるとのことで慌ただしいことになりそうだ。
当日のプログラム
□1桃太郎少年合唱団
1,桃太郎少年合唱団団歌 2,夢の世界を 3,未来見つめて
4,マイバラード 5,せみ 6,地球の歌
□2呉少年合唱団
1,音戸の船頭歌 2,藤井清水メドレー 3,反核の玉
4,映画「コーラス」より VOIS TON CHEIN(途中でみてごらん)
CERF−VORANT (凧)
5,少年少女のための合唱組曲「私が呼吸するとき」より
・耳を澄ませば ・私が呼吸するとき
□3京都市少年合唱団
1, カンカータNo147より
コラール「主よ、人の望みの喜びよ」 J.S.バッハ作曲
2, オラトリオ「メサイア」より
No21「主のくびきはやすく主の荷はかろし」 G.F.ヘンデル作曲
3.ミュージカル「キャッツ」より
「Memory」
4.オペラ「魔笛」より
□4栃木少年合唱団
1, スーパーカーリーフラジリスティックエスピアリドーシャス
2, お誕生日じゃない日のうた 3,ハイ・ホー
3, フニクリ・フニクラ 5,カチューシャ 6,オーシャンゼリゼ
7,「魔笛」より お導きします 8,ヘンゼルとグレーテル
□5合同演奏
1,ひろい世界へ 2,WE ARE THE WORLD
3,ひとつの朝 4,ジュピター
ぼくたちが開演15分前に客席に入ると呉少年合唱団のメンバーが制服姿で入場してきた。ぎりぎりで間に合ったのだろう。開演時間になると舞台に用意された演壇でお偉いさんの挨拶が始まった。「日本には少年合唱団が9団体ありまして…」という挨拶を聞いた道楽さんの表情がピクリとなった。「まずい」ぼくは道楽さんの手に触れアイコンタクトを送った。「わかってる。後で話そう」とコンタクトが返ってきた。それだけでは不安だったので合唱が始まる前に道楽さんの手の甲を3回叩くと、道楽さんが右手の親指を真っ直ぐに伸ばしてぼくに見せた。
薫の気遣いで気持ちが落ち着いた。ではレポートを始めよう。演壇が片付けられると桃太郎少年合唱団が舞台へ移動を始めた。同時に呉少年合唱団が客席から出て行くのは練習のためだろう。他の団体の合唱を聴けないのは残念だろうが仕方がない。時間に間に合っただけでよしとしなければならない。
桃太郎少年合唱団は35名が舞台へ上がった。自分は今シーズン、定期演奏会には出かけていないので久しぶりに聴くことになる。最初の『団歌』を聴くといつも心がなごむ。続いての曲目はレパートリーといってよく、余裕のある合唱だ。澄んだ川の流れを思わせる歌声は桃太郎少年合唱団ならではでこの点を観客へおおいにアピールできた。今回の曲目の中で自分が好きな曲は『せみ』である。土の中から出てきた蝉が太陽を初めて見た気持ちを表現した詩は力強く、生きる者の喜びを感じるからだ。本来は女声合唱の曲だが少年合唱団が歌うと生きる力がより強調されるように思う。外の寒さを忘れてしまう合唱に拍手を送った。
2番目は準備の都合で呉少年合唱団に替わり京都少年合唱団44名が舞台に上がった。この合唱団は中学生を入れた混声である。普段は少年少女合唱団として活動しているが定期演奏会では少年のみの合唱も用意されている。自分は定期演奏会を2回聴いているがそれほど強い印象はなかった。それが大きな間違いだったとこの日の演奏会で気付かされた。こんなにすばらしい少年合唱団が日本にあることを知りうれしくなった。先ずは『魔笛』だ。モノスタトスを始めとする奴隷たちが鳥刺しパパゲーノの鳴らす魔法の鈴の音を聴いて踊る場面だ。日本語の歌詞は聴き取りやすくハーモニーもきれいだ。次は3人の少年が、試練を受けている最中のタミーノとパパゲーノに会いに来る場面だ。オペラでは3名の重唱だが混声で聴くと気分が変わる。こういう感じもいいものだ。続いては『魔笛』の最後の場面だ。指揮者(関西二期会所属)がザラストロのパートを豊かな声量で歌い、これに合唱が続く。それはここまで歌えるのかと思うボリュームとアンサンブルがあった。合唱するだけではなく演技も入るのでオペラの場面を見るようだ。歌い終わり大きな拍手を受けながら整列し直し現代曲の『Memory』となる。低声部と高音部の絶妙なアンサンブルは難曲を難曲と感じさせない見事なものだった。ここまでで十分に満足感を味わったがそれだけで終わらない。バッハの『カンカータ』を原語で大らかに合唱し、更に『メサイア』は混声の強味を生かしたハーモニーが響き渡った。ジャンルの違う曲をよくぞここまで合唱できるものだと感心した。定期演奏会でも聴いたことがないすばらしい合唱は、この日会場に足を運んだ観客に至福の時間を与えてくれた。ここで休憩時間となる。
ぼくたちはロビーに出て一休みした。「シャンペンかスパークリングワインを飲みたいけどあるわけないよな」「今のは新しいフレーズだね。どういう感動したの?」ぼくは聞いた。道楽さんが演奏後に欲しがる飲み物は、高揚した感動の時がドライマティーニ、ほのぼのとした感動の時はソフトドリンクのはずだ。
「うまくは言えない。でもこんな気分になるのは年に1回あるかないかだ。寒い中、栃木に来た甲斐があった」道楽さんはうれしそうに話した。その京都市少年合唱団がロビーの一画で並び方を確認していた。多分、合同演奏の並び方だろう。無駄話をせず、整然と行動する姿に「かっこいいな」と思った。その少年たちが引き上げていくのを見てぼくたちも席へ戻った。
後半のトップは呉少年合唱団だ。舞台に上がった29名は心配していた固さはなく声もよく出ていた。先ずは木製の道具を使って舟を漕ぐ音を出す。海を行く舟の情景が浮かんだところで『船頭歌』に入る演出はいつもながらうまい。続いての藤井清水メドレーは素朴ながら少年合唱特有の澄んだ声が聴けた。地元の歌を遠くの場所で聴くのもいいものだ。映画『コーラス』からの2曲は地元の呉以外ではでは初披露であろう。少年合唱をテーマにした映画の挿入曲はこのフェスティバルにふさわしく心意気を感じた。次の『反核の玉』と『私が呼吸するとき』も定期演奏会で歌っただけに余裕のある合唱が聴けた。特に『耳をすませば』は気持ちが入った合唱だった。この日は練習時間が取れなかったにもかかわらず定期演奏会に勝るとも劣らない合唱ができたのは立派だ。
最後は地元の栃木少年合唱団である。本科の10名に研究科も無事7名が揃った。最初の『スーパーカーリーフラジリスティックエスピアリドーシャス』は午前中の元気はなく作ってから時間のたった料理という印象だ。歌っていくうちに調子は出てきたが良い状態ではなかった。待機時間をしっかり過ごすのは大人でも大変なのだから無理はない。それを補ったのは研究科だ。『フニクリフニクラ』で始まった合唱は少ない人数にもかかわらず伸び伸びとした歌声で存在感を示した。特に『おお、シャンゼリゼ』は歌の途中で2名がリズムに合わせて手拍子をしながら軽快な足取りで客席をまわった。この姿に客席がたちまち反応し、大きな手拍子が起きて全体が盛り上がりフェスティバルらしくなった。この勢いが本科にも伝わりフィナーレは人数の少なさなど感じさせない元気な合唱で主催合唱団の役目を無事に果たした。
終わるとピアノで『小さな世界』が流れ、それに合わせて参加団体全員が舞台に上がり合同演奏の体形となる。曲目は各団体が1曲ずつ用意しそれを合同で歌うのだ。曲の感じはそれぞれ違うし歌い慣れていないにもかかわらず立派に歌えるのは流石だ。この中で呉少年合唱団が用意した『WE ARE THE WORLD』は指揮者から「遅れてきたので少し練習させてください」とお願いがあり、ポイントとなる部分を練習した。他人はどう思ったか知らないが、自分は一切気にならず練習を見た分、かえって得をした気分だ。4曲が終わると幕が閉まり終了。アンコールはなくあっけなく終わってしまった感じだ。これは残念なことで「元気を出そう。少年合唱団」の趣旨からはずれてしまう。ここは各合唱団から一言ずつスピーチを行い「これからも少年合唱団として発展していきます。みなさんも応援をよろしくお願いします」というようなアピールを出し、その上で「最後にみなさんと一緒に歌いたいと思います」と締めくくるべきである。他に全体を通して感じたことを挙げてみよう。「ちょっと待った」薫が真剣な表情で遮った。「この件に関してはホテルに帰ってゆっくり話そう。それからだ」一瞬考えたがその意図がわかったので「了解。そうしよう」と答えた。ロビーに出てフェスティバルに駆けつけたFひらさん、Gさんと話をしていると、各合唱団が次々と出口へ向かって歩いてきた。この中で京都少年合唱団のメンバーがロビーに居合わせた人たちに「ありがとうございました」と挨拶をして通り過ぎて行くのに感心した。客席での鑑賞態度も格段によく普段の指導が推測できる。きちんとした服装と礼儀。これをわきまえた行動が本来の少年らしさだ。われわれ3名も「お疲れさま」と応えた。この後、近くのホテルで行われる交流会に栃木少年合唱団のご厚意で参加させていただくことになった。
ホテルの宴会場の入り口でホスト役である栃木少年合唱団のメンバーに迎えられてテーブルに向かっていく合唱団のメンバーは晴れ晴れとして見えた。乾杯し歓談をして気持ちがリラックスしてきたところで各合唱団が前に出て自分たちの紹介を行った。先ずは桃太郎少年合唱団の棚田先生の話だ。「岡山は晴れの国と言われていて水がたくさんあります。地震がないので安心して暮らせます」とお国自慢をした後、合唱団がアカペラで団歌を歌った。間近で聴くと声の美しさが倍以上になることがわかった。次の京都市少年合唱団は少々酔いのまわった団長が集合をかけ整列したメンバーを「京都市少年探偵団です」と紹介した。リーダーの少年が「二条城の近くで練習しています。女の子を入れると240名います」と話すと「手を出すなよ」と声がして笑いが起きた。時間もだいぶたっているので参加者の気持ちはほぐれているのだろう。場によってはひんしゅくを買う場面も男同士の集まりだと気にならない。「これからもっとがんばります」とリーダーが話を終え、全員で京都市歌の一番を披露した。最後は栃木少年合唱団の本科10名(呉少年合唱団は都合により参加しなかった。団長は参加)が前に出た。「大平山や旧い処など観光名所がたくさんあります」「秋祭りの山車がすごいです」「やさしい人がいっぱいいます」「自然もいっぱいあるので楽しんで帰ってください」などと代わる代わる栃木市をPRした。このあたりから団員同士で名刺を交換し、親交を深め始めた。そんな中、栃木の本科生M君は床に足を広げて座り頭を床につけて体の柔らかさを披露し注目を集めた。そこでM君に質問した。「もしかしてバレーやってた?」「なんで知ってるの?」「2年前の『くるみ割り人形』でバレーの動きをしてたから」「ふーん」M君が不思議そうな顔をしているとマメさんが「ネズミ役をやった時だよ」フォローしてくれた。このように宴たけなわになったが残念ながらタイムアップ。今夜のことをきっかけに合唱団あるいは団員同士で親交を深めていくことを望みたい。
ホテルの部屋に戻ると薫が「道楽さん。飲み足りないんじゃない? 散歩がてら行こうよ」と理解ある言葉を発したので「そうしようか」と外へ出た。9時半を過ぎているので店はほとんど閉まっていた。寒いこともあり店をあちこち探すのは面倒なので目に付いた初めて入る料理屋のカウンターで日本酒と湯葉と豆腐のあんかけを注文した。大きな店だが閉店近くで他に客はなく女将さんが話相手をしてくれた。地元の話をしながら過ごしたが明るい話題は少ない。それでも女将さんの話に心をひかれ、あっという間に時間は過ぎた。「今度は早い時間に来ます」と本気で約束して店を出た。「薫君。ごめん。何も話せなかったね」「かまわないよ。栃木のお気に入りがまた増えたね。ぼくは眠くなった。明日にしよう」
さて、話を最初に戻そう。大平山の謙信平だ。景色を見ながら昨日の演奏会のことを振り返った。それをいくつか書き出してみよう。各合唱団はそれぞれの特徴を生かした合唱を披露した。聴き応えもあった。これが少年合唱団の発表会と考えれば問題はない。しかしフェスティバルというからにはもう少し演出を工夫して厚みを出して欲しかった。前回も書いたが終わりがあまりにもあっけなかった。また合唱する前に合唱団の紹介と演奏曲目は栃木の関係者が行った。大人が司会をするのはなんの問題もない。これに各合唱団のスピーチが一言でも入るとフェスティバルらしい雰囲気になっただろう。昨夜の交流会で行ったお国自慢をするのも一つのやり方だ。また曲目だけを紹介するのではなく簡単な解説を入れて観客の関心を高めるべきで一般の人に馴染みのない曲はそれが必要だ。例えば呉少年合唱団の『耳をすませば』はどういう経緯で作詞されたかを説明し平和への想いを語りかければ観客もより深く鑑賞できたはずだ。少年合唱団が4団体も集結したフェスティバルを小学校の学芸会並みに進行するのはどう考えてももったいない。もう一つ、この場に参加していない少年合唱団をなぜ紹介しなかったのか。日本の少年合唱団をもっとアピールしてこそフェスティバルの意味がある。パワーポイントなどを用いて「日本には、本日参加した少年合唱団の他にこういう合唱団がありそれぞれの地域で活動しています」と紹介(紹介して欲しくない合唱団は別にして)するのが本来ではないだろうか(最初、企画されていたそうで、現にある合唱団はどの画像を送るかを真剣に検討していた)。せっかくフェスティバルを行うのだから日本の少年合唱団をもっとアピールし、参加できなかった少年合唱団のモチベーションを高めることを考えて欲しい。
「でも、栃木は精一杯やったと思うよ。雪のハプニングがあってもあれだけできたんだから。部外者はなんとでも言えるよ」薫の言葉に「自分も栃木を悪く言うつもりは全然ない。薫君と同じ考えだ。批判をするつもりで書いたんじゃない。大切に思う人には言いにくいことも言わなきゃね」と答えた。「OK。わかった。ところで昨日でぼくも記録を作ったぞ」「記録? なんのこと?」「わかんないかな。桃太郎少年合唱団を聴いたから日本の少年合唱団、10団体を全部を聴いたことになる。あんたと同じになった」「そうか。やったね。なんだかうれしいな」「うれしいのはどんな気分? 高揚している? ほのぼのしている? それともめったにない気分?」「ほのぼのした気分だな」「だったらソフトドリンクで乾杯しよう。体が冷えてきた」「いいね。熱いお茶にしよう。コーヒーはないから」ぼくたちは茶店に入りテーブルでお茶を楽しんだ。「ここはいい所だ。京都市と桃太郎にも見て欲しいな。東京を見学するより価値がある。巴波川(うずまがわ)沿いの町並みや蔵の佇まい。山本有三記念館。見所はたくさんある。自分が市の観光課職員なら遠くから来てくれた少年たちに町を見てもらう運動をするのだろう。将来、大人になった少年たちが『栃木はいい町だよ』と誰かに話してくれるだけで十分な効果が期待できる」「それはあんたの価値観だろ。強要すべきものじゃない。むこうだって都合があるんだから」「強要するつもりはない。良いものは紹介したいんだ」「良いものを紹介する。だったらぼくたちは、これからも日本の少年合唱団を応援しよう」「もちろんだ。さあ、あらためて薫君の10団体鑑賞に乾杯しよう」
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