映画の中のボーイ・ソプラノ

  1  音楽映画とボーイ・ソプラノ

  映画の中のボーイ・ソプラノや少年合唱も興味あるテーマです。私にとっては音楽と言うより、こちらからアプローチしたと言っても過言ではありません。『青きドナウ』『野ばら』・・・これらの映画を通して、ボーイ・ソプラノの美しさに開眼したと言ってもよいでしょう。

 さて、洋画には、音楽映画というジャンルもあり、戦前・戦後を通じて楽聖映画などが盛んに作られました。シューベルト、ショパン、シューマン、リスト、ブラームス等ロマン派の作曲家の恋愛劇は、史実とは異なる脚色がきついものでしたが、当時の青年の憧れをかき立てて、かなり流行したようです。その中には、ボーイ・ソプラノや少年合唱が取り上げられたものがあります。例えば、1933年制作のウィリー・フォルスト監督のドイツ映画『未完成交響楽』は、シューベルトの伝記を脚色したものですが、劇中で小学校の先生をしていたシューベルトが算数の授業で4分の2から「野ばら」を作曲するくだりで、ウィーン少年合唱団員の少年扮する教え子たちが歌っています。

  戦後のウィーン少年合唱団出演の映画には『野ばら』『ほがらかに鐘は鳴る』があります。いずれも、名子役のミヒャエル・アンデが主演した映画です。ミヒャエル・アンデは、『サウンド・オブ・ミュージック』の原版『菩提樹』にも出ていました。1957年制作の『野ばら』」はハンガリー動乱で避難してきた孤児の少年が、親切な老人に引き取られ、やがてウィーン少年合唱団に入るというストーリーで、きわめて善意の映画です。ウィーン少年合唱団の持ち歌がちりばめられていると同時に、挿入曲の一つ「歌声ひびけば」は、NHK「みんなのうた」で採り上げられ、今でも歌われています。それと比べると、1959年制作の『ほがらかに鐘は鳴る』は、ストーリーを含め二番煎じの感が強いです。アンデ少年もこの映画を撮影した頃には既に変声しており、会話は男声、歌声だけボーイ・ソプラノというのは何とも不自然です。この映画の挿入曲「歌えばたのし」も、「みんなのうた」で採り上げられました。映画『菩提樹』(1956年制作)は、マリア・フォン・トラップによる自叙伝『トラップ・ファミリー合唱団物語』の前編(オーストリア編)を原作としています。トラップファミリーがアメリカに亡命するまでを描いており、続編の『続・菩提樹』(1958年制作)では亡命後のトラップファミリーが描かれています。ブロードウェイミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」およびアメリカ映画『サウンド・オブ・ミュージック』の先行作品であり、後者では、レーゲンスブルグ大聖堂少年合唱団が歌っていることがわかっています。

  ウィーン少年合唱団が出演した映画の最高峰はディズニー映画の『青きドナウ』(1962 日本公開1963)でしょう。『野ばら』が、合唱団の指導者と寮母の恋愛を絡ませていたのに比べ、この映画は、ウィーン少年合唱団の団員の少年たちの生活を描き、友情や変声期の悩みをテーマとして、正面から取り上げた点で秀逸です。映画も大ヒットとなり、変声期の悩みを持つピーター少年役を好演したショーン・スカリーは一躍人気スターとなりました。ちょうどこの映画が公開された直後の1964年にウィーン少年合唱団の来日があったので、「少女フレンド」や「マーガレット」などの少女雑誌には合唱団員の写真(ブロマイド)が載り、一大ブームとなりました。その当時の名ソリスト、シャーリングやピューリンガーは今でも伝説のボーイ・ソプラノになっています。それから十数年後、歌手の天地真理の「テレビ初恋談義」がきっかけでシャーリングは、思いがけぬ再来日となったというようなエピソードも残っています。
  日本映画に来日公演中のウィーン少年合唱団が出演した『いつかきた道』は、文通している和波孝禧扮する全盲のヴァイオリニスト少年とウィーン少年合唱団員の少年(後のオーストリア副大統領)の友情物語です。死の床についた少年に一度でも会わせようと周囲がいろいろと働きかけ、公演日程を変えてそれが実現すると言う設定はわざとらしく見え、作品としてみるものはないと言っても言い過ぎではないと思います。
  日本ではほとんど話題にならず公開も短期でしたが『ベニス協奏曲』(1970日本公開)は、ディズニー系のブエナ・ビスタの作品で、劇中ではウィーン少年合唱団員役のヨハネス・ボナベントゥーラ少年が「野ばら」と「ラルゴ」をボーイ・ソプラノで歌うのを聴くことができます。

  『オリバー!』『クリスマス・キャロル』『チップス先生さようなら』は、いずれもイギリスのミュージカル映画で、ボーイ・ソプラノがそれぞれ重要な地位を占めています。ディッケンズ原作の「オリバー・ツイスト」をミュージカル化した『オリバー!』では、主演の少年たちの歌によって、ストーリーが展開します。中でも人気のある「何でもやるさ」はもともとスリの誓いの歌だったのが、邦訳では美しい友情の歌になっています。
  同じ原作者による『クリスマス・キャロル』では、肢体不自由のティム役のリッキー・ボーモンがクリスマスを祝って「美しい日」を歌い、それが冷たいけちん坊のスクルージの心を変えるという山場の一つとなっています。ヒルトン原作の『チップス先生さようなら』は、ストーリーも時代背景も原作からすっかり離れていますが、歌については、チップス夫人役のペトゥラ・クラークが元ミュージカルの女優という設定で歌いまくり、少年合唱は教え子の生徒たちの歌という比較的軽い扱いです。


  2  ボーイ・ソプラノや少年合唱の登場する映画

 その他ボーイ・ソプラノの出てくる映画を列挙しますと、『舞踏会の手帳』『遙かなる国から来た男』『我が道を行く』『サミー南へ行く』『太陽の帝国』『寄宿舎(悲しみの天使)』などがあります。 
 このうち戦前のフランス映画『舞踏会の手帳』にパリ木の十字架少年合唱団が出演しており、ビクトリアの「大いなる神秘」が歌われています。マイエー神父時代の貴重な演奏が、聞けます。また、フランス映画でジルベール・ベコー主演『遙かなる国から来た男』という映画のクリスマスミサのシーンに、パリ木の十字架少年合唱団と思われる合唱団が出ています。
 アメリカ映画でビング・グロスビー主演の『我が道を往く』は、火災にあった教会の再建にために、グロスビー扮するオマリー神父が少年合唱団を指導するというストーリーで、良心的な作品です。少年たちの歌はいかにもアメリカ的にショーアップされたところもありますが、ラストシーンで、フィッツギボン老神父の母をアイルランドから呼んで何十年かぶり対面させる場面で「アイルランドの子守歌」を歌う場面は、胸を打つ歌を聴かせてくれます。第2次世界大戦中の1944年にこのような作品が作られたことにも感動します。なお、この映画で、ビング・クロスビー扮するオマリー神父が指導する少年合唱団は、決して子役を寄せ集めて作った少年合唱団ではなく、1930年代から1960年代にかけて多くの映画に出演したロバート・ミッチェル少年合唱団であることがわかりました。歌った歌は多くの映画にも残されています。その歌は、ヨーロッパの聖歌隊的な歌ではなく、アメリカ的なエンターテインメントの要素のあるところが特色です。戦後1951年には、ハリウッドで『歌劇王カルーソ」が、イタリアでは、『ヤング カルソ』(日本で発売されたのは英語版のため、題名も英語)が作られましたが、どちらも、フィクション性が強い映画です。ただ、どちらもカルーソの少年時代のことが描かれています。

  『サミー南へ行く』『太陽の帝国』はいずれもイギリス映画で、ボーイ・ソプラノの扱いは、主題歌か挿入歌であり、形態としてはソロ・合唱と様々ですが、少年らしさを演出していることにおいて共通しています『「サミー南へ行く』の主題歌を歌うファーガス・マクリーランドの歌は、クラスに何人かいる歌のうまい少年の域を出ませんが、『太陽の帝国』の中で、冒頭「Suo Gan」を歌うジム役のクリスチャン・ベール(吹替え)の歌は、正統派のトレブルの歌です。「Suo Gan」は、「歓喜」という意味だそうです。ジェームズ・レインバードが吹替えで歌っています。なお、この少年は「アマールと夜の訪問者」タイトルロールを歌い、そのCDは今でも定番と呼ばれているほどの実力者です。 

 『悲しみの天使(寄宿舎)』は、フランスの文芸映画の巨匠ジャン・ドラノア監督の作品で修道院学校の寄宿舎における上級生と下級生の間の愛にも似た友情をテーマとした重厚な作品で、ボーイ・ソプラノによるミサ曲や葬送の少年合唱はむしろ、背景として雰囲気を高めるために扱われているようですが、むしろこの作品では、ボーイ・ソプラノは通奏低音として流れているように感じました。 『コックと泥棒、その妻と愛人』には、本格的なボーイ・ソプラノのソロがバックミュージックとして流れています。しかし、この映画の場合、ボーイ・ソプラノは作品の生臭さを消す働きをしているように感じました。
 ドイツのハインチェ少年の『みどりの讃歌』もマニアの間では評判の作品ですが、私は、最近ネットでこの映画を見ることができました。なお、ハインチェの映像と歌声は、別の機会に接する機会がありましたが、堅実な感じのするボーイ・ソプラノです。なお、ハインチェはこの映画を撮影したころ、本国ではかなり人気があったそうです。今でも、歌手を続けているという情報もありますが、少年時代の人気にはほど遠いようです。

 最近では、アメリカ映画『ホーム アローン』では、主人公のカルキン少年と隣のおじいさんとが仲良くなる教会のシーンでは、アダン作曲の「オー・ホーリー・ナイト(さやかに星はきらめき)」が少年合唱で歌われています。『太陽の帝国』や『ホーム アローン』の音楽担当は、20世紀最大の映画音楽作曲家と呼ばれるジョン・ウィリアムズで、ボーイ・ソプラノの魅力をよく知っている音楽家と言えましょう。また、『ハンニバル』や『ロード・オブ・ザ・リング』でも、ボーイ・ソプラノが使われています。とりわけ、『ハンニバル』では、リベラが歌っているので注目されます。

 21世紀になると、2003年のドイツ映画『飛ぶ教室』は、ケストナーの原作を現代に移して、しかも聖トーマス少年合唱団を舞台にして創られていますし、翌年の2004年には、フランス映画『コーラス』が本国では大ヒットしました。2005年に日本でも公開されたスペイン映画の『バッド・エデュケーション』は、同性愛の世界を描いた毒気の強い映画ですが、ボーイ・ソプラノが使われています。「帰れソレントへ」を「庭師」としたボーイ・ソプラノソロはなかなか魅力的な歌でした。合唱そのものを映画化したものとしては、2014年のアメリカ映画『ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声』が挙げられますし、2017年のアメリカのアニメ映画『リメンバー・ミー』では、ボーイ・ソプラノが重要な位置を占めています。

       3 世界少年独唱・合唱映画


   ここでは、少年の独唱や合唱をメインにした映画だけでなく、少年が活躍する音楽・ミュージカル映画や、少年が歌を含む吹き替えをした海外のアニメ映画等の中で、代表的なものを採り上げ、いろいろな角度から論評してみます。なお、映画のジャンルの分類については、二つ以上の要素をもった作品もあります。なお、外国映画の場合、日本公開がされていないものや、制作から公開までの時間が長くかかっているものもありますので、制作年をもとに並べています。題名だけ書かれている作品は、今後視聴して書き加える予定です。なお、全編がYouTube等ネット公開されている場合は、下にアドレスを記します。予告編等は、ある場合とない場合がありますので、関心のある方は、映画の題名をもとに検索してみてください。

   Ⅰ 少年合唱団(学校)を中心に描かれた映画

    
(1) 映画『野ばら』

  この映画の原型になる作品は、1936年に同じマックス・ノイフェルト監督のもと制作された『ウィーンの孤児』という白黒映画で、主題曲に『ほがらかに鐘は鳴る』の挿入歌「歌えばたのし」が使われています。この映画をリライトしたものが『野ばら』(原題 『我が生涯の最も美しい日』)です。『ウィーンの孤児』と『野ばら』では、主人公のトーニが孤児であることは同じですが、前者は孤児になった理由は不明ですが靴職人の見習いをしており、トーニを引き取るブリューメルはストリートミュージシャンという設定です。一方、後者では、トーニはこの映画作成の直前に起きたハンガリー動乱で孤児になり、難民としてオーストリアに来たのをドナウ川汽船の元船長であったブリューメルが引き取るという設定で、この違いは、作成した時の違いとも言えますが、ウィーン少年合唱団に入団してからのことは、ほぼ同じ設定になっています。マックス・ノイフェルト監督は、この作品に強い想いを持っていたことがわかります。
   さて、外国映画の日本公開にあたっては、客入りを考えるため、当然のことながら直訳ではないロマンティックな題がつけられることが多いようです。原題は、主題につながっていることもあります。この映画の場合、ハンガリー動乱で避難してきた主人公のトーニ少年が、親切な老人に引き取られ、やがてウィーン少年合唱団に入り、アメリカ公演の劇「美しい兄弟」で主役に抜擢されたときに言うセリフです。
 このドイツ映画は、復興期のアデナウアー政権下のドイツ映画で、この時期のドイツ映画で日本公開されたものはおおむね健全な倫理観が満ちあふれています。そのため、寓話化された部分もありますが、何よりも人の善意を感じる映画です。主演を奪われた少年の心に芽生える嫉妬という負の感情さえ、「しるこ」や「ぜんざい」における塩の働きをしています。
 印象に残る場面は歌と共にあります。トーニ少年が家事を手伝いながら歌う鼻歌の美しさに養父のブリューメルが驚いて歌う二重唱「陽の輝く日」、入団試験の課題曲「ウェルナーの野ばら」、バスの中や遠足で歌われる「歌声響けば」、山の上で歌われる「「ヨハン大公のヨーデル」等、独唱、二重唱、合唱などが、自然な形で映画の中に盛り込まれていますが、とりわけチロルの背景を舞台に歌われた歌の数々は心に残ります。しかし、1957年に制作されたこの映画は、あくまでも音楽映画であって、1960年代に日本でも爆発的にヒットしたダンスの比重が高いミュージカル映画とは一線を画しています。なお、主演のソリストの声は吹き替え(ハンス・クレス)ですが、当時のウィーン少年合唱団の水準がいかに高かったかが伝わってきます。
 なお、主演のミヒャエル・アンデ(Michael Ande 1944~    )は、日本でも公開された映画『わが青春のマリアンヌ』『菩提樹』『続・菩提樹』『ほがらかに鐘は鳴る』にも出演し、その後もテレビや舞台を中心に俳優を続けており、1960年代後半には、ロバート・ルイス・スティーヴンソン(Robert Louis Stevenson、1850~1894)の『宝島』で、主演のジム役を演じたものが、NHKテレビ放映されたことがあります。(そこでは、マイケル・アンドと英語読みで紹介されているのが笑えました。)

映画『野ばら』
https://www.youtube.com/watch?v=X7QqftinSHM

   
(2) 映画『ほがらかに鐘は鳴る』

   テレビもBSから4K・8Kが登場するようになると、DVD化された映画冒頭のチロルの山々や風景を映した60年以上前の映画のカラーフィルムも、なぜか色あせて見えてしまいます。映画『ほがらかに鐘は鳴る』を観て、最初に思ったことは、そのような時の流れでした。
 ウィーン少年合唱団は、毎年夏になるとチロルのヒンタービュッヘル山荘へ出かけることになっています。この辺りは、『野ばら』と同じなのですが、今年は、マリオ先生(テディ・レーノ)に引率されています。バスの中からは、団員たちの「うたえばたのし」が聞こえてきますが、ミハエル・アンデ演じるウィーン少年合唱団員のミハエル君は、『野ばら』の頃から2年ぐらい経ち、話し声を聞くと声変わりも始まっています。それなのに、ソロを歌う時は、輝かしいボーイ・ソプラノに吹き替えられているところが気にはなるのですが、そこを気にしていると、この映画の全体像を見失ってしまいます。
 この映画は、大人の男女間の愛や結婚をめぐる親子の確執が描かれているので、『野ばら』ほど、ストレートに人の善意の感じられる映画とは言えませんが、登場人物の人間関係が理解できなければ、あまり楽しめませんし、それがある程度理解できれば、楽しめる映画だと思います。
 音楽的にも、「ウィーンの森の物語」「南国のバラ」「ヨハン大公のヨーデル」「天使のパン」「うたえばたのし」「かなたを目指して」「水車は回る」「カッコウが鳴けば」「ほがらかに鐘は鳴る」などウィーン少年合唱団の清純な歌声が響き渡って、それだけを聴いていても楽しめます。一方、ギターを弾きながら歌うマリオ先生の歌は、さわやかな歌ではあるのですが、ウィーン少年合唱団と一緒のため、印象が薄くなってしまいます。さらに、『野ばら』の原作とも言える『ウィーンの孤児』のテーマ曲が「うたえばたのし」であることから、結構歌の使い回しをしていることがわかります。

映画『ほがらかに鐘は鳴る』   
https://www.youtube.com/watch?v=v2uxGAxfPJU

       
(3) 映画『青きドナウ』

 『野ばら』が、ウィーン少年合唱団出演映画ならば、『青きドナウ』は、ウィーン少年合唱団主演映画と呼ぶべきでしょう。前者がハンガリー動乱で孤児になったトーニ少年を主演にしながらも、合唱団の先生と寮母の恋愛を絡めたりして、ウィーン少年合唱団は背景的に描かれていたのに比べ、後者は主演の二人の少年を含めウィーン少年合唱団が主演した映画であるからです。
 ウォルト・ディズニーは、この映画を制作する数年前にウィーンのアウガルテン宮殿でウィーン少年合唱団の演奏会を聴き、この少年合唱団の映画の制作を考え、早速当時のウィーン少年合唱団のグロスマン団長に交渉しました。少年合唱団の生活と学習を1年間に渡って調査し、監督のスティーブ・ブレヴィンとロケ隊をウィーンに送って制作しました。主演者にはウィーン少年合唱団のほか、「ボビー(1961)」の子役ヴィンセント・ウィンターがトニーに、「放浪の王子(1962)」の主役ショーン・スカリーがピーター少年に、ウィーン少年合唱団出身でオーストリアの人気俳優ペーター・ウェックがヘラー先生に、トニー少年のママにブルーニ・ロベル、パパにフリッツ・エックハルトなどが出演しています。脚色はヴァーノン・ハリス、撮影はクルト・グリゴライト音楽監督にハインツ・シュライター、演奏はウィーン交響楽団(指揮はヘルムート・フロシャウアー)が担当しています。
 この映画の原題は、映画のパンフレッドに“Born to Sing”(歌うために生まれて)と書いてあったので、ずっとそれを信じていましたが、ビデオを買ったとき“almost Angels”(ほとんど天使・ほぼ天使)であることを知りました。その理由は、アメリカのディズニー映画“almost Angels”がイギリスに渡って“Born to Sing”になったそうです。また、ウィーン少年合唱団のあるオーストリアはドイツ語圏ですが、セリフも登場人物の名前も英語読みで、本来なら、例えばピーターは、ペーターであるべきです。主演級の少年たち少なくとも4人(ヴィンセント・ウィンター、ショーン・スカリー、デニス・ギルモア、ヘニー・スコット)は、ウィーン少年合唱団員ではなく英語圏の少年俳優です。ですから、『野ばら』同様、歌声は吹き替えになっています。
 この映画では「変声期」を巡る少年たちの心の葛藤が主題になっています。美声の新入生 トニーは将来を嘱望されますが、変声期近づいた先輩ピーターはソリストを外され、嫉妬からいろいろと意地悪をします。しかし、トニーがそれを庇ったところから友情が生まれていきます。ピーターに変声期が訪れたとき、トニーは仲間と共にそれを隠し一緒に海外演奏旅行ができるように画策します。その計画は失敗しますが、その友情に感動した先生たちは、ピーターを指揮者助手として海外演奏旅行に連れて行きます。
 ウィーン少年合唱団では、実際に団員に指揮をさせることもなければ、演奏旅行の前には、変声状況の調査をしているようで、こんなドラマティックなことはないそうです。ディズニーは、ウィーン少年合唱団、いや少年はかくあるべしという想いでこの映画を制作したと考えられます。少年には高い理想を!少女にはあこがれを!そういう理念で作られた映画が最近は本当に少なくなってきました。悲しいことです。
 なお、トニーを演じたヴィンセント・ウィンターは、『小さな誘拐犯』(1953)でデイヴィ役でデビューし、共演した兄役のジョン・ホワイトリーとともにアカデミー特別賞(ジュヴナイル子役)を受賞するなど、子役として活躍していましたが、1998年に50歳で亡くなりました。ピーターを演じたショーン・スカリーは、マーク・トウェーン原作の『放浪の王子(乞食王子)』にも主演しています。その後も俳優をしていますが、オーストラリア出身のため、出演した映画は日本で公開されていません。

映画『青きドナウ』   
https://www.youtube.com/watch?v=DNWXQyBxjvs

       
 (3) 映画『コーラス』

  フランスでは、この映画を国民の7人に1人が見たそうです。2001年に公開された映画『アメリ』の記録を抜き、フランス映画史上空前のヒットを記録しました。この映画は、クリストフ・バラティエ監督は、1944年のフランス映画『春の凱歌』を原案に制作した作品であるとのことです。映画『コーラス』が日本でも大ヒットになって、世間の関心が少年合唱に向かってくれることを私は心から願っていました。確かに日本でもそれなりのヒット作にはなりました。確かに音楽の面では、すばらしい映画であり、『野ばら』や『青きドナウ』では描かれなかった人間の醜さや弱さも描かれています。だから、この映画はただのお子様向けの映画ではない深いものがあります。しかし、それ以上の何かが欠けていました。それは、一言で言えば「恩」と「情愛」という人間にとって根源的なものでした。
 この映画は、世界的名指揮者モランジュが、公演先のアメリカで母の訃報の電話を受け取るところから始まります。葬儀が終わった後、彼を約半世紀ぶりに訪ねてきたのは、少年時代に学んだ寄宿学校 俗称「池の底」の同窓生のペピノでした。ペピノが差し出す古い写真を見て、
「この先生の名前は何だったかな。」
それはないでしょう、モランジュさん。あなたの才能を発見して、すさんだ精神的「池の底」より救出してくれた恩人じゃありませんか。あなたがその後必死で人生を駆け抜けてきたのはわかります。しかし、人はどんなに忙しくても、決して忘れてはならないことがあるはずです。
「あの、ツルッパゲ(あだ名)、あれからどうしたんだろう。僕はあれから必死で人生を駆け抜けてきたので、訪ねるゆとりもなかった。」
というセリフだったら、どんなに嬉しかったことか!
 それをフランス人の国民性のせいに帰してしまうのは早計です。私はフランスの作家エクトル・マロの「家なき子」におけるビタリスとレミ(映画『家なき子~希望の歌声~』(2018年制作 2020年日本公開)では、その師弟愛の側面が中心的に描かれていました。ビタリスの高貴な精神が「ヴィタリス孤児院」という表札を通してレミに引き継がれていることがラストシーンに描かれていました。)また、現実の世界におけるピアニストのコルトーとリパッティの麗しい師弟愛の世界を知っています。だからこそ、このドライさがたまらないのです。
 マチュー先生とそれを演じているジェラール・ジュニョの魅力は、凡人の魅力です。それは、寅さんととそれを演じている渥美清に通じるものがあります。かつて、劇場の幕引きをしていた渥美清が、女優に「その目じゃ、スターになれない。」と、馬鹿にされたとき、渥美清は、「自分の目は、庶民の哀感を表現できるのではないか。」と考えたそうです。偉大な凡人の言葉です。
 マチュー先生の人と行動の中には愚かな部分もありますが、それがまた魅力的だし、苦節の中でも美しい心を持ち続けていたことが、子どもたちに大きな感化を与えます。しかし、そこにも限界があるというのがこの映画が描く現実の姿です。「偉大な凡人」は、ときとして人を救い、世を救います。神様は、マチュー先生に孤児ペピノを育てる喜びを与えてくださったのですね。
 原作小説では、マチュー先生が学校を去る場面で、生徒たちが投げたメッセージ入りの紙飛行機を全部拾っていますが、映画では、その一部だけしか拾いません。こういう部分の演出が荒っぽいんです。こういう一つ一つの行動は人柄の現われなのですから、もっときめ細かく丁寧に扱ってほしかったと思います。
 なお、モランジュの少年時代を演じたジャン=バティスト・モニエは、撮影当時13歳で、「サン・マルク少年少女合唱団」のソリストで、吹き替えでなしに歌っています。また、この映画の合唱部分の吹き替えは、サン・マルク少年少女合唱団(少女も含む)です。2004年夏には日仏の文化交流のため合唱団の一員として、2005年春には映画のプロモーションで来日しました。

   (4) 映画『飛ぶ教室』

 ルフトハンザ・ドイツ航空の飛行機が、飛行場に着陸して、セミロングヘアーのヨナタン少年が出てくることから、あれ、この映画は、ナチス・ドイツが台頭していた頃のエーリッヒ・ケストナーの児童文学『飛ぶ教室』を現代に置き換えた作品なのかと思っていたら、会話の中に「ユーロ」というお金の単位が出てくるので、映画が作られた2003年に近い時代の話になっていることがわかりました。しかも、主人公のヨナタンは、ライプツィヒの聖トーマス少年合唱団で有名な聖トーマス校の寄宿舎に入ることになったという設定になっています。変わらないところは、彼にはギムナジウムの寄宿学校を6つも替え、いずれも逃げ出したという前歴があったということです。しかし、聖歌隊の指揮者のベク先生は、自らもこの寄宿舎学校の卒業生ということもあって、思春期の生徒理解ができる先生で、ヨナタンもルームメイトのマルティン、マッツ、ウリー、セバスティアンの4人たちとも次第に意気投合し、次第にヨナタンはここが大好きな居場所になっていきます。しかし、どこの学校にも何らかの課題があるように、この学校には優等生のマルティン等の「寄宿生」とモナをはじめとする「通学生」との対立があり、転入生のヨナタンもいろいろな事件に巻き込まれていきます。また、女生徒も出てくるので、ギムナジウムは「男子校」という概念が崩れてきました。
 さて、この映画の舞台として、聖トーマス少年合唱団が選ばれたのは、宗教曲という伝統文化を大切にする学校の体質と、少年たちが興味をもつその時代の流行音楽文化のギャップが、この映画には描かれており、それは、現代だけではなく、寄宿舎の卒業生で一世代前のベク先生の少年時代にも同じようなことがあったというところが、この映画の伏線になっています。また、この映画では原作にはあるはずもないドイツが東西に分割されていた悲劇も描かれています。当然のことながら、この合唱団の音楽監督であったバッハの教会音楽の合唱曲が、ロックや現代音楽と対比的に流れています。ベク先生もまた、20数年前にこの寄宿舎で同じような友情を育んでいます。寄宿舎生活を送る少年たちは、みんな家庭の問題を含むいろいろな悩みを抱えており、それらをお互いが理解できることによって慕情に近い友情が育まれるというところがこの映画独自のよさと言えましょう。しかし、ヨナタン少年が転校してきたら、音楽的能力に関係なく自動的に聖トーマス少年合唱団に入ってしまうシステムなんてありうるでしょうか。ルームメイトの「歌えなかったら、適当に口パクしていたらいいよ。」というセリフは、聖トーマス少年合唱団の実力を考えると、ちょっといただけません。また、ヨナタン少年が歌が好きでうまかったということでなければ、そのために、この寄宿舎生活は苦痛になるかもしれません。そういうことを気にしなければ、この映画は心から楽しめると思います。

     
(5) 映画『ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声』

 この映画の原題は“BOYCHOIR(少年合唱)”ということで、少年の歌声に焦点を当てた邦題とニュアンスが違いますが、これは、『野ばら』や『青きドナウ』も同じことで、少年合唱を通して少年が成長するというテーマは、共通しています。さて、主人公ステットの家庭は、この種の映画のどの家庭よりも複雑で、それ故に愛情に飢えており、感情を抑えきれず、争ったり、反抗したりするという言動にもつながっています。
 「人は出会うべき人には必ず出会うものです。早過ぎぬ時、遅過ぎぬ時に。」
と、哲学者の森信三は喝破しました。ステットにとって、歌の才能を発見した校長、母親が交通事故死してから現れた父親が愛情は欠如していても金持ちであったこと、とりわけ、少年合唱団で音楽の師であるとともに人生の師であったカーベルと出会ったことが、自分を見る眼を育て、いじめに耐え、歌に打ち込むことを可能にしたのです。それがあまりにも短期間であったことが、ややドラマとしてのリアリティを薄くしますが、同時に、人は覚醒したときどれだけ素晴らしく変容するのかということを浮き彫りにしています。ステットが、ソリストとして活躍したのは極めて短期間でしたが、変声期を受け容れて次のステップに向かって前に向いて歩めるようになったのは、自分は、興味を持ち集中して行えば、たいていのことはできるという自信を持ったからでしょう。
 また、この映画では、合唱団の経営といったこれまでの映画ではあまり採り上げられなかったことも描かれています。合唱団は組織ですし、経営者として清濁併せのむ団長や指導者間の考えの違いなども描かれています。合唱団において、指導者間のチームワークがいかに大切かということを改めて感じました。
 「大切なのは生き方だ。キャリアじゃない。」
カーベルの片言隻句には、これまで決して順境ではなかったカーベルのこれまでの人生の知恵が込められていたでしょうし、その真意を理解したからこそ、ステットは楽譜隠しのいじめにも耐えられたのでしょう。合唱団に入団してからステットの顔の表情が、次第に変わっていくところも興味深く感じました。それは親からもらったものだけではなく、自分で創っていったものでもあったでしょう。

   Ⅱ 音楽映画・ミュージカル映画

       
(1) 映画『菩提樹』

 『菩提樹』(原題:独: Die Trapp-Familie「トラップ家」)は、1956年の西ドイツ映画で、マリア・フォン・トラップによる自叙伝『トラップ・ファミリー合唱団物語』の前編(オーストリア編)を原作としています。日本でも上映されていますが、その後、同じ作品をもとにミュージカル化され・アメリカで映画化された『サウンド・オブ・ミュージック』があまりにも有名になったために、かすんだ存在になっています。
 ここでは、あえてそのあらすじを述べることはせず、今では、日本において多くの人に知られている映画『サウンド・オブ・ミュージック』との大きな違いを中心に述べていきます。
 ① マリアは、トラップ男爵とスピード結婚して、2人の間には赤ちゃんができていること。子どもたちは、オーストリアの上流家庭の厳格な教育を受けており、上品さを身に着けており、『サウンド・オブ・ミュージック』の子どもたちは、それと比べると、大衆的な感じがすること。
 ② トラップ男爵は、『サウンド・オブ・ミュージック』の「エーデルワイス」のように、自ら歌おうとしないこと。
 ③ トラップ家が、友人の銀行家の没落で経済的に苦しくなったときに、マリアの発案で屋敷を観光ホテルにしていること。
 ④ 合唱の指導は、マリアではなく、合唱は、宗教音楽を学んできたヴァスナー神父によって行われており、しかも、ヴァスナー神父は、亡命・移民先のアメリカにまで同行していること。
 ⑤ 亡命先がスイスではなくアメリカになっており、しかも、移民はなかなか許されないところで、邦題になっている「菩提樹」の合唱が歌われること。
 ⑥ 歌われる歌は、19世紀以後のドイツ歌曲やドイツ民謡が中心であること。(シューベルト「菩提樹」、ブラームス「子守歌」、グルーバー「きよしこの夜」、「蝶々」の原曲のドイツ民謡「小さなハンス」、「夜汽車」の原曲のドイツ民謡「小鳥ならば」、「ポップ、ポップ、子馬は駆ける」「私のお母さん、もう行かないで」コンクール曲「ハレルヤ」)

 この映画を見てしまうと、たとえ原作を読まなくても、こちらの方が事実に近いのではないかと思うようになります。また、歌もドイツ語圏のオーストリアの人物ならば、ここで歌われたような歌を歌っていたものと考えられます。長男ルーペルト役はKnuth Mahlke(クヌート・マールケ)で、合唱におけるパートはアルト、次男ヴェルナー役はMichael Ande(ミハエル・アンデ)で、合唱におけるパートはソプラノ。その後、映画『野ばら』や『ほがらかに鐘は鳴る』などのウィーン少年合唱団を描いた映画にも連続出演していますが、歌声は、吹き替えていると考えられます。(ミハエル・アンデは、映画『ほがらかに鐘は鳴る』のパンフレッドのプロフィールの中で、希望は本当の少年合唱団員になることと答えており、笑ってしまいます。)また、5人の女の子も含め、子どもたちの名前は、映画『サウンド・オブ・ミュージック』とは違います。
 監督は、若い時には、映画『別れの曲』(1934)でショパン役を演じ、後年、映画監督になったたヴォルフガング・リーベンアイナーで、音楽担当は、映画音楽を中心に活躍した作曲家のフランツ・グローテで、日本でも「會議は踊る」「白銀は招くよ」はじめ、長い期間にわたっていろいろなドイツ映画の主題歌・挿入歌が知られています。

映画『菩提樹』
https://www.youtube.com/watch?v=2WMfaoj0LKE

       
(2) 映画『続・菩提樹』

 この映画は、映画『サウンド・オブ・ミュージック』との重なりはなく、アメリカに亡命・移民した後のトラップ一家の苦労を中心に描かれています。

 一家は、小型バスに乗ってアメリカ各地での演奏旅行を続けていましたが、亡命直後の話題性による人気はすぐに衰えて、コンサート会場は空席だらけでした。しかも、アメリカ入国の保証人でもあった興行主のゼーミッシュからは契約解除を告げる手紙が届て、一家は安アパートでの貧困生活を強いられます。しかし、その歌声に魅了されたアパートの住人から別の芸能プロデューサー、ハリスを紹介されましたが、宗教音楽にこだわるヴァスナー神父の指揮による直立不動の歌唱は「よぼよぼのアヒル」などと呼ばれ、セックスアピール不足と否定的に捉えられます。マリアは、その言葉の意味を調べようとしますが、結局、アメリカとヨーロッパの文化の大きな差にぶつかります。マリアは結婚指輪を、ゲオルクはマリア・テレジア勲章を売って資金を作りながら一家はアメリカで苦難の演奏活動を続けていきますが、チロル地方の民族衣装(男子はレーダーホーゼン、女子はディアンドル)を着て、アメリカの観客にも受ける大衆的な曲を採り入れることで、それを乗り切り、人気を獲得するというストーリーです。

 酔っぱらいの兵隊や安アパートの住民からは、「オールド・ブラック・ジョー」が喜ばれ、パトロンになってくれそうなアメリカに移民したウィーン生まれの夫人からは、バッハの宗教曲よりもヨハン・シュトラウスの「ウィーンの森の物語」が好まれるところから、やはり、歌声を売り物にして集客して生活する以上、音楽の理念を言いすぎても通用しないと思います。もう半世紀も前のこと、先日亡くなられた西郷輝彦が、若いころ観客に高齢者が多いステージで、若者の間で流行している持ち歌を歌っても反応が悪く、頭を切り替えて急遽昭和10年代に流行った「麦と兵隊」を歌ったら、客の反応がよかったという話を読んだことがありますが、それと同じことだと思います。

 前作から2年の年月がたち、長男ルーペルトは身長もマリアより高くなって話し声は変声し(歌声は、必ずしもそう感じませんでしたが)、次男ヴェルナー役はまさにボーイ・ソプラノの頂点にある等、子どもたちも成長しています。なお、原作(実話)では、トラップ男爵とマリアの間には、3人の子どもが生まれ、10人兄弟姉妹になったそうですが、映画では、赤ちゃんが成長して1歳ぐらいの男の子であることがわかります。また、トラップ男爵は、マネージャー業専科なのか、『続・菩提樹』でも歌は歌いません。この映画で音楽的には、「家を建てよう」というところが、歌いながら演技をするということで、ミュージカルとは言えませんが、いかにも「音楽劇」という感じがします。

映画『続・菩提樹』
https://www.youtube.com/watch?v=bnGivO_Gn8U

       
(3) 映画『サウンド・オブ・ミュージック』

 これまで、2回にわたって映画『菩提樹』『続・菩提樹』を紹介してきましたが、映画『サウンド・オブ・ミュージック』は、1949年にマリア・フォン・トラップが著した自叙伝『トラップ・ファミリー合唱団物語(英語版)』を原作として、リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の名コンビが1959年11月にブロードウェイでミュージカルとして初演し、大当たりとなりました。
 この映画はそのミュージカル版で、1965年に上映されて世界的に大ヒットしました。この映画は第38回アカデミー賞で作品賞、監督賞(ロバート・ワイズ)、編集賞(ウィリアム・H・レイノルズ)、編曲賞(アーウィン・コスタル)、録音賞(ジェームズ・P・コーコランとフレッド・ハインズ)の5部門を獲得しましたが、リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の最後の作品でした。
 何といっても、このミュージカル映画は、日本においても、そのナンバー「ドレミのうた (Do-Re-Mi)」が、早くより「みんなのうた」でペギー葉山による日本語詞で採り上げられ、「エーデルワイス (Edelweiss)」が、音楽の教科書に掲載されるなど広く親しまれており、いくつかの日本の少年合唱団(児童合唱団)が、定期演奏会等で、その抜粋(子どもたちが歌う歌を中心にしたもの)を採り上げています。また、合唱団の指導者がマリア役やトラップ大佐役で歌うというステージも観てきました。
 ストーリーの詳細は、あまりにも有名なのでここでは述べませんが、映画『菩提樹』に描かれた時期(マリアが修道院を出てから出国するまで)とほぼ同じですが、いろいろな意味での違いは、映画『菩提樹』の部分をご覧ください。ストーリーも史実をもとにした原作からミュージカル→映画となるたびに大きく離れています。また、ミュージカルと映画では、そのナンバーが歌われる場面が違うこともあります。

 音楽的には、映画『菩提樹』が、ドイツの歌曲や民謡を中心に歌っているのに対し、映画『サウンド・オブ・ミュージック』は、すべてがオリジナルの英語の曲です。これらの1曲ずつについて解説しませんが、いかにもアメリカ的なエンターテイメントの要素を含み持つ曲が多く、「ひとりぼっちの山羊飼い (Lonely Goatherd)」は、ヨーデルを採り入れた人形劇の場面で歌われ、「さようなら、ごきげんよう (So Long, Farewell)」は、年齢順に「おやすみ」のあいさつをする場面で歌われるなど特にそう感じます。映画『菩提樹』の曲が生真面目な感じがするのに比べて、映画『サウンド・オブ・ミュージック』の曲は総じて明るく活動的あるいは動きを伴っているという感じがします。また、7人の子どもたちも、最初にトラップ大佐が紹介する場面を除いては、いかにもアメリカ的な明るい子どもという感じがします。また、子どもたちの名前や年齢(順)も映画『菩提樹』とは違います。

 そのような意味で、映画『菩提樹』は音楽映画(『続・菩提樹』も)、映画『サウンド・オブ・ミュージック』はミュージカル映画とはっきりと区別することができます。この映画は、日本でも、アメリカと同年 昭和40(1965)年に公開されており、リバイバル上演もされています。また、いくつかのテレビ局(NETテレビ フジテレビ テレビ東京)が、セリフ部分が吹き替えで何度も放映しています。それ以外にこの映画のソフトを制作するための吹き替えもあり、吹き替えの違いを楽しむことができます。

映画『サウンド オブ ミュージック』
https://www.youtube.com/watch?v=edpeRzNTA8w

    
 (4) 映画『オリバー!』

 ディッケンズ原作の『オリバー(オリヴァー)・ツイスト』とそれを映画化した『オリバー(オリヴァー)・ツイスト』は、同じではありません。さらに、それをライオネル・バートがが舞台化(作詞・作曲・台本)したミュージカルを、ヴァーノン・ハリスが映画用に脚色、キャロル・リードが監督した映画『オリバー!』は、さらに違いが大きいです。それは、劇に歌や踊りが加わったというだけでなく、登場人物やそのキャラクターやストーリーまでが微妙に違います。
   この映画やミュージカルの大ファンであるノースエンド(ハンドルネーム)氏の話によると、腕利きドジャー役は、1960年ロンドン初演オリジナルキャストでも、1963年米ブロードウェイ・オリジナルキャストでも変声前の少年が演じ、オリバーと年齢的にも近く、親近感をもたせることができ、これがスタンダードになってます。 一方で、ドジャーはギャング団のリーダーであることからか少し年上のバリトンを起用することもあったようで、レコードにもYouTube にも残されています。ラグナ・プレイハウス・ユースシアターのオーディション募集の説明では、ドジャーを「年齢Teens~20'sの男性、ソプラノまたはバリトン」としています。またピカリントン・コミュニティシアターでは「13~18歳で、コクニーなまりのあるエネルギッシュで、年齢以上に賢く抜け目のないフェイギンの片腕としての"男“」と説明されています。大小さまざまな公演があり、歌唱のみならず演技力も求められるドジャーについてはこうして幅をもたせて募ったようです。

 ミュージカル映画『オリバー!」のあらすじは、およそ次のようです。産業革命を経た19世紀のイギリスの社会は、貧富の差が激しくなり、貧しい人々は生活苦にあえいでいました。そのころ、救貧院で一人の女が男の子を生んで、死んでいきましたが、生まれた子どもはオリバー(マーク・レスター)と名付けられて、そこで育てられることになりました。この救貧院では、子どもたちはろくな食事も与えられず、いつも飢えに苦しんでいる状態でした。そこで、みんなを代表して、オリバーは「もう少し食べ物をください。」と言ったため、葬儀屋サワベリーのところに、ただ同然で売られるはめになってしまいました。葬儀屋での仕事はつらいことばかりでしたが、とうとう亡くなった母の悪口に耐えられなくなったオリバーは、そこを逃げ出しました。やがて、オリバーはスリの少年ドジャー(ジャック・ワイルド)と知り合い、親方のフェイギン(ロン・ムーディ)に紹介され、スリの仲間に加わりました。そこにはみんなのあこがれの的ナンシー(シャニ・ウォリス)などがおり、ナンシーは悪名高いビル(オリバー・リード)にほれ込んでいました。オリバーの初仕事は、あっけなく失敗してしまいましたが、被害者のブラウンロウ(ジョセフ・オコーナー)は、オリバーへの贖罪意識から、引きとって育てる気になりました。それは、オリバーにとって夢のような日でしたが、それもつかの間、ある日おつかいに出かけたオリバーは、ビルと、ナンシーに、見つかって、フェイギンのところに連れ戻されました。そのころ、ブラウンロウは、オリバーを探して救貧院を訪ね、オリバーはブラウンロウの孫であるという事実を知りました。そのころ、オリバーは、再び悪の一端を担ぐ生活が続いていましたが、ナンシーは、オリバーを助けるためにブラウンロウ氏に連絡をとり、真夜中にロンドンブリッジへオリバーを連れて行くことにしました。しかし、ビルは彼女が、自分を密告したと思ってナンシーを刺殺してしまいました。その死体を見つけたブラウンロウの叫びで、警察官が駆け付けて、ビルは射殺されましたが、少年たちは解放されました。フェイギンとドジャーは、再びスリの道に戻っていきましたが、オリバーには、やっと平和で幸せな生活が戻ってきました。

 オリバー役のマーク・レスターは、主演ではありますが、演技としては名演というほどではありません。しかし、何といっても見た目の可愛い美しさは際立っています。歌声もボーイ・ソプラノが澄んでいて、ボロは着ていても上品さやきれいな心が伝わってくるところが“売り”と言えるでしょうが、この歌声のパートは、音楽監督のジョン・グリーンの娘 キャシイ・グリーンが受け持ったそうです。声の美しさは、むしろ3年後の『小さな恋のメロディ』では、感じなかったことです。(吹き替えをした内海敏彦の声は、美しかったですけれども)
 むしろ、ドジャー役のジャック・ワイルドは、15~16歳にしては体格が小さく少しあどけない感じがしますが、当時のイギリスの貧民層が栄養価の低い食べ物しか食べていないことを考えれば、成長も遅くてもおかしくないはずで、むしろ芸達者で生活力の高いスリの役を生き生きと演じています。また、仲間の面倒見がよいところが憎めないです。また、歌の特色は、何といっても、活力のある達者な歌です。この作品で、ジャック・ワイルドはアカデミー賞助演男優賞にノミネートされています。また、この二人は、3年後の1971年に『小さな恋のメロディ』でも共演しています。詳細は、「ボーイ・ソプラノと少年声優」をご覧ください。フェイギン役のロン・ムーディーはこの作品で、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされています。それならば、この作品の主演は、タイトルロールでもあるオリバーではなく、フェイギンということなのでしょうか。子どもたちにスリを働かせて、その上前をはねて生活するダメ人間だけれど、劇中に、自分の人生を悔い改めて、新しい真っ当な世界に踏み出そうとする憎めないところもあり、ビルのような残忍な悪党とは違って、社会の底辺に生きる人間がもっている力強ささえ感じさせます。この映画のラストでは、原作とは違ってフェイギンとドジャーは、スリという元の道に戻っていきますが、これは、「ダメなダメな 本当にダメな  いつまでたっても ダメな私ネ~。」という歌のセリフのような作りになっています。ナンシーは、正義感の強い女性ですが、それならなぜ、悪そのもののようなビルに惚れ込んだのでしょうか。

 この映画は、第41回アカデミー賞の作品賞、監督賞(キャロル・リード)、美術監督賞(ジョン・ボックス、テレンス・マーシュ)、装置賞(バーノン・ディクソン、ケン・マグルストン)、音響賞(シェパートン・スタジオ音響部)、ミュージカル音楽賞(ジョン・グリーン)の6部門で受賞しており、劇中歌の「Consider Yourself(気楽にやれよ、「オリバーのマーチ」)」「I'd Do Anything(なんでもやるさ)」「Oom-Pah Pah(ウン・パッパ)」などは、日本においては、映画が上映されたころ、「みんなのうた」等で、元の歌とは全く違う児童向けの日本語歌詞をつけて広まったため、後でこの映画を見て、あまりもの違いに違和感を感じた人もいることでしょう。また、ロンドンの下町の大掛かりなセットや、登場人物の動きも実によく計算されており、そのような視点からの楽しみ方もできます。この映画が上映されたのは、半世紀以上前のことになりますが、19世紀のロンドンの下町を描いているのに、映像にそれほど古さを感じないのは、音楽と動きの力が大きいのではないかと思います。

    
  (5) 映画『チップス先生さようなら』

   イギリスの作家ジェームズ・ヒルトンの代表作『チップス先生さようなら(Goodbye, Mr. Chips)』は、2度映画化されています。1939年のロバート・ドーナット主演作のものは、原作に比較的忠実で19世紀末から20世紀初頭を背景に描かれています。ここで採り上げるのは1969年のアメリカ・イギリス合作のピーター・オトゥール主演のミュージカル映画として、第一次世界大戦から第二次世界大戦の頃に時代を移して脚色されたものです。
 イングランド南部の田園都市のブルックフィールドにあるパブリックスクール「ブルックフィールド・スクール」に勤めるアーサー・チッピングは、親しい人からはチップス先生と呼ばれていましたが、教育熱心で、教え子たちを心から愛しながらも、厳格さが災いして生徒たちにその愛はなかなか受け容れられず悩んでいました。夏休みを利用して、イタリアへの旅に出かける途中、紹介されたミュージカル女優のキャサリンと知り合い、心を通わせあい、やがて周囲の反対を押し切って結婚するなかで、人間的魅力が増していくというストーリーです。
  ペトゥラ・クラーク扮するキャサリンがミュージカル女優という設定からして、歌は数多く採り入れられていますが、チップス先生役のピーター・オトゥールも、「マイ・フェア・レディ」のヒギンズ教授のような語りの歌を歌っています。生徒たちも、年齢的にも日本で言えば中学生・高校生の年齢であることから、混声で「大人になれば」「世界を愛で(校歌)」「学校時代」「世界を愛で満たそう」を歌っており、変声期前と変声期後の歌声が混じっていることろに特色があります。

      
  (6) 映画『クリスマスキャロル』

 イギリスの文豪チャールズ・ディケンズの名作『クリスマスキャロル』をミュージカル映画化した作品は、1935年、イギリス映画の『スクルージ』 (Scrooge)以来、アニメも入れると10本が上映されており、さらに、アメリカでテレビ放映されたミュージカル作品もあります。私が子どもの頃あった本は、『クリスマス・カロル』という題であったと記憶しており、時代によって、より英語の発音に近い訳がされていることを感じます。
  1970年にイギリスで作成された映画『スクルージ』 (日本題名は『クリスマスキャロル』)は、ミュージカル作品で、19世紀ロンドンの下町を舞台に守銭奴という言葉がふさわしいスクルージの転機が見事に描かれています。クリスマスキャロルが流れ、人々のざわめきが聞こえるクリスマス・イブのロンドンの街。しかし、金貸しのスクルージには、そんなことは無関係。借金を返せない貧乏人は救貧院に入るか、死ぬかどちらかだ。そうすれば人口増加が抑えられるだろうなどと考えていました。その夜、現れたのはかつての共同経営者マーレイの亡霊。スクルージを過去・現在・未来の世界へと誘います。それによって、スクルージの心の底に眠っていた愛や善が甦り・・・というおなじみのストーリーを映画は、ヒューマンなタッチで描いていきます。
  スクルージの転機となった最大の要因は、冷遇されている使用人クラチットの息子で重病のティム(リッキー・ボーモン)が歌う「美しい日」。音楽的には多少頼りなさを感じる歌なのですが、そのけなげさが聞く人の心を打ちます。夢から目覚めたスクルージは、家を飛び出し、ありったけのプレゼントを用意してクラチット家へ行き、ボブには休暇を十分与え給料も上げ、ティムをよい医者にかけることを約束しました。町の人々へもたくさんのプレゼントを用意したスクルージの表情は輝いていました。どの映画においても、このスクルージの表情の変化は見られます。
 クリスマス・キャロルとして知られる歌は、中世以来の伝統を持つ非常に古いものから、19世紀から20世紀にかけて作曲や作詞が行われたものまで非常に多くあり、原作には、ティムがどんな歌を歌ったかまでは書かれていないので、作品によっていろんな歌を歌っているようです。それを比較しても面白いかもしれません。

      
(7) 映画『レ・ミゼラブル』

 ヴィクトル・ユゴーの同名小説を原作として、ミュージカル『レ・ミゼラブル』は、1980年代にロンドンで上演され、1980年に上演された同名ミュージカルを改訂する形で、1985年10月28日、ロンドンで初演されたミュージカルです。この映画は、以後、ブロードウェイを含む世界各地でロングランされていた同名のミュージカルの映画化作品です。 

 これまでにも、『レ・ミゼラブル』は、フランス語や英語で何度か、映画化され、最近では2018~2019年にイギリスBBSが放映したテレビドラマが、2021年に吹き替えられて日本でも上映されました。2012年に作成されたミュージカル映画は、当然のことながら、原作とは異なることも多いのですが、音楽の力が鑑賞する人の心に訴えかけることがいかに大きいかを痛感します。

 あまりにも有名なので、あえて、ストーリーは省略しますが、とりわけ子ども向きの読み物では、ガブローシュは採り上げられないこともあります。それは、ガブローシュがテナルディエ夫妻の子どもであり、愛を受けて育つこともなく、8歳ごろから浮浪児として生きてきて、6月暴動(1832年のパリ蜂起)で、わずか11歳で撃たれて亡くなります。

 映画では、ガブローシュ役(ダニエル・リチャード・ハトルストーン)がボーイ・ソプラノとして登場します。しかし、その行動にアンジョルラスに共鳴したような思想性があったとは考えにくいのですが、大人と一緒に革命軍に参加したガブローシュは、ソロで「戦う者の歌が聞こえるか。」と少年特有の歌声で民衆の歌を歌い始めると、その場にいた全員で盛り上がって歌います。

      
(8) 映画『シング・フォー・ミー ライル』

 ワニを主人公にした絵本、バーナード・ウェーバー原作の「ワニのライル」シリーズを原作としたミュージカルというよりも、ミュージカルの要素のあるハートフルコメディ映画でした。最近日本でも家で飼っていたニシキヘビやイグアナが逃げ出して大騒ぎになりましたが、ペットしての爬虫類は犬や猫の哺乳類と違って、冷血で残酷というイメージで見られます。しかし、このライルは、子ワニの時はもとより、3mの巨ワニとなっても狂暴なイメージとは真逆の内向的なキャラクターで、知り合いの前では、見事な歌とダンスを披露するのに、大勢の客の前では、ステージ恐怖症で何もできなくなってしまいます。それならいっそ、「ぬいぐるみ」風の温かさを感じるキャラクターにして、動物園のワニと対比して違いをはっきりさせてもよかったのではないでしょうか。その動きも面白いけれども、歌の吹き替えが大泉洋という意外性が聴きどころです。もしも、声優の名前が書かれていなければ、そのハイトーンの歌声ゆえに気付かなったかもしれません。歌は、はっきり言ってたいへんうまかったです。最後は、大きなステージでライルが最高のパフォーマンスを披露して、めでたしめでたしというストーリーは予定調和ですが、映画館に足を運ぶのは、そういう楽しみもあると言えます。
 少年ジョシュはライルと知り合うことで、引っ越しした新しい環境に溶け込んで活力を得、かつてはレスリング選手だったのでやや弱気で生徒になめられがちの教師のお父さんは態度の悪い生徒に毅然と接するようになり、台湾出身のお母さんもライルが気に入って、その絵を描くことで元気をもらいます。手品師のヘクターは、最初と最後で変わったのか変わってないのか不明ですが、ライルを可愛がっていることは間違いありませんし、何よりも憎めないキャラクターです。少年ジョシュ役を演じるのは、ウィンズロウ・フェグリーで、手慣れた演技ですが、歌はわずかで、吹き替えの宮岸泰成のセリフは、それにふさわしいものでしたが、歌の実力は、このデュエット曲1曲だけでは断定できません。ということで、ストーリーは共感できても、ミュージカル映画としては、歌われるナンバーが少なく、かつ全体的に歌の印象が薄いため、大ヒット映画というところまでにはならないのではないでしょうか。
 なお、この映画は、母親役が台湾出身という設定、ジョシュの友達の女子も黒人というように、米アカデミー賞(オスカー)を主催する映画芸術科学アカデミーが、作品賞にノミネートされるための条件として多様性の項目を設置したことを反映してか、女性や人種マイノリティーなどを積極的に起用することなどを意識しているようにも感じました。

   
Ⅲ 少年歌手や少年の歌が重要な位置を占める映画(アニメを含む)

       (1) 映画 『ボビーの初舞台』

 ボビー・ブリーンの初主演作の1936年のアメリカ映画[『ボビーの初舞台』(原題“Let's Sing Again” 「さあ、もう一度歌おう」の意)は、まさに、ボビー・ブリーンの歌を聴くためにつくられたような映画です。日本語の字幕のない映画ですので、わかったことやおかしいと思ったことを書いていきます。

 ファーストシーンは、ナポリで赤ちゃんが誕生し、父親レオン・アルバ(ジョージ・ヒューストン)が子守歌を歌うところから始まりますが、次のシーンは船出のシーンで、サーカスの宣伝カーのビラを拾う子どもたちが孤児院の前を通るところへと続きます。孤児院には、ボビー・ブリーン扮するするビリー少年もいます。(ビリーは、いつの間に孤児になったのだろう?)孤児院を抜け出してジョー・パスクワーレ(ヘンリー・アーメッタ)の歌声を聴きたくてビリーは、小屋に忍び込みますがジョーに見つかってしまいます。しかし、ジョーの歌を聴きたいというビリーの願いを聞き入れて、楽屋から見物させてやることにします。

 ところが、軽業の間に登場する老歌手 ジョー・パスクワーレが歌う喜歌劇『マルタ』の「夢のように」は、あまりうまくはないとはいえ、客席から罵声や物が投げつけられるひどさ。しかし、ジョー・パスクワーレは、かつては、オペラの多くの主演を演じたテナーで、ビリーの歌の才能を見抜き、ステージで『リゴレット』の中の「風の中の羽のように」歌わせます。しかし、子どもを誘拐して連れ回す怪しい人物として追いかけられるようになります。一方、バリトン歌手の父親は、コンサートで成功を収め、息子に会いたいと願っていました。レオンはホテルのロビーで歌い、最後に子守歌を歌って、ビリーと親子の対面をします。

 この映画は、このように、筋は、つながりが希薄で、ただ、ボビー・ブリーンの歌だけが輝いている映画です。映画館に足を運んだ客も、最初からストーリーなどどうでもよく、可愛いボビー・ブリーンの歌だけを聴けば、それで満足という映画だったのかもしれません。古い映画で70年の著作権も切れているため、YouTubeチャンネルで視聴することもできます。


映画『ボビーの初舞台』   』https://www.youtube.com/watch?v=DaLNHwGQzSs

      
(2) 映画「Make a Wish」(願い事をする)
 
  
日本公開はされていませんが、「ボビーの初舞台」以来、ボビーブリーンは、1936年から3~4年の短期間に多くの映画に出演します。
 列車から、多くの少年たちが降りてきます。ここは、メイン州の森のキャンプ場。夏休み中のサマーキャンプの始まりです。ボビー ブリーン演じるチップ・ウィンターズは、キャンプ場の湖で、泳いでいるときに、釣りをしている作曲家のジョニー・セルデンと親しくなりました。キャンプの湖の向こう側には作曲家ジョニーの住居があり、彼は作曲のスランプを克服するために街から引っ越してきていました。
 ジョニー・セルデンはチップと出会い、2 人は友達になり、チップは、キャンプファイアにおいても、歌をリードします。やがて、チップは、創作力が沸き上がり、“Make a Wish”を作曲して、チップに歌わせます。
 後半は、チップ・ウィンターズに加えて、未亡人のチップの母アイリーンと、作曲家のジョニー・セルデンを中心に展開しますが、あまりその関係は、興味がありません。この映画は、あくまでも前半のボビー ブリーン演じるチップ・ウィンターズの歌の魅力が中心だと思います。


映画『Make a Wish』(願い事をする)   https://www.youtube.com/watch?v=3pEUk7vuqMU

       (3) 映画『ドクターTの5000本の指』

 アメリカ映画『ドクターTの5000本の指』(1953)は、ミュージカル映画に分類されると思いますが、歌が少なくて、漫画的な大道具がやたらと目立つ当時としてはまだ普及しているとは言えないカラー映画です。脚本・作詞を絵本作家として有名なドクター・スースが手掛けていることもあって、色彩感には独特のものがあります。
 母子家庭で育つ少年バート・コリンズ(トミー・レティグ ただし、歌唱の吹き替えはトニー・ブターラ)は、魔術師のようなピアノ教師 ターウィリカー先生についてピアノを学んでいます。しかし、先生の指導は厳しさを通り越してサディスティックで、バートはピアノの練習が嫌になってしまいます。バートは、家に来た配管工のザブラドウスキーに助けを求めますが、かえって母エロイーズを怒らせてしまいます。ハードで機械的なピアノの練習を続けているうちに、バートは夢の世界に迷い込んでしまいます。そこは、巨大なピアノの国?で、バートは、500人の子どもたち(そのため全員の手の指を合わせると5000本)と共に巨大なピアノで練習を強制されますが、何とかしてそこから逃げ出そうとするという寓話です。
 最大の見どころは、表題にもなっている500人の子どもたち(そのため全員の手の指を合わせると5000本)が巨大なピアノで演奏するシーンですが、歌としては、バートがピアノを前にして歌う歌と、バートが配管工ザブラドウスキーの胸に抱かれて二重唱する歌と、母エロイーズとザブラドウスキーが一緒に歌い踊る場面しかありませんが、器楽の音楽としては、多くの種類の曲が流れています。
 後年、バートの歌唱の吹き替えをしたトニー・ブターラ(後年ボーカルグループ ザ・レターメンのリードシンガー)が、この映画について語っています。顔の可愛いトミー・レティグと歌声の美しいトニー・ブターラを合体させていることろが、この映画の歌における特色ではないでしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=Qzw97x9mUVE

(4)  映画『ベニス協奏曲』

  ロマンスと水の都Veniceの街角にリスト、シューベルト、ヘンデルの名曲に彩られてスイートな恋の花が開く・・・という、映画のポスターに描かれた甘い言葉と、ブエナ・ビスタというディズニーの系列が配給する映画だから、『青きドナウ』のような要素のある映画かなと思って映画館に行きましたが、映画館の観客はガラガラで、1週間で上映が終わりました。この映画の原題は、「ヴェニスのロマンス(Romanze in Venedig)」で、1962年作成のドイツ映画でしたが、日本で公開されたのは1970年でした。
 映画は、結婚をめぐる男女間だけでなく親子間の複雑な問題と、映画の最後の方で、できた男の子ミヒャエル(ヨハネス・ボナベントゥーラ)のボーイ・ソプラノが美しく、シューベルトの「野ばら」を歌い、また、コンサート会場では別の少年がヘンデルの「オンブラ・マイフ」が歌われるというだけしか心に残らない映画でした。ところで、この映画は、どのような観客層を対象に作られたのでしょうか。子どもが対象では、前半の男女のもつれた関係等の問題は理解できないし、クラシック音楽ファンが対象なら、音楽は映画『野ばら』などの音楽映画にも携わったハインツ・ノイブラントが担当しているにもかかわらず、音楽らしい音楽の演奏場面が全体的に少なくもの足りない。ということになります。また、ミヒャエルは、6歳でウィーン少年合唱団に入るという設定ですが、当時は、そんなことが可能なのかという疑問さえ残ってしまいました。

https://youtu.be/aB_2llH4avk

       
(5) 映画『サミー南へ行く』

 この映画を最初に見たのは、中学校の体育館で視聴覚鑑賞会でありました。映画について全く知らされていないので、実話なのか小説なのかもわからないまま、イギリスの少年が戦争を避けて、アフリカの北のエジプト(当時はアラブ連合共和国と呼んでいた)から、南アフリカの叔母のところまで行く冒険物語として見ていました。ちょうど今、スーダン邦人の退避の問題があったときでもあり、この映画を採り上げます。
   その頃、アフリカと言えば、『少年ケニア』のような、ジャングルと『野生の王国』のようなイメージで見ていました。なぜか、『少年ケニア』に登場する現地人の人たちも日本語が上手でした(笑)。また、地図を見たとき、なぜか国境が直線であることを不思議に思っていましたが、ヨーロッパ諸国の植民地にされていたためにそうなったという理由まで考えていませんでした。ところで、後年になって、この映画は、スエズ動乱を舞台としたW・H・キャナウェイの同名小説をもとにした、少年の冒険ドラマであることを知りました。

   ポートサイドでは、スエズ運河の使用をめぐり、イギリスとエジプトの間に戦争が勅発しようとしており、そこに住むイギリス人たちは本国への引揚げを開始していました。そんなとき、10歳のサミー(ファーガス・マクリーランド)は両親の計いで南アフリカ、ダーバンでホテルを経営するジェーン叔母さんのところに預けられることになりました。その準備中に、家を離れているときにサミーの家は爆撃され、両親を失います。
一人とり残されたサミーは、磁石をたよりに、ジェーン叔母の住んでいる方角「南」を目指して旅に出、いろんなよい人の出会いの中で助けられながら、5カ月、8000㎞を歩きぬいたサミーは、ジェーン叔母の待つホテルの一室にかけこむという話です。まあ、小説が原作ですから、ハッピーエンドになるのでしょうし、途中で悪人に騙されたり、野獣に襲われたのでは・・・

   主演のファーガス・マクリーランドは、映画の中で「サミーのマーチ」を歌いますが、イギリスの聖歌隊的な歌声ではなく、学級で歌が上手な少年というレベルの歌です。
 数年後、テレビでも吹き替え版が放映され、『からくり儀右衛門』で、主役を演じた当時の名子役 佐山泰三が、サミー役を吹き替えていますが、これを私は見ていません。なお、『わが谷は緑なりき』(テレビ版)ヒュー(末っ子)役も吹き替えています。

    
(6) 映画『みどりの讃歌』

 『みどりの讃歌』 1968 THE GOLDEN VOICED ORPHAN(黄金の声をした孤児) 原題 Ein Herz geht auf Reisen(心は旅に出る)  日本公開 1975年 
 ドイツで活躍したオランダ生まれの少年歌手ハインチェが主演した映画は7本ありますが、そのうち『みどりの讃歌』(1968)と『ベスト・フレンド』(1970)の二本は、1975年に短期間ですが日本で公開されました。“Ein Herz geht auf Reisen”は、ヴェルナー・ヤーコブス監督の1968年のミュージカル映画です。この映画のワールドプレミアは1969年8月26日に行われました。ドイツ連邦共和国(西ドイツ)では、約350万人の訪問者がありました。また、日本でも1週間という短期間東京で公開されましたが、鑑賞した人は少ないでしょう。
 あらすじは、ハインチェ少年演じるハインツ・グルーバーは孤児でしたが、現在はモニカ伯母(D・アルトリヒター)に育てられていました。彼は歌が得意で、また、馬が大好きでした。近所に住む大金持タイヒマン(H・ラインケ)の馬と仲好しになり、いつしかタイヒマンからも可愛がられるようになりました。だが、未亡人のモニカ伯母さんの恋人シェレ(S・ルップ)はハインチェを邪魔者扱いしてとうとう彼を孤児院(児童養護施設)に入れてしまいました。そこにはタイヒマンの旧友の女の先生ハンナ(G・ロッカー)がいました。しかし、ハインチェはどうしても孤児院(児童養護施設)にはいたたまれず脱走してしまいます。タイヒマンがスイスに旅行していることを知ると、その後を追いました。その旅行でさまざまな事件に遭遇したハインチェは警察に捕まってしまいますが、彼はどうしても孤児院(児童養護施設)に帰りたがりませんでした。そこでタイヒマンは彼を養子にしようと決心しましたが、独身者はその資格がなく法律で許されていませんでした。タイヒマンは、早速ハンナに求婚しました。晴れてタイヒマンとハンナが結ばれた日、もう一組の男女が式を挙げました。それはモニカ伯母さんとシェレのカップルでした。
 ハインチェを養子にするためにわざわざ結婚するというストーリーは、いささか現実性を欠きますが、この映画そのものが主役のハインチェが幸せになるハッピーエンドのストーリーであるならば、納得できます。ここでは、ハインチェが歌う歌を楽しむことがその目的の一つです。ハインチェは、この映画で何曲か歌っており、それを聴くこともこの映画の楽しみです。この映画は原語ですが、YouTubeで、視聴可能です。

映画『みどりの讃歌』 https://www.youtube.com/watch?v=zdV9BLtWpA4

       (7)映画『太陽の帝国』

 映画『太陽の帝国』(Empire of the Sun)は、イギリスの小説家J・G・バラードの体験をつづった半自伝的な長編小説スティーブン・スピルバーグ監督が映画化し、1987年に公開されました。日本占領下の中国を舞台に上海で生活していたイギリス人少年が、捕虜収容所で生きる中での成長を描いた戦争ドラマです。
 時は、1941年、上海。イギリス租界で生まれ育った少年ジム(クリスチャン・ベール)は、日本軍の零戦パイロットに憧れていました。ある日、日本軍が街に侵攻し、混乱の中でジムは両親とはぐれてしまい、飢えに苦しんでいるところをアメリカ人のベイシーとフランクに救われたものの、やがて日本軍に捕らえられ捕虜収容所へ送られることになってしまいます。この映画には、日本からは伊武雅刀、片岡孝太郎、ガッツ石松らが参加していますが、飛行機大好きの少年にとっては、戦争さえもワンダーランドに見えて楽しそうに感じるところがあります。また、欧米人のアジア人蔑視が見られるところは事実なのでしょうが、あまり快いことではありません。
 この映画の中では、ウェールズ民謡「Suo Gân(スオ・ガン)」を(ジェームズ・レインバードが吹き替えソリストをつとめていますが、)3回聞くことができます。最初は、ジムが冒頭の教会の中でソロを歌い、2回目は、収容所の中で死出の旅へ向かう直前に、零戦特攻隊員たちの「海ゆかば」の斉唱に声を合わせるように、ジムが歌い、両親との再会シーンでもバックミュージックとして流れる曲です。「スオ・ガン」のスオは子どもをあやす時の言葉、ガンは歌の意があり、「聖母マリアの子守唄」として、クリスマスによく歌われます。この聴き比べもこの映画の楽しみ方と言えます。

 映画『太陽の帝国』より 'Suo Gân'(教会で)
 https://www.youtube.com/watch?v=Z6FKoFHhwCo
                          (収容所で)  https://www.youtube.com/watch?v=8O6S-Fh54zk
                          (両親との再会の場面の背景に) https://www.youtube.com/watch?v=z64_UydmDgE

   (8) 映画『バッド・エデュケーション』



      (9) 映画『リメンバー・ミー』

 これまでこのコーナーにご紹介した映画は、洋画・邦画を問わず俳優が演じるドラマでした。ところが、今回採り上げる『リメンバー・ミー』は、アニメ映画で、英語盤と日本語翻訳盤があります。私が映画館で鑑賞したのは、日本語翻訳盤ですが、ぜひ英語盤も鑑賞して二つを比較をしたいと思い、この度BR(DVD)が発売されたのを機に購入して比較してみました。
 さて、ストーリーの概略は、高祖父が音楽のために家族を捨てたということから、一家において家長のようなはたらきをしている祖母は、「家族の掟」として音楽を禁じていました。しかし、12歳の少年ミゲルは、それでも、祖先の血を受けて音楽が大好き。あこがれのミュージシャンのギターを弾いたことをきっかけに、まるでテーマパークのようににぎやかでカラフルな“死者の国”に迷い込み、家族がいる“生者の国”に戻るため冒険を繰り広げます。そこで、謎のガイコツ・ヘクターと出会い、家族にまつわる本当の話を求めて冒険を繰り広げていきます。すべての謎を解く鍵は、名曲「リメンバー・ミー」に隠されていました。これまで、(あまりアニメを見たこともないこともあって)アニメを見て泣くことなどなかったのですが、これは、内容が家族の愛を扱っているだけに、後半は、特に心惹かれる場面が多く、“生者の国”に戻ったミゲルが老化が進んできている曾祖母ココ(「COCO」=原題)に「リメンバー・ミー」を歌って覚醒させる場面では、涙が止まりませんでした。「リメンバー・ミー」においてもう1つ重要なのは、メキシコにおける“死者を忘れないことの大切さ”が主題になっていることです。「人は、二度死ぬ。一度目はその生命を失ったとき、二度目は生きている人たち全員から忘れられた時に。」という考えは、理解できます。
 さて、主演のミゲルの声を担当するのは、当時12歳の新人アンソニー・ゴンザレスが演じました。アンソニー・ゴンザレスは、名前からしてもラテン系の明るい声質で歌も巧者ですが、息遣いに到るまで行き届いた演技をしていました。ところが、日本語盤では、映像の一部まで日本語表記されているのには驚きましたが、原語上演と同時に吹き替え上映も行われ、カラオケバトルなどの歌番組で優秀な成績を残している石橋陽彩がミゲルを吹き替えました。これまで、映画における日本語による吹き替えは、原語盤を見ていたときに、元のイメージと違ってがっかりさせることもありますが、石橋陽彩のミゲルは、録音当時変声期に入っていたのにもかかわらず、それを感じさせないほど歌もセリフも表情豊かで素敵でした。なお、この映画は、第90回アカデミー賞では長編アニメーション賞と主題歌賞の2冠を達成しています。

      (10) 映画『ライオン・キング』

 フルCGの映画『ライオン・キング』は、ミュージカルの舞台やアニメとは違う感覚があります。ミュージカルの舞台の場合、創られたものという意識で見ますから、○○役の○○はこのナンバーをこう歌ったとか、演出のここが面白かったといったことが心に残りますが、フルCGの実写版の場合、映像がリアルによくできていることが心に残っても、登場人物の人間臭さがかえってリアル感をなくすところもあります。ディズニーは、これからもアニメはともかく、このような映画を作り続けるのでしょうか。
 さて、ストーリーの概略は、アフリカのサバンナの王国・プライドランドで、国王のライオンのムファサに息子のシンバが生まれました。シンバは、次の国王になるべく育てられます。しかし、ムファサの弟のスカーは、自分が国王になれないことを恨んでいて、ハイエナと組んでムファサを謀殺し、シンバをプライドランドから追放し、自らが王となります。新たな地で仲間と出会って、大人になったシンバは、自分の使命を思い出して、荒廃したプライドランドの王になるために、スカーに戦いを挑み、勝利します。
 これは、一種の生々しい宮廷クーデターの話とも言えます。ところが、フルCGの実写版であるがゆえに、シンバが新しい場所で仲間と出会ってその仲間を大切にすることはよく理解できても、草食動物を食べずに虫だけを食べて生きていくことは考えにくいことです。食べるものと食べられるものの関係は、きむらゆういちの「あらしのよるに」の主題と同じですが、そこにこだわってしまうと映像がリアルであっても、真実味を感じなくなります。また、新たな地には、仲良くしてくれる仲間はいても、シンバに帝王学と言わないまでも生きていく道を教えてくれる師がいないことも気になります。幼い時に亡くなったムファサの言葉だけでそれを身に着けるとは考えにくいです。
 熊谷俊輝のヤングシンバの歌を含む声の演技は、ただ可愛いだけではなく少し生意気さがあって息遣いまでよくできていたと思います。「王様になるのが待ちきれない」には、そのような心がよく表れていました。また、声そのものがよく伸びて輝きに満ちていますが、それは、「ハクナ・マタタ」によく表れていました。また、成獣化してからのシンバの賀来賢人はじめ、声優たちの声の芝居や歌もかなり高い水準にあると思いますが、フルCGの実写版の場合、喜怒哀楽、とりわけ歌っているときの動物の表情はどうなのだろうと考えると、人間が登場人物のミュージカル映画(アニメを含む)ほど歌や芝居に入り込めないことがあったのも事実です。

       (11) 映画『家なき子 希望の歌声』

 フランスの小説家、エクトール・マロ(Hector Henri Malot, 1830~1907)の小説"Sans Famille”を原作とした作品は、本国のフランスでも何度か映画化・ドラマ化され上映・放映されています。一方、日本においては、アニメとしても3本あります。昭和45(1970)年、映画館で上演された『ちびっ子レミと名犬カピ』は観ていませんが、昭和52(1977)年、日本テレビが「開局25周年記念作品」と銘打って制作した連続テレビシリーズ『立体アニメーション 家なき子』は、1年にわたって放映され、出崎統総監督の方針は原作に最も近く、(ジョリクールの最期などは、感動を高めるために大胆に脚色)当時としては日本最高の声優たちが参画していました。時間的にも合計約20時間です。ところが、平成8(1996)年にフジテレビ系列で放映された『家なき子レミ』は、どのような意図があってか、レミが男の子から女の子に改変されており、それだけで、観る意欲を失いました。なお、調べてみると、後半は恋愛話だったそうです。また、私は、講談社の絵本(田中良:絵 豊島與志雄:文)、講談社世界児童文学全集(久米元一訳)、新潮文庫 櫻田佐訳(第1部・第2部)と、自身の成長に従ってこの作品を読み続けてきました。

 さて、映画『家なき子 希望の歌声』は、日本でつけた題名で、原題は、"Rémi sans famille(レミは家族がいない)″になってしまい、この題名では観客動員は期待できません。1時間49分の作品ですから、当然のことながら冗長な原作から省略されたり、いろいろな設定がかなり大幅に変えられたり、アレンジが施されている部分もありますが、ここが違う、あそこが違うと、原作との違いを中心に観賞してこの作品を語ることは、この作品を心から楽しめないだけでなく、むしろこの映画の本質から逸れていくことになると思います。レミ役のマロム・パキンは、インタビューの中で、「監督から、脚本に集中してほしいから、撮影が終わるまで原作本を読まないでほしいと言われた。」と答えています。この原作本を読んだことのない若い世代の人は、先にこの映画を観てから、原作本に接した方がよいと思います。むしろ、アントワーヌ・ブロシエ監督が、約40年前の日本のアニメの出崎統総監督の『立体アニメーション 家なき子』の影響を受けていることの方がが特筆されます。先ず、レミがなぜこんなに素直な子どもに育ったかを考えてみると、捨て子のレミ(マロム・パキン)を我が子同然にかわいがって育てたバルブレン・ママの感化が大きいでしょう。次に大道芸人になりながらも、自分の過去を悔い、気骨のある生き方を変えないヴィタリス親方(ダニエル・オートゥイユ)との出会いが、わずか1年以下の出会いであっても逆境の中でも生き抜いていく力をレミに与え、その人生を支えていきます。その骨格さえしっかりしていれば、後の脚色は、観客を楽しませたり、はらはらさせたりして惹きつけるものと考えてよいでしょう。また、動物たちの芸のうまさも特筆できます。犬は3匹じゃなかったの?カピって黒犬じゃなくて白犬ではなかったの?というような、尾も白くない(面白くない)原作との違い探しが、この作品を鑑賞する上で、かえって楽しめないのではないかと感じます。

 ただ、この映画が、原作と違ってレミに歌の才能があり、それを牛小屋で発見したことがヴィタリスとレミの出会いにつながり、その歌の才能の比重を考えると、レミが歌う場面はもっと多くあってよかったのではないかということは感じます。また、ヴィタリス親方が、原作では声楽家として描かれており、『立体アニメーション 家なき子』では、ナポリ民謡の「輝ける君が窓は早暗し」を歌っていますが、この作品では、過去の忌まわしい事故によって、自ら演奏を禁じてしまった高名なバイオリニストととして、メンデルスゾーン作曲の「ヴァイオリン協奏曲」を弾くところが印象深いものとなっています。また、ミレーの絵画のような南フランスの風景や町や村の坂道や狼が出没する森など、ロケーションによってこの映画の背景がよく描かれているところも特筆できます。忘れてはならないのは、この映画は、高齢になったレミを名優ジャック・ペランが語り手として、最初より作品全体を俯瞰しているので、安心して観ることができます。さらに、驚きは、ラストシーンは、レミが住むお城のようなお屋敷(ミリガン・パーク)に「ヴィタリス孤児院」という表札がかかっていたことです。夜中に雷が怖いと言って寝床から出てきた子どもたちは、ヴィタリス師の師恩を継いでレミが創った世界一子どもたちを幸せにする孤児院の子どもたちだったのです。


   
Ⅳ 声楽家の少年時代を描いた映画

      (1)  映画『歌劇王カルーソ』

 戦後1951年ハリウッドで制作された映画に、『歌劇王カルーソ( The Great Caruso)』」があります。イタリア出身の不世出のテノール エンリコ・カルーソの未亡人の手記を基にして大幅に脚色して作られた当時としてはまだ珍しいカラーの伝記映画です。この映画では、マリオ・ランツァがカルーソー役で主演して、いろいろなオペラ『アイーダ』『トスカ』『カヴァレリア・ルスティカーナ』『ラ・ジョコンダ』『リゴレット』『ラ・ボエーム』『イル・トロヴァトーレ』『ランメルモールのルチア』『マルタ』のアリアからカンツォーネ・ナポリターナ・ポップスまで歌いまくりますが、誕生から、聖歌隊で歌っていた少年時代も描かれています。早逝する母は、エンリコの歌の才能を信じていました。少年時代は、ピーター・エドワード・プラスが演じていますが、歌は合唱場面だけで、ソリストとしてどうであったかはよくわかりません。むしろ、カルーソが大成してから、教会で聖歌隊の少年たちと一緒に歌うシーンで、ボーイ・ソプラノの独唱を聴くことができます。
 この映画は、カルーソの人生を描いていますが、映画で描かれる登場人物やそこで採り上げられた出来事のいくつかは架空のものです。このため、イタリアのカルーソ家のメンバーは映画会社MGMに対して金銭的損害賠償を求める訴訟を起こして勝訴し、イタリアでの上映を取り下げるよう命じられました。 映画の多くの事実との相違のうち、そのいくつかを挙げます。

 例えば、映画の序盤では、若いカルーソーがオペラの合唱団員から助演歌手へと昇進していく様子が描かれていますが、カルーソーはオペラの合唱団で歌ったことも、脇役に出演したこともありませんでした。 1900年1月に『トスカ』が初演されたとき、カルーソはすでに新進気鋭の国際的なオペラスターであり、プッチーニ自身もトスカの主演テノール歌手カヴァラドッシ役を検討していましたが、その役は別のテノール歌手エミリオ・デ・マルキに与えられました。同年後半にカルーソがボローニャで初めてカヴァラドッシの役を歌ったとき、プッチーニは、「この役をこれ以上歌ったのを聞いたことがない。」と述べました。

 この映画の中で、カルーソはヴェルディの『アイーダ』でメトロポリタン歌劇場にアメリカデビューを果たしますが、観客は沈黙して、厳しい批評にさらされます。ところが、実際には、カルーソーのメトロポリタン歌劇場デビュー作『リゴレット』は非常に好評で、すぐにニューヨークの観客や批評家の人気者になりました。私生活に関することは、あえて書きませんが、これは、さらにフィクションが大きく、家族にとっては不満が大きかったことでしょう。映画の最後では、カルーソはメトロポリタン・オペラの『マルタ』公演中に喉の出血を起こし、ステージ上で死亡したように見えます。しかし、カルーソは、1920年12月11日に『愛の妙薬』公演中に喉や口の出血を起こし、公演が中止になりました。 1920年12月24日、カルーソはメトロポリタン美術館ラ・ジュイヴでのキャリア最後のパフォーマンスを歌いました。 彼はクリスマスの日に重篤な状態になり、1921年8月2日、何ヶ月もの闘病と数回の外科手術の末、おそらく腹膜炎により故郷ナポリで逝去しています。そのようなこともあって、特に、伝記映画においては、どこまで脚色が許されるかを判断することの難しさを感じます。
 
      (2) 映画『ヤング・カルソ』
 
 『歌劇王カルーソ』と同年の1951年にイタリアで作られた『ヤング カルソ』(日本で発売されたのは英語版のため、題名も英語)は、敗戦国だからというわけではないと思いますが、アメリカの方がカラー映画が発達していたため、このイタリア映画は白黒映画ではありますが、カルーソの少年~青年時代、特に少年時代を大きく取り扱っています。少年カルソを演じるのは、マウリツィオ・ディ・ナルド(1938~  )ですが、少年時代の歌声はおそらく、歌の上手な少年が吹き替えているとはないかと思います。そして、ストリートミュージシャンとして「マリア・マリ」「夜の声」等ナポリ民謡の系列にある曲を歌います。なお青年カルソを演じるのは、エルマンノ・ランディ(1920~1951)ですが、歌声は、「黄金のトランペット」と呼ばれた世界的なオペラ歌手 マリオ・デル・モナコ(1915~1982)です。『歌劇王カルーソ』と『ヤング カルソ』の二つの映画に共通していることは、少年時代のエンリコの才能を一番信じていたのは、母親であることです。

 映画『ヤング カルソ』の中で、変声前のエンリコ・カルーソ(1873~1921)が歌っている歌は、4曲あります。映画の冒頭で教会で聖歌隊員として歌っているシューベルトの「アヴェ・マリア」は、シューベルトが1825年に作曲した歌曲ですから、歌っていてもおかしくないのですが、ナポリ民謡の系列に属するディ・カプア作曲の「マリア マリ!」は、1899年の作品で、エルネスト・デ・クルティス作曲の「夜の声」は、1903年の作品ですから、カルーソが成人後作曲された曲です。4曲目の母の死後時聖歌隊として歌っている曲を私は知りません。また、記録によると、カルーソーの少年時代の声は、ボーイ・ソプラノではなく、ボーイ・アルトだったようです。そういう意味では、時代考証が?ですが、そういうことを気にしなければ、とてもよい歌です。なお、歌っているマウリツィオ・ディ・ナルドは、1954年製作の映画『ナポリの饗宴』にも出演しているそうですので、どの場面に出演しているか探してみると、ナポリの辻音楽師サルヴァトーレ・エスポジトの娘に恋をして、恋人の寝ている夜の窓辺で「マリア マリ!」を歌って父親から水を掛けられる思春期の少年役ということで、この歌に縁があります。これも、神の思し召しということでしょうか。なお、歌声は甘ったるいテノールが吹き替ているようです。

 この映画は、当初は商業的に成功しましたが、映画プロデューサーらはこの映画がほぼ完全なフィクションであることを知っていました。実際、紹介タイトルでは、このプロットを「(カルーソの)青春時代の詩的な解釈」と説明しています。そのうえ、伝記的に非常に多くの誤りがあったため、この映画は「茶番劇」とさえ呼ばれています。 そのようなこともあって、この映画はカルーソ家を大いに動揺させ、最終的には映画のプロデューサーに対して500万リラを求めて訴訟を起こすことになりました。 遺族はまた、映画に多くの不正確性があったため、イタリアでの配給から『歌劇王カルーソ』の取り下げを余儀なくされたMGMを訴えて勝訴したといった後日談もあります。また、この映画の公開直後、カルーソ役を演じたエルマンノ・ランディは、嫉妬に狂った恋人のジュゼッペ・マッジョーレによって殺害されました。

映画『ヤング・カルソ』    
https://www.youtube.com/watch?v=gvO8jhzNvZ0

       (3) 映画『ワン チャンス』

   伝記映画は大きく分けて、歴史上の人物や既に亡くなった人を扱う場合と、現存の人物を扱う場合があります。当然のことながら、前者が圧倒的に多いのですが、後者の中にも、映画『アンドレア・ボチェッリ ~奇跡のテノール』のような作品があり、その半生が描かれています。

 映画『ワン チャンス』(One Chance)は、2013年制作のポール・ポッツの半生を描いたイギリスの伝記映画です。ポールポッツは、自叙伝も書いていますが、映画の台本はまた別です。ポール・ポッツは、イギリスの人気オーディション番組『ブリテンズ・ゴット・タレント』で優勝したことをきっかけにイギリスを代表するオペラ歌手となった人物で、映画でのポッツの歌声はポッツ本人の吹替であるが、主演のジェームズ・コーデンは口パクではなく、発声とオペラのコーチに正しい呼吸を指導された上で実際に歌っているところに大きな特色があります。

 ウェールズに住むポール・ポッツは幼いころから、聖歌隊に入って歌っていたが、夢は得意な歌でオペラ歌手になることでした。しかし、いじめられっ子で、自分の容姿に自信が持てず友人も恋人も出来ぬまま冴えない携帯販売員として生活していました。そんな彼にはオペラ歌手になるという誰にも言えない夢があありました。もちろんポール自身の努力もありますが、誰よりもポールの可能性を信じ支え続けたガールフレンドから妻になったジュルズの献身的な愛が素晴らしいものです。

 ポール・ポッツは、ジュルズに背中を押されて夢を叶えるためヴェネツィアに留学しましたが、憧れのパヴァロッティに自信のなさを指摘され、「君は一生歌手になるのは無理」と酷評されてしまいます。失意の帰国後はジュルズと結婚し、アマチュア劇団の舞台に立つなど幸せを掴んだかに思われたが、その後は一転して病気や交通事故など不幸が連続し、治療のための借金も抱えてどん底に陥ってしまいます。そんな時、偶然インターネットでテレビのオーディション番組イギリスの人気オーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」で「誰も寝てはならぬ」を歌いあげて優勝し、一躍世界的歌手になったという実話がもとになっています。
 少年時代の歌声は、聖歌隊でみんなで歌う場面しか出てきませんが、大人になってからの歌は、オペラアリアを中心に。ポップスまでいろいろと聴くことができます。 

      (4) 映画『アンドレア・ボチェッリ ~奇跡のテノール』

  この映画は、世界的なテノール歌手アンドレア・ボチェッリ(Andrea Bocelli)が自らの激動の半生をつづった自伝的小説を、のマイケル・ラドフォード監督が2017年に映画化したもので、原題は、「沈黙の音楽(The Music of Silence)」。主人公の名前も、アンドレア・ボチェッリではなく、アモス・ バルディ(Amos Bardi)となっており、創作部分が入る余地を作っています。

 イタリア、トスカーナ地方のぶどう酒づくりの農家に生まれたアモスは、誕生時から、眼球障がいの弱視に悩まされながらも、同じような仲間の通う寄宿学校で明るく過ごし、歌の才能も発見されますが、12歳の時、授業中にサッカーボールが頭に当たって持病が悪化し、失明してしまいます。不自由さから周囲に当たるアモスを見かねた叔父は、アモスを音楽学校へ連れていき、その美しい歌声は高く評価され、コンテストで見事優勝を果たすが、変声期の壁で歌手の道をあきらめ、親友とともに弁護士を目ざして、飲み屋のピアノの弾き語り歌手のアルバイトをしながら、法学を学びますが、多くの有名オペラ歌手を育てたスペイン人のマエストロとの出会いが、アモスの人生を一変させ、ついには世界的な声楽家へと大成させます。

 作中のアモスの歌唱シーンは全てボチェッリ本人が吹き替えを担当しますが、少年時代のアモス役はジャコッポ・レッバ(Jacopo Iebba)が演じ、歌声は、残念ながらボーイ・ソプラノではなくベアトリス・コルテッラ(Beatrice Cortella)という少女が吹き替えています。これは、映画『ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声』の主人公と同じです。

 この映画では、アモスの人との出会いによる転機がよく描かれています。① 学校で音楽の先生に求められてイタリア第二の国歌とも呼ばれる「行けわが想いよ黄金の翼に乗って」(歌劇「ナブッコ」より)の独唱をさせられるとき、② ジョバンニ叔父さんが、アモスを歌唱コンテストに誘い、優勝した成功体験を持ったとき ③ 夢を諦め、両親を安心させるために入学した法律学校で出会った親友の青年の励ましのことば。④ ナイトクラブでのエレナとの出会い ⑤ ピアノ調律士の青年から生涯の師とも言えるマエストロを紹介されたこと。


   Ⅴ 背景に少年合唱が流れる場面のある映画

   
(1) 映画『舞踏会の手帳』



   
(2) 映画『我が道を往く』



     (3) 映画『悲しみの天使(寄宿舎)』

    『悲恋』や『ノートルダム・ド・パリ』などフランス文芸映画の名手として知られるジャン・ドラノワ監督が、老境に入ってから、寄宿舎生活を送る思春期の少年たちの愛にも似た友情を描いた1963年の作品。原題のLes Amitiés particulièresとは「特別な友情」の意味で、1970年に日本で最初に公開された時の邦題は『悲しみの天使』。20年後リバイバル上映されたときは『寄宿舎』と改題されました。このときに、『悲しみの天使』の主題曲であった「哀愁のアダージョ ( Adagio Cardinal ギター  ミッシェル・ディントリッチ)が消えていたということが話題になりましたが、これは、日本に輸出するときにサウンドトラックとして加えられたもののようです。
 1925年パリ郊外のフランスのミッション・スクールに候爵家の一人息子ジョルジュが入学してきましたが、規律の厳しい寄宿舎は彼にとって心を温めるものがない淋しい世界でした。入学してまもなく、彼は美しい下級生アレクサンドルのに心惹かれますが、それは、許されないことでした。この映画では二人の禁じられた友情が詩情豊かに描かれますが、そこが最大の見所でもあります。やがて、彼らの秘密の関係は神父の知るところとなり、神父はジョルジュに別れるように諭しますが、それはアレクサンドルの汽車からの飛び降り自殺という悲劇を引き起こしてしまいます。二人の少年の育ち、あるいは気質の違いに魅力を感じたことが出会いにもつながれば、悲劇の大きな要因にもなったと考えられます。ミッションスクールを舞台とした作品ですから、全編通奏低音のように、ミサの場面だけでなくいろいろな場面で少年合唱が流れています。特に温室での密会の場面と、アレクサンドルの葬儀の場面は印象的です。
  この映画に影響されて漫画家 萩尾望都が名作「トーマの心臓」を描いたことは、よく知られています。また、竹宮恵子と増山法恵は、LP「ガラスの迷路」で、この映画の影響を受けたと思える「会話」を作っています。とにかくこの映画ではアレクサンドル役のディディエ・オードバンの可憐で情熱的な美しさが際立っています。なお、ディディエ・オードバンは、少年俳優を経て映画監督になっていますが、この映画は、1年前でも1年後でも創ることはできなかったのではないかと感じると同時に、その後の青年期のラブシーンを伴う映画でも、昔の面影を見ることは難しいです。


映画『悲しみの天使(寄宿舎)』 https://my.mail.ru/bk/simonov.2115/video/_myvideo/462.html

   
(4) 映画『コックと泥棒、その妻と愛人』



   
(5) 映画『ホーム アローン』



   
(6) 映画『ハンニバル』



   
(7) 映画『ロード・オブ・ザ・リング』



   
Ⅵ その他の映画
  
     (1) 映画『アーモンド(原題「Byeonseong-gi(変異)』

 『アーモンド」(原題「Byeonseong-gi(変異)』は、韓国の作品であって、日本未公開の短編映画なので、英語字幕版を観ました。英語の字幕をたよりにして内容を理解し、韓国語は部分的に知っている単語があるというレベルでした。上演時間がわずか15分だから仕方がないとは思いますが、主演の少年(Daewoong Jang チャン・デウン)は、変声期によって彼の声が思うように出なくなり始めた後、彼の学校合唱団でソリストから降格という直面します。しかし、元どれほど素晴らしいボーイ・ソプラノであったかが描かれておらず、スマホで過去の自分が歌う映像を見ていたり、ソリストをしていた時の蝶ネクタイの小さくなった服から身体が成長したことを想像するしかないのは、演出が消極的で残念です。一方、映像としては、同じ合唱部員の女の子との関係の比率が高く、女の子とのかかわりも含め、「性」が前面に出すぎです。そのため、音楽映画としては中途半端なところもあります。そんなことを描く時間があったら、変声前のソリストとして歌っている映像を挿入すべきだと思います。なお、思春期を描いた映画は数多いですが、洗面所で生えかけた毛を剃る場面など、発毛を恥ずかしがっていることを描いた作品は珍しいです。直後に宿泊行事があるわけではないのですが、これは、一種の「赤ちゃん返り」の行動かもしれません。ただ、それを発見した父親が子どもの心をよく理解できる親として描かれています。変声期は、ある日突然というよりも、予兆があってという方が、真実味があります。Daewoong Jang(チャン・デウン)が見た感じのんびりそうな表情であまり繊細そうでないのですが、「変声期」とテーマにした映画がほとんどないので惜しまれます。なお、喉に、アーモンドを貼るという行為は、「アダムのリンゴ」の変形で、変声期を象徴しています。なお、合唱の指導者の先生の歌声(テノール)は、たいへん美しいです。

      (2) 映画『リトルプリンス 星の王子様と私』

   『リトルプリンス 星の王子さまと私』(原題:The Little Prince、フランス語:Le Petit Prince)は、2015年にフランスで製作されたアニメーション映画です。

  あらすじは、名門校の入学試験に合格するために、母親から厳しいスケジュールの勉強漬けの毎日を送っていた9歳の女の子は、引っ越しして隣に住んでいる老飛行士と出会います。女の子は、老飛行士が若いころ、砂漠で不時着した時に出会ったという『星の王子さま』の物語を聞かされます。しかし、母親は女の子がその物語に夢中になって飛行士と仲良くなることを快く思わず、叱りつけます。彼女は物語の続きを聞くために、こっそりと飛行士に会いに行っていましたが、物語の悲しい結末を知ってしまい困惑してしまいます。夏の終わりが近付いたある日、飛行士は病気にかかり入院してしまいますが、女の子はその夜、王子さまに会いに行こうと決心します。女の子が行った世界で、星の王子様が大人になって働いていることは、現実だったのでしょうか?それとも空想だったのでしょうか?

  この映画は、『星の王子さま』ではありません。『星の王子さま』を下敷きとした全く別の女の子が感じた事を表現した作品です。この作品は、前半と後半に分かれます。前半では、周囲から変人扱いされているお爺さんの人間的な優しさや夢を追う無邪気さに触れた女の子の心の変化、お爺さんに教えてもらった物語を読む事によって起きる女の子の心の変化が描かれています。後半では、女の子が物語の中に入り込んでしまい現実なのか女の子の妄想の中なのか、小さい頃の未熟だった心の世界を思い出させてくれるような演出がされており、その辺りは、この映画の鑑賞者が想像してくださいという作りになっているため、『星の王子さま』ファンの人は、マニアになるほど、原作を壊しているように感じるかもしれませんが、別の作品と思えば、人生や人と人の関わりについて考えさせてくれます。ただ、冒頭に出てきた「大切なものは目には見えない」というテーマは、はっきり見えてきませんでした。

  星の王子さま役の吹き替えをした池田優斗は、むしろ、声の技巧を使わず、むしろ素朴な感じの王子さまを演じていました。女の子役の鈴木梨央は、かなり達者な声の演技をしていましたし、飛行士役の津川雅彦は、人生を重みを感じるいい味を出していました。

      (3) 映画『あの夏のルカ』

  このコーナーは、本来、ボーイ・ソプラノの独唱あるいは合唱が描かれた映画を採り上げていますが、海外のアニメ映画において、歌はなくても主演の声優がボーイ・ソプラノという映画もそれに準じるものとして採り上げていきたいと考えます。

 映画『あの夏のルカ』をより深く鑑賞するためには、北イタリアに言い伝えられる想像上の生き物の“シー・モンスター”とは何かを知っておく必要があります。もちろん、映画を見ながら“シー・モンスター”とは何かを少しずつ理解するということもできますが、事前にある程度知ってから鑑賞する方が、速く理解できるし、それによって、この作品から得られる感動は決して損なわれないと思います。“シー・モンスター”とは、「人間と同じ心をもっている古代の魚類のような生き物」「水が乾くと人間の姿に変わり、水に濡れるともとの姿になる生き物」です。また、この映画の舞台となっている北イタリアの港町ポルトロッソの住民たちと“シー・モンスター”たちは、歴史的に言い伝えによってお互いを恐れており、決して交わることはなかったということを押さえておくとよいでしょう。
https://twitter.com/i/status/1417318343514542080
  
 シー・モンスターの少年ルカは、内向的で気の弱い性格ですが、海底に沈んでいる人間の道具に興味を持ち、人間の世界への好奇心を募らせてます。ある夏の日、人間の世界を知っているやんちゃで怖いもの知らずのシー・モンスターのアルベルトと出会ったルカは、親の心配やシー・モンスターの掟(「海の世界を離れてはいけない」「人間に見られてはいけない」「水に濡れてはいけない」)を破って、「ベスパ」というスクーターのような乗り物欲しさに彼と共に陸に足を踏み入れていきます。身体が乾くと人間の姿になるという性質を持つ彼らは、少しでも水に濡れると元の姿になってしまうため、この秘密を人間に知られる恐怖心を抱きながらも、ポルトロッソでは年に1度、トライアスロン+パスタ食いの催し物があり、優勝者には多額の賞金が贈られるというので、2人はその賞金でベスパを購入することを決意します。ところが、毎年そのレースを連覇しているエルコレを中心とする非行グループに目をつけられてしまいます。そこを、ジュリアという少女に助けられ、3人は協力してレースで優勝することをめざします。一方、姿を消したルカを心配した両親は、人間の姿になって彼を探し始めます。この映画の肝は、二人は人間にバレないように、シー・モンスターであることを必死に隠していたのに、アルベルトが自分の正体を明かしたとき、ルカはアルベルトを裏切って自分は人間であると嘘をつきます。このような心の葛藤が、この映画を深いものにしています。そんな中迎えたレース当日、不運にも途中で雨が降り始め、シー・モンスターの姿に戻って、正体がばれてしまった二人。しかし、いろんな偶然が重なってルカたちはレースで優勝を果たし、その一連の姿を見た住民たちは、シー・モンスターに対する偏見をなくしていきます。
 やがて、夏も終わり、ジュリアがジェノヴァに戻る日がやって来ますが、アルベルトはレースの賞金で購入したベスパを売り払ってそのお金でルカがジェノヴァに行くための切符に変えていました。アルベルトや両親と別れたルカは、ジュリアと共に汽車で学校へと旅立っていきました。アルベルトが汽車を追いかける場面は、日本映画『少年時代』のラストシーンを連想させますが、日本版エンディングソングには、ヨルシカのボーカルsuisが歌う「少年時代」が入っていて、この二つは、対応していると感じました。

  この映画は、人間とシー・モンスターという異質な者同士が、いかにしてお互いを認め合い受容できるかという今日的なテーマが描かれていると同時に、同じシー・モンスターのルカとアルベルトの性格の違いがもたらすものが、この映画の面白さの中核になっています。ルカ役の阿部カノンは、明るくて透明度のある声を生かして役作りをしており、アルベルト役の池田優斗は、変声後安定した声で活力のある青年役を演じていました。この世代の2~3歳の年齢差は、人間の心の成長においても差の大きい時期だけに、それを声で表現することが聴きどころでもあります。また、エルコレ役は、ベテランの浪川大輔が、ちょい悪、いや、かなり悪の雰囲気を出しています。また、BRには、英語版も入っており、ルカとアルベルトは、声が美しいだけでなく非常に芸達者な少年(ジェイコブ・トレンブレイ)・青年俳優(ジャック・ディラン・グレイザー)がこの役を演じていました。

      4 日本映画におけるボーイ・ソプラノ独唱や斉唱・合唱

   本映画には『独立少年合唱団』が登場するごく最近まで、ボーイ・ソプラノの独唱や児童・生徒による合唱を前面に採り上げた映画はあまりなかったといってよいでしょう。歴史をさかのぼって挙げると、昭和18(1943)年に制作された『無法松の一生』の学芸会の場面で、澤村アキヲ(後の長門裕之)の「青葉の笛」が歌われましたが、GHQの検閲によりカットされ、今では入手することもできない状況です。同作品の稲垣浩監督は、昭和33(1958)年にリメイクして、そこでは「青葉の笛」が歌われていますが、歌っている子役は、笠原健司です。ただ、戦前の小学校における学芸会は、学校の規模にもよりましょうが、現在の学芸的行事と違って、学級や学年の斉唱ではなく、唱歌の優れている代表児による独唱が中心でした。学芸会の独唱については、その後声楽家になった芦野宏や五十嵐喜芳の自伝の中でも描かれています。終戦直後の昭和21(1946)年に公開された映画『僕の父さん』で、紅白歌合戦の前身でもある紅白歌試合にも出場した加賀美一郎が、古川緑波(主演)六太郎の子供一郎役で出演して歌っています。なお、この映画は、あらすじはわかっていいますが、映像が残っているかどうかさえ不明です。加賀美一郎は、昭和20(1945)年12月31日『NHK紅白歌合戦』の前身番組『紅白音楽試合』にも出演して「ペチカ」を歌っており、当時の歌が好きな子どもたちの憧れの的だったようです。その後も、少年の独唱としては、昭和39(1964)年制作 石原裕次郎主演の『敗れざるもの』で病魔と闘う少年 小倉一郎の「星の世界(原曲は讃美歌「いつくしみ深き」)が、昭和59(1984)年制作の『男はつらいよ 寅次郎真実一路』で、大原麗子の息子「隆役」の芦田友秀が「里の秋」を独唱するのが挙げられます。平成23(2011)年に公開された『エクレール・お菓子放浪記』では、ミュージカル子役でもあった吉井一肇の「お菓子と娘」を聴くことができます。なお、『いつか来た道』(昭和34(1959)年公開)は、ウィーン少年合唱団の2度目の来日に合わせて作られた映画で、「この道」が主題歌です。山梨県を舞台として、和波孝禧演じる全盲の少年ヴァイオリニストとウィーン少年合唱団の交流を描いた作品になっています。

 昭和29(1954)年以後何度か映画化された壷井栄の小説が原作の『二十四の瞳』は、昭和初年の小学校が描かれていますが、卒業式では、「仰げば尊し」が、主題歌として斉唱で歌われます。その他にも数多くの童謡・唱歌が使われています。昭和55(1980)年五公開された映画『二百三高地』で、日露戦争に出征するあおい輝彦が担任をする学級で歌われる「故郷の空(原曲はスコットランド民謡の「麦畑」)は、明治時代のことでもあり、男女組で斉唱です。第二次世界大戦末期の疎開を描いた『少年時代』(1991)では、男組の子どもたちによる下校中の歌を聴くことができますが、それは地声による斉唱の軍歌や「ツーレロ節」などです。ところが、昭和60(1985)年に公開されたビートたけし主演の『哀しい気分でジョーク』で息子役の川辺太一朗が指揮して歌う「グリーン・グリーン」になると、学級児童による少年少女合唱です。そのような意味で、日本においては、第二次世界大戦以前の学校文化においては、独唱と斉唱が主流であり、合唱は第二次世界大戦後になって広まってきた音楽文化ということもできましょう。アメリカのフォークソング「グリーン・グリーン」が、鎌倉市立大船第二小学校(エンドクレジットで表記)と見られる参観日の合唱シーン他、劇中、何度も歌われます。映画の内容も、むしろ「グリーン・グリーン」の日本語詞をヒントに創作したものと考えられます。昭和20~40年代は歌謡曲の黄金時代で、日本映画では、ある曲が流行すれば、その歌の題名をもとにして映画を作る傾向がありましたが、『黒ネコのタンゴ』でブレイクした童謡歌手・皆川おさむがいくつかの映画に出演して歌ったり、フィンガー5が爆発的に流行すると、『フィンガー5の大冒険』が作られました。

 ところが、一般の目に触れることの少ない教育映画という領域では、ウィーン少年合唱団が初来日した直後の昭和31(1956)年、東映制作の『少年合唱隊』という映画が作られています。また、この中の合唱は(「東京少年少女合唱隊」になる以前の)「東京少年合唱隊」と「東京少女合唱隊」によるものです。SPにまで録音された彼等のすばらしい歌声は、日本の少年合唱の原点とも言えます。頭声発声普及にも貢献した映画ではないかと考えられます。それから12年後、高度経済成長まっただ中の昭和43(1968)年、グランプリ賞を獲得した教育映画『山の子の歌』が作られます。この映画は、東京の小学校から山の分校へ転校してきた歌の得意な少年と山の少年たちのの友情が歌を通じて生まれる物語ですが、単に合唱の意味とすばらしさを訴るだけでなく、高度成長の影で置き去りにされがちな山村問題、労働の都市集中、過疎等日本社会の基礎的課題に目を開かせようとする社会派の映画にもなっています。この映画では、多くの転校を扱った映画と同様に、主人公の少年がカルチャーショックでなかなかなじめず、東京の少年合唱団に入っていて得意だったボーイ・ソプラノも女みたいな声だとからかわれそうになる姿が描かれています。幸いそれが本格的な発声だという教師の指導によって、山の子たちも認識を改めますが、このあたりがどろどろしたところをカットした「教育映画」と感じさせます。なお、この映画では西六郷少年(少女)合唱団が登場して、歌声を披露しています。これらの映画は、おそらく、映画館ではなく、学校や公民館等で上映された映画だったのではないでしょうか。

 その後、平成になって、平成16(2000)年に、ボーイ・ソプラノを主題にし、TOKYO FM少年合唱団やフレーベル少年合唱団のOBが生徒役で出演した『独立少年合唱団』や、バックミュージックとして、TOKYO FM少年合唱団によるヘンデルの「メサイア」から「ハレルヤ」を活用した『バーバー吉野』(平成20 2004)が公開されました。平成24(2012)年に公開された『北のカナリアたち』は、北海道の離島の小学校を舞台にして合唱を扱った映画です。さらに、平成27(2015)年に公開された『くちびるに歌を』は、アンジェラ・アキの「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」をモチーフに生まれた中田永一の小説を、新垣結衣の主演で映画化し、長崎県の離島にある中五島中学校の合唱部を描いたものです。令和6(2024)年に公開された『カラオケ行こ!』は、大阪市の中学校の合唱部(実際に歌ったのは府中市立府中第四中学校合唱部)が描かれています。このように探せば、日本映画でも、間歇的にではありますが、合唱を描いた映画も作られてきていることがわかります。

 そのようなことから、日本映画については、歴史的な変遷を考慮して、並べ直したり、加筆しました。題名だけ書かれている作品は、今後視聴して書き加える予定です。

    (1) 映画『無法松の一生』 1943・1958

 映画『無法松の一生』は、4回映画化されていますが、ここでは稲垣浩監督の昭和18(1943)年に公開された作品と、昭和33(1958)年に公開された作品の中にある唱歌「青葉の笛」を中心に述べます。
 この作品は、岩下俊作の小説『富島松五郎伝』の映画化作品で、北九州・小倉を舞台に、喧嘩っ早い人力車夫・松五郎の生涯を描いています。従って、この映画の批評をするならば、主人公である松五郎の活躍する場面(例えば、運動会の徒競走や祇園太鼓の「暴れ打ち」の場面)や、松五郎が吉岡親子に献身的に接する姿や吉岡家からもらった祝儀に手も付けず行李の中には貯金までしていたことについて述べるべきではありますが、そのようなことは、映画通の方ならどなたでもご存じの名場面であり、あえて省略します。
 さて、前者は、主人公の松五郎を演じた阪東妻三郎の代表作でもありますが、無法者が主人公であることが問題となり、賭博場面、松五郎が大尉夫人に密かな愛情を告白するシーンなどが内務省の検閲で削除され、戦後は、GHQによって、日露戦争大勝祝賀の提灯行列の箇所、吉岡敏雄役の澤村アキヲ(後の長門裕之)が学芸会で唱歌「青葉の笛」を歌う箇所、青島陥落を祝う提灯行列の時に、成長した敏雄らが軍歌(「アムール川の流血や」など)を歌う箇所が削除されました。
 「青葉の笛」(大和田建樹作詞、作曲・田村虎蔵)は、明治39(1906)年に小学校4年生の教科書に当初は、「敦盛と忠度」という題で載った唱歌で、最初はですが、1番は平敦盛の青葉の笛の逸話、2番は平忠度が都落ちする際に歌の師を訪ねる逸話を描いたもので、この歌が戦意高揚のためのものならばともかく、戦の悲しみを描いた歌とも言え、この映画を検閲したGHQには、そのような繊細な日本人の精神文化を理解できる者がいなかったのではないかと考えられます。
 このようなことがあったために、稲垣浩は、完全版を撮るために、三船敏郎主演でリメイク版を製作しましたが、そこでは、吉岡俊雄役の笠原健司が学芸会で「青葉の笛」を独唱しています。歌は、家での練習の場面から学校の講堂へと舞台が移り変わり、ボーイ・ソプラノならではの響き(この時代の小学校では頭声発声は指導されていませんが、歌声の美しさは伝わってきます。)が哀切に響き、この学芸会を参観した人たちは、きっと心を動かされただろうと感じさせます。

      (2) 映画『二十四の瞳』 1954

 『二十四の瞳』は、壺井栄の小説『二十四の瞳』を原作とし、昭和29(1954)年に公開されました。この映画は、昭和3(1928)年から昭和21(1946)年までを描いていますが、戦争に突き進む歴史のうねりに否応なく飲み込まれていく女性教師と教え子たちの苦難を通して、戦争の悲壮さを描いた作品です。また、当時の日本の経済的な貧しさが子どもの心身をむしばむ姿も描かれています。
 この映画は、映画全体を通して、当時の唱歌・童謡・わらべ歌等が歌われたり、バックミュージックとして流れています。また、いくつかの軍歌も歌われています。タイトルのバックには、「仰げば尊し」が流れ、運動場で行われた卒業式の場面でもオルガン伴奏で斉唱されているところから、この作品の主題歌と考えられます。
 その中では、歌が一番うまいと言われているマスノが修学旅行の船の上で「浜辺の歌」を歌うほかは、児童による斉唱が中心です。また、バックミュージックとしてしばしば「アニー・ローリー」が流れていて、異質に感じますが、この原曲は、スコットランド民謡で小学唱歌としては、明治時代に『小学唱歌集』に「才女」という題で、紫式部や清少納言を歌った全く別の歌詞の歌になっています。また、笠智衆演じる年配の男先生が、大石先生の代わりに音楽の授業を担当するシーンで唄う「ヒヒヒフ ミミミ イー イム イー」は、「靴が鳴る」ではないかと思います。それでは、ドレミは、この映画で大石先生が赴任した昭和3(1928)年頃まだ使われていなかったのでしょうか?
 明治13(1880)年、文部省の伊沢修二により「ヒフミ唱法」が導入されましたが、明治28(1995)年ごろ、小山作之助の提案により東京音楽学校では「ヒフミ唱法」を廃止して「ドレミ唱法」を採用し、東京音楽学校の生徒が地方の師範学校へ指導者として赴任することで、地方の小・中学校へ「ドレミ唱法」が広まっていきましたが、昭和16(1941)年4月、文部省により「イロハ音名唱法」採用が義務付けられました。この指導法は、個々の教師が師範学校等の教員養成学校でどのような指導を受けたかによるところが大きく、地域差や教師の個人差もあったと考えられます。
 そこで、この映画で採り上げられる曲を分類してみましょう。
唱歌:仰げば尊し アニー・ローリー(才女) 村の鍛冶屋 ふるさと ちょうちょう 朧月夜 春の小川 みなと 星の界 庭の千草 蛍の光
童謡:七つの子 あわて床屋 ちんちん千鳥
わらべ歌:汽車は走る ひらいたひらいた
民謡:金毘羅舟々
歌曲:荒城の月 浜辺の歌
軍歌(戦時歌謡):日本陸軍 露営の歌 暁に祈る 若鷲の歌

     (3) 映画『緑はるかに』の主題歌 1955

 約70年前昭和30(1955)年に公開された日本のミュージカル映画は、このようなものだったのかということがわかる記念碑的な映画です。まず、この時期の日本におけるカラー映画は珍しく、コニカが開発した「コニカラー」という社名をもとにした名前がついていますが、その後この方式は発展しなかったようです。

 原作の小説家 北条誠は、大人向きの作品だけでなく、再話という形で西洋の著名な児童文学を日本の子どもに伝えることに取り組んでいましたが、これは、児童向け絵物語として読売新聞に連載されていたオリジナル作品を原作とした日活映画で、当時14歳の浅丘ルリ子のデビュー作として知られています。
 あらすじは、悪人たちが極悪というより、かなりまぬけに描かれていて、怖さは欠けますが、善意の孤児の少年3人組が、ルリ子を助けて冒険するという作品です。この作品は、貝谷バレエ団が前面に立っている最後の場面はもとより、セリフにも一部歌が含まれるなどミュージカルの要素も含まれており、当時の日本のミュージカルの水準を知る上で貴重な作品です。

 主題歌は、作詞 西條八十、作曲 米山正夫の「緑はるかに」で、 唄は、河野ヨシユキと安田祥子が歌っていますが、デュエット(二重唱)というよりユニゾン(斉唱)の童謡声で、当時の子どもの歌は、このような歌い方が求められたことがわかります。なお、レコード(CD)では、河野ヨシユキが1番、安田祥子が2番、二人でユニゾンが3番であり、それぞれの歌声の個性や歌い方の違いを知ることができます。


     (4) 映画『少年合唱隊』 1956



      (5) 映画『いつか来た道』 1959

 この題名は、山田耕筰の「この道」の一節ですが、この映画ではこの曲を核にして、視覚障がいのある日本の少年ヴァイオリニストとウィーン少年合唱団の少年の交流を描いています。

 「ミス日本」の初代グランプリ受賞者にも選ばれた山本富士子演じる池田さやは、両親を失った後、まだ在学中の弟妹の世話をしながら祖父と二人で山梨県でブドウ農園を営んでいましたが、弟の稔(和波孝禧 わなみ たかよし 1945- )は幼い頃に失明しており、音楽家だった父の遺志を継ぐ形で、さやはヴァイオリンを習わせていました。さやの献身的な点字楽譜の製作や、週に一度の東京でのレッスンなどの努力の結果、稔は東京のコンクールで好成績を収めます。しかし、妹のみよは兄ばかりが大事にされる寂しさから、自分もヴァイオリンを習おうとして、父の形見のヴァイオリンに触れます。最初は怒った稔でしたが、みよの気持ちがわかって、一緒に演奏しようと申し出ます。

 その頃、稔は、以前ウィーン少年合唱団が来日したときに、その歌を聴いて感銘を受け、「この道」の楽譜を送ったことがきっかけで団員ののヨハン少年と文通をしていました。ところが、再会を心待ちにしていた稔は、突然高熱を発して、急性白血病と診断され、余命幾ばくもないことが判明します。さやは何としても稔に再び合唱団の歌声を聞かせてやりたいと、甲府市での公演予定を早めることを思い立ち、放送局、合唱団、旅行代理店などに働きかけて、甲府市での公演の前倒しが実現し、合唱団は公演前に病床の稔を見舞って「この道」を合唱し、稔は自分でこの曲を演奏したかったと語りますが、合唱団が去った後、稔は亡くなります。翌日の甲府公演で、合唱団は稔が編曲した「この道」をみよの伴奏で歌うことをさやに申し出ました。

  和波の自伝的エッセイの本(「音楽からの贈り物」新潮社)には、この映画についても書かれています。最初の脚本では「後からヴァイオリンを始めた目の見える妹がぐんぐん腕前を上げ、そのことで悲観した兄は、ある日雨の山道をさまよい、それがもとで重い病に倒れる。駆け付けたペンフレンドと感激の対面をした後、少年は寂しく息を引き取る。」というもので、これに和波の母親がクレームをつけ、内容が変更されたということです。

 この映画は、ウィーン少年合唱団の2回目の来日に合わせて創られた作品です。ストーリーからしても、いかにも作られた部分を感じますが、ウィーン少年合唱団が当時日本でどのように受け容れられていたかを知る映画とも言えます。なお、出演したウィーン少年合唱団のメンバーに、のちにオーストリアの副首相になったノルベルト・シュティガーもいます。

       (6) 映画『敗れざるもの』 1964




       (7) 映画『フィンガー5の大冒険』 1974

 映画『フィンガー5の大冒険』は、昭和49(1974)年7月25日の東映系公開の「東映まんがまつり」内で上映された30分ほどのアイドル短編映画です。「東映まんがまつり」は、1963年以降現在まで、子ども向け映画を数本まとめて春休み、夏休み、冬休みの時期にあわせて劇場公開していますが、アイドル映画が上映されるのは、これが初めてでした。そのため、この時の「東映まんがまつり」の正式タイトルは、「フィンガー5と遊ぼう! 東映まんがまつり」と、史上唯一の歌手名が入ったタイトルになりました。フィンガー5の忙しい合間をぬうようにして作られた30分映画です。
 
 ストーリーは、晃が妙子を呼んで、紅白の花を見せて喜んでいると、白い花から美少女が現れました。彼女は花の精だと言います。ところが、その後帰ろうとする2人の前に、「全ガキ連」という非行系の5兄弟が現れ、「お前達と比べられて不満だ」と脅します。場面は、険悪な雰囲気となりますが、花の精の取りなしでバスケットボールで決着を付ける事となりました。しかしフィンガー5は多忙な上にバスケットは全くの素人。しかし花の精が変身した女学生にコーチを受け、なんとか出来る様となりました。そして、試合は全ガキ連の猛攻で、フィンガー5は最初から押されっぱなし。たまりかねた花の精は祈りを捧げると、フィンガー5に超能力が生まれ、次々と猛反撃、そしてフィンガー5の大逆転勝利となりました。全ガキ連は改心して謝罪、そしてフィンガー5と全ガキ連、そしてレフリー役の岸と共に、新たにアメリカンフットボールチームを結成する事になりました。という他愛のないものです。

 挿入歌としては、「恋のダイヤル6700」「バラの少女」「個人授業」「学園天国」「恋のアメリカン・フットボール」が使われ、フィンガー5の代表曲は、ほぼ聴くことができます。ただ、この映画を名作と呼ぶには、あまりにも作りが手抜き過ぎて、バスケットボールの試合の観客は、コロナ禍でもないのに、司会者と解説者だけの無観客。当時ならたくさんいたと思われるファンをエキストラで使うことはできなかったのかと思います。当時の日本映画は、ある流行歌がヒットするとそれをもとにして、それを挿入歌とするような映画が作られるような時代でしたから、このような映画もできたのだと考えられます。この映画は、復刻!東映まんがまつり 1974年夏 として、DVD化されています。


        (8)映画『宇宙怪獣ガメラ』 1980



       (9) 映画『二百三高地』 1980



   (10)  映画『誘拐報道』の主題歌「風が息をしている」 1982

 息をしていることは生きていることの証です。映画『誘拐報道』(1982) の主題歌「風が息をしている」は、一度耳にすると忘れることのできない曲です。この歌がある故に、この映画のDVDを購入しました。この主題歌の魅力は、谷川俊太郎の詩の深さ故でもあり、菊池俊輔の美しいメロディ故でもあり、林牧人の清冽なボーイ・ソプラノの歌声の故でもあります。この映画の主題は、何でしょう。この映画は、本来悪人ではない人間が借金地獄に陥り、ついには娘の同級生を身代金誘拐という犯罪を犯し、結果として被害者の一家だけでなく自らの家族をも不幸のどん底に落とし込んでしまった宝塚市学童誘拐事件をもとにして描かれています。
 主題歌は、この映画の主題を歌にしたものです。また、この詩の原型は谷川俊太郎の「息」という詩に見られます。この映画の主題は、生きることの相反する矛盾ではないでしょうか。この詩の中で息をしているのは、風であり、星であり、人であります。風や星の場合、それは擬人的な表現ですが、確かにそう感じさせるものがあります。「生きているすべての命 せめぎあい もとめあい」という繰り返される言葉たちは、一人の人間の中で相反する矛盾した心を描いています。この歌は、その中でも特に、苦しみや悲しみといった心の動きを描いていますが、そのような心のひだに触れる林牧人の歌唱は、この1曲だけでも日本のボーイ・ソプラノの歴史に消えない1ページを残したと言えるでしょう。


      (11) 敵味方を超えて人生の背景が描かれた映画『戦場のメリークリスマス』 1983

 映画『戦場のメリークリスマス』は、戦闘シーンのない戦争映画であると同時に、デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし、内田裕也といった本業が俳優ではない人たちが演じる戦争映画という点でも特筆されます。1942年のジャワ島の俘虜収容所を舞台に、デヴィッド・ボウイ演じる俘虜ジャック・セリアズ少佐とセリアズ少佐に惹かれる坂本龍一演じるヨノイ大尉の関係、トム・コンティ演じる俘虜ロレンスとビートたけし演じる粗暴なハラ軍曹が奇妙な友情で結ばれることなどを、東洋と西洋の文化を融合させながら描いています。坂本によるテーマ曲「Merry Christmas Mr.Lawrence」は、英国アカデミー賞の作曲賞を受賞し、その後も、何度かテレビ放映されています。戦争においては、個人としては全く恨みや憎しみをもたない人間同士が戦わねばならない宿命を持っています。この俘虜収容所で敵味方として出会った軍人・軍属も、志願して軍人の道を選んだのか、徴兵によって戦地に送られたのかは別としても、個人的には恩もなければ恨みもありません。
 俘虜収容所の中で、俘虜たちが、身の上話を始めますが、セリアズは過去のトラウマを話し始めます。セリアズには美しい声で歌を歌う弟がおり、彼はいつも弟のことを気にかけていました。弟は背中にこぶがあるという障がいを持っていました。パブリックスクールで寮長であり、スクールカースト上位で充実した生活を送っていたセリアズでしたが、弟が同じ学校に入学して、その障がいのためいじめに遭いますが、セリアズは自らの保身のため弟を見殺しにしてしまいます。それ以来弟は歌を歌うことをやめてしまったことから、セリアズは、自分の身の振り方を悔やんでおり、弟への償いの意味も込めて死に場所を探し、この戦争に志願しました。
 この映画では、セリアズの弟がボーイ・ソプラノで歌う曲“Ride, Ride, Ride”が、戦争やいじめとは対極となる聖なる世界を表現しています。“Ride, Ride, Ride”は、ジェイムズ・マルコム演じるセリアズの弟が自分で作った歌として、セリアズが弟について回想するシーンや死にゆくセリアズが弟の幻想を見るシーンで使われています。ジェイムズ・マルコムはニュージーランドのボーイ・ソプラノで6歳から歌のトレーニングを始め、合唱団にも所属し、ニュージーランドでプロのボーイ・ソプラノとして活躍し、成長してからも音楽の道に進み、“Bleed for a reason”というアルバムも発売したようです。
 (11)映画『戦場のメリークリスマス』1983 

      (12) 映画『男はつらいよ 寅次郎真実一路』 1984

 映画『男はつらいよ』シリーズは、山田洋二監督・渥美清主演のテキ屋稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、全国各地を回りつつ、ふらっと故郷の柴又に戻ってきては、騒動を起こす人情喜劇シリーズで、毎回旅先で出会った「マドンナ」に惚れつつも失恋するか身を引くかして、成就しないというお決まりのストーリーで構成されています。「マドンナ」に惚れつつも身を引く姿は、映画『無法松の一生』の松五郎が、故吉岡大尉夫人に想いを寄せながらも身を引く姿がその原型になっているのではないかと考えます。また、寅さんの名前の車寅次郎は、人力車夫であった富島松五郎から取られたのではないかというオマージュを感じます。

 さて、その第34作『寅次郎真実一路』では、マドンナ役のふじ子役(大原麗子)の夫 富永健吉(米倉斉加年)は、飲み屋で知りあった企業戦士のエリートサラリーマンで、毎日の激務に、心身を病んで、行方不明に。寅さんは、奥さんとその息子のために捜索を手伝います。文化の日に母子を慰めるため、寅さんが母子を柴又の団子屋に招待し、皆で食事をしたあと、歌を知っているということで、中学生の満男(吉岡秀隆)と小学生の息子隆(芦田友秀)が立ち上がって「里の秋」を一緒に歌おうとします。学校でも音楽が得意という隆の甲高いボーイ・ソプラノ(頭声発声)の歌声に、変声期に入っていた満男は歌声がついて行けず、ほぼ隆の独唱になるのですが、なぜ、ここで「里の秋」が歌われたのでしょうか。「里の秋」は、川田明子によって歌われた終戦後の「復員だより」のテーマソングでした。外地(おそらく南洋の島)の戦場から父の帰りを待つ母子の気持ちに、企業戦士として異常な働き方を強いられる父の帰りを待つ母子の気持ちを重ねたと言えるのではないでしょうか。 

   なお、満男の小学校入学は昭和51(1976)年ですが、どういうわけか、中学校入学は昭和59(1984)年で、小学校を8年かかって卒業していることになりますが、このシリーズのファンは、そういうことも研究の対象にしています。

   (13) 映画『哀しい気分でジョーク』 1985



   (14) 映画『少年時代』 1990



     (15)映画『独立少年合唱団』 2000

 日本の映画で正面からボーイ・ソプラノを取り上げた映画といったら、西暦2000年という記念すべき年に公開された『独立少年合唱団』こそがこの時点では唯一の作品と言えるでしょう。この作品は、日本公開を前に、2000年第50回ベルリン国際映画祭「アルフレート バウアー賞」を受賞したということで、映画通の間では早くから注目されていました。そこで、この映画についての感想を時間を追って述べていきましょう。

 ① 映画を見る前に

 春先より新聞等で話題になってきた「独立少年合唱団」いよいよ近日公開です。検索機能使ってみたら、けっこういろんなHPが取り上げているようで、この映画だけをかなり詳しく取り上げたものもあるようです。また、試写会を通して熱狂的なファンも生まれているようです。既にサウンドトラック盤も出ているようなので早速購入しました。ロシア民謡を中心とする合唱の部分では、独特の青臭い変声直後の歌声に混じって、ボーイ・ソプラノらしき声も聞こえます。ちょっと艶っぽい声ですが。(後で、カウンターテナーの横田裕一の吹替えとわかりました。)また、池辺晋一郎の音楽は、『少年時代』でもみられたようなナイーブな繊細さとはじけるような動きが魅力的です。実際の映像とどう対応しているのか興味深いところです。おそらく、最も胸をうつであろう美しいボーイ・ソプラノを失った少年が「ぼくの声になって」というメモを渡す場面、どのように描かれているのか、期待が高まります。小説も発売されましたが、映画で描かれていないところまで書かれています。

  ② 冒頭の言葉


  『独立少年合唱団』大阪では11月11日(土)からロードショー公開だったので、早速行ってきました。この映画は盛りだくさんな内容なのでいろんな切り口からアプローチできそうです。 本、シナリオ、サントラで事前学習して行きましたが、やはり、映像を見ないとわからないこともあります。冒頭における道夫の父の死の直前の言葉が、映画全体を貫いています。
 そして、それはラストの場面で甦ってきます。康夫の死とそれに続く「ポーリュシュカ・ポーレ」の合唱。そこで、康夫はもとの優しいまなざしで美しいボーイ・ソプラノを聴かせてくれます。
「おい、あれ、なんだっけ、あのコンサートは。」   

   ③ 少年達の家庭環境

 少年達の家庭環境、変声期、友情・・・この映画の切り口はいくつもあります。そこで、数回に分けていろんな切り口からこの映画の魅力を語っていきます。

 まず第1弾は、少年達の家庭環境。道夫がこの独立学院に入った理由が父の死がきっかけであるように、全寮制の中学に入る少年たちは家族の愛に恵まれていないことが多いため、人一倍人の愛を求める気持ちが強いと思います。それが、行動としては反対に出ることも多いのでしょう。それは、坂田君の言動に典型的に見られます。坂田君の意地悪な言動の背景には、人の愛を求める気持ちがあります。少年たちが次々と禁止されている丸池に入る行動の背景には、お母さんに逢えるかもしれないという儚い夢があります。道夫は幼いときに母を失い、さらに父を失ったのですから、転入学以来、何かにつけて、自分をかばってくれる康夫に対して肉親の情に近い感情を持っていたと思います。

  ④ 繰り返し出てくるもの

 繰り返し出てくるものには、深い意味があります。
折れ線グラフ、耳たぶを触る行為、軽トラックの試運転、単調な気象予報、康夫の自己紹介の言葉、教科書の代読・・・
みんな重い意味をもっているように思います。
 そして、一番多くくり返されるのが橋の場面。あの橋は何を象徴していたのか考えてみました。現実社会と隔離された学校をつなぐもの、それとも心の掛け橋、それとも二つの死をつなぐもの、どれもそうであり、どれもそうでないような気がします。某雑誌には、制作者による現実社会と隔離された学校をつなぐものという説が載っていましたが、それ以外の解釈があってよいと思います。文章でも、映像でも、発せられたときから、一人歩きを始めます。 「康夫の自己紹介の言葉」は、2回出てきます。道夫が寮を逃げ出そうとする時と、死の直前。
「・・・ねえ、忘れないでね。」
その一言が、道夫を引き留めます。
運命共同体としての言葉が、道夫の気持ちを変えます。いや、康夫もかつて道夫と同じように脱走をはかったのではないか・・・そんな連想さえしてしまいます。その熱い想いが二人を結びつけます。でも、最後の自己紹介は、康夫をこの世から引き留めることはできませんでした。
 そして、教科書の代読こそ、二人の友情の象徴。お互いが一番辛いとき、それを代わって行うという行為こそ、最高の友情の姿。それは、ある部分では控えめな恋愛に近い感情かもしれませんが・・・「走れメロス」がそれを具現化していました。

   ⑤ 愛のまなざし


  歌舞伎でもオペラでも長年生き残っているものには、たとえストーリーがわかっていても、そこを役者がどう演じるかということが大きな興味となって繰り返し見てもいっこうに飽きさせないものがあります。「独立少年合唱団」もまた、そのようなストーリーがわかっていても、役者の細かい表情の変化を見たりする楽しみがあると言う点で共通性があります。知らず知らずのうちに登場人物に感情移入してしまうという点でも、怖さすら感じる映画です。一度見ただけでは、見落としていたことでも、繰り返し見ているうちに発見したこともあります。
 最初見たとき、夏休み以後、康夫が憎しみに満ちたきついまなざしになることばかりが心に残っていましたが、道夫が代わりに本を読む場面では、愛のまなざしに戻っているのでほっとしました。たくさんある歌のうち「兄弟仁義」を道夫に歌わせたのも、あの歌詞が康夫と道夫の友情を暗示しているということなのでしょうかね。まさに、男心に男が惚れての世界です。
 繰り返し見ているうち、「愛のまなざし」は、康夫の本質だと思うようになりました。康夫は、親をはじめ人に裏切られることがあっても、人を本気で憎んだりしたとは思えません。左翼思想は所詮借り物。あの「造反有理」の文字の何と幼いこと。一人の人間として里美を助けたかったという正義感が思想と行動の原点。私はこの時代のことを知っています。里美と思想は180度逆ですが。多くの若者は本気で日本の将来を憂いていました。僕はゲバ学生に愛する日本を乗っ取られてたまるかと正義感に燃えていました。少なくとも、今楽しかったらええやんかという現代の若者の多数派の間ではびこっている風潮とは次元が違います。
 そういう意味でも、康夫役の藤間宇宙のまなざしの演技は、特筆するものです。

   ⑥ 変声期の受け止め

 夏の合同練習で、女生徒から、
「男子は変わる前が一番キレイなんでしょう。」
と言われた瞬間、康夫の視線が定まらなくなり歌えなくなるという場面も、心に残るシーンの一つです。ここまでなるというのは、よほど心に突き刺さる言葉だったのでしょう。
 変声期の受け止めについても、男と女で、また、少年時代に美しい声をもっていたかどうかによって、かなり差ができると思います。
 私の例を挙げるのはおこがましいのですが、一つの事例として挙げておきます。たいした声ではなかったのですが、歌は好きでした。ところが、中3の後半に変声期に入って、声は艶を失い1オクターブぐらいしか出ず、本当に「こんな声じゃいやだ。」と思いました。周りの人からそんな声のことを話題にされるのは恥ずかしくていやでした。そのため、高校に入学したとき、選択教科で音楽はとりませんでした。あの時期って、個人差もありますが、精神的にけっこうデリケートなんですよ。

 焼け焦げたレコードは、康夫の死への衝動を触発したと思います。そして、康夫が最後に見た走馬灯があのバーチャルコンサートだったのでしょう。康夫にとっては、ボーイ・ソプラノを失ったショックははかり知れないものです。唯一の自信と誇りであったわけですから。誰もいない風呂場で康夫が指揮をしながら歌うシーンも、この映画の中で屈指の名シーンです。「こんな声じゃいやだ。」という気持ちよくわかります。この映画は、そういう少年のデリケートな心理をよく描いています。

映画『独立少年合唱団』  
https://www.youtube.com/watch?v=4oN3nHusppQ

  (16) 映画『バーバー吉野』  2004

 
『バーバー吉野』は、この作品が劇場長編デビュー作となる女性監督 荻上直子の作品で、リアリズムの視点から批評すれば、「ありえない」矛盾したことがいくつもあるのですが、それに目をつぶれば、伝統や家族の愛をどうとらえるかといった深いテーマが隠されていました。舞台となるのは小さな田舎町。この町では不思議な二つのの伝統が百年以上受け継がれていました。一つは「山の日」という豊作を願い、山の神様のためにお供えやお祈りを捧げること。この日、町中の少年たちは聖衣を着て「ハレルヤ」を合唱することになっています。TOKYO FM 少年合唱団がかげ歌で歌っています。というより、TOKYO FM 少年合唱団の歌声に合わせて少年俳優たちが口を合わせていると言うべきでしょう。もうひとつは少年たちの「吉野刈り」と呼ばれる髪型。「マッシュルームカット」か「坊ちゃん刈り」のようなその独自の髪型は、町で唯一つの散髪屋「バーバー吉野」で伝承されてきました。この町の少年たちは、長年当然のことと疑いを抱くこともなく「吉野刈り」を守ってきたのですが、そこに東京から最近流行の茶髪の転校生がやって来ます。そして周囲にも変化が起こっていくというストーリーです。

 映画のラスト近く桜井センリ扮する散髪屋の客の老人は「“伝統”は、やがて“伝説”になる。」と、いうセリフを残しますが、果たしてそれでよいのでしょうか。ヘアスタイルの「吉野刈り」は、どうでもよいことかもしれませんが、人は流行に振り回されるだけでよいのでしょうか。日本の美しいよきものと、それを支える精神文化が次々と破壊されている今、守るべきものの価値について改めて考えねばならないと思います。

 さて、少年合唱もある意味で伝統文化の一つです。歌声だけでなく、規律・気品・協力といった精神文化に支えられてそれは成立します。歌われる曲は時代と共に変わっていってもよいでしょうが、これらの精神文化が崩壊すれば、少年合唱そのものが成立しなくなります。少年合唱団の制服にも同じようなことが言えます。もし、今流行している迷彩服や、ハーフパンツ、スニーカーソックスで舞台に現れる少年合唱団がいたら、私はその合唱団を決して応援しません。それらの服装は、規律・気品・協力という精神文化とは対極に存在します。


      (17) 映画『馬頭琴夜想曲』

 ボーイ・ソプラノのソロが聴けると言うことで見に行った映画ですが、誰にでもお勧めできる映画とは言えません。むしろ、難解な前衛映画です。メノッティのオペラ「アマールと夜の訪問者」とスペイン映画「汚れなき悪戯」を象徴劇にして、時代は昭和30年頃にして、極彩色で描いたような作品です。 
 ある雪の夜、教会の前に馬頭琴とともに赤ん坊が捨てられました。昭和20年長崎に落とされた原爆で一命をとりとめた修道院長は、その馬頭琴のかつての持ち主をよく知っていました。赤ん坊は世羽(ヨハネ)と名付けられ、教会で育てられます。生まれつき足の悪いその赤ん坊は、やがて少年になり、広大な宇宙に憧れを抱くようになり、ある晩高熱にうなされますが、神のご加護で足が治るというストーリーです。

 東京荒川少年少女合唱隊とモデルクラブのSugar&Spiceに所属する原田光のボーイ・ソプラノは、ここでは、聖歌的な歌い方をしていますが、私はあまり強い印象を受けませんでした。なお、原田光は、ミュージカル『レ・ミゼラブル』のガブローシュ役でも歌っています。
   この映画のプロデューサーの川端潤は、
「ある時、木村先生と呑んで歩いている時にボーイソプラノが使いたいと突然仰った。で、東京荒川少年少女合唱団を思いつき連絡して原田光君を紹介していただいた。かんの鋭い子だった。先生が美術としていっぱい機械を置きたい、なにせ彼は発明少年なのだからと言った。それで僕のスタジオの録音機材を並べたのだが大丈夫だったんだろうか。あと、先生がこの少年の髪型は変わった感じにしてくれとヘアーメイクに言ったら鉄腕アトムみたいになってしまった。」
といったエピソードを紹介しています。
https://www.airplanelabel.com/batokin-recollection/



      (18) 映画『誰も守ってくれない』 2009



    (19) ボーイ・ソプラノの歌が主題歌となった映画『エクレール・お菓子放浪記』 2011

 仕事が忙しくて、ホームページの更新も月1回であった平成23(2011)年、時間を見つけてみた映画が、表題の『エクレール・お菓子放浪記』で、原作は西村滋作『お菓子放浪記』で、原作者の自伝的小説とのことです。ところが、10年の年が経つうちにディテールを忘れれてしまい、DVDを購入して見直して、この一文を書きます。この映画は、第二次世界大戦をはさんで、孤児の少年・アキオが“お菓子”と出会うことで、生きる希望を見出すまでを描いたもので、日本映画には珍しく、主演の吉井一肇(はじめ)がボーイ・ソプラノで闇市ののど自慢で歌う「お菓子と娘」が、柱となっています。孤児院を飛び出し、空腹からお菓子を盗んで逃げたところ、親切な刑事の世話で感化院(非行少年や保護者のいない少年を保護,教育してその更生をはかる施設)送りになった主人公の少年・アキオが、優しい教師の陽子先生と、彼女に教わった「お菓子と娘」という歌に支えられて、いろいろな苦しみを乗り越える物語です。

 「お菓子と娘」は、昭和3(1928)年に西條八十作詞・橋本国彦作曲された日本歌曲で、当時としては、たいへんモダンでおしゃれな曲だったと思われますが、この映画の中では、敵性国家の音楽と誤解されている場面が登場します。この映画のロケとなった宮城県石巻市は、東日本大震災の被災地でもあり、収益の一部は、義援金として被災地にも送られました。なお、吉井一肇は、8歳ぐらいより、ミュージカル『レ・ミゼラブル』のガブローシュ役など、の舞台に出演して歌って踊れる子役で、この歌でも、感情の起伏を見せる場面で特にその持ち味を発揮しており、平成23(2011)年10月21日に、中国の第20回金鶏百花映画祭で外国映画部門の最優秀男優賞を受賞しています。

    (20) 映画『北のカナリアたち』 
2012

  平成24(2012)年東映創立60周年記念作品として創られたこの映画には、歌唱力のある少年だけでなく少女も出演します。北海道最北端の離島、おそらく礼文島と思われる島の分校で小学校教師を務める吉永小百合演じる川島はるは、6人の教え子たちの中に歌の才能を見出し、合唱を指導することによって、少しずつ心の交流を深めていきます。ところが、この子どもたちは、家庭の事情などもあって心に傷を負った子どもたちばかりで、ねたみと誇りを共に持っているため、指導は困難であったと思われます。ソリストをめぐるねたみなどどろどろとした感情がこの作品を重苦しいものにします。歌によって師弟間の絆が生まれ、子どもたちが幸せになるという単純なストーリーでないところが、つらいところです。子どもたちは、6人とも揃って歌がとても上手ですが、逆に上手すぎてそんなに上手な子どもが6人揃うことはありえないと思わせてしまいます。3100人の中からオーディションで選ばれた子役たちの優れた歌唱力は、逆に作品そのものを嘘っぽく感じさせてしまいます。なお、鈴木信人役の小笠原弘晃、 生島直樹役の相良飛鷹、松田勇役の菊池銀河は、それぞれ強めの声としっかりした歌唱力をもったボーイ・ソプラノです。

    (21) 映画『くちびるに歌を』 2015

 合唱をテーマにして全国公開された日本映画は数少なく、歌声運動が盛んであった頃の残照のような『俺たちの交響楽』、全寮制男子中学を舞台に、合唱に情熱を燃やす少年たちの姿を描いた『独立少年合唱団』、高校の合唱部の女子高生が合唱を通して育っていく『うた魂♪』ぐらいを思い出す程度です。そのような中で、『くちびるに歌を」』、少年合唱が描かれた映画とは言えませんが、間違いなく、合唱を通して中学生たちが人間的に育つ映画です。

 しかし、ストーリーには納得しにくい部分もありました。先ず、主演の音楽教師・柏木ユリが、恋人を交通事故で失ったという事情はあるにせよ全くピアノを弾こうともしないし、生徒たちとの出会いの場である就任のあいさつでは全くやる気を感じさせないので、これで中学生たちがついていくでしょうか。もともと女子だけの合唱部に先生が美人だからというだけで、男子生徒が入部するでしょうか。また、こんな先生を採用する教育委員会は、音楽の教員免許さえ持っていればよいのでしょうか。どんな名ピアニストでも一年間ピアノを弾かないと本当に弾けなくなってしまいます。いわゆる熱中先生が情熱を傾けて生徒を変えていく映画でなくてもいいのですが、この辺りにもう少しリアリティがほしいです。

 また、生徒たちの家庭環境の設定も違和感が残ります。父親に二度も裏切られながらも、けなげに生きる部長の中村ナズナ。彼女を支えたのは、祖父母の教え、それともカトリックの信仰?また、自閉症の兄を迎えに行く弟の桑原サトルは、兄の面倒をみることが自分が生まれてきた理由と親から言われて、素直にそれを受け容れられるんだろうか・・・『拝啓 十五年後の君へ』の宿題に一人だけ手紙作文を提出したりして等と考えると、感情移入が難しくなってきます。

 しかし、舞台となる長崎県五島列島の風景の美しさによって育まれるものや、合唱の質がだんだんよくなってくること、コンクールの会場で終了後合唱の輪が広がってくることなど、前述したことに目をつぶれば、人間の良い面と悪い面を両方見ることのできる映画であることは間違いありません。桑原サトル役の下田翔大のボーイ・アルトの独唱「マイバラード」も少しだけですが、聴くことができます。自然な発声で、中学1年生ならば各学級(年)にこれぐらいうまい少年は一人はいるだろうなと感じさせる歌です。しかし、中学3年生となると変声前ということが早熟化の進んだ今では貴重です。なお、撮影時下田翔大は、小学6年生であったとのことです。


     (22) 映画『コーヒーが冷めないうちに』における挿入曲 2018

 舞台は、とある街のとある喫茶店。店内のある席に座ると、望んだとおりの過去にタイムトラベル出来るとの噂があります。ただ、そのためには守らなければならないいくつかのルールがありました。誰もが一度は経験のある「もしも、あの時に戻ることができたら…」という後悔の思い。様々な思いを抱えた客たちが、今日も店を訪れます。この映画は平成27(2015)年に川口著により同名で小説化され、のちシリーズ化。また、2018年に同名小説および続編小説「この嘘がばれないうちに」を原作として映画化されました。この映画は、4つのエピソード(1.恋人 2.夫婦 3.兄弟 4.親子)の群像劇ですが、4.親子の有村架純が、お母さんに置いていかれたと思っていた真相にたどり着いたエピソードの背景としてこの音楽「2000/12/24 」は流れます。この曲には、歌詞はなく、いわゆる挿入曲と呼ぶべきものですが、安井結木(フレーベル少年合唱団)によって「ラララ」で歌われる1分余りの曲の歌唱そのものはよく伸びるソプラノヴォイスで、たいへん美しいです。


       (23)  映画『影踏み』における挿入歌の位置づけ 2019

 日本ミステリー界の巨匠、横山秀夫の原作でまだ映像化されていない作品という売り込みでしたが、一度見たただけでは登場人物、とりわけ双生児の人間関係などわかりにくいところもありました。住人が寝静まった深夜の民家に侵入して盗みを働く、通称「ノビ師」と呼ばれる山崎まさよし演じる真壁修一は、凄腕ノビ師ですが、ある日の深夜、目をつけていた家に忍び込みますが、そこで偶然、未遂となる放火殺人現場を目撃。これをきっかけに、真壁が長年にわたって心の底に押し込めていた過去の事件の記憶が呼び覚まされていくというストーリーです。主題歌は、エンディングに流れる山崎まさよしが歌う「影踏み」ですが、ゆったり歩くようなテンポのノスタルジックなバラードで、主人公の複雑な想いを聴くことができます。一方、鈴木葵椎によって歌われる挿入歌「Sun&Moon」は、「ボーイソプラノを使いたいというアイデアも山崎さんから出ましたね。そこが、赦しというテーマにつながっているのかなと思います」と、解説書には書かれていますが、「Sun&Moon」は、いくつかの場面の背景に歌われるものの、普通の会話の背景ならともかく、火葬場における怒号の背景として歌われては、ボーイ・ソプラノの美しさだけは伝わってきても、歌詞がよくわからないし、なぜこの場面でこの歌が流れているのかというその効果までは理解できなかったというのが正直な感想です。

       
(24) 映画『カラオケ行こ!』    2024

     
ありえない話とわかっていても

 この映画は、和山やま原作の漫画をもとにした作品ですが、漫画の実写化ではなく、野木亜紀子の脚本により膨らまされ、キャストとスタッフによってさらに創られた映画化です。だから、「暴対法」がある今、やくざが見知らぬ中学生に接するといった実際にはありえないことが可能になります。この映画を観るまで、私は原作者 和山やまやその漫画も全く知らなかったし、テーマ曲にもなっているX JAPANの『紅』も知りませんでした。(むしろ、奇抜な格好をして歌っているグループという認識でした。)しかし、そのような荒唐無稽なストーリー展開とはいえ、物語が進むにつれてだんだんその世界に引き込まれていくのはなぜでしょう。この映画そのもの、あるいは登場人物たち、あるいはその言動のどこかに共感するところがあるからに違いありません。むしろ、『ドリフの大爆笑』の締めに登場する「もしも、こんな~があったら?」と考えて、「もしも、やくざが中学生の合唱部長にカラオケに行って歌を習ったら?」と考えてみたら、面白いかもしれません。だから、それは、コメディというよりもファンタジーに近いかもしれません。それよりも、この映画の中には、いろいろな仕掛けが仕組まれており、それがストーリーが展開する中で少しずつ明らかにされていきます。そのような意味でも、登場人物の演技の魅力も含め、沼にはまりやすい何度も繰り返し観たくなる中毒性のある映画とも言えます。映画は、コロナ直前の2019年度全国合唱コンクール大阪府大会の会場の場面で始まります。中学校の合唱名門校の大阪市立森丘中学校は、今年は失意の第3位で全国大会出場への夢は閉ざされます。大阪市立森丘中学校は、大阪のとある街にある架空の中学校ですが、名前からして、大阪市で「丘」の名前が付く丘陵地と言えば上町台地にある住宅街で、坂本九の最後の作品で、中学校の音楽の教科書にも載った「心の瞳」はともかく、「混声合唱とピアノのための『たましいのスケジュール』より『影絵』」「混声合唱とピアノのための『その木々は緑』より『その木々は緑』」といった曲を選曲する男子率約3割(この比率が重要・・・男子率0の学校もあるからねえ。)の合唱部があるのは、クラシック音楽文化の土壌のある地域かと思っていたら、映画に描かれた実際の校区は、うらぶれた「ミナミ銀座」というシャッター商店街と隣接する道が通学路という庶民的な街で、その町に住む岡聡実は、決して裕福とは言えない団地に住む中学3年生。しかし、森丘中学校合唱部員の歌う表情は自然で美しく、声楽家の車田和寿が批判するような中高校生によく見られる不自然な表情ではなかったところがよかったと思います。それは、これまでに積み上げられてきた指導があったからと考えられます。

   
聡実のとまどい

 合唱部部長の齋藤潤演じる岡聡実は、合唱部長として昨年まで連続出場していた全国大会出場の切符となる金賞を逃し、自らも変声期の前兆が現れたことに気付いていますが、誰にもそれを伝えることができないもどかしさに悩んでいます。ところが、コンクールの会場で、突然見知らぬヤクザの綾野剛演じる成田狂児から「カラオケ行こ!」と、誘われ、歌のレッスンをしてほしいと頼まれます。狂児がいる組の組長主催のカラオケ大会で最下位「歌ヘタ王」になった者には、カラオケと刺青が趣味という組長から手の甲に下手な刺青を入れられるという恐怖の罰ゲームがあり、それを回避するため上手くなりたいということです。しかし、そうであったとしても、雨に濡れたシャツから透けて見える背中一面に刺青を入れた知らない男から、声をかけられた聡実の気持ちはどうだったでしょう。ふと、小学生の頃、家に風呂はあったのですが、薪で焚く風呂を沸かすのには時間と手間がかかるので、近所の銭湯に行ったときに、背中や腕にに刺青をしたおじさんがいることもありましたが、誰に言われることもなく、怖いので決して近づかないようにしたことを思い出します。狂児が歌おうとするカラオケの曲と、聡実たちが部活で歌っている曲は、ジャンルや発声からして全く違うし、シャンソンの先生に日本民謡を教えてほしいと頼んでいるようなものです。このように言い出せばきりがありませんが、2019年ならば、最新のマシーンを具備したカラオケショップには、『カラオケバトル』で使われているような点数や課題を指摘するカラオケマシーンもあったはずですが、それを言い出すと、この話は成り立ちません。聡実は嫌々ながらも、狂児の勝負曲であるX JAPANの「紅」の歌唱指導を行いますが、歌についての様々な駆け引きの後、いつしか2人の関係に変化が訪れて、いつしか、聡実の方から狂児に「カラオケ行こ!」と声をかける関係に。この映画では、原作の漫画には描かれていない中学生としての聡実の側面を丁寧に描写していました。また、傘、音叉、携帯のLINE、元気お守り、などの小道具が、いいアクセントであると共に、人間関係の伏線になっています。また、この映画で採り上げられた合唱曲は、必然性のある選曲であることがわかってきました。「影絵」は、変声期が近づく聡実の悩みを象徴し、「心の瞳」は、愛とは何だろうかを探る聡実の心を象徴し、「その木々は緑」は、今青春の真っただ中にある中学生たちを象徴しています。一度この映画を見ただけでは、その選曲の意味も分かりませんでしたが、繰り返し観ることでわかりかけてきました。

   
やくざと紳士が同居する狂児

   映画に描かれているやくざは、古今を問わず、怖い顔や姿をしていても、どこかに「任侠」という言葉が示すような正義感や義侠心の片鱗が残っており、観ているうちにかえってその人生や人柄に共感してしまうことさえあります。この映画に登場する「成田狂児」という名前も、「家の女房にゃひげがある」を歌った喜劇役者の杉狂児(芸名)を思い出させ、「悪魔」くんではないけれども、よく、役所の戸籍係が受け付けてくれたなと思うような名前で、生まれたときから背負わされたものが重すぎで、決して恵まれた家庭で育っていないことを想像させます。それでありながら、肘をついてチャーハンを食べる聡実を「肘聡実」と言って食事のマナーを注意するなど躾にうるさい一面もあったりして・・・それは、成育歴の中で憧れはあっても決して得ることのできなかった紳士像に対する憧れだったのかもしれません。そのような人たらしなヤクザ狂児をを演じる綾野剛の多彩で変幻自在な演技力に感心しました。また、あの歌唱力は、「紅」の裏声も含め、カラオケルームに現れた他のヤクザの誰よりもはるかに優れており、「歌ヘタ王」になる心配はないと思いますが、それよりも、この歌を歌う時に正装しており、歌に対するリスペクトも感じます。英語で書かれた歌詞の大阪弁訳を理解することによって、二人のこの「歌」に対する理解は深まっていきます。・・・この映画の最後、「ミナミ銀座」跡に建造中の「NEW MINAMI HOTEL」の前で、狂児の二の腕に彫った聡実の文字は、誰がいつどんな理由で彫ったのでしょう。そのヒントは、雑居ビルの屋上での二人の会話が伏線になっていますが、もしかしたら、狂児が自分で彫ったものかもしれませんし、本当のところはわかりません。狂児は、聡実との出会いによって、失ったというよりも、あまり幸せとは言えなかった自らの青春を取り戻していたのではないでしょうか。

「うちの女房にゃ髭がある」 杉 狂児・美ち奴  
https://www.youtube.com/watch?v=YVzeAVZbUyM

   
原作の漫画に描かれていない人物たち

   この作品は、前述したように、原作の漫画がほぼカラオケルームで展開し、時間的にも短くなるため、脚本には、そこに描かれていない家庭や学校の場面も登場します。その多くの出演者は、両親と学校の教師や生徒です。また、この映画では、ヤクザと接点を持っているのは岡聡実一人だけであり、学校・家庭とヤクザの世界は接点がないため、教師が活躍し過ぎてはいけないのでしょうが、合唱部のコーチ 松原役(おそらく中学校のOBでボランティアでコーチを引き受けている大学生か街の音楽教室の先生?)を演じる岡部ひろきは、体験からも岡聡実の変声期に気付いていますが、積極的に聡実を気遣って進んで声をかけるわけではなく、産休先生の副顧問 森本もも先生役の芳根京子は、指導教科が音楽かどうかは不明ですが、「コンクールの歌には、愛が足りなかった」などと、抽象的でお花畑的で抽象的なことを言いながらも、男子生徒の変声期の悩みに気付いていない粗忽なところのある先生ですが、「ラブリーももちゃん」というニックネームで呼ばれて、少なくとも生徒から嫌われてはいません。(一方、これでは、生活指導のキツイ中学校では務まらないだろうなと思いました。)しかし、観方によれば、ももちゃん先生が掲げている「愛」という言葉が、映画の最初に口から発したときは、合唱部員からも「お花畑や。」という言葉が飛び出すほど軽々しく感じられたのですが、もしもここで「誰がよくなかった。」とか、「○○のパートがよくなかった。」と言っていたら、指摘された部員はやる気をなくしてしまうかもしれません。「愛は与えるもの」と言っても、聡実の両親の鮭の皮のやりとりを見ると、その「愛」は滑稽にすら感じますが、最後のスナックでの聡実の「紅」の歌を聴いたときには、この「愛」という言葉がはるかに重みをもつように作られているのかもしれないと感じるようになりました。合唱部員でも、2年生でソプラノパートの和田(わ~だ〜)役の後聖人の演技は、どこのクラスにも一人はいそうな喜怒哀楽の落差が大きくて、感情の起伏が激しい思春期の中学生らしさがよく出ており、絶妙な味を出していたのですが、横から映したカメラでは喉仏が出ていて、話し声が聡実より低いのが、リアリティとして・・・まあ、そこまで言うと、
 「あー、やらしい!学校でやらしい!」
というセリフのような思春期特有の生々しい感情を表現できる少年俳優は、得難い思います。また、「映画を見る部」の井澤徹演じる栗山は、聡実がヤクザと付き合っていることを学校で唯一知っている人物で、原作にはない人物ですが、冷静で俯瞰的に物を見ることができ、この映画に深みを与えています。合唱部副部長の八木美樹演じる中川を見ていると、中学生の時期は、女子は男子より体も心も先に大人に近づいていることを感じさせます。

   
この映画は、「聡実の成長」を描いた映画

   さて、この映画は、漫画の成田狂児や岡聡実に似ているかどうかよりも、役にそれらしい風貌姿勢を感じさせる俳優を得ることができるかどうかでその成否が決定するというところがあります。事実、漫画の成田狂児と綾野剛は似ていませんが、それらしく感じさせます。岡聡実も同じです。中学3年生でソプラノヴォイスを維持していることなど、子どもが早熟化した現代では希少で、鏡に自分の喉を不安そうに映すところを見て、変声前は、きっと「天使の歌声」だったのだろうなと想像させます。(原作の漫画の巻末の狂児と聡実のプロフィールを読むと、岡聡実は、2005年4月1日生まれで、もう1日生まれるのが遅ければ、1学年下になります。岡聡実の誕生日は、本編には関係ないし、原作の巻末の聡実のプロフィールを読んでる人しか知らず、映画だけを観た人は誰も知らないのに、映画製作側から3月30日~4月1日の3日間限定の全国的な「生誕祭」をやろうという企画は、それによって一定の興行収入が見込めることもありましょうが、それだけ、この作品を愛する人が全国的に多くいるということが大きいと思います。)身体的成長は、特にスポーツ志向の少年にとっては、喜ばしいことであっても、ボーイ・ソプラノの少年にとっては、他には理解できない悩みや辛さもありましょう。岡聡実は、どうして14歳であのような人間形成をすることができたのでしょう。間違って持ち帰られる心配はないでしょうが、持って通学するのが恥ずかしくなるようなトロピカルな色調の亀や鶴のデザインの傘(ところが、この映画を観た観客の間で異常人気が出て、オリジナル公式グッズになっている!)を、感性のちょっと変わっている父親から通学に持たされたり、前述した鮭の皮のやり取りをするような決して品のよくないが、与えることの尊さを感じさせ、夫婦が別々にお守りを渡すような愛情のある家庭の子で、見た目はハリー・ポッターみたいで、真面目さ故にキレるとフリーザ(鳥山明のアニメの画『ドラゴンボール』に登場するような)のような激しい言葉が飛び出すところがアンバランスといういかにも思春期らしい設定が興味深いです。この映画では、「変声期」を成長のシンボルとして、決して元に戻ることのできない儚さとして描いています。それよりも、聡実が「映画を見る部」へ足繫く通うのは、きっと、自分の心の不安定さや合唱部での人間関係の悩ましさを静めるための居場所を探していたと言えましょう。そこで、映される古典的な白黒映画も、聡実のその時の悩ましい心を反映しています。その部室にあるVHSビデオは、巻き戻しができないものですが、それは、変声期という戻ることのできない時を象徴しているとも言えます。齋藤潤は、この映画の撮影時には、話し声からは、変声期に入ったばかりではなく、むしろ変声期の後期であったと思います。撮影から約1年後の完成披露試写会や初日舞台挨拶のころには、もう高校生の役でいくつかのドラマにも出演していますが、たとえ髪型や服装を変えても、もうこの役を同じように演じることができないでしょう。かと言って、1年前なら、「天使の歌声」の頂点にあったかもしれませんが、変声期と向き合う陰影のある内面を表現することができなかったでしょう。それほどこの期間限定の瑞々しい年頃の少年像を演じたと言えます。繊細な感情の動きをまなざしや表情だけで表現できる齋藤潤の俳優としての資質の輝きを感じました。伏し目がちでだった前半から、次第に狂児と心を通わせていく心の推移を目の表情で丁寧に演じていました。とりわけ、ミナミ銀座のビルの屋上での狂児と聡実の会話で、変声期の悩みを打ち明ける場面の前後の表情の変化は名演です。そのような意味で、将来、人を笑わせたり泣かせたりする「名優」と呼ばれる俳優になる可能性を感じました。やくざのカラオケ大会が行われているスナックに駆けつける(合唱部員の視点からすれば逃げたことになるでしょうが)場面も感動的ですが、「狂児は地獄へ行った。歌え!狂児への鎮魂歌や。」と、組長から歌うことを強いられて、全てを擲って狂児への想いを『紅』に託して魂を込めて歌う姿と、変声期ゆえに次第に声がかすれてくる歌は、それがかえって変声期と重なる期間限定の魅力となり、「歌」の語源が「訴う」であることを感じさせる絶唱で、X・JAPANのToshiの激しい叫びとは違う感動がありました。聡実の歌は、『THEカラオケ★バトル』で100点を出せるような歌ではありませんが、それを超えるものを感じる歌でした。この映画を初めて観たあの日から、「紅」が、私の脳内を駆け巡って、気が付けば自転車に乗りながら、「紅」の一節を口ずさんでいます。嬉しいことがあったとき、「やったんぽぽ!」と言ってしまいそうになりましたが、この映画を見ていない人には、このギャグは通じないので抑えています。(その後、「紅」は、中学校の音楽の教科書にも掲載されていることを知り、さらにいくつかの発見をしたので、原作の漫画や脚本を買って読み、その違いや、脚本に載っていない俳優のアドリブについて比較検討しました。また、そのため、当分の間は、第二次公表を遅らせました。原作の漫画を先に読んだ人は、きっとまた違った感想を持ったことだろうと思います。願わくば、2~3年後映画『ファミレス行こ。』の企画が実現して、同じキャストで戻ってきてほしいと願いました。)



                                      (続く)