プロフィール

 暁星小学校聖歌隊は、昭和39(1964)年5月、情操教育の高揚をはかるために結成されました。結成当時の指揮者には、東京芸術大学教授・二期会指揮者として長年にわたって日本の音楽界の質的向上に貢献したニコラ・ルッチを迎えています。
 聖歌隊員は3年生から6年生の児童から希望者を募り、約80人の聖歌隊員は、週3回毎回1時間程の活動をしています。暁星小学校は、カトリック・マリア修道会によって創立された男子校であるため、聖歌隊の役割は、建学の精神を一層活きたものにする為に、ミサをはじめ、学校のすべての宗教活動において聖歌をもって奉仕しています。また、その社会奉仕の精神は、アジアの子どもたちのための教育支援を目的としたチャリティコンサートという形で十数年にわたって続けられています。
 とりわけ、蓮沼勇一を指導者に迎えてから、その実力はさらに向上し、平成8(1996)から5年連続でNHK全国学校音楽コンクール・全国コンクール小学校の部に出場し、金賞4回、銀賞1回を受賞。また、こども音楽コンクール文部大臣奨励賞選考会では、平成17(2005)年に文部科学大臣奨励賞、平成6(1994)年と平成9(1997)年に審査員特別賞を受賞しました。また、来日演奏家との共演や歓迎演奏等にも積極的に参加しています。その歌声は、イギリスの聖歌隊を思わせる清澄な響きで、温和でどこまでも透き通っています。また、オブリガードの美しさはまるで天国から降り注ぐシャワーのようで絶品です。約80人の合唱は演奏会場のホールを聖堂に変えていきます。

  
 
 我が想い

 暁星小学校聖歌隊の生演奏は平成15年の3月にはじめて聴きました。さすがにすばらしい響きでした。ここでは、、NHKコンクールのテレビ放送やCDを視聴することで、その姿の一端に迫ってみたいと思います。
 暁星小学校は、東京都千代田区にあるカトリック・マリア会系のミッションスクールの男子校です。小学校の男子校そのものが日本ではたいへん珍しいと言えましょう。聖歌隊が誕生したのは昭和39年ですが、平成8年度NHKコンクール全国大会初出場で金賞獲得して以来5年間で4回金賞、1回銀賞という不滅の快挙を成し遂げました。
 しかし、「ローマは一日にして成らず」という言葉が当てはまるように、平成8年度の金賞獲得を記念して作成されたCD(平成3年〜8年の記録)を聴くと、蓮沼勇一先生の指導のもと、積み重ねの中で、次第に声も洗練され、歌心も深まっていることがわかります。その後作成された2枚目のCDの水準は極めて高く、日本の少年合唱の記念碑となるものです。これらのCDは自主制作で、録音状況はよいとは言えないものもありますが、歌のすばらしさはそれを超えています。
 1枚目のCD「ヒッコリーのおくさん」は、NHK全国学校音楽コンクール全国大会金賞受賞記念と銘打って作られていますが、課題曲の「自転車でゆこうよ」と「ヒッコリーのおくさん」をテレビで視聴したときの衝撃は忘れることができません。少年らしい清冽さにあふれた演奏は、これまでの少女中心のNHKコンクールの演奏のイメージを変えるものでした。ところが、このような演奏がどのような積み重ねの中で生まれてきたかが、このCDにははっきりと刻まれています。平成4年ごろの演奏は爽やかな演奏ですが、ここまでの深みはありません。それが「満月の不思議ポロロッカ」辺りから際立って深い演奏になっているのです。そこに何があったのか・・・それは推測の域を出ませんが、2枚目のCD「小さな星たちが歌う」の中で、蓮沼先生が書いておられる一節、
・・・私の合唱指導の基礎は、暁星の子ども達から授かったものです。そのきっかけをくださったのは
「教師が変われば、子どもも変わる。 先生は子どもに先んじてイキイキ生きるから先生と言うんだ!」
と諭してくださった、恩師小林光雄先生です。・・・
に、深いものがあるような気がします。演奏に見られる師弟の信頼感は、その辺りから生まれたのではないでしょうか。教師の目標はその情熱で子どもの精神を成長させることです。子ども達は教師のよき共鳴版です。
 2枚目のCDは宗教曲が中心です。初めて聴く曲もかなりありましたが、だんだん好きになってきます。キリスト教を背景にした学校の少年達は年少であるがゆえに、その教えを素直に受け容れて、その心をそのまま歌声に反映しています。ただの声楽的技術だけではない精神的なものを感じました。 特に気に入ったのは「平和を求める祈り」「シャローム」「夢の仕立て屋さん」「季節」などです。「夢の仕立て屋さん」「季節」の流麗な抒情性は、少年達の声とマッチして、独特の美しい世界を作っています。
 暁星小学校聖歌隊の歌声は、イギリスの聖歌隊の響きに近く、これもまた、蓮沼先生の志向されるところと考えられます。平成13年度は、あえて、NHKコンクールに出場しませんでしたが、頂点を極めたあと、どのように発展していくかも注目の的です。何よりも、聖歌隊の少年達がたとえ音楽を職業とすることはなくても、生涯を通して歌を愛する人になってくれることを祈ります。

小さな星たちのコンサート

  2002年(平成14年)3月22日、東京カテドラルマリア大聖堂で暁星小学校聖歌隊による「アジアの子ども達のための教育支援コンサート」が行われました。夏には、その演奏のCDができあがり、聴く機会を得ました。 
 2部からなるこのコンサートの第1部は日本の聖歌を中心に、第2部は外国の宗教曲を中心にしたものでしたが、「清冽な魂の浄化」という言葉がふさわしいコンサートでした。
 第1部は、キリスト教徒でない私にとってははっきり言ってなじみのない曲が続きましたが、むしろこんな美しい曲がカトリック信徒以外の人にはあまり知られることがなかったということを残念に思いました。クラヴィノーバのオルガンに近い響きの伴奏で繰り広げられる歌の数々は、キリスト教的世界観を背景にしたもので、イエス様やマリア様を歌ったものだけでなく「あの空はどうして青い」や「水の心」のような自然を歌ったものにも、それははっきりと現れていました。暁星小学校聖歌隊の歌声は、NHK全国音楽コンクールで歌っていた頃より一層洗練され、透明度が高くなり、とりわけ「ガラリアの風かおる丘で」や「マリアさまのこころ」においては、その曲想ともあいまって慈愛にあふれた演奏になっていました。こういう歌を幼年時代より聴いて育った子どもは、どのような人格形成をするのだろうかというようなことにも想いをはせました。
 第1部の最後の方で歌われた歌は、金子みすゞの詩「わたしと小鳥とすずと」に3人の作曲家が作曲したものでした。しかも、最も有名な中田喜直作曲の童謡歌曲集「ほしとたんぽぽ」からのものがないというところもユニークでした。旋律のうねりが美しい塩田泉のもの、繊細なデュエットが美しく、後半の合唱との対比が楽しめる町田治のもの、「すずと小鳥とそれからわたし」の部分を繰り返しながらクライマックスを作っていく横山裕美子のもの、それぞれのよさがありましたが、音楽的には町田治の作品が一番好きです。なお、金子みすゞは仏教徒で、すべてのものに命を見出し、それを「神様」と呼ぶようなアニミズム的な世界観も持ち合わせていますが、この歌が聖歌のようにも聞こえるのは、きっと底に通じるものがあるからでしょう。金子みすゞの詩は、暁星小学校聖歌隊の歌声とよく調和していました。
 第2部は、フォーレの「レクイエム」で始まりましたが、どういうわけか、「ピエ・イエズ」を歌うソリストは女声でした。そういう意味では、一番暁星小学校聖歌隊の持ち味が出せたのは「インパラディズム」で、その天国的な響きは、心に安らぎを与えてくれるものでした。
 一番心に残ったのは、マザーテレサの祈りに作曲した「わたしをお使いください」。数年前にマザーテレサの映画を見ていたので、それと重ね合わせて聴くことができたためでもありますが、マザーテレサがどのような想いで生きていたのかということをうかがうことができました。いや、むしろ「生かされていた」と言ったほうがよいでしょう。「平和を求める祈り」と「シャローム」は、4年前のCDで耳慣れていたためもありますが、一層深い祈り心を感じました。
 暁星小学校聖歌隊の歌声は、イギリスの聖歌隊の音色に近いもので、このコンサートでは、その特色が生かされた選曲がなされていました。
 
 暁星小学校聖歌隊が、NHK全国音楽コンクールに出場しなくなって2年が経ちました。最初は、また出場して欲しい想いでいっぱいでしたが、最近は必ずしもそう思わなくなりました。なぜなら、課題曲がかなりの比重を占めるNHK全国音楽コンクールでは、暁星小学校聖歌隊の持ち味が必ずしも生かされないからです。「自転車で行こうよ」「花と少女」「ほほう」のような内面性を重視した曲ならともかく、「大好き」や「おさんぽぽいぽい」のような曲では、あまり生かされません。少なくとも、暁星小学校のストイックな音色とはちょっと違うような気がしていました。初めてコンクールに出場した動機が、「大勢の聴衆の前で歌ってみたかった」ということですから、それが満たされたら、また新たな目標が生まれたのかもしれません。これからは、むしろ信徒であるとないとにかかわらず、暁星小学校聖歌隊の歌で心を洗いたいという人のために歌ってくれることを願っています。いつの日か、生演奏に接することができる日を期待しています。


  
           アジアの子どもたちのための教育支援    
第3回チャリティ 小さな星たちのコンサート
めぐろパーシモンホール  平成15(2003)年3月22日

   歌声を活かす選曲

 初めて接する暁星小学校聖歌隊の歌声は、温和でどこまでも透き通っていました。これまで、CDで聴く暁星小学校聖歌隊の歌声は、曲によっては必ずしも録音状態がよいとは言えませんでしたが、それを超える澄みきったハーモニーの美しさに陶酔することもしばしばありました。今回の会場は、奥行きがある音響のすぐれた目黒パーシモンホールなので、期待が高まります。
 座席についてプログラムに目を通すと、聖歌はもとより、町田治による金子みすゞの詩による合唱曲や筒井雅子の合唱曲を中心に据えたものでした。「私と小鳥とすずと」以外は初めて聴く曲ばかりですが、きっと暁星小学校聖歌隊の歌声を生かす選曲であろうと思いました。そして、その予感は当たっていました。
 聖衣を身にまとった80人あまりの隊員たちが学年ごとに4段に並ぶと、もうそれだけで壮観です。また、第2部の紺のベストに半ズボンという制服スタイルも気品に満ちていて、だらしない昨今の少年の服装とは一線を画していました。今、日本で小学生だけでこれだけの人数を擁する少年合唱団はありますまい。しかし、暁星小学校聖歌隊は、人数の多さを大音響として活かすのではなく、調和的な音色で統一することで活かしていました。

   ボーイ・ソプラノのシャワー

 「かみさまにかんしゃ」で始まる6曲の聖歌は、おだやかな中にも、「暁星トーン」とも言える独特の抒情的なハーモニーを聴き取ることができました。とりわけ、6年生のソプラノが2階席の前の方に移動して、舞台の合唱と掛け合うコダーイの「羊飼い」と「アヴェ・マリア」は、まるで天上から降り注ぐボーイ・ソプラノのシャワーのような快感を脳裏に刻み込んでくれました。

    ハプニング

 町田治の「私と小鳥とすずと」は、何曲かあるこの詩につけられた曲の中で私が一番好きなものです。昨年のコンサートの中でも白眉となったこの曲をはじめ町田治による金子みすゞの詩による合唱曲を聴けるのは楽しみでした。あこがれを育むような曲想の「星とたんぽぽ」、陰影のある「曼珠沙華」、小鳥の死を悼む哀しい美しさの「雪」、力強い歩みの「このみち」と進んだとき、突然ばたんと音がして4年生の隊員が前に倒れました。指揮をしながら歩み寄ってその場に隊員を座らせる蓮沼先生、動揺を抑えて必死で歌い続ける隊員たち。「無事であってほしい!」会場は、一瞬神聖な雰囲気に包まれました。4曲目が終わったとき、もう1度蓮沼先生は、その隊員のところへ。退場させるのかと思いきや、隊員はその場に座ったまま。これは、後でわかったことですが、その隊員は倒れても立ちあがって歌いたかったとのことです。しかし、5曲目の「私と小鳥とすずと」は、やや精彩のない歌になってしまいました。

   「鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥」

 陶芸家の河井寛次郎は「鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥」というすばらしい言葉を残しています。鳥と枝との関係は、曲を作った人と演奏する人の関係にもなぞらえられるでしょう。暁星小学校聖歌隊による筒井雅子の「夢の仕立て屋さん」をCDで聴いたとき、そういう想いがしました。この筒井雅子って、どんな人なんだろう。その謎がこの日解けました。東京で小学校の音楽専科をされている筒井先生は、まるで暁星小学校聖歌隊の音色にあったような曲を作っています。
 この披露された5曲も、その持ち味を生かした佳曲ばかりでした。軽やかで色彩感豊かな「風船の旅」、小さな雨粒からスターとしてだんだんスケールが大きくなってくる「雨粒よ」、悩みや悲しみを超えて強く生きることを鳥に托して歌う「鳥になれ!」、淡い色のシャボン玉が柔らかい歌声に乗って歌われる「夢色シャボン玉」、語りが入る構成がユニークなたくましい「一本の樹」。この5曲は、まるで有機性のある合唱組曲のようにさえ感じました。

    至福の時間

 おだやかな曲を集めたようなこのコンサートの結びは、フランス語の「創造の詩編」。これは、それまでとは違って声量も求められる作品で、曲が進むごとに濃密な情熱を感じました。
 プログラムは一応ここまでだったのですが、そのあとで蓮沼先生のユーモアのあるあたたかいお人柄を感じるような数々のアンコールがありました。元気を取り戻して舞台に再登場したさっき倒れた少年には、割れんばかりの拍手がおこりました。
「この4年生の隊員は、金子みすゞの4曲目と5曲目を歌っていません。だから、みんな揃って歌いたいと思います。」
 みんな揃って歌った「このみち」と「私と小鳥とすずと」は、力強く歌われました。このコンサートは、ハプニングもありましたが、音楽だけでなく教育者としての蓮沼先生の素晴らしさまで感じられて、至福の時を過ごすことができました。



             アジアの子どもたちのための教育支援
第5回チャリティ 小さな星たちのコンサート
大田区民ホール・アプリコ  平成17(2005)3月21日


  異教徒のための祈り

 小さな商店が並ぶ下町の蒲田の街中に突然屹立する巨大な建物。それが、コンサート会場である太田区民ホール アプリコ。12時40分頃中に入ると、既に50人ぐらいの列が・・・制服制帽で会場に入ってくる児童に、「入ったら帽子を取りなさい。」と声をかける会場整理係の先生。こんなところに、暁星小学校の躾教育を垣間見ることができました。このようなところをおろそかにしてきたところから、日本の教育は崩れてきました。
 暁星小学校聖歌隊のチャリティコンサートも、今年で5回目を数えます。主催者挨拶を通して、貧しいアジアのしかも異教徒のためのコンサートというところに、このコンサートのもつ価値があることに気づきました。民族の違い、宗教の違いなど「違いを憎む心」によってどれだけ多くの不幸な出来事が起こっているかを考えるとき、このような寛容な心こそが世界平和のための基だと思います。

   聖歌隊だからこそ    

 「ミサ」は、カトリック信徒にとっては中心的ななじみぶかい儀式でしょうが、異教徒にとってはなじみのないものです。この日のコンサートの第1部では、「暁星小学校のある日のミサ」と題して、これを正面から採り上げてその全貌にふれるというこれまでのコンサートにないことをしました。典礼聖歌のいくつかはこれまでに聴いたことがありますが、それがどのような場面で歌われるのかは、初めて知りました。典礼聖歌だけを聴くことは、オペラに例えれば「ハイライト」の代表曲を聴いているようなものです。
  さて、聖歌隊と合唱団の違いは、この第1部でかなりはっきりと見られたように思います。聖衣に包まれた80人あまりの隊員たちが4段に並ぶと、それだけで厳かな雰囲気が漂います。それにしても、「ガリラヤの風かおる丘で」は、何と陶酔的な響きでしょう。ああ、この響きこそがすべてを浄化してくれる「暁星トーン」なのです。この曲に導かれるように言葉と歌によるいくつもの典礼が繰り返される中で、ミサは進んでいきます。高田司祭の言葉は、最初は日本語のアクセントとは違うことが気になったのですが、次第に自然に聞こえるようになってきたのは、不思議なことです。聴いているうちに、その世界の中に入り込んでいるのですね。

   主を求める声に心が震えた

 第2部は、「チェロの響きと共に」と題されて、ピアノに加えてチェロの伴奏で歌われます。隊員は、紺のベストに半ズボンという制服スタイル。これも80人揃うと集合の美を超えた美しさを感じます。また、舞台に立つと、一人一人が実物よりも大きく見えます。
 歌われるのは、「マリアさまのこころ」「水を飲ませてください」「私をお使いください」「創造の詩編」など、暁星小学校聖歌隊のよさが最も生きる曲たち。これらの曲が大きな感動を呼ぶ要素の一つが編曲にあります。もともと短かった曲も、ただ有節歌曲を繰り返して歌うのではなく、次第に高まり深まっていくという編曲によって大きな感動をもたらしてくれるのです。とりわけ、マザーテレサの「私をお使いください」は、編曲者の長南正道さんの涙で楽譜がにじんだという作品ですが、楽譜が歌になるとき、主を求める声に心が震えました。「創造の詩編」には、スケールの大きさと濃密な情熱が感じられ、聖歌隊によって歌われる合唱がもっている清澄なだけでない別の側面を感じさせてくれました。
 チェロとの共演も、チェロが大活躍するというよりも、編曲が少年合唱を生かすという理念で貫かれており、深い音色によって合唱を支えていました。ともすれば、楽器と少年合唱の共演は、楽器が頑張りすぎて繊細なボーイ・ソプラノを潰すということも少なくないので、この演奏は、楽器と共演をする上で大切なヒントを与えてくれたように思います。

       編曲の力で気品のある歌に

 第3部の「懐かしい歌、新しい歌」もまた、編曲の力を感じました。しかも、この編曲は、「暁星トーン」を生かすための編曲で、「七つの子」や「ふるさと」のような童謡・唱歌が、気品のある合唱曲に生まれ変わっていました。新しい歌の「あさやけ ゆうやけ」や「さよならのことば」は、文字通り「暁星トーン」によって歌われてこそ活かされるという歌でした。そのようなことを含め、今回のコンサートは特に編曲の大切さを痛感しました。
 それにしても、雄渾な指揮をする蓮沼先生の背中は美しい。指揮棒を振り下ろすときや、しゃくりあげるときの腕の力強さは強く心に残ります。強靱な精神が伝わってきます。このような想いをもったのは、TOKYO FM 少年合唱団を指揮する北村協一先生以来です。
  学級閉鎖が続き、十分な練習ができない状況の中でのコンサートでしたが、聞けば聴くほど新たな魅力を感じる暁星小学校聖歌隊のコンサートでした。


          アジアの子どもたちのための教育支援
第7回チャリティ 小さな星たちのコンサート

文京シビックホール          平成19(2007)年3月24日


       祈りの歌の本質

  午前中、神田の古本屋街で本やレコード・CDのコレクションを増やした後、地図をたよりに水道橋の駅から反対側にある後楽園球場の諸施設を巡って文京シビックホールに到着しました。1800席は、繊細な少年の声には広すぎるとも思いましたが、暁星小学校聖歌隊の歌を聴くために、全国各地から客が集まってくることを考えれば、妥当な会場かもしれません。
 「祈りの歌を風にのせて」という副題のつけられた第T部は、むしろ控えめな演奏で始まりました。2曲目、3曲目とその雰囲気は続きました。しかし、サプライズを求めるよりも、比較的単純な2部合唱であっても独特な暁星トーンを確認することが第1部の醍醐味だったのではないでしょうか。その中でも穏やかなだけでなく、精神の高揚を発見することはできました。蓮沼先生の指揮は、苦悩からの救済を雄渾に表現していました。「マザー・テレサ」のテーマソング「この空の下で」の中で、「おなかがすいて ひとりでも 心の底は あたたかい」という歌詞が清澄な中にもこんなにも力強く聞こえてくるということは驚きでさえありました。第1部の最後を飾る「ちいさなひとびとの」と「ごらんよ空の鳥」は、OBを交えた混声合唱で歌われました。私は、これまで暁星中・高等学校聖歌隊やグリークラブはないのかと思っていました。もし、ないのならば、暁星小学校聖歌隊で学んだことが、その後どう発展していくのかということに関心がありました。その答えの一端がこの2曲である程度見えてきました。ヨーロッパの多くの聖歌隊が、混声合唱であることを考えるとき、OBたちがボーイ・ソプラノを失っても歌う喜びを失うことなく後列で歌に重厚さを与えているのは、聴く者にとっても嬉しいことでした。

    暁星小学校聖歌隊のチャレンジ

 第U部には、副題はついていませんでしたが、あえてつけるなら「多様性へのチャレンジ」とでもつけましょうか。聖歌の心を基調としながらも、人と自然へのアプローチが随所に見られました。「と・も・だ・ち・に・な・ろ・う・よ」では、初めてのクラスでのドキドキの人間関係づくりが、「父上へ・・・」では、ふだん父に心配ばかりかけている息子からの心のありったけのメッセージが歌われていましたが、人の心の根源にある美しいものがそこには描かれていました。それが、あの暁星トーンで歌われるとき、胸が締め付けられるような何かが込み上げてくるのです。「テルーの唄」や「流星群と空と海」では、自然を歌いながら人を歌っていることが伝わってきました。変声期に入った少年たちをどう活かすかという理念が「流星群と空と海」にあると蓮沼先生から聞いたとき、もう一度この歌をそんな視点で聴きたいと思いました。中休み的に歌われた「スキンブルシャンクス」は、ネコ耳としっぽをつけたOBたちのダンスがとことん楽しませてくれました。他の楽器がどう演奏しているかとか歌詞が何を歌っているのかなどさっぱりわかりません。それでも、まるで聖歌隊が脇役であるかのようにひたすら楽しませてくれました。いいじゃないですか。天上から「こちらへおいで」と言うだけの聖歌しか歌わない聖歌隊ではなく、俗に降りて人を楽しませなごませながら、人を聖なる世界に憧れさせ天上へと誘う聖歌隊を私は支持します。
 この日の白眉は「鮎の歌」。この歌は、これまでNHK全国合唱コンクールの自由曲として多くの合唱部によって歌われてきましたが、私は一度も感動したことはありませんでした。それは、曲想の変化を歌うだけの歌だったからです。しかし、この日の暁星小学校聖歌隊の歌は、全く違っていました。清冽な川の流れに対峙してそれに逆らうように川をのぼる鮎の生命力がそこにはみなぎっていました。
 「感謝します」は、同じカトリック系の星美学園小学校聖歌隊との合同演奏でした。この演奏についてホームページの掲示板でも賛否両論が湧き上がっていますが、私は、蓮沼先生がふだんと違う響きに感動されて、「もう一度!」という想いになったのではないかと思っています。それよりも、星美学園小学校聖歌隊のメンバーを1曲早くステージに上げてしまって、黙って立たせていたことに対して申し訳なかったという気持ちも重なったのではないでしょうか。すべては蓮沼先生の鋭敏な感受性故ではないでしょうか。
 仕事の関係で2年に1回のぺースでしか聴けない暁星小学校聖歌隊の定期演奏会ですが、CDでは決して味わえないものを今回も味わうことができました。

 アジアの子どもたちのための教育支援
第9回チャリティ 小さな星たちのコンサート

文京シビックホール     平成21(2009)年3月28日


   心の高まり

  この年も「祈りの歌を風にのせて」と題された第1部は、隊員たちが聖衣の中で前に手を組んだまま歩みを進めてステージの定位置に並び、蓮沼先生の登場を待ちます。1曲目「復活された主に出会い」は、主の復活を喜ぶ心が次第ににじみ出るような歌に仕上がっていて期待感が高まります。続く「めぐみあふれる聖マリア」は、おだやかな中に慈しみが伝わってくる歌。3曲目の「大波のように」では、曲の山場でオブリガードに導かれ、大波が押し寄せるような歌声の高まりが快く、これこそ、暁星小学校聖歌隊ならではの響きと感じます。「The Jubilee Song」は、一つ一つの言葉をかみしめるような始まりから次第に高まって行き、偉大な記念祭を讃える歌へと昇華していきます。
 3年生が退場した後の「神さまのぬくもりのしるし」は、人間の弱さを告白しながらも、神様からのぬくもりを受けてみんながかがやくしるしになろうと心が高まっていく姿が現されています。せつないヴァイオリンの前奏に導かれて「いのち」が歌われると、ふだん忘れがちな生きていることのかけがえのなさや命のつながりについて、こんなに尊いことだったのかと再確認させるようになります。オブリガードの響きが混じり合うとよけいにそのような気持ちにさせてくれます。「青い地球」で、その想いはいよいよ強くなります。編曲もバージョンアップされ、いのちが戦争で奪われることがなくなりますようにと聖なる声でせっせつと歌われると心が動かされます。
 さらに、OB合唱団も加わって「ごらんよ空の鳥」が混声合唱で歌われると、この歌がチャリティコンサートの中で定着してきた感がします。小さな命にも心をかける天の父がいるという歌の精髄がよく伝わってきます。さらに、フランス国歌の「ラ・マルセーエーズ」が原語で。フランス革命を背景にした血なまぐさい歌詞ですが、暁星小学校聖歌隊によって歌われると、これが活気に満ちた聖歌に聞こえるから不思議です。またこの旋律は、シューマンの「二人の擲弾兵」ではナポレオンに忠誠を誓う兵士の苦難に負けない歌にも使われていますから、聞く人のその時の心境によって違った歌に聞こえるでしょう。暁星小学校聖歌隊の「ラ・マルセーエーズ」を聴くとむしろフランス語の歌詞を理解できないからこそ「元気で仲良くしようね。」というまったく違ったメッセージさえ伝わってきます。

   化学変化

 「共に歌おう」と題された第2部では、隊員は、紺のベストに半ズボンという制服スタイルに着替えて歌います。第2部はいくつかの「くくり」から構成されていて、その1は松下耕の作品から。1曲目の「光が」では、「光が五月の風に乗って地球に遊びにやってきた」という歌詞が躍動的に繰り返される中で「光」によって「地球」がみどり色に包まれるから不思議です。2曲目の「つんつるてんのうた」は、成長によって服が小さくなったことを歌う素朴な成長讃歌ですが、そこはかとないユーモアに包まれた歌です。しかし、淡々と成長を受け止めるように、決して面白おかしく歌わないところがいい。おい、おい!暁星小学校聖歌隊もこんな歌を歌うの?と思ったのが3曲目の「うめぼしリモコン」。ピアノの前奏に合わせて機械的というか宇宙人のような奇怪な手の動きがあって歌が始まると、「うめぼし」という想像するだけで口の中が酸っぱくなってつばが出てきそうなものと、そのような唾液反応をつかさどる「リモコン」を操作する人がどこかにいるんじゃないかと想像する歌詞とそれを体現する振り付けの入った曲は、異質なものがぶつかり合うとどんな化学変化が起きるかという実験的な歌です。松下耕という異才の作曲家の曲が暁星小学校聖歌隊の歌声とぶつかると想像を超える化学変化が起きたと感じます。
 その2は横山潤子の編曲による小学生のための愛唱曲集から「心から心へ」「さんぽ」「君をのせて」の3曲。「心から心へ」は、初めて聴く曲ですが、オブリガードが入ることで、温かさがじんわりと伝わるような曲に仕上がっています。「さんぽ」と「君をのせて」は、今や児童合唱の定番曲にもなっていますが、横山潤子の編曲によると、その本質が浮き彫りになるようです。
 続いて、第3は、女子だけの星美学園小学校聖歌隊が登場。平成20年度のNHK学校音楽コンクール金賞受賞曲 合唱組曲「だれもしらない」より「日本の高い空」が歌われました。「なかよくしようね」という空が発する言葉が浮かび上がってくる澄んだ音色でさわやかな空気を感じられます。さらに、晃華学園小学校聖歌隊等この日出場の全団体による「平和の祈り」と「翼をください」が重厚に歌われ、一つの大きなクライマックスを迎えます。

  「学校音楽、校門を出ず!」に対する挑戦 

 ところが、この日の意外性はプログラムに表記されていないところにあったのです。蓮沼先生と曲目を書いた高座のめくりをもった黒子衣装に包まれた謎の男と共に登場。蓮沼先生が「ソ・ド・レ・ミ」で始まる曲は・・・と繰り返し言って観客の想像力を高めると、私はかつて黛敏郎が司会をしていた頃の「題名のない音楽会」で、モーツァルトが死の直前に作曲した「春の憧れ」の始まりが「ソ・ド・レ・ミ」で、それが曲想も同じである中田章の「早春賦」につながり、さらに森重久彌の「知床旅情」につながるという説を思い出していました。「千の風になって」で始まり「千の風になって」で終わる数十曲のさわりがメドレーで演奏されると、思わずこんな曲もあったのかという想いに駆られます。佐藤校長先生までが登場してその指導の下、「ラジオ体操」が舞台で行われるばかりか「さそり座の女」や「恋の片道切符」までが歌われると、この試みは、「学校音楽、校門を出ず!」という学校音楽を揶揄する言葉に対する挑戦状とさえ感じます。暁星小学校聖歌隊の少年たちもあと十数年経って社会人となった時、飲み会の二次会のカラオケでまさか聖歌を歌うわけにはいかないでしょう。暁星小学校にまだ聖歌隊がなかった頃在校したグッチ祐三やモト冬樹がどういう音楽を志向したかを考えたとき、このような試みは、生涯学習につながるものと思いました。黒子の面を脱いだ時、謎の男は暁星小学校在学中は聖歌隊隊長をつとめたことのあるというBS「日本のうた」のスタッフの一人であるKANTA氏であることがわかりました。このコンサートのために、自ら「めくり」の文字も書いたとか。卒業後も変わらぬ愛校心が伝わってきます。
 最後は、全員合唱で「マリア様のこころ」。これがいい。聖俗併せ呑む懐の深さが、暁星小学校の教育にあることを嬉しく思いながら帰路につきました。

アジアの子どもたちのための教育支援
第10回チャリティ 小さな星たちのコンサート

文京シビックホール     平成22(2010)年3月27日


   人生への励まし

この日は、佐藤校長先生のあいさつで始まりました。第1部は、「祈りの歌を風にのせて」という題が定着してきました。また、演奏曲もいわゆる定番曲と新しい曲を取り混ぜることで、リクエストに応えながらも新たな道を探るという姿勢が顕著に見られました。聖衣スタイルで現れた隊員たちが定位置に並ぶと大きな拍手と共に蓮沼先生が登場しました。第1曲目の「イエスさまがいちばん」は、清澄な声で歌われる単純な有節の聖歌ではなく、「なあぜ?」という疑問詞がアクセントとなってそれに応えているところがこの歌をより深いものにしています。続く、「小鳥がうたをうたうように」は、神様と人との対話の形で次第に高まっていく歌です。もうこの辺りになると、暁星小学校聖歌隊独自の美しい世界に浸りきることができます。「きみの笑顔」は、友との出会いや成長への感謝の歌で、生きる元気を与えられる歌です。答唱詩編7番の「あなたのいぶきをうけて」は、「あなたのいぶきをうけて わたしはあたらしくなる」が繰り返される中で、日本語の音韻とは異なる聖歌独特のメロディ進行があります。ただ、私はまだこのようなメロディに馴染んでいるとは言えません。
 この年も、3年生が退場した後、せつないヴァイオリンの前奏に導かれて「いのち」が歌われると、目に見えない「いのち」の尊さやかけがえのなさを再確認できるようになります。さらに、ヴァイオリンのオブリガードの響きがボーイ・ソプラノの合唱と混じり合うとよけいにそのような気持ちにさせてくれます。この歌は、何度聴いても新たな発見がある歌です。「足あと"Footprints"」は、ピアノに加え、ヴァイオリンとチェロの伴奏によって歌われますが、主と共に歩んだ男の人生を二人分の「足あと」になぞらえています。しかも、苦しく悲しく寂しかった頃に一人分の足あとしかないのは、一人ぼっちにされたのではなく、主が背負ってくださったからだということに気付くという歌です。こういう歌を聴くと、本当に励まされます。さらに、その人生への励ましと感動は、チェロとピアノの伴奏によって歌われる「わたしをお使いください(マザー・テレサの祈り)」でさらに増幅されます。「水を飲ませてください」を聴きながら、私は砂漠地帯に住む人にとっての水がどのようなものだろうかとか、映画「ベン・ハー」の中で犯罪人として鎖につながれてガレー船に送られて行くのどの渇いたベン・ハーに主が水を与え、生きる勇気を与える1シーンを想起していました。
 さらに、OB合唱団による「いい日旅立ち」が歌われると、山口百恵が創唱したディスカバージャパンのテーマ曲として知られ、もともと聖歌ではないこの歌が聖なる響きをもった歌に聞こえてくるから不思議です。さらに、暁星小学校聖歌隊・晃華学園小学校聖歌隊・星美学園小学校聖歌隊も加わって、「ごらんよ空の鳥」が混声合唱で歌われると、この歌がチャリティコンサートの合同演奏曲として定着してきた感がします。どんな小さな命にも心をかける天の父がいるというこの歌の心が伝わってきます。さらに、昨年は、暁星小学校聖歌隊だけで歌われた「The JubiIee Song」が、ドラムの伴奏も加わって3校で歌われましたが、人数が多いだけ高まりも大きく、偉大な記念祭への讃歌へと高まっていきました。

   人生いろいろ 歌もいろいろ

 「いろとりどりのうた」と題された第2部では、隊員は、いつものように紺のベストに半ズボンという制服スタイルに着替えて歌います。第1曲目はチェロ伴奏も加わって「うたをうたうとき」から始まりました。ゆったりした時間の流れの中で、「うた」と「からだ」と「こころ」の関係が浮かび上がってきます。続く「一本の樹」は、暁星小学校聖歌隊によって初演された曲ですが、この日は作詞者の筒井めぐみさん(作詞当時は小学6年生)が、中間部の朗読部分を読むという形で進められました。抑え気味のトーンで懐かしさを感じさせる暁星小学校聖歌隊の歌声と筒井めぐみさんの回想部分の朗読が調和して、独特の美しい世界を創り上げていました。「星とたんぽぽ」は、昼の星やたんぽぽの根は、見えぬけれどもあるんだよと繰り返される中で、その存在の尊さが浮かび上がってくるところに、この歌の構成美を感じました。「Jupiter(祈り)」は、ホルストの組曲「惑星」から「木星」の中間部を原曲にしているだけに、歌詞は独創的でした。「君をのせて」は、昨年に続いて聴きましたが、前半のほの暗い部分から次第に明るくなっていくところの美しさは絶品でした。なお、「星とたんぽぽ」「Jupiter(祈り)」「君をのせて」の3曲や最後の「マリアさまのこころ」は、横山潤子の編曲によりますが、声部の絡み合いが美しく、それぞれの曲が持っている本質を浮き彫りにしてくれます。
 昨年度に続き歌われた「うめぼしリモコン」は、さらにバージョンアップしていました。ガラス工芸家の佐藤充さんが目の穴の開いていないうめぼしの仮面をかぶり、リモコンをもって、ときには舞台を旋回し、また、歌詞に合わせるようにリモコンを操作しながら舞台上をのた打ち回る独創的な踊りを披露し、聖歌隊も昨年度よりも一層面白い宇宙人のような振り付けでそれに応えるように動くのですから面白くないはずがありません。
 続いて、星美学園小学校聖歌隊が少年少女のための合唱組曲「風と人のオペラ」よりタイトル曲を歌いました。ここでは、人が幸せになるために何をすべきかというスケールの大きい歌です。さらに、この日出場の3校による「マリアさまのこころ」と「おやすみ神さま」がさわやかにしっとりと歌われ、心安らかなフィナーレとなりました。

チャリティ 小さな星たちのコンサート
文京シビックホール 平成26(2014)年3月24日(月) 

   僥倖  
 
 暁星小学校聖歌隊のチャリティコンサートが、関係者のみの内部公開になって以来、後日つくられるCDを聴いて楽しむしかないと思っていましたら、2月上旬暁星小学校聖歌隊から招待状が来ました。きっと、蓮沼勇一先生のご高配なんだろうなと思い、感謝しながらも、平日であるため、行けるかどうかわからない日が何日か続きました。去年までなら3月24日は、平日である限り絶対に行けない日でしたが、僥倖ということは本当にあるものです。行けるということが分かった時の喜びは、実に大きいものがありました。おかげさまで、この1年は、平日であったり、仕事が重なったりしてこれまで行くことのできなかったコンサートに行くことができました。

   いのちを感じて

 T部の前半は、暁星小学校聖歌隊が聖衣を着て登場。人数的にも毎年80人以上を確保しているところが、嬉しい。入学以来儀式等の学校行事のたびに先輩の歌を聴いて、聖歌隊に対して憧れをもって育っているからでしょう。また、歌が始まると、曲目も隊員は次々と変わっても、ゆかしく透き通ったトーンが維持されていることが、たまらなく嬉しい。選曲も決して奇をてらうことなく、「主のためなら」や「マリアさまの心」は、カトリックのミッションスクールに通う児童ならば日常生活の歌であり、「光のらせん」「小さな花」「生きるということ」「なみだ」「なぜ生きる」「あなたはどこに」と続く曲も初めて聴く曲なのに、小さな花の美しさを感じたり、いのちや生きていることの素晴らしさが歌詞がやさしいのですぐに伝わってきて心が温まりました。そのような「気付き」が暁星トーンで歌われるとき、心が震えるのです。
 後半は、従来のOB合唱団だけでなく、暁星中学高等学校合唱部も加わリました。この日を待っていました。私は、これまでずっと暁星中学・高等学校に聖歌隊やグリークラブはできないのかと思っていました。OB会というのも一つの道であることは確かですが、暁星小学校聖歌隊で学んだことを継続して生かしてほしいと願ってきました。この日は、暁星学園同窓生で惜しまれつつ早逝した植本一雄が作詞・作曲した讃美歌「みまねきかしこし」が混声4部合唱で歌われましたが、清澄な響きに重厚な響きが加わって美しいハーモニーを届けてくれました。さらに、男声だけになって男声合唱組曲「冨士山」より「作品第拾捌」、「作品第武拾壼」と漢字で書けば大変いかつい感じのする曲が2曲、さらには、小学生の頃歌って聴く人の心に大きな感動を与えた「Psaume de Ia Creation(創造の詩篇)」に挑んでいきました。その歌声は、かつてのような天に届くような輝きに満ちた声はありませんが、繊細かつ力強い構成美を聴かせてくれました。

   見事なハーモニー

 U部は、「いのち」で始まりましたが、生きていることのかけがえのなさや命のつながりについて歌われた歌のメッセージが明瞭に伝わってきました。続く「樹形図」は、昨年のNHK全国学校音楽コンクール全国大会で日野市立七生緑小学校と愛媛大学附属小学校が自由曲に採り上げていました。シンコペーションが多く使われたリズミカルな曲なのに、暁星小学校聖歌隊が歌うと、ただビートの効いた曲ではなく、リズムを活かしながらも、むしろじっくり聴かせる曲に仕上がっていました。
 そこからは、賛助出演の星美学園小学校聖歌隊が歌う「ヒッコリーのおくさん」と「ふるさと」でしたが、隊員の9割が女子なので、暁星小学校聖歌隊とは当然音色は違います。とりわけ、この1年間いろいろが合唱団でかなりよく聴いた(あるいは聴かせれた感のある)「ふるさと」が、横山潤子編曲で歌われると、かなり違った味わいの深みのある歌になっていました。続いて、晃華学園小学校聖歌隊&OGも加わって「蜂と神様」「届けよう 風にのせて」というカトリックの小学生なら歌える歌が合同演奏されましたが、毎年合同演奏しているとはいえ、音色が見事に統一されているところが素晴らしいと思いました。また、暁星中学高等学校合唱部・暁星小学校聖歌隊OB合唱団、最後には飛び入りの卒隊生も加わって「花は咲く」「ごらんよ空の鳥」が歌われましたが、これまた美しいハーモニーを聴かせてくれました。

 久しぶりに聴いた暁星小学校聖歌隊の清澄な歌声に心を満たされて帰路につきました。



 小さな星たちのコンサート 2015
平成27(2015)年3月22日
(日) 文京シビックホール


   暁星小学校聖歌隊の不易と流行  
 
 今年も暁星小学校聖歌隊のチャリティコンサートに行くことができました。いつものように、T部の前半は、暁星小学校聖歌隊が聖衣を着て登場。前半は、カトリックの聖歌ですが、何度も通っているうちに、いくつかの新しい発見もありました。その一つは、最初の頃はむしろ日本語の音韻としては異質に感じていた高田三郎の作品独自の節回しを自然に感じるようになってきたことです。また、後半には、昨年大ヒットした「Let It Go〜ありのままで」が横山潤子編曲で歌われましたが、これまでマスコミに登場するあくの強い歌とは全く違う歌に聞こえました。どうしてなんだろう?その理由の一つは、山場の「Let It Go」の部分だけが強調され突出して放映されることもあるでしょう。最大の理由は、前半の部分が暁星小学校聖歌隊特有の清澄な歌声であるため、その部分の美しさを再発見したためでもありましょう。さらに、「神様がわかるでしょ」や「天のきさき」のハーモニーの美しさを味わって聴くことができるようになりました。
 この日の聴きどころの一つは、映画「コーラス」の「夜」と「紙飛行機」。映画の上映から約10年。8年前に聴いた呉少年合唱団の歌も努力の跡を感じさせるものでしたが、特別活動「ステラ」を通して、フランス語を学ぶ機会を確保している暁星小学校の児童によって構成される聖歌隊の歌は、発音が美しくて秀逸でした。それよりも、「紙飛行機」の2回目の演奏は、2階席より実際に紙飛行機が飛ばされて、演出としても面白く感じました。このような選曲と演出は、暁星小学校聖歌隊の不易と流行を両立させる試みであったと言えるでしょう。
 その後は、晃華学園中学校高等学校聖歌隊と暁星中学校・高等学校合唱部の合同演奏で、ミュージカル「レ・ミゼラブル」より「サドゥンリー」と「民衆の歌」が英語で歌われましたが、15人ほどの少人数の混声合唱なのに、広い会場いっぱいに溢れる豊かな歌声は聴き応えがありました。

   今こそ、このような歌に挑まなければ

 今年もU部は、「いのち」で始まりましたが、ヴァイオリンの前奏に続いていのちの尊さを歌い上げるこの歌のメッセージは、浮き彫りにされていました。さて、この日の白眉は、「地球のてっぺん」でしょう。この歌は、いきなり北極の自然を描写するダイナミックな響きで始まりますが、次第にそこに住むホッキョクグマの親子が地球環境の変化で氷山がミシミシと崩れてやがて親子も消えていくという悲劇のドラマが展開していきます。だからこそ、世界中の人たちが、心を寄せ合い、美しい地球をみてほしいと訴えるメッセージソングです。この曲は、リズムもテンポの変化もかなり複雑で、その響きは現代音楽風で、これまで暁星小学校聖歌隊によって歌われた予定調和的な美しさをもった歌のイメージとはかなり違いましたが、今こそ、このような歌に挑まなければならないという強い心意気も感じました。
 賛助出演の星美学園小学校聖歌隊が歌う「花」は、一輪の花から広がる美しさを歌い上げたもので、力強ささえ感じる歌に仕上げっていました。また、「感謝します」は、苦悩の特にはきっと心にしみるであろう歌になっていました。その後は、合同演奏になり、「花は咲く」「届けよう 風にのせて」「平和の祈り」「ごらんよ空の鳥」と続きますが、飛び入り演奏も含め、音色が見事に統一されているところが素晴らしいと思いました。

 暁星小学校聖歌隊は清澄な歌声を基調にしながらも、新しいものに挑んでいることを感じさせる今回のコンサートでした。

 小さな星たちのコンサート 2016
平成28(2016)年3月21日
(月・祝) 文京シビックホール


   山口先生の背中に蓮沼先生が重なって見えた

 「今年は、山口が指揮をしますので、よろしく。」
 開演前に会場整理をされていた村上達也先生のご高配で蓮沼勇一先生にご挨拶した時に、そのような言葉を伺いました。
「山口」・・・そうだ、最近OB合唱団の指揮をされていた方だ。ということは、暁星小学校聖歌隊の卒業生で、小学生のころから蓮沼先生の指導を受けておられる直系のお弟子さんなんだ。その瞬間私の頭にそのような想いが駆け巡りました。合唱に限らずどのような分野でも指導者の後継者育成(リレー)をすることが組織の発展・永続のためには大切であることを最近痛感していますので、蓮沼先生の言葉が心に残りました。

 T部が始まり、聖衣を身にまとった70人ぐらいの隊員たちが4段に並んで整列すると、山口統央先生が登場して、「いのち 小さないのち」が始まりました。清澄な声の響きは変わっていません。それよりも驚いたのは、指揮をする山口先生の背中に蓮沼先生が重なって見えたことです。指揮棒は手と一体になって、肩の高さで半円や四半円の弧を描いて歌を統率し、踏み出す脚は動いているのに、背筋は大地と直角になっており、師匠直伝の指揮のスタイルは、歌声の指導だけでなく、確実に伝えられていることがわかりました。今回は、寺下徹先生の作品(「お手紙」「アヴェ・マリアの祈りU」「生きるということ」)が多く採り上げられていましたが、柔らかで穏やかな温かみのある歌に仕上がっていました。暁星小学校聖歌隊によって歌い継がれてきた「私をお使いください」は、天上より聞こえてくるようなオブリガードが美しく、「いのち」は、児童虐待やいじめが原因の自殺が連日報道される今こそ、その尊さを再確認させてくれる歌です。本当に、一言一言を大切に歌っていました。
 第1部の後半は、晃華学園・暁星学園中高合同演奏でしたが、暁星学園中高による男声合唱曲「虹 The Rainbow」は、声質が柔らかくて曇りのない歌に仕上がっていました。晃華学園も加わった混声合唱で歌われる「きみ歌えよ」は歌う喜びが、「ほらね、」は人を想うやさしさが直接伝わってくる軽快なテンポの歌でした。聖歌隊で学んだことが、生徒の成長に伴って継続発展することは喜ばしいことです。

   聖歌隊と合唱団の違いを感じさせた「シーラカンスをとりにいこう」

 U部は、紺のベストに半ズボンという制服スタイルに着替えた暁星小学校聖歌隊の「あいつ」で始まりました。この歌を初めて聴いたのは、元号が平成に変わったころ小川俊彦先生に率いられた愛媛大学教育学部附属小学校合唱部の歌でした。当時男女比は1:3ぐらいでした。子どもの「けんか」をめぐるかっとしていた心が、次第に相手の気持ちを考え内省的になっていく心の動きを描いたドラマのある歌声が斬新でしたが、30年近くたってもその歌声は心に残っています。しかし、合唱曲にも流行があり、最近ではあまり聴くことのできない合唱曲になっていました。暁星小学校聖歌隊の「あいつ」は、それと比べると、ややゆっくりしたテンポで言葉一つ一つをかみしめるように内省するところを大事にした演奏でした。それに続く「シーラカンスをとりにいこう」は、前日TOKYO FM少年合唱団で聴いたこれから弁当持って狩猟に行こうといった演奏とはかなり違って、タイムマシンに乗って古代生物をとりに行くのだろうかと感じさせるような透明度の高い演奏でした。この辺りに、聖歌隊と合唱団の違いを感じました。

 賛助出演の星美学園小学校聖歌隊は、昨年のNHKコンクールで歌った「地球をつつむ歌声」「人はなぜ」を歌いました。隊員は1名以外女子でしたが、課題曲の「地球をつつむ歌声」は、明るく輝かしい歌声で大きく盛り上げる歌でした。自由曲の「人はなぜ」は、ピアノの比重の高い歌でしたが、人がこのような気持ちになったりこのような行動をとったりするのはなぜだろうという根源的な問いかけに対して答える問答歌でした。山場では声が重なることもあって、競うようによく出る声そのもので歌ってしまうところが少し気になりましたが、同時にこれまで実績のあるこの聖歌隊ならこの歌の心をさらに深めることができるだろうという可能性も感じました。

   たとえ1分でもいいから「人はなぜ歌うのか」を歌いたい

 この日は、それまで総合司会役であった蓮沼先生が最後のステージの合同演奏に指揮者として登場。最初の二曲は同声合唱。「七番目の月」では、梅雨から盛夏へと向かう七月の叙景詩が美しく展開していきます。「届けよう 風にのせて」は、神様への賛美と感謝の歌を風にのせて届けようと爽やかに歌われます。だんだん人数は増えて「花は咲く」は混声合唱で、「ごらんよ空の鳥」は、会場からも卒業生がステージに上がって200人以上の大合唱になります。蓮沼先生は、最後の最後の許された残りの時間には、「人はなぜ」の中から、「人はなぜ歌うのか」という部分だけを採り上げて合唱しました。これこそ、このコンサートにおいて、喜び・悲しみに心が動かされたたときに、人を想い、共に祈り、共に生きるため歌わずにはいられないという人間の本質を伝えたかったのでしょう。

 帰宅してから、暁星小学校聖歌隊の初期のCDを取り出して山口統央先生は、暁星小学校聖歌隊がNHK学校音楽コンクールで連続金賞を受賞した平成9年度卒業生であることを確認しました。学問や芸術や武道が「守破離」の段階を経て大成するように、山口先生が蓮沼先生の教えを継承して、暁星小学校聖歌隊にさらなる発展をもたらすことを願っています。

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暁星小学校聖歌隊