ボーイ・ソプラノと変声期

 (1) 変声期の生理

  思春期に入り、性腺から男性ホルモンの分泌が盛んになると、発毛、変声、精通などの第二次性徴が現れます。これは、男女を問わず現れるのですが、男子においては、変声がより顕著で、個人差はありますが、現在では、10〜14歳頃(小学4年〜中学2年頃)にみられます。これは声帯に一過性の浮腫が起こり、その後、浮腫は結合組織の増殖という変化を経て、声帯が長くなるためです。変声前の声帯は、9〜10ミリぐらいの長さですが、変声後では、日本人では17〜21ミリ、西洋人では13〜24ミリぐらいと約2倍の長さになるので、約1オクターブほど低くなります。また、これに伴って、喉頭の甲状軟骨が前に突出し、いわゆる「のどぼとけ」、西洋風に言うと「アダムのりんご」が見られるようになります。
  変声期は、声帯粘膜が充血し、透明さを失い、粘液の分泌も増加すると共に、声帯の急激な発育に対して声帯筋の発達が伴わないため、声がうまく出ないことがあります。声がかすれたり、音域が狭まったりするのです。だいたい期間は、3ケ月から1年6ケ月位(たいてい半年から1年)といわれていますが、個人差が大きく、完全に安定するのには3〜4年ぐらいかかります。以前は、この間全く歌わせずに、鑑賞や作曲をさせたほうがよいという説もみられましたが、かえって、そうすることで、変声期が長引くという説もみられます。そこで、変声期の間は、本格的な歌の練習は避けるのは当然ですが、自分の出しやすい声域で無理のない発声で歌わせることが望ましいというのが、現在では定説になってきています。
  変声期は一般に、初期、中期、後期の3期に分けられますが、前述したような症状は、初期から中期にかけて強く、後期になるにつれて次第に軽くなります。これら3期の特徴は、次のようです。初期では、声がざらつき、つやがなくなります。また、声域が下降します。中期になると、さらにつやがなくなり、高音が出しにくくなります。シャーと声がかすれ、ひっくり返る「声破」という現象がみられたりします。さらに、声域が狭くなり、ひどい場合は、1音しか出せないようなケースもみられます。後期にはいると、声のつやと潤いを取り戻してきて、声の変化も安定してきます。また、声量も豊かになり、声域の下限が広がるといった特徴がみられます。いずれにしても、高い声が出しにくくなり、声がかすれたりすることは共通してみられます。
  変声期の初期は、本人にも自覚しにくいことがあり、周りの人から指摘されて、初めて自覚することもあります。また、風邪による声がれを変声期と間違えることや、逆に、変声期の訪れを風邪と間違うようなこともあります。 

 
(2)  早くなった変声期とその影響

  変声期は、個人差もあり、また、時代、地域、人種、遺伝、生活環境、風土などによって差がみられます。一般的には、暖かい、都会化、肉食という条件は、変声期を早めると言われていますが、現在の日本では、テレビなどの発達による情報の普及や、食生活の向上のため、以前ほどあまり地域差はみられなくなりました。むしろ、いずれの地域でも、体位の向上、環境の変化、情報量の増加等に伴う変声期の低年齢化がみられます。これは、他の第二次性徴の出現に見られる発達加速現象あるいは、発達の前傾化の現れの一つです。
  ダウは、バッハに指導された少年合唱団の資料から、18世紀の男子の変声期をほぼ18歳と推定しています。1732年生まれのハイドンは17歳で、1797年生まれのシューベルトは、16歳で変声期を迎えたという記録が残っています。それならば、1756年生まれのモーツァルトが14歳で変声期に入ったのは、当時としては早熟だったのでしょうか。その後のいろいろな調査結果を見ると、男子の変声期は、次の表のように早まってきています。

西     洋
調査者 変声期(年齢)
1886 フォルニー 14〜16歳
1922 ヘス 12〜16歳
1954 スコット 14.15歳
1959 スコット 13.83歳
日     本
調査者 変声期(年齢)
1934 林 義雄 15〜16歳で60%完了
1935 藤田 辰男 14〜14歳6ヶ月
1965 原田 利治 12歳6ヶ月〜13歳
1970 加藤 友康 12〜14歳
1972 小野田 正之 小学校6年生から始まる
1990 桑田 敏一 小5で34,2%
小6で49.8%が開始
2004 益田 慎 平均的に12〜13歳

  松村直行は、1974年の新学期(4〜5月)に大阪教育大学附属池田小学校から高等学校までの小学校5年〜高校1年の子どもの(男女 852人)声域調査を通して、変声の進行度合いを調査しました。その結果、特に男子については下の表のような割合で変声が進んでいることが明らかになりました。

学年

区分
小5 小6 中1 中2 中3 高1
変声終了 0  1 7(8) 45(54) 58(67) 59(95)
変声中 0  6(8) 43(51) 54(29) 18(21) 2(3)
未変声 75(100) 70(91) 34(41) 15(17) 10(11) 1(2)
計(人) 75 77 84 84 86 62
                             ( )は、%

 この調査の結果、既に中学入学時点で、約半数の子どもが変声期を迎えていることが分かりました。これをもとにして、松村は、その当時使用されていた教科書の歌唱教材の声域が、子どもの変声の実態にそぐわないという問題点を指摘しています。
 これら各種の調査結果から、確実に変声期は早まっており、最近20年程は鈍化してきているものの、現在では、早い子どもは10歳(小学校5年生頃)から始まり、東京都の調査や1990年に桑田グループが行った調査では、小学校卒業までに半数近くが変声し始めているという結果もみられます。
  一方、杉山
知子・佐藤恵子は、1997年6月に岡山県津山市の小学校4〜6年生の児童を対象に変声の自覚症状について調査を行った結果は次のようです。なお、この研究は、男女を対象に行っていますが、ここでは男子の結果を掲載します。

 学年 小4 小5 小6
 自覚症状のある児童 18(17.5)  21(14.5)  29(19.1)
 自覚症状のない児童 85(82.5)   124(85.5)  123(80.9)
計(人)  103  145  152
                            ( )は、%

 これによると、学年間の差がほとんど見られず、小学6年生の6月までに変声を自覚する児童は、約2割という結果がみられます。しかし、これは、本人の自覚症状の調査であることや、津山市という地域性によるところもあるのではないでしょうか。
 変声期についての最近の研究で、サンプル数の多いものとして熊本大学の森恭子・関綾子は、熊本県内の60校の中学校の中学2年生男子2096人(女子2043人)を対象にして変声に関する9項目について2002年9月に調査研究しました。その結果、男子については、次のような結果がみられました。

 学年 小4 小5 小6  中1  中2  計
変声に気付いた時期 20 (1) 78 (5) 352(23) 872 (56) 229 (15)   1551(100) 
                                          ( )は、%

 この時点では、まだ26%の男子生徒が変声に気付いていない(あるいは無回答等)ですが、中学1年生が変声のピークになることや、小学生で430人(28%)の児童が変声に入って歌唱指導が難しくなっている実態が明らかとなりました。

 さて、変声期の早期化は、音楽や保健における指導時期にも影響を与えています。私が小・中学生時代の1960年代では、中学1・2年でしていた変声期の指導は、現在では、音楽の教科書では、小学5・6年でしています。さらに、小学校段階で変声期を迎える子どもが増えてきたことを反映して、2008年に告示された学習指導要領改訂では、変声期に関する指導が明記されました。
  また、変声期が早く訪れるようになったことは、それだけボーイ・ソプラノとして実質的に歌える期間が短くなることであり、歌の心を深く理解して歌える前に変声してしまうことになりがちです。年齢の壁を破ることは、難しいことです。やはり、12歳の少年と14歳の少年では、声や歌心の育ちも違います。このことが、世界の少年合唱団の指導者にとっても大きな悩みとなっています。

 なお、世界の少年合唱団関係者の発言から、外国の子どもの変声期も近年早期化していると考えられます。あまり知られていませんが、日本の子どもは欧米の子どもと比べてかなり早熟であるという調査結果がみられます。この原因はよく分かっていませんが、医学者の額田成によると、日本人の子どもは欧米人の子どもよりも、早く大人の身体になってしまい、その結果、早く身長の伸びが止まってしまうそうです。また、男性の精通年令を1970年代生まれの男性について調査したところ、平均が12歳10カ月でした。これは、欧米の男性と比べて1年程度、早いことが分かりました。

  男性の精通年齢
 国名 日本 ドイツ デンマーク  アメリカ
精通年齢の平均 12歳10か月 14歳1か月 13歳5か月 14歳


   
(3)変声期の心理

 さて、少年たちは、変声期をどう受け止めているのでしょううか。例えば、1990年に、東京都の小学校高学年の子どもを対象に行った性に対する不安や悩みのアンケート結果を見ると、男子5年生では40パーセント、6年生では、32.7パーセントの子どもが変声を挙げています。この数値は他の項目と比べて断然トップです。それまで慣れ親しんだ声が変わったり、出しにくくなったりすることは、少年たちにとって大きな不安なのです。
 それと、同時に、いつ変声するかということも、少年たちにとっては、大きな関心事です。変声の早い少年が周りの友達にからかわれたり、親や周りの大人からその早熟ぶりを指摘されて精神的に傷ついたり、無口になったりすることはしばしばみられます。また、反対に変声の遅い少年が、周りの友達が次々に変声するのに、自分だけ取り残されるような気持ちになって、あせることも見られます。思春期は、周りの友達と比べて早い遅いということがたいへん気になる時期です。しかし、この不安は、全員が変声してしまえば収まるという性質のものです。次のある少年の作文は、その辺りの心理をよく表しています。
「ぼくは歌には少しだけ自信があった。すきとおるような声だと先生にもほめられていたんだ。でも、5年生の2学期ごろからかぜをひいたわけでもないのに声がしわがれてきた。高い声を出そうとしたら声が変にひっくり返って友達に大笑いされてしまった。それからは音楽がいやになったけれど、一人二人と声変わりする子がふえて、みんなも笑わなくなってきた。中学3年の今、ほとんどの子が低い声に変わっているので、だれも気にしていない。」
 従って、指導者は、変声期を暖かく見守ってやる必要があります。東京放送児童合唱団の指揮者である古橋富士雄は、次のように述べています。
「男子の場合、完全に声が出なくなり大人の声になりますから、誰でも気が付きます。一番ショックを受けるのは母親だそうですが、毎日仲間と歌い合ってきた子供にとって『変声』と宣告されたショックは想像以上に大きいものです。我々は『これは男の勲章だから、君もいよいよ大人になるね!』と励まします。『君は変声』という言葉に耳が慣れれば、後は何でもありません。自分で考えて、高い音はファルセットで出すようになったり、「アルトの低い音は君がしっかり支えて・・・」と、頼んだりするなど、指導者の配慮があればそれなりにうまくいくはずです。」
 親もまた同様で、不用意な言葉で子どもを傷つけないことが大切です。それでなくても感じやすい時期です。子どもの成長を喜ぶ親であって欲しいものです。
 ヨーロッパでは、ボーイ・ソプラノのことを「神様のいたずら」と呼んでいるようです。神様がある少年に美しい声を与えておいて、ある時期がきたら、否応なしに奪い去ってしまうところからきた言葉です。たいへん美しくも残酷な名前です。平均的な少年でさえ、変声期は不安や悩みが多いのですから、まして、美しいボーイ・ソプラノを持った少年にとって、変声期はかなり辛いことでありましょう。
 古い例では、ハイドンは、変声によって、弟に独唱者の座を奪われたとき、友達のおさげ髪を切って合唱団を追放されてしまったという逸話が残っています。また、ウィーン少年合唱団を舞台にして描かれたディズニー映画「青きドナウ」の主題は、変声期の悩みです。そこでは、変声期が近づいて、ソプラノからアルトにまわされたピーター少年が、新入生でソプラノのソロに抜擢され、自分の役を奪ったトニー少年にいろいろと意地悪をする場面がみられます。これらの行動の深層心理を考えるとき、肯定できないまでもうなずけるものがあります。
 しかし、蝶々がさなぎの時期を越して美しい成虫になるように、変声期という冬の時期をじっと耐え、心を磨いた少年だけが大きくはばたくのです。そんなことができるならば、その少年の一生にとってボーイ・ソプラノは美しき思い出であると同時に、人生のプロローグとさえなるでしょう。ボーイ・ソプラノは、少年時代だけに与えられた仮の声なのですから、いつまでもそれにしがみつくことは、むしろ、その少年の人間的成長を妨げるのではないでしょうか。
  とはいえ、美しいボーイ・ソプラノを失うことに対して、当事者の少年が心穏やかではないことも考えられます。この辺りは、かなり個人差があるのではないでしょうか。例えば、感受性の強い少年にとっては他の身体の変化とあいまってかなりショックでしょうし、兄がいてその変声の様子を側で見てきた少年にとっては、かなりしっかりと受け止められるのではないかと思います。児童合唱団によっては、変声後もファルセットを駆使して同声合唱をさせているところもあります。カウンター・テナーをめざす少年の中には、その深層心理として、美しいボーイ・ソプラノを維持したいという気持ちが働くこともあるでしょう。

  
(4) 変声期前と変声期後

 変声前に美しいボーイ・ソプラノであったということで、必ずしも変声後も美しい声になるという保証はどこにもありません。しかし、発声法の研究家の永吉大三は、その著「発声法の理論と技法」の中で、次のように述べています。
 ・・・変声前の声が美しく豊かな声を持っているということは、他の人より声帯や共鳴腔の形、容量等が一段とすぐれている証拠であるから、中には変声期の成長の具合によってせっかくの天分を失うものもいると思うが、確率からみると、恵まれた子供の中から優秀な声の持ち主が出る公算が多いはずである。ところが、実際には童謡歌手とか児童コーラスで活躍した中から、すぐれた声楽家が生まれる例は大変少ないというのが現状である。・・・
 いわゆる「童謡歌手」と呼ばれる子どもの発声はかなり特殊です。少なくとも、クラシックの声楽の発声からみると異質です。そして、実際に日本でも、女声では安田祥子や由紀さおりのような成功例はあるものの、男声で藤山一郎のように童謡歌手出身で成功した例は極めてわずかです。昭和30年代にボーイ・ソプラノとして活躍し現在カウンター・テノールで活躍している岡田孝などがその数少ない例でしょう。昭和20年頃、「お山の杉の子」などを歌い、ラジオに映画に活躍した当時の少年スター加賀美一郎や、昭和30年頃紅白歌合戦に2年連続出場した河野ヨシユキがその後、声楽家として大成したという話は聞いていません。河野ヨシユキが今ではジャズシンガーとして大人の歌を歌い続けていることは、知っていますが。しかし、学芸会のスターから声楽家になった日本声楽界の大御所五十嵐喜芳のような存在を忘れてはならないでしょう。
 一方、海外のクラシックの声楽界では、少年時代に美しい声の持ち主であったが、変声後も、男声として活躍している例が少なくありません。古くは、カルーソーや、ジーリ、タリアヴィーニは、少年時代に聖歌隊で歌っていたし、ビョルリンクは、親兄弟で四重唱団を結成して各地で歌っていました。現代の3大テノールのパヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスも、幼少時より歌い続けています。中でもジーリは、幼時「鐘樓のカナリア」と騒がれていたそうです。カレーラスがボーイ・アルトの声で歌う「女心の歌」は、録音が残っています。また、デビューはファリャの「ペドロ親方の人形芝居」であったといいます。
 次に、変声期前の声の高さと、変声期後の声の高さの関係について考えてみましょう。耳鼻咽喉科医で音声言語医学者の加藤友康は、その著「ボイス&ボディートレーニング」の中に、次の様な研究報告を載せています。それによると、変声期前、高い声(ボーイ・ソプラノ)だったものが、そのままテノールになった例、低くなって、バリトンやバスになった例があります。反対に、変声期前低い声(ボーイ・アルト)だったものが、成人後は高い声になった例もあり、全く予測がつかないといいます。前述した永吉大三も、同様のことを述べています。
 この問題については、反論もあります。ホセ・カレーラスやヘルマン・プライの自伝には、ボーイ・ソプラノはバリトンやバスになりやすく、ボーイ・アルトはテノールになりやすいと書かれています。五十嵐喜芳も、NHKのラジオ番組にゲストで出演したとき、同様のことを言っています。そして、自分のようにボーイ・ソプラノからテノールになった例は少ないとも言っています。そこで、自伝やインタビュー等をもとにして、有名な声楽家の変声期前の声と変声期後の声の関係について調べてみましょう。

 変声期前 変声期後  声  楽  家
ソプラノ→テノール ロックウェル・ブレイク  ジュゼッペ・サッバティーニ 
ピーター・オーティ
五十嵐喜芳 小林一男
ソプラノ→バリトン ハンス・ホッター ヘルマン・プライ
ジェラール・スゼー
 デレク・バーシャム
ビリー・ニーリー セバスチャン・ヘニッヒ 
アレッド・ジョーンズ コナー・バロウズ
ルートヴィヒ・ミッテルハンマー アクセル・リクヴィン
斎藤  達雄    坂本 博士  坂本 秀明
 
ソプラノ→バス フェドール・シャリアピン
ニコライ・ギャウロフ

佐々木  行綱
アルト →テノール エンリコ・カルーソー
ルチアーノ・パヴァロッティ
ホセ・カレーラス ペーター・シュライアー
アルト →バリトン ディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウ

 この結果からは、必ずしも一定の結果は認められません。耳鼻咽喉科の医学者でもある林義雄は、その著「声のよくなる本」で、変声期前と変声期後に一定の関係はないことを述べた後、声の種類は、声帯の長さによると結論づけています。ところが、同じ声帯医学者の米山文明によると、声種の分け方は、必ずしも声帯の長短だけで決められないと言います。確かに声帯の長い人が低い音を出せるのは確かですが、声帯および筋肉の緊張力と発声技術がうまければ、高い音も出し得ます。一方、短い声帯の人は、高い音を出すのには有利ですが、低い音を訓練によって出す可能性は非常に少ないと言えましょう。
 また、変声期直後は、声が低くなって、バリトンになるが、その後、声楽を学ぶうちに次第に声質が変化してテノールになるという例もかなり見られます。プラシド・ドミンゴ、ニコライ・ゲッダ、カルロ・ベルゴンツィなどがそのような例です。宮原卓也に至っては、何とバスからテノールになっています。だから、変声後すぐに声種を決定しないことが大切です。バリトン・バスは25歳から、テノールは30歳からということを主張する音楽指導者もいます。また、変声直後すぐに無理をして高音の訓練をすることは声帯によくないと言われています。待つことの大切さが求められます。
 また、カウンターテノールは、変声後訓練によってつくられた歌声なので、話し声の方は、テノールもいればバリトンもいます。

       
(5)我が国における変声期の研究と録音・録画資料 

  我が国における変声期の研究が厳密にいつから始まったかを明確に特定することはできませんが、井上博子は、「少年合唱における変声に関する一考察 : 我が国とドイツの事例を通して」の研究を通して、明治以来の「歌わせない」時代から、第二次世界大戦後の「男子発声指導の推進」を経て、「歌わせる」方向へと推移していったことを文献研究を通して概観しています。

 明治以来の変声期には「歌わせない」指導の理論的支柱となったのは、1902(明治 35)年に制定された「中学校教授要目」における「唱歌」の「教授上ノ注意」であり、1911(明治 44)年に出版された『ジーベル唱歌法』は、明治期において西洋音楽の普及、教育に努めた乙骨(おっこつ)三郎によって独語から邦訳されましたが、そこでは、「凡て変声の間は決して歌ってはいけない。」と述べられています。
  このように、この当時は、「変声中は歌わせない」という主張が主流であり、「頭声発声」を唱えた草川宣雄(1923)は、変声期には唱歌はしないが器楽の練習をさせるように主張しています。また、「中声発声」を唱えた福井直秋(1924)は、 同級児童の唱歌を傾聴させたり、教師の範唱や演奏を鑑賞することの重要性を述べています。
  一方、「虫の声」「お月さま」等、日本音楽史上に残る数々の作品を遺した井上武士は、第二次世界大戦後、『音楽教育精義』(1949)において、「変声期中は理想からいえば絶対に歌わせないのがよいのであるけれども、実際問題として全然歌わせないということは 困難である」と述べ、変声期児童・生徒の取り扱いについての重要点を次の4点にまとめて提示しています。この考えは、その後の変声期の指導に大きな影響をもたらしています。
(1)長い時間続けて歌わせないこと。
(2)あまり強い声を出させないようにすること。
(3)特に声域中の高い部分の音が続くような教材は避けること。
(4)変声期を過ぎれば1オクターブ下がるが、変声期中の児童生徒は小字ト音から1点ロ音位迄の声域である。特に変声期中の児童・生徒に歌わせる必要があれば、この音域内に移調して歌唱させる。

 文部省は1952(昭和27)年から 1954(昭和29)年までの3カ年間、小学校における音楽科の指導をより効果的にするために、仙台市立南材木町小学校を研究校に指定して、児童発声の実験的研究をもとにして、その研究成果を《初等教育研究資料第]W集『頭声発声指導の研究』音楽科実験学校の研究 報告》にまとめました。その後、品川三郎は、大阪府池田師範で教鞭をとっていましたが、日本の児童発声がふるわないことを嘆き、小学校の現場に身を転じて「みのお少年合唱隊」を設立して、男子児童の発声を研究し、正しい発声法を指導すれば、男の子の歌声(ボーイ・ソプラノ)は、女の子の歌声をしのぎ、芸術的にも高いものになることを証明していきました。同じ頃、鎌田典三郎は、「西六郷少年合唱団 」を設立して男子の発声を研究し、当時来日したウィーン少年合唱団の影響もあって、児童発声において頭声発声が重視されるようになりました。併せて、 鎌田典三郎は、変声期の指導にも取り組みました。
  その流れは、高山清司(1958) 薗田恵一郎(1961) 森恭子と関綾子(2002)竹内秀男(2009)等に引き継がれています。 さらに、高橋雅子は、2011 年以降、Cambiata Concept を適用した変声期男子の具体的指導方法についての論文を継続的に発表しています。我が国の変声期男子に対する指導法と共に、教材開発の必要性を提示しており、多くの示唆を含むものであり、 井上博子は、「現在、指導法の中心は「変声期間中に適した教材の開発」へと進んでいると言えよう。」とまとめています。現在では、ほぼ定説になっている指導方法に関することがらも、戦後70年ぐらいかけて広まってきたと言えましょう。

 さて、かなり以前より、変声期と重なる小学校高学年児童や中学校生徒を指導する現場教師から「男子が歌わない。」「合唱部に男子が入らない。」という実態が報告されてきました。変声期の男子に歌を喜んで歌わせることができたら、それだけで相当指導力のある教師であると言えましょう。それだけに、教師は変声期のメカニズムと、その心理をつかんで指導にあたることが望まれます。
 そのようなときの基礎資料として、以下のような「変声期」の録音やビデオが参考になります。それらは、子どもの不安を解消し、希望をもたせるのに貢献すると考えられます。

 変声期の録音資料のうち特筆されるのは、1963年度イタリア賞(イタリア放送協会の提唱で1948年に創設された放送番組のコンクール)参加作品 NHK制作の「ドキュメンタリー 変声期」です。これは、東京放送児童合唱団の団員(男子2名、女子3名)の変声の様子を週1回ずつ記録した貴重なLPレコードです。何と録音回数120回というからたいへんな労作と言えましょう。
 特にボーイ・ソプラノの古庄紋十郎が12歳から15歳までシューベルトの「子守唄」の一節を歌った記録は、データ数も多く変声の様子が克明に記録されています。また、ボーイ・アルトの今野真一の歌唱記録は「冬の星座」ですが、記録し始めたのが13歳(中1)で既に変声期に入っており、変声前の歌声が聴けないのが残念です。この作品はさらに解説の台本があり、バックミュージックもありドラマ仕立てになっているので、小学校高学年から中学生に与える教材としてもふさわしいものです。
 このレコードは、おそらく家庭にはなく、小・中学校の音楽室の片隅などに眠っていたと考えられますが、関西地方では、平成6(1994)年1月7日に「探偵ナイトスクープ」で、採り上げられ(当時は全校放送ではなかった)、古庄紋十郎を知っている人のインタビューから早逝されたことがわかりました。その後、平成15(2003)年7月23日に全国放送されていた人気テレビ番組の「トリビアの泉」で紹介され、急に脚光を浴びることになります番組終了後はこの番組本にも掲載されました。この番組を見た人の中から、古庄紋十郎の歌声の思い出を語る人も現れ、このレコードが、全国の小・中学校にかなり流布していたことが伺われます。なお、古庄紋十郎は、東京放送児童合唱団に在籍していました。このレコードは、昭和38(1963)年制作されたドキュメンタリーですが、学校音楽科指導用の教材として「変声期」というレコードとしてコロムビアより発売されたのは、昭和43(1968)年です。その時差がいろいろな誤解を生みました。そこで、「トリビアの泉」で紹介された部分をご紹介しましょう。テーマは、 『声変わりの瞬間が録音されたレコードがある』
https://www.youtube.com/watch?v=gxFjVVgghCA

 その他、変声期の録音資料としては、伊藤武敏・藤井憲・渡辺睦雄共著の「変声期における歌唱指導」、渡辺睦雄著の「児童期・変声期・成人へつながる発声と合唱の指導」があります。また、ビデオ資料としては耳鼻咽喉科医師の米山文明著『声の不思議』第3巻「声の発見」や、最新の指導記録としても価値がある高橋保則著「変声期の指導」全3巻があります。
 また、変声期だけの記録ではありませんが、西六郷少年少女合唱団の指導者 鎌田典三郎が昭和56年に32年間にわたる研究資料としてまとめた「歌唱・合唱(発声)指導実践記録特集」は、非売品ではありますが、貴重な録音資料です。小4〜中1の16名の少年の歌唱や、数人の少年を変声前から中学生・高校生になるまで(シャンソン歌手になった少年は24歳まで)追いかけて録音しています。中には、変声期の少年にソプラノとアルトの両方で歌わせたりしているものもあります。

  それ以後、変声期とその指導について書かれた著書は、ほとんどありませんが、最近、録音記録をCD化して授業でも活用できる本を著したのは、長年にわたって青森県の合唱教育をリードし、八戸市立根城中学校をNHK全国学校音楽コンクールで連続4回・合計8回全国優勝させるなど、その指導力が高く評価された竹内 秀男「変声期と合唱指導法のエッセンス」〜授業で聴かせたい変声の様子〜(教育出版)です。(2009年)この本では、学校現場の教師や合唱団の指導者を対象に、1章 変声期への理解を深める〜心身の発達と声に起こる変化〜 2章 小・中学生の"変声期の歌声" 〜子どもたちに聴かせたい変声の過程〜 3章 小・中学生に伝えたい発声法 〜ひびき(共鳴)を中心とした指導〜 4章 曲想表現を深める合唱指導の工夫 〜表現の喜びを伝える〜 5章 伝える言葉・伝わる言葉 子どもの音楽的変容をさぐる〜そのひと言〜 と章立てして、変声期とその年齢の児童・生徒の指導について、ポイントを押さえて述べています。とりわけ、この中では、ひろたようすけ(漢字不詳)の小学5年10月から中学3年11月まで4年間「秋の子」を歌わせることで変声の記録を録音しています。また、変声中も気持ちよく歌える歌唱指導の在り方、合唱の在り方について指導的な観点も入れて録音しているところに特色があります。指導によって歌声が変わることがよくわかります。

  その後、音楽教育関係以外のところで、変声期の様相を視聴することができるようになってきました。それは、YouTubeの発達によるところが大きいです。YouTuber(ユーチューバー)は、YouTubeに録画したものを公開することで、収入を得ることができるようになり、子供が将来就きたい職業として人気が高く、2018年現在、日本で小学4年生の『なりたい職業ランキング』3位にランクされるようになりました。イギリスでは、同時期に、3人に1人の子供の憧れの職業になっています。さて、少年歌手や少年俳優の声の変化の様子を編集したり、自らの声の変化を編集してアップすることで、変声期の様相を視聴することがたやすくなってきました。
例えば、薮宏太の今と昔 声変わり前後のまとめを比較したものがあります。
https://www.youtube.com/watch?v=5mbD8oOM5ts
また、俳優の神木隆之介の声優としての声の変化を編集したものもあります。
https://www.youtube.com/watch?v=59bAJehJC80
YouTuber(ユーチューバー)とは言えないまでも、Youtubeをやっている少年たちが自らの声の変化を特集しているものもあります。
https://www.youtube.com/watch?v=B8wJw0zka0w
https://www.youtube.com/watch?v=_Z7guHn87WE


       
(6)変声期に対峙するボーイ・ソプラノたち

 第二次性徴期における発達課題の一つは、第二次性徴の身体の変化を受け容れることです。たとえなかなか受け容れたくなくても。ボーイ・ソプラノが美しかった少年にとって、変声期はまさにそのようなものです。ここでは、最近変声期を迎え、それに対峙するボーイ・ソプラノたちを追ってみました。

 発達課題:ロバート・J・ハヴィガースト(1900〜 1991)が1953年に提唱した、人間が健全で幸福な発達をとげるために各発達段階で達成しておかなければならない課題であり、次の発達段階にスムーズに移行するために、それぞれの発達段階で習得しておくべき課題

      
@ 未来和樹の場合

 未来和樹(2002〜  )の名は、平成29(2017)年7月〜11月に日本人配役によって初演されたミュージカル「ビリー・エリオット 〜リトル・ダンサー〜」において約1年半に及ぶ長期オーディションの結果、主演のビリー役に抜擢されたことから、特にミュージカルの分野で世に知られるようになりました。しかし、歌においては、4歳より日本国際童謡館 専属歌手のそがみまこに師事し、全国各地の童謡コンサートに出演し、平成27(2015)年、童謡「たまちゃんなみだがめにしみて」と「おんぶマン」でCDデビューしており、NPO日本国際童謡館かながわ主催で、 平成28(2016)年3月28日(月)新宿文化センター小ホールで、「童謡を未来の風にのせて 未来和樹デビューコンサート」を開催しています。
 ビリー役を演じた頃は、ボーイ・ソプラノとしては最後の時期にあたりますが、15歳の半ば過ぎまでボーイ・ソプラノの声を維持できたことそのものが、現代日本ばかりでなく先進国においては奇跡に近いことです。それだけに消える直前のろうそくが最も美しい輝きを放つように透明度の高い柔らかな歌声で歌詞の一節一節の意味をかみしめるようにつないで情感豊かに紡ぎあげました。
 さて、未来和樹は、変声期が始まった平成29(2017)年末頃より、自らのtwitterに変声期の進行状況について、詩的に綴っています。文才にも恵まれている未来和樹のtwitterに綴られた想いを追ってみましょう。

2017年11月15日
 最近は、高音が出しづらくなってきました。
そろそろこの声を神様にお返しする日が近づいてきてるのかなぁ。
またどんな新しい声を頂けるのか楽しみです

 2017年12月24日
  先日神様のもとへ行き、今までの声をお返ししてきました。
次はどんな声を頂けるのだろうと楽しみにして行ったのですが、なんと神様、「新しい声はまだ製作中だからもう少し待ってね」と??
完成している部分だけで構いませんのでどうにか………と頼み込んでなんとか声をお借りすることができました^^;
帰って来た僕は、慌ててサンタさんにお願いしました。
「新しい声をください!!」
するとサンタさん、
「あー、もう今年の分は締め切っちゃったんだよね?。来年の方に予約入れとくね?!」
・ ・ ・ ・ ・ 。
暫くの間はこの声ですが、未完成の部分には僕の心を沢山詰め込んでお届けしますね(*^^*)

 この2日後、新宿文化センターで開催された第19回 児童劇団「大きな夢歌唱コンクール」においてアオトニー賞特別賞受賞を受けて「ビリー・エリオット 〜リトル・ダンサー〜」より「Electricity」を披露しています。

 2018年3月29日
  僕の頭の中にはまだ、あの高い声が響いているから、気を抜くとつい1オクターブ上で歌い出してしまいます。その少しかすれた裏声を聞くと、寂しいのは確か。でもお母さんは「今の声の方が何倍もいい!」とお気に入り。声の表情がうんと増えました。
  神様が製作中の新しい声、完成も間近なのかな。

 2018年4月5日
  今日は、ルイト主演のミュージカル「リサとガスパール」観劇してきました?
久しぶりのルイト、歌もダンスも芝居も明らかにパワーアップしてて、凄かったです!
僕と同じく変声期の真っ只中でとっても大変な中、それを全く感じさせない良い声だったなぁ。
僕も勇気をもらいました。

 2018年6月30日
  少しずつ、声域が広がっていくのが分かります。
少しずつ、歌える歌が増えていくことが、今の日々の楽しみ。
いつの日か、僕の声がもっともっと色鮮やかになったら、みなさんからのリクエスト曲ばかりを集めたLIVEをやってみたいなぁと思ったり。
実現できるといいな?(´?`*)

  2018年12月3日
  最近、日を追う事に声が低音も高音も安定してきていて、以前に増して歌うことが楽しくて楽しくて仕方がないんです。気持ちよく音に声が当たる。
思えばちょうど1年程前から変声期が始まったんだなぁ。
これから半年でまたさらに進化するであろう僕の声。来年のライブがますます楽しみです!!
嬉しくて一日中歌っている僕。
日々声が深く、太くなりつつある上に、僕の口と母の耳が同じ高さになったものだから、母はますます悲鳴をあげています。笑
ついに先日、母の半径3メートル以内での熱唱禁止令が発令されました(汗)

  2018年12月25日
  メリークリスマス。
サンタさんは神様からのメッセージカードを届けてくれました。
もう少しで新しい声を届けられるよ。
あとは自分でいろんな色をつけて完成させてね。
そしてたくさんの人の心を幸せにするためにつかってね。
サンタさん、来年はどんな素敵なものを届けてくれるのかな。

  2019年3月21日

約2年ぶりにnanaに歌を投稿してみました。
なにせ変声期を迎えてから投稿するのが初めてのことなので、出すのには結構勇気が必要で、スマホの画面の前で投稿ボタンを押すかどうか1時間くらい悩みました(汗)

 平成30(2018)年5月には、熊本、札幌、東京でB×bLIVE「MIRAI」というライブコンサートを行いましたが、変声中の少年が主役となるコンサート(ミュージカル)は、これまでに全くないわけではありませんが、希少価値があります。ところが、2〜3月頃FMラジオ等で聴く話し声が、アルト系になっていましたが、変声中ということが信じられないほどの美しさでした。そこで、この時点では、リリコ・レジェーロの甘いテノールの歌声を予想していたのですが、さらに、5月のコンサートでは、かなり低めの音域を基調にして歌っていましたが、ときには、美輪明弘をほうふつさせるような凄みさえ感じました。また、ときにファルセットを駆使することはあっても、決してファルセットに逃れない正攻法の歌によって、今だけ聴くことのできる歌声を披露しました。声が安定するまでには、まだ時間がかかると思いますが、決してあせらず、自分の道を進んでほしいと願ったものです。この年10月11〜21日、Leadトリプル主演舞台『NEWライブ・レボリューション ?スッポンポンで愛を!?」』に出演して、歌・ダンス・芝居を披露しましたが、声も5月と比べても安定度を高め、艶のある響きを出していました。とりわけ、ファルセットの美しさは特筆できるもので、今後広い声域の歌を歌える可能性を感じました。2019年5月には、「未来和樹 SINGS HEART LIVE 2019」を開催します。また、7月〜9月には、新作のミュージカル「オリヴァー・ツイスト」にオリヴァー役で出演します。

  未来和樹は、『未来和樹 SINGS HEART LIVE 2019』を5月に開催するにあたって、SPICE(エンタメ特化型情報メディア)のインタビューを受けています。それを安藤光夫が構成して、変声期についての部分は、次のように文章化しています。

 変声期が一番大変でした。『ビリー…』が終わった直後に来て。一昨年の暮れから声が急に出なくなって、最初「風邪かな?」と思ったんです。でも、ずっと潰れ続けていたから「変声期が来たんだ」と気付きました。最初の頃は声が出なくて大変で。本当は変声期って喉を大切にしないといけない、あまり声を出さない方がいいと言われています。でも、ぼくにとって歌とは呼吸するようなもので、歌わないと窒息しちゃいそう(笑)。歌のない生活なんてありえなかったので、変声期の間もずっと歌っていたんです。でも最初の頃は声が出なくて、「前みたいに綺麗に声をすっと出せるようになるのかな」「ずっとこのままだったらどうしよう」と、不安で悩んでた時期もありました。でもそれで歌が嫌いになるということはありませんでした。
 変声期は今もまだ終わってはいません。前のように綺麗に安定するには2年くらいかかると言われていますから。去年、熊本・札幌・東京で『B×b LIVE MIRAI』というライヴをさせていただいたんですけど、新しい声になって初めてお客様の前で歌いました。とても大きな拍手をいただけて、その時に初めて「ああ、この声でいいんだ」と、少し自信を持つことができました。それ以来、不安はなくなりました。(出典:SPICE 2019.4.2 聞き手=島崎あさみ 構成・文=安藤光夫)

 未来和樹は、「SINGS HEART LIVE 2019」の中で、自分の本心を語っています。それは、ツイッタ―情報だけを読んでいた私にとっては、想像以上のものでした。「朝起きたら、昨日出た高さの声が出ない。歌える歌がだんだん少なくなってくる。1オクターブぐらいしか声が出ない時もありました。ツイッタ―には、神様が・・・等と書きましたが、本当は、泣いていました。」こんな本心からの言葉を会場の観客は、頷きながら受け容れて聴いていました。もう、それ以上言わなくてもいいんです。もしも、思うように声が出ないという本当の辛い想いをツイッタ―でつぶやいていたら、心配や慰めと励ましの言葉は返ってくるでしょうが、それ以上のものは返ってきません。自分が自らの成長を受け容れて、その時々でできることをしていくしかないんです。むしろ、昨年5月のコンサートは、企画段階も含めて、そのような苦悩の中でやり抜いたということがわかってきたら、そこから、新たな感動が生まれます。今は、「朝起きたら、昨日出なかったた高さの声が出る。歌える歌がだんだん増えてくる。」ときでしょう。ところで、全国にいるであろう変声期を迎えた歌が好きな少年との大きな違いは、日本を代表するミュージシャン(井上芳雄、山崎育三郎、中川晃教、槇原敬之)が、楽屋を訪問した時に、自分の体験をもとに、変声期への対応をアドバイスしてくれたことです。それは、歌声を仕事にする道において、その将来を期待し、後に続く人材を育てたいという気持ちがあったからではないでしょうか。そのような意味では、何と幸せな少年でしょう。


      
A 石橋陽彩の場合
 
 石橋陽彩(2004〜  )の名は、テレビで「カラオケバトル」等の歌のコンテスト番組等で、その分野の好きな人の間では、かなり知られる存在でした。ところが、平成30(2018)年3月に公開されたディズニー/ピクサーの映画「リメンバー・ミー」の主人公ミゲルの日本語吹替版声優として、全国的に広く知られ、その歌唱力を高く評価されるようになってきました。映画公開前後には、テレビ出演なども多かったのですが、代表曲の「リメンバー・ミー」は、映画よりも音程を下げて歌い、声質がやや太くなっていることから、変声期に入っていることを感じさせました。小学生時代にカラオケバトルで歌われてきた歌は、J−POPSが多く、そのような曲が得意なのかと思っていましたが、国歌「君が代」の斉唱では、よく伸びる丁寧な歌い方で、いろいろな曲にふさわしい歌唱をすることができることを感じさせました。
 さて、映画公開にあたって石橋陽彩は、インタビューにおいて、アフレコ時(2017年 中学1年生)に、ちょうど変声期に差しかかったため、「最初にいつもの歌い方で歌ってみたら、『大人っぽくなりすぎる』と言われました。『小学校4〜5年生くらいに戻った感じで歌ってほしい』と言われて、3年くらい前の声に戻して歌うのがすごく難しかったです」と、発声にかなり苦労したそうです。だから、小学校5年生ぐらいのときを思い出して、日々の生活でも高い声でしゃべって、寝るときは加湿器を使ったりマスクを二重にして寝たりして、高音をキープするようにしました。しかも、収録期間が長かったので、夏休みを挟んで録った時、以前よりもさらに声が低くなっており、ファルセットをたくさん出し、高音をキープすることで音域の幅を広げたいと思ってやってきてはいましたが、今回は全曲キーがすごく高かったので、高音を出すのが大変でしたと語っています。(出典 NEWS WALKER)また、ヴォイストレーナーの先生と、小学生の頃から、変声期のための発声法としてファルセットをたくさん使うとか、高い声を出さずにいかに発声をきちんとやるかとか、そういう準備を続けてきました。(出典 ONTOMOインタビュー 2018.06.15)
 まさに、見えないところでの努力があってこそ、この映画の吹き替えができたことがわかります。しかも、歌い方も、これまでと違ってラテン系の明るい声質で、これには関係者の指導もあってのこととは思いますが、変声後も大きな可能性を感じさせます。
  石橋陽彩は、映画公開時の春休み3月下旬には、よくテレビ出演していましたが、1学期開始以後は再びレッスンに努めました。その成果は、平成30(2018)年7月25日の「FNSうたの夏まつり2018」に出演して、大人の歌手の中で「リメンバー・ミー」のフルバージョンを歌いましたが、実際に吹き替えした時、映画公開の頃よりも更に大人っぽい声になって、低音部が充実しているだけでなく、この曲に求められるソフトな歌唱力が高まっていることに現れてきました。この数日前にYoutubeにアップされた「LOVE LOVE LOVE」と併せ、この少年歌手の将来性に期待が高まります。 ところが、2018年12月14日のtwitterで、2019年3月より、声変りが安定するまで歌手活動を一時、お休みすることを決意しました。歌をお休みする間は演技などのお仕事に携われるよう頑張っていきますので、これからも応援をよろしくお願いします!と告知し、翌日、嬉しいご報告もありますとして、平成31(2019)年2月10日に初!石橋陽彩のワンマンライブが決定しましたが、チケットは発売5分後に完売ということで、急遽あと2回(2月15日と2月24日)の追加公演を行うことになりました。なお、ライブ終了後の話し声は、かなり低くなっています。さて、ライブ終了直後、第38回日本漫画家協会賞優秀賞、第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した漫画『海獣の子供』のアニメーション映画版の「海」役に石橋陽彩が、キャスティングされたことが発表されました。おそらく、それ以前から決定していたことでしょうが、ライブ終了後の発表となったことでしょう。映画『リメンバー・ミー』で主人公ミゲル役を演じているとはいえ、変声中(後)の時期に、どこまで演じられるか、期待されるところです。
  石橋陽彩は、フジテレビ「ノンストップ!」の中で、3月から声変わりが安定するまで歌手活動を一時休止するその契機になったのは、三浦大知のアドバイスであったことを明かしました。三浦も変声期に歌手活動を休止しており、そんな先輩歌手から送られた助言が「この時期に無理をしてはいけない」ということで、この言葉によって、石橋は「実際に変声期を経験したからのアドバイスだと本当に心に響く」と話し、「三浦さんのように一回休養してその後に踊って歌ってみたいな感じでかっこよくでてきたらいいなと」と復帰後の目標を語りました。


       B 鈴木福の場合

 鈴木福(2004〜  )は、邦楽に関係する家庭で生まれ育ち、平成23(2011)年『マルモのおきて』の主題歌「マル・マル・モリ・モリ!」でCDデビューすることになり、これが大ヒットしました。そして、同年12月31日に行われた第62回NHK紅白歌合戦に「マルモのおきて」で共演した芦田愛菜とともに白組最年少の7歳199日で出場するという記録をつくりました。また、その後もシングルCD「イヤイヤYO?!!」を出したり、「芸能人対抗!家族のキズナ歌合戦」で、「君をのせて」を歌ったりしましたが、平成29(2017)年2月に東京・日生劇場で上演されるミュージカル「ビッグ・フィッシュ」のウィル・ブルームの子供時代に出演しました。
 さらに中学校に進学した平成29(2017)年の10月8日にNHKホールで行われた全国学校音楽コンクール小学校の部の司会者に抜擢され、そこでは、歌声を披露してくれました。ミュージカル「トゥモロー」のソロの一節をはじめ、即興的な歌を聴いても、かなり本格的な歌の勉強をしたことが伺える歌を聴かせてくれました。しかし、この当時は、「小学校の終わりが144センチでちょっと伸びたけど、まだまだ小さい。早く身長伸びてほしい」と男の子の本音もポロリ。「声はあんまり変わらなそうだなって。大人の人は急に来るんだよ!っていうけど、本当にわかんない」と声変わりには半信半疑のようでした。ところが、平成30(2018)年中学2年に進級してから、変声期は訪れました。ここからは、時系列で鈴木福の変声の進行状況を追ってみました。

 5月 2日 「カレーライスオールスターズ」デビュー曲「カレーライスのうた」発売記念イベントに出演しましたが、そのときには、変声期が始まったようで、「とても耳に残る曲で聴きやすいので、歌いやすかったです。(声替わりで)高い声が出なくなったので、CDはレアバージョンです! 紅白で歌いたいです!」とアピールしました。

 6月17日 「声変わりし、足がでかくなったのと、身長は少しだけ大きくなりました。足は26〜26.5cmです」と成長をアピールしました。

 7月 7日 芦田愛菜と共に、日本テレビ「THE MUSIC DAY 2018」で、7年ぶりに大ヒット曲「マル・マル・モリ・モリ」を生披露しましたが、2日後の9日には、同局「PON!」で、声が低くなってしまったことから、キーを半音下げて歌ったという裏話を披露しました。

 7月14日 日本テレビ系「メレンゲの気持ち」では、27センチの靴を買ったと明かし、身長が「去年から8センチか9センチ伸びた。今、154センチ」と明かし「175とか6とかになりたい」と願望を語りました。さらに大人になったなと感じることを聞かれると、声変わりが始まっていることを挙げました。

 8月10日 日本テレビ系情報番組「スッキリ」内のエンタメコーナー「クイズッス」にて、進行役“天の声”として登場し、話題を呼びました。“天の声”は声のみの出演で、毎週さまざまなタレントが担当していますが、この日の冒頭で「おはようございまーす!」と元気よく挨拶するも、MCの加藤浩次は見当がつかず、ヒントによってやっと答えられたようです。「今声変わり中で、なかなか通る声が出せなくて…。もともと滑舌が悪いもので」と声変わり中であることを明かしました。

  10月より、テレビ東京系「二代目 和風総本家」にもレギュラー出演していますが、話し声がまだ定まらず、平べったい感じがします。そのような中でも、合唱好きということで、昨年度の全国学校音楽コンクール小学校の部に続き、全国学校音楽コンクール中学校の部のゲスト司会としても出演しました。

 将来ヴォーカルもやりたいと願っている鈴木福の変声を温かく見守りましょう。
なお、鈴木福の変声を追った動画サイトもあります。 
https://nonmedia.net/suzukifuku/

 (7)諸外国における変声期の指導の在り方


 井上博子は、「少年合唱における変声に関する一考察 : 我が国とドイツの事例を通して」の研究を通して、ドイツにおける聖歌隊や少年合唱団における変声期の指導について次のように述べています。
 ベルリン大聖堂少年聖歌隊は、団員数 300名を擁する大規模合唱団であるが、変声を迎えた隊員は、adult として Vocisのグループに加わり、変声期間中はあまり歌わせず、理論の勉強をします。変声前、変声中、変声後の少年にきめ細やかな対処がなされていますが、変声期間中のグループ名を「未来の声」と名付けていることは、誇りを持って歌っていたに違いないボーイ・ソプラノから、男声として、輝かしい未来へ羽ばたいて欲しいという願いや祝福の想いが感じられます。
 テルツ少年合唱団は、南ドイツのバート・テルツに、1956年にゲルハルト・シュミット・ガーデンによって設立され、ヨーロッパにおいては歴史の浅い少年合唱団です。指導者のシュミット−ガーデンは変声期間を、前期変声期、変声期、後期変声期という3つの区分で捉えています。変声が差し迫った段階の間は、歌うことは休まなければならないという考えに基づいて指導していますが、一方、変声期に個人差に合わせ、用心深く目標を持って歌うことは価値があり、変声後期は3ヶ月から4年間にかけて続くことがあり得るが、経験を積んだ育成者のもと用心深く継続して歌い、2週間毎に声の診断を受け、段階に応じた練習曲を受け取るならば歌える範囲が増大することから、段階に応じた対応が必要である。」という理念に基づいた指導方法について述べています。


      日本の子どもの低音化

   
(1) 「ミの壁」
                   
  昔と比べて、日本の子どもの声(歌声も話し声も)が低くなってきていることは、音楽教育に携わるものだけでなく、幼児教育や初等教育に携わる教師が実感していることです。とりわけ、音楽教育関係者の間では、以前より「ミの壁」という言葉があるそうです。最近の小学生にとって、上の「ミ」の音は、現場の小学校の先生方から高すぎるといわれます。
 ところで、最近、服部公一 著「子どもの声が低くなる」(1998)、鈴木松美編著「日本人の声」(2003)が、次々と出版されて、その実態と原因について述べられています。それは、身体・生理的なものが原因なのでしょうか。それとも、社会的なものが原因なのでしょうか。あるいはそれらは相互作用をしながら生起しているのでしょうか。そこで、この問題について文献研究を中心にまとめてみましょう。

      (2) 実証的なデータから

 大正時代と昭和20〜30年代は童謡が次々と作られ、童謡歌手と呼ばれる少年・少女歌手を生んだ時代です。ところが、子どもの音域を考慮して作曲されたそのころの童謡・唱歌などが歌いにくくなっているという現象が、この20年あまり起こっているといいます。
  「ミの壁」−高音は苦手、今時の子−という記事が朝日新聞に掲載されたのは、2003年のことでした。服部公一は、作曲家で東京家政大学付属幼稚園の園長でもありますが、
「昭和30年代、幼児番組にかかわって120ヵ所以上の幼稚園を回ったけど、当時は歌えてましたね。今の子どもが気持ちよく歌えるのはラから上のドくらいまでです。」
と、現状を述べています。事実、服部公一が小学校の音楽教科書に載る童謡や唱歌を調べたところ、子どもたちの声に合わせようという意図なのか、最高音が上のドかレまでの曲がほとんどであったといいます。
 愛知教育大学の村尾忠廣によれば、尋常小学校教科書の曲と比べ、現行の小学校音楽教科書の曲の最高音は平均で半音1・6個分低いという調査結果もあります。
 一方、話し声についても、以前と比べて低くなっていることを音声研究家の鈴木松美(日本音響研究所長)が追跡調査をもとに指摘しています。1985年に録音した山梨県上野原町の小学生の声を、1993年の同小児童の声と比べたところ、平均20〜30ヘルツ周波数が下がっていたと言います。1990年と2000年の10年間の比較研究でも同様の結果が見られるようです。わずか、10年足らずの間にそのような変化が見られたのはなぜでしょうか。

     (3) 低音化の背景

 街中で子どもの甲高い声を耳にすることが減ったのは、単に少子化や塾通い等のせいだけではありません。その原因については、諸説があります。
 服部公一は、このような変化が生じたのは、単純に心理的な要因によるものだと述べています。言い換えれば、高い声の方がかわいいとする社会的圧力が減ったという声に対する社会の好みの変化を挙げています。
 また、日本音声言語医学会理事長の新美成二は、「生理的な声域が20年や30年で変わるとは思わない。ただ、声の高さは習慣や訓練も大きな要素。社会的な変化はあってもおかしくない。」と言います。
 村尾忠廣は、「大声ではしゃぐ外遊びなどが減り、家の中の近い距離で話すような生活ばかりしていれば、子どもの声が低くなっても不思議はない」と指摘しています。確かに、テレビゲームの影響で、道路や公園で鬼ごっこや、だるまさんがころんだのような声をあげて遊ぶことが減っています。
 このほか、子どもがよく耳にするテレビのCMソングは、たいてい低い音域で歌われています。オウムやインコでも、まねする人の音域や音質に似てくると言います。子どもの低音化の背景には、遊びの変化や日本の社会全体の低音化嗜好があるようです。
  さらに、生活空間としての住宅の素材や構造が高気密・高断熱化になっているため、家の中が魔法瓶化され、音はよく響くから大声を張り上げる必要がなくなっています。それどころか、大声はうるさいと疎まれる傾向すらあります。かつては、宿題として国語の教科書の音読が課され、その読み声が通行人の耳に入ってくることもありましたが、今ではそういうことも希になってきました。
 漁師は声が大きいとよく言われます。それは、広い海で連絡を取り合うとき、大声でなければ届かないという生きていくための必然的な理由があるからです。大きい声と高い声は同じではありませんが、発声の基本において共通した部分をもっています。このような諸要因があいまって、子どもたちの声は低くなってきたのです。



      
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