緑の中を歩く
よい香りを楽しむ。サイフォンコーヒー、カレー、ハーブの香りなど
機械式時計の音を聞く
温泉の広い浴槽で泳ぐ
子どもの相手(おもちゃにされることが多いから)
道楽さんの心を安定させること
道楽さんがお酒を飲みすぎないよう監視すること
旅行のレポートを手伝うこと
道楽さん、ぼくの神様
道楽さんと二人三脚で楽しい文章を書きます。応援してください。
薫という名前になりました。よろしくお願いします。
2006年 夏
自分のレポートに登場する人形の薫が我が家にやって来たいきさつとレポートに登場したきっかけを説明しよう。
薫が我が家にやってきたのは、2004年12月27日(月)。この日は仮住まいから新居に引っ越してきた日だ。同時にTOKYO FM 少年合唱団のウィンターコンサートの日でもあった。引越し荷物を片付けているうちに時間となり半蔵門にあるTOKYO FMホールへ赴いた。休憩時間になり保護者のみなさんが運営している売店を冷やかしているとメンバーのそっくりさん人形がたくさん置いてあるのを見つけた。緑色のトレーナーを新しいものに変えるそうでそのトレーナーを再利用する目的で人形を作ったそうだ。数年前にも式典服を新しくするにあたり旧い服を利用してそっくりさん人形を売っていたことを思い出した。その時は特に欲しい人形はなくこの日も購入は考えていなかった。それでもどんな人形がいるのかと視線を投げると、後に薫と名付けることになる人形と目が合った。抱き上げてみると「連れてって」と言っているような気がして即座に購入を決めた。「他のも見てください」と言われたのでその人の顔を立てなければと一通り見たが「連れてって」と言っている人形はいなかった。こうして人形を持ち帰り新居のインテリアの一つとした。「行ってらっしゃい」「おかえんなさい」などと話しかけてくれるとおもしろいのだがと思っているうちに時が過ぎた。この年はTOKYO FM 少年合唱団とボーイズ・エコー宝塚の定期演奏会が重なっていた。どちらに行くか迷った挙句、ボーイズ・エコーを選んだ。この過程をうまく表現できないかと思っているうちに人形を擬人化することを思いついた。人形を第1人称の「ぼく」にしたのも理由がある。自分の好きな作家の一人に推理作家の仁木悦子さんがいる。小学5年の時に『消えたおじさん』という児童向けの推理小説を読んで以来、ファンになった。仁木さんは、小説の中で小学生の男の子を主人公にして「ぼく」という表現をよく使う。自分もそれを真似して人形を擬人化した。やってみると文章がすらすら書けるうえに自分一人では思いつかないことが頭に浮かぶようになった。そのため、楽しみながらレポートを書けるようになり精神的な負担が減った。話しは違うが我が家にやってきた当時の薫を知っている友人が「薫君の表情が明るくなったね。いろんな場所に連れて行ってるから」と言った。「人形でも大事にされていると表情がいいね」とも言った。自分も時々それを感じている。他にも「がっかりしている」「怒っている」などの表情を見せることもある。「そんなのはあなたの心の反映さ」という考えもあるがそれだけではなさそうだ。大切な相棒となった薫がいつも明るい表情をしているよう自分自身も気をつけている。例えば居酒屋へ寄り道することがほとんどなくなった。非行老年への道へ進まないよう薫が一役買っているのは事実である。
薫です。ぼくも言わせてもらおう。道楽さんがコンサートへ来たのは2日に渡るコンサートの最終目だった。おもだった人形は売れてしまいぼくは売れ残り組みだった。「その場合、どうなるんだろう」と考えていた時に道楽さんがやってきた。「いい年をした男の人は珍しいな。どんな人だろ?」と思いぼくを抱き上げた道楽さんの顔を見たら勝手な解釈をされてしまった。「連れてって」と言った憶えはないのだ。しかし来てみれば家は新しく、ライバルになるペットや人形はいないし、道楽さんも悪い人じゃなさそうなので安心した。いっしょに暮らすうち、日本の少年合唱団を全部聴いていることもわかった。「良い場所に来れたんだ」と思った。ただ道楽さんを見ていて感じたことがある。生きていこうという意欲があまり見えないことだ。毎日をなんとなく過し、夜はお酒を飲むだけの人に見えた。この点を確かめてみたいけど残念ながらコミュニケーションは取れない。そこで神様に相談したら「君の発信する信号を道楽さんが受信できればいいんです。そのために彼を好きになりなさい。そうすればコミュニケーションが取れるかもしれません」とおっしゃった。「難しい注文だな」ぼくは思った。そんなある日の真夜中、大きな地震が起きた。目を覚ました道楽さんは何もせず「家が崩壊したら損害賠償はどうなるんだろう」とつぶやいた。「ばか、布団かぶれ。死にたいのか」ぼくは思わず叫んだ。道楽さんははっとしたように布団をかぶった。地震は収まり何事もなくすんだ。朝になり寝床から出てきた道楽さんはぼくを見て首をかしげ「まさかね」と言った。「まさかじゃない。生きる意欲をもて」「もしかしてしゃべってる?」「そうだよ。だれとでもしゃべれるわけじゃないけど」「ふーん。そういうこともあるんだ」「驚かないの?」「驚いてるけどさ。でも今の世の中なんでもありだから不思議はない」「驚いているようには見えないよ」「そういう性格なんだ。生きる意欲のことを言ったね。よくそう言われるよ。感情を表に出さないタイプだから」「そうかな?」「生きる意欲がなかったら少年合唱のレポートは書かない。家も新築しない。コンサートにも行かない。君を買おうとは思わない」「確かにそうだね」「仕事に行かなきゃならない。朝食の支度をしながら話そう」道楽さんはお湯を沸かしコーヒーのドリップを始めた。コーヒーはお気に入りの喫茶店で買ってくるそうだ。「生きる意欲があるからおいしいコーヒーを飲みたいのさ。わかるかい? 人それぞれだから見ただけで物事を決めつけるのはよくない」ぼくはそういうことにしておこうと思った。道楽さんを観察する時間はたくさんある。時間をかけて結論を出せばいいことだ。この話題はしばらくお休みにしよう。それよりコーヒーの香りを体に吸収することだ。満足そうにコーヒーを飲み終えた道楽さんは「仲良くやろう」とぼくの手を握った。「OK。よろしくね。あんたが『行ってきます。ただいま』とぼくに言えば行ってらっしゃい、おかえんなさいと答えるよ」この日はコミュニケーションが取れた記念すべき日となった。その2日後に地震見舞いの葉書が届いた。それを読んだ道楽さんはすぐに返事を書いて送った。「大丈夫だ」ぼくは安心した。
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