KATSUさんの部屋


はじめまして

 館長様、そして皆様、はじめまして。半年ほど前にこのホームページの存在を知って以来、何度となくお邪魔させていただいております。
 私もボーイ・ソプラノには強い愛着があり、幅広く音楽を聴きますが、無性にボーイ・ソプラノが聴きたくなるときがあります。
 小学校でのあだなは「歌の王子様」(自分で言うのもなんですが)で、当時の音楽の先生には「今のうちに自分の声を残しておくように」とカセット・テープに「故郷」を録音され(先生が持って行ったため手元にもうありません)、中学でも三年生で声変わりするまで、高い「ラ」の音が出せるボーイ・ソプラノを維持し続けました。
 と、書くことで自慢をしたいのではありません。私は自分の歌声を褒められることよりも何よりも、歌うことが好きだったのです。家にあったオルガンで指一本で「うみ」を弾きながら歌ったときの感動、小学校の離任式で流れていた「蛍の光」のメロディを覚え、歌詞も曲名も知らないままにスキャットで歌ったときの感動、今でもはっきりと覚えています。歌っているうちに涙が出てくることが何度もありました。それは自分の声に酔いしれているからではなく、歌っているうちに自分が歌っているという意識がなくなり、自分の中のどこかで誰かが歌っているのを聴いて、それに感動しているといった感覚なのです。
 中学三年で声が変わったとき、私はそれこそ映画『独立少年合唱団』の康夫のような衝撃を受けました。声変わりは成長の過程で経験する当たり前のことであるはずなのに、「自分にはもう歌が歌えない」と私は一時絶望に沈みました。
 しかし、大抵のことは時間が解決してくれるもの、私の場合も例外ではなく、徐々に自分の声にあった曲を見つけ、それを歌うことに楽しみを見出していきました。とはいえ、昔からの高音指向はやはりどうしようもなく、小田和正や徳永英明といった高音の男性歌手、声変わりしてもなお地声で歌える美空ひばりやKiroroなどですが。しかし、私の根にあるのはやはりポップスではないので、学校の音楽の時間に覚えた歌、「NHKみんなのうた」や幼いとき夢中で聴いた童謡にいつも戻ってしまいます。
 そんなとき、出会ったのがボーイズ・エアー・クワイアのコナーが歌う、フォーレの「ピエ・イエス」でした。この曲をはじめて聴いたとき、その澄んだ歌声にひどく感動したことは言うまでもありませんが、同時に「声変わりする前にこの曲と出会っていたら自分にも歌えただろうに」と思いました。そのとき、私はかつて自分が持っていて失ったものが何であったかを知ったのでした。
 いつでもどんな曲を聴いていても、ボーイ・ソプラノが変わることなく私の中を流れています。このホームページでは、私同様、ボーイ・ソプラノを愛する方々がたくさんいらっしゃることを知って嬉しく思いました。これからも度々覗かせてください。長々と失礼しました。

またおじゃまします

 館長さん、Keikoさん、書き込みありがとうございます。日本における少年合唱文化の存在を広く訴えたいという思いのもと、個人の手で良質な情報をコンスタントに発信し続ける館長さんにはただただ頭のさがる思いです。

 私も「王子」が現れてくれれば、と強く思います。それがたとえ能力以上に外見で人気を集める存在であったとしても(スポーツ界の両王子はもちろん、能力もしっかり兼ね備えていますが)、それがきっかけになって少年歌唱の存在が広く認知されることになるでしょうから。

 振り返れば色々と思い出すもので、下に書いたことに加えて思い出したことを少し書き込ませてください。
 「声変わり」と一口に言っても、個人差があるのだと思います。私の場合、それはある日突然にではなく、中学三年の春と夏の二つの時期に分けてやってきました。
 風邪をひいてのどの調子がおかしいといった状態が何日か続き、「風邪なら治れば声も元通りになるだろう」と思っていたらそのままになってしまった、というのが春のことでした。そして夏、再び同じような状態になった私は、ようやくこれが声変わりであると疑い始めました。「違う、これは風邪なんだ、治れば元に戻るんだ」。私は自分に言い聞かせました。しかし、その願いむなしく、元に戻ることはありませんでした。
 なぜ、このようなことを詳しく思いだして書き込むのか。館長さんは「貴重なボーイ・ソプラノにまつわる繊細な心のバイオグラフィ」と過大評価してくださいましたが、変声期を迎えての葛藤ということに、私は強い関心があるのです。個人的なことであるはずの自分の体験を、誰かと共有したいという強い願いがあるのかもしれません。その点、当サイトを通して知った映画『独立少年合唱団』の登場人物、康夫の葛藤は、私の心の奥深くに訴えかけてくるものがありました。

 前回の書き込みともども、ボーイ・ソプラノの儚さという側面についてばかり述べてしまいました。少年合唱を盛り上げようという当サイトの趣旨に似つかわしくなかったとしたら、申し訳ありません。

 Keikoさん、「美しく真っ直ぐな歌声とお心を反映する」文章だ、などとんでもない。恥ずかしくなってしまいます。文章を書くのは苦手で、書いては消しを繰り返してようやく投稿したのです。どんなに拙い文章でも、本当に好きなものについて語るときには「好きだ」という思いが表現力を補ってくれるのかもしれません。私の好きな作家・福永武彦は「音楽的な小説を書きたい」と言っていましたが、音楽を思わせる文章、書けたら素敵なことだと思います。

村上友一

館長さん、
ただでさえボーイ・ソプラノ文化の熟していないここ日本で、毎回中身のある情報を提供し続けるのはさぞ大変なことだろうと想像します。無理のないペースでいいので、どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。

私の学校は、特別音楽に力を入れていたわけではなく、また平和でもありませんでしたが、からかわれた記憶はありません。あるいは、からかわれても気にしていなかったのかもしれません。歌うことの充実感だけで私は満たされていたからです。

昨日、村上友一の「air」を購入しました。「オンブラ・マイ・フ」は、まさに絶唱でした。終盤の「Soave piu?」と歌い上げる部分には、祈り似た敬虔さすら感じられます。迫り来る運命に対して「もう少し、もう少しだけ」と抗う悲痛な叫びのように聞こえました。昨日の夕方からこの曲を何度繰り返し聴き続けているか知れません。このアルバムの存在を教えてくれたこのサイ
トに本当に感謝しています。今年一番、いやこれからも出会えるかわからない貴重な一枚になりそうです。

久々の書き込み失礼いたします

 お久しぶりです。以前数回投稿し、貴賓室まで設けていただいた者です。
 私も個人的にボーイソプラノを追い続けていました。館長さんの書き込みだけが続いているのがなんだか寂しく、「何か書かねば」と思い、投稿させていただきました。
 変声期をどう乗り越えるか? 私も大変興味あるテーマです。ぜひ書き続けていただきたいと思います。
 以前書き込んだように、いわゆる「井の中の蛙」で、上手いと周囲から褒められては気持ちよくし、学校より大きな舞台があることなど知らなかった程度のボーイ・ソプラノでしたが、私は、変声後自分の声に自信が持てなくなりました。
 変声前は「自分が歌いたいように歌う」、それが「正解」であり周囲から認められるということでした。しかし、変声後、自信を失い、「これが正解だろうか」と探り探り歌うのが習慣になりました。上手く歌おうと意識するようになりました。上手く歌える曲だけを歌うようになりました。
 しかし、歌に「正解」などありはしません。つい最近、それを知る機会がありました。一口にそのきっかけがなんだったか言うことはできませんが、どう思われるか(=「正解」かどうか)を気にすることのちっぽけさに気づいたのです。
 するとどうでしょう。自分の中からメロディーが、曲に合わせた強弱が、抑揚が、息遣いが、自然と立ち上ってくるではありませんか。それは、音色は違えど、今から20年以上も昔に失ったと思った歌っている時に感じている感じそのものでした。その歌声を聞いた友人はお世辞と思いますが「お金を取れる」と言って褒めてくれました(笑)
 今、地元に現代作家(Morten Lauridsenなど)による宗教音楽を歌っている合唱団がないか探して、見つけたら入団したいと考えています。
 一名もないボーイソプラノのその後について、館長さんの書き込みに触発されて投稿させていただきました。今後も更新楽しみにしています。