呉少年合唱団

プロフィール

 呉少年合唱団は、昭和36(1961)年青少年の健全育成と音楽文化の高揚をめざして、小学校の先生方が中心となり、呉市内の小学3年生の男子だけで結成されました。その後、入団は小学3年生で、卒団は小学6年生という4年間の中で、ボーイ・ソプラノの美しい響きを求めて活動してきました。
 童謡・唱歌・組曲・合唱曲・外国曲・ポピュラーな曲、時代とともに様々なジャンルの曲を歌い続けてきました、結成以来小学校3年生から6年生までの男子だけが参加できましたが、少子化が進む中、現在は、少子化・教育の多様化等により、幼稚園児・小学生(団員)・中学生(研究科生)の男子で結成しています。
 男子特有の張りのある声の美しい響きを求めて毎週土曜日レッスンを続けています。研究科生は、当初は変声後もファルセットで歌っていましたが、最近はステージによっては男声で歌っています。歌を通して自然を想い、あらゆる生きものに心が通い、人間性豊かな成長を願っています。旅行や合宿を通して仲間づくりを行いながら、毎年秋に定期演奏会を開催しています。また、呉市の諸行事に賛助出演したり、また、呉市の「歌の親善大使」として、幅広い方面まで交歓演奏に出かけています。最近では、平成17年には、映画「コーラス」のナンバーををフランス語で歌ったり、平成25年にはウィーン少年合唱団と共演するなど意欲的な演奏活動をしています。

  平成14(2002年)年度から、卒団したもので希望した中学生に限り「研究科生」として活動できるようにし、平成17(2005)年度より1年生から団員募集するようになりました。昭和の終わりごろは、小学校3年生以上で団員数200人台を15年間にわたって維持してきましたが、現在は20人台になり、平成28(2016)年度から、保育園・幼稚園の年長児も入団できるようになりました。コロナ禍の中も、指導者・OBがネットを通して団員を応援し続け、令和3(2021)年に創立60周年定期演奏会を行いました。指導者は、木村茂緒団長を中心とする集団指導体制で、最近ではOB合唱団のステージもあります。

  
        制服が次々と変わっていく(現在は7代目)のも呉少年合唱団の特色の一つか
   
「第2回全国少年合唱祭」より

   2番目は呉少年合唱団。白いベレー帽、象牙色の服、同色の半ズボン、白いハイソックス、白い運動靴です。年齢層も小学校3~6年生の37名、ボーイ・ソプラノとしては最高の時期の少年達です。曲は郷土民謡「音戸の船頭歌」に始まり、日本情緒のある曲、ア・カペラによる「五木の子守歌」、児童合唱曲、ミュージカル、ヨハン・シュトラウスの「太陽のマーチ」まで多彩な選曲でした。これまでいろいろなことに挑んできたことがわかります。そして、わずか20分でもプログラムの構成がうまいことを感じました。 この合唱団の特色はまろやかな声と中・低音部の充実という言葉で表されるでしょう。どちらかというとソプラノが脚光を浴び、メゾソプラノやアルトに光の当たらないことの多い少年合唱ですが、この合唱団はそこが違います。人数のわりに声量も豊かで聴きごたえがありました。ア・カペラによる「五木の子守歌」は出色の出来映えでした。



「桃太郎少年合唱団第38回定期演奏会」より

 
第Ⅲステージは、友情出演の呉少年合唱団5,6年生28名の歌です。制服は白いベレー帽、象牙色の服、同色の半ズボン、白いハイソックス、白い運動靴です。曲はお得意の郷土民謡「音戸の船頭歌」に始まり、沖縄民謡「舞の歌」嘉納昌吉の「花」と沖縄の歌が続き、さらに「しかられた神様」から「手」「木」となり、「21世紀の君たちへ」で納めるという構成でした。ただ、今回の構成は、大きな盛り上がりを作るという点では難しかったのではないかと思います。ところで、この合唱団は舞台の使い方がうまいのが特色です。曲によって近寄ったり離れたりして声の響きを微妙に変えていくところは絶妙です。また、声のまろやかさと中・低音部が充実していることもよさの一つです。5,6年生ともなると、よい意味での自覚が生まれており、自分は今何をすべきかがわかって歌っていることが伝わってきました。

第42回呉少年合唱団定期演奏会
 
                  平成15(2003)年11月23日(日・祝)  呉市文化ホール

   今だからこそ「日本の歌」を
 呉少年合唱団の演奏には、これまで2回接してきましたが、定期演奏会となるとそのカラーがより鮮明に感じられるだろうと期待して行って来ました。今回は、「日本の歌によせて」というテーマでしたが、今年、グロリア少年合唱団と呉少年合唱団がこのようなテーマで定期演奏会をもったことには、深い意味があります。その背景には、「日本の子どもが古きよき日本の歌を知らない」という危機的な状況があるからです。教科書から小学唱歌といわれる歌が次々と姿を消し、童謡も新作を追い求める傾向が強く、好みの音楽に世代間の断層が作られてしまった結果、家族みんなで歌える歌がなくなってきているのは、ゆゆしき問題と言わなければなりません。しかし、その原因は、ただ一つ。親や教師があるいはマスコミが子どもに古きよき日本の歌を与えなかったからです。与えれば、現代の子どもでも、そこから何かを感じとってくれるはずです。

   爽やかで声量のあるステージ
 オープニングは、全員による団歌で緞帳が上がるはずが、30センチほど上がったところでストップ。歌声がこもったように聞こえるというハプニングのスタートでしたが、緞帳が上がると、解放されたように爽やかな歌声が響いてきました。スタートは声が出にくい傾向もあるのですが、呉少年合唱団は声が前によく出ているという第一印象を受けました。小3~小6 57名と中学生の研究科7名による合唱は、変声期に入ってファルセットを使っている団員もいると思いましたが、ボーイ・ソプラノとして最高の時期でもあります。とりわけ「歌はともだち」では、キーワードになる歌詞をややゆっくりと明確に歌うことによって歌のメッセージをよく伝えていました。
 制服は、全員白ベレー帽、灰色の上着・長めの半ズボン・蝶ネクタイ・白ハイソックス・白運動靴でした。(以前の象牙色の制服の方が好きです。)上着と半ズボンは年少ほどダボダボした感じがあり、年長になるにつれて脚が長く見えるためかかっこよかったです。制服については、むしろそれ以後のステージの主流である空色のベストスタイルが、色彩的には一番美しく感じました。

   3年生を大事にする合唱団だ
 おそらく、昭和30年代全国各地に少年合唱団が次々と誕生したころは、小3から団員募集をするところが多かったことでしょう。(変声期も遅かったので中学生の団員もかなりいたはずです。)小3という年齢には意味があります。児童発声の権威でもある品川三郎先生は、昭和30年ごろ、小3の後半から児童の声は美しくなるということを主張されています。また、集団意識が強くなるのもこの時期です。しかし、全国的な団員の減少傾向もあって、今ではもっと低年齢から募集するところがほとんどになってきました。その中で、呉少年合唱団が「3年生から」を今でも守り続けていることは、価値あることだと思います。
 さて、第2ステージは、3年生7名による「生きものの童謡メドレー」。ここでの驚きは、7人全員の独唱が聴かれたことです。独唱は、合唱団のトップソリストのものという「常識」を覆す試みです。声も歌も、可愛くはあってもまだこれからだなあと思うところもありましたが、このようにして舞台度胸をつけるという副次的な意味もあったかもしれません。新入生である3年生においしい役を与える場面は他にもありました。これらを通して、新入生である3年生を大切に育てようというポリシーを感じました。選曲も、「生きもの」は、この時期の子どもの心情に合ったもので、素朴な中に躍動感があるところを好ましく感じました。

   立体的な演奏
 日本民謡の合唱編曲は作り過ぎで面白くないと感じることもあります。しかし、この日の呉少年合唱団のステージでとりあげられた曲は、自然な編曲でその持ち味を生かしていました。第3ステージは、4~6年生と研究科生の演奏でしたが、とりわけ第二の団歌とも言える「音戸の船頭歌」は、波と櫓の音響効果もあって伸びやかな声が生きていました。また、「谷茶前」や「あいや節幻想曲」では、お囃子部分と主旋律の部分が絶妙なハーモニーで合唱だからこそ表現できる世界を創り上げていました。合唱が立体的な音楽であることを改めて感じました。第6ステージでの「唱歌の四季」でも、平面的な独唱・斉唱曲である唱歌を三善晃編による立体的なものにアレンジして演奏していました。これは、唱歌の魅力の違った角度からのアプローチといえるもので、その抒情性をよく引き出した演奏でした。

   異質なもののぶつかり合い
 第3ステージでも三線との共演がありましたが、呉少年合唱団は、最近ではゲストを合唱団だけでなく、むしろ異質な音楽家に広げ、その共演を通して、音楽の幅を広げようと考えておられるのでしょうか。この日のゲストは、尺八の日當博喜、ピアノ・シンセサイザーのきくちレイコでした。それらを少年合唱とぶつけるという試みが成功していたかどうかは、即断できません。しかし、いろいろな音楽に触れることは、少年たちの音楽の幅を広げるだろうということは言えます。第5ステージのジャズアレンジの「鉄腕アトム」なども含めて、冒険的なことに進んで取り組むのも、呉少年合唱団の特色ある取り組みと感じました。
 昨年、桃太郎少年合唱団の40回記念演奏会でOBが、サックス、尺八、ホルンと、いろんな分野で活躍している姿を見たので、この試みは、未来を見据えたものと感じました。

    チャレンジ精神
 これまで、呉少年合唱団には、過去20分ほどのステージに2回接してきましたが、そのときは、中・低音の充実や、舞台の使い方のうまさといった部分的なことしかわかりませんでしたが、定期演奏会を通して、わかったことがあります。一言で言えば、チャレンジ精神に満ちた少年合唱団であるということです。「日本の歌」を取り上げると言っても、いろんな角度からアプローチしていることが心に残りました。また、声量の豊かさも特筆できることです。裏方をしていたOBが、フィナーレには40人も参加して華を添えることも、この合唱団のよさです。しかし、この外にもまだ、呉少年合唱団の魅力はあるはずです。今後の活躍を見守りたいと思います。


第44回呉少年合唱団定期演奏会
                 
  平成17(2005)年11月23日(火・祝)  呉市文化ホール


   団歌のよさに気づく  
 昨年は体調不良のため直前になって行くことを断念した呉少年合唱団の定期演奏会。2年分楽しもうと出かけましたが、今回は呉少年合唱団にとっても大きな曲がり角の年。いくつかの変化と、意欲的な取組を見ることができました。会場では裏方として活躍しているごろごろさんやあっきーさんとも出会い、また、山下団長先生や顧問で元団長の石原先生をご紹介して頂きました。
 オープニングは、恒例によって全員による団歌。朝昼夜の挨拶を交わすところから始まる歌詞は、さわやかな合唱曲らしい佳曲。一昨年は、上がるはずの緞帳が途中で止まり、そちらが気になって歌詞を味わうことができませんでした。このステージで先ず気づいたのは中学生の研究科生の制服が黒い長ズボンになっていたこと。これは、時代の流れからすればしかたのないことでしょう。中学生になっても半ズボン・・・恥ずかしいよ。ということで合唱団をやめるということはあってはならないことです。ただし、気品のある半ズボン文化が衰退し、だらしないハーフパンツ文化が隆盛を極めているところに、今の日本の青少年問題の本質が内包されているように思います。オープニングステージの中では、アカペラで歌われた「反核の玉」が美しい響きで会場を魅了しました。

   
映画「コーラス」が聴けるとは
 いや、驚きました。呉で映画「コーラス」のナンバーがフランス語で聴けるとは。三田育成会長さんや通訳の葉沢さんのご尽力で未出版の楽譜を手に入れ、フランス語に挑戦するという障壁を乗り越えてのこの日の発表です。マチュー先生の温顔が、少年達のひたむきな歌声が甦ってきました。これはかなり質の高い演奏でした。とりわけ、「凧」は、見事な演奏と言ってよいでしょう。ぜひ、今回限りのものにせず、メイン曲でもあったラモーの「夜」を加えて呉少年合唱団の十八番にしてほしいと願っています。

   
舞台で低学年を鍛える
 これまで、「3年生から」を守り続けて呉少年合唱団がついに団員募集を1年生から始めたことは、少子化や児童合唱をマスコミが応援しない今の時代の流れを踏まえたことだと思います。第3ステージの「生きる」と題されたステージの前半は1~3年生が「グリーン グリーン」「世界中の子どもたちが」「だれかが星を見ていた」「LOVE&PEACE」に挑みました。はっきり言ってこれらの歌を低学年で情感を込めて歌うのは至難です。しかし、呉少年合唱団はあえて低学年の団員にこのような抒情的な合唱曲に向き合わせることによって、歌声と歌心を育てていこうという意図をもっているのではないかと感じました。しかも、ところどころに全員の一節ずつのソロさえ交えて。音楽的なできばえからすると、凸凹があって必ずしもベターとは言えませんが、教育という視点からすれば意義あることで、2~3年後を見てほしいというメッセージすら感じました。4年生~研究科生、全員合唱による「太陽のマーチ」と続くこのステージは、「成長」というキーワードで貫かれているように感じました。

   
異質なもののぶつかり合いは、バランスが肝心
 呉少年合唱団は、異質な音楽家との共演を通して、音楽の幅を広げようとしているようです。この日のゲストは、アフリカジェンベの吉松武彦のユニットと尺八の日當博喜。それらを少年合唱とぶつけるという試みは、曲によって成功しているものもあれば、そうでないものもありました。それは、和太鼓と少年合唱の共演にも共通しています。少年合唱の繊細な響きを打楽器が活かすか消すかによってその成否は決まってきます。この日の演奏では、全員合唱とぶつけたときはよいバランスであったが、選抜の数人の合唱とぶつけたときは、残念ながらボーイ・ソプラノが完全に消されていました。ボーイ・ソプラノがどういう楽器と合うのかを考える必要があります。例えば、弦楽四重奏と共演させるといった企画もあってよいと思います。ただし、アフリカジェンベの吉松武彦のユニットの演奏そのものはすばらしいもので、大地の香りを感じさせるもので、「ケニア・ミサ」など聴きたいと思いました。

   
不易と流行を大胆に採り入れる少年合唱団
 少年少女のための合唱組曲「私が呼吸するとき」は、戦争の悲惨さが直接伝わってくる曲です。それだけに歌詞が観客にきちんと伝わることが大切です。呉少年合唱団の歌詞を大切にする指導がここでは生きていました。また、フィナーレの「ハレルヤコーラス」は、恒例のこととはいえ、男声部を引き受けるOBの嬉々とした演奏ぶりが現役にも力を与えていることが伝わってきました。中・低音部の充実がこの合唱団の特色であるといった私の最初の感想はかなり変化してきました。
 「不易と流行を大胆に採り入れる少年合唱団」 それが、今の私の呉少年合唱団観です。


第46回呉少年合唱団定期演奏会
                   
平成19(2007)年11月23日(木・祝)  呉市文化ホール

   プログラムを見て
 どういうわけか、2年に1回のペースになっている呉少年合唱団の定期演奏会。ステージの構成は、ほぼ同じでありながら、テーマを設けて新規な取組が必ず見られるところによさがあります。今回は、プログラムを見たときに、ボーイ・ソプラノを活かす選曲と、「いのちを歌う」というテーマが印象的でした。オープニングのステージは、「団歌」「音頭の船頭歌」「藤井清水メドレー」「反核の玉」と、この合唱団にとっての定番曲が続きましたが、最初は持ち味の響きのある声量がやや乏しく感じました。ア・カペラの「反核の玉」になってはじめて本来の音色になってきたように思います。この歌のもつ命の叫びがよく伝わってきました。

   
キーマンに引きずられるように
 第2ステージの「唱歌メドレー」と第3ステージの「天使のメロディ」では、当然のことながら、年齢によって表現できるものが違うことがはっきりします。それでも、1~3年生を積極的にステージで鍛えていこうという意図も見えてきました。3年生の後半になると、響きのよい声が出るようになる団員もいます。「唱歌メドレー」では、キーマンになる団員に引きずられるように、歌っているという印象を受けました。この印象は、4年生以上の第3ステージでも感じました。
 第3ステージは、ボーイ・ソプラノを活かす選曲のオン・パレードです。「天使のパン」「地上に平和を」「ティアーズ・イン・へブン」「ウォーキング・イン・ジ・エア」ロイド・ウエッパーの「ピエ・イエズ」と続く、宗教曲や映画のテーマ曲では、基調として安らぎのある清澄な響きの中から、輝きに満ちたキーマンの歌声が浮き上がってくるという感じがしました。

   
くつろげたミュージカルの世界
 第3ステージが、ひたすら声に耳を傾けるステージなら、第4ステージの「ミュージカル」では、もう少し彩りのある歌声と舞台づくりでした。例えば、「メモリー」では、曲の山場づくりに、「ハイホー」では、低学年を活かすことに、「星に願いを」では、響きの美しさとロングトーンに工夫のあとが見られました。何よりもこのステージでは、観客をくつろがせて楽しませようという雰囲気が伝わってきました。

   
虚像を描きたくない
 「この人はこういう悩みをかかえている人だ。」という意識をもって見たり聴いたりすることが、その人の音楽を正しく理解することにつながるのかどうか私にはわかりません。必要以上の共感や同情をもつことで、かえって虚像を自分の中に描いてしまうのがこわいんです。関節の難病「エーラス・ダンロス症候群」のピアニスト 釜山十二華(かまやま とにか)のピアノ演奏を聴くとき、感性豊かでもどことなく弱々しく、晩年のディヌ・リパッティの演奏と共通したものを感じてしまいました。しかし、人がよく生きるということは、自分が今置かれたところで最善を尽くすことです。間違いなく、釜山十二華の演奏には、それがあります。だから、私は釜山十二華の演奏が好きです。また、合同演奏の「千の風になって」は、尺八やジェンベとの合同演奏と比較することが愚問で、少年たちの歌声と伴奏は自然に絡み合って流れていました。

   
いのちを歌う
 3年生以上によって歌われたこのステージの最初の曲「みんな一つの生命だから」は、混声で歌われました。この歌にとっては、これが何だかとても自然で生きている実感を感じるようにに聞こえました。「みち12」「川の流れのように」は、変声にかかった団員もファルセットで歌いましたが、前者のほうが「いのち」を歌っているような感じがしたのはなぜでしょうか。ボーイ・ソプラノによって表現することがふさわしい歌と混声合唱によって表現することがふさわしい歌があると思いました。
 エンディングは、いつものように「ハレルヤ・コーラス」。ここでは、団員以上にOBたちの熱い想いが伝わってきて、大きな盛り上がりをつくってくれます。この歌は、神の栄光を讃える歌であるのですが、「大いなる生命賛歌」の一つではないのかとさえ思わせるような仕上がりでした。


第47回呉少年合唱団 定期演奏会
                 平成20(2008)年11月23日(日・祝) 呉市文化ホール


   テーマ決めは難しい
 毎年テーマを掲げて定期演奏会に臨むのが呉少年合唱団の特色です。今年のテーマは、「日本のうた&世界のうた」ということでしたが、このテーマは、単に日本の歌と世界各国の歌がプログラムに盛り込まれているというだけでは、訴えるものが弱いのではないでしょうか。「日本の抒情を歌う」とか「日本と世界の子どもの唄」とか、もっと絞り込んだ方がよかったように思います。オープニングのステージは、いつものように「団歌」「音頭の船頭歌」「藤井清水メドレー」定番曲が続くだけに、テーマが見えにくくなっていました。「音頭の船頭歌」は、よく響くキーマンのリードで、これまでに聴いた中でもかなりよいできばえでした。ところが、ボレロのリズムにのって歌われる「故郷」は、リリシズムよりも躍動感が強くて、この歌は、こんな歌だっけと思わせるところがありました。

   曲の並べ方によっても
 第2ステージの「わらべ唄・民謡」は、最初に4~6年生・研究生が歌い、次に2・3年生が歌い、最後は全員でという構成が、歌として聴くと中だるみになってしまった感があります。せっかく浴衣を着て素足でそれらしい雰囲気を出して歌っていましたが、「ひらいた ひらいた」や「とうりゃんせ」「かごめかごめ」のような遊びの要素の入った歌を最初に持ってきて、「土投げ歌」や「ほたるこい」のような合唱の楽しさを感じさせる曲を後出しして、最後に「子どもソーラン節」で華やかに締めくくる方が舞台構成としては面白かったと思います。

   ゲストの楽器は少年合唱とマッチしている
 この日のゲストは、オカリナとアコーディオン演奏ユニットのデューオ(江村克己さん、風音美樹さん)で、単独のステージも聴かせるつぼを心得たステージでした。特に、オカリナや土笛が大きさによってずいぶん違う音を出せるというところで、観客を惹きつけていました。また、このデューオの響きは、「世界の民謡メドレー」でも、少年合唱とマッチしていました。昭和30年代の「みんなのうた」を集めたこのステージは、難易度の高い歌はありませんでしたが、くつろげるステージでした。
  
   清澄な響き
 この日のメインは、3つの「Ave Maria」だろうな、プログラムを開いたときそう感じましたが、実際にそうでした。シスター・パウラ、アルカデルト、カッチーニの3人の作曲家による「Ave Maria」は、どれも、清澄な響きでじっくりと聴かせてくれました。黒人霊歌の「行けモーゼよ」「ジェリコの戦い」は、むしろ地の響きが聞こえてくるような力強い音色でした。
 エンディングは、いつものように「ハレルヤ・コーラス」。ついに40人台になってしまった団員を支えようとOBたちが30人ぐらい駆けつけてきました。その熱い想いがこの日も炸裂して力強い大合唱になりました。そのような意味で、この日の定期演奏会は、前半よりも後半がよかったように思います。

 呉少年合唱団第50回記念演奏会に寄せて


 呉少年合唱団の皆様、第50回記念定期演奏会おめでとうございます。
 呉少年合唱団との出会いは、平成12年に岡山市民文化ホールで開かれた、第2回 全国少年合唱大会の時ですが、定期演奏会を鑑賞することによって、いろんなことに積極的に挑戦する合唱団であることもわかってきました。地域に根ざした少年合唱団というポリシーを大切にし、郷土民謡「音戸の船頭歌」や郷土が生んだ作曲家 藤井清水の童謡などをプログラムに採り入れるだけでなく、フランス映画「コーラス」のナンバーを原語で歌うなど意欲的な演奏活動をしてこられました。
 今回の記念演奏会では、「時の彼方へ」が初演されます。海のまち 呉にふさわしい曲だと思います。今回の記念演奏会が、聴く人の心に大きな感動をもたらす素晴らしいコンサートになることを期待しております。

創立50周年記念 第50回 呉少年合唱団定期演奏会
       平成23年11月23日
(水・祝) 呉市文化ホール

 今日は創立50年の記念定期演奏会。1800席ある呉市文化ホールがほぼ満席というこれまで経験したことのない観客数を集めました。
 いつもなら開幕に合わせて団歌というところですが、この日は幕が上がると、「わ~すごいですね。」で始まる中国放送アナウンサーの本名正憲アナウンサーの司会進行でこの定期演奏会は進められました。3番からなる有節歌曲の「団歌」を1番ごとに歌い分けるところまではいきませんが、無難な出だしでスタートしました。オープニングステージは、十八番の「音戸の船頭歌」から始まりましたが、波と櫓の音響効果もあって、掛け声と本歌のバランスもよく伸びやかな声が前面に出ていました。続く郷土の作曲家藤井清水の「土投げ唄」は活力のある仕上がりになって開幕早々エンジンが全開になってきました。「アフリカンハレルヤ」は、土の香りのするリズム感の曲でしたが、その持ち味を活かしていました。

 1~3年生の団員による第2ステージは、ソロを中心とした短い曲を7曲披露しましたが、これは、独唱をきちんと歌えるようにして基礎固めをしようとする指導陣の教育方針と考えられます。そのかわり、一人ひとりの力量が問われてしまいます。身内が観客の場合は、ソロの部分はハラハラしながら鑑賞ということになるのでしょうが、音楽を聴きに来ている者からすれば、ここでよいボーイ・ソプラノに出会えれば、来てよかったという気持ちが強くなります。7曲の中では「つらつら椿」を歌った二人が声質は違うものの共に粒ぞろいの気品と艶のある歌を歌ってくれました。

 第3ステージは4~6年生と中学生(研究生)の演奏でしたが、だい1曲の「ほたるこい」は、団員が数人舞台の上にいるだけで始まり、客席の後ろから他の団員が灯火をもって舞台に上がって、合唱曲らしくなってくるという演出でした。また、このステージで水色の上着と黒い長ズボンの新しい制服が紹介されました。(これまでの制服と共用されるそうです。)「われは海の子」「村祭」「赤とんぼ」「ゆき」「朧月夜」と続く小学唱歌は、編曲の妙を聴かせるステージとなっていました。それは、「祈り」の部分を加えた「朧月夜」で顕著でした。「朧月夜変奏曲」でもない独特の歌になっていました。このステージの最後には、全団員で「時の彼方へ」が初演されました。50周年の節目にあたって、記念になる歌としてこの歌は作られました。ウキウキするような前奏に続いて爽やかな歌声が響きます。はるかな明日への船出、旅立ちという主題が明確で、この合唱団の歌声の魅力を活かした曲でした。ただ、ステージ全体の長さからすると、ボーイ・ソプラノの全盛期の高学年の歌をもっと多くしたほうがよかったように感じました。

 休憩を挟んで第4ステージは、ゲストステージとして海上自衛隊呉音楽隊による「コバルトの空」「ふるさと」「青春の輝き」「A列車で行こう」「行進曲軍艦」の演奏が続きます。軍楽隊の伝統曲やスポーツの行進曲はもとより、カーペンターズやジャズの曲までが同居しているところに「いざというときたよりになる自衛隊」の片鱗を見ることができました。最後は呉少年合唱団も合流して「宇宙戦艦ヤマト」という「大和ミュージアム」でも常設展示の一つになっている呉らしい選曲と言えましょう。

 第5ステージ(OBステージ)は、まず呉少年合唱団の歴史が映像で紹介されました。そこからは、時は流れても変わらないことがあるというメッセージが伝わってきました。続いてOBと後援会、地域の合唱団の方々による「カルミナ・ブラーナ」など3曲。最後には現役も加わって歌いました。本格的な合唱から指揮者のコスプレなどのお楽しみ的な要素の強いものまでみんな音楽を楽しんでいるという雰囲気はよかったと思います。

 エンディング・ステージは団員やOBなど全員で「ハレルヤ」と「さようなら」の2曲。後半は呉少年合唱団そのものよりもOBなどの大人や地域の応援が目立つステージとなりましたが、この創立50周年を記念してみんなで盛り上げようという意図が明白でした。今回は、プロの司会者を迎えたので、人の出入りの多いステージでしたが、スムーズで聞かせどころをはっきりさせたステージを展開することができました。特に、OB会は、200人台いた団員数が5分の1になっていることに危機感をもって、ホームページを充実させるなどの努力をされています。この創立50周年記念定期演奏会を機に、呉少年合唱団に地域の少年たちの注目が集まることを願っております。

第52回呉少年合唱団定期演奏会
平成25(2013)年11月23日(土・祝) 呉市文化ホール


   決断

「最初はやさしかったけれど、だんだん批評が厳しくなってきましたね。」
コンサート会場で山下裕先生にお目にかかった時に最初にいただいた言葉です。
 ・・・これは、私の呉少年合唱団に対する批評に対しておっしゃっておられるのだろうか。それとも、私のコンサート評全体に対しておっしゃっておられるのだろうか。一瞬私の頭の中で迷いが生じました。これは、私が立ち上げた「ボーイ・ソプラノの館」と名付けたホームページの根本理念にかかわる課題であると感じました。直感的に後者であろうと感じました。このホームページを立ち上げてから12年、日本の少年合唱団のコンサートに通い始めてから15年あまり経ちますと、視聴したコンサートの数は大小3桁を超えます。その間、CD等を視聴した数を入れれば、鑑賞したボーイ・ソプラノの独唱曲や少年合唱曲は膨大なものになります。最初の頃は、ボーイ・ソプラノのきれいな声を揃えて少年たちが歌い、同世代の平均的な少年たちと比べて規律と気品を重んじ、今では衰退してきた半ズボンの制服をちきんと着こなすような協力的態度をもった時代に媚びない少年たちが育っている姿を見れば、それだけでも嬉しかったです。ところが、いろいろな少年合唱団を追い続けていると、だんだん耳も肥えてきますし、同じ合唱団の演奏でも年によって満足度が違ってきたことも確かです。よい歌(選曲)と、よい歌唱と、よい指導(歌唱指導だけでなく、指導理念や演出を含む)と、よい観客の4つが揃ってこそ、よいコンサートになるということにも気付きました。「ボーイ・ソプラノの館」の理念は、日本の少年合唱団を団の違いを超えて応援することでありますが、ただヨイショするだけであってはいけないと思っています。音楽の質的な向上を願い、よい観客を増やすことも大切なことだと思っています。「少年合唱」という今の日本においてはほとんど体験できない貴重な体験をすることができた少年たちの人間的な成長を願うからです。だから、古川柳にも言う「泣く泣くも よい方を取る 形見分け」で、私は少年たちの歌声に心動かされる一方、次第に心動かされる理由(その逆も含め)は何だろうかと分析するようになってきました。・・・
 「団員が40人ほどになってしまっては、人数が多かった以前のようなボーイ・ソプラノの歌声だけを追求することはできにくくなってきました。だから、前半は、変声後は男声で歌い、後半はファルセットで歌って声を使い分けるなど、これまでの指導そのものを変えてみました。」
 昭和の終わりごろは、小学校3年生以上で団員数200人台を15年間にわたって維持してきた呉少年合唱団も、団員数や年齢構成に応じた指導の在り方の創意工夫が求められており、それに取り組むことが団の発展にもつながる。山下先生の言葉からは、そのような強靭な意志と決断を感じ取ることができました。山下先生は、本気で私に語りかけてくださったとと感じました。そこで、今回に関しては、たいへん充実した満足度の高いコンサートではありましたが、あえて山下先生のご期待に応えて、ヨイショ抜きのことを直球的に述べていきたいと思います。

   トーンを揃えようとする意志

 団員の歌う表情が見たくて前の方に行こうとしたのですが、山下先生のご厚意で中央の来賓席に座らせていただいて鑑賞することになりました。司会はプロの女声アナウンサーで、最初のあいさつは演出過剰な声とも思いましたが、次第に自然体な声になっていきました。いつものように「団歌」でスタートしたオープニング・ステージでは、最初まだ声が温まっていない感じもしましたが、同時に声のトーンを揃えて美しい響きを創り上げようとする団員の気持ちが伝わってきました。「Believe」「怪獣のバラード」と歌うごとに次第に、声は高まりを見せてきました。

 低学年(小学1~3年生)の団員は、予科の扱いでしょうか、制服も違います。短い独唱をさせることで、一人ひとりを鍛えていこうという指導理念は以前から変わっていません。やはり、この年齢の少年に抒情的な表現が求められる曲は難しいという判断もあってか、今回は、「少年少女合唱隊」「気球にのってどこまでも」「トレロ・カモミロ」「となりのトトロメドレー」の4曲が選ばれました。パーカッション担当の中川律は、元団員でバレエも学んでいたということでしたが、これらの曲をよりリズミカルな味わいの曲に仕上げてくれました。特に、「トレロ・カモミロ」では、その効果がよく発揮され、歌唱も快活で勢いのある仕上がりになっていました。ただ、4曲目(これが数曲のメドレー)となると、頑張っていても最後は息切れ気味になってしまうのが惜しまれます。

 トーンを揃えようとする強い意志は、高学年のステージで強く感じました。小学校高学年や中学生となると、その曲において何が求められているのかということが、知的にも理解できるようになってきます。「アヴェ・ヴェルム・コルプス」「主よ、人の望みの喜びよ」と宗教曲でスタートしたこのステージは、これまでにこの合唱団のコンサートで聴いた響きとは一味違う清澄な美しさを感じました。ところが、3曲目の「ラルゴ~、オンブラ・マイ・フ」にもその影響が現れてきました。独唱曲を合唱曲に編曲すると、かなり味わいが違います。この合唱団は伝統的に中低音が充実していますが、ここでは、ソプラノにもっと突き抜けるような金属的な響きがあってもよいのではないかという想いがあります。続く「乾杯の歌(椿姫より)」のアルフレードとヴィオレッタの独唱のない完全な合唱曲を聴くのは初めてです。この曲はこのような曲であるという思い込みがあったためか、イタリア語のアクセントと邦訳のアクセントの違いが気になったせいか、このような曲だったのかなという想いも残りましたが、同時にこの日にこれまで聴くことのできなかった突き抜けるような響きを聴くこともできました。この曲には虚ろではあっても「華」が求められます。最後のボレロのリズムに乗った「故郷」を聴くのはこれで2回目です。初めて聴いたときは、異質なもののぶつかり合いを強く感じましたが、今回はむしろ自然な快い流れを感じました。

   静と動のコラボレーション

 呉少年合唱団は、毎回ゲストを迎えて、そのコラボレーションというステージを設けます。今回は、石原バレエアカデミー。合唱が「静」ならバレエは「動」という異質な組み合わせです。先ず、バレエ「ドン・キホーテ」から「夢の場」と「グラン・バ・ド・ドゥ」の2場が演じられました。バレエは、華やかな舞台の裏側で厳しい節制が求められる芸術です。現在ダイエットに取り組んでいる私は、裏側のことを思うと心から楽しめないので、表側だけ見ようと思って、ひたすら舞台の上で繰り広げられる夢の世界を楽しみました。続いて、オペラ「イーゴリ公」の「ダッタン人の踊り」を、呉少年合唱団の合唱とバレエの合同公演。いろいろな要素をもった曲の絵巻物ですから、この日に披露されたのは一部分でしょう。しかし、お互いが一体となって舞台を創り上げるというこの企画は、視覚的にも聴覚的にも楽しめました。

   新たな道が拓けた年

 幕間に、呉少年合唱団の歴史や今年の取り組みが、プロジェクターで上映されました。発見された30年前の映像も興味深かったですが、何よりも今春に来日したウィーン少年合唱団の呉公演に共演するための数か月の取り組みが圧巻でした。ウィーン少年合唱団と共演することは名誉なことであり、団員にとっても一生の宝になることはわかっていても、今の団員数では難しいと判断されました。そこで、近隣の小学校から助っ人を募集して、これまでの指導法そのものを変えるような猛練習を行ったそうです。そして、共演を成功に導くに至った過程は、その後の演奏を聴くことによって実証され、教育の力がいかに偉大かということを示してくれました。この日は特別編成だった少年達のうち6人が加わって定期演奏会に臨みました。 

 呉少年合唱団が出演するコンサートの数だけ聴いた「音戸の船頭歌」は、こんなに迫力のある歌だったのか。それは、驚きに近いものでありました。これまで、波と櫓をこぐ擬音やその音を出す小道具の方に目が向きがちだったこの曲の魂のようなものが聞こえてきました。合唱も力強く、ソロを与えられたソプラノの少年は輝きに満ちた声で、アルトの少年はどこまでもよく通る声で歌い上げました。「ゆかいに歩けば」は、NHK「みんなの歌」で初めて聴いたときの驚きが甦ってきました。それまで、オブリガートなど全く知らない少年でしたから。いろいろな合唱団によってこの歌が歌われるのを何度も聴いているのですが、この日の演奏はとても新鮮に聞こえました。「川よ 虹と星と」は、初めて聴く曲です。しかし、歌が進行するにつれ、その抒情的でなつかしい曲想と曲のドラマ性からすぐに岩河三郎の作品とわかりました。10日ほど前、その訃報に接していたので、追悼の歌のようにも聞こえました。「時の彼方へ」も、さわやかな響きで希望に満ちた船出を感じさせる歌に仕上がっていました。同じ制服を着ているので、誰が助っ人だったのかはわかりませんでしたが、助っ人の加入が「長いことやっとるんじゃけえ、助っ人に負けとられんのう。」という正団員へのよい意味での刺激にもなったことでしょう。助っ人がそのまま正団員になってくれたらいいのになぁと願っています。

 フィナーレは、いつも出演するOBだけでなく、石原バレエアカデミーのダンサーまでが加わって、「ハレルヤ」と「さようなら」の2曲を歌いました。おそらく3桁の人数が舞台に上がって歌ったので、迫力もあります。ダンサーたちは、いつどこで練習したのだろう。結構歌もうまいじゃないかと思いながら楽しんで聴いていました。テーマの「つながり ひろがれ ぼくらのうたごえ」も浮き彫りにされてきました。今回は、第52回という数字的には普通の年でしたが、ウィーン少年合唱団と共演することによって、特別編成という新たな道が拓け、大きく飛躍した年になったと思います。

第33回 全日本少年少女合唱祭 西宮大会 
3月28日(金)~29日(土) アミティーホール

第2ステージ 28日 13:30~15:30 呉少年合唱団

   澄んだ声質が生かされていた呉少年合唱団

 続いて、4番目に登場した呉少年合唱団29人は、昨春のウィーン少年合唱団との共演をきっかけにこれまでの歌声そのものを見直し、その指導の成果を秋の定期演奏会にも披露していました。4か月ぶりに聴く「ゆかいに歩けば」は、昨秋の好調を維持・発展させ澄んだ声質で、2番の前半を抑え気味に歌い後半大きく歌いあげているところや、「ヴァルデリー ヴァルデラー ヴァルデロー ヴァルデ ロホホホ ホホ ヴァルデリー」という部分がせり上がるように次第に高まっていくところなど(最初「みんなの歌」で、この部分を聞いたときの驚きは今も忘れておりません。)完成度の高い歌を聴かせてくれました。続く「いのちの歌」も、花の命や町の命など小さな命をみつめることで生きることの価値をじっくりと考えさせてくれる歌で、澄んだ声質が生かされており、呉少年合唱団にとってのこの1年がいかに価値ある1年であったかを感じることができました。

 第53回 呉少年合唱団定期演奏会
平成26(2014)年11月23日
(日・祝)呉市文化ホール

 
  指導理念の徹底

 
指導理念が団員一人ひとりに徹底してきたな。というのが今回の呉少年合唱団定期演奏会の第一印象です。昨春のウィーン少年合唱団との共演をきっかけにこれまでの歌声そのものを見直し、ウィーン少年合唱団の歌声とトーンを揃える指導が団の指導理念となっていましたが、その年、その場限りのものではなく連綿と引き継がれ、さらに低学年にまで広がりを見せてきました。
 今年は、団員が歌う表情を見える席で鑑賞しましたが、「団歌」「音戸の船頭歌」「ゆかいに歩けば」とお馴染みの曲でスタートしましたが、清澄な声質に芯が入ってきたという印象を強く感じました。「ゆかいに歩けば」など、オブリガードを入れたりするとさらに面白い曲になるだろうなどと思いながら聴いていました。


   合唱に挑んだ低学年

 
続く、低学年団員の歌を聴いて、指導方針が変わってきたことを感じました。これまでは、有節歌曲を1番ごとに独唱させることで、一人ひとりを育成するという方針であったように感じておりましたが、今年は、2部合唱させるという方針に変わってきました。「うみ」「海のマーチ」「ここは瀬戸内」「呉の歌」「ありがとう」の5曲は、曲によっては、低音部の方が力強く聞こえて主旋律が沈んでしまうようなところや、「海のマーチ」のようにもっと多人数で歌わないとこの曲のもつ力強さを表現できないのではないかと思うところもありました。しかし、低学年から合唱をさせようという理念は、すぐに成果を生むことはなくても、継続することで数年後はっきりとした成果を生むだろうとも感じました。そこからは、呉少年合唱団は「合唱団」であって、「斉唱団」ではないという理念を感じることができました。

   
本格的な少年合唱を聴いた満足感

 
メインとなる高学年のステージは、「SIYAHAMBA」「Dona Nobis Pacem」「生きてる 生きてく」「いのちの歌」「みち1 2」「サークル オブ ライフ」の6曲でした。どれも、「SIYAHAMBA」「サークルオブライフ」では、動きもありましたが、あえて過剰な演出を避けて、合唱そのものの魅力を伝えるようなステージでした。このステージでは、とりわけ「いのちの歌」「みち1・2」において、合唱だからこそできる表現が随所に見られ、曲の山場づくりが見事でした。とりわけ、「いのちの歌」では、命をいとおしむような歌詞がせっせつと歌われ、背景の画像と重ね合わせながら聴くことができました。また、演奏のところどころにsoliを入れることによって曲のアクセントを形作っていました。そのような意味で、このステージでは本格的な少年合唱を聴いた満足感を味わいました。

   少人数を感じさせない広島ジュピター少年少女合唱団

 
今年のゲストは、広島ジュピター少年少女合唱団でした。人数が16人(うち男子3名)と少なかったので、舞台に団員が整列したときは、声のボリュームが足りないのではないだろうかと心配されたのですが、それは杞憂に終わりました。何よりも一人ひとりがしっかりした声をもっている。「変わらないもの」「蝶の谷」「ここに消えない音がある」より4曲の計6曲が歌われましたが、緩急・強弱が浮き彫りにされる表情豊かな歌を歌っていました。このステージの最後には、呉少年合唱団OBの作曲家中島満久先生作詞・作曲の「地球という楽園」を作詞・作曲者自らの指揮によって合同演奏しました。この曲は、地球に存在するすべての生命に対する讃歌なのですが、手拍子が曲のアクセントになっているところやコーダの部分が面白い曲でした。

   OBも加わって

 
続くステージではOBも加わって、「クリスマスイブ」と「時の彼方へ」の2曲。「クリスマスイブ」も合唱で聴くとアレンジの妙もあって、これまで耳に残っていた曲とはかなり違って聞こえます。ところで、この日圧巻だったのは、「時の彼方へ」。3年前の初演以来各地の児童合唱団によっても歌われるように広まってきましたが、爽やかさと力強さを感じさせるこの歌を聴きながら、山下先生の表情に富んだ指揮がそのような歌声を引き出していることを改めて感じました。 
 この日もエンディングは、全員合唱による「ハレルヤ」へとなだれ込んでいきます。コンサート全体を通して今回のテーマである「歌で輝く ぼくらのいのち」というメッセージが、よく伝わってくる定期演奏会でした。

第56回 呉少年合唱団定期演奏会
平成29(2017)年11月23日
(木・祝)呉市文化ホール

   
オープニングにふさわしい選曲

 3年ぶりに鑑賞する呉少年合唱団。人数的には28人と昭和の終わりごろは200人を超える団員のいた合唱団としては厳しい状況になってきましたが、歌そのものは、満足度の高い出来栄えでした。「団歌」「音戸の船頭歌」とお馴染みの曲でスタートしましたが、頭声の清澄な声にしっかりとした芯が入ってきたという印象を強く感じました。「さあはじめよう音楽会」は、ワルツのリズムに乗って軽やかな歌声が流れてくるという感じの曲で、オープニングにふさわしい選曲であったように思います。

   
背伸び感のしなかった低学年

 1年2名、2年2名、3年3名の7名からなる低学年ステージは、「大きな古時計」「だれも知らない」「ありがとうの花」「いのちの歌」の曲想の違う4曲に挑みました。「大きな古時計」では、1番ごとに歌い方を少し変え、「だれも知らない」では、「シュビズババ」というおまじないの言葉よりも、むしろ旋律の抒情性が心に残りました。特に、「いのちの歌」は、「生きていくことの意味」や「絶望に嘆く日も」といった歌詞の深い意味は、この年齢ではまだ理解できないだろうとは思いながらも、それを感じさせない歌に仕上がっていました。

   
本格的な少年合唱を聴いた満足感

 高学年のステージは、壮大なバラード「花になれ」で始まりました。この曲どこかで聴いたことがあるなと思ったら、羽生結弦選手がエキシビションの演目として使っている曲であることに気が付きました。人生の応援歌であり、説教臭くない歌詞が次々と展開していく中で、大きな盛り上がりを創っていました。続く「動物のカーニバル」より抜粋の「王様ライオン」「ピアノのおけいこ」「化石の森」「旅の白鳥」「フィナーレ」と曲想の違う曲を集めていましたが、振り付けも面白く、楽しめるステージを構成していました。全体として、調和のとれた柔らかな演奏でした。

   
呉の子どもたちと共に

 こういうステージが設けられてから、4年目になります。私の記憶に間違いがなければ、最初は、ウィーン少年合唱団との合同演奏に団員以外からも募集したところから始まったと思います。女子が多いとはいえ、これに参加することがきっかけで入団する男子がいればいいなと思いながら聴いていました。「グッデーグッバイ」と「旅立ち」の2曲が歌われました。とりわけ「旅立ち」は、流麗であるだけでなく、この曲のもつ構成美が見事に表現されていました。

   
ついにOBが本格参加

 これまでも、OBは、陰になり日向になり現役を支えてきましたが、今回はついに現役とほぼ同人数の男声合唱団を結成して、ワンステージ披露しました。選曲も勇壮な「箱根八里」、大河のうねりのような「川の流れのように」童心に戻った「夕焼け小焼け」と男声合唱の違った側面を聴くことができました。これらの曲は、現役の頃歌っていたということですから、歌詞の意味がより深くわかり、そこに人生経験を加えたものが演奏されていました。さらに、「時の彼方へ」が、合同演奏で歌われましたが、人数の関係もあって、男声は抑え気味の声で現役を盛り立てるように歌われました。この日もエンディングは、全員合唱による「ハレルヤ」へとなだれ込んでいきます。木村団長の指揮も力強く心に残りました。今回のテーマである「歌おう未来へ」は、この歌声を未来につなごうというメッセージでもあったように思います。

 ただ、今回残念だったことは、私の後部座席のおばあちゃんたちが、演奏中もよくしゃべったことです。音楽は、よい曲と、よい演奏と、よい聴き手によって成り立つものですが、そのことがわかっていないのですね。前方の座席で母の胸で赤ちゃんも静かに聴いているのに。

第57回 呉少年合唱団定期演奏会
平成30(2018)年12月2日
(日)呉市文化ホール

  
歌に魂がこもっていた「あめつちの歌」

 「記憶がある限り、こんなに雨が降り続いたことはないねえ。」
 「台風がらみでも、2日も降れば、雨はやんだよ。」
 大阪近辺で私と小学校の同級生の間で交わされたこのような会話は、中国地方の各地ではもっとひどい豪雨災害になっていました。今年の呉少年合唱団は、市域が西日本豪雨に直撃され、ホームぺージを拝見しながら、全員無事であっても、山崩れのため未だに交通機関も復旧していないことから、思うように活動できないであろうことを心配しておりました。ところが、その心配は杞憂に終わりました。「呉少年合唱団歌」「音戸の船頭歌」「君をのせて」と続くオープニングステージの曲は、定番曲であるとはいえ、歌詞がはっきりとと聞き取れる安定した歌唱を聴くことができて続くステージへの期待が高まりました。
 この日の定期演奏会で演奏された童声合唱組曲「あめつちの歌」は、本来9月9日に行われた呉混声合唱団の 第45回 定期演奏会でお披露目の予定で、当日は、作曲者の上田真樹さんも呉に来られていましたが、当日呉市内には豪雨警報・避難勧告が発令され、尚且つ通行止めになる箇所もあり、団員の安全確保の為、参加を辞退せざるを得ない状況でした。お披露目できたのは、前日に練習している様子を録音したごく一部の音源だけだったそうです。さて、この年に「空のうた」「樹のうた」「風のうた」「水のうた」の全4曲からなる「あめつちの歌」を歌うということは、空が掻き曇り、風や水の力によって樹が倒されることを見てきた団員にとって必ずしも心穏やかなことではなかったと思います。しかし、同時にこれらは、人々に潤いと恵みを与えるという側面もあり、その両方の側面を団員が理解・共感して歌ったときに、歌のメッセージが伝わってきたというレベルではない歌に魂がこもっていることを感じさせました。また、指導者が一人一人の歌声を育てていることも感じられました。だから、16人という人数以上の力強い輝きのある歌を聴くことができました。

   
団の中で育てる

 かつて、呉少年合唱団は、小学3年生から入団できるシステムでした。しかし、児童合唱団をめぐる状況は、首都圏より地方ほど厳しい状況で、呉少年合唱団でも学年を下げていき、幼稚園児から入団できるようになってきました。そうすれば、演奏できる曲も指導のあり方も、従来通りではなく、変えていかなければいけません。低学年ステージに出演した制服を着ていた団員は8人(プログラムでは6人)でしたが、「線路は続くよどこまでも」だけ出演という団員もいました。「にじ」「ともだちになるために」「Believe」「あすという日が」は、団員の年齢的な実態よりも少し背伸びしても一歩上をめざした選曲だと思いました。学年が上になるほど、自分がステージの上ですべきことを自覚していたように思います。幼稚園児から入団できるようにすれば、「入団してから中で育てる」という発想が必要になってくるでしょう。
 高学年ステージでは、「星に願いを」「ひこうき雲」「鉄腕アトム」「花になれ」という美しさと元気を両立させる選曲でしたが、歌に多様性があり、予習なしでも、すぐにその曲の世界に入ることができました。

   
厳しい環境の中で最善を
 
 後半のステージは、スペシヤルステージ~呉の子どもたちとともに~では、20人の公募で集まった呉市内の小中学生男女20名が、わずか2か月の間で「地球の子ども」「青空マーチ」の合同演奏が可能になるだけでなく、この中から将来入団する可能性を感じました。呉少年合唱団OBステージも、昨年発足以来2回目の勇壮な「箱根八里」に続いて、「さびしいカシの木」「無縁坂」と、むしろ陰影と包容力のある歌に挑んで、昨年と一味違う歌を聴かせてくれました。さらに現役とOBの合同演奏で、「時の彼方へ」、全団員・呉の子どもたち・OB育成会の合同演奏で「ハレルヤ」「さようなら」と続く一連の歌は大きな盛り上がりと余韻を形成していました。それは、現役団員が人数的に厳しい状態であることを一瞬忘れるほどでした。また、厳しい環境の中で最善を尽くした団員へのねぎらいを込めた木村団長先生の最後の挨拶は、力強く感じました。

 第58回呉少年合唱団定期演奏会
令和元(2019)年11月23日(土・祝) 
呉信用金庫ホール(呉市文化ホール)

   
この定期演奏会の背景

  呉少年合唱団の定期演奏会場の愛称が、呉市文化ホールから呉信用金庫ホールに変わりました。その理由は、箱モノの維持のための行財政改革ではなく、昨年の豪雨災害の復興支援のためのネーミングライツパートナーが呉信用金庫に決定し、その愛称が「呉信用金庫ホール」となったということです。それだけ、昨年の豪雨災害の被害は大きく、呉線の車両から山側を見ても未だ復興は道半ばです。そのような背景の中でも、呉少年合唱団は、自らできることで地域に根差した活動を続けてきました。木村茂緒団長先生が作製された「げんこつ募金箱」も復興支援への一環です。
 さて、呉少年合唱団の定期演奏会のプログラムを手にした時、私が一番先に目が行ったのは団員の人数でした。・・・29人か。かつて15年間にわたり200人を擁した昭和後期とは単純比較できませんが、昨年の22人と比べると、1.3倍。高校生までを研究生として残したこともあるでしょうが、関係者の努力を感じました。
 さらに、今回のテーマは~君に伝えたい~という歌の根源につながるテーマでした。日本の民俗学者、国文学者で、詩人・歌人の折口信夫(しのぶ)によれば「うた・歌う」の語源は「うった(訴)ふ」であり、「歌う」という行為には、どうしても相手に伝えたい内容(歌詞)があるということを意味しています。この日歌を通して伝える相手は、会場に来た観客だけではなく、今年2月にご逝去された石原達雄元団長先生であり、歌を教えてもらった先生、歌う仲間、家族や友達などすべての人たちであります。
 前置きが長くなってきましたが、このような背景を知ってこそ、今回の定期演奏会のもつ意義や関係者の意気込みのようなものを感じることができるでしょう。

   
少年合唱の王道をめざした選曲   

 ある時期、呉少年合唱団は、変声期に入った団員(主として研究科生)をどう扱うか模索していた時期がありました。あるステージではファルセットで、あるステージでは男声でという使い分けをしていました。しかし、最近変声後はファルセットで通しているようです。しかし、ソロやソリは、ボーイ・ソプラノ(アルト)を起用して筋を通しているところは、共感できます。この日も、幕開きと同時に団歌で始まり、「音頭の船頭歌」へと続いていきました。最初の頃は、波と櫓の音響効果に目が向きがちでしたが、それがこの曲の本質ではありません。掛け声と本歌を歌う少年は、その年のトップ・ソリストとも言え、そのバランスのよさや伸びやかでよく通る声が前面に出ていました。ある意味では、毎年冒頭の直後歌われるこの歌こそ、呉少年合唱団のその年の指標となる歌かもしれません。そして、この年のテーマでもある「きみに伝えたい」が、オープニングの3曲目として歌われました。初めて聴く歌ですが、いろいろな人やものとの出会いを感謝して助け合いながら生きていこうという想いが込められた柔らかな歌で、この定期演奏会全体を象徴する歌と言えましょう。
 低学年は、最近2部合唱に力を入れているようです。この日選ばれた工藤直子作詞・新実徳英作曲の合唱組曲「のはらうた」からの6曲は、野原の仲間である小動物や花たちが、みんなひらがなのやわらかい名前で登場します。そのあたりにこの歌の本質がありますし、低学年グループはその曲想の違いを出そうと努めていました。幼稚園年長から3年生では、4学年の差があり、この学年差の大きさを感じることもありましたが、同時に、この合唱組曲の中でも一番かっこいい「かまきりりゅうじ」の決めポーズにその思いを込めていることも感じました。
 少年合唱のメインとしての高学年のステージは、ボーイ・ソプラノの響きに焦点を当てた歌を集めたステージでした。今回の高学年の選曲を見て、蓮沼勇一先生が指導されていた頃の暁星小学校聖歌隊の選曲と共通するものを感じました。それは、言い換えれば、ボーイ・ソプラノの美しさを最大限に生かす曲、あるいは、それはイギリスの聖歌隊の響きにも通じるものです。リベラが創唱した「彼方の光」をはじめスタジオ・ジブリのアニメのテーマ曲集のようなこのステージは、ソロやソリを生かしながら、清冽な世界を体現していました。それは、少年合唱の王道をめざす選曲と言い換えることもできるでしょう。頂上が高くなると裾野も広くなります。この合唱を給食時の校内放送でもいいから、呉市内のすべての小学校で聴かせたいと思いました。
  
  
 「~君に伝えたい~」の理念を感じたOB会の歌

 呉少年合唱団は、最近音楽関係の個人・団体のゲストを呼ぶのではなく、呉市内の子どもたちをある期間訓練して共演するという方針に切り替えました。それは、団員獲得にもつながります。この日は、「となりのトトロ」「美しいチロル」というかなり違ったタイプの2曲を選んで、「となりのトトロ」は明るく、「美しいチロル」は壮大にとその違いを浮き彫りにするような演奏をしていました。ただ、後半になると、低学年の団員の集中力がやや弱まるようです。 
 この日出演したOB合唱団の人数は、現役とほぼ同じ。年齢的な差はあるでしょうが、石原達雄元団長先生のご指導を直接受けた世代が、かなりの比率を占めていると思います。だから、「~石原先生に伝えたい~」を強く意識して「箱根八里」「?」「セロ弾きのゴーシュ」を歌ったことでしょう。定番曲になりつつある「箱根八里」では勇壮さを表現していました。「?」は、男声合唱で聴くのは初めてです。「ついに自由は彼らのものだ」という象徴的な言葉が何度もしつこいぐらいに繰り返されて耳に焼き付きます。第二次世界大戦が終わった直後に書かれたこの詩の意味はいろいろな解釈があるようですが、私は鎮魂歌(レクイエム)説で聴くと納得できます。「セロ弾きのゴーシュ」は、さだまさしの20代の頃の歌で、未亡人がセロ好きの亡夫を偲んで歌う歌という発想に驚いた記憶があります。当時のさだまさしは現在よりもかなり繊細な声をしていましたが、サン・サーンスの「白鳥」をモチーフとしたこの歌をOB合唱団は、原曲のイメージと比べるとかなりドラマティックに演奏していました。
 OBとともにのステージでは「時の彼方へ」を歌いましたが、もうこの曲は「第二の団歌」と言えるほどになってきました。エンディングステージ(全団員・呉の子どもたち・OB会・育成会)は、いつものように「ハレルヤ」を歌いましたが、以前は、男声はステージの後ろから聞こえてきたのに比べ、ステージ上手に立つようになってから声部による響きの違いが明確になってきました。この日は特にそれを感じました。これで終わったら、「ブラボー!」という感じで帰る気になりません。「さようなら」があるので、やっとその気になります。
 この演奏会は、2年後に来る「第60回」を視野において行われ、充実した演奏を聴くことができましたが、「第60回」は、団員数が「第50回(46人)」ぐらいになることを願って会場を後にしました。

 第59回呉少年合唱団定期演奏会
令和2(2020)年11月23日
(月・祝) 
呉信用金庫ホール(呉市文化ホール)

   
舞台に見えない部分を想像して

 この日の定期演奏会は、新型コロナウィルス感染拡大防止のため団員・保護者・OBのみで行い、いわゆる「無観客」で行われました。しかし、それまで、集まって練習ができない間も、 団長からのお知らせ「呉少年合唱団のみなさんへ」や「うたうとき」と題した不定期でメッセージがネットで発信され、また、自主トレコーナーも継続されて、そこには、指導者、OB、団員が文を寄せ合い、心を寄せ合って、励ましあってきました。ホームページの手紙のやりとりを読むと、濃密な教育愛が伝わってくるし、こういう見えない部分こそが、人を育ててくれます。呉少年合唱団は、伝統的に呉市の学校教師が指導者となっている少年合唱団で、YouTubeに映し出されたのは、全部ではないそうなので、映されなかった部分までを想像することはできませんが、この会がステージ上では見えない部分の支えによって行われたというのは、真実です。

 オープニングは、団歌で始まりましたが、「無観客」のためか、全員マスクなしでした。画面を追いながら、団員数を数えてみると、低学年(小学3年生以下)4名、高学年(小学4年生~高校生)22名、計26名ということで、人数的厳しさは続きますが、特に小学3年生以下の新入団員数が少なかったのではないか、一方、平均年齢が高くなっているとも感じました。しかし、その低学年4人を前面に立てて挨拶をするところは、「育てよう」という意識を感じました。続いて、おなじみの「音頭の船頭歌」を聴くと、3人ずつ6人による掛け声と本歌の掛け合いは健在で、安心して聴くことができます。また、この日のテーマは、「ぼくらは歌う」ということでしたが、このストレートなテーマは、「当たり前のことをする」ことができない今こそ、ふさわしいテーマではないでしょうでしょうか。

   
低学年の発展こそが将来につながる

 第2ステージの低学年は4人ですが、呉少年合唱団では、かつては3年生に部分独唱をさせて一人一人を鍛えていく方法をとっていた時期もありました。もう10数年前に聞いた「誰かが星を見ていた」など、忘れられません。もう、その少年たちも卒団したでしょうが。最近は、小学3年生以下の低学年に合唱組曲を採り入れています。ただ、今年度は別にしても、合唱組曲は、日本独自の合唱の形態で、特に児童合唱曲については、ごく一部の曲を除いて、一般に知られていないし、曲想の変化を楽しむという合唱組曲特有の聴き方を身に着けずに会場に来ている観客にとっては、その楽しさを実感しにくい曲です。この日は、活力のある「行こう、どこまでも」、ちょっとブルーな気分の「雨降り水族館」、明日への期待を歌う「明日は晴れる」と曲想の違う合唱組曲を歌いました。初めて聴く歌ではありますが、歌の構造がはっきりしているため、曲想を考えながら一生懸命歌う姿が、心に残りました。また、部分ソロの伝統は生きていました。ただ、同時に、このような時期に、こんな耳慣れない選曲でよいのかという想いもありました。誰もが知っている歌を美しく楽しそうに歌うことがコロナ禍の今、特に低学年には求められているのではないかとも思いました。これは、指導されたことをきちんと歌っている団員の問題ではなく、指導者の選曲の問題であると思います。低学年が歌う歌は、次年度の団員獲得につながるという意識をもつことが、呉少年合唱団の発展につながると感じました。(今年度はいなかったけれど)観客が、いい歌を歌うなと感じさせることが何よりです。団員を中学生・高校生と上に広げることよりも、幼稚園児まで入団が可能となった低学年において毎年2ケタの団員を確保することが、今、呉少年合唱団に求められていることではないでしょうか。

   
来年度(第60回)につなぐために   

 練習ができない期間が4か月続いた間も、OBは、現役を励まし続けました。第3ステージでこの日集まった16人(指揮者を含む)が歌ったのは、これまでも歌い続けてきた男声合唱の「箱根八里」の1曲でしたが、力強さが伝わってくる歌唱でした。この1曲のために遠方より駆けつけてくれたOBがいることを知るとき、これ以上のものを求めてはいけません。また、呉少年合唱団のOBチャンネルに、今年度の定期演奏会の動画を配信したことを思うとき、その想いの高さを感じました。

 第4ステージは、メインでもある高学年ステージということで、小学4年生以上高校生までと幅広い年齢層でしたが、音質はそろっていました。昨年も歌われた「彼方の光」によって始まりました。続いて「もののけ姫」は、OBの中川正さんのカウンターテナー・ソロが加わって、それぞれが「図」と「地」(Figure–ground)の関係になって、曲は進行していき、これまでの呉少年合唱団の演奏ではあまり聞かれない曲を聴くことができました。続く「山の向こうへ」は、TBS日曜劇場『この世界の片隅に』の中の劇中歌で、呉にちなんだ曲ですが、どこか懐かしくやさしいメロディが美しい曲です。このステージの最後の現役全員で歌われた「生きてる生きてく」は、「映画ドラえもん のび太と奇跡の島~アニマルアドベンチャー~」の中の活力のある歌で、こういう元気な曲が今求められていると思います。それと同時に、「高学年」という言葉から連想するのは、小学4~6年生です。しかし、実際には、中高生を中心とするファルセットであったことも気がかりです。

 エンディングは、いつもなら「ハレルヤコーラス」で華やかに終わるのですが、この年は、ベートーベン生誕250年ということもあって、「よろこびの歌」with「呉氏2020」というこの年ならではの選曲でした。この二つの曲が混じりあって終末を迎えるというところが聴きどころでした。木村団長が、この困難の中でどう頑張ったのかを語る場もありましたが、定期演奏会をやっていいのかどうかという迷いを持ちながらこの日を迎えたのを支えてくれたのはOBであったことなど、感動的な話をされました。来年は、同月同日に60周年を予定しているとのことですが、その頃にはコロナ禍が収束してくれることを願わずにはいられませんでした。最後は、おなじみの「さようなら」でしたが、ステージの最初から最後まで現役団員は、楽譜を持たずに歌ったので、声が前に出たことが何よりも素晴らしいと思いました。

創立60周年記念 呉少年合唱団定期演奏会
 令和3(2021)年11月23日
(火・祝)
  
呉信用金庫ホール(呉市文化ホール)

     未来志向のテーマ

 創立60周年記念 呉少年合唱団定期演奏会は、その企画から、当日までの半年余りの間に、緊急事態宣言による2か月超の中断を経て10月に練習を再開したばかりで、本番に突入という厳しい日程の中で行われました。いかに、周年行事の年とはいえ、おそらく、このような状況下では、これまでに蓄積された持ち歌を中心にしたコンサートになるだろうなという私の予想は、よい意味で外れました。呉少年合唱団は、OB会を含め、この日のために60周年にふさわしい選曲や新たな試みに挑んでいることがわかってきました。さて、呉少年合唱団は、毎回定期演奏会にテーマを設定していますが、今回は、~つなぐ未来へ~というまさに未来志向のテーマが設けられました。
 また、その取り組みの一部は、定期演奏会の2週間前に、広島県を放送対象地域としたRCCテレビ「くれワンダーランドJourney」 で「呉少年合唱団創立60周年」にて放送されました。新入団員は4名であったということですが、学年は不明です。コロナ禍の中、入団への働きかけをよく頑張っていたのではないかと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=qidXuusBSIo&list=PLj6s-5ZisXNJbYgj5gPIDbyG4yilJePFA&index=2&t=5s
 会場に入ると、ソーシャルディスタンスをとるため、市松模様の座ってよい席が表示されていましたが、何よりも目を引いたのは、座席の前5列ぐらいが撤去されて、そこに、団章と60という数字が並んで大きく表示されていることでした。また、プログラムは、例年の3倍以上のボリュームでしたが、元指導者をはじめ、各世代の団員の回想録や、毎年の卒団性の名簿、YouTube動画で視聴できる昭和50年以後の演奏、制服の歴史のイラスト、団歌やこの日初演される呉少年合唱団60周年記念 委嘱作品「児童合唱とピアノのための『うたうとき』の楽譜など、資料的価値の高いものになっていました。

    呉市の児童合唱の黎明期を思って
  
 オープニングステージは、時節柄予想通りマスクを着用しての歌でしたが、マスク着用の影響がどの程度あるのかは、呉信用金庫ホールという1800人収容できる広い会場のどこで聴くかによっても違うのかもしれません。しかし、私が座った前方の位置からは少なくとも歌詞が聞き取れなかったり、ひずんで聞こえたりすることはありませんでした。ステージは、いつもどおり、「呉少年合唱団歌」で始まりましたが、続いて、思い出の歌として「まきばのこうし」と「汽車ポッポ」が、歌われました。これらの曲は、木村茂緒団長先生が団員であった頃歌われた歌だそうです。聴きながら、ふと、自分が小学校で受けた合唱の授業を振り返ってみます。戦後、合唱音楽が小学校の音楽科に採り上げられるようになって20年近くたっても、合唱の指導方法が普及していないことも多く、なぜ低音部があるのかも教えられず、ただ、「歌いなさい。」と、階名唱させられて、その結果、子どもは合唱音楽が苦手になるケースも少なくありませんでした。私が小学生の頃、低音部は、子どもの間では、「音痴の節」と呼ばれていました。さすがに教師の前でそれを言う子どもはいませんでしたが、それは、当時の音楽教育の水準を表しています。そのようなときに、このような「まきばのこうし」のような曲を学んでいたらもっと自然に2部合唱に親しめたのではないかと思いながら、聴いていました。また、ゆったりした「まきばのこうし」とリズミカルな「汽車ポッポ」の対比も面白く聴くことができました。この2曲を通して、当時の呉市の小学校における音楽教育の水準の高さを知ることができます。しかも、呉少年合唱団の指導者は、地域の小学校教師ということですから、休日返上の活動です。続く「音戸の船頭歌」は、まさに呉少年合唱団の定番曲ですが、最初は、波の音や櫓を漕ぐ音の効果音の面白さに耳が向きがちですが、次第に民謡独特の張りのある高音や掛け声の面白さに気付くようになるという不思議な曲です。

    愛唱歌の大切さを再認識

 低学年ステージは、今年放送60周年で、呉少年合唱団と同い年に誕生したNHK「みんなのうた」から6曲が歌われました。「みんなのうた」で採り上げられた年代はまちまちで、「パンのマーチ(1969)」「おお牧場は緑(1961)「北風小僧の寒太郎(1974)」「手のひらを太陽に(1962)」「なぜ(2012)」「一つの明かりで(201?)」と、おそらく、小学校1~3年生の団員にとっては、生まれる前の歌がほとんどだったと思いますが、全体として活力のある仕上がりになっていましたが、最後に「一つの明かりで」を入れることで、引き締まった感じがしました。このように、少年合唱団は、親しみのもてる曲を美しく歌うという原点に戻ることが大切だと思います。「みんなのうた」も、時代とともに選ばれる曲が変わってきて、番組スタート時の「おお牧場は緑」をテレビに合わせて聴いて、歌って育ってきた世代は、次第に社会の第一線を去るようになってきましたが、このようにして新しい世代の子どもたちによって歌い継がれていることに、改めて60年の重みを感じると同時に、小学校において音楽の専科制が進む中で、音楽は専科にお任せで、学級で愛唱歌を歌うことが少なくなっている今こそ、このステージは、愛唱歌の大切さを再認識することができました。

    選曲の多様性を
   
 一方、高学年のステージでは、選曲の多様性を楽しむことができました。「広い河の岸辺」は、スコットランド民謡が原曲のようですが、この歌からはむしろ子守歌のような懐かしさを感じました。「Nella Fantasia」は、旋律の歌唱が美しく、サラ・ブライトマンとは違った味わいの曲に仕上がっていました。「カイト」は、コロナ禍の中でいかに生きるべきかを示唆するような曲になっていました。「威風堂々」は、前後の勇壮な部分がなく、中間部に平原綾香が歌詞をつけたもので、この部分だけを聴くと、その歌詞とも相まって原曲とはかなり違った曲に聞こえます。その辺りは好みの問題かもしれません。「Siyahamb」は、約1か月前に広島少年合唱隊の演奏を聴きましたが、南アフリカの明るく独特のリズムは変わらないものの、振り付けの有無でかなり違った感じがしました。呉少年合唱団の演奏は、合唱そのものの魅力を伝えるような「つくり」になっていました。いずれにしても、コロナ禍のこの時期に、これだけ新しいことに挑めるということに拍手を送りたいと思います。

    気迫を感じたOB会

 「ゆかいに歩けば」の男性の歌声が上手と下手の両方から聴こえてきて、定位置でぴたっと止まったのは、不思議な感動を生みました。なぜなら、私はこの歌をこれまで少年合唱を含む児童合唱でしか聴いたことがなかったからです。「昔とった杵柄」という言葉がありますが、呉少年合唱団OB会は、たとえ年代は違っても、在団当時に一緒に歌ったことはなく、また、パートは違っても、どこかでこの歌を歌ってきたのでしょう。創立50周年を機に設立されたOB会は、近年は、定期演奏会で1ステージを持つ男声合唱団として活躍しています。持ち歌も、幅を広げてきましたが、この日も定番曲の「箱根八里」に加え、この日は、被災者の応援歌の「ほらね」というシリアスな歌とアニメの主題歌「キューティーハニー」とコミカルな歌の3曲でステージを盛り上げました。「キューティーハニー」の最後には、ピンクのアフロヘアーのハニーちゃんが恥ずかしそうに登場して笑いをとるなど、視覚的な要素を大切にしたステージを展開しました。ここでいったん幕が閉じて、木村団長先生とOB会長三田雅志さんとのインタビューが行われました。このお二人が在団当時の昭和40年代は、小学3~6年だけが団員でしたが、各学年60人ぐらい(はっきりした人数は不明)いたとのことで、この当時は呉市の人口(児童数)が多かったという以外の要素は何だったのだろうと思いながら話を聴いていました。その当時の教師が素質のありそうな少年に直接声をかけるという団員募集方法は、児童あるいは児童合唱を取り巻く社会的な背景が違うので、そのまま現在に通用するかどうかわかりませんが、少年時代の人のつながりが今にも続いていることなど単なる思い出話を超える興味深いものを感じました。その後、幕が開いて、合唱だけでなく、器楽の方面でも活躍する5名のOBによる「可愛いアイシャ」の演奏があり、このコンサートに華を添えました。

    OBとともに 一つなぐ未来ヘー
 
  この日のために作られた本邦初演の曲は、OBでもある中島満久先生作曲の呉少年合唱団創立60周年記念委嘱作品 児童合唱とピアノのための『うたうとき』という、2章からなる合唱組曲的な作品で、作曲者の中島先生の指揮で初演されました。第1章「そのときぼくは」は、「そのときぼくは飛んでいく」という言葉が躍動的に繰り返される中で、ボーイ・ソプラノのソリ(Soli)によってゆったりと歌われる「深青(みお)の世界には 明るい光が心のボールになって照らされている。」という光あふれる色彩感豊かな世界が浮かび上がるようなって、歌う喜びが伝わってくる歌です。
   また、第2章「つなぐ未来へ」は、OBの男声合唱も加わって、うたうときには、抑えきれないほどのこみあげるものがあり、ぼくらはつながっているという歌の中でもとりわけ「合唱」という音楽の本質につながっている壮大な歌でした。

 エンディングステージは、おなじみの「さようなら」で、壮麗な「ハレルヤコーラス」はなく、静かに幕を閉じるという組み立てのステージでした。

 第61回呉少年合唱団定期演奏会
11月23日 (水・祝) 呉信用金庫ホール(呉市文化ホール)

   
事前のテレビ放映(YouTube映像)から

11月上旬に、YouTubeを検索していた時、広島テレビの地域紹介番組『われら!呉Tuber#27「呉少年合唱団~ひびけ~世界の空へ~」』を見つけました。内容は、11月23日に行われる呉少年合唱団の第61回定期演奏会に向けての取組を団員のインタビューを交えて紹介するものですが、その内容よりも気になったのは、歌声そのものよりも登場した団員数が、おそらく小学生団員だけでありましょうが、11人ということでした。海外公演を再開したウィーン少年合唱団も、この秋、アメリカを旅するシューベルトコアの映像を見ると、20人ぐらいになっています。長引くコロナ禍は、世界の音楽界に大きな災いをもたらしています。そのような時期のコンサートだからこそ、困難の中に光を見つけるような鑑賞を心がけたいものです。
https://www.youtube.com/watch?v=pfHu-lliJbM

   
背伸び気味でも一人一人が頑張っていた

 コロナ禍は3年目を迎えても次々とウィルスは変異しながら、今第8波が押し寄せている中、当日やむなく出演できなくなった団員等出演予定者もいたことでしょう。写真と人数の差からそのことに気付きました。この日も、感染防止を考慮して前の数列の座席は撤去されて、そこに団章と61という定期演奏会の回数を描いたパネルが置かれました。幕が上がり、団歌で始まる全団員のステージは、「ピクニック」「汽車ポッポ」と創立当初より長年歌い継がれてきた歌を経て、おなじみの「音戸の船頭歌」へと続きます。22人という人数と、マイクは舞台上のどこかに設定されていたでしょうが、マスクをした歌声が、1800人収容可能なホールの隅々にどのように響いたかは、比較的前方で鑑賞した私にはわかりませんでしたが、団員が50人以上いた頃と比較しても同じではないと考えられます。
 低学年のステージでは、「たいようのサンバ」「だれかが口笛ふいた」「楽しいね」「さくら」と、小学2~3年生の団員にとっては、「楽しいね」を除いては、学年的にはやや背伸び気味の選曲でした。しかし、わざわざ合唱団に入って、その学年の教科書に載っているような歌ばかりを歌う必要はないでしょう。かつて呉少年合唱団は、3年生の新入団員に全員ソロを歌わせて鍛えていた時期もありましたが、それは、今の時代にはそぐいません。3人がソロ含め、それぞれ自分のパートをしっかり果たそうとするけなげさが、この歌たちに目に見えない活力を与えてくれました。

   
ファルセットか男声か

呉少年合唱団は、その回ごとにテーマを作ってそれに沿った選曲を一部または、全体として取り入れてきました。今回のテーマは、~ひびけ 世界の空へ~です。ロシアのウクライナ侵攻によって、核兵器が使われるリスク、非戦闘員の民間人の犠牲などが憂慮される今こそ、このテーマがふさわしく思われます。この日歌われた「キーウの鳥の歌」は、抒情的な旋律が美しい佳曲で、この日の演奏を聴くことがきっかけで、YouTubeで違う演奏者の歌を聴き直したり、楽譜を求めたりする人が出てくるのではないでしょうか。「いのちの歌」は、数年前に低学年のステージで採り上げた有名な作品ではありませんが、小さな命の尊さを改めて見つめ直すことをテーマにした歌です。『坂の上の雲』のテーマ曲「Stand Alone」が、この日の曲として選ばれた本当の理由は、指導者にしかわからないことですが、明治時代の日本が列強の植民地化に抗して「凛として」立つことを歌っており、これもまた平和につながる歌であると考えます。この時日本が立たなければ、日本はロシアの属国や植民地となっていたかもしれません。そのような意味で、この歌は「キーウの鳥」と対応していました。「O SOLE MIO」は、言わずと知れたナポリ民謡の系列にある曲ですが、強い声のボーイ・ソプラノがいなければ、主旋律はテナーで、それを変声前の歌声が支えるような編曲ならもっといいのになぁと思いながら聴いていました。「SING」は、カーペンターズの歌として有名ですが、全体的に割合軽い感じで明るく歌われました。
 高学年の部は、本来、呉少年合唱団のメインになるステージです。昨年末ご逝去されたと伺った山下裕元団長先生と以前お話する機会があったときに、変声後の男子をファルセットで歌わせるか、男声として歌わせるかということについて伺ったことがあります。それは、ちょうど 平成19(2007)年2月11日岡山市民文化ホールで、第6回全国少年合唱大会が行われたとき、初めて混声合唱の呉少年合唱団の演奏を聴いた直後でした。山下先生は、現状ではファルセットの方がよいのではないかと考えているとおっしゃっておられましたが、それから10年以上経ちます。この日出演した研究生(中等科)は12人でしたが、その歌声は、ファルセットと男声が混じっていたように感じました。この辺りは、そのときの変声前の小学生の人数ともかかわってくるとは思いますが、一定の方針で指導していくことが「呉少年合唱団の歌声」として筋の通ったものになると感じました。

   
地域と共に

 スペシャルステージ~呉の子どもたちとともに~も、3年ぶりに復活しました。木村団長先生が水色の小箱を持って登場し、上手側の椅子に置いて指揮を始めました。「もみじ」は、合唱の入門曲でもある親しみのあるものです。この日の見ものは、呉市オリジナルソング「君くれハート」でした。水色の箱の中には、呉市のゆるキャラ「呉氏(くれし)」の人形が入っており、ホンモノは、来られないので代理なのかと思っていたら、下手側の出入り口のドアからホンモノが現れ、指揮をする木村団長先生と一緒にダンスをしながら歌うという意外性のある演出は、会場に来ていた地域の人々、特に子どもたちにとっては、たいへん嬉しいプレゼントだったと思います。会場のロビーには、最近の活動の写真も掲示されていましたが、「地域と共に歩む姿勢」これは、呉少年合唱団がこれまで歩んできた道でもあり、これからも歩む道であろうと思います。ちなみに、呉市は、今年市制施行120周年の記念の年に当たります。


   
どんなことをしても後輩を支えようとするOB会

 OBステージは、おなじみの「箱根八里」で始まりました。これは、男声合唱だからこそ表現できる曲とも言えます。続く「夕焼け」は、夕焼けを表すような色の舞台照明と相まって、夕焼けの徐々に変化していく色彩感と平和な夕焼けと戦の火の違いを音の重なりによって楽しむことができました。「アンパンマンのマーチ」は、これまで、フレーベル少年合唱団OB会が、団員と一緒に歌うのは何度も聴いてきましたが、男声だけで歌われることによって父性を感じる歌になっていました。また、OBが、この日のために遠方より集まった人もいるので、楽譜を見ながら歌うのは、仕方がないことだと思いますし、演奏にあまり影響を与えませんでした。一方、団員が楽譜を見ずに歌うよう指導しているのは、指導者の見識であると思います。なぜなら、楽譜を見て歌えば、視線は下がるし、表情が明るさを欠くからです。
 しかし、OBのどんなことをしても呉少年合唱団を支えようとする想いは、50周年記念委嘱作品の「時の彼方へ」でも爽やかで力強い支えとして歌われ、これまた3年ぶりに復活する「ハレルヤ」の合同演奏では、2名がカウンターテナーとしてソプラノパートを歌って、人数的に声の強さをカバーするという「離れわざ」まで演じました。毎回いろんなかつらをかぶって、ときには外して大熱演のOB会の三田会長の言葉とも併せ、そこに、熱情的な愛を感じずにはいられませんでした。いや、このOB会の姿勢は、誰よりも現役団員に伝わっているはずです。家庭と職場が離れていることがほとんどとなった現代の子どもは、大人が本気で何かに取り組んでいる姿をその目で見る機会は少ないと考えられます。それを同じ舞台の上、あるいは舞台のそでで見たという経験は、きっと団員の人間的な成長に貢献することと思います。
 この日の演奏を音楽的にどうだったと言うことは簡単かもしれません。そのかなりの部分が小学生の団員数に起因することも確かです。しかし、その奥にあるものを観ることこそ「鑑賞」と言えるのではないでしょうか。この日は、久しぶりに「さようなら」で静かに終わって、ほっとするものを感じながら、会場を出ました。



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