京都市少年合唱団 「輝(ひかり)」(男子部)

 プロフィール
 
昭和32年京都市立醍泉小学校がNHK全国学校音楽コンクールで優勝したのをきっかけに、当時の京都市長の発案により,全国初の公立少年合唱団(教育委員会直轄)として、昭和33(1958)9月に創設され,平成29年には創立60周年を迎えました。合唱を通して団員の音楽性を養い、音楽を愛し、豊かで温かい人間味あふれる人格を形成することを目指すとともに、演奏活動を通じて京都市民の音楽文化の向上に努めています。約2500人の修了生の中には,世界的な指揮者として活躍中の佐渡裕をはじめ、著名な音楽家として活躍する者、音楽の指導にあたる者、合唱活動を続ける者なども数多く、市民生活の中に音楽の輪を広げています。 以前は,男子は小学4年生女子は小学5年生から入団できるように年齢差がありましたが、平成24年度からは男女とも小学4年生から入団できるようになりました。小学4年から中学3年まで令和5年度は191名(男子2割台,女子約7割台)の団員が在団しています。早くより男子部を作り、混声合唱によるステージをもっているのが特色です。私は、この合唱団のコンサートを数十回鑑賞したことがありますが、男子団員は、独立したステージをもち、名前も、「男子部」「みやこ光」から、コロナ禍の関係で中断されていた期間を経て、「輝(ひかり)」と改名されました。現在は、男子部「輝(ひかり)」と、女子部「雅(みやび)」「和(なごみ)」と、「響(選抜メンバー)」の4グループで活動することになったようです。なお、男子率は毎年約2割ぐらいで、少年少女合唱団の中では多い方と言えます。
  音楽監督にOBの加藤完二、指揮者大谷圭介等5名、ピアニスト4名の10人体制の指導陣です。

     
    全員合唱                             男子部(この当時は「みやこ光」) 現在は「輝」       

       
 京都市少年合唱団 第50回記念定期演奏会
平成11(1999)年8月28日(土) 京都コンサートホール


  平成11年8月28日(土)京都コンサートホール大ホールで2:00から行われた京都市少年合唱団の第50回記念定期演奏会に行って来ました。昭和33年に日本最初の公立の少年合唱団として創立されたこの合唱団は、その当時からそうだったのかどうかは知りませんが、現在は少年少女合唱団です。(国体の少年男子、少年女子という不思議な呼称と同じです。)この合唱団の団員は、小4(男子)小5(女子)から中3までです。男子を優遇しているのは、そうしないと人数的に少ないことと、変声期との関係があるのかなと推察しました。日本の少年のボーイ・ソプラノは、最近は変声期が早くなったため、現在では平均4.5年生ぐらいが一番美しいようです。中学生でもソプラノはいますが、少なくなってきました。現在は総勢225名の大合唱団で、男子も42名ほどおり、男子部もありました。男子も中3までおり、当然のことながら混声合唱になります。制服は水色の半袖シャツに臙脂のネクタイは男女共通、男子は小学生が紺の半ズボン、中学生が長ズボン、女子はスカート、白い短ソックスに黒靴というもので、これが200人以上舞台に上がると壮観です。1800人入れるホールは、第50回記念定期演奏会ということもあってか、8割以上の入りで、大盛況でした。

 プログラムは、全員合唱「美しく碧きドナウ」に始まり、OB団員・親の会・在団生による合同演奏オラトリオ「メサイア」より「ハレルヤ」で終わるという意気込みにあふれたものでした。また、少女部は、新団員、小学6年・中学1年女子、中学2年・3年女子と年齢別演奏で、少女の声と歌の発達を見ることができ、また男子と比較することができて、興味深く鑑賞することが出来ました少女の声は、全体として柔らかい声で、年齢と共に幅と艶ができ、表現力が高まってくるのがよくわかりました。中学2年・3年女子によるペルゴレージの「スターバトマーテル」より3曲は、声部のバランスもよく、相当レベルの高い演奏でした。

 これだけの大合唱団で、男子の比率が2割となると、(それでも、全国的な比率と比べるとかなり高いのですが)どうしてもボーイ・ソプラノが女声に埋もれがちになります。確かに全員合唱では、変声後の中学生男子のがんばりが目立っていましたが、高音部では、渾然一体となって、男子だけの声を聴くことはできません。そういう意味でも、男子部があるということは、ボーイ・ソプラノファンにとってはありがたいことです。男子部の出し物は、サン・サーンス「動物の謝肉祭」より、「王様ライオン」、「象のワルツ」、「化石の森」、「旅の白鳥」の4曲と、変声後の男子をメインに据えたベートーヴェンの「Joyful,joyful」でした。最初の「王様ライオン」が始まって感じたのは、やはり低音部が強いので、歌としてはとても安定し、しっかりしているけれども、突き抜けるような張りのあるボーイ・ソプラノが聴かれないということでした。しかし、「化石の森」では、小・中学生混成のアルトを全面に出し、色で表すと黄緑色、楽器で表すとオーボエの音色のようなその魅力をたっぷり聴かせてくれたのは嬉しいことでした。また、男声が引いて変声前の少年だけで歌われた「旅の白鳥」は、柔らかでしっとりした歌いぶりで、この合唱団の歌声の理念のようなものを垣間見ることができました。それにしても、口の開け方のきれいな少年は目に付きます。「Joyful,joyful」では、変声後の男子のソロも聴けました。ほとんどがまだ未完成の青臭い声でしたが、人間の成長を考えるとき、この声が新たな魅力をもって感じられます。

 この合唱団は、約40年間のOBも1600人いるそうで、合同演奏に参加した元団員67名、親の特別合唱団員36名を加えると300名の大合唱団になります。これだけの人数で歌われると、たいへんな迫力で、「ハレルヤ」とアンコールの「大地讃頌」は、合唱の醍醐味を味わうことができました。そういう意味で、人の成長・発達という視点から声や歌の魅力を感じることのできた2時間でした。



京都市少年合唱団創立45周年記念
     第53回定期演奏会

平成14(2002)年9月1日(日)京都コンサートホール

 平成14年9月1日(日)京都コンサートホール大ホールで1:40から行われた京都市少年合唱団創立45周年記念定期演奏会に行って来ました。1時間前から待っていればいいだろうと思って12:30ごろ会場に着いたところ、いやビックリしました。300人以上の長蛇の列。立て看板を持って整理していたのは、京都市教育委員会の指導主事。京都市の指導主事はこんな仕事までしているということにまたビックリ。京都市ではこんなに少年(少女)合唱って人気があるのでしょうか。会場に入って、司会の紹介でわかったことですが、1800席は満席で、さらに入りきれない方のため、小ホールでスクリーン鑑賞もあったようです。

 プログラムは、OBの演奏を含め、3部11ステージ約3時間半の長大な演奏で、ワーグナーの楽劇を聴いたような感覚で、正直言って、ちょっと疲れました。演奏の質も高く、ステージマナーもよいのですが、長すぎるのも考えものです。会場では第2部のOB演奏を機に、途中で帰る客も目につきました。ただし、個々のステージは、よく工夫されていました。かなり後ろの席でしたので、団員の表情などはあまりよくわかりませんでしたが、声のバランスはよい席でした。

 注目の男子部は57名で、3年前よりは人数的にかなり増えて喜ばしいことです。構成としては広島少年合唱隊とほぼ同じです。また、演出もなかなか面白いものでした。曲目は新美徳英の「うたあそび・おとあそび『中世風』」、モーツァルトの「魔笛」の三童子の歌をアレンジした「幕が上がる前のうた」、吉岡弘行の「大阪風お好み焼き」の3曲。こういう全く異質の3曲を選んだということは、その違いを楽しむということになります。
 ラ・フォリアという中世の舞曲をもとに作られたという「うたあそび・おとあそび『中世風』」は、透明度の高い変声前のパートと、未完成で若々しい変声後のパートの絡みが実に美しい曲です。どうしても、声量という点では、変声後のほうが強くなりがちなのですが、かなり抑えて演奏していたように感じました。それが結果として、ボーイ・ソプラノを浮かび上がらせていました。2曲目は、当然のことながらその傾向がより顕著でした。「魔笛」の中で最もほっとする場面の演奏はこうでなくてはいけません。今回のコンサートでは変声前のパートの透明度が一層増したような気がしますが、それなら思いきって合唱ではなく三重唱として取り上げてもよかったのではないかと感じました。「大阪風お好み焼き」は、合唱組曲「キュジーヌ」の中の1曲ですが、野趣に富んだこの曲の味付けとしてはなかなか面白いものでした。合唱における舞台上の動きは時として、曲の雰囲気を壊すこともありますが、この振り付けはレシピにそっているだけでなく、最後のポーズまで一つのドラマを見ているような面白さがありました。2年前、清澄な桃太郎少年合唱団によるこの全曲を聴いたときとはまた違う曲のような気さえしました。それは、少年がもっている「元気」を前面に出したからでもありましょう。京都市少年合唱団男子部は、これまでにも「食いしん坊の世界旅行」などにも挑んできましたが、こういう傾向の曲にもそのよさが現れているように感じました。

京都市少年合唱団第54回定期演奏会
平成15(2003)年8月30日(土)  京都コンサートホール

 平成15年8月30日(土)京都コンサートホール大ホールで行われた京都市少年合唱団第54回定期演奏会に行って来ました。今年は記念コンサートではなかったのですが、1800席がほぼ埋まるという盛況でした。今年は、端の方でしたが前の方で視聴することができましたので、団員の歌う表情も見ることができました。
 プログラムを読むと、京都市少年合唱団では「バロック・古典派、ロマン派、日本の音楽」等、5年を周期にした主題を設定しているとのこと。今年は、日本の曲ばかりという構成で、しかも、「平和」や「水」をテーマにした曲がメインでした。これは、京都で今年春に行われた「世界水フォーラム」秋に行われる「二条城国際音楽祭」ともつながっており、地域に根ざした合唱団であることが伺えます。
 この試みは、高い音楽性とあいまって成功していました。加藤登紀子作の「愛」に始まり、組曲「地に平和を」につながり、「泉のほとり」「川」「鮎の歌」で結ぶプログラム構成は、よくできていました。

 さて、昨年57人だった男子部は、さらに増え70人近くになっていました。
 ところが、第1曲目の「涙をこえて」が始まると、人数的にも3分の1以上で声量の大きい変声後のパートが力強く、どうもボーイ・ソプラノが押され気味になります。もう少し男声は、抑え気味に歌った方がバランスよいのではないかと思っているうちに曲は終わってしまいました。ところが、2曲目の「イエスタデイ」は、変声後の男声だけでしたが、俄然その魅力が前面に出て来ました。みずみずしい声質と
5部合唱の絶妙のハーモニーがア・カペラで歌われるとき、美しい世界が生まれました。驚いたのは3曲目です。「怪獣のバラード」の伴奏が始まると、舞台袖から変声前の団員達が走ってきて舞台の定位置に集合。走って舞台に登場という演出は、騒然となりがちなのですが、決してそうではなく元気さを表していました。また、歌の方もボーイ・ソプラノが押され気味だった1曲目とは違って、活力がありバランスのよい歌になっていました。このように、男子部のステージは、課題もありましたが、尻上がりに好調になってきました。
 なお、この舞台では変声前の団員は、上着は制服ではなく私服のTシャツでしたが、色彩感もよくしかも、だらしないシャツ出しでなかったので、曲の雰囲気にも合っていたし、節度や品位を感じました。


京都市少年合唱団 第55回定期演奏会
平成16年(2004)8月22日(日)京都コンサートホール

 平成16年8月22日(日)京都コンサートホールで行われた京都市少年合唱団 第55回定期演奏会に行ってきました。毎年、この会場ですが、いつもほぼ満席です。47年の歴史があり、団員が230人もいると、その家族・親族、OBだけで観客は軽く1000人を超えるでしょう。

 今回の歌は、全体的に人数が多ければ迫力があってよいという感じの構成ではありませんでした。むしろ、じっくりと味わう歌が多く採り上げていました。それは、歌の水準の高さとあいまって、よい効果をあげていました。また、男子70人(小4〜中3)、女子160人(小5〜中3)中で、一人も茶髪の団員がいないというのが、嬉しい驚きでした。それは、清楚な制服とあいまってよい雰囲気を創り出していました。

 この日のメインの一つは、30年ぶりに復活したオペレッタです。オーディションを経て結成された学年の枠を超えた「コール・バンビーノ」による「地球の子どもたちへ」は、簡素な舞台ながら合唱部分や振り付けは、よく練り上げられていました。しかし、どうしてもセリフは芝居心があるかどうかで個人差がもろに出てしまいます。例えば、感情のこもったセリフを言う木こりが一人いると、他がセリフを棒読みしているように感じられてしまいます。いわゆる「名優に喰われてしまう」現象がしばしば見られました。また、環境保全というメッセージ性が表に出すぎて、芝居としてはあまり楽しめませんでした。詩や歌では、メッセージ性のあるものが心を打つのですが、童話・小説や、芝居でメッセージ性の強いものは、言いたいことがみえみえだから、あまり好きになれません。メッセージは歌や芝居の中にそっと忍ばせてこそ、見る者に深く感じさせ考えさせるものなのです。そういう意味で、題材の設定に課題が残りました。

 注目の男子部は、ジョン・ラターの「A Ciare Benediction」と、「Look at the World」の2曲。ボーイ・ソプラノ特有の金属的な響きは希薄でしたが、柔らかい発声でこの合唱団のよさがよく出た合唱でした。ただ、男声部はこの2曲に関する限りやや生硬な感じがしました。全員合唱などではよい感じを出していただけに惜しまれます。
 それに、いつもそうなのですが、ピアノの位置がいつもど真ん中というのはどんなものでしょうか。全員合唱ならそれもよいでしょうが、女子の各学年部や男子部だけの50〜70人の舞台の時は、端の方にピアノを移動できないものでしょうか。ということで、注文もありますが、音楽的水準の高い演奏を楽しむことができました。


京都市少年合唱団 第56回定期演奏会
    
平成17(2005)年8月21日(日)  京都コンサートホール


 今回の京都市少年合唱団の定期演奏会は、京都市少年合唱団が「合唱団」であることを改めて確認するようなコンサートでした。

 プログラムの組み方はいつも通りのパターンでしたが、やや課題が目につく定期演奏会でした。確かに、女子の3グループは、年齢を重ねるごとに軽い声が次第に深まっていくことが実感できるステージで、とりわけ中2・中3による岩河三郎の「水芭蕉」と「木琴」は、オーソドックスな合唱としての構成ながら、感動がまっすぐに伝わってきました。しかし、オープニングの全員合唱は、声部ごとに240人あまりの団員を3つに分けているにもかかわらず、あまりその違いによる効果が今ひとつはっきりせず、かえって人数の割には声量が物足りないと感じてしまうようなステージになってしまいました。また、今回は、ステージによってはピアノの位置がいつもど真ん中でなかったところがよかったと思います。これからは、さらに、全員合唱はともかく、女子の各学年部や男子部だけの50〜70人の舞台の時は、端の方にピアノを移動して、どの位置からでも団員の歌う姿がよく見えるようにほしいと思います。

 さて、男子部は、一茶の俳句による「五つの同声合唱曲」より「雀」、「蝉」、「月」を採り上げたユニークな選曲でした。確かに有名な俳句ですが、聞き慣れない旋律とハーモニーで、最後に心に残ったのは、幽玄の世界ではなく、蝉の声でした。なぜ、少年たちにこの曲を歌わせなければならないのかという必然性を感じない選曲でした。もし、男子部だけで全ステージを演奏するなら、こういう挑戦的なステージが一つはあってよいと思うのですが、私のような男子部にはボーイ・ソプラノを期待して来ている観客にとっては物足りない選曲でした。その代わりと言うわけではないのでしょうが、幕間のロビーコンサートでは、男子部が「森へ行きましょう」「若者たち」「大きな古時計」の3曲を披露してくれました。雑音の中でのコンサートではありましたが、こちらの方がボーイ・ソプラノを活かした選曲で、男声部との掛け合いも美しく、素直に楽しめました。

 昨年度から復活したオペレッタ(ミュージカル)は、「コール・バンビーノ」による「サウンド オブ ミュージック」。マリア、修道院長、トラップ大佐に大人の声楽家(指導者)を配し、子どもたちと修道女に団員を配するという布陣でした。この布陣に間違いはありません。無理をして団員を大人の役に挑戦させる必要はありません。そして、大人の声楽家は安定した歌を聴かせてくれました。また、修道女たちの合唱は清澄で、この合唱団のよさを遺憾なく発揮していました。ところが、「ドレミの歌」や「「さようなら ごきげんよう」で7人の子どもたちの独唱部分になると、会場の広さを差し引いても、その部分が沈んで聞こえることもありました。団員が240人もいると、独唱に力を入れるところまでいかないのか、それとも合唱の声を育てることと独唱の声を育てることには乖離があるのではないかと感じました。今回は、選曲はよかったのですが、この辺りが今後の課題となるでしょう。


京都市少年合唱団 第57回定期演奏会
    
 平成18(2006)年8月19日(土)  京都コンサートホール


 観客を楽しませる合唱団になってきた。今年の京都市少年合唱団の定期演奏会の第一印象です。

 今回は開場時間を早くし、「ウェルカムコンサート」として28名の浴衣や作務衣姿の京(みやこ)・わらべ隊プログラムが、京都にまつわるわらべ歌を現代的なアレンジとダンスで披露してくれました。雑音の入るロビーコンサートですが、ダンスの比重の高いものなので、楽しい雰囲気を伝えることができていました。ただ、日本情緒を前面に出したアレンジの曲を入れることによってさらにその対比が面白くなると感じました。

 今回は、最初の全員合唱としてブラームスの「4つの女声合唱曲」より3曲が歌われましたが、伴奏にホルンが入るという珍しいものでした。地味な歌なのですが暖かみのある演奏でした。また、最後の全員合唱は原曲がピアノ曲のランゲの「花の歌」とヨーゼフ・シュトラウスの「オーストリアの村燕」で、後者は伴奏にフルートが入ることで味わい深いものにしていました。さて、この日の白眉は「花の歌」でした。優美な曲想と柔らかい高音が絶妙の響きを創り出して、この曲がもともと声楽曲ではなかったのかと思わせるようなすばらしいできばえになっていました。
 また、今回も、ステージによってはピアノの位置がいつもど真ん中でなかったところがよかったと思います。コンサートの中心はピアノではなく子どもたちなのですから。この日の演奏は、歌いながらの隊形変換など、見せる要素が強かったのですが、それも選曲とあいまってよい効果をあげていました。

 さて、2番目に登場した男子部は、シューベルトのト長調ミサより「キリエ」「グロリア」と、シューマンの「楽しい農夫」という異色の組み合わせでした。このステージに登場した男子部は全員ではなく約40名でしたが、人数的に変声後の比率が高く声量のバランスにおいて変声前が負けそうになることや、ピアノ伴奏の音が大きすぎるという課題はありましたが、声質のきれいなソプラノとアルトのソロを入れたりするなど聴かせる工夫をしていました。ミサ曲においては、変声前と後の人数の比率は3:1が一番美しいように感じます。また、色とりどりのかつらをかぶった団員がモーツァルト、シューベルト、シューマンに扮して掛け合いをやる部分は、もう少し芝居心があるといいなあと思いながらも、観客を楽しませようとする意図を強く感じました。「楽しい農夫」は、スキャット風の演奏でしたが、合唱表現の多様性を楽しむことができました。

 「コール・バンビーノ」による復活後3回目になるオペレッタ(ミュージカル)は、いろいろなミュージカルの代表曲のメドレー。過去3回の中では最高のできばえでした。ここでは振り付けの要素がかなり高いのですが、歌も全員合唱を基本にしているため、よく揃っているという印象が強く残ります。この合唱団の特色である「全員合唱」において強いことを活かしながらも、決してマスゲームではない個性の演出が楽しめました。

 今回は、区分が新団員、小学6年・中学1年女子、中学2・3年女子でした。新団員は男女混合という試みでしたが、入団から1学期では男子にシューベルトのト長調ミサはまだ無理とと判断しての区分だったのでしょうか。それぞれのグループの演奏を聴くと、当然のことながら、声においても表現力の深みにおいても、年季の差を感じました。それが、先輩に対するあこがれを生むのだと思います。また、この日は、ロビーコンサートでOBが、混声合唱組曲「落葉松」より2曲を披露してくれましたが、これは情感豊かでありながらも、情緒におぼれない重厚なできばえで、合唱の年輪を感じさせました。そのような意味でも、合唱における縦社会の経験は、今の子どもたちにとっては貴重なものになると思います。
 来年の50周年記念定期演奏会が期待されます。


京都市少年合唱団 創立50周年記念演奏会
 
平成19(2007)年8月25日(土) 京都コンサートホール大ホール


 毎年1800人の会場を満席にさせる京都市少年合唱団は、創立50周年記念演奏会ともなれば、長蛇の行列ができるコンサートを通り越して、行列を作っても入り切れないコンサートになることは必至です。そんなこともあってか、今年は葉書で申し込みをして抽選によって入場者を決めることになったようです。
 運よく入ることができて座ったのは、前から3番目という全体がよく見渡せない場所でしたが、その代わり、指揮者の姿はよく見えました。オープニングの京都市歌は、この記念演奏会をプロデュースした佐渡裕の指揮で行われました。「京の雅」を歌ったこの歌では、佐渡裕らしいダイナミックな指揮は見られませんでしたが、むしろこの曲の流麗な側面を見ることができました。それよりも、司会者との会話を通して佐渡裕が、どんなに京都のまちと京都市少年合唱団を愛しているかがよく伝わってきました。

 今年の男子部は、富澤裕作曲の「ジュニア・コーラス・セレクション」より5曲が歌われました。確かにさわやかな演奏ではありましたが、1曲ずつの印象は聴き終わった後希薄なんです。服部先生の表情的な指揮は心に残るのですが、曲が心に残らないのはどうしてなんだろう。1曲ずつがもっている力が弱いためかもしれません。男子部だけピアノを少し脇に移動させたのはよかったと思います。いつも感じることですが、京都市少年合唱団の課題は、ピアノがど真ん中にあって、まるでピアノが主人公であるかのような印象を受けることです。

 コール・バンビーノは、毎年違った試みに挑んでいますが、今年のミュージカル〜愛と未来〜は、身体表現を合唱の中に取り込むというものでした。確かに、身体表現は毎年レベルアップしていますが、歌としてはやや印象が希薄でした。

 今回の演奏で一番心に残ったのは、最後の全員合唱でした。OBでカウンターテナーソロの村松稔之の「天使の糧」は、声量もかなりあり、カウンターテナーにありがちな弱々しさがなく聴かせる歌を歌ってくれました。まだ10代の人のようですが、少年時代どんな歌を歌ったのだろうと関心が高まります。「トリッチ・トラッチ・ポルカ」と「皇帝円舞曲」は、この合唱団のソフトな歌声と優雅なウィーン情緒に接点があるように感じました。ワルツが変化しながら大きく盛り上がっていく構成がよく生きていました。
 なお、8月末で主席指導者の長積徹雄先生は勇退されます。ユーモアと情熱が同居したすばらしい指導者であったということが、客席からも伝わってきました。


京都市少年合唱団第59回定期演奏会
   
平成20(2008)年9月6日(日) 京都コンサートホール

  メンデルスゾーンの作曲の「3つのモテット」やハイドン作曲 オラトリオ『天地創造』より「おおみわざなりぬ」という大曲でスタートした京都市少年合唱団第59回定期演奏会には、どのステージにも指導者の意気込みが感じられました。

 男子部は、シューベルトの「魔王」が服部先生の指揮。最初の寸劇はシューベルト役の少年が張りのある美声である以外は、お芝居としてはくさい部類に入るものでしたが、歌は、4つの声を使い分ける独唱曲を合唱曲に編曲して声部の違いとして表現していました。一部歌詞が鮮明でない部分もありましたが、曲想は大きくつかんでおり、あきさせない演奏でした。モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚序曲」は、器楽曲を声楽曲に替えるというものでしたが、指揮の葛西先生が自らモーツアルト風のかつらをかぶって登場。途中指揮台から降りかけたりとエンターテイメントに徹するで、歌詞はほとんどわからなくても、ステージの楽しげな振付けとあいまって諧謔の精神に満ちた演奏になっていました。このステージはこれまで京都市少年合唱団になかった要素を採り入れていたと思います。毎年これでは飽きられますが、「奇は孤なるをもってよしとす」という孫子の兵法を生かすなら、これからも時々採り入れてよい手法だと思います。

 新団員の演奏は、ドイツメドレーと言うことで合唱曲のスタンダードを丁寧に演奏していました。男子が10人以上入ったということも嬉しいことです。さて、この日の白眉は中学生の選抜チームによる「京CHOR(みやコーア)}41名で今年ドイツに演奏旅行に行った都市に披露した熊本民謡「おてもやん」津軽民謡「あいや節幻想曲」等日本民謡中心に5曲を披露してくれましたが、歌詞が鮮明であるだけでなく曲想をよくつかんでおり聴き応えのある演奏でした。小6・中1女子のホームソングメドレーも奇をてらわずオーソドックスな味わいのものに仕上げていました。「蝙蝠(こうもり)のワルツ」は、ヨハン・シュトラウス喜歌劇「こうもり」から、アデーレのアリアを中心に編曲したものでしたが、やや省略部分が多いのが気になりました。中2・中3女子のグリーグの「子どもの歌」を聴くのは2回目です。聴き慣れたせいもあり、1曲1曲の違いをゆっくり味わうことができました。しかし、聴き応えのある歌曲集と言えないのは、薄味の料理を小皿で少しずつ食べた感がするからです。最後の全員合唱はフォーレの歌劇「べレアスとメリザンド」より「シシリエンヌ」とムソルグスキー作曲 『展覧会の絵』より二曲という構成でしたが、主席指導者葛西先生が情熱を傾けて雄渾な指揮をされたので、それが団員にも伝わってこれまでにない力強い演奏になりました。おそらく、合唱好きな人ならこのコンサートに満足されたと思います。

京都市少年合唱団第60回定期演奏会
平成21(2009)年8月8日(土) 京都コンサートホール


 会場に入って嬉しかったことは、ピアノがど真ん中ではなく端にあったことです。京都市少年合唱団では、数年前から人数や曲目に合わせてピアノの位置を変えるようになってきました。こんなことを書きますのも、このような当たり前のことがそれ以前はあまりできていなかったからです。また、単に学年やグループごとの合唱を聴かせるというだけでなく、舞台芸術としてステージを構成するようになってきたことも嬉しいことです。今回のコンサートでは、そういう合唱団の理念的な部分がはっきりと見えてきました。

 それは、特に次の2つのステージで強く感じました。一つは、寄贈された着物姿の小6・中1女子の女声合唱のための唱歌メドレー「昔むかしはパラダイス」です。これは、わらべうたと昔話を組み合わせ、日本情緒あふれたステージでした。もう一つは、創作オペラ「秀とカッパの笛」で、「コール・バンビーノ」が、このような形で結実したことを嬉しく思いました。ただ、指揮の葛西先生は大熱演で、団員もよく頑張っているのですが、ストーリーそのものがいかにも泥臭く、また、美しいアリアがあるというオペラではないので、ハイライトであることを差し引いても、感動には至りませんでした。
 
 男子部は、沖縄の歌を中心にした構成の4曲(「島人ぬ宝」「島唄」「花」「風になりたい」)でした。混声合唱としてはきれいによくまとまっていましたし、歌詞も鮮明に聞こえてきましたが、人数構成の上で小学生が4割程度では、どうしても、変声した中学生に声量で押されてしまうことは否めません。それは、この少年合唱団の人数構成によるところが大きいのですが、曲の味付けが4曲とも同じなのは考えものです。特に、「風になりたい」は、リズムに特色のある曲なのですから、もっと活力のある演奏であってほしいと思いました。あとの3曲も、山場づくりを工夫すれば、もっと変化のある曲の仕上がりになると思います。そのような意味で、薄味の京料理のコースを食べたような感じの演奏でした。

 特別出演のエッセン・シュテーラー児童合唱団は、100%少女の合唱団で、しかも年齢的には中・高校生でした。クリストフ・ヴェスガンプ先生の統率力のある指揮の下、澄んだ響きの演奏を聴かせてくれました。響きの透明度の高い美しさがこの合唱団の特色かと思いました。また、ステージの間に披露されたOB合唱団は、よく声が練られていて迫力のある演奏を聴かせてくれました。そういう意味で、全体としては楽しめるコンサートでした。

京都市少年合唱団第61回定期演奏会 
      
平成22(2010)年8月7日 京都コンサートホール


   どこが変わったのか?

 京都市少年合唱団が創立50周年を期に大きく変わったと聞いていましたが、大きく言えば、@ 演奏会の総合的な企画や団員全体への指導を統括する音楽監督にOBの加藤完二先生を迎えたこと A 練習拠点を京都堀川音楽高校へ移転したこと B 団員の組織替えを行い「京(みやこ)桜」「都(みやこ)紅葉」「みやこ光」(男子部)に改組したことの3つにまとめられましょう。これらの変化をこの定期演奏会だけでは、一部しか把握することは出来ませんでした。
 変化は、開幕と同時にわかりました。「京都市歌」や市長や市教委幹部の挨拶もなく、加藤先生の指揮で「いのちのいっちょうめ」で始まったからです。加藤先生の指揮は、繊細で雄渾。実に雄弁にその曲の「いのち」を引き出していました。また、この日のメインプログラムのフォーレの「レクイ工ム」は、今回で終わりではなく、今回から始まるという意図が見えてきました。しかし、それだけでは、まだすべてが見えてきたとは言えないでしょう。もっと時間をかけてその変化を見ていきたいと思います。練習拠点を京都堀川音楽高校へ移転したことも、表には出てきません。個々の団員にとって練習会場が近くなったり、遠くなったりということはあるでしょうが、音楽の伝統校だけに設備等の面で恵まれた練習会場で練習できるのはよいことです。団員の組織替えは、男子部については数年前に戻るだけですが、女子部の方は、全体を縦割りで2分割する大きな変革と言えるでしょう。どんな基準で?まさか和服を着たいグループとそうでないグループではないと思いますが・・・今回のプログラムからは、和風の曲には和服で、洋風の曲には洋服(制服)でしか見えませんでした。

   さわやかな響きだ

 男子部=「みやこ光」の「翼をください」が始まったとき、その響きの清純さに驚きました。まだ、このときには舞台に変声した男子が入っていないことを知らなかったからでもあるのですが、これまでにないさわやかな響きを感じました。それは、アレンジによるところもありますが、「翼をください」が、作曲後40年近くたつ間にだんだんとJ−POPS化してきて本来この曲が持っているよいものが失われてきたためにかえって新鮮さを感じたからでもありましょう。ビクター少年合唱隊が30年以上前にレコード化した時の響きに戻ったような気がしました。2曲目の「愛するデューク」で変声した男子が入ってきても、音色がソフトで「男臭くなった。」と感じさせないのが今年の特色かもしれません。その印象は、よりリズミカルな「新しい世界へ」や、各パートに聞かせどころのある「素直なままに」でもあまり変わりはありませんでした。これまで、京都市少年合唱団男子部では変声前:変声後の人数の比率は3:1ぐらいがいいと思っていました。2:1ぐらいでは変声後のたくましい声に薄味なボーイ・ソプラノが消されることが少なくなかったからです。今回は人数的にはそれに近かったのですが、変声前の声が前面に出て、しかも金属的な響きまで聞こえてきて。これは過去10年なかったことです。
 
   「レクイエムのいっちょうめ」

 この定期演奏会は「いのちのいっちょうめ」で始まり、メインステージのフォーレの「レクイエム」で終わる構成でしたが、この「レクイエム」は、全員による、Introit−Kyrie(イントロイト キリエ)‖.Sanctus(サンクトゥス)Vl.Libera Me(リベラ・メ)Z.In Paradisum(イン・パラデイズム)の4曲の抜粋演奏でした。これまでにも女子部の中2・3年生が宗教曲に挑むことはありましたが、それとは意味が違います。フォーレの「レクイエム」は、おそらく今後、この合唱団の中心的な持ち歌になることを期して選ばれた曲でしょう。今回の特色は、バリトンの独唱で行われるLibera Meを変声した男子で歌わせるというところにありますが、今年のメンバーは人数的にも全体の10分の1以下で音色的にもややソフトすぎる感がしました。バリトンという声は、いつごろそれらしくなるのでしょう。声が変わってもしばらくは青臭い声だからなあ。バリトン独唱を客演によってすべきかどうかは、意見が分かれるところでしょう。さらに、完成するためには、Pie Jezu(ピエ・イエズ)がボーイ・ソプラノの独唱であることを願いたいです。また、今回高音部が天国的な響きを奏でるSanctusやIn Paradisumの完成度はかなり高かったように思います。いろいろな意味で、この演奏は京都市少年合唱団にとっての「レクイエムのいっちょうめ」という感がしました。

京都市少年合唱団 第51回終了演奏会
  平成23(2011)年1月8日(土) 京都市コンサートホール


 京都市少年合唱団の終了演奏会コンサートへ行くのは初めてです。京都の冬は寒いからというわけでは決してありません。たぶん観客は団員の家族中心の内輪のコンサートだろうという想いがあったことと、これまで宝塚ニューイヤーコンサートの日と重なったことが大きな理由です。しかし、後者の理由はともかく、コンサートとしては、定期演奏会と同じぐらいの力を入れた充実した内容で、うれしい誤算となりました。

 ヴァイオリンを持って加藤先生がステージに登場しただけで、動くヨハン・シュトラウスの銅像のような風格のある雰囲気で、これまでにない何かを期待させます。ヴァイオリンの独奏に続いて演奏された全員合唱「無伴奏ヴァイオリン パルティータ」は、曲に合わせて歌詞を付けたための聞き取りにくさはありましたが、よい雰囲気を出していました。いや、何よりも加藤先生の曲全体を大きくとらえたダイナミックな指揮が魅力的です。とかく軽く扱われがちな「うたえ、バンバン」さえも、歌にメリハリがあって楽しめました。

 お目当ての、変声前男子だけの「みやこ光」ですが、第1曲目の「アヴェ・マリア」では、ソリスト4名が前に出て、期待感を高めます。これまで、この合唱団の男子部がソフトな歌声ではあっても、そこにヨーロッパ的な清澄な響きを感じることの少なかったのはなぜだろうと思えるような澄んだ響きの演奏でした。このステージに変声男子が入ってもその印象は変わらないでしょう。2曲目の「けだものが来た」は、合唱部分は非常に洗練された演奏で美しいハーモニーを聴かせてくれましたが、「押すなよ〜。」「門を 閉めろ!」「綱を 切れ!」というアクセントになるセリフの読みの部分が棒読みで単調に聞こえ、残念ながらそこにドラマを感じることはできませんでした。ジョン・ラターの「For the beauty of the earth」は、ソフトさだけでなく清澄さが「売り」のこのグループにとって最良の選曲だったように思います。最後の「広い世界に」は、それを十八番にしている桃太郎少年合唱団の歌を生演奏だけでもこれまでに10回ぐらい聴いていますので、どうしてもそれと比較してしまいます。確かに美しい響きではありましたが、山場の盛り上がりという点で今一歩及ばないと感じました。しかし、この日の演奏は、「みやこ光」が新たな一歩を踏み出したという感じがしました。

 女子が、どういう基準で二つのグループに分けられているのかは知りませんが、今回は、聴きごたえのある選曲をした「京桜」のほうが心に残りました。修了生と変声男子による混声合唱は、さすがに5〜6年間学んだという成果が表れていましたし、途中から泣き出す団員もいて万感の思いを込めて歌っているということが伝わってきました。それによって歌が崩れるということはありませんでした。最後の全員合唱のステージは、「主よ 人の望みの喜びよ」バッハ・グノーの「アヴェ・マリア」「ハレルヤ」「大地讃頌」と、合唱の醍醐味を聴かせる曲ばかりが続けさまに演奏されており、約200人中男声が1割という声のバランスの問題を除いては、水準の高い演奏を聞かせてくれました。

 最後まで、位置移動がなかったピアノについては、これでよいのかという想いがありますが、演奏としては満足度の高い演奏でした。

第62回京都市少年合唱団定期演奏会
 
平成23(2011)年 8月7日 京都コンサートホール


 京都市少年合唱団定期演奏会の会場に入っていつも気になるのはピアノの位置。幸い今回は、各グループの演奏ではピアノがど真ん中ではなく端にありました。それは、今年度は「ものがたり」をテーマにダンスや演劇的な要素が多い舞台づくりだったからかもしれません。主役であるべき団員がど真ん中で歌い踊ってこそと思います。しかし、基本的に合唱とミュージカルでは練習のあり方や求められるものが違います。京都市少年合唱団はどちらを志向しているのかが、指導者が変わるからかもしれませんが、10年以上通ってもなかなか見えてきません。「両方」という答えが返ってきそうな気もします。

 さて、今年の男子部=「みやこ光」は、ステージに上がった時から7人の和服の団員に合わせて、あとの40人の団員が制服に裸足というのは見た目に違和感を感じました。これは、女子の「京桜」の時にも感じたことです。鈴木憲夫作曲による混声合唱とピアノのための「民話」より、「若返りの水」「雪の降る夜」「鬼とおじいさん」は、民話らしい音色の歌で、大谷圭介先生は、全体を大きくつかんだ指揮ぶりでありましたが、鈴木憲夫の他の少年のための合唱曲を知っているので、これが、少年の感性に合う音楽とはあまり思えませんでした。振付にかなりエネルギーを割いたのではないかと思います。

 それと比べると、全員合唱の「サウンド オブ ミュージック」は、主役級を先生が演じた数年前のステージと違って、団員を全面に出した良いステージであったと思います。加藤完二先生の指揮は、雄渾でスケールが大きいのが特色です。ということで、今回は、満足度としてはいまいちでした。

第63回京都市少年合唱団定期演奏会
 
平成24(2012)年 8月11日 京都コンサートホール


 加藤完二先生が京都市少年合唱団の正指揮者になって以来、定期演奏会のステージが変わったと感じることがいくつかあります。その一つは、京都市歌や教育長はじめ教育委員会の幹部のあいさつがなくなったことです。あいさつはともかく、京都市歌は団員ののどを温めると同時に、その年の合唱団の響を知る上でもあってもよいような気がします。今回のオープニングは、中学生と小中学生に分けて、NHK合唱コンクールの課題曲でスタートしました。年齢が違うと音色がどう変わるかという点で興味深い演奏でした。
 
 新団員の演奏は、メッセージ性のあるわかりやすい曲を、聴くだけでなく見て楽しめるステージに創り上げたところがよかったと思います。さて、今年の男子部=「みやこ光」が今回取り上げたのは日本民謡ということで、「そうらん節」「南海にて〜安里屋ユンタ〜谷茶前節」「八木節」の3曲でした。日本だけでなく民謡は、正調と呼ばれるものと、合唱曲に編曲されたものは、かなり違いがあります。本来の持ち味をどれだけ生かしたアレンジがされるかによって魅力的な演奏が生まれます。どちらかと言えば、響きの美しさを重視する京都市少年合唱団としては、この日の演奏はかなり力強い声になっていましたが、一つ一つの曲想の違いがもっとくっきりと浮かび上がればなあと感じました。しかし、裸足というスタイルは簡素であって、しかも曲の雰囲気を出しており、また、特に「八木節」のステージの演出はなかなか見て楽しめる工夫が見られました。

 女子の「京桜」は、和服を着て日本の有名な歌曲・合唱曲を歌いましたが、ボックスステップを踏んで歌われるジャズ調の「夏は来ぬ」は、好みの分かれるところです。流麗な曲の中に変化をつけようとした意図はわかりますが、「夏は来ぬ」はこんな曲だっけ?という想いもあります。また、都紅葉が採り上げた「地球に寄り添って」は、曲想はよくつかんでいましたが、歌詞が十分聞き取れませんでした。最後の全員合唱の全員合唱の「アポロンの竪琴」もまた、加藤完二先生の指揮の雄弁さにもかかわらず、歌詞が十分に聞き取れず、2人の子どものセリフだけが浮き上がる感じがしました。むしろ、ア・カペラで歌われたアンコール曲の方が歌詞がはっきりと聞き取れました。この日も、いろいろな曲を聴くことはできましたが、京都市少年合唱団ならこの歌を聴きたいという定番曲がほしいなあというのが正直な感想です。

京都市少年合唱団 第53回終了演奏会
平成25(2013)年1月5日(土) 京都コンサートホール

 
 京都市少年合唱団の修了演奏会に行くのは、これで2回目ですが、定期演奏会と同様な力の入れようで、半年経っているだけに、力量もアップしていることを感じさせます。全員合唱のオープニングは、「流浪の民」と「皇帝円舞曲」の2曲でしたが、「流浪の民」は、女声(変声前の少年を含む)と変声した男声の比率が9対1ぐらいのため、きれいなハーモニーなのですが声量のバランス的には満たされないものが残りました。男声ソロもまだ男声としてはできあがっていませんが、これは、人間の成長として仕方のないことです。そういう意味では、「皇帝円舞曲」は、典雅な雰囲気がよく出ていて、この合唱団の歌声によく似合った曲だと感じました。それは、以前定期演奏会で「オーストリアの村ツバメ」を聴いたときにも感じたことです。

 お目当ての「みやこ光」の演目は合唱組曲「チコタン」。10月に広島少年合唱隊の名演を聴いた後なので、どうしても比較してしまいますが、曲目紹介のアナウンスの話からして関西弁を駆使して雰囲気を盛り上げていました。曲が始まると、この歌のもつ生命力を関西弁でありながらあくのない歌声で歌い上げました。また、舞台上での隊形移動も必然性を感じました。花という小道具だけでなく、みんなで首をそろえて同じ方向に同じ角度で振るだけで、「いらん!」という言葉がこんなに生き生きとするのかと感じるような見事な振り付けで表現していました。そのような意味で、舞台芸術としては、「男子部」と呼ばれていた時も含めて、最高の演奏を聴くことができました。

 最後の全員合唱の「ダッタン人の踊り」は、いろいろな要素をもった絵巻物ですから、まだ、完成度としては8割方ではないかと感じました。しかし、こういう大曲に挑戦することに価値があります。満たされた想いで、今年最初のコンサート会場を後にしました。

京都市少年合唱団 第64回定期演奏会
 平成25(2013)年 9月8日
(日) 京都コンサートホール


 団員がステージの定位置に立つと、加藤完二先生が現れ、マイクを手にして語り始めました。いつもにないスタートに何があるのだろうと聞いていると、今日の全体合唱で取り上げる曲は、もともと器楽曲の作品に日本語の歌詞をつけたものであり、とりわけ、オープニングの「モーツァルトの百面相」は、モーツァルトの器楽曲・声楽曲のテーマ20曲のテーマを集めたもので、全部知っていたら、相当の通(つう)です。ただし、歌詞は聞き取りにくいという解説がありました。この解説があってよかったです。合唱に歌のメッセージを聴いて感動を得たい観客にとって、こういう曲は苦手だと思うからです。この曲の聴きどころがはっきりしました。「フィガロの結婚」序曲で始まるこの曲は、まさにモーツァルトの作品のカドリーユ。もっと和風に言えば、「モーツァルト作品のチャンチャカチャン」で、ピアノ協奏曲23番の第2楽章以外の歌詞は聞き取れませんでした。しかし、何曲探せるかと思いながら聴けば、結構楽しめました。

 さて、今年の男子部=「みやこ光」は、ミュージカル「ライオンキング」のハイライト。劇団四季のように巨大な動物などの大道具は出てきませんが、かなり広い舞台を上手に使って、団員の持ち味を生かしたステージを展開していました。呪術師のラフィキの木下祐其希君は、まだ青臭さの残った声ではありますが、よく伸びる声でア・カペラで歌います。このステージでは、役名の付いた団員がかなり芸達者であり、とりわけ、生瀬行人君のイボイノシシのプンパは、いろいろな声を駆使しながら演じ、おいしい役をさらにおいしくしていました。また、歌としては、ヤングシンバの西井修平君が黄緑色の美声でしたが、全体としては、アンサンブルを聞かせるステージであったと思います。

 この日の白眉は、やはり少年少女のための合唱組曲「展覧会の絵」でしょう。214名を擁する団員数の多い京都市少年合唱団だからこそ出せる歌声を駆使して、巨大な絵巻物を紡いでいきました。
 歌詞は、曲の速さによって聞き取りやすいものと聞き取りにくいものがありましたが、この曲を聴くポイントは、そのようなことではなく、緩急・軽重・悲喜といった曲想の違う8曲(抜粋)を歌い分け、壮麗な終曲の「キエフの大きな門」を歌い上げるるところにあるでしょう。京都市少年合唱団は、全体としては、柔らかい声で響きの美しさを大切にしながら、曲想の違いを浮き彫りにしていました。また、アンコール曲の「花は咲く」は、女声の独唱と合唱を組み合わせたよい編曲で、この合唱団が力をつけていることを感じさせる1曲でした。

京都市少年合唱団第54回修了演奏会
平成26(2014)年1月5日
(日)京都コンサートホール


   和田アキ子の歌はこんなに美しかったのか

 座席にコート等を置いて、たぶん1時40分ぐらいからウェルカム・コンサートがあるだろうと思ってロビーに出ると、偶然か必然かわかりませんが、道楽さんやイーストエンドさんと出会いました。いろいろと情報交換していると、いつもの階段ではなく、その階段下に若手OBが集まって「怪獣のバラード」が始まりました。もっと年少の子どもたちによって歌われることの多いこの歌が、やんちゃっぽさを抜いた大人っぽい歌に感じられ、さらに、親世代のOBも加わった嵐の「ふるさと」と和田アキコの「あの鐘を鳴らすのはあなた」は、しっとりとした合唱曲に編曲されて頭の中にある曲とは違った感じの曲に聞こえました。とりわけ、「あの鐘を鳴らすのはあなた」は、こんなしっとりとした曲だったっけという驚きを伴うものでした。和田アキ子の歌と言えば、昨年auのCMでリバイバルした「あの頃は、ハッ!」という「うわさのチャンネル」の「アッコのゴッド姉ちゃん」の印象が強すぎて、どんな歌でも最後には「ハッ!」が入るようなイメージが・・・ざわめきのある場所で披露するのがもったいないような美しい歌でした。

   立ち位置の工夫で

 今回の全員合唱は、団員の立ち位置がいつものひな壇だけでなく、後方座席にも広がり、「ともだち」と「ジョイフルジョイフル」の歌声がいつもの定位置から聞こえる歌声よりも立体的に感じられ、客席からは歌声によって包まれるれるような印象を受けました。また、「ジョイフルジョイフル」はベートーベンの第9交響曲第4楽章の主旋律をゴスペル風にアレンジしたもので、トランペットの独奏や振り付けもあって工夫されたステージが演出されていました。

   絵画的な舞台

 修了演奏会の「みやこ光」は、変声前の男子だけで構成され、そういう意味で定期演奏会と違った純然たるボーイ・ソプラノの合唱を聞くことができます。「Ave Maria」は、いろいろな作曲家によって作曲されていますが、オランダの作曲家アンドリーセンが作曲したものを聴くのは初めてです。静かなア・カペラで始まり、追いかけるようにろうそくを持ったグループが加わって声に厚みが出てきましたが、全体的に声はソフトで統一感のある響きで、和声の美しさを聴かせてくれました。ところが、舞台転換で、「くしゃみザウルス」になると、先程のろうそくが恐竜の骨格に変身し、それに服を着せていくという大がかりな絵描き歌のような構成になっていて、歌詞はよく聞き取れなくても、雰囲気を楽しむことができました。最後の「スキンブルシャンクス」は、ミュージカル「キャッツ」の中の1曲で、私にとっては、数年前の桃太郎少年合唱団の定期演奏会で、OBのミュージカル歌手 四宮貴久さんの指導で、それまで動きのなかった桃太郎少年合唱団を生硬ながらも動きのある少年合唱団に変身させたという印象の強い曲ですが、これまで、ミュージカルにも取り組んでいるみやこ光は、自然な動きでいろいろな色のビニル傘の小道具もうまく使いながら、少年合唱としても元気でまとまりのあるものに仕上げてくれました。

   確実に大人に近づいている

 休憩時間には、修了生の中学3年生によるロビーコンサートが行われ、白いブレザーに身を包んだ修了生が、階段に並んで「虹」「旅立ちの歌」の2曲が歌われましたが、確実に大人に近づいていることを感じさせる歌声が聞こえてきました。そして、修了生と変声男子によるテナー・バスが加わった本日のメインステージでは、「故郷」「紅葉」「海よ」「あなたへ〜旅立ちに寄せるメッセージ」の4曲が演奏されました。6年生も声が変われば男声パートというところもこの合唱団の特色です。この時期ですと、女声の方が人数的にも多くその響きが大人の声に近くなっていることがよくわかります。また、歌われた4曲の中では終曲は、曲想の変化をよくとらえて印象深い歌を聴かせてくれました。
 また、全員合唱では、宮澤賢治の「星めぐりの歌」と「雨ニモマケズ」の2曲が歌われましたが、7年前宮澤賢治作曲の「星めぐりの歌」を京都市少年合唱団男子部で聞いたことがあるので、同じ詩でも作曲によってずいぶん違って聞こえることや、「雨ニモマケズ」の力強さを感じました。フィナーレは、修了生に再度光を当てる若者向きのキラキラした演出でしたが、修了生代表はあふれる想いをもちながらもしっかりと挨拶していました。


 京都市少年合唱団 第65回定期演奏会
 平成26(2014)年 9月7日
(日) 京都コンサートホール


 今年も、団員がステージの定位置に立つと、今年もマイクを手にした加藤完二先生が現れて語り始めました。そのメッセージの内容を要約すると、
「今年で音楽監督をして5年目になるけれども、一つの区切りと考えている。今年は各グループが競いながら高め合って、魂の音楽、音楽の心を伝えたい。」
というものでした。5年目と言えば、小学4年生で入団した団員が中学3年生になるということで、「加藤イズム」が浸透する年とも言えるでしょう。ふと、5年前のステージを思い出してみました。メイン曲は、フォーレの「レクイエム」。しかし、男声率約10%のこの合唱団にとって、この曲は清澄な歌にはなっていましたが、深みのある曲にまではなっていませんでした。

 そこで、この日は、5年前を思い出しながら鑑賞しました。この日のオープニングステージの全員合唱は、「ホルディリディア」「キラキラ星」というこれまでよく親しまれた曲を編曲の妙によって一味違った曲として聴かせるというスタートでした。合唱曲において編曲がどれほど大切かを再認識させるような歌に仕上がっていました。そして、3曲目は、「時の彼方へ」が採り上げられました。この曲は呉少年合唱団の第50回定期演奏会のための委嘱曲で、私はプログラムにお祝いの言葉を書いた関係もあって、初演のステージを鑑賞しております。また、呉少年合唱団では、その後、この曲が広がるようにホームページでも公開しています。7年前岡山で行われた全国少年合唱大会で共演した呉少年合唱団の想いが伝わったのか、この日の演奏は、爽やかさとうねるような歌声が共存してドラマを創っていきました。

 さて、今年は、多くのステージで隊形移動が行われましたが、どのステージでもそれが、歌との関係で必然性をもつ移動になっていたことは特筆されます。とりわけ、「京桜」の「世界に一つだけの花」は、一瞬指揮者の大谷圭介先生の姿が消え、指揮者なしで少女たちが舞台いっぱい広がって歌っているのかと思わせる演出もあって、「舞台芸術としての合唱」を味わうことができました。一方、「みやこ光」の混声合唱とピアノのための「新しい歌」よりの3曲は、ボーイ・ソプラノの魅力を聴かせる曲ではなく、むしろ男声に光が当たることの多い曲でした。「新しい歌」は、指鳴らしや手拍子が浮き上がって、歌詞が聴き取りにくかったというのが正直な感想です。約4割が男声の「みやこ光」にとって全体を活かすために選曲されたのでしょうが、現代の日本語で歌詞が作られた歌の場合、合唱曲であるが故に声の重なりはあるにせよ、歌詞の大意が聴き取れるということは、大切な要素であると思いました。「みやこ光」は、「チコタン」のように少年合唱を男声が支える方向に進むのだろうか、それとも混声合唱団に進んで行くのだろうか、できれば前者であってほしいと思いながら鑑賞していました。

 幕間にロビーで行われたOB会合唱団によるウェルカムコンサートは、今年はこれまで2割ぐらいだった男声率が3〜4割もありました。歌われた「ウィーンの森の物語」と「翼をください」は、オーソドックスな編曲で各声部のバランスもよく、歌声がよく聴き取れる演奏でしたが、聴きたい人と聞きたくない人が混在するロビーという悪条件に妨げられたことが気になりました。

 この日のメインステージは、加藤先生が満を持して採り上げた混声合唱組曲「永久ニ」。歌詞は古語ですからわからないにしても、この力強くて生命力のある大地から響いてくるような声の響きはどうでしょう。10年ぐらい前、私は京都市少年合唱団は、一人ひとりは京料理のようなソフトでうす味な歌声でも、人数が多いから豊かな歌声になると思っていましたが、加藤先生が総監督になって行われてきたことは、声の響きの質を高めることではなかったかと思うようになりました。そのような意味で、5年間の成果を感じるステージでした。また、アンコール曲の「ふるさと」は、「永久ニ」とは対照的に、清澄な響きを前面に出した1曲で、この歌はこんな声でこういう風に歌うと美しいのですよということを証明するような歌でした。指揮台の楽譜をたたんで退場される加藤先生の後ろ姿にはやれるだけのことはやったという想いが感じられました。

 京都市少年合唱団第56回修了演奏会
平成28(2016)年1月10日
(日)京都コンサートホール


   よい曲とよい演奏とよい観客の合作

 座席にコート等を置いて、ウェルカム・コンサートを聴くためにロビーに出ると、階段を活用したステージに現役と思われる団員が30人ほど並んで、京都市歌を歌いました。毎年定期演奏会のオープニングで聴いていた頃からおなじみの曲でありながら、久しぶりに聴いたという印象です。千年の都ならではの言葉がちりばめられていて、改めていい曲だなあと再認識しました。続いて、OB合唱団<VIVACE>が登場。「世界に一つだけの花」。さらに、全員による「手紙 〜拝啓十五の君へ〜」混声合唱組曲「筑後川」より「河口」という年齢的にもレパートリー的にも幅広いOB合唱団のいろいろな面を聴くことができました。特に、雄大な流れを感じさせる「河口」は、聴き応えがありました。この時間は、いつも聴きたい人とそうでない人の差を感じるのですが、この日は、聴きたい人がロビーに集まっていたという印象で、歌に集中できました。

 オープニングの213人の全員合唱は、音楽監督の加藤先生の指揮ですが、「夜明けから日暮れまで」と「Cantate Domino」は、想いや祈りがテーマであるだけに、声量のある歌声そのものを聴かせるというよりも、歌声を通して伝えるものを大切にした演奏でした。

   指揮者と合唱団の幸せな関係

 さて、今回の「みやこ光」は、約30人の変声前だけの純然たるボーイ・ソプラノ合唱団で、定期演奏会の混声合唱とは違うものが聴けることを期待していました。この日の演奏曲は合唱組曲『駿河のうた』より「みかんの花はかおり」「ちゃっちゃ   ちゃ畑」「空と樹海と湖と 〜富士山のうた〜」と曲想の違う3曲が抜粋して演奏されました。指揮は久しぶりに大谷圭介先生。指導者と演奏グループにはローテーションがあるのでしょうか。私の記憶は、5年前に大谷先生が指導陣に入られた頃にさかのぼります。その頃は、大谷先生がめざす音楽をまだ団員が十分理解できていなかったのか、その時の選曲がそれまでの「みやこ光」の持ち味と大きく違っていたのか、必ずしも満足度の高い演奏ではありませんでした。しかし、その後、コンサートに通うたびに、私は、「京桜」や「都紅葉」のステージで、大谷先生の舞台芸術の本質に迫る指揮の素晴らしさに気付くようになってきました。「みかんの花はかおり」の陶酔的な響き、「ちゃっちゃ ちゃ畑」の諧謔的な歌とそれを体現する演出。終曲である雄渾な「空と樹海と湖と 〜富士山のうた〜」では、ボーイ・ソプラノのソロもあり、光によって姿を変える富士山の神秘な種々相を楽しむことができました。「さくらえびの海」や「うなぎの子守唄」も入れて全曲を聴きたいという想いも湧き起こりました。

    おしゃれな歌・心に迫る歌

 この日は、「京桜」の「傘立てに」や「都紅葉」の民謡たちもたいへんおしゃれな仕上がりになっていました。また、休憩時間には、修了生の中学3年生によるロビーコンサートが行われ、白いブレザーに身を包んだ修了生が、各所から集まりながら歌う「民衆の歌声が聞こえるか」階段に並んで「瑠璃色の地球」「青い鳥」の計3曲が歌われましたが、確実に大人に近づいていることを感じさせる歌声が聞こえてきました。そして、修了生と変声男子によるテナー・バスが加わった本日のメインステージでは、「夢みたものは・・・」「?」「今年」「You Raise Me Up」の4曲が演奏されました。「?」がこんなに深い意味のある歌であることに改めて気付きました。また、「You Raise Me Up」は、数年間の団員生活を思い出しながら、心に迫る歌を聴かせてくれました。
 全員合唱では、音楽監督の加藤先生を中心にして創り上げてきた歌声の精華がワーグナーの「歌の殿堂をたたえよう」とボロディンの「ダッタン人の踊り」というオペラからの壮大な演奏で、オープニングとは違う歌の魅力を感じることができました。
 なお、音楽と直接関係ないことですが、今年度から制服というよりも靴下が白から黒に変わりました。これは最近の流行のためとも思いましたが、男子ではハイソックスと短いソックスが混在しているのが統一感としていかがなものかと思いました。この時期なら黒いハイソックスで揃えた方がよいのではないでしょうか。


京都市少年合唱団 第67回定期演奏会
平成28(2016)年 8月21日
(日) 京都コンサートホール



 この日は、新団員によるウェルカムロビーコンサートから始まりました。「京都市歌」1曲だけだったのですが、予想したよりも声質がよく揃っていて1学期間でよく訓練されていることが伺われ、新団員のステージへの期待が高まりました。

 第1部は、いつもならば、全員合唱で始まるのですが、今年度は創立60周年の記念事業の一環として京(みやこ)東北演奏旅行参加者による「こころよ うたえ」で始まりました。東北演奏旅行参加者は中学生だけのようで、特に男声が力強く、全体としても歌声がかなり成熟して聞こえました。その印象は、続く小学生を加えた全員合唱でよりはっきりしてきました。組曲「もうひとつの京都」は、千年の都の京都市ではない山里の京都府全体を南から北へと描いた3曲からなる作品で「お茶の京都」「森の京都」「海の京都」を表したものでした。初めて聴く叙景詩は、歌詞を追いながら景色を思い浮かべることに集中したため、終わってみると、人数的には全体の1割ぐらいの男声が浮かび上がって聞こえてくることが一番印象に残りました。しかし、この印象は、今年の定期演奏会の全体を貫くものでした。17年前に初めて聴いたときの「男子部」と呼ばれていた頃の黄緑色の男声は、濃い深緑色に変わっていました。

 その後聴いた新団員のステージは、「Forever」「たとえば、空」「たいようのサンバ」は、前のステージの直後だったこともあって、とても軽やかで爽やかに聞こえました。また、振り付けも歌詞や曲想と一致していて、必然性を感じるものでした。

 第1部の最後を飾る「みやこ光」の選曲は、日本のアニメのテーマから「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「ルパン三世のテーマ」「鉄腕アトム」という団員が生まれる前のものが、プログラムより1曲多い4曲歌われました。創唱された時のこれらの歌と比べると、「編曲のチカラ」によって、原曲とはかなり違う曲に聞こえました。しかし、例えば「宇宙戦艦ヤマト」は、もとより、ささきいさおのバリトンによって歌われたものですので、そのバリトンの響きを生かして合唱化したといってもよいでしょう。「鉄腕アトム」は、あまりにも有名な歌であるために、各声部を浮き上がらせるような編曲によって、この歌はこんな歌だったかなという想いさえもちました。この数年間の演奏から、定期演奏会の「みやこ光」混声合唱を、終了演奏会ではボーイ・ソプラノの合唱をめざして区別して選曲していると思いました。

 幕間にOB会合唱団によるロビーコンサートは、「A little Jazz Mass」より「Kyrie」「Gloria」は、ミサ曲をジャズ風にするとどうなるかを実験的に、あるいは意図的に創った作品でしょう。映画「野ばら」の中でウィーン少年合唱団員が、モーツァルトのデュエットをジャズ風に演奏する場面が出てきますが、それと同質の諧謔的な面白さを感じました。「365日の紙飛行機」は、半年ぐらい前までは、テレビでは毎日のように、また、商店街を歩いてもよく流れてきた軽快な曲ですが、久しぶりに聴くとまた違った重なりのある曲に聞こえてきました。
 
 第2部の「京桜」は、「島唄」「涙そうそう」「風になりたい」を歌いましたが、これは合唱における編曲の妙を聴かせるステージになっていました。一方、「都紅葉」は、女声合唱組曲「エレメント」より、「水」「木」「地」「火」を採り上げていましたが、これはもとより合唱曲として創られているので、「水」「木」「地」「火」をどう表現するのかを味わうという意味で、対照的でした。

 この日のメインステージは、加藤先生が率いる伊丹シティフィルハーモニー管弦楽団を迎えて、モーツァルトの「レクイエム」。7年前のフォーレの「レクイエム」を思い出しながら聴くと、男声率はそれほど変化していないのにずいぶん重厚な歌声になってきており、また、女声も深い音色を表現できるようになっていることが伝わってきました。その結果、それぞれの曲が求めるものを過不足なく表現できるようになってきたことを強く感じました。音楽監督を中心とする指導陣のチームワークがこのような演奏を可能にするのだと感じるコンサートになりました。

京都市少年合唱団第57回修了演奏会
平成29(2017)年1月7日(土)京都コンサートホール


  今年も早めに来て、ウェルカム・コンサートを聴くためにロビーに出ると、若手OB合唱団<VIVACE>が8人で登場。演奏曲は「ひろい世界に」でしたが、創唱した桃太郎少年合唱団の次第に盛り上げていく持ち味とは違って、一人ひとりが自分を出しながら8人の爽やかなハーモニーを聴かせるという演奏でした。さらに、もっと年長の団員を交えて全員による「Biethday」と「一つの朝」は、出発を歌う歌でしたが、むしろゆとりを感じさせる歌で、ウェルカム・コンサートとしてふさわしい歌であったように思います。

   信長貴富に対する観客の好みによって

  オープニングの217人の全員合唱は、音楽監督の加藤先生の指揮ですが、選曲が最近合唱曲の作曲家や編曲家として人気の高い信長貴富の混声合唱とピアノのための「新しい歌」ということで、特にタイトル曲は、昨年9月に広島少年合唱隊の男声によって歌われたものを初めて聴きましたが、指鳴らしや手拍子が用いられ、リズムや転調に特色のある曲ですが、私にとっては、この曲によって何を伝えようとしているのかが今回もわからないまま終わりました。「うたをうたうとき」は、同じ詩を太田桜子や木下牧子作曲の合唱で聴いた印象が強すぎたためか、メロディよりもリズムとハーモニー重視のこの曲の歌詞を完全に聴き取ることができませんでしたが、無伴奏で、歌声に集中させ、祈りにも似た響きは心に伝わってくるものがありました。「きみ歌えよ」は、スィングのリズムが通奏低音のように流れ、そこに、混声合唱、あるいはパートが語りかけるように絡んでいくという特色のある歌ですが、たいへん説得力のある歌に仕上がっていました。なお、今年度は、定期演奏会のモーツァルトの「レクイエム」の時にも感じたように、男声陣がたいへん充実していました。
 この終了演奏会では、各グループの歌にも信長貴富の作品が積極的に採り上げられていましたが、信長作品に対する観客の好みによって、このコンサートの印象はかなり変わるのではないかと感じました。混声合唱と児童合唱では求められるものは当然のことながら違うのですが、児童合唱において私が好きな作曲家は、岩河三郎、大中恵、湯山昭といったメロディラインの美しい作曲家です。京都市少年合唱団は混声合唱団であることを再確認する第一ステージとなりました。

   統一したテーマがあると      

 修了演奏会の「みやこ光」は、36人の変声前だけの純然たるボーイ・ソプラノ合唱団であるところが聴きものので、私は、実は毎回これを一番期待して聴きに行っているところがあります。この日の演奏曲は「ブラックパンサー」「ひとつめこぞう」「結 −ゆい− 」の3曲でした。一つひとつの曲は、その歌の面白さを生かした曲になっていましたが、3曲通して聴くと、合唱組曲よりの抜粋でもないために、こんな多様な曲を歌ってみましたという全体としての主張が薄い選曲だったように感じました。「京桜」の選曲にも同じことが言えます。そういう意味では、「都紅葉」の『夜空』にちなんだ曲を集めた4曲が、1つのステージとしてのまとまりを感じました。また、音楽的には修了生とテナー・バスは、ロビーコンサートからして期待を高める水準の演奏でしたが、混声合唱だからこそ表現できる音楽「翼」「風紋」より曲想の違う4曲に挑み、全体として聴かせるステージを創っていました。その背景には、大谷先生の強い統率力を感じました。
  
   リラックスして楽しめた「ジャズミサ」
 
 全員合唱では、音楽監督の加藤先生を中心にして創り上げてきた歌声の精華がボブ・チルコット作曲「ジャズミサ」として開花しました。キリエで始まるミサ曲の基礎基本を押さえながらも、「聖者が街にやってくる」で大きく盛り上げ、そこに打楽器も入ることで、ジャズのリズムや響きを盛り込んでいくというチルコットの意図を生かした演奏は、リラックスして楽しめました。卒団生のステージ上のパフォーマンスも自然で、かつてと比べてこのようなところまで板についてきたことを感じさ
せました。

 京都市少年合唱団 創立60周年記念演奏会
平成29(2017)年 8月20日
(日) 京都コンサートホール


 今回は、創立60周年ということもあって、久しぶりに門川大作市長のご挨拶を聴くことができました。第1部は、いつもは、現役団員の全員合唱で始まるのですが、今年度は創立60周年の記念記念演奏会ということで、OB約80名がOBメモリアル合唱団として特別参加し、総勢約300人がステージに立ち、重厚ななハーモニーを響かせてくれました。注目してみると、男子の制服のネクタイがストライブに、女子のネクタイがリボンに変わっていました。これが小さな変化か大きな変化かはわかりませんが、舞台衣装は見た目も大切です。「京都古今東西わらべ歌」は、いかにも京都らしい「丸竹夷」と「京都市歌」をアレンジした作品でした。また、「ハレルヤコーラス」こそは、約300人のボリュームある歌声が堪能できました。

 続いて聴いた新団員のステージは、「カエルのポルカ」「地球をつつむ歌声」「地球星歌〜笑顔のために〜」は、入団以後5か月という時間を感じさせないきれいなハーモニーを聴くことができました。特に、「地球星歌〜笑顔のために〜」は、音楽的に聴き応えのある合唱曲に仕上がっていました。ところが、このステージで気づいたことは、小さなことかもしれませんが、男子団員が全員新団員であるにもかかわらず、半ズボンと長ズボンと混在していたことです。このあたりの不揃い感・バラバラ感が、とても気になりました。小学生は半ズボン、あるいは小学生でも変声したら長ズボンとか一定のルールをつくらないと、せっかくの新たな制服が意味をなさなくなります。

 今年の都紅葉の選曲は、ソリをメインにした曲でした。また、それが生きるような選曲であったと思います。さらに、今年の特色の一つは、選抜組「響」を登場させたことです。これは、音楽の質を高めるためには、必要なことだと思います。事実、演奏を聴いてもその質の高さや群像劇のようなステージも見て楽しめるステージと言えるでしょう。

 今年も、1部と2部の間には、京都市少年合唱団OB会合唱団によるロビーコンサートありました。しかし、人数も例年の1.5〜2倍ぐらいで、選曲も「美しく青きドナウ」や「大地讃頌」という合唱曲の王道を行くものであったため、これまで以上に力強さと感動のあるステージでした。また、女声の中にカウンターテナーの方もいるところが、この合唱団の質の高さの表れでもありましょう。

 みやこ光は、大谷圭介先生の指導によって、さらに一段高い段階に立つことができました。それは、「地平線のかなたへ」の「サッカーによせて」の群像劇のような演出だけでなく、それぞれの歌がもっている面白さをどう伝えるかということが見えてきたからです。また、京桜の女声合唱組曲「海鳥の詩」は、厳しい寒さの中に生きる鳥たちの姿が浮かび上がるような演奏でした。

 この日のために千原英喜によって作曲され、初演された児童合唱とピアノのための組曲「銀河鉄道の夜」は、必ずしも、宮沢賢治作の「銀河鉄道の夜」だけではなく、賢治の残した短歌や童謡、手紙文から抜粋されたもの、作曲者本人の創作詞を交えて構成された詞に作曲されたもののため、「銀河鉄道の夜」そのものの音楽というわけではないようです。当初ジョバンニやカンパネルラのテーマ旋律があって、それが銀河鉄道の旅の中で交錯していくのかなと思っていましたが、そうではありませんでした。もう30年も前のこと、映画「銀河鉄道の夜」の登場人物がネコなのに違和感を感じたのとはまた違った違和感がありました。2回、3回と聴くことで、この曲のよさがわかってくるようになるのかもしれませんが、私は、加藤完二先生の指揮をしても、一度だけでそれを感じることができなかったというのが、正直な感想です。

京都市少年合唱団第58回修了演奏会
平成30(2018)年1月6日(土)京都コンサートホール


  今年も早めに来て、ウェルカム・コンサートを聴くためにロビーに出ると、昨年同様若手OB合唱団<VIVACE>が登場。演奏曲は「TOMORROW」でしたが、この曲もできてから20年ぐらいになるなと思いながら聴いていると、編曲の面白さを聴かせるという演奏でした。さらに、もっと年長の団員を交えて全員による「Best Friend」と「旅立つ日」は、修了演奏会を意識して、よき友と共に旅立ちを歌う歌でしたが、オーソドックスな編曲で、これからの本演奏の雰囲気を高めるのにふさわしい選曲であったように思います。しかも、男子でソプラノ(カウンターテナー)のパートを歌う人がいるところが、この合唱団らしいところです。

   タイプの違う曲を歌い分ける 

オープニングの218人の全員合唱は、音楽監督の加藤先生の指揮ですが、今年の選曲は、祈り心を伝えるー前へー、ア・カペラのハーモニーの魅力を伝える混声合唱曲集「旅のかなたに」より「しあわせよカタツムリにのって」、女声を男声が追いかける不思議な感覚の混声合唱曲集「地平線の彼方へ」より「二十億光年の孤独」というかなりタイプの違う歌を持ってきました。京都市少年合唱団は混声合唱団であるからこそ、そのような選曲をすると再確認する第一ステージとなりました。

    いろんなタイプの曲に挑む       

 修了演奏会の「みやこ光」は、定期演奏会後10人が入り、変声したメンバーは修了生と同じグループに入ったため、夏とは違う純然たるボーイ・ソプラノ合唱団で、それにふさわしい曲を聴かせてくれました。「樹形図」は、シンコペーションが多く使われたリズミカルな曲である特性を生かした演奏でした。一方、「Far away(彼方の光)」は、「リベラ」によって創唱されたボーイ・ソプラノのための曲といってもよい曲なので、特にソプラノパ−トにその声質の響きを活かすように構成されていました。「AMBITIOUS JAPAN」は、TOKIOの歌で、まさかこんなところで聴くことができるとは思っていませんでした。しかし、歌そのものよりもリズミカルな振り付けが心に残る曲でした。統一したテーマよりも、いろんなタイプの曲に挑むというのが、オープニングの全員合唱と共に最近の方針なのかもしれません。それは、女子グループの京桜や都紅葉の演奏にも言えることです、
  
   予想外のア・カペラ

 修了生とテナー・バスは、『うたよ』より「おんがく」、混声合唱のための『うた』より「小さな空」、Adbance Democracy〔民主主義の前進〕、組曲『十匹のねずみ』より「さること」は、大谷先生の指揮でしたが、舞台全体を使ってダイナミックな振り付けをするのかと思っていたら、全く逆で、ア・カペラで歌声そのものに集中するという演奏でした。これは、意外であるとともに、合唱の原点に復帰するという意味も感じました。そこから、かえって伴奏のある幕間のロビーコンサートの4曲との違いが浮き彫りになってきました。

   1曲抜けた『あしたの灯』は
 
 私は、15年ほど前、合唱組曲『あしたの灯』の初演を聴いています。それは、桃太郎少年合唱団の創立40周年の記念定期演奏会で、この日のために編成された管弦楽の伴奏でした。桃太郎少年合唱団は、変声後もファルセットを活かした演奏をしますので、OBや地域の合唱団コール・ゆうぶんげんの賛助出演を加えて混声合唱にしていました。京都市少年合唱団の演奏は、もとより混声合唱で、最近では特に男声がパワーアップしています。しかも、2曲目の「声」がないと、どう違うのだどうかということを考えながら聴いていました。第2曲目の「声」は、鳥や魚の嘆きを通して自然破壊の悲しみを歌った歌で、第3曲目の「地球の歌」と対応しています。しかし、続けて聴くと、「声」がないことがそれほど気になりませんでした。この辺りは、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」の抜粋で演奏される途中の1曲がないのと同じです。やはり、第4曲目の「祈り」から第5曲目の「今 始まる」へのつながり方が、曲想として、シベリウスの交響曲第2番の第3楽章と第4楽章のようなつながり方で、この合唱組曲を大きく盛り上げてくれていることを感じました。加藤先生の指揮は、流麗さを基調としながらも、クライマックスになるにつれて雄渾にこの壮大なドラマを統率していました。

京都市少年合唱団 第69回定期演奏会
平成30(2018)年 8月19日
(日) 京都コンサートホール


 この日も、一昨年同様、新団員によるウェルカムロビーコンサートから始まりました。「京都市歌」の1曲だけだったのですが、この歌は、各市にあって行事等で歌われることもある市歌としては、鑑賞に堪える名曲だと思います。また、声質がよく揃っていて1学期間でよく訓練されていることが伺われ、新団員のステージへの期待が高まりました。また、いつも開演までにプログラムを斜め読みするのですが、今回は、「みやこ光」の紹介の中に、「ボーイソプラノの響きに磨きをかけたこと」という一節があったので、それがどのように開花するのか期待が高まりました。

 第1部は、ブリテンの「キャロルの祭典」抜粋の全員合唱で始まりました。いつまでたっても舞台が明るくならないので、どうしたのだろうと思っていると、観客席の真ん中辺りに座って隠れていた「みやこ光」の変声前の25人〜30人ぐらいが、キャンドルのような光るものを手に持って立ち上がると、「入堂」を歌いながら、舞台に上がって声部によって分かれて歌うという演出でした。「ボーイソプラノの響きに磨きをかけたこと」という言葉の意味は、既にこの時点ではっきりとわかりました。この曲は、TOKYO FM 少年合唱団のクリスマスコンサートの冒頭を飾る曲であり、2年前にはその全曲を聴いています。また、暁星小学校聖歌隊のCDでも、その抜粋を聴いていましたので、こういう企画に応えられる歌声を育ててきたことを素晴らしいと思いました。しかし、京都市少年合唱団は、200人を超える少年少女による混声合唱団ですから、そこだけに光を当てるというわけにはいきません。全体を通しては、清澄さだけでなく、かなりボリューム感のある「キャロルの祭典」を聴くことができました。

 その後聴いた新団員のステージは、「すてきなおじいさん」「愛するネッシー」「ありがとう野菜」は、どれもやなせたかしの詩に信長貴富が作曲したものです。歌っている団員の子どもたちが、今すぐ「すてきなおじいさん(おばあさん)」になりたいと思うだろうか(その前にもっとしたいこと、しなければならないことがあるはず)とか、野菜嫌いの団員は、この詩にどこまで共感して歌えるだろうかとかと思うところはありましたが、「愛するネッシー」は、ウェーブの振り付けが首長竜のネッシーを体現しているようで、全体としては楽しく鑑賞することができました。第1部最後の「京桜」は、沖縄民謡を合唱曲に編曲した「てぃいんさぐぬ花」ア・カペラと合唱が織りなす「曙」、アンデルセンの詩に作曲した「一詩人の最後の歌」という違ったタイプの3曲を歌い分けました。「一詩人の最後の歌」は、死によって生が輝くことを力強く歌っていることが伝わってきました。第2部の「都紅葉」は、松下耕の合唱曲を4曲歌いましたが、「信じる」のようにかなりよく歌われている曲は、じっくりと鑑賞できましたが、それ以外は、力強いリズムが心に残ったという印象があります。「みやこ光」も含め、毎年いろいろな違った曲に挑むことも大切でしょうが、同じ曲を何年かおきに採り上げて持ち歌にして、グループ(チーム)の愛唱歌にしていくことが、聴く方にとっては嬉しいです。それは、最終曲において再演された「展覧会の絵」を聴いたときに強く感じたことです。

 幕間にOB会合唱団によるロビーコンサートは、「浜辺の歌」「涙そうそう」の2曲でしたが、指揮者が和服を着て指揮をするというのも、日本の曲を演奏する場合には、面白い試みだと思いました。「浜辺の歌」は、女声だけで歌い始め、そこに男声が加わると、歌声に膨らみと広がりが感じられるという点で合唱の面白さを感じさせる歌でした、「涙そうそう」も、抒情的な仕上がりになっていましたが、和服の袖から指揮者の腕の一部がうねるように見えるところが、この曲らしい曲想を感じさせました。また、先程述べた“愛唱歌”という意味で、この選曲はよかったと思います。

 「みやこ光」の選曲は、混声合唱曲ですが、ボーイ・ソプラノと男声のそれぞれが分かれて歌うような曲を集めて演奏したように感じました。それぞれの声部の響きの美しさを感じることはできましたし、これまでありがちだった力強くなってきた男声によって繊細なボーイ・ソプラノがかき消されるということもなかったのですが、3曲とも初めて聴く曲ということもあり、また、歌詞がよく聴き取れないこともあって、歌詩に感動するところまでには至りませんでした。そして、ウェルカムロビーコンサートのときから感じていたことなのですが、今年度から男子は、制服が全員長ズボンになりました。これは、観客席から見た目の統一感という意味ではよいと思います。一方、かつては少年服を代表していて町を歩けばいくらでも見ることができたのに、ステテコのようなハーフパンツばかりが栄えて、今では制服だけにかろうじて残っている半ズボンの衰退に一抹の寂しさを感じたというのも事実です。

 この日は、5年ぶりに少年少女のための合唱組曲「展覧会の絵」を聴くことができました。221名を擁する団員数の多い京都市少年合唱団だからこそ出せる歌声を駆使して、巨大な絵巻物を紡いでいきました。小学生の時に歌った歌を卒団前に再び同じ声部で、あるいは違った声部で歌った中学生団員もいることでしょう。この曲を聴く楽しみは、緩急・軽重・悲喜といった曲想の違う曲を歌い分け、壮麗な終曲の「キエフの大きな門」を歌い上げるところにあります。この合唱曲は、確実に京都市少年合唱団の持ち歌になってきました。

京都市少年合唱団 第59回修了演奏会
平成31(2019)1月6日
(日) 京都市コンサートホール


 京都市少年合唱団の定期演奏会と終了演奏会を聴く楽しみ方は違います。その一つは、終了演奏会には、通った期間は違っても修了生の想いが込められた感動のステージに出会えることであり、もう一つは、「みやこ光」が純然たる変声前の少年合唱団としてその歌声にあった歌を歌ってくれることです。この日も、OB合唱団がウェルカムコンサートとして、若者グループの<VIVACE>がしっとりと伝統曲の「Amazing Grace」を歌って、その後、年配のOBも加わった全員が「雨のちハレルヤ」「春よ、来い」と、むしろJ−POPSを歌うところに、面白さを感じました。

 今回の全員合唱は「モルダウ」と「美しく青きドナウ」で、時代的には国民楽派が活躍していた時代に作曲された祖国を流れる大河を歌った祖国愛の歌を二つ続けて聴くことで、共通したものを感じると同時に、「美しく青きドナウ」が、よく歌われる堀内敬三訳の日本語ではなくドイツ語の原語で歌われているところに、入団以来1年未満の団員もいることから驚きさえ感じました。200人以上の人数の多さによって壮大な歌が歌われているだけではありません。一人一人の団員に力がついてきていることを感じました。

 続いて、「みやこ光」の登場ですが、このステージでは、笑顔で手を振りながら舞台に登場して、自分の位置に立ち歌い始めました。これは、以前の退場の時に客席に手を振るのとは意味が違います。この日は、いろいろな詩人の詩に三善晃が作曲した「風のとおりみち」より合計6曲が歌われましたが、この歌は、三善晃独得の極端な変拍子が特色ではなく、むしろ古典的で素朴な中に前衛的な歌の心が込められていて、自然にその美しさを感じました。「みやこ光」を中心に毎回新しい試みに挑む大谷圭介先生は、将来おそらく少年合唱界における北村協一先生のような人になっていかれるのだろうなと思いながら聴いていました。

 「都紅葉」「京桜」も、ステージを最大限に生かす振り付けを入れて、その歌の世界を表現していました。今回はどちらも比較的新しい歌に挑んでいました。京都市少年合唱団にはじめてきた頃には書いておりましたが、もう、ピアノの位置をどうしたらよいと言ったことを書く必要はなくなりました。舞台をどう使うとその歌の世界を最大限に合唱表現できるかということを指導者が共通理解しておられるからです。全員合唱では、ピアノを正面に持ってきてその周りに声部ごとに放射線状に並ぶのがよいでしょうし、また空間的にもそれしかできませんが、各グループでは、ピアノを上手(かみて)に動かしてステージを広く取り、いつも同じ位置に同じ団員がいるという単調さをなくし、エンターテイメントの要素を前面に出して歌っていたした。

 ロビーコンサートで、入団以来の想いを歌った修了生とテナー・バスのステージは、水準の高い歌を聴かせてくれました。特に、「流浪の民」は、成人の合唱でもここまでしっかりした歌を聴くことは難しいです。一人一人に力がついているだけでなく、声部全体として求められるものを表現できていました。「永久二」の組曲抜粋は、「永久二」のもつ地の底から湧き上がるような根源的な力強さを感じると共に、「星の降る丘」の静寂な祈りや「宇宙のもと」でそれらが融合して再び「永久二」の冒頭の力強さに戻っていくという、この合唱組曲の構造を改めて感じました。修了生が「Joyful Joyful」を踊りながら歌って、送られていくというスタイルももうかなり定着しました。様式になっている部分とその年ごとに変わる部分の組み合わせも、毎年鑑賞する者にとっては楽しみの一つになってきました。

京都市少年合唱団 第70回定期演奏会
令和元(2019)年 8月18日
(日) 京都コンサートホール


 この日も、昨年同様、新団員によるウェルカムロビーコンサートから始まりました。現在歌われている「京都市歌」は4代目だそうですが、2部合唱曲であることで、この曲が奥行きのある歌になることを感じました。市歌については、京都市のホームページで京都市少年合唱団の歌付きで詳しく知ることができることを発見しました。https://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/page/0000015589.html

 第70回定期演奏会だからという特別な企画はありませんでしたが、パイプオルガンの側の席まで埋まる観客の多さは感じました。第1部の全員合唱は、ア・カペラで「夏の思い出」「小さい秋見つけた」「ふるさと」の3曲がア・カペラで歌われましたが、特に最初2曲は、前奏部分から全曲が歌で表現されており、伴奏という発想のないユニークさを感じました。それだけでなく、混声合唱ならではの各声部が浮かび上がる面白さが曲に盛り込まれており、よく知られている曲であるのにもかかわらず、新鮮な感じがしました。もちろん、これらの曲を選んだ理由には、令和の時代になっても日本の歌を歌い継いでいきたいというメッセージも込められてると思います。

 その後聴いた新団員のステージは、児童合唱組曲「きのう・きょう・あした」でした。登場したとき、段差のあるステージにいくつかの円が描かれたので、「変形のかごめかごめ」をやるのだろうか?と思っていたら、すぐに隊形移動によって3列の普通の合唱の隊形で歌が始まりました。合唱組曲にあった曲も変化を楽しむことができました。また、振り付けも最初を除いては比較的自然なものでした。
 「京桜」は、ミュージカルキャッツメドレーという合唱ミュージカルのような組み立てのステージで、歌そのものを味わうというより、振り付けの面白さや一瞬真っ暗になって再び照明がつくと、みんなしっぽを握っているという意外性のある演出も交えてチャーミングなステージを楽しむことができました。
 一方、「都紅葉」は、本格的な合唱組曲「まりになれ 心」で、心がいろいろと動くさまを描いて「京桜」と全く違う合唱を味わうことができました。それぞれのメンバーが卒団まで固定しているならば、年度によって本格的な合唱曲と、振り付けを入れた曲の両方を味わえるようにすればいいと思いながら聴いていました。

 恒例となった幕間のOB会合唱団によるロビーコンサートは、「ローレライ」「ハナミズキ」の2曲でしたが、どちらも歌詞の内容が男声と女声のどちらを前面に浮かび上がらせるとよいかを考えた編曲になっており、歌詞をじっくりと味わえるという意味でよい選曲になっていました。このようなことを言うのも、主旋律がしぼんで聞こえる編曲や、日本語の歌詞でありながら、声の重なりのために何を歌っているのか全く聞き取れないような合唱曲があるからです。合唱曲における編曲の大切さを感じました。

 「みやこ光」の今年の選曲は、J−POPS系でした。繊細な美しさを楽しむというよりは、力強さやエネルギッシュな動きを楽しむというものでした。「みやこ光」のメンバーが普段どのような音楽的嗜好を持っているのかは一人一人違うでしょうし、年齢・学年によって変化することもあると思います。しかし、十年に一度ぐらいは、こういう企画もあっていのではないでしょうか。ただし、今回は振り付けが歌を消してしまうことも同時に感じました。フィンガー5は玉元晃のボーイ・ソプラノと共に人気が出、変声と共に人気が衰退したグループです。そういう曲を選んだならば、ボーイ・ソプラノをもっと生かす道もあったのではないでしょうか。ただ、大谷先生が、マイクを手に『「学年天国」は、会場のみなさんも「ヘイヘイヘイ、ヘイヘイ」と応えてください。』と会場を巻き込んで演奏しようとしたところは、ある種の本気を感じました。「みやこ光」のメンバーもそれぞれの学校に帰れば、ほとんどがJ−POPSが主流の世界の中で生きていかねばならないのですから、それぞれの場に応じた歌が歌えることも大切だと思いました。

 この日の最後の全員合唱は、ジョン・ラターの「MAGNIFICAT」より5曲ということですから、全曲ではありませんが、ほぼ全貌はつかむことができます。明るくリズミカルで現代的な宗教曲で、ソプラノ独唱との掛け合いを楽しむことができました。ただ、聴き終わった後、意外と印象に残っていないのです。その理由はこの曲が全体として、旋律中心の曲ではないからなのかもしれません。

京都市少年合唱団 第60回修了演奏会
令和2(2020)1月5日
(日) 京都市コンサートホール


   修了生を前面に立てた演出

 この定期演奏会は、白いスーツの上着を着た修了生が主人公であることはまちがいありませんが、この日は、修了生とテナー・バスのウェルカムロビーコンサートに始まり、ステージ鑑賞のお願い、メイン曲である混声合唱組曲「筑後川」、全員合唱後の「お別れの歌」から退場まで修了生を前面に立てた演出が目につきました。この日はウェルカムロビーコンサートから重量級の「Time to Say Goodby」で始まり、この演奏会に向けた意気込みを感じました。さて、第1部開演前のステージに修了生が体育会系のノリで掛け声をかけながら、駆け足で下手から上手に向かって一列に並んで舞台の前に並びましたが、その並び方が、全体的には上手側が男子、下手側が女子なのに中央の2人だけが男子という並び方で、一瞬これは何だろうと思わせました。それは、真ん中の2人の男子が、女声を意識したファルセットの声で笑いの要素を入れながら、鑑賞についてのお願いをするもので、これは、どこの音楽会場でもやっている、スタッフが携帯やカメラに×を付けたプラカードを持って通路を回るよりもよほど効果的ではないかと思わせる演出でした。もちろん、メインの混声合唱組曲「筑後川」は、4曲の抜粋でありながら、残りの1曲を含め全曲を聴いてみたいと感じるほどの変化に富んだ川の種々相を表現していました。

   この合唱団は、合唱の声を育てている

 この日の全員合唱は、フォーレの「レクイエム」抜粋(第3曲以後)でした。確かに、津幡泰子先生のソプラノソロ、大谷圭介先生のバリトンソロは安定感のあるものでした。あえて、団員からソリストを選ばなかったのは、1800人は入れる会場の広さのせいもあるでしょうが、京都市少年合唱団は、周りと声の響きを合わせたハーモニーを大切にする合唱の声を育てることが主で、ソリストを育てるというという考えで団員を育てていないこともあるでしょう。(混声合唱組曲「筑後川」に部分ソロはありましたが)しかし、加藤先生が音楽監督になられた最初の全員合唱の演目でフォーレの「レクイエム」を選ばれた時と比べると、特に男声のボリュームが、人数的にも比率的にもそれほど大きく増えたわけではないのに、圧倒的に分厚くなったように感じました。約10年前の演奏が、京都市少年合唱団にとっての「レクイエムの1丁目1番地」ならば、今年は、「レクイエムの3丁目3番地」ぐらいには進んでいると感じました。なお、高音部が天国的な響きを奏でるSanctusやIn Paradisumの完成度はたいへん高かったように思います。

   7年たった「チコタン」 

 お目当ての変声前のボーイ・ソプラノによる「みやこ光」の演目は、7年ぶりに合唱組曲「チコタン」。よく考えてみれば、現在の団員は、7年前には誰一人入団していなかったことになります。花を使った7年前と多少演出は違いますが、首を同じ方向に同じ角度で揃えて振ったり、「こんやく」における楽しそうな舞台上での隊形移動も夢の中の世界であることを感じさせました。それが、終曲の「だれや!」の大きな怒りと嘆きにもつながります。団員が入れ替われば、このように前回名演と言われた演目を再上演することに意義があると感じました。

   歌が主で振り付けは従

 この日の京桜は、「春」をテーマに女声ならではの優美さと華やいだ感じの歌で統一感がありました。一方、都紅葉は、前の2曲「Clap Yo' Hands」と「世界はあなたに笑いかけている」は、振り付けの方が目につきすぎて歌詞がよく聞き取れず、後の2曲「にじのうた」「せかいのなかで」が真摯な内面的に豊かな合唱であったので、改めて合唱においては、歌が主で振り付けは従であるべきだと感じました。なお、この間の休憩時間には、ロビーでOB合唱団が若者グループの<VIVACE>が「サッカーに寄せて」を歌って、その後、年配のOBも加わった全員が「空も飛べるはず」「風が吹いている」と、このような場の雰囲気にふさわしい肩の凝らない曲を演奏してくれました。そこには、指揮者の村上英明さんの洒脱な話芸がもたらす力もあると思いました。

   合唱組曲の面白さ

 全員合唱の「ダッタン人の踊り」も、京都市少年合唱団の持ち歌として定着してきましたが、ステージ全体としての音楽としての質の高さは、誇るべきものがあります。それは、指導者のチームワークや指導力にもよりますが、小学4年生以上中学3年生までという学年の制限がありながら、常に200人以上の大所帯の団員を擁していることにもあります。「心ひとつ〜」と踊りながら歌って、送られていくというスタイルももうかなり定着しました。そのような意味で、様式になっている部分とその年ごとに変わる部分の組み合わせも、毎年鑑賞する者にとっては楽しみの一つになってきました。今回は、特に合唱組曲というジャンルの面白さを感じるステージであったと思います。 



京都市少年合唱団第125回演奏会
                    令和4(2022)年1月8日(土)コンサートホール


   緊急避難的措置でグループを再編

 オミクロン株が急拡大する中、約2年ぶりの一部公開の京都市少年合唱団の演奏会が開かれました。昨年度は4月からほとんど練習できず、夏の定期は中止。2度目の緊急事態宣言下で1月の修了演奏会は保護者等関係者公演になりました。今年度より中学3年は夏の定期演奏会で修了と決まり、何とか実施を願っておりましたが、この状況下では、やむなく中止となってしまいました。なお、今回の観客は、保護者と「育てる会」等関係者中心ですから、いつもは、パイプオルガン側の席を除いて満席状態ですが、この日は、いつもなら楽屋にいる顔の下半分を覆う覆面のような白い大きめのマスクをした団員が両サイドの席で、座ってはいけない席もあったので、1800席ある7割ぐらいの着席率だったでしょうか。

 いつもなら200人超の大合唱が聴けるのですが、コロナ禍で、200人も一部屋に集まって練習することができず、新型コロナウイルス感染対策を行いながら効果的に練習を進めるため、男女混合のグループに再編し、「雅(みやび)」(変声後男子+女子による混声合唱)「和(なごみ)」(変声前男子+女子による児童・女声合唱)という京都らしい命名と、「新団員」「響(選抜メンバー)」のグループで活動しているため、男子部の「みやこ光」としての演奏はありませんでした。また、この日は、「響(選抜メンバー)」の演奏はありませんでした。私も、この措置は団を継続するための緊急避難的なものであり、理解できますが、このホームページの理念上、アフターコロナでもこのまま永続して「みやこ光」がなくならないでほしいという想いです。第125回演奏会という名称も、現状ではこれまでのように、定期演奏会・卒業演奏会という形で行えないためのものであったための名称と思います。

   ハーモニー最重視の理念は変わらず

 いつものことですが、京都市少年合唱団は、ハーモニー最重視の演奏です。また、選曲も、かつて定期演奏会等で演奏した曲を含め、団としての理念は変わらないという方針だったように感じました。とりあえず、どのような歌を歌ったか知っていただくために、いつもはしないことですが、今回は、プログラムを掲載します。

〈第1部〉
 指揮:大谷圭介 ピアノ:小林千恵
「やさしさに包まれたなら」「いつも何度でも」「世界の約束」

新団員 指揮:小林峻 ピアノ:坂口絵梨
「京都市歌」「五十音」「My Own Road −僕が創る明日−」

 指揮:津幡泰子 ピアノ:今西陽子
「ヒカリ」「女声合唱とピアノのための『この星の上で』より「今年」 

〈第2部)
指揮:加藤完二 ピアノ:西村 彩
『A Little Jazz Mass』(小ジャズミサ)
1.Kyrle(キリエ)  2.Glorla(グローリア ) 3.Sanctus(サンクトゥス)  4.Benedictus(ベネディクトゥス)
5.AgnusDei(アニュス・デイ)

 指揮・加藤完二 ピアノ・小林千恵
混声合唱とピアノのための『新しい歌』より「新しい歌」「きみ歌えよ」「一詩人の最後の歌」

 グループ編成を変えても、ソーシャルディスタンスをとる必要はあるため、この日は、新団員グループ以外は、舞台上に約50人、パイプオルガン側の席に約20人が距離を保って演奏しました。全体としては、どの曲も、曲想によって違いますが、繊細な、あるいは豊麗な多声によるハーモニーを楽しむことができましたが、反対に、曲のそういう部分は、歌詞が伝わらないこともあり、曲全体として歌詞が一番よく伝わってきたのは、新団員による「京都市歌」でありました。そのような意味で、日本語の歌詞と合唱との関係について考えさせられることもありました。京都市少年合唱団の選曲は、広島少年合唱隊の選曲のように、歌に内包されているメッセージ性を直接的に観客に伝えるというよりも、合唱曲の声による表現の豊かさに重点を置いていると感じました。

 一方、『A Little Jazz Mass』(小ジャズミサ)の場合、もともと歌詞が日本語ではないので、例えば、「キリエ」の場合、「キリエ エレイソン」がジャズのリズムで歌われるのを素直に楽しめました。また、最近よく採り上げられている信長貴富の作品では、従来の合唱曲よりもピアノの位置づけが大きいと感じました。この2年間、大きな発表の場はなかったため、男子の中には、変声期を迎えて声部が変わり、それ故に苦労した団員もいるだろうなと想像しましたが、それは、演奏の上では感じられませんでした。また、京都市少年合唱団の特色ともいえるボリューム感たっぷりの200人超の大合唱は聴くことができませんでした。これも、今後のコロナ終息にかかっています。

  演奏終了後、「和」と「雅」のグループリーダーの中学2年生の女子による挨拶がありましたが、これは、大変感動的なもので、この期間の苦労のあとも感じましたが、それを乗り越える強い意志が直接的に伝わってきました。指導者の先生方からではなく、団員から直接このような言葉があったことも、このコンサートのよさと言えましょう。

 合唱団本来の姿に戻そうとする強い意志を感じた
京都市少年合唱団第126回定期演奏会
令和4(2022)年8月14日 (日) 京都市コンサートホール大ホール


 京都市少年合唱団第126回定期演奏会は、いろいろな意味で、京都市少年合唱団を本来の姿に戻そうとする強い意志を感じました。

 今年1月の125回定期演奏会を鑑賞して、歌詞が聴き取れない曲が多く、失礼ながら、期待値があまり高くなかったのですが、それを大きく超えるよい演奏に接しました。それは、何よりも、前回は行わなかった(行えなかった)全員合唱を復活させ、開幕前に携帯電話のスイッチを切ることを合唱でユーモラスにお願いしたり、部分的にマスクを取る場面を作ったり、歌にあった振り付けを採り入れるなど、その根底に、京都市少年合唱団を本来の姿に戻そうとする強い意志を感じました。
 また、選曲においても、どのグループも親しみのあり、歌詞がはっきりと聴き取れるような合唱曲を前面に立てたことが特筆できます。

 合唱組曲「もうひとつの京都」は、6年ぶりの演奏となり、現団員にとっては、初めての演奏になります。これは、初演の頃の演奏がYouTubeチャンネルにも公開されており、そのような意味で親しみを持った人もいるでしょうが、京都府全体を南から北へと描いた3曲からなる作品で「お茶の京都」「森の京都」「海の京都」を表したものです。ここでは、後部座席も使って全員合唱を復活させ、京都市少年合唱団の持ち味であるボリュームのある演奏を蘇られることができました。

 前回から組織替えになった「和(なごみ)」は、ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』のナンバーを合唱曲に編曲した「アレルヤ」「サウンド・オブ・ミュージック」「ひとりぼっちの羊飼い」「ドレミの歌」を場に応じた振り付けを入れて楽しく聴かせてくれました。続く、「雅(みやび)」は、混声合唱のためのカンタータ『土の歌』より「祖国の土」「天地の怒り」「地上の祈り」「大地讃頌」と曲想の違った4曲を混声合唱で真正面から聴かせてくれました。このような重厚な曲には振り付けは不要で、ただひたすら歌声に耳を傾けたいと思います。とりわけ、男子26人の力強い声が、印象的でした。この4半世紀の間にというよりも、加藤完二先生が音楽監督に就任されて以来、男女とも歌声に芯が入り、とりわけ変声後の男子が力強い声に変わっていることがコロナ禍の中でも印象的でした。新団員30人(うち男子9人)は、最近定番曲になった「京都市歌」、楽しそうな振り付けの入った「勇気100%」、リズム感にあふれる「Dream & Dream 〜夢をつなごう〜」の3曲も、さわやかな印象を残しました。

 全員合唱による創立65周年記念委嘱作品は、現代の多くの子どもにはあまり伝えられていなくても、ある世代の人には懐かしさあふれる童謡・唱歌を編作集『鳥啼く夕べに』〜混声合唱とピアノのために〜という合唱だからこそ表現できるような編曲によって一つのものにするという試みも、好感が持てました。

 そのような意味では、京都市少年合唱団は、振り付けだけでなく、できる限り最大限の努力をしてくれたと思っています。とりわけ、今年の新入団員の30人中男子9人という男子率の高さは、むしろ奇跡的な数字です。次の課題は、マスクを取って歌えるようになる日がいつ来るかということと、グループを元に戻すのをいつにするかということが挙げられますが、これもコロナの感染状況次第だと思います。

 しかし、課題もあります。マスクをした合唱に魅力を感じて、歌ってみたいと思う子どもや、新しい鑑賞のファンがどんどん増えるとは考えにくいです。プログラムの名簿を見ると、中学生団員数と比べて、コロナ禍以後に入団したと考えられる小学生団員数が少なく、コロナ禍の状況次第では、200人規模の合唱団から150人規模の合唱団になることも考えられます。京都市少年合唱団の場合、変声後の男子も活躍できる場はありますが、全国的に見るとどうでしょうか。しかし、これは、京都市少年合唱団、一団体の問題ではありません。日本の合唱界の共通の大きな課題です。

 京都市少年合唱団第127回演奏会
令和5(2023)年1月7日(土) 京都市コンサートホール大ホール


   
二つの期待をもって会場へ

 昨年8月の第126回演奏会で、団員の一人がちらりとマスクを外す場面も演出されていたので、今回は、ひょっとして昨年夏のフレーベル少年合唱団のようなマスクなしの演奏か、あるいは、「みやこ光」(男子部)が復活しているのではないだろうか・・・そんな期待をもって出かけましたが、その期待は二つとも外れました。しかし、それを上回る質の高い演奏に、違った意味での素晴らしさを感じました。

 最近では、定番化してきた中学生団員の合唱による鑑賞の諸注意は、最後の「お仕置きよ。」という言葉が、具体的にどんなお仕置きがあるのか少し気になるのですが、笑って済ませることかもしれません。

   
第1部は、よく知られている曲を合唱曲にアレンジして

 第1部の全員合唱は、加藤完二監督の指揮でミュージカル『ライオンキング』より「サークル・オブ・ライフ」「王さまになりたい〜ハクナ・マタタ〜愛を感じて」が演奏されました。10年前は、「みやこ光」のミュージカルハイライトとして上演されたこともありますが、この日は、舞台上と客席の両方から呼応し合う形で演奏は始まり、代表的なナンバーがメドレーのように歌われました。前に置かれた動物のお面のついた棒の演出もさることながら、男女ともマスクをしているのにかかわらず、声がよく前に出ていると感じました。これは、約200人の大合唱だからというだけでなく、団員一人一人に力がついているからです。

 雅(混声合唱グループ)の演目は、〜雅で巡る世界の民謡〜ということで、津幡泰子先生の指揮で世界各国を代表するような日本でもよく知られている曲(「コンドルは飛んで行く」「コーヒー・ルンバ」「ラ・クカラーチャ」「カチューシャ」「一週間」「トロイカ」「大きな古時計」「アメイジング・グレイス」をつなぎながら、合唱曲に編曲(信長貴富の編曲が多かったようです)することで、これらの曲がどのように面白くなるかを伝えるような演奏でした。特にピアノだけでなく、打楽器のボンゴの伴奏が生きていました。

 響(混声の選抜グループ)の演目は、それこそ日本を代表するような流行歌が歌い続けられて愛唱歌化した曲(「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」「世界に一つだけの花」)でしたが、グループが舞台に整列しても、指揮者の大谷圭介先生は舞台上に現れず歌が始まりました。大谷先生は、感染予防で空席となった最前列の席に座って指揮をされていたのです。ピアノは上手の端で、団員を前面に出した舞台演出だなと思ってみていたら、歌も面白く編曲されていましたが、このステージでは、いわゆる演劇的な振り付けではなく、合唱にふさわしい振り付けが楽しめました。大谷先生が舞台上に現れなかった意味が次第にわかってきました。20年ぐらい前、私は、京都市少年合唱団の舞台は、全員合唱でなくてもいつもピアノがど真ん中で、歌う子どもたちが中心でないのではないかということを書いたこともありますが、もうそんなことは、過去の問題です。今、京都市少年合唱団の舞台は、団員が中心のステージづくりをしていることに新たな感動を覚えました。

   
第2部は、知られていない曲を面白く

 第2部は、『児童合唱とピアソのための組曲 はじまりは、いつも』より「空のスタートライン」、「雨」、「RAlN(SEKAlNOOWARl)」の3曲が演奏されました。『児童合唱とピアソのための組曲 はじまりは、いつも』全曲を演奏するのかと思っていたら、どうもそうではないようで、改めてプログラムを見ると、晴れた冬の朝から雨が降り、虹がかかる一連の物語と書かれていました。どれも初めて聴く曲ばかりですが、「空のスタートライン」は、印象的な言葉が浮き上がるような歌になっていました。「雨」は、作詞・作曲がしゅんと聞いたことのない名前が書いてありましたが、指揮者の小林峻先生のペンネームのようで、この雨は決してうっとうしい雨ではなく潤いを感じ、「RAlN(SEKAlNOOWARl)」は、流麗な歌でした。知らず知らずのうちに私の視線は、合唱する団員たちよりも、小林峻先生の舞踏のような指揮する姿を追っていました。

 最後の全員合唱は、ジョン・ラターの「MAGNIFICAT(マニフィカート)」全7曲より、5曲が抜粋して歌われました。特に6曲目の“Esurientes”は、ソプラノ独唱を含むもので、このような独唱と合唱を組み合わせた構成の曲は、私が知らないだけかもしれませんが、京都市少年合唱団としても珍しい取り組みではないでしょうか。キリエ・グロリア・・・と続くミサ曲でなくても、これは、合唱組曲のような宗教合唱曲で、1曲ごとの曲想の違いを楽しむことができました。

 いつもなら、ここでアンコール曲なのですが、加藤完二監督は、観客の盛大な拍手に感謝の言葉を述べたうえで、アンコール曲練習する十分な時間ななかったので、「MAGNIFICAT」の最後の部分をもう一度と言って、アンコールに代えました。

 第2部は、知らない曲ばかりなのに、退屈することもなく、むしろ、声による表現を楽しむことができました。加藤完二監督が着任された直後のフォーレの「レクイエム」を聴いているので、このコンサートに出演した変声後の男子の最高学年が中学2年生であっても、力強い声を出せるようになってきたことを改めて感じました。


 


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