桃太郎少年合唱団 |
プロフィール |
桃太郎少年合唱団第37回定期演奏会 平成11年11月23日(火・祝) 14:00 岡山シンフォニーホール 賛助出演:広島少年合唱隊 |
「レーゲンスブルグ大聖堂少年合唱団の演奏会を聴いて」 平成12年8月1日(火)岡山市立市民文化ホール |
桃太郎少年合唱団第38回定期演奏会 平成12年12月3日(日) 14:00〜 岡山シンフォニーホール 賛助出演:呉少年合唱団 |
桃太郎少年合唱団第39回定期演奏会 |
桃太郎少年合唱団第40回記念定期演奏会 |
40年の重み
桃太郎少年合唱団は、今年創立40周年を迎えました。「人生80年」と言われる今、社会の変化が激しい中での40年という年月がどれだけの重みを持つか考えてみると感慨深いものがあります。昭和37年の岡山国体を機に、当時の岡山県知事であった三木行治氏の呼びかけによって創立された桃太郎少年合唱団は、文字通り日本の少年合唱の歴史を担ってきたとも言えましょう。さて、この昭和37年という年が日本の少年合唱にとってどんな年であったかと言えば、ウィーン少年合唱団の来日はそれまでに3回を重ね、音楽教育関係者に児童期における頭声発声の重要さがかなり浸透してきました。(音楽に関心の薄い教師の指導の下では、未だ元気よく歌えばよいというレベルでしたが)また、前年にNHK「みんなのうた」の放映が始まって、同年代の少年少女のあこがれを育み、全国に少年(少女)合唱団が次々と誕生した年でもあります。その後の日本における少年合唱の盛衰をここで語ることはあえてしませんが、桃太郎少年合唱団が一貫して少年合唱の王道を追求されてきたことと、歌を通して地域文化の振興に貢献されてきたことは特筆できます。
また、この40周年行事は、記念委嘱作品「あしたの灯」の初演と東京公演という意欲的な取り組みとして結実しました。
散歩道
そんな重い歴史を、第1ステージは「プロムナード(散歩道)」というむしろ軽いイメージの言葉で現していました。聴く方としてはその方がリラックスできます。指揮は浦池先生で、棚田団長先生の解説が入ります。
「一年間に歌う歌を数えてみたら約50曲ありました。40年の間に歌われた歌は?」
もちろん、繰り返し歌われる歌もあるでしょうから単純に50×40ではないでしょうが、4桁の歌が歌われていることは確かです。その中から選ばれる10曲(団歌を含む)とは、団にとっても殊の外思い入れの深いものでありましょう。選ばれた曲は大きく分けて4つになります。橋本祥路の歌、郷土岡山賛歌、日本民謡、ボーイ・ソプラノを生かす歌。青少年の健全育成と地域文化の振興が、桃太郎少年合唱団の創立理念であるならば、この選曲は最もふさわしいものと言えましょう。
最初は「夢の世界を」・・・「ほほえみ交わして語り合い、落ち葉を踏んで歩いたね。」何とやさしい心情でしょう。こんな人間関係を育むことができたらどんなに幸せかと思わずにいられません。「さあ、出かけよう」の輝かしくも澄んだ桃太郎トーンは、聴く人をこのプロムナードへと誘ってくれます。この一節には震えるような感動があります。そして、最後の「ひろい世界へ」は、第2の団歌と言えるような歌。「ドア」という言葉に象徴される人生の新しいステージを仲間とともに助け合って拓いていこうという歌は力強く聞こえました。その間には「希望の岡山」「瀬戸大橋賛歌」といった郷土愛の歌が誇らかに、「そうらん節」「備前太鼓唄」といった海や大地の香りのする歌が力強く歌われます。しかし、この日の白眉は「おお、ブレネリ」でした。この歌は、今キャンプのときに男役と女役に分かれて面白く歌われる遊び歌というイメージで捉えられがちですが、この日歌われた編曲は、ボーイ・ソプラノの魅力を最大限に生かしたもので、この歌が音楽的にこんなにすばらしい歌であるということを再発見しました。何よりもこの日の歌の響きは輝きに満ちていました。浦池先生の指揮は、すべての曲から情熱を引き出していました。
踊りたくなる日
今年もジョン・ラターによる「ダンシング デイ」が採り上げられました。昨年の桃太郎少年合唱団の定期演奏会でも採り上げられ、たいへんすばらしい演奏でしたが、それ以来CDショップを注目していますと、この曲のCDは見つからないのですが、大阪のシンフォニアにはラターのコーナーができるほどの人気作曲家であることがわかりました。ラターは、イギリス合唱音楽の伝統の中で育った音楽家で、自らもケンブリッジのクレア・カレッジでは少年聖歌隊員として歌い、音楽を学び、後に自らの合唱団「ケンブリッジ・シンガーズ」を組織して以来、合唱指揮者として、作曲家として極めて人気の高い音楽家になったといいます。
桃太郎少年合唱団の響きも、このステージでは全体としては慎ましやかに聞こえます。曲想がイギリスの古風なスタイルを生かしたものなので、前半の華やかさを抑えた演奏に好感がもてました。それでも、曲が進むにつれ抑えきれない喜びが溢れ出し、終曲の「明日は私の喜び踊る日」では、踊りたくなるような躍動感に満ちた演奏になり、大きな盛り上がりを見せました。大塚先生の指揮は、曲全体を大きくつかんで、前半を抑え気味に終曲を躍動的に演奏し、雰囲気を盛り上げていました。
OBが花をそえる
第3ステージは、OBの演奏。サクソフォンの西本淳さんは、若々しい情熱でサクソフォンの多様な音色を引き出していました。尺八の田辺頌山さんは、「木枯」という自然を描いた題材を採り上げながら豊かな人間性が伝わってくる演奏で、心にしみました。ホルンの宮武良平さんは、フランツ・シュトラウスの「ノクターン」という深い音色を堪能させる曲を演奏しました。演奏はすばらしかったのですが、演奏中ホルンを解体することが何度もあったので、楽器の調子が悪いのかとちょっと不安な気持ちになりました。このように、OBの方が違う音楽分野で活躍されているということは、現役団員にとっても励みになりますが、主役は少年たちなのですから、演奏時間が長すぎないということも大切です。そういう意味で、この第3ステージは適度な長さで楽しめました。
日本を「灯」のついた国に
いよいよ第4ステージは、この日のために作られた「あしたの灯」初演。混声合唱の組曲ということで、ここでもOBや地域の合唱団コール・ゆうぶんげんが賛助出演です。しかも、伴奏のピアノ譜をオーケストラにして演奏するという力の入れよう、期待は膨らみます。
棚田団長先生の指揮の下、わくわくするような前奏に続いて、第1曲「出会い、そして深め合い」が始まります。「もしも、」という仮定で人の出会いの素晴らしさを描きながらも、「そして深め合い」こそが大切なんだよとそっと告げるところに、この歌の生命があります。2曲目の「声」は鳥や魚の嘆きを通して自然破壊の悲しみを、だからこそ地球の賛歌がという3曲目。4曲目の「祈り」の中で灯った灯は、シベリウスの交響曲2番第4楽章の曲想にも似て、希望に満ちた5曲目の「今、始まる」へとつながっていきます。棚田団長先生の指揮は、ときには流麗にときには雄渾にこの壮大なドラマを統率していました。しかし、祈りの中にどうしても気になる一節があります。「灯のついてる国がある。灯のついていない国がある」と。それなら、我が祖国日本はどちらなんだろう。電車内で座り食いや化粧をするジベタリアンや今楽しかったらよいとばかり顔中に穴をあけだらしない格好をする若者を見るとき、日本は「灯のついていない国」なのではないかと暗澹たる気持ちになり、進んで奉仕活動をする若者や裏表のない態度の少年合唱団員を見るとき、日本も「灯のついている国」なんだという気持ちになります。「形だけで人を判断するな!」と言う声も聞こえてきそうですが、その形を生む心は問題にしなければなりません。日本の若者・少年は二極化しています。世に灯を灯す少年たちに望みを託します。この歌は、深い歌です。そして、この歌をより深く味わうためには、歌詞をプログラムのどこかへ掲載してほしいと願ったものです。
アンコールの「美しく青きドナウ」「さようならみなさま」もオーケストラ伴奏で力強く歌われました。気迫に満ちた桃太郎少年合唱団第40回記念定期演奏会は、文字通り40年の重みを感じさせる充実したコンサートでした。40回というドアを大きく開け放した桃太郎少年合唱団は、さらに前進していくことでしょう。
高槻市少年少女合唱団 第15回定期演奏会 (桃太郎少年合唱団賛助出演) |
視点をもって
平成16年4月29日高槻市少年少女合唱団の定期演奏会のコンサートに桃太郎少年合唱団が賛助出演するということを浦池副団長先生より伺って、行って来ました。視点は桃太郎少年合唱団を視聴する以外に3つありました。@少年少女合唱団における男子の実態 A少年の声と少女の声の違い B 振り付けと衣装の効果
男子1割が相場か
高槻市少年少女合唱団は、小学校1年生から高等学校3年生までの12年の年齢差をもつ合唱団です。どの年齢に焦点をあわせてやるのかによっても演奏はかなり変わってきます。しかし、低いほうに合わせるというようなことはありませんでした。むしろ、小学校低学年にとってはかなり高い水準の曲を一緒にやることによって、引き上げていこうという意欲すら感じました。
しかし、55名中男子は小6と小2の2名だけ。女子団員の元気のよさに隠れてしまうように感じることもしばしばありました。歌が好きで、人間関係がよいから続けられるのでしょうが、さびしい感じもしました。しかし、翻って考えてみれば、男子の比率が5割なんて少年少女合唱団は、かつての西六郷少年少女合唱団ぐらいで、多くて2割、少なければゼロ。男子1割が相場ではないでしょうか。いったんゼロになったら男子が入団する可能性は極めて低くなるのではないでしょうか。
少年だけの「明日の灯」
桃太郎少年合唱団創立40周年記念に一昨年初演された「明日の灯」が再演されました。おそらく会場に来たほとんどの人が始めて耳にする合唱組曲でしょうが、初演とはかなり違って聴こえました。まず人数的に約半分で(40人ほど)、男声部がないというところが大きな違いです。また、伴奏もオーケストラからピアノです。従って、繊細な部分は、その清澄な響きが生かされていましたが、ダイナミックさという点では初演に及ばないところもありました。それは、第4曲の「祈り」と第5曲の「今始まる」の対比のような部分にみられました。しかし、初めて桃太郎少年合唱団の歌声に接した多くの人にとって、日本の少年でもここまで歌えるというのは驚きだったのではないでしょうか。
金属質が少年の声の特質
この日の高槻市少年少女合唱団演奏はOBの女声を加えて演奏された曲も含めその水準はかなり高いものでした。特に第4ステージの「地平線のかなたへ」は、曲想の違いをよく表現し、合唱の醍醐味を味わわせてくれるものでした。しかし、全体的に見ると、母性的というところまで成熟していない少女の歌声は柔らかくあってもときには平べったく聴こえることもあります。
少年の声と少女の声の違いは、むしろ合同演奏によってはっきりしました。少年の声は金属的な響きがあり、歌を力強く芯のあるものにしてくれます。男女の比率がほぼ同じの合唱団はこのような演奏が可能になるということを示してくれた合同演奏でした。
むしろ、冒険的なプログラムを組むならば、「夢の世界を」を、高槻、桃太郎、合同と三通りの演奏で聴かせるなんて面白そうです。そんな意味でも、桃太郎少年合唱団のよさが一番発揮されたのは、合同演奏だったかもしれません。
振り付けと衣装の効果
「ディズニーソング」を中心に、高槻市少年少女合唱団の振り付けは、必然性があり無理や無駄を感じさせないものでした。見ていて楽しむことができます。また、衣装については、女子にとってはよく似合っていると思いましたが、男子にとっては、ひばり児童合唱団の雰囲気で、女子のお相伴をさせられているようにさえ感じました。桃太郎少年合唱団がとてもかっこよく感じられたのは私だけでしょうか。桃太郎少年合唱団の制服は、そのまま街に出てもカッコいい服だと思いますが、高槻市少年少女合唱団の女子の制服はよいのですが、男子の制服はあくまでも舞台衣装だと思いました。
どうしたら、男子獲得ができるか
高槻少年少女合唱団の指導者の国久先生、
「桃太郎少年合唱団をこのまま帰したくない。どうしたら、男子を入団させることができるか。」
って棚田理事長先生にインタビューされてました。棚田先生は、ユーモアで
「団員は子どもをたくさん生んで、その子を入団させてください。」
なんて言っておられましたが、私は、
「コンサートでもっとボーイ・ソプラノに光が当たるようなプログラムを組んだらどうですか。」
と言いたいですね。あの少年のように歌いたい、そういう憧れが男子団員の増加につながるのだと思いますよ。
レーゲンスブルグ大聖堂少年合唱団コンサート − 桃太郎少年合唱団共演 − |
7月25日(日)、岡山シンフォニーホールでレーゲンスブルグ大聖堂少年合唱団のコンサートが4年ぶりに開かれました。前回3声から8声のア・カペラの曲を重厚なハーモニーで聴いた感動がまだ残っていましたので、今回も虚飾のないホンモノの合唱が聴けるものと期待していました。
しかも、桃太郎少年合唱団の指導者のご厚意で、「3時から合同練習がありますので、よかったらどうぞ。」ということで、練習や楽屋まで参観させていただきました。練習は前回も拝見したのですが、楽屋は初めてです。驚いたことは、レーゲンスブルグの楽屋が静かなんです。公演前の1時間、指導者の先生が物語を読み始めると、ジュースを飲んだり、歓迎の折り紙をさわったりしながらも、団員は言葉を発することなく朗読に耳を傾けているのです。指導者の叱る言葉が飛び交うことはありません。今何をすべきときかということが、団員一人一人に浸透しているのです。日本では衰退してしまった教育が、そこにはありました。合唱音楽を支えるものが何であるのかということが一人一人の団員に確実に伝わっているのです。いや、舞台の上はもちろん裏側でも実によく統率がとれていると思いました。
プログラムは、前半が宗教曲とマドリカル、桃太郎少年合唱団との合同演奏をはさんで、後半がロマン派の音楽とドイツ民謡でした。曲目も前回より日本の観客にとって親しみあるものが選ばれているという第一印象を受けました。また、前回同様並び方も前列が変声前26人、後列が変声後14人、左が高音、右が低音という一般的なコーラスの並び方と違って、変声前の清冽な声を、変声後の声が大きく包むという独特の雰囲気でした。
前回は感じなかったことですが、ステージに登場したときの指揮者のビュヒナー先生の表情がすばらしい。強靱な統率力と穏やかな包容力を兼ね備えたようなその表情を見ると、これから紡がれようとしている音楽を予測することができます。前半は、重厚な声の重なりによる本格的な合唱の醍醐味を味わうことができました。初めて聴く曲がほとんどであっても、洗練された声の重なりは、言葉の壁を超えて響いてきます。桃太郎少年合唱団との合同演奏は、約50人の桃太郎少年合唱団の清澄な響きをレーゲンスブルグ大聖堂少年合唱団が重厚なハーモニーで支えるという雰囲気の演奏でした。ビュヒナー先生指揮による「野ばら」「菩提樹」棚田先生指揮の「さくらさくら」と「ふるさと」は、この日初めての合同演奏という感じがしないほど予想以上によく響きあっていました。特に驚いたのは、練習の時、レーゲンスブルグの男声が「ふるさと」を歌うとき、日本語の「つ」と「て」の音が、「とぅ」「とぅぇ」と聞こえていたのが、わずかな練習だけで、本番ではほとんど気にならないほどになったことです。この少年たちはすばらしい耳を持っているということを痛感しました。体格的にも、同年齢の日本の子どもより1〜2歳大きいようです。しかし、早熟という感じはありません。また、近くで見ると日本人とは顔面骨格も違うなあなどと感じました。それなら、よけいに日本の少年にはそれにあった発声法があるのではないかとも感じました。
最後のステージは、比較的耳になじみのあるドヴォルザ−クなどのロマン派の音楽やドイツ民謡。この中では、フンパーディンクのオペラ「ヘンゼルとグレーテル」より、独唱や重唱がよかったです。ここだけはピアノ伴奏付きです。ソリストは、みな確かな基礎に支えられた美しい歌声をもっていて、ボーイ・ソプラノや、ボーイ・アルトの美しさを堪能させてくれました。また、最後の「世界中の踊り」は、世界中の歌のメドレーで、楽しませるという要素も満たしてくれました。前回は堅牢な演奏をする合唱団というイメージもあったのですが、今回はそれだけではない華やいだ側面も見せてくれました。
今回の来日公演の中では、レーゲンスブルグの出番が一番多かったのがこの岡山公演だったそうですが、そのよさを再発見することができました。
全日本少年少女合唱祭全国大会 守口門真大会 桃太郎少年合唱団 出演 |
全日本少年少女合唱祭全国大会 守口門真大会が、ルミエールホールという近くで開催されたので行ってきました。鑑賞したのは桃太郎少年合唱団が出演する3月27日の第4ステージだけでしたが、桃太郎少年合唱団のご厚意で、棚田団長先生、浦池副団長先生と一緒に鑑賞できました。それに、OBのSatoruさんとも、出会うことができました。
日本の児童合唱界の縮図
第4ステージは、12団体が出場しましたが、いろんな意味で日本の児童合唱の縮図を見るような気がしました。人数の面から見ると、次の3点が目に付きました。
@ 20人クラスのところと、50人クラスのところに分かれること。
A 男子の比率は、せいぜい1割が相場で、少年少女合唱団と名乗りながら、全く男子がいないところがかなりあること。たった1人でがんばっている羽曳野少年少女合唱団員には、音楽とは別の感動がありました。
B 予想以上に男子は中学生・高校生まで残っているが、全般に小学校低学年が多く、ボーイ・ソプラノとして一番輝く小学校高学年の少年が少ないこと。
次に、選曲という点から見ると、与えられた時間の中での2〜3曲で、団の持ち味を生かすことができたところと、印象が希薄なところがありました。また、いくつかの団が行っていた振り付けは、視覚的に面白いものと、やや嫌味と境を接するものに分かれました。さらに、制服の衣装は、そのまま街に出てもよいような気品のあるものに好感を持ちました。いかに舞台衣装とはいえ、多数派の女子の衣装に合わせて男子の衣装を定めたようなものは、男子の入団を阻害している要因の一つであると感じました。そういうことを指導者の先生は考えているでしょうか。やはり、制服はかっこいいと思わせるようなものであってほしいものです。これらは、日本の児童合唱界全体の課題でもあります。
強烈なインパクト
この日一番強烈なインパクトを受けたのは、まるで仙人のような容貌の坪口純朗先生に率いられた福井ソアーベ児童合唱団。坪口先生の名前は、かつてHP「児童合唱頁」の山本哲さんとチャットで話し合う中で出てきたので注目していましたが、いやはや聞きしに勝る強靭な統率力でした。アナウンスが「遅刻、早退、欠席自由・・・」などと甘いことばかり紹介するものですから、額面通り受け取った子どももいたりして、「いいなあ〜」なんて思ったかもしれませんが、これは、練習を休む気にならないほどの魅力を持っているからこそ豪語できる言葉でしょう。
演奏されたのは、フリースの「子守唄」と、「サラスポンダ」の2曲。「子守唄」は、オブリガートソロのマイクの音量が大きすぎて、バランス的にどうかなと不安に思いましたが、一度聴いたらいつまでも耳に残るその印象は、2〜3年前に流行した「おさかな天国」を思い出させ、忘れられません。また、「サラスポンダ」の振り付けは、曲想と一致しており、合唱による舞台演出はここまで可能であるという典型を示してくれました。男子もここは約2割ほどおり、小学生はもとより、高校生ぐらいに見える団員までも全員半ズボン姿だったので、最初は「そこまでやるか。」とも思いましたが、歌が始まると、歌と舞台に打ち込む団員の「本気」を感じてそういうことが気にならなくなりました。
静と動のコントラスト
桃太郎少年合唱団は、棚田団長先生の指揮による合唱組曲「あしたの灯」より「祈り」と「地球の歌」の2曲。静と動のコントラストがくっきりと描かれた演奏でした。「祈り」は、ほの暗い中に小さな灯が灯る繊細さが際立っていました。また、「地球の歌」のうきうきするような躍動感は、これと対峙していました。しかし、「祈り」は、終曲の「今始まる」とつながってこそ、さらに生きるのではないでしょうか。この曲の初演を聴いたとき、「祈り」と「今始まる」は、シベリウスの交響曲第2番の第3楽章と第4楽章の曲想に近いという印象をもちましたが、この有機的なつながりこそがこの曲の命であることを再確認しました。しかし、これは時間の制約の問題です。できれば、全曲が聴けなくても「地球の歌」「祈り」「今始まる」の順で3曲を聴きたいと思います。
会場で桃太郎少年合唱団の歌声に接した人は、少年の声は、磨けばここまでなるのかということに驚かれたでしょうし、柔らかでも平べったく聞こえる少女の声との違いを痛感されたことでしょう。桃太郎少年合唱団に変な振り付けや小細工は必要ありません。歌そのものを正面から聴かせてほしいと思います。しかし、長丁場の定期演奏会などでは、ステージによって上着を着脱するだけでなく、団員の立つ位置を変えるなどの工夫をすべきだと感じます。いつも同じ位置に同じ少年がいるというのは、見る立場からすると単調に感じます。合唱音楽といえども舞台芸術ですから、視覚的な要因は大切です。
そのような課題を感じながらも、各合唱団が井の中の蛙にならないためにも、全日本少年少女合唱祭全国大会を開催することは、価値あると思いました。
桃太郎少年合唱団第44回定期演奏会 平成18(2006)年12月10日 岡山シンフォニーホール |
桃太郎少年合唱団の「あしたの灯」
4年ぶりで聴く桃太郎少年合唱団の定期演奏会。この4年間は、桃太郎少年合唱団にとっては苦難の年月であったことは、棚田団長先生から頂くお便りからわかっていました。
「今年は、新入団員が過去最低の5人でした。・・・」
日本の少年合唱団が全国的にピンチであることがはっきりしてきた7〜8年前でも、毎年2けたの入団者があり、70人前後の人数を誇っていた桃太郎少年合唱団でした。しかし、この数年間、定期演奏会のCDから流れてくる歌声の響きはあまり変わらなくても、定期演奏会のビデオ画面に映る団員数は次第に少なくなって、長ズボンの少年(中学生以上の団員)の比率が次第に高くなっていることはわかっていました。この日のコンサートが、桃太郎少年合唱団の「あしたの灯」になることを願って会場に向かいました。会場には前日から来られていた道楽さんや、先日ピアノリサイタルを開かれたマルシェさんも。
磨き上げられてこそ
第1ステージが開幕したとき、長ズボン少年の比率は高いながらも、今年度は幼稚園児を含む14名の新入団員生を加え、50人を超える人数になっていることがわかりました。しかし、ボーイ・ソプラノが最高に輝く小学校高学年の比率が低いことが気になります。指揮は、この日初めて拝見する高野敦先生。子どもの前に立つだけであたたかい雰囲気を醸し出す先生ですが、2曲目の「夢の世界を」を聴いて何かこれまでとは違うぞと思わずにはいられませんでした。それは、後半の「さ〜ぁ、出かけよう」になるときの輝きに満ちた陶酔的なハーモニーが聴かれなかったことです。この響きは、時間をかけて磨き上げなければ出ない響きなんだと改めて感じました。そのような意味で橋本祥路の歌の数々は、やや薄味な印象を受けました。14人の新入団員を紹介するコーナーもありましたが、せっかく紹介したのなら、たとえ、まだ未熟であっても、14人だけで歌わせるようなこともあってもよいのではないかと思いました。
第1ステージ後半のクリスマスソングは、ポピュラーな歌を集めた新しい試みでした。必ず宗教曲でワンステージ設ける桃太郎少年合唱団ですが、かえって親しみ深い宗教曲を聴くことはこれまでありませんでした。舞台の照明を落として団員たちが両手で捧げるろうそくのような光るスティックに観客の視線を集中させるという演出はよかったのですが、幼い団員にはそれが光るおもちゃのようになっていました。歌そのものは決して悪くなかったのですが、暗い舞台を見た観客席からはそちらの方が気になってしまいました。これは、音楽的な指導よりも態度面での指導の問題になるでしょう。
モーツァルトの種々相
第2ステージは、棚田団長先生が指揮で今年が生誕250年になるモーツァルトの特集です。いろいろな少年合唱団が採り上げてきましたが、桃太郎少年合唱団の特色はピアノ連弾や独奏を採り入れたことでしょうか。どの曲も過不足なく演奏されていましたが、「春への憧れ」などは、独唱させてもよいのではないかと思いました。かつて、定期演奏会で「アレルヤ」の独唱まで採り入れたことのある桃太郎少年合唱団ですから、きっと可能だと思います。
現代的ミサ曲
第3ステージは、大塚博先生指揮による宗教曲。この日はオーバンの「ミサ曲第6番」アルペジオを多用したキリエなど、斬新なミサ曲でしたが、おそらく全曲ではなく抜粋した4曲だけのため、このミサ曲の全貌はわかりません。しかし、歌われた4曲の曲想の違いははっきりと描き出されていました。
「あしたの灯」と重ねて
第4ステージは、最近定番化してきたOBとの合同演奏。この日は「アヴェヴェルム・コルブス」と「ハレルヤコーラス」。このステージは人数の多さもありますが、このコンサートの中で一番充実した演奏でした。声の重なりが重厚な響きを創り上げており、このコンサートが各ステージを経ることによって次第に高まっていくことを感じました。
「あしたの灯」は、4年前に初演された桃太郎少年合唱団に捧げられた合唱曲ですが、私は、この定期演奏会の各ステージの高まりと重ね合わせて聴くことができました。あえて、課題を多く書きましたが、課題は克服されるためにあると思っています。14人の新入団員の歌声が磨かれた2年後、どのような演奏を聴くことができるのかという新たな楽しみも生まれてきました。
桃太郎少年合唱団第46回定期演奏会 平成20(2008)年11月30日 岡山シンフォニーホール |
ピンチをチャンスに
11月30日12時半過ぎに会場に着くとまだ行列はできていなかったようで、受付でチケットを購入しようとして、財布を開けたら、受付の保護者の方が、私の顔を覚えておられて(たぶん、昨年2月の第6回全国少年合唱大会のでお目にかかったのでしょう。)
「入場料なんかいただけません。」
ということで、棚田先生が急病であることも知らせてくださいました。
ショックでした。とっさに思いついた理事長の高山先生のお名前を言うと、リハーサルの会場に案内されて、高山先生にお目にかかれましたので、ご挨拶だけはしました。
「それじゃ、今日の指揮は高野先生ですか?」
「高野は、松山で学会発表の後、岡山に駆けつけてくれました。」
もうこうなったら、「ピンチをチャンスに!」と願わずにはいられませんでした。そのまま、会場に居座って、定期演奏会を視聴しました。
ピンチヒッターは4番バッター
今回もピンチヒッターとして、第1ステージと第2ステージを指揮された高野敦先生はすばらしかったです。持ち味のあたたかい雰囲気で、「統率」というより「包容」するステージを繰り広げました。浦池和彦先生が輝きに満ちた金属的な響きで陶酔させてきた「夢の世界を」を、「さあ、一緒に歩こうよ。」という共感性の強い曲に仕上げていました。マシュマロ的なその包容力は、「希望の岡山」のようなドラマティックな曲よりも、「少年の日は今」のような共感的な曲で特に生きていました。とりわけ、副題(〜地球大好き〜)になっている第2ステージの2曲からは、桃太郎少年合唱団から、歌のメッセージ性を見事に引き出していました。それは、これまで桃太郎少年合唱団からはあまり感じ取ることができないものでした。ハーモニーの美しさだけでない「歌」そのものを味わうことができました。
しかし、注文もあります。「ふるさと」のソロは、真性のボーイ・ソプラノを起用してほしかったです。また、「流浪の民」では、ソリスト一人ひとりにもっと力量をつける必要を感じました。
宗教曲の種々相
第3ステージは、大塚博先生指揮による宗教曲。この日は、グレゴリオ聖歌からラターまでの7曲を、時代を縦軸に曲の多様性を横軸に演奏していました。あえて、同じ曲を違う作曲家でという意図もあったと思えます。時代と共に宗教曲においても重厚さから明快さが好まれるようになったのかと思いながら聴いていました。
こういうステージを見たかった
第4ステージは、上級生有志によるア・カペラアンサンブルでしたが、これは、二つの意味で桃太郎少年合唱団の歴史を変えるものでした。一つは、こういうステージを指導者が認めたという点で、そこからは、指導者の先生方が後生の少年たちに託す想いを感じました。もう一つは、団員の立ち位置によって響きは変わるということを証明したことで、これは、どのステージも同じ位置に同じ団員が立っているという平板さを打ち破ったものです。これは、確実に桃太郎少年合唱団の「あしたの灯」になります。
第5ステージのOBが現役を支えるという構図は、中国地方の3団体に共通してきました。これは、団員の減少という危機から生まれたことでもありますが、混声によって歌に厚みをつくるだけでなく、少年合唱団が生涯学習の一端を担っているというふうに捉えることもできます。棚田先生の全快をお祈りすると共に、桃太郎少年合唱団の新志向が大きく花開くことを願わずにはいられません。
桃太郎少年合唱団第47回定期演奏会 平成21年11月22日 岡山シンフォニーホール |
進化する桃太郎少年合唱団
10年ぐらい前、桃太郎少年合唱団の定期演奏会を3回連続聞くと、4回目はほぼ予想できました。それは、ウィーン少年合唱団やレーゲンスブルグ聖歌隊をめざした桃太郎少年合唱団の歌声の清澄な響きの安定感のある演奏が聴けると同時に、どの歌も同じ色調に聞こえることによって新味を欠くことにもなっていました。ところが、昨年度から変わってきたところがあります。それは、指導陣に高野先生を迎えることによって曲想にあった歌声が生まれ、上級生有志のア・カペラ演奏を採り入れることによって、曲によって団員の立ち位置にも変化が見られ、それが演奏に変化をもたらせました。今回の定期演奏会でさらにそれが進化し、「桃太郎少年合唱団は変わった!」ということを印象付けました。
不易と流行のバランスこそ
第1ステージは、お元気になられた棚田団長先生の指揮で、不易の桃太郎トーンを味わうことができました。これは、これで素晴しいのです。橋本祥路の繊細で情感あふれる曲は、こういう声で歌われてこそ大きな感動に至るのです。ところが、マイ・バラードのような若者のはつらつとしたむしろ混声で歌われることの多い歌ではもっと力強さがほしいと思ったりします。
高野先生が指揮したNHK全国学校音楽コンクール課題曲集と題された第2ステージこそ、画期的なものになりました。昭和30年の「花のまわりで」から、平成16年の「未来を旅するハーモニー」まで約半世紀にわたる課題曲を、その歌が生まれた時代背景の解説を入れながら歌っていったのです。ウィーン少年合唱団の初来日によってにわかに児童合唱における頭声発声の大切さが提唱された頃から、ロックなどのポップスが採り入れられたために、頭声発声だけでは対応できなくなってきた昭和50年代を経て今日に至るまでの代表曲8曲が採り上げられました。高野先生は、その歌にふさわしい発声と曲作りでこれらの歌たちを紡いでいきました。「おさんぽ ぽい ぽい」などは、これまでの桃太郎トーンでは最も表現しにくい曲です。アルトの「おさんぽ ぽい ぽい」の歌声に驚きを感じたのは私だけだったでしょうか。ところで、これまでの桃太郎少年合唱団のトーンが一番活きる課題曲を挙げるなら、昭和24年の「なかよし円舞曲」だと思います。こういう曲も大事にしつつ新しい風を吹き込むことが大事だと思いました。
第3ステージの「宗教曲」こそ少年合唱の奥座敷とも言えるのですが、キリスト教国でない日本ではなじみが薄いのはしかたありません。しかし、桃太郎少年合唱団が毎年必ずこの分野に挑んでいることは、合唱団の水準を高める上でも大切なことだと思います。この日は、メンデルスゾーン生誕200年の選曲でしたが、ラターの曲との対比が面白かったです。大塚先生の指揮は、いつも曲全体を大きくとらえるという印象があります。第4ステージは、上級生有志によるア・カペラアンサンブルでしたが、これは、リーダーが育っていることを実感させるものでした。ただ、このステージはよくても、全体的に小学生の比率が低くなってきたことが、本来のボーイ・ソプラノによる合唱ではなくファルセットを主体にした歌唱になることに一抹の寂しさを感じました。「ふるさと」の独唱は、青竹のようなボーイ・ソプラノの響きで聞きたいと思いました。棚田団長先生が最後に「高齢合唱団」という表現を使って挨拶されましたが、この問題の解決には、小学生の入団しかないと思います。
課題は大きいが
日本の少年合唱団の危機は、音楽的水準の問題よりも、人数の面ではっきりと現れてきました。10年ぐらい前、70人台を誇った桃太郎少年合唱団も40人台半ばになってしまいました。テレビをはじめマスコミが、日本の少年合唱を採り上げることはほとんだありません。そのような中で、つい先日栃木少年合唱団が解団に追い込まれました。日本の少年合唱に目を向けさせる有効な手段はないかと考えながら帰途につきました。
桃太郎少年合唱団第48回定期演奏会 平成22(2010)年11月21日 岡山シンフォニーホール |
ホップ・ステップ・ジャンプ
桃太郎少年合唱団の定期演奏会を3年間見ていない人は、今回の定期演奏会に接してその変化の激しさに驚いたことでしょう。その間、上級生有志のア・カペラ演奏をよい取り組みととしてステージに採り入れたことを「ホップ」、高野先生を指導陣に迎えることによって曲想にあった歌声で演奏できるようになったことを「ステップ」、桃太郎の歴史上初めて動きのあるミュージカルに挑戦したことを「ジャンプ」と呼んでもよいでしょう。時代は確実に動いてきています。NHKの「みんなの歌」が始まった半世紀前には、テレビを通して子どもたちの間に少年合唱にあこがれる土壌が育ちつつありました。しかし、娯楽の多様化、J−POPの氾濫といった現在の日本の社会的風潮の中で、音楽のジャンルにおいても少年合唱を志向する少年は例外的少数派となってしまいました。その少年たちに少年合唱の魅力を伝えなければならない!桃太郎少年合唱団が今、困難の中で取り組んでいることはそういうことではないでしょうか。
桃太郎トーンだけではない歌声
第1ステージは、今年も棚田団長先生の指揮で、不易の桃太郎トーンを味わうことができました。桃太郎トーンで「夢の世界を」を聴くとホッとするというのも確かです。しかし、11年前に初めて桃太郎少年合唱団に接したときと違うのは、ホンモノのボーイ・ソプラノの比率。80%台から50%台に低下しているのではないでしょうか。ファルセットの上級生は、肺活量が大きい分だけ、フォルテの部分で繊細なボーイ・ソプラノの響きを消してしまうことがあります。「希望の岡山」や「備前太鼓歌」では、そういうことを感じました。
高野先生が指揮した第2ステージは、現代音楽を聴き手に自然に伝えることができるかどうかという意味でかなり実験的な要素をもった選曲でした。2人のリコーダー奏者が大小5本のリコーダーを持ち替えて伴奏しましたが、これが底流としての春の息吹を感じさせる優雅なものでした。しかも、少年たちの声が、必ずしもおなじみの桃太郎トーンではなく、全体的にもっと軽い感じの声質になっているのに驚きました。音符として表されていないであろう音など、どこかで何かがはじけるような響き。全体として早春を表現していました。合唱ファンはきっとこの歌たちを受け容れてくれるでしょうが、この曲が広く全国の少年少女に歌われるようになるとは考えにくいというのも率直な感想です。
新たな可能性への挑戦
第3ステージのミュージカルこそ、今回の目玉。海外で学んだOBの四宮貴久さんがコーチとしていたからこそ、誕生したステージですが、音楽劇とはまた違い、舞台狭しと動き回る桃太郎少年合唱団のステージを誰が想像したでしょうか。歌声も当然のことながら桃太郎トーンではありません。しかし、いろいろな可能性に挑んでいくというのが今の桃太郎少年合唱団です。まだ、洗練された動きにはなっていませんし、すぐには少年のソリストを生み出すところまではいかないでしょうが、将来的に「サウンド・オブ・ミュージック」や「オリバー!」のハイライトなどやってみてもよいのではないでしょうか。ただ、上級生の団員数人が楽譜を持ってステージに立っていましたが、これは合唱曲なら許されることでしょうが、ミュージカルの場合、まだ練習中という感じを受けていかがなものでしょうか。しかし、四宮貴久さんの姿を見て、少年時代にきちんと合唱を学んだことが、違うジャンルの音楽でも生かされるということが、証明されたように思います。
宗教曲のステージが二つ続くと
第4ステージは、上級生有志によるア・カペラアンサンブルでした。最初にこのグループを立ち上げたときのリーダーの音森一輝さんが指揮者として指導陣に入ることで、充実した演奏を聞かせてくれました。また、大塚先生の指揮による第5ステージの宗教曲は、いつもながらスケールの大きい演奏が楽しめました。ブリテンの「ミサ・プレヴィス」は、緩急のバランスが絶妙でした。続くラターの曲は、あたたかみのある演奏でした。ただ、外国語の宗教曲のステージが二つ10曲も続くとついていきにくい観客もいたようです。衣装の着替えとの関係もあったとは思いますが、ステージの順序を工夫する必要もありそうです。
今回は、桃太郎少年合唱団のいろいろな要素が各所に芽生え始めたという感を受けました。この中で大樹に育っていくのはどれでしょうか。
桃太郎少年合唱団第50回記念定期演奏会 平成24年11月23日(祝・金) 岡山シンフォニーホール |
10年の間に
桃太郎少年合唱団にとって記念すべき第50回定期演奏会を迎え、私の脳裏に10年前の第40回定期演奏会が蘇ってきました。10年の時間は、桃太郎少年合唱団に大きな変化を与えました。それは、合唱団をめぐる厳しい現状の中で光を求めて模索する姿でした。団員数で見ると、74名(中学生以上12名)からからちょうど半数の37名(中学生以上22名)となっていました。小学生の団員の比率が低くなっていることは、その歌声にも量的・質的に違いがあります。また、この10年の中では、指導の中心として活躍されていた浦池和彦先生がご逝去されました。しかし、ピンチヒッターとして参加された高野敦先生が指導の中心になって、従来の「桃太郎トーン」だけでなく、全体としてはソフトで、演奏する曲の曲想にあった歌声で歌うという理念が次第に浸透してきました。また、上級生団員によるア・カペラアンサンブルの導入は、縦社会の合唱界としては団員の主体性を活かした新たな取り組みとして特筆されます。
ソリストと50年の歩み
第1ステージ前半は、現役団員によるこの50年間の代表曲でした。「団歌」に始まって、いわゆる「愛唱歌」として歌い続けられてきた歌の数々は、これまでにも何度か耳にするものがありました。「希望の岡山」と「広い世界へ」「今、始まる」は、10年前にも耳にしています。しかし、そこでは、団員数と指揮者の理念の違いを聞くことができました。ピーンと張った声の輝きの代わりに、包み込むような歌声になっているのです。これは、変声期を迎え、ファルセットで歌う上級生が多いことともつながっています。
第1ステージ後半は、現在器楽・声楽・邦楽等の音楽界で活躍されている桃太郎少年合唱団のOBを迎えて、少年合唱団と共演するというステージでした。一部は、独唱・独奏もありましたが、OBとともに50回の記念ステージを盛り上げようという意図は伝わってきました。
ホルン奏者・宮武良平とともに歌う「美しく青きドナウ」は、前奏を中心に歌声をリードし、曲想の変化を掴んだ演奏をしていました。尺八奏者・田辺頌山と「そうらん節・追分」では、尺八のもつ柔らかで力強い音色と、それに導かれるような力強さを感じる「そうらん節・追分」になっていました。続くテノール歌手・柾木和敬の「フニクリ・フニクラ」、「サンタ・ルチア」は、青く澄み切ったナポリの空の色ではなく、やや暗い情熱を感じさせる歌声でした。サクソフォン奏者・西本淳氏と「里の秋」、「カノン」は、楽器の金属性をあまり感じさせない人間の声に近いものを感じました。テノール歌手・大滝賢一郎の「だれも寝てはならぬ」は、マイクを使って歌うので、ポップス系の味付けになっていましたが、団員のバックコーラスとうまくマッチしていました。最後に出場したバリトン歌手・四宮貴久との「スキンブルシャンクス・鉄道猫」は、ミュージカル「CATS」のナンバーを舞台中を駆け回って見て楽しくなってくる熱演でした。共演する少年達もその雰囲気に乗せられて合唱では無表情な団員さえ楽しそうに歌っていました。
上級生団員によるア・カペラ アンサンブル
数年前から始まった上級生団員によるア・カペラ
アンサンブルは、これまでは宗教曲が中心でした。そのため、前後のステージが宗教曲である場合、耳慣れない宗教曲のオンパレードになることもありました。今回は、「故郷」 「おんがく」 「前へ」という選曲でした。アンサンブルの妙を聴かせるという意図は成功していたと思います。ファルセットをもとにしたソフトな音色で第1ステージの歌声と共通したものを感じました。ただ、毎回のように採り上げられる「ふるさと」のソロは、純正のボーイ・ソプラノであってほしいと思っています。
ラターとモーツァルト
大塚先生の指揮によるラターの「DANCING DAY」は、10年前にも演奏されました。前半では華やかさを抑え、次第に抑えきれない喜びが溢れ出し、終曲の「明日は私の喜び踊る日」では、踊りたくなるような躍動感に満ちた演奏になり大きな盛り上がりを見せたことは忘れられません。この日は第1曲と最終曲だけでしたが、大塚先生の指揮は、ダイジェストとしてのこの曲の魅力を伝えていました。むしろ今回は、OB、女性ソプラノ歌手、バイオリンやチェロなどの楽器(岡山ジュニアオーケストラ団員)も加わり、華やかな感じがしました。それが、モーツァルトの「Laudate Dominum」では、重厚な演奏になっていました。
OB、公募メンバーとの合同演奏
「ゆめの形」 「ゆめの行方」は、本邦初演。プログラムに歌詞が書かれていたことがよかったと思います。合唱曲は、声の重なりのため、歌詞が聞き取れないことがあるからです。この歌は、2曲で1曲。ほとんどの場面で主旋律を与えられた少年たちは、歌うことでゆめを探し続け、少年の時を過ぎてしまった男声たちは、説教臭くなく後輩の少年たちに夢を探し続けることの大切さを伝えるという構造になっていました。
半世紀にわたって桃太郎少年合唱団を指導してこられた棚田国雄先生が舞台に立たれると、その風貌・姿勢から舞台が引き締まります。「ハレルヤ」と「さようなら、みなさま」は、棚田先生に何を贈ることができるかをステージに立っていた一人ひとりが考えていたことが伝わってきました。足を痛めてそれまで椅子に座って歌っていた団員は、椅子を立ちました。それが今の自分にできるせめてもの行い。演奏終了後は、舞台の上と下の両方から大きな拍手が起こりました。それは、困難な中で桃太郎少年合唱団だけでなく、日本の少年(児童)合唱全体の発展を考えてこられた棚田先生に対するお礼の拍手であったと思います。
第33回 全日本少年少女合唱祭 西宮大会 3月28日(金)〜29日(土) アミティーホール |
第4ステージ 29日
13:30〜15:40 桃太郎少年合唱団
マシュマロサウンドに変わった桃太郎少年合唱団
桃太郎少年合唱団の歌声をヨーロッパ的な金属的な響きの少年合唱団と固定的に考えていた人にとっては、この日の演奏はかなり違う歌声に変わったことに驚かれたのではないでしょうか。高野敦先生が指導陣に加わってから、曲想に応じた歌声ということが一つのコンセプトになったように思います。この日歌われた一見何のつながりもないように思われるこの3曲の作詞あるいは作曲をされた岩谷時子さん、やなせたかしさん、三善晃さんは、昨年(平成25年)逝去されました。この日の演奏は、この3人の方を偲んで選曲されました。「空がこんなに青いとは」は、うれしい驚きが、あこがれに満ちた声で歌われました。「夕焼けに拍手」では、もっとさわやかで活力のある声で拍手と共に歌われました。「雪の窓辺で」は、流麗な伴奏に乗ってふんわりとした歌声で、雪を散る花びらになぞらえたような雰囲気を醸し出していました。雪国に住む人にとっての雪には、厳しさという側面もあるでしょうが、この歌で歌われる雪はひたすら、ふんわりとしているのです。このようなソフトなマシュマロサウンドこそが、桃太郎少年合唱団の新しさです。ただ、21人という人数は、70人台を維持していたころを知っているだけに、ふと、この歌がそれぐらいの人数で歌われたらどうなるだろうという想いがよぎりました。
桃太郎少年合唱団第52回定期演奏会 平成26年12月23日(祝・火) 岡山シンフォニーホール |
桃太郎少年合唱団は、今、模索をしている。
「桃太郎少年合唱団は、今、模索をしている。」というのが、今回の定期演奏会の第一印象です。昨年度は、インターネットでの定期演奏会鑑賞となりましたが、上月明団長先生が就任してから2年目。どのような新味を出しているかを中心に鑑賞しました。
第1ステージは、いつも通り団歌でスタートしましたが、これまで歌われていたのは1番と3番だけで2番があることを知ったのは初めてでした。続く、「赤いやねの家」は、美しいふんわりとした声で懐かしそうに歌われていました。確かに、この歌にはこの歌声が似つかわしかったのですが、続く「夕日が背中を押してくる」「地球の歌」となっても、このふんわりとした歌声のままで、ついに張りのある「桃太郎トーン」は聞かれず、最終曲の「冬のメドレー」へと突入しました。そうなると、ピアノ伴奏の「白い恋人たち」や「白銀は招くよ」の方が浮き上がって、歌の方が沈んでしまうという現象が起きました。これは、そのような歌声にもよるのですが、ピアノの位置とも関係します。団員数が20人台となったら、むしろもっと団員の子どもたちを前面に出して、ピアノはその横で伴奏に徹するべきではないでしょうか。団員の歌う表情がよく見える前から5列目の座席から舞台を見ると、低学年の団員の姿がど真ん中に置かれたピアノの陰に入ってほとんど見えないため、よけいにそのような印象を受けました。また、「僕らの愛唱歌」ならば、楽譜を見ながら歌うのはいかがなものでしょうか。
おいしいところをぶつけてきた倉敷少年少女合唱団
一方、第2ステージに登場した倉敷少年少女合唱団は、「Cantante Domino Psalmus95」で発声の統一感や透明度の高い響きを聴かせました。続く、岡友一のカウンターテナー独唱による「ヴォカリーズ」は、ファルセットを高めた弱々しさを全く感じさせず、そのボリュームに圧倒されました。さらに、ミュージカル「キャッツ」では、パフォーマンスと歌を融合させた総合芸術を見せてくれました。最後の「銀河鉄道999」は、リズミカルに締めくくって与えられた1つのステージに団のもっているおいしいところをてんこ盛りにしてぶつけてきたという印象を受けました。おそらく、全体をそろえるだけでなく、一人ひとりの歌唱力を相当鍛えているものと感じました。
定着してきたア・カペラアンサンブル
ラターの「DANCING DAY」も、桃太郎少年合唱団の持ち歌となってきました。この日は3曲だけでしたが、急な指揮者交代ということもあってか、終曲の「明日は私の喜び踊る日」では、踊りたくなるような躍動感がやや欠ける演奏となりました。続く、上級生団員によるア・カペラアンサンブルは、かなり定着し、定番化してきました。「牧人ひつじを」「Gaudete! 」フランツ・ビーブルの 「アヴェ・マリア 」は、独唱も含め、静的できれいな仕上がりになっていました。ア・カペラアンサンブルは、宗教曲が原点であることは間違いありませんが、今後は、他の分野の声楽曲にも挑むことが課題となるでしょう。
「北越戯譜」から考える少年合唱団だからこそできるステージ
桃太郎少年合唱団のステージに動きがほしいという願いは、第37回から3回連続定期演奏会を鑑賞した時から抱いていた想いです。しかし、それは、必ずしも、ミュージカルに挑んでほしいということやジャニーズ化してほしいということではありませんでした。合唱の中にソロやソリを入れたり、手の動きを入れるだけでもかなり違ったものになるのではないかという想いでした。高野敦先生は、就任以来意欲的にいくつかの実験的なステージにも取り組んで来られました。
さて、今回取り組んだシアターピース「北越戯譜」となると、わらべ歌が通奏低音のように流れる中で、まりつき,お手玉,羽根つきなどの昔遊びを採り入れ、そちらの音が浮かび上がってくるというものでした。生まれて以来このような遊びをしたことがほとんどないであろう団員にとって、これは、歌の練習よりもたいへんであったことと推察できます。しかも、パフォーマンスと歌が融合して見栄え・聴き映えのするものになっていたかと言えば、必ずしもそうなっていなかったように思います。例えば、広島少年合唱隊の海外演奏旅行のステージで、姉妹のいる隊員が女物の浴衣を借りて女装して歌いながらまりつきするのは、たとえそれが下手であっても、まりが舞台をコロコロと転がっても、かえってそれが喜劇的で面白いのです。ところが、桃太郎少年合唱団の「北越戯譜」におけるまりつき,お手玉,羽根つきなどは、団員がたいへん真剣に取り組んでいるだけに、羽根やお手玉を落としたり、まりをつき損ねたら、心から楽しめなくなるのです。
私は、少年合唱団だからこそできるステージがほしいのです。例えば、「赤いやねの家」「小さな木の実」「遥かな友に」「海のマーチ」「わんぱくマーチ」「ストドラ・パンパ」「北風小僧の寒太郎」といわゆる少年が主人公の歌ばかりを並べて1ステージやってみたらどうでしょう。そこには少年らしい清冽さと元気さが共存するでしょう。というようなことを考えながら帰途に就きました。
桃太郎少年合唱団第56回定期演奏会 平成30(2018)年11月23日(祝・金)岡山市立市民文化ホール |
棚田先生との再会
4年ぶりに行く桃太郎少年合唱団の定期演奏会。市電に乗って会場の岡山市民文化ホールに着くと、偶然、開場前に会場入り口付近の待合場所で今年米寿を迎えられる棚田名誉団長先生とお話する機会がありました。半世紀にわたってご指導された桃太郎少年合唱団だけでなく、常に日本の少年合唱全体のことを考えておられる棚田先生が元気をなくされるような話はしたくなかったのですが、ボーイズ・エコー・宝塚の休団等全体的傾向として、日本の少年合唱団は首都圏を除いて人数的に厳しいことや、観客も高齢化していることをお話しました。その中で、朗報は、愛知県に常滑少年合唱団や名古屋少年合唱団(日進市)が誕生したことです。棚田先生より「桃太郎少年合唱団と共に50年」という40ページほどの小冊子もいただきましたので、後日、書籍のコーナーで紹介します。
コンサート全体の雰囲気を醸し出す「子守歌」
指導者が変われば、その理念によって合唱団の歌声だけでなくステージが変わるということは、音楽監督を迎えた京都市少年合唱団やフレーベル少年合唱団だけでなく、TOKYO FM 少年合唱団でも感じたことですが、ただ、この3つの合唱団は人数的にはあまり大きな変化がありません。京都市少年合唱団やTOKYO FM 少年合唱団では、歌声にボリュームが増し、フレーベル少年合唱団では、変声したら卒団するのではなく、混声合唱を含む多様な歌に挑もうとする理念がはっきりとしてきました。ところが、桃太郎少年合唱団は、第50回定期演奏会を機に、指導者が交代した頃から、人数も次第に減少していきました。私が初めて接したウィーン少年合唱団と合同合宿をした約20年前頃の桃太郎少年合唱団は、人数的にも70人を超えており、歌は曲によってはやや一本調子のところはあっても、歌声の魅力はあり、歌の山場では、少年合唱の魅力の一つである金属的な響きが輝いていました。それが桃太郎少年合唱団の歌声のたまらない魅力でした。ところが、今年度は、人数的に4年前よりもさらに減少して22人となっていましたが、全体的によく言えばソフトでおだやかな歌声、厳しく言えば金属的な響きがない合唱になっていました。それは、指導者の歌声に対する理念もあるでしょうが、選曲にもよります。第1ステージの「歌い継ぎたい子守歌・わらべうた」は、上月団長の指揮で歌われました。子守歌・わらべうたを歌い継ぎたいという理念はたいへんよく理解できます。放っておけば、子どもはマスコミに登場するJ−POPのような音楽にしか興味をもたなくなります。ところが、「竹田の子守歌」「五木の子守唄」「ほたるこい」「烏かねもん勘三郎」「中国地方の子守歌」「島原の子守唄」と6曲続き、真ん中の2曲が合唱らしい編曲の妙を表現してくれたらよかったのですが、全体的におだやかな子守歌の要素の強いステージに聞こえました。こういう曲を最初に持ってくると、ステージ全体に勢いが出てこなくなるのではないかと思います。それは、指揮者が高野先生に変わった第Uステージのこどものための合唱曲集「あいうえ・お一い」よりの4曲の中で一番元気の出るはずの「なつまつり」にも影響を与えていました。第Vステージの「リフレイン」は、最終曲だけがよく演奏されますが、全曲通して演奏され、第4曲の「素晴らしき人生」についてに中学生の少女の朗読を入れたあたりから盛り上がってきて、全体としては聴き応えのあるよいステージになっていました。第Wステージのア・カペラ アンサンブルは、これまでのように宗教曲だけでなく、日本の合唱曲「さびしいカシの木」やヴィヴァルディの「四季」より「春」をもとにしたものを入れているところに、創意工夫の跡が感じられました。それは、OBも交えた世界と日本の「アヴァ・マリア」へと続いていきました。音楽史的には少年合唱が宗教音楽を起源にしているとはいえ、宗教曲ばかり10曲も続くと、そのような曲に素養のない人は、退屈してしまうからです。音楽の素養のない多くの少年・少女を少年合唱に引き込んでいったのは、まさに半世紀前の「みんなのうた」や「歌のメリーゴランド」「歌はともだち」で歌われた曲であったのです。
少年合唱団の主役はボーイ・ソプラノ
今回のステージで気になったのは、ほとんどすべてのステージで、2〜3人を除いて楽譜を見ながら歌っていたことです。そのため、どうしても視線が下がり、声があまり前に出ていませんでした。また、選曲もやたらと合唱組曲や宗教曲等の難曲に挑まなくてもいいから、暗譜で歌うのがリサイタルや定期演奏会の基本ではないでしょうか。(なお、あまり練習に参加できないOBなら、楽譜を持って歌ってもよいと思います。)桃太郎少年合唱団のステージで歌われた歌が、「ひろい世界に」のように日本中の学校でも歌われることを願ってやみません。さらに、団員の約半数を占める変声後のファルセットを前面に出すために、ボーイ・ソプラノ本来の魅力が前面に出ていませんでした。少年合唱団においては、ボーイ・ソプラノが主役で、変声後はファルセットであっても男声であっても脇役に徹するべきです。桃太郎少年合唱団には、日本の他の少年合唱団にはないア・カペラ アンサンブルがあり、そこでは、常に変声後のファルセットがリーダーになって、そこで主役の座が与えられています。そういう意味では、先ずソリストを変声前の団員から選び育てていくなど、昭和37年の合唱団創設の理念に立ち返り、ボーイ・ソプラノの魅力を生かした少年合唱団になってほしいと願っています。
桃太郎少年合唱団第58回定期演奏会 令和2(2020)年11月21日(土) ルネスホール (YouTube映像視聴) |
少年合唱の原点に戻って
コロナ禍の中での定期演奏会実施は、大きな決断であったと思います。演奏者からも、観客からも感染者を出してはいけないという強い意志が、服装としては、団員も指導者も顔の下半分を覆う覆面のような青いマスクにつながったのでしょう。痛々しい感じもしましたが、このような対応が、定期演奏会を開く上で可能なことと考えれば、むしろ、人形浄瑠璃の黒子を見ないで、人形の動きに集中して楽しむのと同じ考えで、歌そのものに集中してこの定期演奏会の録画を楽しみました。そうすれば、新たな発見もできます。団員数も14人と厳しい状況は続きますが、そのうち小学生が11人(半ズボン制服から推定)ということで、中学生にも変声前の団員がいる可能性があることを考えると、歌声だけを集中して聞くと、団員の年齢幅が狭くて、ホンモノのボーイ・ソプラノの比率が高く、高校生の強いファルセットに押され気味だった一時期の頃と比べても、少年合唱らしい澄んだ響きを楽しむことができました。
今、メッセージソングが求められている
第1部は、上月明団長の指揮で、おなじみの「愛唱歌」で始まりましたが、「里の秋」「紅葉」「野菊」「村祭」「虫の声」「七つの子」「小さい秋見つけた」「赤とんぼ」と続く童謡・唱歌を「誰もいない海」のような秋の曲をアレンジしたピアノ伴奏でつないで「秋のメドレー」として、正統派の少年合唱を聞かせてくれました。桃太郎少年合唱団も創立したときは、小学生だけの純然たる少年合唱団であり、このような童謡・唱歌がレパートリーの一つだったことを思うと、創立時の原点に復帰したような感じがしました。少年少女/女声のための合唱組曲「あしたの灯」より第4曲目の「祈り」が歌われたことには、今がまさにこのような時期であることと重ねて聴くことで新たな発見があります。「きみに伝えたい」「いのちの歌」と続くメッセージソングは、今こそこのような歌が人を慰め励ましてくれると感じました。
第2部は、ア・カペラアンサンブルによる演奏でした。これまで、桃太郎少年合唱団の「ア・カペラアンサンブル」は、宗教曲を中心にした選曲でしたが、この日は、中・高校生3名、小学生2名の5名からなる少数精鋭で、選曲も、第1部の最初の曲「里の秋」と「ロマンチストの豚」という声部の重なりが美しく、耳にやさしく聞こえる歌でした。これならば、言葉の壁もなく、この歌を初めて聴く観客にとってもア・カペラが、親しみやすいだけでなく、いかに美しいかが伝わってきたでしょう。
今年の最後のステージは、野敦先生の指揮で、「−前へ−&松井孝夫の世界」と題して、松井孝夫の作品を核としながらも、『日本中に歌声を「歌おうNIPPON」プロジェクト』 −前へ−『東日本大震災の被災者の皆様へ』で始まるメッセージソングでした。松井孝夫の作品「マイ バラード」「そのままの君で」「未来へのステップ」「旅立ちの日に」は、どちらかといえば、小学生よりも中学生ぐらいの年齢を対象とした歌でしょうが、小学生も少し背伸びしても、この歌の世界に入り込んでいました。それにしても、この年ほど、メッセージソングが似つかわしい年はないと思わずにはいられませんでした。また、桃太郎少年合唱団も思うように練習時間も取れず、団員数という点では厳しい状況にあっても、今だからこそできることを考えた選曲の定期演奏会であったと思います。時間的にも約1時間の定期演奏会で、例年の3分の2ぐらいの長さでしたが、それがかえって1曲1曲に集中力をもたらしていました。困難の中での演奏は、それ自体素晴らしいことですが、コロナ禍はまだ続きますので、練習はともかく、本番では、楽譜を見ない演奏を期待します。
桃太郎少年合唱団 第59回定期演奏会 令和3(2021)年11月20日(土)ルネスホール (YouTube映像視聴) |
桃太郎少年合唱団第60回定期演奏会 令和4(2022)年11月23日(水・祝) ルネスホール(YouTube映像視聴) |
桃太郎少年合唱団第61回定期演奏会 令和5(2023)年11月23日(木・祝) ルネスホール(YouTube映像視聴) |