おたずね
 次のことについて、ご存じのことがありましたら、掲示板かメールで情報をご提供ください。
お願いいたします。

1、このサイトを応援してくださっているある方から、「独立少年合唱団」の「康夫」の歌声をふきかえているカウンターテナーの横田裕一さんは、昭和63年の童謡コンクールで村上友一さんと同じときに出演した少年ではないでしょうかというお便りを頂いています。どなたかこのことについてご存知ないでしょうか。

     
つきこさんより

「おたずね」のページの横田さんは、
今年の毎日ファミリーソング歌唱の部で最優秀賞の横田さんなのでは…?
多分、独立少年〜に声出演していた方と思いますので、逆算していって、昭和63年の童謡コンクールに出場したお年があっていれば、同一人物なのではないでしょうか?(と言っても私は計算はしていません^-^;)

だからといって、その村上さんと一緒に出ていたのかは私も分かりかねますが…

実は私は横田さんのファンで、ぜひ機会があれば生で横田さんの声を聞きたいと思っているのですが、
地方はなかなか情報が巡って来ず、毎日検索サイトで探しているのです。

先日(10月9日)東京で横田さん出演のイベントが行われたようですが、知る由もなく、終わってから気がついて口惜しい思いをしました。これからきっと活躍される方だと思いますので、めげないで応援したいです。

     
ちっちさんより

横田さんカウンターテナーになられているのですね。実は昔、ある方に童謡のCDを頂きまして好きでよく聴いていました。最近出産してまたよく聴いております

そのCDとは横田裕一さんと現在NHKのおかあさんと一緒の歌のお姉さん拝田祥子さんが中学生1年時に一緒に歌ってるCDなのです。プロフィールには確かに童謡コンクール優勝歴など書いてあります。

とても素敵なCDなのですが、最近傷が入ってしまい(TT)2曲ほど聴けなくなってしまったので、どこかで手に入らないものかと探していました・・・どなたかご存じありませんか〜??

私の持ってるCDにある横田さんのプロフィールです

(1979年)1月7日千葉市に生まれる
現国立音楽大学付属中学ピアノ専攻
全国童謡歌唱コンクールに於いて
1987年 中国・四国大会 (グランプリ)
1988年 中国大会 (グランプリ)
      全国大会 (のびのび賞)
1990年 関東甲信越大会 (最優秀賞)
      全国大会 (金賞・三笠宮牌)
1988年 若い芽のコンサート出演 (岡山市)
1989年 日本の子守歌フェスティバル 選抜出演 (井原市)

 その後、横田裕一さんについては、カウンターテナーの声楽家としてご活躍しておられるだけでなく、品川区教育委員会で教育相談員をされていたということがわかりました。

  
 館長より

 これまでも、つきこさん、ちっちさんによってお知らせいただいておりましたが、横田裕一さんの近況については、元タカラジェンヌ&うたのおねえさん・はいだしょうこ(拝田祥子)さんが、令和元(2019)年9月18日にテレビ朝日系列で放送された「あいつ今何してる?」の中で、気になる同級生「12歳で一緒にCDを出した 横田裕一くん」ということで、テレビ局から取材を受けることになりました。横田裕一さんは、「北酒場」を歌っていた父親を見て歌の道を目指したといいます。少年時代美しい歌声から「天使のようなボーイ・ソプラノ」と言われていたそうで、平成2(1990)年第5回全国童謡歌唱コンクールで「おほしさま」を歌い、金賞を受賞し、日本一に輝いたこともあります。12歳(平成3 1991年3月)には、同い年のはいだしょうこさんと一緒に、中田喜直、拝田正機(はいだしょうこの父)のピアノで、36曲の童謡集のCD「(2枚組)を出しています。その後カウンターテナー歌手として音楽活動を継続し、CDなども3枚程リリースしていますが、特に、平成14(2002)年には、敬宮愛子さまのご誕生記念に皇室に献上された『愛の唄』を歌っています。
https://youtu.be/ZSqe02NsTwY
 しかし、その後現在は、東京都の小学校で音楽教師をしているということです。
詳細は、日本のソリストの「横田裕一」と、CD「YUICHI & SHOKO 童謡アルバム」をご覧ください。


2、西宮少年合唱団のOBの方より、次のようなメールをいただきました。
「・・・ホームページを拝見し、母団である「西宮少年合唱団」を見つけました。少年合唱団から少年少女合唱団へ変った、と紹介して頂いていますが、私の記憶では、設立当初から「少女もいる(というより少女の方が多い)少年合唱団」だったと思います。現在も、後輩達の頼もしい活躍振りを嬉しく思いつつ、OBとして応援しています。・・・」
  「西宮少年合唱団」のことは、桃太郎少年合唱団が研究された「日本の少年合唱団の現状と課題」から引用しました。それによると、少年合唱団から少年少女合唱団に移行した団体として書かれています。どなたかこのことについてご存知ないでしょうか。

♪♪♪さんより

 初めまして、私は西宮少年合唱団関係の者です(^−^;
 今回はおたずねに書いてあった事について、少し書きたいことがあって参りました!西宮少年合唱団は、今も昔も“西宮少年合唱団”です。
 そもそも「少年合唱団」の「少年」とは、少年少女を指すのではなく、少年期の少年を指すそうです。ですから、『少年の合唱団』ではなく、『少年期の人の合唱団』の意味の「少年」なわけなのです。しかし英語等で書くとboys and girlsとなるみたいです。なんか上手く書けないのですが、そんなところです。分かりにくいですよね…?

3 立教小学校聖歌隊についてどんなことでも結構ですから情報提供ください。

tosiさんより

 立教の聖歌隊は、学校法人 立教学院(明治10年創立)のなかに、英国国教会系の日本聖公会・立教学院諸聖徒礼拝堂がある。学生キリスト教団体として「立教学院諸聖徒礼拝堂聖歌隊」というのがあって、演奏会などで合唱しているようです。また教会音楽の充実と発展及び普及を目指して、立教大学教会音楽研究所というのがあり、公開講座や、コンサートコンファレンスなどが行われているそうです。
男子のみの立教小学校と、女子の立教女学院小学校、ともに聖歌隊があり、夏休みには合同交流会があるようです。立教女学院小学校の聖歌隊は、オーデッションを受けて入るといいます。また、立教小学校の聖歌隊はイギリスに行ったりして交流があるとかですが、詳しいことはわかりません。

 
 ぽこぺんさんより

 立教小学校の聖歌隊は、クリスマスらへんに大学のタッカーホールで礼拝のときに歌ったりしてるぞぃ〜クリスチャンの方はどうぞ。小学校だけじゃなくて高校と大学の聖歌隊も歌う曲あるのでどうぞよろしく。

4 ボーイズ・エコー・宝塚の指導者 辻 潤子先生より次のようなお問い合わせがあります。辻先生が記憶されているおよそのストーリーを紹介しますので、この映画についての情報提供をお願いします。

 「山の子の歌(詩?)」という映画を見た記憶があります。
 山奥の小さな学校に東京から少年が転校してきます。父親がダムかトンネルの工事の仕事をしています。シャイな少年はなかなか山の子になじめません。
 彼が東京で合唱団に入っていたことを知っている先生が音楽の時間に彼に独唱させます。すばらしいボーイソプラノで独唱しますが、級友たちは
「女みたいな声だ。」
と、笑います。先生は
「彼の歌い方が正式な歌い方で・・・」
と、説明します。
 何かがきっかけで一人の山の少年と仲良くなります。
 一方、東京では、合唱団(西六郷?)の仲間が転校した彼のことを心配して、夏の合宿場所を彼の居る村にすることにしました。合宿に来た合唱団の演奏会には転校生も加わって歌います。初めて聴く少年合唱のすばらしい歌とハーモニーに村の大人も子どもも大感激!

 細かい筋も結末もすっかり忘れています。主題歌は短調のメロディで、
「歌声が 山の小道に響けば、
 あの森 この・・・?
 山の子は 山の子は 歌が好きです」
というような歌でした。

フルヤマさんより

 おそらく,,この作品のことではないかと思われます。
http://syougai.tokushima-ec.ed.jp/slibdl/SLib/FILM/f07geki.pdf
残念ながら上記作品は未見です。 DV化等についても不明です。

 ちなみに、その作品の主題歌は、1964年頃「みんなのうた」で流れていた(歌:倍賞千恵子)と思われます。
西六郷少年少女合唱団によって歌われた、
ぼくらの町は川っぷちが発売されています。
(※こちらのCDにも収録有)

 上記楽曲の楽譜も、全音から出ています。
(※MIDIも有ります。直リン不可なので「なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・寮歌・民謡・歌謡」で検索してみて下さい)

 4.現在、日本の少年合唱団で小学生だけの合唱団は2団体ですか、それとも3団体ですか?昨日のボーイズ・エコー・宝塚の定期演奏会で来賓の方のあいさつの中で2団体と言う方と3団体と言う方がいましたが、どちらが正しいのでしょうか?

 館長より

 TOKYO FM 少年合唱団とボーイズ・エコー・宝塚の2団体だけです。フレーベル少年合唱団は、現在も中学生の団員もいます。ちなみに平成25年度は中学生の団員が3名いました。合唱団創立の時点では小学生だけという団体もありましたが、団員の要望と人数の確保のため、ある時期から混声合唱団や変声後はファルセットを駆使した少年合唱団になった団体もあるというのが事実です。このあたりに、日本の少年合唱団の課題があります。フレーベル少年合唱団は、初期は中学1年生まで在団しないとOB会に入れないという時期もありましたが、少年の変声期の早期化(成長の前傾現象)を考慮して10数年前から小学6年生まで在団したらOB会に入会できるように改善しました。若いOB会員が参加してくれることを期待しています。TOKYO FM 少年合唱団とボーイズ・エコー・宝塚は、小学校卒業時期が変声期を迎えていなくても「卒団」となっています。まだこれからボーイ・ソプラノの頂点に向かってのぼりつめると思えるような団員もいますが、小学校の卒業を一つの区切りとしています。

 5.新居浜少年少女合唱団のホームページを見ると、愛媛県で5番目の少年合唱団として誕生したと書いてありますが、それならば、あと一つは、どこなのでしょうか?

 
 館長より

  直接、新居浜少年合唱団のホームページのゲストコーナーに質問してみましたところ、管理者様からご丁寧に調査して、その結果をご報告頂きました。それによると、次のようです。

 愛媛県でウイーン少年合唱団の日本公演に刺激を受けた音楽の教師たちが少年合唱団を立ち上げた当時を知らないので、詳しいことはわかりませんが、手元の資料によると、今は消滅している合唱団に伊予市の少年合唱団があったようです。昭和58年頃からその活動が休止状態になったようです。@今治S36・A宇和島S37・B松山S39・D新居浜S41・E西条S42・F四国中央(以前は伊予三島)S43・G大洲S44と続いているようです。

 従って、あと一つは、伊予少年合唱団ということになります。

 
 6.「生きもの地球紀行」の3代目エンディングテーマとして、平成10(1998)年に発表された『Believe』は、合唱曲として教科書にも掲載されましたが、最初の部分で独唱をしている星朋樹さんは、早稲田大学の学生さんですというネット情報もありますが、今なら30代になっておられるのではと思います。ボーイ・ソプラノと思っていましたが、カウンターテノールかも?という説もあります。星朋樹さんの少年時代の情報についての情報があれば、お教えください。「日本のソリスト」として紹介します。(掲示板かメールでお知らせください。)
https://www.youtube.com/watch?v=TmG9uDoGztw


7.少年時代 映画『馬頭琴夜想曲』に出演し、同じころ、ミュージカル『レ・ミゼラブル』でガブローシュ役を演じて好評だった原田光は、その後、東京芸術大学大学院在籍の声楽家(バリトン)として活躍している原田光と同一人物ですか。写真左の声楽家 原田光のコンサートのちらしのプロフィールには、クラシックのコンサートであるためか、映画「馬頭琴夜想曲」やミュージカル『レ・ミゼラブル』でガブローシュ役を演じたということは一切載っていません。
 馬頭琴夜想曲 予告編  
https://www.youtube.com/watch?v=X327s9JwEKc 
 メイキング映像 
https://www.youtube.com/watch?v=lgtlSQ6QxEE&t=326s

 コンサートのチラシには、かつて東京荒川少年少女合唱団の指揮者でもあった郡司博氏の言葉として、
「原田光君を知ったのは私が指導していた児童合唱団で二人の姉を持つ末っ子らしく母親にべったりくっついて座る少年だったころだ。当時は歌は上手かったが自信があるわけではなく、褒められるとはにかみながら嬉しそうにする顔が女の子のように可愛いかった。十数年後 私たちの前にあらわれた彼は、私を虜にする歌を聴かせてくれるようにな っていた。これから彼の歌を聴き続けることができるのは、私たちの生きる幸せでもあり目的でもある。」
と、激賞の言葉が書かれています。
 
同姓同名の別人物という可能性もありますので、お教えください。(掲示板かメールでお知らせください。)


 8.原少年合唱団を調べているうちに、『くらやみ五段』 の主題歌を歌っているのは、上高田少年合唱団ではないか、同一かどうかという問題が起きてきました。詳細は、『想い出の少年合唱団』の「原少年合唱団」をお読みいただき、この問題について、情報提供をお願いいたします。


 9.「想い出の日本の少年合唱団」に掲載した少年合唱団以外にも、1960〜70年代に短期間存在した少年合唱団(隊)があるという情報を得ています。もし御存じなら、この掲示板あるいはメールで教えてください。
  
 元在団生(宇都宮少年少女合唱団)の方より
ご連絡をいただきました。

 昭和30(1955)年に「宇都宮少年合唱隊」として創立しましたが、昭和51(1976)年に「宇都宮児童合唱団」に改名、平成5(1993)年「宇都宮少年少女合唱団」に改名して現在に至っています。

  10 @ 昭和18(1943)年に映画『無法松の一生』の学芸会で澤村アキヲ(長門裕之)演じる吉岡俊雄が唱歌「青葉の笛」を歌うシーンがありますが、戦後、GHQにより、それを含む一部が削除されました。稲垣弘監督は、完全版を撮るために昭和33(1958)年にリメイク版を製作しましたが、この吉岡俊雄役の子役(写真左)の名前が不詳です。

 A 昭和59(1984)年制作の『男はつらいよ 寅次郎真実一路』の中で、大原麗子の息子の隆役の少年(名前不詳)が、「里の秋」を独唱していますが(写真右)、美しいボーイ・ソプラノです。この子役についてご存じの方は、教えてください。(左は、満男役の吉岡秀隆)

  どちらも日本の美しいボーイ・ソプラノの少年ですので、情報提供をお願いいたします。

ノースエンド氏より
 音楽通であるだけでなく、映画通でもあるノースエンド氏より次のような情報をいただきました。
『無法松の一生』(1958)の「吉岡俊雄役」は笠原健司で、『男はつらいよ 寅次郎真実一路』(1984)のふじ子の息子「隆役」は芦田友秀です。

 11 ポーランドの少年合唱団「ポズナン少年合唱団(ポズナン・ナイチンゲール)」を描いた映画のYouTube映像が公開されていますが、ポーランド語であったため、あらすじの詳細はほとんどわかりませんでした。わかるのは、主人公の少年が、コンサートで、聴衆に両親を迎えて歌うことぐらいです。その曲の中には、「モーツァルトの子守歌」として知られているフリース作曲の子守歌も歌われています。

 なお、「ポズナン少年合唱団(ポズナン・ナイチンゲール)」は、1969年にポーランド少年大合唱団という名前で来日しましたが、ポーランドの少年合唱団では、20世紀の間は、半ズボンい白いハイソックスの制服であることろがほとんどであったようです。
長編映画「ポズナン・ナイチンゲール」のパート 1 https://www.youtube.com/watch?v=Qn7oAW1YiUU&t=1748s
長編映画「ポズナン・ナイチンゲール」のパート 2   https://www.youtube.com/watch?v=GNoiHLGPBzU&t=261s

       

 ノースエンド氏より
 ポーランド映画『Poznanski slowiki』(ポズナンのナイチンゲール)、1966年9月13日封切り、作品の内容については、基本情報しかわかりません(画像1)。
  監督はヒエロニム・プルズィビル、脚本はヴァンダ・ゾルキエフスカ、主人公のパヴェル少年は、パヴェル・ヤンコフスキです。この映画はポーランド国外は、東独で公開されただけです(『Der Nachtigallenchor』=ナイチンゲール合唱団)。
  121分ですから、YouTubeで全部ですね。残念ながらストーリーラインはわからず、キーワードとして 「少年合唱団」 「ボーイソプラノ」「少年の主人公」とあり、「boy in jeopardy」(危機の少年)が気になりました。






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