平成18年度記録 
宝塚市15回花と緑のフェスティバル
平成18(2006)年4月29日  末広中央公園野外ステージ

 昨日4月29日は最後の「みどりの日」。祝日法の改正によって来年からはこの日は「昭和の日」となり、「みどりの日」は5月4日になります。それなら、この日は記念すべき日です。阪急宝塚線の山本を中心に植木のまちとして知られる宝塚市では、第15回花と緑のフェスティバルが開かれました。このコンサートに行くのは6年ぶり。会場となった末広中央公園の野外ステージは、以前会場であった河川敷特設会場野外ステージとちがって屋根もあり、音響設備も整っています。

 曇天の下でしたが、会場に入ると、オープニング前の勇壮な和太鼓の演奏が聞こえてきました。偶然、木の下の辻先生の周りに当日参加する15名のボーイズ・エコー・宝塚団員が集まって、リコーダーに合わせて、「ビリーブ」「おお、牧場はみどり」を歌って発声練習をしているところに出会いました。3人の新団員もこの日初舞台だそうです。10時の開始では、阪上善秀新市長の挨拶があり、阪上市長はそのあと、舞台を降りて参集した市民に次々と握手していかれます。市民でない私にまでも握手を・・・腰の低さと、少しでも市民に近づこうという姿勢は伝わってきました。

 トップバッターとして登場したボーイズ・エコー・宝塚は、歌うように話す河原新団長の紹介に続き、「こいのぼり」「茶つみ」「五月の歌」「トルコマーチ」「セレナーデ」「ビリーブ」「おお、牧場はみどり」の7曲を披露してくれました。声は、4本のマイクを通し会場全体によく響いてきます。それだけに出だしの2曲では、マイクに慣れないため声部のバランスの悪さも耳につきましたが、モーツァルトの曲に入ると、俄然ハーモニーがよくなってきました。文語調の歌詞の「セレナーデ」が、自然に聞こえてきたのは驚きでした。マイクを通しての少年たちの声に、ボーイ・ソプラノならではの繊細さを求めるのは難しいでしょうが、音楽は作り手と演奏者と観客の合作によって創られるもの。この日集まってステージを見ていた観客が歌を聴こうという姿勢であったことが心に残りました。

 ステージが終わってから、指導者の先生方による訓辞がありましたが、ヒップ・ホップやジャズダンスの大音響に消され気味。まあ、これはしかたないんですけど・・・。解散後、指導者の先生方としばらくお話ししましたが、そこではこの10年ほどの子供服の急速な劣化が話題となりました。破れたズボンをはくのをかっこよいという歪んだ美意識も問題になりました。貧しい日本からの脱却のために、子どもにつぎあての服を着せないために懸命に働いてきた大人や、その大人の姿を見て育ってきた世代には考えられないことです。これは豊かさが生んだ貧困です。少年合唱を愛する人は、それを支える衣文化にも関心をもっていることがわかってきました。

ボーイズ・エコー・宝塚 練習参観
平成18年8月23日(水)9:30〜11:30 於:宝塚市立宝塚小学校多目的室


 宝塚小学校を会場にして行われたボーイズ・エコー・宝塚練習を4年ぶりに参観しました。この日はお盆明けということもあってか、参加者は、4年生の橋本君と6年生の団長の河原君のわずか2名。指導者も中安先生お一人。しかし、それだけに、一人一人をよく参観することができました。

 練習は、「ハヒフヘホ」を半音ずつ上げて歌う発声練習に始まり、「世界の民謡」から5曲を練習し、8月31日に行われる「のど自慢大会」の準備練習というメニューでした。練習は、音符の長さや長調と短調などの楽典的なものを交えながら進められましたが、思っていた以上に今は学校で楽典を教えていないこともわかってきました。中学年で年間60時間、高学年で年間50時間の音楽の時間では、どうしてもこういう部分が省略されるのでしょう。

 さて、「世界の民謡」のうち、インドネシア民謡の「うるわしのやしの島」では、前半と後半の曲想の違いを、オランダ民謡の「サラスポンダ」では、リズムと旋律の組み合わせを、フィンランド民謡の「野いちご」「歌おう友よ」では、短調の雰囲気を、オーストラリア民謡の「ウォルチング・マチルダ」では、流麗な旋律唱を中心に練習は進められました。この日の練習では、曲想をつかむために、OBが過去に歌い残したテープが有効に使われていました。特に、「ウォルシング・マチルダ」を朗々と独唱した石原君の歌は、実に見事な範唱でした。(残念ながら、石原君が現役の時、ボーイズ・エコー・宝塚を知らなかったのです。

 橋本君は、鈴を振ったような明るい声質で、曲の骨組みをよくつかんで歌っていましたが、息継ぎをよくするとさらによい歌が歌えると感じました。また、河原君は、哀愁を感じさせるような旋律の歌いぶりが心に残りました。
 いよいよ31日は第一小学校と合同で「のど自慢大会」が開かれます。独唱を積極的にさせるというところにもボーイズ・エコー・宝塚の特色が見られます。「のど自慢大会」を経て大きく成長する団員をこれまでにも見てきましたが、この日がそのような日になることを期待しています。


第40回宝塚市民合唱祭
        平成18(2006)年11月3日 ベガホール

 毎年11月3日(文化の日)に行われる宝塚市民合唱祭も、今年で第40回を迎えました。今回のボーイズ・エコー・宝塚の出場は、最後から2番目ということで、それに合わせて午後3時半ごろに会場の宝塚ベガホールに着きました。会場に着いたら、約400席のホールは立ち見席ができるほどの人、人、人。出演団体が全部で38団体あり、本人及びその関係者が観客ですから、出場前、出場後も観客席にいます。だから、こうなってしまうのですね。私も初めてベガホールの立ち見席でボーイズ・エコー・宝塚を鑑賞しました。私は、目があまりよくないものですから、いつも前から5列目ぐらいで鑑賞することが多いのです。歌っている子どもたちの表情がよくわかって、それが鑑賞の楽しみの一つになっています。そういうわけでこの日は、歌う表情まではわかりませんでしたが、また、違った発見をすることができました。

 今回は、「世界の歌」がテーマで、ドイツの「元気に笑え」、イタリアの「フニクリ フニクラ」、オーストリアの「美しいチロル」の3曲。少年の繊細な声は後ろでは聞き取りにくいのではという心配は杞憂に終わりました。予想以上にボリュームのあるよく響く歌声が聞こえてきました。「元気に笑え」は、前半のたっぷり歌わせる部分と後半の笑い声の部分の対比がはっきりしていました。「フニクリ フニクラ」は、やや一本調子のところもありましたが、力強い歌を聴くことができました。「美しいチロル」では、のどかな風景が浮かんでくるような歌でしたが、曲想が穏やかなため3曲目より2曲目にふさわしい曲かとも感じました。おそらく、来年3月の定期演奏会では、もっと多くの「世界の歌」が歌われることでしょうが、その際は曲の順番を工夫することによって盛り上がりをつくっていくことが課題になってくるでしょう。

 この日の、曲の紹介は、川野君によって行われましたが、はっきりと聴き取れる落ちついたもので、団員としての自覚が育ってきていることを感じました。また、最後の挨拶の団長の河原君の声は、これまでにない女声のような色っぽさを感じさせる響きで、こういう変化を聴くこともまた鑑賞の楽しみになっています。



第24回「宝塚ニューイヤーコンサート」
         平成19(2007)年1月14日 ベガホール


  「宝塚ニューイヤーコンサート」も毎年鑑賞していますが、そうなるとボーイズ・エコー・宝塚だけでなく常連の出演団体の演奏も、今年の選曲はよかったとか、持ち味を活かせていたとかいった感想をもつことができるようになります。今年も、ベガホールの正面には恒例の干支のイノシシの親子の絵が飾られていました。例年通り郷土民謡の「千吉音頭」で今年もにぎにぎしく開演しましたが、今年は踊りにも男子が出ているのが目をひきました。
  前半の最後8番目に登場したボーイズ・エコー・宝塚の人数を数えると前列9人後列11人の計20人。再び20人台になったのは嬉しいことですが、今の2校での放課後練習体制では、このあたりが人数的には限界かとも思います。幼い新入団員には、まだ舞台の上で何をすべきかがわかっていないと思う行動もありましたが、歌に入ると集中してきてきました。今年の選曲は、「イッツ ア スモール ワールド」「スキー」「会津磐梯山」の3曲。曲に間に何の関係もないなあとプログラムを見たときには思いましたが、最後まで見ることで、これは合唱表現の多様性を示すという意図だと感じました。「イッツ ア スモール ワールド」では、手話を交えることで合唱におけるアクションのあり方を探り、「スキー」では、オブリガードによる声の重なりの魅力を聴かせ、「会津磐梯山」では民謡と合唱の接点を求めるという野心的な選曲でした。「イッツ ア スモール ワールド」は、歌としてはやや平板でしたが、見た目には面白く感じました。「スキー」は、元気のよい主旋律ときれいなオブリガードの声の重なりが魅力的でした。ただ、山場の「オーオオ」は盛り上がるのですが、そのあとの「この身も」がやや弱くなるところに課題が残りました。「会津磐梯山」は、さすがに「千吉音頭」を歌っている合唱団だからこそできる張りのある声の輝きと、お囃子がいい雰囲気を創り出していました。また、最後に全員が舞台の前に駆け寄って会場めがけて「福」が来る小判を投げるという斬新な演出には度肝を抜かれました。
  フィナーレの合同演奏曲は、「タンホイザー」。全員を何とか活かそうとする編曲の意図はわかるのですが、やはりこの曲にハンドベルは不自然です。リストのピアノ協奏曲第1番の第2楽章においてトライアングルがかなりの比重を占めている故に軽く見られがちなのと同じことを感じました。また、男声の人数がかなり少ないのでその部分がへこんで聞こえてしまいます。このような壮麗な曲ではブラスバンドと声の競演が生きるのです。むしろ、みなさんといっしょにおける「しあわせ運べるように」や、アンコールでの「すみれの花咲く頃」と「ラデツキ―行進曲」こそが、このコンサートの合同演奏の客席と一体になって音楽を創っていくよさを活かしていたのではないでしょうか。  

第22回定期演奏会に寄せて

  ボーイズ・エコー・宝塚のみなさん、第22回定期演奏会おめでとうございます。

 昭和36(1961)年は、NHKの長寿番組「みんなのうた」が誕生した年です。「おお牧場はみどり」で始まったこの番組は、当時の子どもたちを合唱音楽のすばらしさに目覚めさせてくれました。それまでの日本の子どもには、子どものために作られた童謡・唱歌か、大人のために作られた歌謡曲しかありませんでした。当時の「みんなのうた」の多くは、外国の歌に日本語の歌詞をつけたもので、「ジュニアソング」という新しい子どもの歌のジャンルを形成しました。その後、日本の児童合唱の発声技術は進化し、歌われる歌の水準は高度化して世界の合唱コンクールで上位入賞するほどになりましたが、逆に児童合唱は、次第に多くの子どもたちから遠いものになっていってしまったのではないでしょうか。

 ボーイズ・エコー・宝塚が誕生した頃、指導者の中安先生、辻先生は、
「やたらと難しい歌ばかりやるのはやめましょう。」
と、語り合ったそうです。すばらしい理念だと思います。本当に歌を子どもにとって身近なものにするためには、こういった考え方こそが求められます。「みんなのうた」が、当時の日本の子どもに受け容れられた最大の理由は、初めて聴いても親しめる歌が毎日、あるいは毎週繰り返し歌われたからではないでしょうか。ボーイズ・エコー・宝塚は、今年もそんな親しみやすい歌をたくさん採り上げて、歌の楽しさ、歌う喜びを客席に伝えてくれることでしょう。

 プログラムを見ると、嬉しい懐かしい世界と日本の歌が並んでいます。「フニクリフニクラ」は、もとは、ポンペイの町を廃墟としたベスビオ火山に開通した登山電車のコマーシャルソングでしたが、「みんなのうた」でも採り上げられ、今ではキャンプソングの「鬼のパンツ」として知られています。「みどりのそよ風」は、昨年ヘーベルハウスのコマーシャルとして甦りましたが、戦後すぐより3代に渡って歌い継がれてきた歌でもあります。また、歌には、歌が伝えようとするメッセージが込められていることが多くあります。「折り鶴」などの「平和の歌」には、平和を希求する人の想いが込められています。

 本日は、ボーイズ・エコー・宝塚のさわやかなボーイ・ソプラノの歌声によって、心が純化されると共に、元気が与えられ、明日への活力が生まれるものと確信しています。



ボーイズ・エコー・宝塚 第22回定期演奏会
        宝塚西公民館     平成19(2007)年3月21日


   質の高い演奏が期待できそう

 渡されたプログラムを見て、先ず気づいたことは、4〜6年生が21人中10人と約半数であることと、ソロと名前が明記されている団員が10人ということでした。さて、ボーイ・ソプラノが最高に輝くときは、変声期の直前です。最近は、変声期が早くなってきて、6年生の卒業のころにはボーイ・ソプラノを失っている少年が増えてきましたが、音楽的には質の高い演奏が期待できます。また、今、日本の少年合唱団のコンサートでこれだけソロを聴くことができるところは、TOKYO FM 少年合唱団のクリスマスコンサートだけでしょう。独唱の好きな私にとっては、嬉しいプログラムです。

   
視覚と聴覚の両面から

 「歌で世界をひとまわり」と題された第1ステージは,14曲で構成される世界の愛唱歌集です。この企画は8年ぶりではないでしょうか。全員で揃って歌うだけでなく、学年を替えたり、ソロを入れたりすることで変化をもたせ、さらには、演出にも工夫を加えるという視覚と聴覚の両面からアプローチしたステージには華がありました。「美しいチロル」「フニクリフニクラ」「ウォルシングマチルダ」といった全員合唱も声量もあってよかったのですが、「山のごちそう」で、ソロを歌った2.3年生(川野翔太郎君、佐々野君、泉谷君、岡村幸輝君)のそれぞれ持ち味を生かしながらも清楚な歌声を聴いていると、ボーイズ・エコー・宝塚の未来は明るいという気持ちになりました。「うるわしのやしの島」では、橋本君のきらきらするような明るい声質が南国の空を想わせ、岡村優輝君のややマスクのかかったような声は、前半と後半の曲想の違いを描き出していました。また、5年生6人で歌われた「遊子回郷」は、清純なだけでなくそこはかとない抒情性まで感じられました。さらに、南アフリカ民謡の「狩りの歌」や「会津磐梯山」の演出は、変化をもたせるというだけでなく、誰をどう生かすかという視点も見られました。

   
日本の少年だからこそ

 「にほんの四季U」と題されたこのステージは、昨年度の「にほんの四季」に採り上げられなかった歌を集めて四季の順にメドレーで歌われました。それでありながら決して二番煎じではなく、1曲ずつの独自性が強調されていました。このステージでは、「夏は来ぬ」と「数えうた」に日本の少年だからこそ表現できるソロを聴くことができました。「夏は来ぬ」では、楚々とした川野航太郎君、抒情性に満ちた菊井君、曲の山場づくりができるように成長してきた森本君の5年生それぞれの歌を楽しむことができました。「数えうた」では、まろやかな歌声の羽仁君とボリュームがあって迫力さえあるボーイ・アルトの竹内君の2人の5年生の間に、2年生とは思えない落ち着いたステージマナーの北浦君が青竹のような伸びやかなまっすぐな歌を聴かせてくれました。

   
たとえ声は変わっても

 昨年のコンサート評で私は次のように書きました。
・・・5年生の並木君のまろやかな歌、河原君の流麗な歌声は、この日最高に輝いていましたが、来年の定期演奏会でも響いてほしいと願いながら、ボーイ・ソプラノのはかない運命に思いをはせました。・・・
 しかし、その日は、やってきました。
 昨年度団長の並木君、3年生から4年間ボーイズ・エコーを引っ張ってくれてありがとう。入団した頃、2級上の有留君が「並木君は、とても頼りになります。」と期待に満ちた言葉を書いてくれたことがあります。その期待どおりでした。今は変声期なので、思うように声が出せない部分もありましたが、「月の沙漠」を選んだ理由の説明は、説得力があってさすがはボーイズ・エコーの6年生と感心しました。
 今年度団長の河原君、川崎市に住んでいた転校前から「ボーイ・ソプラノの館」のホームページを見てくれていて、4年生になって宝塚小学校に転校してきたとき、ボーイズ・エコーに入れる学校でよかったと思ってくれたそうですね。こんな少年が一人でもいてくれたら、それだけでもホームページを作ってよかったなあと思います。この日、想いを込めて歌った「旅立ちの日に」では、ロングトーンも健在でしたが、何より歌のもつ感動を引き出していました。
 ご卒団おめでとうございます。

   
違いを大切にするところから平和が

 「平和をねがって」と題された最後のステージの冒頭を飾るのは金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」。多くの作曲家によって曲がつけられましたが、この日は杉本竜一作曲のもの。「お互いの違いを大切にするところから平和が」というメッセージが見えてきました。平和の歌は広島に題材をとった「青い空は」と「折り鶴」へと続き、最後は「しあわせ運べるように」へと高められていきます。今年で阪神・淡路大震災を体験した小学生はいなくなりますが、「しあわせ運べるように」を歌い続けることで、震災の時に人々が助け合い励まし合った心は甦ってきます。ボーイズ・エコーによって10回以上この歌を聴きますが、この日の演奏は大きな盛り上がりを作ることができました。

   
課題はあっても

 このように、今回の定期演奏会では、音楽的にも高いものを得ることができました。観客の満足度も高かったと思います。もちろん、課題もあります。音楽的な面では、これだけ多くの歌を歌えば、歌詞を間違って覚えているところもありました。それよりも、私は団員の定着こそが最大の課題だと思いました。合唱の練習は、決して楽しいことばかりではありません。歌声が揃うまで同じことの繰り返しがあり、単調さにやめたくなることもあるでしょう。しかし、卒団まで頑張った団員は、音楽だけでなく人間的にもよいものを身につけています。そのことは、何よりもOBたちが体現しています。現役団員の歌声と人間的成長を確かめるため、来年も会場に来ようと思いました。


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