平成19年度記録 |
宝塚市16回花と緑のフェスティバル 平成19(2007)年4月28日 末広中央公園野外ステージ |
4月27日夜遅く、帰宅したら中安先生のご子息から留守電が入っていました。
「母は、体調を崩して明日の花と緑のフェスティバルには出られません。」
それじゃ、指揮者なしに演奏するの?大丈夫だろうか?
抜けるような晴天の下、ボーイズ・エコー・宝塚が出場する11時の直前に会場に着き、どの曲も同じに聞こえるジャズダンスのパフォーマンスが行われている末広中央公園野外ステージの周りをぐるぐるしていると、ビデオカメラをもった中安先生のご子息とぱったり出会いました。おかげんを尋ねていると、出演時刻になりました。
「今日の演奏を撮って母に見せます。」
ボーイズ・エコー・宝塚が舞台上に登場し、岡村新団長が団の紹介をしようとしたら、マイクの調子がおかしく、音が拾えていません。急遽マイクの調整をしている間、インタビューが行われました。この日歌われたのは、最近各地で頻発する地震にちなんで、被災からの立ち直りを歌った名曲「しあわせ運べるように」と美しい友情の歌「ビリーブ」を除けば、「緑のそよ風」「おお、牧場はみどり」「こいのぼり」「春の川で」「セレナーデ」と春にちなんだ曲が続き、計7曲を披露してくれました。辻先生の電子ピアノの伴奏で団員の声は、5本のマイクを通し会場全体によく響いてきます。今年は、中央のマイクに近いところに、経験豊かな上級生の団員を並べるなど、並び方の工夫も見られ、全体的に声部のバランスもよくなっていました。一番心配された指揮者なしの演奏の課題は、歌う姿勢の面では、ほとんど感じられませんでした。ただ、確かに細かい音楽のニュアンスの面では課題がありますが、マイクを使った演奏のためあまり目立ちませんでした。さて、この日の演奏では、最後の2曲「春の川で」「セレナーデ」のできばえがよかったと思います。「春の川で」は、ワルツのリズムに乗って、曲想の変化をよく歌い分けていました。「セレナーデ」では、文語体の歌詞がしっかり聞こえ、曲の山場を作ることに成功していました。
演奏後辻先生に伺うと、「できるだけ後ろの客席を見て歌うように。」という指導をされていたようです。それよりも、中安先生がおられないことが、団員にきちんとしなければいけないという緊張感を与えたとも言えましょう。しかし、これはあくまで緊急避難的措置。中安先生の一日も早い全快と復帰をお祈りするものです。
宝塚合唱連盟第41回合唱交歓会 (ボーイズ・エコー・宝塚出演) 平成19(2007)年7月22日 宝塚ベガホール |
母を見送った翌日、無性にボーイ・ソプラノを聴きたくなって、ベガホールで行われた宝塚合唱連盟の合唱交歓会に行ってきました。しかし、会場に着いても、なかなか歌に集中できない自分を発見してしまいました。ボーイズ・エコー・宝塚の団員は22名と微増しているそうですが、諸般の事情で当日出演したのは18名でした。今回は、上級生に欠席が多かったことと、まだ歌い込まれていないこともあって、全体的に薄味な仕上がりでした。
この日の演奏曲は、「化石の恐竜」「パフ」「夏の山」「すべての山に登れ」の4曲で、英語の歌も2曲入っていました。まだ、英語の歌は、やっと歌詞を覚えて歌っているという感じで、特に「すべての山に登れ」歌の山場を作っていくところまではいきませんでした。しかし、「化石の恐竜」では、橋本君の明るい声質のソロが活かされていましたし、「夏の山」は、合唱曲らしさがよく出ていました。今年は、「山」をテーマに選曲されているそうですが、他にどんな曲が選ばれているのでしょうか。この日は、ボーイズ・エコー・宝塚の演奏が終わると、挨拶もせずにすぐに帰宅しました。
第25回「宝塚ニューイヤーコンサート」 平成20(2008)年1月13日 ベガホール |
「宝塚ニューイヤーコンサート」が第25回を迎えるということで、神戸新聞や地元情報誌「ウィズ たからづか」が、中安保美先生を取材して記事にしていました。このコンサートの起こりは、1984年に、ウィーンフィルハーモニー交響楽団のニューイヤーコンサートに感銘を受けた当時、宝塚小学校の音楽専科の先生であった中安先生が「地元でも地域の人が楽しめる演奏会を」と、自費を投じてスタートしたということです。今でこそ、毎年10団体が参加して華々しく行われていますが、スタート時には3団体だったそうです。このときは、まだ、ボーイズ・エコー・宝塚も誕生前で参加していません。このコンサートが中安先生の情熱によって誕生したということは、宝塚の文化史上に永遠に刻まれることでしょう。
さて、私とボーイズ・エコー・宝塚との出会いにもなっているこのコンサートに足を運ぶのも、今回で連続10回となります。参加団体は、毎年少しずつ入れ替わりはありますが、今回目をひいたのは、能・舞囃子の「高砂」の演奏で、結婚式などにも歌われるこのおめでたい曲が組み入れられていたことが四半世紀の歴史の象徴とも言えましょう。
さて、この日のボーイズ・エコー・宝塚の演奏は、ピアノ伴奏の辻先生がお休みのため急遽保護者の方がされました。この日出演したのは19名。力のある6年生の姿が少ないのが気になります。1曲目の「雪山讃歌」は、頑丈な構成の歌なので、あまり工夫する余地がありません。そつなく歌うというところにとどまっていました。次の「ウィンターワンダーランド」は、前歌を略したためにAーBーAという構成の歌になっていました。ここでは中間部分にもっと変化をもたせれば面白いのにと思いました。この日の曲目で一番面白かったのは、ねずみが登場する曲を集めて辻先生が編曲した「ねずみがチョロチョロ」。このような企画は「うま年」にもありましたが、ねずみはやはり、小回りのきく動物であるためにスケールの大きさはありません。それでも、「ミッキーマウス」のテーマは、振り付け入りでなかなか面白かったです。ただ、団員たちが、舞台の中での立ち位置がまだよくわかっていなかったようで、その辺りに課題が残りました。定期演奏会の1ステージの5〜10曲中の1曲と、3曲の中の1曲では比重が違うので、どのような曲をニューイヤーコンサートにもってくるかは、プログラム構成上の大きなポイントだと感じました。
第23回定期演奏会に寄せて |
ボーイズ・エコー・宝塚のみなさん 第23回定期演奏会おめでとうございます。
今年度の日本の少年合唱界は、来日したウィーン少年合唱団に、日本人団員のカイ・シマダ君(元グロリア少年合唱団)が凱旋帰国したことが、大きな話題を呼びました。日本の少年合唱団としては、TOKYO FM 少年合唱団やフレーベル少年合唱団がテレビ等のマスコミに登場したり、CD録音をしたりしたことが大きな動きです。一方、地方の少年合唱団は人数的に厳しい状態が続いている中で、それぞれが、独自のポリシーをもって頑張っています。
さて、ボーイズ・エコー・宝塚も最近は20人台の団員数を毎年確保して、充実した演奏を聴かせてくれるようになってきました。ところが、10年近く前人数が10人近くに減少したとき、同じ地域の少年少女合唱団に併合してはどうかという話題が出たことがありました。しかし、少年だけがもつボーイ・ソプラノの響きはかけがえのないものであり、少年合唱と少年少女合唱は、本質的に違うので一緒にすることはできないという、指導者の中安先生・辻先生や当時の保護者の皆様の見識とご尽力があって、近畿唯一の少年合唱団を守り抜くことができました。なお、その頃、この話を聞かれた当時の広島少年合唱隊の登副隊長先生は、
「ボーイズ・エコー・宝塚がピンチなら、いざというときには、広島少年合唱隊のA組(6年生)10人を連れて、定期演奏会に応援にかけつける。」
とまでおっしゃってくださいました。ボーイズ・エコー・宝塚の歴史を振り返るとき、これらのことは、決して忘れてはならないと思います。団員の少年たちは、誇りをもって今だから出すことのできるボーイ・ソプラノの歌声で歌い続けてほしいと願っています。
今日のプログラムを見ると、メインは「山」にちなんだ歌です。古今東西の「山」にちなんだ歌が歌われますが、人生は「山登り」になぞらえることもできます。長い人生には上り坂もあれば、下り坂もあるでしょう。しかし、山を越えることで、人は強くたくましくなっていきます。今日のボーイズ・エコー・宝塚の歌からは、そんな強さと人を思いやるやさしさを聴きとって至福のひとときを過ごしたいと思っています。
ボーイズ・エコー・宝塚 第23回定期演奏会 平成20(2008)年3月20日 宝塚西公民館 |
合唱における指揮の大切さ
私は、この10年間ボーイズ・エコー・宝塚のコンサートを、年数回聴いています。このような鑑賞をすることによって、団員の成長を見聴きすることができるというよさがあります。特に今年の6年生の学年は、1年生の夏休みに行われた「のど自慢大会」からソロを聴いている団員もいます。
毎年団歌で始まるこのコンサートで、今年は歌が不安定だと感じることなくスタートすることができました。それは団員の歌唱力の向上にもよりますが、指揮者の井野君の統率力のある指揮ぶりに負うところも大きかったと思います。ダイナミックでこの歌が何を求めているかが明確にわかる指揮でした。
視覚と聴覚の両面から
「楽しい歌」と題された第1ステージは、ニューイヤーコンサートで歌われた歌「ウィンターワンダーランド」と「ねずみがちょろちょろ」の2曲がどう進化したかが見ものでしたが、前者は歌声によって曲想に変化をもたせ、後者には、ダンスをとりいれて、目と耳の両面から楽しませようと意図が確実に伝わってきました。最後を飾る「ミッキーマウス」のダンスはぴたっと決まっていました。
「山」の多様性
第2ステージは、古今東西の山にちなんだ曲を集めたステージでした。個人的には小学生以来数十年ぶりに聴く「山こそわが家」に感動しましたが、少年の日に聴いたその歌は、それまでほとんど斉唱しか聴くことのなかった私をオブリガードの美しさに目覚めさせてくれました。個人的な感傷はさておいて、このステージでは。山が季節や天気によってその姿を変えるように、山の種々相を表現してくれました。豪壮な「箱根八里」、明るい「フニクリフニクラ」、かけあいが楽しい「やまびこごっこ」の中でしっとりとソロを聴かせてくれた「とうげの我が家」では、いかにも日本のボーイ・ソプラノらしい伸びやかな声質の佐々野君、ブレスに課題はあるけれど清純な歌声の川野翔太郎君、ゆとりをもって聴く人に安心感を与える歌声に成長してきた橋本君のソロを楽しむことができました。
なお、このステージの途中で、中安先生の教え子でもある阪上善秀市長が激励に駆けつけてくれました。阪上市長は、腰の低さと、自分の言葉でその想いを伝えようとしていることにいつも共感しています。
6人卒業か・・・
今年の6年生は、人数的にも年齢構成的にも厳しかった頃のボーイズ・エコーをここまで引き上げてくれた団員たちです。5年前の定期演奏会評で、私は「1年生も頑張った」という小見出しで文を書き始めています。しかし、6年間続けられたのは、10人中3人。この辺りもボーイズ・エコーの課題ではあるのですが、途中学年からの入団でも卒業まで続けられたことは価値あることで、「継続は力なり」という金言を改めて考えます。
さて、この日は卒団を迎えた6人中5人が歌ってくれました。
「最後のチャイム」は、できてまだ4年目ぐらいの新しい卒業式ソングの名曲。これを歌った川野航太郎君は、この長い曲の山場を考えた構成で、この曲の中にある静かな感動を引き出していました。羽仁遼君は繊細な声質を活かして「街は光の中に」の別れの日の輝かしくもわびしい心象風景を楚々と描いていました。岡村優輝君は、弟の幸輝君のオブリガードと共に「元気に笑え」を歌いましたが、細部もゆるがせにしない誠実な歌づくりという印象が心に残ります。「文は人なり」という言葉がありますが「歌も人なり」ですね。開場前、竹内郁君の大きく成長した姿が目の前を通り過ぎたとき、どんな声で歌うのだろうと一瞬心配しました。予想したとおり曲の紹介の声は変声した声でしたが、「少年時代」の歌に入るとこれが見事なカウンターテナーで、実に堂々と歌われていました。1年生の「のど自慢大会」のトップバッターの「ドキドキの1年生」は、こんなにたくましく成長してくれました。森本祐輔君の歌声も6年間追い続けてきました。ボーイ・ソプラノの声としての最盛期はやや過ぎていましたが、「歌」として本当にいい歌を歌うようになってきました。ステージマナーのよさも後輩によい感化を与えてきました。中学校の先輩 五十嵐喜芳先生をめざして頑張ってください。
当日お休みの難しい歌になるほどファイトを燃やす菊井優至君も入れて、ご卒団おめでとうございます。
第2の団歌
「平和をねがって」はおなじみの広島に題材をとった「青い空は」と「折り鶴」、阪神・淡路大震災からの立ち直りを歌った「しあわせ運べるように」と続きます。しあわせ運べるように」は、ボーイズ・エコー・宝塚の第2の団歌のようになってきました。「美しく青きドナウ」がオーストリアの第2の国歌であるように。これを聴かなければ、ボーイズ・エコー・宝塚の定期演奏会に来た気がしないようになってきました。結びは、「フィンランディア」。ア・カペラは、少年たちの歌声そのものに耳を傾けることができます。
定番になってきた名曲たち
最後を飾る「名曲コンサート」では、文語体の「セレナーデ」が何の違和感もなくこの少年合唱団の定番曲として定着したことを何より嬉しく感じました。
今回の定期演奏会でも、音楽的に高いものを得ることができました。観客の満足度も高かったと思います。しかし、6年生が卒団したあとのことを心配します。橋本新団長をはじめ高学年は安定していますし、確かな成長のあとを見ることができますが、団員の定着はまだ不安定です。この日OBの稲垣君や並木君は「かぶりつき」で、後輩たちの成長を見つめていました。おそらく想いは一緒ではないでしょうか。宝塚市の全小学校から団員が集まるボーイズ・エコー・宝塚に、若い情熱ある男性の指導者が・・・という私の想いはさらに高まってきました。
戻る