tosiさんの部屋

 加賀美一郎

   加賀美一郎(1933東京生まれという)は、なにしろ終戦前後の混乱期のため、あまり記録が残っていなく、「幻のボーイソプラノ」みたいになっているのが、大変残念なことではないだろうか。私が加賀美一郎の名を知ったのは、20年以上前のことです。終戦ごろすばらしいボーイソプラノがいたというふうに何かで読んだことがあります。その名は加賀美一郎。[お山の杉の子」という、歌はずっと以前から知ってはいたのですが、それを歌っているのが加賀美一郎というのはその後に知りました。たしかにあれはすばらしいです。

 終戦間際の@[お山の杉の子」、戦後のA「あかちゃんのお耳」のほか、私が調べた限りでは、いずれもサトーハチロー詞で次の作品をうたっています。
1933東京生まれといいますから、「お山の杉の子」(20年1月)をうたったときは,多分11〜12歳、6年生くらいだろうか。同じ頃B「お国のために」(弘田龍太郎曲。日蓄)C「戦闘旗が揚がってる」(不明)というのをうたっているはずです。D「嬉しい日曜日」(服部良一曲、コロンビア)は昭和15年というから7歳か。
このほか、「日本のソリスト」にもあるが、戦後1946年7月、古川録波とともに東宝映画「僕の父さん」というのに出演して、不明ですがボーイソプラノを披露しています。美輪明宏は11歳のときこの映画を見て、このなかの加賀美一郎のすばらしいボーイソプラノに衝撃を受けてそれから、歌の路に進むことになったと自伝に書いています。焼け野原で、ドラムカンの風呂に入るシーンがあるとか・・。幻の映画で、多分あれば唯一の貴重な映像でしょう。フイルムセンター(国立近代美術館)とかどこかに保存されていないでしょうか、ぜひぜひ見たいものです。あるいは、「キネマ旬報」とか当事の映画雑誌(フイルムセンター図書館にある)に写真とかのってないでしょか。

 1,2年前、NHKラジオ「川田正子特集」で、川田正子(1934、東京生まれ)が出演しました。その中で加賀美一郎と一緒に歌った「あかちゃんのお耳」(CDになっている。)が。アナウンサーが加賀美一郎はどこでうたっているんですかと質問。川田正子もボーイシュといわれ、川田正子も加賀美一郎も注意しないと分からなく、素人には区別するのが大変難しいんです。「ああ、これがボーイソプラノというもんだな」と思いました。そして、川田正子が、加賀美一郎はスマートで、たいへんな美少年であり、紅白歌合戦にも一緒にでましたといっていました。川田正子自伝がでたので、のってないか?。
 紅白歌合戦(昭和26年から)よりずっと以前、終戦直後昭和20年12月31日の第一回紅白歌試合。あの紅白歌合戦のずっと前に、古川録波、水之江滝子司会、霧島昇(旅の夜風)、松原操(悲しき子守唄)夫妻、藤原義江(出船の港)、下八川圭祐(ボルガの舟歌)などそうそうたる面々、この中で、川田正子は汽車ポッポ(草川信作曲の)、加賀美一郎はEペチカを歌っているという。NHKアーカイブスでみられないでしょうか。これら@〜Eを集めてぜひCD化してもらえたらいいですね。(@AはCD化されている。多分現在、加賀美一郎のボーイソプラノを聞けるのは、これしかないのが残念です。)
 戦後「お山の杉の子」はサトーハチローによって一部補作され歌われていますが、「お山の杉の子」が歌われた丁度その頃、時期を同じくしてもうひとつ世相を現した曲にサトーハチロー作詞「勝利の日まで」があります。同名の映画主題歌として作られた曲(古賀政男作曲)で、学童疎開の経験を持つものには忘れられない曲とか。勝利の日までというよりは、敗色濃くなった頃のことで、これを歌うと父母を思い涙がでたとか。

 加賀美一郎の「お山の杉の子」を聞くと、「あれ歌ってるの誰?」と思うだろう。それはなぜだろうか。それは非常に真剣に歌っており、この頃の時代背景を反映して緊張感が良く出ていて、伝わってくるからでしょう。それともうひとつ、それに関連して付け加えておきたいことがあります。それは、当時の歌手は総じて大変まじめに取り組んでおり、「一生懸命」歌っており、それが「伝わってきて、聞く人の心を捉えるのではないでしょうか。それは、いろいろな分野の歌に言えると思います。加賀美一郎は大変な名ボーイソプラノといってよいでしょう。それ以外にこの頃の歌い手は、みんあそうです。川田正子の「鐘の鳴る丘」を聞いてもそうですし、遡って、栄えあるレコード歌手第一号といわれ、かってNHK「一番星」の佐藤千夜子もその代表です。東京行進曲でしられる彼女は、主に野口雨情、中山晋平とともに、日本各地を回って、童謡、新民謡などの普及を行ってきて、日本最初の商業レコード第一号といわれる「波浮の港」(昭和3年ビクター)の裏面は童謡だったんですね。ラジオ放送が大正14年にスタートしたときは、まだレコードもなく、中山晋平のピアノで佐藤千夜子が5曲歌ったのが今日の歌番組のはしりだそうです。 
 
 テレビが50年を迎え、歌番組なしにテレビはない状態だが、それは中山晋平のピアノでうたった佐藤千夜子の歌によりスタートしたわけですね。佐藤千夜子は現在あまりしられていないが、流行歌手第一号とされCDもでています。実に多方面の歌をうたっていて主に野口雨情の歌が多いですが、「旅人の唄」(中山晋平曲)「信田の藪」(藤井清水曲)「雨降りお月さん」「船頭小唄」(中山晋平曲)・・なども歌っています。平井英子などのレコード童謡歌手もまだの頃、童謡も彼女が歌っていたそうです。今、野口雨情作品CD「七つの子」が出ています。佐藤千夜子の「信田の藪」(お背戸のお背戸の赤とんぼ・・、)すばらしいの一語です。一語一語、言葉を大切に、一生懸命歌っています。現在のクラッシック歌手は残念ながら言葉がはっきりしないものが大半。言葉を大切にすることなしにどうして人の心を捉えるのでしょう。

 以前、NHKアーカイブスペシャル「幾山川は越えたれど」で作曲家古賀政男の生涯をつずったドラマ再放送を2回にわたり行っていました。古賀政男は、そのころ(昭和3年)学生時代に「影を慕いて」を作曲し、その佐藤千夜子に歌ってもらったことで作曲家としてデビュウーすることになるわけだが、それを歌った多くの大歌手が口を揃えて言うことが・・「一生懸命うたった・・」ということ。後の大歌手が悩みつつ一生懸命・・。キーワードは「一生懸命」にあると思います。なんでもおなじで、それなしに人の心をとらえることはできないのではないでしょうか。加賀美一郎のうたが心を捉えるのもそこにあるのでは。

 上高田少年合唱団


 館長さま
 ボーイズエコー・宝塚の活躍を期待します。東京で公演会が有ったら、見させてもらいたいと思います。ボーイズエコー・宝塚のhp見させてもらいました。ボーイソプラノを女の子みたいな声・・とありますが、確かに「あかちゃんのお耳」(昭和21年)を聞くと一緒に歌った川田正子か、加賀美一郎かアナウンサーも分からないほどです。やはり、すばらしいボーイソプラノってこうなのかなと思いました。ボーイソプラノでも、「お山の杉の子」では、男の子というのがすぐわかります。杉の子(子供・男の子)が元気に育つことを歌った「お山の杉の子」では、男の子らしくがいいんでしょうね。使い分けできるというのは、すごいと思います。
潮ご存知と思いますが、「お山の杉の子」作詞者の徳島県の宍喰町に、「お山の杉の子」の歌碑があるそうですね。徳島県の宍喰町は椎材の産地として有名だそうで、子供の頃、木材の供出が多く禿山が増えていったことを回想しての詞であると言われていますね。これを機会に戦後植林がおこなわれたとか。
お山の杉の子歌碑 (徳島県宍喰町)
       http://www.town.shishikui.tokushima.jp/place/sugi.html

 さて、上高田少年合唱団について
 今年2003年は、テレビ放送開始50年、それに「鉄腕アトム」が生まれた?年とか。それでテレビでは「鉄腕アトム」のアニメと主題歌がたびたびテレビを賑わしています。そして、あの哀切漂う主題歌を歌っているのが上高田少年合唱団、残念ながら現在ありませんが、忘れてはならない合唱団です。上高田少年合唱団・・それは、「西六郷少年合唱団」(少年少女合唱団になり、それも解団し「新西六郷少年合唱団」に)がテレビ全盛時代とすれば、その一昔前まさにテレビの時代の初めの頃を飾った合唱団だったといえましょう。  
 今とは違って、まだ日本が貧しかった昭和20年代末から昭和30年代、しかし貧しくとも元気があった時代のラジオ・テレビで活躍。ボ、ボ、僕らは少年探偵団・・この頃少年時代を送った世代には格別の思いがあるはず。このころ娯楽は、紙芝居とか「少年」「少年画報」「冒険王」などの少年雑誌。表紙満面に当事のアイドル少年たち・・設楽幸嗣、小畑やすし、太田博之・・の顔写真、それに十大付録とかいってパンパン、それを発売を楽しみにしていた世代。そして、そのなかの漫画からたくさんの物語がラジオ・テレビドラマ化された・・・少年探偵団、鉄腕アトム、赤銅鈴之助、少年ジェット・・・・そしてその主題歌をうたったのが、「上高田少年合唱団」。「上高田少年合唱団」と、これらは一体のものだと思います。「上高田少年合唱団」の歌う歌はなぜか哀切ただよい、40年以上前とつながってゆく。
CD:上高田少年合唱団 他「なつかしのTV・ラジオ主題歌集」

 この「上高田少年合唱団」の歌ったラジオ・テレビドラマから女優になったもいる、因みに、吉永小百合は「赤銅鈴之助」(昭和32年〜)から。(吉永小百合はまさに、「お山の杉の子」がつくられた昭和20年生まれ。)
 読売新聞社会部編「東京今昔探偵」(中央公論新社中公新書ラフレ12)に、上高田少年合唱団のことがかいてあります。そして、上高田少年合唱団の練習風景や、歌っている写真もあります。上高田少年合唱団とは、東京中野区の上高田小学校児童による合唱団。できたころは、ほとんどが女子だったといいます。男子はそれを音楽室の外から見ているだけだったという。歌ってみるかと先生が誘うと、「女の子と一緒になんか歌えない」という返事。ところが日が暮れるまで続く練習に女の子の家庭からは、帰りの道が心配との声が。そこで1950年、男子だけの合唱団にした。かなり、厳しいオーデションに合格しないと入団できなかったといいます。
 すると全日本学生音楽コンクールでいきなり東日本一位、1953年NHK全国唱歌ラジオコンクールで念願の全国一位に輝いた。ラジオ・テレビ番組の主題歌の仕事が舞い込んでから、「上高田少年合唱団」にしたとか、小学校系の合唱団のはしりか。日本コロンビアで録音しており、それで選ばれた児童が「コロンビア少年合唱隊」として活躍したといいます。つまり、今は無いが、「コロンビア少年合唱隊」イコール「上高田少年合唱団」だったようです。本には「コロンビア少年合唱隊」として歌っている白黒写真が載っています。紺でしょうか、短い半ズボンにセーターに、ベレー帽、30年代の少年合唱団の定番で歌っている、かわいい7人の少年たちです。しかし今、「上高田少年合唱団」の活躍をしのばせるものは、校長室に飾られた2枚の賞状だけとかです。OBに集まってもらって復活しようと試みたそうですが、全国に散っていて、それもかなわなかったといいます。
 
  館長さま
 思い出の少年合唱団・日本のソリストに,上高田少年合唱団・コロンビア少年合唱隊入りましたね。「東京今昔探偵」によると、レコード録音の仕事がはいって,「上高田小学校児童」ではまずいので,「上高田少年合唱団」としたとありますね。
 まとめていただいたとおり、昭和34年以降、奥田先生の転勤の関係で、中野区立上高田小学校から、練馬区立開進第4小学校(3年間)、さらにその後昭和50年まで板橋区立中根橋小学校(一番長い?)へと、3つの小学校にわたっているのですね。「コロンビア少年合唱隊」として歌っているかわいい写真は、いつ頃のものかわかりませんが、60年代とも考えられますね。別に岡田孝と「お山の大将」「木登り小僧」も歌っています。
 ところで,館長がまとめていただいたそのもの・・ 板橋区立中根橋小昭和36年入学のOBと思われる方のHPがありました。そのなかに、中根橋小における「上高田少年合唱団」についても触れていてとても参考になりますので、関連情報として、ついでに添付させていただきますので,ご覧ください。
   http://member.nifty.ne.jp/ok/friend/dai12b.html

  板橋区立中根橋小学校の上高田少年合唱団について、OBの証言がありましたが、文字どおり中野区立上高田小学校のOBの貴重なページがありましたので添付します。
 奥田政夫先生のことも教え子の立場から詳しく述べられています。団員になるために、オーデッションをやったそうです。服装は当時すでに紺の半ズボンにワイシャツだったそうで、女の子の憧れの的だったそうです。
  http://members.jcom.home.ne.jp/pri-bach/NewFiles/Profile.html
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 <CD紹介>
 前回触れましたが、大変貴重なCD、今までなかなか聞けなかったものですが、CDが発売されましたので紹介します。 (童謡編、新民謡編 各1枚計2枚入り)
 「七つの子―野口雨情作品集」(ビクターエンターテインメント)
童謡編では、「南京言葉」、「十五夜お月さん」、「青い目の人形」、「雨降りお月さん」・・・とか「信田の藪」・・。歌手では平井英子、本田信子・・それに佐藤千夜子など昭和初期のもの、戦後の田端典子など。いままでこういうCDは無かったと思います。
 新民謡編では、「中野小唄」「須坂小唄」「波浮の港」「旅人の歌」「船頭小唄」・・・など、歌手では佐藤千夜子・・など。・・・なんといっても日本の歌の原点だな!と思いました。
 平井英子は舌足らずな所はあり、決してうまいというのではありませんが、一生懸命歌っています、中山晋平に可愛がられ雨情、晋平、千夜子とともに日本の一部だった台湾にもいったりしています、そういう点では大変貴重です。日本童謡の祖とも言われる本居長世も、まだラジオ放送もレコードもない頃、3人の子供を連れて全国行脚して、童謡普及運動をしていていたわけですが、「平井英子」は、本居3姉妹(貴美子・みどり・若葉)に続き、レコード童謡歌手の第一号ですね。
 ついでにCD「なつかしの童謡歌手たち@AB」、川田姉妹、安田姉妹、伴久美子、久保木幸子など、戦後20,30年代の童謡歌手・・その中に、男の子としては岡田孝が「角兵衛獅子」ほか何曲かあります。「お山の大将」(西條八十詩、本居長世曲)、(お山の大将、俺ひとり・・後から来るもの夜ばかり・・)を、ビクター少年合唱隊と歌っていてすばらしいです。ビクター少年合唱隊の哀愁を帯びた歌声も合っています。(この歌を最初に歌ったのは、本居みどり)。
また、波崎共子の歌う「信田の藪」(野口雨情詩、藤井清水曲)もすばらしいです。戦後童謡黄金時代童謡歌手は、女の子は頭に大きなリボン、男の子は半ズボンにベレー帽、写真ものっています。

CD:童謡集 昭和の子供 …土屋道典、他
風の子…川田孝子、土屋忠一、他


 日本の子役たち


 「アサヒグラフ」 1988.2.26号(通巻3419号)に、「日本の子役 子役たち55人の30年後」という企画がある。昭和32年3月に「アサヒグラフ別冊― 映画と演芸 陽春特大号」で、日本の子役55人を集めてカラー写真を載せたのだが、昭和32年3月当時の写真と、その後の近況と写真を載せている。
 当時、8歳から16歳くらいだった子役たちが、みんな40代、社会の中核として活躍している。まだ芸能活動しているものや、副社長、社長秘書、外国留学したもの、一流会社で活躍しているものなどさまざまだが、連絡が取れないもの、亡くなったものなどいるという「安田章子」(10)、現在の「由紀さおり」は、当時、川田姉妹(正子、孝子)のあと、姉の「安田祥子」とともに安田姉妹といわれた。その後、歌手に転進するに当たって童謡歌手というのが重荷になったという。現在、NHK「お江戸でござる」などで活躍。また「北大路欣也」(13)は、まだ金ボタンの学生服の中学生。かれは、このあと昭和32年9月号から「少年クラブ」の表紙を飾っている、10月号は祭り姿か、鉢巻をして白い歯をみせて笑みをたたえた「凛々しい」「美少年姿」を表紙満面に。<日本の少年って(外国の少年とくらべても格段に)美しい>なと思わずにいられない。

 童謡歌手も、田端典子(12)、伴久美子(14、ガンで亡くなった。)、古賀さと子(16)、近藤桂子(13)、いずれも「少女ブック」「少女クラブ」など松島トモ子とともに少女雑誌を飾った知る人ぞ知る童謡歌手だ。近藤桂子は美少女歌手第一号。男の子としては、小畑やすし(11)、小柳徹(8)。小柳徹は、昭和29年NHK「お話出て来い」「三太物語り」を経て、「ホームラン教室」で活躍。まだ声変りしないかわいい金ボタンの学生服の中学生姿を見た人もいるだろう。「ゲンと不動明王」など映画にも出演。その後昭和44年、20歳で、第三京浜で自分で車を運転し、事故で亡くなった。「お話出て来い」は、放送博物館に録音有り。三太物語りの主題歌、ホームラン教室はレコード有り。
・ ホームラン教室  (NHKテレビ「ホームラン教室」主題歌) / 小柳 徹 < Columbia GES-31300 >
・ 亡くなる直前、久遠時弦の名で「真夜中の並木道」(CBSソニーSONA15008)

 小畑やすしは、真ん中で、ブレザーに蝶ネクタイ姿、当時としては格好いい。女の子の松島トモ子(10)とともに、少年雑誌(「ぼくら」、「漫画王」など)の表紙を飾った。
 この後「少年探偵団」を最後に芸能界から足を洗ったそうだ、欠席が3分の一にもなっていたからだという。「タン子、タン吉珍道中」「あんみつ姫」など松島トモ子と競演することが多く、「よく、トモ子ちゃんと一緒にお風呂に入ったもの。」という。その後外国で勉強、そのとき42歳で、一流商社の課長になっていた。多分、男の子で松島トモ子とお風呂に入ったのは彼一人のはず。小鳩くるみ(8)はその後外国留学。
 設楽幸嗣、太田博之については残念ながら入ってない。
 ・青空にらくがきしよう(フジテレビ「青空にらくがきしよう」主題歌) 太田博之< CROWN GES-31307 >
設楽幸嗣は「黄色いカラス」などの映画に出演、ビデオが出ている。復員の兵隊を父に持つ少年の葛藤、からすの絵を黄色に塗る。当時は多かったという。
少年画報の表紙は設楽幸嗣の後太田博之になった。日本の子って美しいというか優しいと感じます。10年前浅草新仲見世で、プロマイド屋に立ち寄ってみた。すごい、40年も前の「小畑やすし、設楽幸嗣、大田博之・・・・・」沢山のプロマイドがあるんです。それも一人、何ポーズも。浅草に行ったらぜひ立ち寄る価値があります。修学旅行生にも有名とか。日本の少年合唱団がんばってください!!。
マルベル堂    台東区浅草1−30−6 新仲見世アーケード内
     http://www.marubell.co.jp/ 
 http://www.hi-cara.com/mps/whatpex3.html
            TEL.03-3844-1445( 年中無休)

<参考文献紹介>  ―日本の美少年・他!!―
     ・まんだらけ INO漫画資料体系保存版―戦前・戦後の漫画雑誌一大特集
           昭和30年代雑誌黄金世代(全雑誌全号の表紙掲載)
       まんだらけ出版部編 ( 電話 03―3226―0007)
・ 「少年マンガ大戦争 」(蒼馬社2000)
・ 「少年画報大全」(昭和23年―46年)(少年画報社2001)
・ 「宝島 ・1960年大百科」      (宝島社1991)
・ 「別冊 太陽 少年マンガの世界 」 (平凡社1996)
・ 「同上   こどもの昭和史」 ( 昭和20―35年 ) 同
・ 「同上    同      」 (昭和35―48年) 同
・ 「同上   高畠華宵 美少年美少女幻影」    同1995
・ 「高畠華宵 大正ロマン館 」 (高畠華宵美の美少年画 )  弥生美術館
  (弥生美術館は、文京区東大弥生門直前にあり、美少年展示企画多し。
   電話03― 3812―0012。まんだらけは、漫画専門書店。)
     ・ 金田一春彦「童謡・唱歌の世界」  (教育出版2000)
・ 「ノーサイド 」―想い出の名番組 1996・2月号(文芸春秋社)

 「みんなのうた」と少年合唱隊


 西條八十の弟子で、戦前戦後にかけて活躍して、とくにボーイソプラノと関係した唄を幾つか作っていますサトーハチローとその歌について、参考にあげてみたいと思います。
 戦後NHK連続放送劇「ジロリンタン物語り」(サトーハチロー作)の主題歌「ジロリンタンの歌」(古関裕而作曲)(加瀬田直人.、平真由美)、「風の子」(映画「風の子」主題歌、古関裕而作曲)(川田孝子、土屋忠一).二人とも綺麗なボーイソプラノです。コロンビアCOCA-11255;「サトーハチロー記念館 童謡・コロンビア編」、他に「お山の杉の子」(安西愛子、加賀美一郎、須永恵美子他)、「めんこい子馬」、「エンゼルはいつまでも」(川田孝子他、森永の歌)他全27曲。ついでに、COCA-11253「同 歌謡曲コロンビア戦前編」;「勝利の日まで」(古賀政男作曲)他。・・「お山の杉の子」と全く同じ時期、状況下でつくられた名曲.。空襲と学童疎開という、日本の歴史上、最も困難な時期に作られた歌.、疎開学童に歌われたという。

 1960年代、NHKのこども歌番組に、「歌のメリーゴーランド」「歌はともだち」と「みんなのうた」ができた。「みんなのうたの部屋」というHPによると、「みんなのうた」は、昭和36年(1961)年4月にスタート。4月から5月にかけて、「東京少年合唱隊」の「おお牧場はみどり」で始まっています。
以下それを含め(毎日、「東京少年合唱隊」の「おお場はみどり」はレギュラーだったようだ。)月:あわて床屋(ボニージャックス)、火:ドジョッコフナッコ(中村浩子)、水:誰もしらない(楠トシエ)、木;カナダ旅行(芦野宏)、金;フニクリフニクラ(デユークエイセス)、そんな感じで6−7月は、「東京少年合唱隊」の「歌声ひびけば」と曜日によって、日替わりにボニージャックス、ダ−クダックス、・・。それに火曜日は、「東京少年合唱隊」の歌(クイクイマニマニ)が入る。8−9月は「東京少年合唱隊」の「ホルデイリデイア」そして、火曜日は「東京少年合唱隊」の「一日の終わり」が昭和37年5月まで続いたようです。
以後、6−7月はレギュラー「東京混声合唱団」、そして8−9月からレギュラー「NHK東京放送児童合唱団」で、金曜日に「フレーベル少年合唱団」が「おなかのへるうた」をうたっています。昭和37年12月から38年1月が、レギュラー「西六郷児童(少年?)合唱団」で、それ以後「NHK東京放送児童合唱団」がレギュラーが多い。
昭和40年12月から41年1月まで、水曜日に「フレーベル少年合唱団」が、「たきびをかこんで」を歌っています。「西六郷少年合唱団」としては、「逃げた小鳥」(38年6−7)、「アルプスの谷間」(38年12月)「若人の歌」(39年2月、東京放送児童合唱団と)
「ビクター少年合唱隊」は、42年6−7月にかけて「牛飼いのヨーデル」、43年4−5月、宍倉正信と「みどりいろの翼」……その他です。

私が印象に残っているのは、@「わんぱくマーチ」(39年12月、NHK東京放送児童合唱団、キングレコードからレコードがでている。)、45年2−3月のA「トレロカモミロ」(西六郷少年少女合唱団、レギュラー。下参照。)。いずれも少年合唱団が歌うべきものかも。
「わんぱくマーチ」、・・♪いざゆけや、仲間たち、目指すはあの丘〜・・・・フランス映画「わんぱく戦争」が日本で封切られ、日比谷の映画館には男子小中学生などで満員だった。映画のことはしらなくとも、「わんぱくマーチ」はいろいろなところで歌われていたし、今でも歌われているのでは。
別名「ボタン戦争」、ボタンを取られぬよう、ふた組の男の子の集団が素っ裸で・・・・つまんで、棒を手に野山を駆け巡るというもの・・。 また「わんぱく探偵団」という番組もできて、主題歌として・・
 ♪ わんぱくマーチ…     中森孝子、あいりす児童合唱団
        ♪ わんぱく部隊の歌…    横田浩和、テイチク児童合唱団
 「トレロカモミロ」は、闘牛士の歌。「♪ランララランララ・・・ オレ!・・・・トレロカモミロ、・・戦いより昼寝が好き・・オレ・・」、言わずと知れた「これぞ、みんなのうた」と言う作品。西六郷少年少女合唱団が歌ったのだが、いろいろレコードがでている。男の子が独唱でボーイソプラノで歌うところがあるのだが、綺麗で印象にのこっている。このうたの評判も高いようで、何回か再放送されてるようです。 
  CD:NHKみんなのうたより ベスト60    (キングレコードFCD-331_3)
ここで、特筆すべきは、これら「みんなのうた」が、少年合唱団の歌によってスタートし、また少年合唱団の歌によってリードされてきたということです。日本が高度成長に向かって元気だった昭和36年、「みんなのうた」も、気品のある少年たちの歌声によって引っ張られていたということは知りませんでした。全国の少年合唱団がんばって!!。特に以上二つの歌は、少年合唱で聞きたい。

なお、1981年までに、「みんなのうた」にでてくる児童合唱団は、出てくる順に以下のとおり:
 東京少年合唱隊、みすず児童合唱団、ビクター児童合唱団?、NHK東京放送児童合唱
団、フレーベル少年合唱団、西六郷少年合唱団、西六郷少年少女合唱団、杉並児童合
唱団、NHK大阪放送児童合唱団、ひばり児童合唱団、NHK名古屋放送児童合唱団、ビクター少年合唱隊、ひばりが丘少年少女合唱団、NHK静岡放送児童合唱団、東京少年少女合唱隊、荒川少年少女合唱隊、福岡市長尾児童合唱団、徳島少年少女合唱隊、坂本児童合唱団、川崎少年少女合唱団、少年少女合唱団みずうみ
                      (参考:HP[みんなのうたの部屋]

 みんなの歌と懐かしいこども番組


 みんなの歌でも「お山の大将」(西條八十作詩、本居長世作曲)を、40年代に立川澄人と、ひばりケ丘少年少女合唱団でうたってるんですね。非常に沢山のうたと、ジャンルもかなり広いこ とにびっくりです。レコード集、すべてのうたが入ってるわけではないが、少年合唱団が活躍し たもので、大変貴重です。他にも少年合唱団の足跡を発掘し、記録にとどめることは、日本の少年合唱団を応援する意味で大切なことだと思いますので、分かった事は投稿させてもらいたい と思っています。

本HPに岡浩也など活躍した、なつかしの子供番組のことがありますが、たいてい主題歌を、そのアイドルがうたっていたものですね、もう知らないものもいると思います、そこで、関連レコードジャケットと、そこに残る貴重な写真がありましたので添付します。

けんちゃんシリーズ(宮脇康之、岡浩也)他レコード
  http://hyper-kinchan.hp.infoseek.co.jp/hokakodomo.htm
    「けんちゃん」シリーズ、「あばれはっちゃく」(歌、堀江美都子)・・・・
岡浩也http://hyper-kinchan.hp.infoseek.co.jp/okasan.htm
      A面 洗濯ジャブジャブ 、B面 デンデン虫のデン子さん

なお、「おはよう子供ショー」のジャケットの男の子の「つり半ズボン」と女の子のスカートの制服姿,「音羽ゆりかご会」ですね。「音羽ゆりかご会」は「コロンビアゆりかご会」として歌ってるのもありますね。今年で70年の歴史を持ち、川田姉妹はじめ沢山の童謡歌手がでているようです。

「NHKみんなのうたより 」VOL.1〜/キングSKM(H)2043 他
  他に、ビクター、コロンビア、ポリドール(オリジナル盤)、キャニオンなどからでている。
 みんなのうた http://blue.ribbon.to/~aatw/main.htm
        http://www.interq.or.jp/orange/mitumi/utakan/others/lplist02.htm

みんなのうた http://blue.ribbon.to/~aatw/main.htm
 http://www.interq.or.jp/orange/mitumi/utakan/others/lplist02.htm

みんなの歌http://blue.ribbon.to/~aatw/main.htm
http://blue.ribbon.to/~aatw/main.htm

けんちゃんシリーズ(宮脇康之、岡浩也)他レコード
http://hyper-kinchan.hp.infoseek.co.jp/hokakodomo.htm

 コロムビア少年合唱隊


   「ビクター少年合唱隊」は,沢山すばらしい歌声を聞かせてくれ、レコードも沢山残っているわけですが、同じレコード会社系の「コロンビア少年合唱隊」については、現在無い事もあるのか,あまり記録が残っていないようですね。「思い出の少年合唱団」にも、コロムビア少年合唱団の名はありません。「コロンビア少年合唱隊」とは,「上高田少年合唱団」の中から選ばれた少年による合唱隊ということで,「東京今昔探偵」にもその写真がでているわけですが、「上高田少年合唱団」の解団に伴いなくなったのでしょう。
 ところで,岡田孝の歌った「お山の大将」と一緒に歌っているのを「ビクター少年合唱隊」と書きましたが,カセットの小さい字をよく調べたら「コロムビア少年合唱隊」の間違いでした。「お山の大将」(西條八十詩,本居長世曲)は、最初「本居みどり」がレコードにいれた「日本の名曲」で、「コロムビア少年合唱隊」は、これを岡田孝とともに,素晴らしく歌っています。哀調漂うその歌声は岡田孝の歌とあって素晴らしいです。ぜひ、みなさまにもおすすめしたいと思います。他に,「木登り小僧」(サトーハチロー詩,富田勲曲)も同じです。他にもレコードは沢山あると思います。
  復刻・懐かしの童謡歌手たち 3  (コロンビア)
     安田祥子・章子、岡田孝,羽崎共子,松島トモ子,桑名貞子,井上裕子,他

また、もうひとつレコード会社系で、「ポンポン大将」の「キング少年合唱団」というのもありましたね、いまどうなっているのか。

「月寒(つきさっぷ)の少年」 
西六郷少年合唱団の変更の年,昭和36年(1961)、ちょうど「みんなの歌」がスタートしたのが、4月ですから、年の後のほうでしょうが、東京少年合唱隊と同じなんですね。なにかこの頃あっただろうかと思ったりします。

さて、「ビクター少年合唱隊」に比べ、同じレコード会社関連の「コロムビア少年合唱隊」については、「春の小川」など聞いたことはあるのですが、レコードとしては、岡田孝と「木登り小僧」とか「お山の大将」を歌っているものくらいしか知りませんので、他に聞けないかと調べてみましたが、なかなかわからないですね。
 
そんななかで、同じ昭和36年に「月寒(つきさっぷ)の少年」(詩、星野哲郎、曲、船村 徹)というのをレコードにしてるんですね。その歌は知らないのですが、今も北海道では、非常に大きな意味を持ってるようなのです。他の歌とともにCD化され、一度聴きたいと思います。(昭和36年というと、練馬区立開進第4小?でしょうか。)
http://www.city.sapporo.jp/somu/koho-shi/200110/toyohira/toyo02.pdf
♪夕陽がすべる 野の果てに 山のうねりが凍りつく・・・

北海道・札幌に[月寒]という地区があり、平成6年ごろ、地域おこし・ふれあいの必要が議論されていたところ、この歌の存在が町内会女性部の会合で紹介され、これが大自然に恵まれ、羊や牛の放牧や農村の風景が続いていた頃の月寒を忍ばせる大変叙情的な歌で、街のイメージアップに役立つと思ったそうですが、レコードはどこにも無く、新聞で呼びかけたところ、小樽のレコード収集家のところで発見。大きな話題を呼び、「親子ふれあいコンサート」などで親しまれ、その後「“月寒の少年” 市民会議」というのが出来て、この歌の普及に努力した団体の表彰とか、月寒の歴史や文化を多くの人に知ってもらうために「“月寒の少年”のつどい」「月寒の歴史と文化を訪ねる見学会」、講演会、演奏会などを開催してるそうです。また月寒小学校という小学校があり、今も下校をしらせるメロデーとしているといいます。

<クラウン少年合唱隊>
「クラウン少年合唱隊」というのがあり、「荒野の少年イサム」「イサムの歌」を1973に出しているようですが、「クラウン・ボニー・ボーイズ」が上高田少年合唱団の変名だそうで、ことによると、クラウン少年合唱隊もイコールかなのかもしれません?。

みどりのそよかぜ
上高田少年合唱団が、昭和28、29年には「全日本学生音楽コンクール」合唱の部と「NHK全国 唱歌ラジオコンクール」で全国一に輝いたとき、何を歌ったのかしりませんが、当時「みどりのそよ風」がよく歌われたそうです。
「みどりのそよかぜ」(清水かつら作詞、草川信作曲)は、昭和21年に、NHKの要請で作られ、「涼やかな風、緑の香りが漂ってきそうな爽やかなメロディと、楽しげな子供たちの情景を描いた歌」だそうです。
元来は独唱曲でしたが、翌年から始まった「全日本児童唱歌ラジオコンクール」で二部合唱でよく歌われるようになったとのこと。当時、ラジオからよくこの歌の美しいハーモニーが流れていたそうです。 戦前、子供の歌は「合唱があると流行らない」と考えられ、合唱曲は避けられることが多かったそうです。ところが、戦後「全日本児童唱歌ラジオコンクール」で、多くの合唱曲が歌われ、そのきっかけとなったのが、この「みどりのそよ風」であったそうです。この歌のレコードはあまり、目にしないんですが、「コロンビア少年合唱隊」が、岡本耕次(ソロ)とレコーデイングしてるということがわかりました。聞いたことありますか、私は聞いたことがないので、復刻されれば聞きたいと思います。なお、これをもとににした、「みどりのそよ風」の着メロがあるようで、こちらから、コロンビア少年合唱隊の同レコードがあるということを知ったというわけです。
   みどりのそよ風
1..みどりのそよ風 いい日だねちょうちょもひらひら 豆の花なないろばたけに 妹のつまみ菜摘む手が かわいいな

 コロムビア少年合唱隊とレコード


 どんどん新しいレコードができ、レコードもすぐ廃盤とかになってしまうようですが、聞きたいいいレコードはたくさんあり、見つかると嬉しいものです。また、個人的にレコードを収集している者もいるようですね。私も今「コロムビア少年合唱団(隊)」のレコードリストをまとめてますが、収集家の力を借りて、今下のものが分かりました。まだあると思われ分かったら追加したいと思いますがかなりたくさんのいい歌をレコード化してるようです。驚いたのは「昭和のこども」「お山の杉の子」とか歌ってるんですね。[お山の杉の子]、そうすると、加賀美一郎のと、川田正子のと3つ在るんですね。岡田孝もコロムビアでレコードを出してるようで、岡田孝と一緒に歌ってるのもおおいです。
 コロンビア少年合唱団(隊)レコード    (*既出。)
*「緑のそよかぜ」岡本耕次
*「木のぼり小僧」岡田孝
*「お山の大将」 岡田孝
 「花咲じじい」 岡田孝 
 「花火」    岡田孝 
 「珍念さん」  岡田孝
 「昭和の子ども」高野政次
 「白馬童子」  高野政次
 「汽車ぽっぽ」 高野政次
 「お山の杉の子」高野政次、安西愛子
 「桃太郎」   高野政次、横野鉄雄
 「一寸法師」  横野鉄雄
 「浦島太郎」  横野鉄雄
 「村のかじや」 横野鉄雄
 「野中のばら」 浅井正子
 「あおげば尊し」安田章子
 「牛若丸」   小牟礼利郎
 「こうま」   大谷守孝
 「助船」    ソロなし
* 「月寒の少年」 ソロなし(昭和36年)
なお、以前ちょっと触れましたが「ジロリンタンの歌」の加世田直人、いくつかレコードが分かりましたので、また。現在ピアニストだそうです。

 戦前戦後のボーイソプラノ歌手


戦前戦後のボーイソプラノ歌手(ソリスト)と歌について、まだ「日本のソリスト」に載ってないもので、主だったところを補完するとしたらどんなものがあるか、分かる範囲で調べてまとめてみましたので参考にしてください。歌について他にあるはずですが、今分かる範囲で参考に書きました。戦前については、石井亀次郎は、女の子の(本格的な)童謡レコード歌手第一号といわれる平井英子と一緒に歌って、つながってくると思います。(なお、生年等内容さらに分かったら追加したいと思います。)

<戦  前>
藤山一郎(1911〜1992)
 東京出身、本名・増永丈夫。大正10年慶応幼稚舎時代に童謡歌手としてレコードを吹込むんでいる。童謡歌手の魁とされる本居みどりが、大正10年(1921)に、ニッポノホンレコードに「十五夜お月さん」を吹き込んでいる。あまり知られてないが、丁度同じころ、幼稚舎4年生(1921)のとき、ニッポノフォンレコード(日本蓄音器商会の前身東京三光堂、スタークトン・レコード)に童謡を吹き込んでいる。「半どん」「春の野」(田辺友三郎作詞・田村虎蔵作曲)・・♪ましろにみえし ゆき消えて・・・「何して遊ぼ」などの童謡を歌っている。  
 当時は、電気吹込みではなくスタジオの壁から突き出たおおきなメガホォンのような集音ラッパ吹き込むロー管吹込みだったという。この頃、大正時代、本居三姉妹が全国行脚(一部レコード)で活躍していた頃である。電気吹込みになったのは昭和3年からで、このラッパ吹込みをしてる童謡歌手は、本居三姉妹のほか平井英子(1918東京生)くらいだという。

 藤山一郎がラジオに登場したのは、昭和3年の慶応普通部時代で、それ以来、音楽放送の歴史とともに歩んできた。『日本放送史』(日本放送協会編)には、「藤山は、《丘を越えて》《影を慕いて》などの古賀政男のいわゆる古賀メロディーで流行歌手としての地位を確立、音楽学校卒業後、増永丈夫の名でクラシック曲を、藤山一郎の名で流行歌曲を歌いのち、指揮者として活躍し、戦前、戦後を通じて放送音楽に重要な役割を果した。」とある。平成四年、国民栄誉賞受賞。愛宕山のNHK放送博物館には彼のコーナーがあり、業績や記念物の展示があり、ビデオが見れる。

石井亀次郎(1919〜)
 東京出身。昔はこういう名が多かったようだ。名前はいかついが、昭和レコード時代初期の童謡歌手・ボーイソプラノ。昭和3年に童謡歌手としてデビュー。東洋音楽学校を中退後は、軍歌などを多く歌い、戦時中はポリドール社員となる。昭和34年(1959)には「やさしい和尚さん」(作詩:加藤省吾 作曲:八洲秀章)(歌手:石井亀次郎とキングホウズキ会)で、第1回日本レコード大賞童謡賞を受賞した。
 
 昭和4年の松竹映画「母の歌」で、佐藤千夜子の歌った主題歌「母の歌」(鶴見祐輔作詞、中山晋平作曲、ビクター)・・♪大きなやまのふところに・・のB面で平井英子と挿入歌「母を慕う歌」を歌ってる。他に奥田良三、関種子と「健歩の歌」、「お祭り」、「一茶さん」・・などがある。「一茶さん」・・♪一茶のおじさん 一茶のおじさん・・は昭和30年代までよく小学校の学芸会で、踊ったりする出し物として定番だった。
 昭和15年ごろから、バリトン歌手「石井肇」、また石井亀次郎の名で軍歌・軍国歌謡の指導などをしている。
「母の歌/母を慕ふ歌」(佐藤千夜子/平井英子)
 「お祭り」「健歩の歌」、「一茶さん」

小笠原英夫
 「昭和の子供」(久保田宵二作詞、佐々木すぐる作曲)(CD:COCA-12460 2,548)
  この歌は、昭和2年(1927)1月、JOAK「子供の時間」に初めて放送されたもの、大正15年(昭和元年)は1週間しかなく、翌正月は昭和2年だった。実質昭和に入って最初の歌・・まだ「君恋し」「出船」(昭和3年)も出てなく、本居長世は、全国行脚の途中『汽車ぽっぽ』をつくった。同じ昭和2年、山田耕筰は、「赤とんぼ」を作曲した。運動会用行進曲用(14年)とか、何回かレコードになって、戦後は土屋道典(ひばり児童合唱団所属)がコロンビアゆりかご会と歌ってる。資料が乏しいが、レコードは昭和6年初めに出たようです。
♪昭和 昭和 昭和の子供よ 僕たちは 姿もきりり 心もきりり・・

佐々木行綱(ササキ ユキツナ)
・佐々木行綱は、作曲家佐々木すぐる(1892〜1966)の三男、佐々木すぐるは、現在もある青い鳥児童合唱団を主宰。多くの戦時童謡を作った佐々木すぐる自身、長男が戦死している。三男「行綱」は、ボーイソプラノ童謡歌手として活躍。「兵隊あそび」「犬と小僧さん」その他がある。
 1953年、ショスタコーヴィッチのオラトリオ『森の歌』が本邦初演され、この時の合唱団は京都紫明合唱団、梅屋小学校児童合唱団、独唱は竹内光男と佐々木行綱、オーケストラは京大OBらで編成された「こんせえる・ぬうぼお」だそうです。 
 1950〜1960年代に二期会で活躍。「火刑台上のジャンヌ・ダルク」 (1959、本邦初) (なお、このとき、後(1960)に「東京少年合唱隊」と「東京少年少女合唱隊」となる、「東京少女合唱隊」も参加している。)
モーツァルト 生誕200年記念二期会モーツァルト祭T、歌劇「魔笛」に出演。
昭和30年頃、柴田睦陸夫妻門下生の声楽研究グループ、√S(ルートS)に、吉岡巌、坂本栄子氏らと参加、日本歌曲、オペラ、イタリア歌曲による定期コンサートを持つ。オペラ「夕鶴」(團伊玖磨)に伊藤京子、鮫島有美子、砂原美智子、木下保、中村健、立川清登、岡村喬生らと出演。アイリス児童合唱団、青い鳥児童合唱団、東京少年少女合唱隊、東京放送児童合唱団、ビクター児童合唱団、ひばり児童合唱団ほか沢山の児童合唱団も参加している。

現在、音楽評論家、財団法人日本音楽教育文化振興会主催日本声楽コンクール審査委員。
「レコード芸術編 名曲名盤300〜ベストCDはこれだ」共著 (音楽之友社1988、1994、95年)
「クラシックCDエッセンシャル・ガイド150」     同 (学習研究社 2002年 )

<戦  後>

加賀美一郎  (1933東京生まれ)

 加賀美一郎(1933東京生まれ)は、資料が乏しいが昭和15年に「嬉しい日曜日」(サトーハチロー作詞、服部良一作曲、コロンビア)のレコ−ドがあるので7歳位から歌ってるようだ、その意味では戦前に入る。また、終戦間際には、[お山の杉の子」(サトーハチロー補作詞、佐々木すぐる作曲、20年1月) や、「お国のために」(サトーハチロー作詞、弘田龍太郎作曲。日蓄)などうたっている。丁度同じ頃(彼とは関係ないが)サトーハチロー作詩「勝利の日まで」(古賀政男作曲・・同名の映画主題歌。疎開学童によく歌われたという。)が歌われた。他に「海の子」「赤ずきん」などのレコードがある。

 戦前・戦中のボーソプラノである彼は,同時に戦後最初のボーイソプラノ歌手ということができる。終戦の年、昭和20年12月31日、JOAK「紅白音楽試合」で「ペチカ」を歌っている。女の子では、川田正子が「汽車ポッポ」(草川信作曲)を歌っている。21年7月には、古川録波とともに東宝映画「僕の父さん」に出演して、ボーイソプラノを披露している。成人後だが、昭和30年12月には、日活映画「月がとっても青いから」 出演もある。21,2歳頃か,その頃もスターだったのかもしれない。

 多分[お山の杉の子」あたりが、11〜12歳戦後と思われるので、戦後21年、川田正子と歌っている「あかちゃんのお耳」(サトーハチロー作詞、佐々木すぐる作曲)辺りがことによると、ボーソプラノ最盛期ではないだろうかと思われる。こちらは、加賀美一郎、川田正子と音羽ゆりかご会・・どちらがどちらか分からないくらいだ。川田正子は「あかちゃんのお耳」を最期に童謡歌手を引退。変わりに妹の川田孝子が活躍することになる。 
 加賀美一郎は戦前・戦中・戦後を繋ぐボーイソプラノ。日本の最も困難な混乱の時代のなか、戦後はもうボーソプラノも短いのが残念であった。

「嬉しい日曜日」(サトウハチロー作詞、服部良一曲、コロンビア、昭和15年)
「お国のために」(サトウハチロー作詞、弘田龍太郎作曲。日蓄)(岡本美智子)
「海の子」 (岡本美智子)
「戦闘旗が揚がってる」(藤浦 洸作詞、弘田竜太郎作曲)
「お山の杉の子」(サトーハチロー補作、佐々木すぐる作曲)
「あかちゃんのお耳」(サトーハチロー作詞、佐々木すぐる作曲)
「赤ずきん」    

映画:「僕の父さん」(1946,東宝)、「月がとっても青いから」(1955、日活) 出演。

上山高史(1937東京生まれ)
 たぶん,戦後加賀美一郎がボーイソプラノを終える頃からか。7歳から「音羽ゆりかご会」に所属。社会問題となっていた戦災孤児の救済をテーマとしたもので、戦後最初のJOAKラジオドラマ・・連続放送劇「鐘の鳴る丘」(昭和22年7月〜25年12月。菊田一夫作詩,古関裕而作曲)の主題歌・・緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台〜・・ のソロを古関裕而のハモンドオルガン生伴奏で生放送や録音で歌う。レコードでは、川田正子・音羽ゆりかご会になってるが、生放送では上山高史が歌ったもの。(当時「音羽ゆりかご会」は、NHK(JOAK)専属として多くのラジオドラマの主題歌を歌っていた。)  
 なお,大人の役は、加藤道子,巌金四郎などの声優があたったが,こどもたちは,東京練馬区立豊玉第二小学校童劇部の素人の児童があたった。
 昭和22年(1947)、キングレコード専属童謡歌手。レコードも15枚吹き込んだが変声期で中断、昭和25(1950)年童謡歌手引退。
 昭和35年(1960)慶応在学中日本文化放送主催"NEW VOICE SCOUT SHOW"のGRAND-PRIX大会で優勝。1961年人気番組"ヒット・パレード"にザ・ピーナツ、水原 弘と共演。同年慶応大学文学部卒後、3年間プロ歌手として、八城一夫、渡辺貞夫、山下洋輔、スリーグレーセス他と共演し活動。
昭和38(1963)年、知り合いの紹介でエンジニアリングの日揮株式会社に入社。国際事業部門で国際営業を担当し、世界を舞台に辣腕を振るうことになる。
 97年サラリーマン生活を定年退職後、2枚のCDを発表し音楽活動を再開。現在、山下洋輔はじめジャズ界の一流演奏家達との共演で都内を中心にジャズボーカリストとして現在活動中。

小牟礼利郎(小牟礼利子郎)
 ひばり児童合唱団所属、昭和27年(1952年)、コロムビアの専属童謡歌手となる。
「牛若丸」
「海はふるさと」
「笛吹きおじいさん」 

土屋忠一
 詳細不明、土屋道典と兄弟か?「風の子」が有名。
 「風の子」(サトーハチロー作詞,古関裕而作曲) (川田孝子) ・・CDがでてる。
「日本の乙女/少年の歌」    (安西愛子、川田孝子)
 「サクランボ道中」 (古川ロッパ)(NHK連続放送劇「サクランボ大将」、挿入歌)
 「とんびにきいた」 (川田孝子)
 「とんとこおどり」 (川田孝子)
「ドレミファ先生」 (川田孝子)・・
「ギーバッタン」 (深瀬悠子)
「僕はお猿の機関士で」・・「僕は特急の機関士で」の子供版。河井坊茶、伴久美子 川田孝子、松田トシ、安西愛子、三木鶏郎が歌っている。

土屋道典  
 ひばり児童合唱団所属、昭和27年,安田祥子(現二期会会員),内田喜美 
江,小牟礼利子郎,横山瑛子などとともに,コロムビアの専属童謡歌手となる。
安田章子(由紀さおり)は、昭和28年、コロムビアの専属となる。ひばりオペレッタ「みにくいあひるの子」などにも出演。
  「昭和の子供」(コロンビアゆりかご会)
  「日本の子供の歌」(西條八十作詞、佐々木すぐる作曲)(安田祥子)
  「皇太子さま」・・皇太子立太子礼子供大会(於 上野動物園内)出演。
  「ポコちゃんの車掌さん」
  「こいのぼり」 (安田祥子)
  「おいでよピーターパン」
  「汽車ポッポ」(内田貴見江、ひばり児童合唱団)

岡田孝
 昭和23年(1948)1月1日、兵庫県西宮市生まれ。大阪豊中市立大地小学校から7歳で東京へ移り、新宿区立市谷小学校へ転入。9歳で日本コロンビアと専属契約を結び、童謡のレコーディング多数。昭和33年(1958)12月1日、大阪テレビ放送(JOBX−TV)開局二周年記念「誕生日十二月一日」に、当時のスター童謡歌手だった古賀さと子と出演。なお、古賀さと子(1940生まれ)は映画「オーケストラの姉妹」で、設楽幸嗣と共演したり「少女クラブ」の表紙を飾るスター童謡歌手だった。
 卒業後、大阪に移り、兵庫県の私立雲雀丘中学校へ進んだ。さらに大阪府立豊中高等学校から、大阪音楽大学声楽科・同専攻科を卒業、関西二期会研究生を経て、カウンターテナーのフランス・デラー・アカデミーに学び、度々の渡欧を通じ1973年、カウンターテノールとして演奏活動開始。日本はもとよりフランス・ドイツなどの海外音楽祭にも招かれ国際舞台での高い評価を受ける。

 1978年ソロアルバム(LP)リリース。ヨーロッパ、日本各地で数多くの公演に出演。1994年、セカンドアルバム(CD)発売。京都大学グリークラブの定期演奏会でカウンターテナーの発声法など指導したり、声楽の公開講座(バロックを歌う楽しみ)で演奏と講演。「音楽の流れるまち」を目指す地元 西宮市で講演するなど多方面で活躍。研究者として数多くの論文も著す。 和歌山信愛女子短大非常勤講師を経て、西宮市の夙川学院短期大学助教授、母校大阪音楽大学東京の桐朋学園での特別講座を持つ。現在夙川学院短期大学教授。「アマリリ麗し」(FMC−5027)などがある。
岡田孝「ジョン・ダウランドの歌曲集全4巻の研究」(『夙川学院短期大学研究紀要 14』1989年、41-61頁)音域、トナリティなどの分析。
岡田孝「バロック声楽曲にみる様式的な演奏手法の研究(その1、2)」夙川学院短期大学研究紀要(夙川学院短期大学)
「くまのこやっほー」(サトウ ハチロー作詞、冨田 勲作曲)
「おんどりめんどりひよっこさん」(羽崎共子・小宮山幸子)
「牛若丸」(フォーコインズ)
「花咲じじい」 
「花火」    
「珍念さん」 
「子供の夢」(伴久美子、ひばり児童合唱団)
「赤とんぼ」
「木のぼり小僧」
「角兵衛獅子」(コロンビア少年合唱団)
「お山の大将」(コロンビア少年合唱団)

藤沼千美(ふじぬまかずみ)
 昭和25年(1950)東京生まれ。昭和34年(1959)童謡歌手としビクターからデビュ―。第12回芸術祭参加「雨乞いわらしんべ」「川」で文部大臣賞受賞。このとき東京少年合唱隊も「切支丹物語」で参加している。団伊玖磨の歌劇「夕づる」にボーイソプラノで参加。

 仲良し家庭音楽会・・・・童謡「海」や、テレビ「少年ジェット」(1958〜1960)、「高丸菊丸」の主題歌など歌う。
昭和40年(1970),20才で再デビュー、ピアノの魔術師とも呼ばれ、作曲活動も行う。作品「つめたい指」「抱きしめて」、NHKおかあさんといっしょに「こおろぎ73」「はらぺこ大作戦」「レッツダンス」、小鳩くるみ「愛するあなたと」など作曲。
昭和62年(1992),藤沼千美音楽教室を目黒に開設。平成9年には、テレビ番組「ルックルックこんにちは」「ニュースプラス1」「モーニングeye」などに出演活躍。

加世田直人
 現在ピアニスト、群馬交響楽団関連の「郡響と第九を歌う会」(合唱指揮 織田修一 ピ 
 アニスト 加世田直人)、「合唱団コルス・フローレス」など、主に群馬で活躍している。
 「ジロリンタンの歌」は、NHK連続放送劇の主題歌だが、元は安西愛子が歌って、これは昭和46年(1971)に再吹込み。11〜12才として、1960年前後生まれと思われる。ハキハキとした歌い方でうたっている。
  「ジロリンタンの歌」 (サトーハチロー作詞,古関裕而作曲)  (平真由美)
  「マグマ大使」     (ボンクール)         1976コロンビア
   「欲しがりません勝つまでは」 (多丸美雪、コロンビアゆりかご会)コロンビア
  「戦え、笛吹童子」
   「赤胴音頭」       (ハニーナイツ)1972
  「ガバットットのサンバ」 (コロンビアメールハーモニー)1971コロンビア
         (「ジロリンタンの歌」はCDがでてる。) 

北野修治
キングレコードの専属歌手として活躍、その後シャンソンと出会い、現在は歌の講師を務めながら新たな夢を追いかける。
「ふしぎなポケット」(小川貴代乃)
「少年猿飛佐助」
「ぼうやのぽっけ」
「クリスマスうれしいな」(岡山ルミ子)

 50〜60年代の子供向け番組


ソリスト、参考ですので音源が手にはいるものについては、ご自分でゆっくり聞かれるといいでしょう。(そういう意味では、CDのある小笠原英夫以外、戦前のものは、日本のボーイソプラノの歴史を考える上での情報と考えてください。)
この前、神田神保町の古書センタービルの上にある「富士レコード」に始めていってきました。私も教えてもらったのですが、さすがに「平井英子」とか名歌手「徳山l」などめったに手に入らない貴重なSPレコードが沢山あるのには、敬服しました。「鉄腕アトム」の朝日ソノラマのソノシートなどが有りました。本当に初期のもので貴重だと思われます(2000円位だった。)。多分昭和38年位に出たものでしょう。誰が歌ったものとかカバーケースに書いてなかったが、上高田少年合唱団だとおもいます。でもプレーヤーずっと昔捨ててしまったので買えませんでした。

あとでまた詳しくレポートしますが、代々木上原の古賀政男音楽博物館にいってきました。日本の大衆音楽について、古賀メロデーに限らず展示したり、地下のパソコンで聴けるようになっています。「赤いカンナの花咲けば」もありましたが、肝心の音源がみつからないのか、聞くことはできませんでしたが、「西條八十作詞、古関裕而作曲。松島トモ子、小畑やすし、1955コロンビア」とありました。西條八十の場合、「お山の大将」などの童謡から、「誰か故郷を思はざる」・・など600曲位はいってるようです。なお、富士レコード(T.03−3262−2553)でもらった案内に、レコード博物館として、「古賀政男音楽博物館」と、「昭和館」が載っていました。いずれもHPあります。
さて、少年文化としての、50〜60年代の子供向け番組と少年合唱団について、ま上高田少年合唱団を中心に、どこの小学校の合唱団でどんな歌を録音したでしょう、ちょっと興味があり、参考に調べて見ました。(便宜的に、@中野区立上高田小学校、A練馬区立開新第4小学校B板橋区立中根橋小学校と考えられる3つに区分けしてみました。吹き込んだ時期等微妙な点もありそうなので参考ですが、だいたい時期的にはこんなところではないでしょうかというところです。)

@ 昭和23年〜33年(10年)  
・昭和20年代から30年代初めにかけて、子供向け番組:NHK連続放送劇、NHK新諸国物語の主題歌はほとんどが、コロンビアゆりかご会(音羽ゆりかご会)が歌っていたようで、さすがにかわいい歌声がCDで聞くことができます。
NHK連続放送劇:鐘の鳴る丘(1947〜1950)、三太物語、さくらんぼ大将(1951)、ジロリンタンの歌(1951〜1952)、
NHK新諸国物語:白鳥の騎士(1952)、笛吹童子(1953)、紅孔雀(1954)、オテナの塔(1955)、七つの誓い(1956)。(「七つの誓い」の歌(松本和子、コロンビアゆりかご会)はすばらしい曲だと思います。♪旅の仲間は三角帽子・・シャララン ジャララン シャン シャララン・・)
・ 1950年に、民間放送が立ち上がり、1954(昭和29年)年7月に、ニッポン放送が開局した。いつからかわからないが、歌をレコードにとの依頼が相次ぎ、最初は教材用だったものが、ラジオ・テレビ番組の主題歌の仕事も舞い込むようになったので上高田少年合唱団という芸名で吹きこんだという。・・・
    怪傑黒頭巾(1955)、少年探偵団(1956)、赤胴鈴之助(1957〜1958)
…「赤胴鈴之助」で世に出た女優に、吉永小百合、藤田弓子がいる。「少年探偵団」は映画化(東映・ビデオ化)され、小畑やすしは、「首なし男」「透明怪人」(いずれも1958、3)で小島少年役を最後に、子役を引退しています。
<CD紹介>なつかしのラジオ・テレビ番組主題歌集  CDR-12298

A 昭和34年(1959)〜36年(3年間)  
昭和20年代から、三木鶏郎が多方面で活躍。古賀さと子や上高田少年合唱団などが歌っている。
「口笛探偵長」、「スーパーヒューリーの唄」・・
また、1961年4月に、NHK「みんなの歌」が始った。5月に、コロンビア少年合唱隊「月寒の少年」がレコード(単独)。
 http://www.smart-set-friendly.com/enkadayo/tes7.html
(また、参考までに、5月には、橋幸夫は「南海の美少年―天草四郎の唄」(吉田正作曲)を、東京少年合唱隊のバックコーラスで歌い、昭和36年度紅白歌合戦に出場している。(古賀政男音楽博物館で聞けます。ビクター;VS−506)) http://fujisk.hp.infoseek.co.jp/kpy01.htm

B 昭和37年〜50年(14年)  
昭和38年、鉄腕アトム(テレビアニメの始動)・・  上高田少年合唱団、西六郷少年合唱団を始め、ひばり児童合唱団、みすず児童合唱団その他が活躍。「鉄腕アトム」などアニメ番組主題歌の最初を飾った「上高田少年合唱団」は、板橋区立中根橋小学校児童ということでしょう。主なものとして:
鉄腕アトム (フジTV、1963.1)         上高田少年合唱団
鉄人28号 (フジTV、1963.10)        上高田少年合唱団
                     正太郎マーチ:西六郷少年合唱団
狼少年ケン    (1963.11〜1965.8)   西六郷少年合唱団
少年忍者風のフジ丸(1964.6〜1965.8)    西六郷少年合唱団
ビッグX     (TBS、1964.8〜1965.9)上高田少年合唱団
スーパージェッター(TBS、1965.1〜1966.1)上高田少年合唱団
宇宙少年ソラン  (TBS、1965.5〜1967.3)上高田少年合唱団
  ・
(参考)昭和38年から26年間のTVアニメ主題歌:
http://www009.upp.so-net.ne.jp/hebereke/king/ougonzidaihiro.htm
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/4101/animesong/animesong-top.html

 上高田少年合唱団の歌


 そういえば、アニメが出る前、昭和33−35年位に、特撮実写版があったんですね、それで確かに、鉄腕アトムの実写版があり、その主題歌が別にあったようでいろいろ複雑なようです。それで、奥田先生の在籍した3小学校に時期的に分けてみると、年代的にももっと早く歌ってるようですね。そこで追加修正して見ました。関係者ヘのヒアリングによるものでないので参考ですが、練馬区立開新第4小学校は,期間は3年ですが、このころ昭和34〜36年頃というのは、非常に多いということがわかりました。小学生ながら,忙しかったのではないでしょうか。

 さて、8月23日(土)、7:30 NHK土曜特集「テレビの歌50年コンサート・あの日あの歌」・・「みんなの歌」でNHK東京放送児童合唱団が出演しました、見ましたか。上級生位でしょうか、3,40人くらいいて、女の子の方が圧倒的に多いが、男の子も数人いましたね。  
東京放送児童合唱団の制服は濃紺ですが、男の子は下は半ズボンにソックス、上は白ワイシャツにベスト、蝶ネクタイです。さすがに、きまってるというか、やはり合唱団の男の子は元気な半ズボン姿が似合いますね。いずれ変声期をすぎると、不釣合いになるわずかの間のものでしょうから。
そういう意味では、「東京放送児童合唱団」はさすがに、自信をもってやってるなという感をうけました。
「音羽ゆりかご会」も、あの女の子のうずまき模様のはいったスカート、男の子の吊半ズボンを守り通してるそうだし、「東京放送児童合唱団」のそうした姿は、他の少年(少女)合唱団特に自信を失いかけた?、少年合唱団などにも少なからず自信をあたえるだろうことを願っています。
ペギー葉山、安田祥子、由紀さおり、五木ひろしなどが出演し、「おお牧場はみどり」、「北風小僧の寒太郎」、「エーデルワイス」、「大きな古時計」、「思い出のアルバム」、「グリーングリーン」などを歌いました。まず、「第1回はこれでした。」と「おお牧場はみどり」からはじまりました。昭和36年4月、レギュラーの「東京少年合唱隊」がうたったものですね。・・・

<上高田少年合唱団の歌(参考)>                    (V.1)

@ 昭和23年〜33年(10年)        (中野区立上高田小学校)  
「怪傑黒頭巾」(伊藤久男)(1955) ニッポン放送(1954.7設立)
  「上高田少年合唱団」としては、このあたりが最初でしょうか。バックコーラ  
   スも豪快なあの伊藤久男の声に隠れてしまってる感じ。(歌詞2行分のみ。)
「少年探偵団」(1956)      ニッポン放送
(映画化:東映「少年探偵団、首なし男、透明怪人」小畑やすし出演)
「赤胴鈴之助」(1957〜1958) ラジオ東京(吉永小百合、藤田弓子出演)
(映画化:大映「赤胴鈴之助、三つ目の鳥人」大田博之出演)
「少年猿飛佐助」(1957〜1959)(東映他)?

A 昭和34年(1959)〜36年(3年間)  (練馬区立開新第4小学校)
「まぼろし探偵の歌」(1959)、ラジオ東京(吉永小百合、藤田弓子出演)
「鉄人28号」(1959)ニッポン放送
「口笛探偵長」(1959)NTV
「少年猿飛佐助」(1959)(東映)
「スーパーヒューリーのうた」(1960)
「CQペット21」(1960)
「鉄人28号の歌」(実写版)(1960、)
「鉄腕アトムの歌」(実写版)(1959.3)(@かAか時期的に不明)
「矢車剣の助」(1960)
「小天狗小太郎」(1960)
「危うし小太郎」(近藤圭子)(1960)
「アラーの使者」(1960)
「まぼろし城 」(1960)
「ぼうけんダン吉」(1960)
「少年発明王」(1961)
(参考)コロンビア少年合唱隊
「白馬童子」(1960) (コロンビア児童合唱団)
「月寒の少年」(1961)。(コロンビア少年合唱隊)

B 昭和37年〜50年(14年)     (板橋区立中根橋小学校) 
「鉄腕アトム」 (フジTV、1963.1)       
「鉄人28号」 (フジTV、1963.10)
「ロボットマーチ」
「ロボット学校の歌」      
「ビッグX」     (TBS、1964.8〜1965.9)
「銀河少年隊」
「スーパージェッター」(TBS、1965.1〜1966.1)
「宇宙少年ソラン 」 (TBS、1965.5〜1967.3)  ・
「マグマ大使の歌」
「わんぱく探偵団のうた」(フジTV1968/2/1〜1968/9/26)
その他(年代不明):
 「もうれつ先生」「進めマイテイジャック」「キャプテンウルトラ」「スカイヤーズ・マー  
  チ」「ケネディ騎士団のテーマ」「丸出だめ夫」「正太郎マーチ」(西六郷版もある)。    
              (間違い・追加・修正等ありましたら教えてください。)
 
他の「少年合唱団(隊)」についても、できたら参考にまとめられたらと思います。(なおご存知等のかたいましたら、お知らせ下さい。・・西六郷、東京、ビクター、キング、クラウン?・・)
 昭和TVアニメソング(昭和38〜)(再):
  http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/4101/animesong/animesong-top.html

 日本の少年合唱団黄金時代と、その歌


  レコード時代の昭和において、「童謡」という独特の児童文化を持つ日本のレコード会社には、たいてい「児童合唱団」というのを持っていた。日蓄(コロンビア)、コロンビア、ビクター、キング、テイチク、クラウン・・・。こうしたなかで昭和20年代、「音羽ゆりかご会」(昭和8年、作曲家の海沼実が護国寺の音羽幼稚園で始めた。後に北原白秋により音羽ゆりかご会と命名された。)と、昭和18年「ひばり児童合唱団」(ひばりの名では、戦後21年から)あたりが活躍。両合唱団からは、川田三姉妹(音羽)、安田姉妹(ひばり)、土屋道典(ひばり)その他童謡黄金時代を担う沢山の優れた童謡歌手が輩出した。

昭和18年からNHK専属となった「音羽ゆりかご会」は、戦後コロンビア専属となり、「コロンビアゆりかご会」として、『鐘の鳴る丘』など昭和20年代のNHKラジオの、著名なドラマなどの沢山の主題歌を歌っている。(全部で、3,500曲くらい録音が有るそうで、平成2年には、カーネギーホールで演奏会を開いている。古賀政男音楽博物館には、川田姉妹とともに顕彰されている。ゆりかご会OGの川田正子は長く会の運営に携わってきたが、彼女の末の妹・美智子が代表に就任したのを潮に、昭和54年に、ゆりかご会を離れ、「森の木児童合唱団」を設立している。なお、参考までに作曲家が主宰した児童合唱団としては、佐々木すぐるの「青い鳥児童合唱団」というのもある。)

こうした中で、「上高田少年合唱団」は昭和23年にできた。丁度、民放ができる頃で、実際上高田少年合唱団として歌うのは、昭和30年頃から。「東京少年合唱隊」は昭和26年、「西六郷少年合唱団」は昭和30年。以後、「フレーベル少年合唱団」、「グロリア少年合唱団」(いずれも昭和34年)、「ビクター少年合唱隊」(昭和36年)・・折しもテレビの普及が急速に進み、子供向け番組が競って作られた頃。

上高田少年合唱団(少年探偵団・・鉄腕アトム・・)、西六郷少年合唱団(狼少年ケン・・)は勿論、ワンパクフリッパー(東京少年少女合唱隊、1966)、名犬ラッシー(ひばり、1957)、サンダーバード(ビクター少年合唱隊1967)、科学忍者隊ガッチャマン、ター坊の冒険、鉄腕アトム(音羽)・・など、主だった児童合唱団はたいていテレビ主題歌などにひっぱりだこの時代だった。こうして、貧しい中にも、高度成長が始まる昭和30年代は、同時に少年合唱団黄金時代でもある。

この時代・昭和30年代の少年合唱団の歌についてみてみたい・・合唱団内部活動のものは除き、レコードに残ってる代表的なものを参考にあげてみた。   (作成H.16.1.6)

<上高田少年合唱団>              
昭和23年に、上高田小学校に設立され、最初は男女児童からなっていたという。上高田少年合唱団が、上高田少年合唱団として歌っているのは、ニッポン放送(ラジオ)開局(1954.7)以降で、「少年探偵団」の前に、「怪傑黒頭巾」がある。
他に、「クラウン・ボニー・ボーイ」として、クラウンレコード(昭和38年9月、コロンビア関係者が設立)から「鉄腕アトム」のレコードを出しているほか、上高田少年合唱団の選抜チームは「コロムビア少年合唱隊」として、コロムビアで唱歌・童謡など歌っている。なお、どちらが先か、昭和30年頃、岩瀬寛などが本間千代子、安田祥子(いずれもひばり所属)などと当時盛んだったらしい音楽劇(子供オペレッタ)に参加しているレコードが九段下の昭和館で聞ける。
(参考書)
読売新聞社会部「東京今昔探偵 : 古写真は語る」(中央公論新社 中公新書ラクレ12)

@ 昭和23年(1948)〜33年(1958.3)(10年) (中野区立上高田小学校)  
・「怪傑黒頭巾」(伊藤久男)(1955)  ニッポン放送
  ・「少年探偵団」(1956)       ニッポン放送 
       ♪ぼ〜、ぼ〜、僕らは 少年探偵団〜 勇気りんりん るりのいろ・・
 「少年探偵団の歌」(1958)  
  ♪とどろく とどろく、あの足音は・・
 「追跡の歌」
・「赤胴鈴之助」(1957〜1958) ラジオ東京(吉永小百合、藤田弓子出演)
♪剣をとっては 日本一に 夢は大きな 少年剣士・・
・「鉄腕アトムの歌」(実写版)(1959.3〜1960.5)(時期的にAにはいるかも?。)
      ♪僕は無敵だ、鉄腕アトム よいこのために戦うぞ・・・
http://www2u.biglobe.ne.jp/~heboi/html/152atomj.htm

他に「遊星王子の歌」(1958.11〜1959.9 NTV)があるが時期的に微妙。(ひばり児童合唱団版がある。)「遊星王子の歌−宇宙を駆って」(1958)

A 昭和34年(1959.4)〜36年(1961.3)(3年間)(練馬区立開新第4小学校)
「まぼろし探偵の歌」(1959.4)、ラジオ東京(吉永小百合、藤田弓子出演)
♪赤い帽子に 黒マスク 黄色いマフラー なびかせて・・・
「鉄人28号」(1959.8〜1960.4)ニッポン放送
 http://hop2001.hp.infoseek.co.jp/data04.html
「口笛探偵長」 (1959)NTV
「猿飛佐助」  (1959)(東映、少年猿飛佐助)
  [佐助の歌]  (1959)(東映 同)
「スーパーヒューリーのうた」 (1960)
「CQペット21」  (1960)
「鉄人28号の歌」(実写版) (1960、)
「矢車剣の助」  (1960)
「小天狗小太郎」(三橋美智也)(1960)
「危うし小太郎」(近藤圭子) (1960)
「アラーの使者」 (1960)
「まぼろし城 」 (1960)
「ぼうけんダン吉」 (1960)
「少年発明王」 (1961)
B 昭和37年(1962.4)〜50年(1975.3)(14年)(板橋区立中根橋小学校)
  「少年」付録 http://hop2001.hp.infoseek.co.jp/data-100/data-104-03.html
「鉄腕アトム」(フジTV、1963.1.1〜1966.12・・日本で最初の連続テレビアニメ)
  ♪空を越えて ラララ 星のかなたへ ゆくぞ アトム ジェットのかぎり・・
「鉄人28号」 (フジTV、1963.10〜1965.5)
♪ビルの街にガオー・・・
  「ロボットマーチ」
  「進め正太郎」
  「ロボット学校の歌」      
「銀河少年隊」(1963.4〜1965.4)
「ビッグX」     (TBS、1964.8〜1965.9)
「スーパージェッター」 (TBS、1965.1〜1966.1)
「宇宙少年ソラン 」 (TBS、1965.5〜1967.3)  ・
「海賊王子」 (1965.5〜1966.11)
「宇宙パトロールボパ」(1965.2〜1965.11)
「ジュンの歌」 (1965.2〜1965.11)
「宇宙っ子ジュン」 (1965.2〜1965.11)
「マグマ大使の歌」 (フジTV、1966.7〜1967.9)
「キャプテンウルトラ」(1967)
「宇宙マーチ」   (1967)
「わんぱく探偵団のうた」(フジTV1968/2/1〜1968/9/26)
「笛吹童子の唄」  (1972(1960?) TBS TV)
 新諸国物語は、1953(NHKラジオ)、1977(NHKTV 人形劇)など何回かやっている。
  

<東京少年合唱隊>
国際的にも活躍して高い評価のある東京少年合唱隊は、昭和26年東京都内の小学校から募集した少年たちによって結成された。昭和36年4月、NHK「みんのうた」の最初からレギュラーとなりリード、歌った歌も多い。昭和39年に、東京少女合唱隊(1960年結成)、と少年少女合唱隊になったそうです。変わったところでは、36年5月には、橋幸夫の「南海の美少年」にバックコーラスで出演。(橋幸夫はこの歌で、紅白歌合戦に出場している。)
    http://fujisk.hp.infoseek.co.jp/kpy01.htm
東京少年少女合唱隊としてのCDについては、hp「東京少年少女合唱隊ファンページ」に載っている。昭和39年(1964)、当時完成したばかりのカーネギーホールでのこけら落し公演のために東京少年少女合唱隊として招聘をうけることとなった。

東京少年少女合唱隊HP http://www.mars.dti.ne.jp/~ethereal/LSOT/history.html

「おお牧場はみどり」(みんなの歌)1961.4-1961.5
「歌声ひびけば」 (みんなの歌) 1961.6-1961.7
「クィクヮィマニマニ] (みんなの歌)
「ホルデリデイア」、(みんなの歌) 1961.8-1961.9
「一日の終わり」(みんなの歌)
「森へ行きましょう」(みんなの歌)1961.10-1961.11
「走れ並木を」(みんなの歌)
「トロイカ」(みんなの歌) 1961.12-1962.1
「雪山讃歌」(みんなの歌)
「牧場の小道」(みんなの歌)   1962.2-1962.3
「ピクニック」、(みんなの歌)   1962.4-1962.5
「うたうよ カッコー」(みんなの歌)
「白銀はまねくよ」(みんなの歌) 1962.12-1963.1
「泉のほとり」、
「汽車」
「春が来た」
「おぼろ月夜/わかば」
「我は海の子」
「砂山」
「通りゃんせ」(本居長世編曲、松田トシ)
「南海の美少年―天草四郎の唄」(橋幸夫 1961.5)バックコーラスのみ
 

(参考)CD紹介
「天使のハーモニー 世界の少年少女合唱団」(BEST SELECT LIBRARY 決定版)) キングレコードKICW-8611 税抜価格2,381円
15. マルセリーノの歌(マルセリーノ・ガリェーゴ・ロペス(ソロ)、スペイン聖十字架少年合唱隊、東京少年合唱隊)
「我は海の子」「砂山」「通りゃんせ」
・・・CD「懐かしの童謡」キング KICW−8103/4
「汽車」・・CD「教科書から消えた唱歌・童謡]キャニオンPOCG−00591
 2、625円
「橋幸夫 ベストワン」ビクター.VICL-816 \2,913(税抜) 
「ホルデイリデイア」「ピクニック」「一日の終わり(星影さやかに)」
               ・・・CD「決定版・キャンプソング」KICW-8619
(参考書)
東京少年少女合唱隊「歌おう東京少年少女合唱隊50年の挑戦」朝日新聞社2001

<西六郷少年合唱団>    
「歌のメリーゴーランド」「みんなの歌」「歌はともだち」などテレビなどで活躍の、「西六郷少年合唱団」は西六郷小学校に昭和30年に設立された。一般に昭和36年に少年少女合唱団になったとなっているが、「鉄人28号」(昭和38年)、「正太郎マーチ」など、それ以降も、「少年合唱団」となっているものがある。

「調子をそろえてクリック・クリック・クリック」(みんなの歌)1962.10-1962.11
「線路は続くよどこまでも」(みんなの歌) 1962.12-1963.1
「逃げた小鳥」(みんなの歌) 1963.6-1963.7
「おまつり」(みんなの歌)
「アルプスの谷間」(みんなの歌) 1963.12-1964.1
「海はまねく」(みんなの歌)
「森へ行きましょう」(みんなの歌)
「口笛ふいて」(みんなの歌)
「トロイカ」(みんなの歌)
「雪山讃歌」(みんなの歌)
「花のまわりで」(みんなの歌)
「ドレミの歌」(みんなの歌)(1963)
「いかりをあげて」  (1964)
「狼少年ケン」 (1963.11〜1965.8)
♪ワーオ!ワーオ!ワオー! ・・・ 
「鉄人28号」 (1963.10〜1965.5)
  「進め正太郎」
  「正太郎マーチ」(1971.9〜1972.5)
鉄人28号と正太郎   http://hop2001.hp.infoseek.co.jp/data86.html
「少年忍者風のフジ丸」(1964.6〜1965.8)
「風のフジ丸」
「たたかう少年忍者」
「ジャングルマーチ」
「ガリバーの宇宙旅行」(東映)
「ハッスルパンチ」1965
「海賊王子」  1966

(CD紹介):
「懐かしのテレビ・ラジオ主題歌全曲集」(T,U) キングKICSー286,287
「なつかしのラジオ・テレビ番組主題歌集」  CDR-12298
(参考)西六郷少年少女合唱団曲集:
 http://www.mitene.or.jp/~marukyo/cd/cd-fonchi.html

<フレ−ベル少年合唱団>
フレ−ベル少年合唱団は、キンダーブックや幼児用品など、皇室にも愛用されている、老舗のフレーベル館が昭和34年に設立した少年合唱団。少年合唱団として、今まで名称が一貫している数少ない少年合唱団で、楽曲・合唱曲その他多方面で活躍している。他の少年少女合唱団と「日本少年少女合唱祭」(第1回は昭和41年。)に参加したり、NHK[歌のメリーゴーランド][みんなの歌]に出演。また「僕たちの演奏会から」などの作品がある。

「おなかのへる歌」(みんなの歌) 1962.8-1962.9
「お猿と鏡」(みんなの歌) 1963.12-1964.1
「焚き火を囲んで」(みんなの歌)
「雪国ぐらし」(みんなの歌)
「勇気の花が開くとき」(それ行け アンパンマン)
「おすもうくまさん」
「僕のいなか」
「いちじ」
「サンタクロースになりたいな」
「ナガネギフラメンコ」

<グロリア少年合唱団>
グロリア少年合唱団は、フレーベル少年合唱団同様、今まで少年合唱団として一貫している数少ない少年合唱団である。鎌倉の参道沿いにある「カトリック 雪ノ下教会」を本拠に活動している少年合唱団。
これまで、昭和34年設立以来、他の少年少女合唱団と、主に東京文化会館で行われた「日本少年少女合唱祭」に参加したり、NHK「歌のメリーゴーランド」にレギュラー出演するなど幅広い活動実績を持つ。
 特に宗教曲の分野では、高い精神性を伴った演奏として定評があり、グレゴリオ聖歌から現代の作品まで、巾広いレパートリーを持つという。宗教曲のCDについては、グロリア少年合唱団のHPに載っている。
 http://members.at.infoseek.co.jp/GloriaBoysChoir/top.htm

【レコード会社系】

<ビクター少年合唱隊>
昭和36年に、東京の小学校4年から6年生を集めてスタートした少年合唱隊。
LP「天使のハーモニー」シリーズで沢山の歌を聴くことができる。他に楽曲・合唱曲からNHK「みんなの歌」、「歌のメリーゴーランド」、「歌はともだち」、アニメ・特撮ソングまで、多方面で活躍している。
      
「てんとう虫のサンバ」(天使のハーモニー2)
 http://sound.jp/cherish/BOYS.html 1975,(JBX208〜9) 
「過ぎ行くときと友達」(1979竹宮恵子企画・構成・演出)
「牛飼いのヨーデル」(みんなの歌)
「みどりいろの翼」(みんなの歌)
「おお牧場はみどり」
「手のひらを太陽に」
「ピクニック」   1984(みんなの歌)
「静かな湖畔」
「僕らの英雄」
「江戸子守唄」
「五木の子守唄」
「サンダーバード」(1966NHK)
「少年ジェット」(ビクター児童合唱団)
「鉄人28号の歌」
「エイトマンの歌」

<コロムビア少年合唱団(隊)>
上高田少年合唱団のもうひとつの顔といえるのではないでしょうか。「お山の大将」など日本の名曲といわれる繊細な歌や唱歌・童謡などを見事に歌い上げ、聞かせてくれます。
・唱歌・童謡
「助船」    
「緑のそよかぜ」(岡本耕次)  (清水かつら作詞、草川信作曲)
「木のぼり小僧」(岡田孝)   (サトーハチロー作詩。富田勲作曲)
「お山の大将」 (岡田孝)   (西條八十作詞、本居長世作曲)
「花咲じじい」 (岡田孝) 
「花火」    (岡田孝) 
「珍念さん」  (岡田孝)
「昭和の子ども」 (高野政次)(久保田宵二作詞、佐々木すぐる作曲1927)
「白馬童子」  (高野政次)(コロンビア児童合唱団)1960
「汽車ぽっぽ」 (高野政次)
「お山の杉の子」(高野政次、安西愛子)*
「桃太郎」   (高野政次、横野鉄雄)
「一寸法師」  (横野鉄雄)
「浦島太郎」  (横野鉄雄)
「村のかじや」 (横野鉄雄)
「野中のばら」 (浅井正子)
「あおげば尊し」(安田章子)
「牛若丸」   (小牟礼利郎)
「こうま」   (大谷守孝)
 
(*「お山の杉の子」は、他に加賀美一郎版、川田正子版、川田孝子版がある。)


・ 船村徹新作(童謡?)(ソロなし)
「月寒(つきさっぷ)の少年」 (昭和35年)(星野哲郎作詞、船村徹作曲)
「あま柿しぶ柿」    (昭和35年) (野村俊夫作詞、船村徹作曲)
「古城の雁」     (昭和35年) (野村俊夫作詞、船村徹作曲)
「粉雪ふる宵は」    (昭和36年) (野村俊夫作詞、船村徹作曲)
「風雲児時宗」     (昭和36年) (関沢新一作詞、船村徹作曲)
「神州天魔峡」     (昭和36年) (野村俊夫作詞、船村徹作曲)
「釣鐘草の歌」     (昭和37年) (野村俊夫作詞、船村徹作曲)
「夕陽の小径」     (昭和37年) (野村俊夫作詞、船村徹作曲)
「赤い木の実」  (昭和37年) (野村俊夫作詞、船村徹作曲)
「狐のせきばらい」   (昭和37年?)(星野哲郎作詞、船村徹作曲)
「ほろろん小鳩」   (昭和38年?)(野村俊夫作詞、船村徹作曲)
「砂山ざっくり」    (昭和38年?)(野村俊夫作詞、船村徹作曲)
「仲良し子供音頭」   (昭和39年?)(島来展也作詞、船村徹作曲)
「山の村から」 (昭和42年?)(野村俊夫作詞、船村徹作曲)

<キング少年合唱団>
 NHK TV「ポンポン大将」(1960)の主題歌「ポンポン大将」がある。キング少年合唱団としては、他にあまり見あたらないのだが、歌はしっかりしている。

<クラウン少年合唱団>
クラウンレコード(コロンビア系)には、めずらしい「少女合唱団」があるが、少年合唱団としては、あまり聞かない。母体はどこか他の合唱団ということも考えられる。「荒野の少年イサム」(1973 フジTV)の「荒野の少年イサム」と「イサムの歌」がある。

<東京ニッポン少年合唱団>
詳細資料が少ないので、よくわからないが、松島トモ子と「あんころ小坊主」という歌を歌ってる。何か松島トモ子関連映画等の挿入歌か、昭和館で聞ける。「とんび」(葛原しげる作詞、梁田貞作曲・・♪とべとべとんび そらたかく・)・・を追加。

<原少年合唱団>
 合唱団の詳細不明だが、時代劇系特撮「くらやみ5段」(NET.東映テレビプロ(1965.9 〜 1966.3)の主題歌「くらやみ五段の唄」(岩井よしはる詩、清井雄三曲.、TOCT−9547)を 千葉真一と歌っている。


<みのお少年合唱隊>
小学校系では「みのお少年合唱隊(“箕面小学校少年合唱隊”)」(当hpにも見られる)
小学校内だけでなく、1958〜1960神戸大学グリークラブ定期演奏会に賛助出演していたりしてるよう。
  http://hccweb1.bai.ne.jp/kakinoki/epi/epi13.html 

<ジャニーズ少年団>
かわったところでは、NTV 1977 「小さなスーパーマン ガンバロン」の主題歌「ガンバロン77」「ともだちのガンバロン」を歌ってる「ジャニーズ少年団」。聞いたことはないですが、音楽は当時人気絶頂だったゴダイゴが担当。ミッキー吉野作曲による少年コーラス主題歌で、独特の雰囲気を持っているとのことだそうです。「ジャニーズ少年団」とミッキーさんの組合せは、同時期の日本テレビの子供向けバラエティ番組「おはよう!こどもショー」とシンクロしていたとか。(『小さなスーパーマンガンバロン』の)第1話のゲストは、フォーリーブスだそうです。この作品が放送されていた頃、『ガンバロン』と同じ日本テレビ系の早朝番組『おはよう!こどもショー』にはJJS(ジャニーズ・ジュニア・スペシャル)がレギュラーで出演していたそうで、この時期、日テレとジャニーズはけっこう関係が深かったらしいです。)

<ロザリオ少年合唱隊他>
また、グロリア少年合唱団HPによると、「松本市ロザリオ少年合唱隊と交流・・」とあります。他に、現在のもので実態はわかりませんが、地域のもので「大村少年合唱団」(長崎・大村市)、「厳原少年合唱団」(対馬)などの名前があるようです。いずれも詳細不明。

日本の児童合唱団 ・・昭和40年位までの、少年合唱団を含む日本の主な児童合唱団・・

 昭和40年位までのレコード等によくでてくる、日本の児童合唱団(少年合唱団☆を含む)について調べてみたら50近くありました。どこにも資料が無いので、検索等の便宜のため参考にまとめてみました。(一部テンポラリと思われるものや、変名で録音してるもの等があると思われます。)

なお、参考までに最近では、このほか、森の木児童合唱団(川田正子主宰)、タンポポ児童合唱団などのレコードがよくみられるようですので、これらを加えると現在までに公開レコードで個別に聴ける大方の児童合唱団となると考えられます。

音羽ゆりかご会(コロンビアゆりかご会) 1933年(昭和8年) 
          ・・・ 昭和20年代、NHK専属で活躍。(レコード3,500曲。)
青い鳥児童合唱団 ?      ・・『ひまわり』(川田孝子)・・昭和館で聞ける
「戦線への便り」
ひばり児童合唱団      1943(昭和18年)   (レコード3,000曲。)
静岡児童合唱団(〜NHK静岡放送児童合唱団)1943
みすず児童合唱団       不明(解散?)・・「ウルトラマンの歌」
☆上高田少年合唱団      1948(1975年解散)    
☆東京少年合唱隊       1951(現、東京少年少女合唱隊)
NHK東京放送児童合唱団〈通称N児〉 1952(現、NHK東京児童合唱団)レコード多数。
☆西六郷少年合唱団      1955〈昭和30年〉(現、新西六郷少年少女合唱団)
東京滝野川少年少女合唱団    ?
☆フレーベル少年合唱団    1959
☆グロリア少年合唱団     1959*
☆ビクター少年合唱隊     1961
杉並児童合唱団       1964
少年少女合唱団みずうみ   1964
ひばりケ丘少年少女合唱団  1964
東京荒川少年少女合唱隊   1965〈昭和40年〉
横浜少年少女合唱団     1965
・・・

・レコード会社系
日蓄児童合唱団   ・・お山の杉の子
ポリドール児童合唱団  ・・手に手を組んで
コロンビア児童合唱団      
☆コロンビア少年合唱団(隊)・・(上高田少年合唱団から)
ビクター児童合唱団・・・少年ケニヤ   
☆ビクター少年合唱隊(1961)
キング児童合唱団・☆キング少年合唱団
クラウン児童合唱団・クラウン少女合唱団・☆クラウン少年合唱団
☆クラウンボニーボーイ(上高田少年合唱団)・・鉄腕アトム
テイチク児童合唱団・・・・わんぱく部隊の歌
パイオニア児童合唱団・・・空手バカ一代
ユピテル児童合唱団・・・・
東芝児童合唱団・・・・・・大魔王シャザーン

・ 映画会社系
東映児童合唱団・・どんぐりころころ
大映児童合唱団・・「ガメラ」,
東宝児童合唱団・・ゴジラマーチ

・劇団系?
木馬座児童合唱団・・・ケロヨンの歌
若草児童合唱団  ・・橋幸夫 「子連れ狼」,「せいくらべ」「たなばたさま」
せいくらべ/後藤 秀典、若草児童合唱団
☆若草少年合唱団 ?・・1969海底少年マリンED「ぼくホォワイティ」 若草少年合唱団

・その他(解散したと思われるものがある。)
赤い靴ジュニアコーラス(横浜・赤い靴記念文化事業団)・・ドレミのうた
ユーカリ児童合唱団・・・・待ちぼうけ
サカモト児童合唱団(指導者 坂本博士 現サカモト ミュージックスクール)・・・手をたたきましょう
☆東京ニッポン少年合唱団  ・・とんび
☆原少年合唱団・・・・・くらやみ五段の歌
☆ジャニーズ少年隊・・  ガンバロン'77、友達のガンバロン
☆ ビッグマンモス(フジサンケイグループ少年コーラスグループ)・・火の玉ロック、星物語
カナリヤ児童合唱団・・・お山のお猿
コロムビアかなりや子供会 ・・ お正月
キング小鳩会(コロンビア小鳩会)・・・七色仮面の歌、月光仮面は誰でしょう…
ミチル児童合唱団・・・新諸国物語 笛吹童子 (1954東映)
アイリス児童合唱団・・わんぱくマーチ、
杉の子子ども会(コロンビア杉の子子ども会)(安西愛子)・・めだかの学校
光の国児童合唱団(出版社 ひかりのくに系?)・・ウルトラ6兄弟
鷹の羽児童合唱団・・星空のバラード,めんこい子馬