DV/夜明けの予感

わたしには祖母がいました。笑うととても優しい顔になって、わたしはその顔が好きで、その顔を持っている祖母が大好きでした。

わたしが9歳の時、祖母は病気になりました。難しい名前の病気で今はもう憶えていないけれど、椅子に座ってただずっと外を見ていたり、よく母と喧嘩をしたりするようになっていました。わたしの名前も呼んでくれなくなって一緒に遊ぶ事も無くなって、大好きな笑い顔も見れなくなりました。

わたしが10歳になる前の日、大好きな祖母だったものがとても久しぶりにわたしの名前を呼んでくれました。 わたしは嬉しくて、学校で跳び箱をいつもより一段高く跳べて先生に誉められた事とかクッキーを焼けるようになったこと、また前髪を切りすぎて男の子にばかにされること、背がちょっと大きくなったけどまだ前から数えた方が早い事を一生懸命話しました。でも、祖母は前みたいに笑ってはくれなくて、無表情な顔で聞いていて、最後に少し寂しそうな顔をして「ごめんね」って言いました。それからまた少し話をしたけれど、その時の”やりとり”はもうあまり憶えていません。

その時の”やりとり”で祖母はわたしに「お願い」と言いました。悲しい「お願い」だったけれど、わたしは祖母の笑い顔が見たくて、大好きな祖母の「お願い」を叶えたくて、キッチンに”それ”を取りに行きました。そして走って、祖母の元へ戻って、”それ”を祖母の胸に一度だけ押し付けました。祖母の為に、一杯の力を込めて押し付けました。

祖母は笑ってくれました。苦しそうだったけど、笑ってくれました。それは病気になる前の大好きな笑い顔でした。わたしも笑いました。涙で祖母の笑い顔が見えなくなるのが嫌で、目をごしごし擦りながらわたしも笑いました。

いつもは金色をしている髪まで赤く染まったわたしを見て、紫の顔で父が何か怒鳴っていました。青い顔の母が部屋の入口で立っていました。祖母は白い顔で、いつもは金色をしている髪を赤く染めて、少し優しい顔で、血溜りの中で横になっていました。

わたしには祖母がいました。笑うととても優しい顔になって、わたしはその顔が好きで、その顔を持っていた祖母が今も大好きです――

「そんな処で――」

声を掛けられて見上げると、白い女の人が居た。

「そんな処で丸まって居たら、お巡りさんに連れてかれるよ」

何だろう、ふざけてるんだろうか。

右手を差し出して。何かに気付いて引っ込める。

「ああ、ごめんごめん」

そう言った彼女の右手には白いライオンの人形が着いている。
やっぱりふざけてるんだろうか。

「お腹空いたからさ、ご飯食べに往こう」

「何ですかあなたは。ふざけてるんですか?」

言ってしまった。

左手を差し出した彼女の表情は変わらない。けれど、何かを考えるように視線が動いている。

「あ……」

少し、後悔した。

「ごめんなさい」

怒られると思って咄嗟に出た言葉だった。それなのに、

「うん、巫山戯けてるのかもね。さ、往こうよ」

そう言った白い女の人の、笑顔が優しくて。綺麗で。すがるように手を伸ばし

止まった。

わたしは。

「わたしは」

そう、わたしは。

「行けません。死神だから」

そう、この手で大切な人の命を刈り取った。

「あ?」

目の前に突然迫った白い物体が声を発した。

「ただの人間の小娘が何言ってんだ」

白い女の人の右手に着いたライオン。

それが喋っている。ように見せたいんだろうけれど、声は彼女の声。

「俺の目に映るお前の魂は人間の物でしかない。この梅さんなんかは本物だぞ。大昔は門の魔女とも呼ばれた半妖ま」

そこまで言って、五月蝿いよ。と人形の口が塞がれた。
ふざけてるにしても凄い。実は路上芸人なのかもしれない。ちょっと、売れそうに無いけれど。

「ね、死神ちゃん。何があったか私には判らないけどさ」

白い人形の口を押さえて、白い女の人が言う。

「言うまでも無く君は人間でしょ。それも綺麗な、とても綺麗な魂が私には観えるんだけどな」

この人は、何も知らない。

わたしが綺麗なはず無い。何も知らないくせに、可哀想にと腫れ物に触るように優しくしてきた大人達と一緒。馬鹿みたい。馬鹿みたい。何も知らないくせに。馬鹿みたい。

そんな同情はいらない。

嘘つき。

嘘つき。

「うそ――」

「お。あらあら、君はおばあちゃん似なんだね」

うそ……

「私がいるから出てきたのかなー?」

「梅さん。飯」

「五月蝿いよ、くま」

この人は。

「往こう。死神ちゃん」

この人の笑顔は他の大人たちの笑顔とは違う。
ふざけてるのかもねって言った。ほんとに心からたのしくて出る笑顔。自分のための笑顔。似ている。顔は全然違うけれど。

「ディヴィです」

「でぃび?」

「わたしは死神なんて名前じゃない。ディヴィです」

最初に話し掛けてきた時から、ずっと笑ったままの顔。それが一層の喜びを表して。

誰かのためにあるわけじゃないのに周りを照らす太陽のような、そんな笑い顔で。

「私は白。もちだ、しろ」