2013年春 頂点への挑戦V Load To Victory A-Team
2010年3月、初めてこの子たちとキャッチボールをしたとき、何か感じるものがあった。
そこで、5年の秋の新人戦にチームを完成に導くべく3ヵ年計画を立てた。
そうすれば、卒団するときにもう半年あればと思わなくて済み、最終学年になったときには、多くの
上部大会に行けるはずである。
はじめてチーム編成した3年生Dチームでは、連盟春季大会では4年生の入った3チームと戦い
1勝2敗でした。春季Nリーグ大会では第5戦で勝てば優勝でしたがセネタースに完封コールド負けで
準優勝となりました。Dチームでの優勝は叶いませんでした。
翌年2月に3年生以下チームによるKAZUカップ大会が始まり、初戦を勝利しました。
そして、2011年3月11日、東日本大震災が発生し大会は中断を余儀なくさせられた。
2011年春、4年生Cチームとなり1週間遅れて開会した連盟春季大会を制し、ジュニアベースボール
大会への出場を決めた。優勝するまでに1年かかりました。6月、中断していたKAZUカップ大会が
再開され、順調に勝ち上がり、決勝戦では最終回、林君のサヨナラヒットで優勝を飾った。
7月、初めての上部大会では優勝した文京区の赤い太陽チームに1安打完封コールド負けで手も足も
出ず、力の差に愕然とした。井の中の蛙大海を知らず。
連盟秋季大会は第三位となり東京23区大会への出場権を得たが、学芸会と開会式が重なり、若獅子
旗低学年秋季大会に回った。初戦、稲城市代表に2本のホームランなどで点を重ね上部大会初勝利を
あげた。2回戦の相手は再び文京区の赤い太陽のチーム。リベンジを狙い、O西君のホームランでリード
して、相手を慌てさせたが、継投が裏目となり走者一掃のレフト後逸で逆転負け。この大会でも赤い太陽
チームは優勝を遂げ、さらに東京23区大会でも優勝し、低学年では無敵の強さを誇っていた。
2012年春、5年生Bチームとして中野区もご多分に漏れず少子化の影響で高学年と低学年の
2クラス制になった連盟春季大会に臨んだが、1学年の違いは大きく、入賞することは出来なかった。
学年別4クラス制の中野Nリーグ春季大会ではBクラス優勝を飾り、新人戦に向けて良い感じであった。
唯一の上部大会の出場がかかった中野区新人戦が始まる前にO西君が肘、7月のW辺君が肩と
三本柱の投手に故障、その上打撃にも影響が出て、予想外の初戦敗退、そして新人戦都大会では
文京区代表の赤い太陽チームは準優勝となっていた。
年が明けて、2013年1月の中野区交流大会、1回戦、打撃戦を制したが2回戦K林君制球が定まら
ず四死球連発で、投手交代することなく8失点で2回戦敗退となった。交流大会中野区初の優勝は
新人戦中野区代表のコンバッツ。次月の全国大会へと続く、全日本中野区予選に不安を残し、新生
Aチームとして始動した。
1回戦は中野区交流大会の覇者コンバッツ。ここで負ければ、このチームは最終学年どこにも
行けないかもしれない。しかし相手より気持ちが勝っていたBチームは見事勝利し、2回戦好投手擁する
コメッツ、準決勝戦試合巧者セネタースと強豪を撃破し優勝を飾り、2年ぶり、4度目の全日本学童東京
都大会への出場を決めた。二度あることは三度はなかった。
2013年春、連盟春季大会には5年生2名を加え、13名でAチームとして臨むが、怪我、故障等で4名
が離脱しスタメンの見直しを余儀なくさせられた。ここで戦力ダウンとならないように3年間を過ごしたこと
が生かされた。終盤になり、怪我、故障からようやく復帰してメンバーが揃った矢先に新たに1名が
怪我で長期離脱となった。
4月28日第4戦、再びコンバッツとの天王山の戦い、M菜さんの先制2点タイムリーヒット。K林君の
レフト越え2点ホームランで4点リードで迎えた最終回、簡単には終わらせてくれなかった。
無失点に抑えていたエースが9番から4連打で3点を返され、続く4番、5番にも連打を許し、1死一、二
塁となったところで2試合分を投げていたK林君からO西君にスイッチ。パスボールで二、三進。6番に
ストレートの四球で満塁となり万事休す。誰もが負けを覚悟し天を仰いだ。しかし、7番を三球三振。
8番をファールで粘られながらも投ゴロに討ち取りゲームセット。歓喜。姿の見えない前監督がベンチの
後ろから檄を飛ばしてくれていたのかもしれない。
全勝でブロック優勝を決め、決勝戦に駒を進めた。5月6日決勝戦は準決勝を勝ち上がってきた強豪
上鷺少年野球クラブ。O西君のタイムリーヒットで先制。K林君のレフト越えホームランでリードは5点。
最終回、故障から復帰したA柳君の何でもないライトフライ落球から2点を返され、二、三塁のピンチに
2番を二ゴロに討ち取り、ゲームセット。優勝を決め、8年ぶり4度目のくりくり少年野球選手権大会への
出場を決めた。
練習は嘘をつかなかった。これがゴールではなく、これからが起承転結の最終章へのスタートである。
4年前、何かを感じたチームが期待と不安が交錯し、ようやく、11年前の忘れ物を見つけることが
できるかもしれない。おめでとうAチーム。
2013年5月20日 by HORINO
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