Ceramics Art and Perception
和文訳  (シャーリー・クリフォード著・ 窪井千鶴子訳)


信楽の谷は気候風土に恵まれている。4月には辺り一面が美しい桜の花で淡い桃
色に覆われ、5月には秋の豊かな収穫への希望を込めて、きちんと区画された水
田に苗が植えられる。そして、この離れ里である信楽の焼き物の店や工場、作家
のスタジオやショールームは買い物客や観光客で賑わう。何世紀もの焼き物の歴
史をもつ信楽の伝統が多くの人々の興味を引き寄せるのだ。

2003年の春、信楽陶芸の森研修館にいる間、わたしは多くのすばらしいことを発
見したが、一番の宝を朝宮の近くでみつけた。ここは、日本一の茶処であり、神
山易久が窯と家を構えているところだ。

神山は1936年に信楽に生まれる。両親は焼き物に携わってはいなかったが、祖父
は陶芸家だった。15歳の時人生の長い旅立ちが始まり、のちに現在の国際的作家
の地位を確立するに至る。彼の作品を見た者はそれを人に説明したくなるが、言
葉を見つけるのは非常に難しい。花生けというモノの形ではなく、むしろ彼の作
品から放出される目に見えないエネルギーにとらえられるからだ。

最初、彼は食器を生産する陶器工場で働いていたが、その後、自らデザ
インを考案するようになり、食器や茶道具、建築用タイル、照明器具、庭用の
テーブルや椅子の仕事へと移っていった。1950年代1960年代の彼の作品には簡潔
さと力への志向があきらかであり、後の芸術的作品の誕生を予言している。ま
た、この頃生み出された彼の簡潔で現代的なデザインのいくつかは、時代を先取
りしており、現在も用いられている。

神山は忙しい仕事のかたわら、工場で働く他の陶芸家たちと共に研究会を作り、
釉薬や型作りのさまざまな技法を何年もの間学んだ。また、祥瑞・乾山といった
水彩画を学ぶとともに、余暇を利用して信楽の窯業試験場で学び、1968年に卒業。
1960年代のある日、なぜ伝統的な信楽のやきものを作らない
のかと質問されたことを契機に、内省しこれを追究しようと決心したことが、彼
を日本のやきものの歴史的な根源である縄文・須恵器の世界へとひき込んで行っ
た。

信楽では、中世期、穴窯がさかんに使用されていたが、20世紀頃までには登り窯
を用いた工場生産にその地位をとってかわられた。1968年、神山は自身の芸術を
追求するため、初めて信楽に単室穴窯を築き、作家として立つという固い決心を
もって穴窯の伝統を蘇えらせた。この間、スタジオでの食器の仕事も続けつつ、
他の作家のために穴窯を築くのにも忙しかった。
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*縄文土器は、日本の先史時代、新石器時代の定住生活地の近くで見つけられた
質のよい土で手作りされた原始的土器である。土器は紐作り、あるいは手によっ
て形成され、摂氏700度から800度の低い温度で野焼きされた。表面の装飾はバラ
エティーに富み、型押し、捻じれた形、印象的な縄の模様に彫刻されている。
[参考:箱根美術館]

*5世紀後半、新しく発展したやきものの技術が韓国経由で日本に伝えられた。
これを須恵器という。須恵器は、轆轤を使い、穴窯と呼ばれる韓国式の傾斜した
窯でおよそ摂氏1200度から1300度で焼かれるが、水がしみとおる。須恵器はもと
もと、宗教的儀式・目的のため使用されたと考えられ、「供えること」「すえる
こと」から名付けられた。[参考:箱根美術館]

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 以下は、自らの美学についての神山の言葉である。

「やきものの仕事をはじめて、形を求め、進むべき方向を探して40年が過ぎ
た。使用する土の質にこだわり、昔の様式のやきものを再現するため日本の伝統
的な穴窯を用いている。鎌倉時代式の窯を焚くときは、心が深く日本のやきもの
の原点に誘われる。私は、須恵器(3世紀〜5世紀)土師器(3世紀〜10世紀)
弥生(紀元前300〜400)縄文(紀元前100〜7000)の原始的な時代の技法の影響
を受けている。」
「竹のナイフでの面取技術は遠い昔からあった。わたしは、ピアノ線で土を切る
独自の技術を35年前に開発し、その瞬間に新しいスタイルが誕生した。材質も穴
窯による焼成方法も同じだが、切り方の工夫によって全く新しい表現が生まれた
のだ。カットの瞬間が冒険の始まりである。なぜなら、事前に型やデザインが存
在しないからである。切断によって何が起こるのか私には予想できない。それは
感性そのものであり、それぞれの作品はその瞬間の生み出す作品となる。自然か
ら閃きを受け、土に向かっているとき、わたしは起こるべき創造に自らを委ねる
だけである。」

 彼の初めての穴窯の作品は、東京のある有名デパートの画廊で発表された。そ
の時、彼の世話人の友人であった浜田庄司もこの展覧会を訪れ、注意深く作品を
観察し、轆轤で制作された茶道具だけでなく、面取りの作品にも力を感じると神
山に話した。これらの新しい作品は、面取りにピアノ線を使うという技術を案出
した独創の成果である。そのころ神山は世話人から買い手の多い伝統的な江
戸時代の茶道具を制作するようにと勧められていたが、浜田からは世話人で
はなく、自分自身のこころに従い、直観を信じて進めとアドバイスされた。
            
           
1972、右・濱田庄司 中・神山
                          写真:藤森 武
 

浜田のアドバイスに従い、ほぼ四半世紀後、神山は西欧でその成果を示した。
1992年オランダのヨーロピアンセラミックワークセンターで大きな成功を収めた
のである。『土と絹――日本の現代陶芸とテキスタイル』と名付けられた展覧会
で京都大学の教授、乾由明は次のように述べている。

 「作品のフォルムは比較的簡明である。とくに今回の展覧会に出品される作品
は、すべて壺もしくは花生であり、しかもその原型となっている器形は断面が正
方形、長方形・もしくは六角形など単純な形の角型の立方体である。しかし、そ
れにもかかわらず、左右対称の整った器形のものはひとつもなく、ここの作品の
フォルムはそれぞれ微妙に異なっている。このように作品がすべて、ある簡明な
フォルムにもとづきながら、しかもひとつひとつが豊かにヴァリエーションをし
めるところに神山のしごとのもっとも注目すべき特質がみとめられるが、それは
なによりも、大きな土の塊を鋭利な刀で素早く切断して、フォルムをいわば削り
出してゆく、その独自な成形の方法に負っている。ここでは、作者である神山の
手と素材である土との、火花の散るような刻々の緊張を孕んだ激しいかかわり合
いから、作品のフォルムがしだいに現前するのである。フォルムをかたちづくっ
ているそれぞれの断面は、一瞬の気合いによる切断の痕跡をなまなましくみせる
が、それが作品にまことに瑞々しい力にみちた動感をもたらしている。手の運動
と速度と時間とが瞬時に凝縮して土に刻印される、このような制作によって、神
山の作品は いずれも自己自身の固有の歌を謳いながら、溢れるような生命力と
美感にかがやいているのである。
 神山の陶芸は、土の材質に即した仕事であるとともに、シンメトリーにとらわ
れない自由な造形である点において、日本の陶芸のオーソドックスな伝統に繋
がっている。しかしそれは、土と人間との緊迫したかかわり合いから生ずるダイ
ナミックな創造であるところにおいて、またきわめて革新的な仕事ということが
できる。たんに制作の方法が革新的であるばかりでなく、そこからつくられた作
品それ自体が、きわめて新鮮なのである。つまり神山の作品は、伝統にもとづき
ながら、過去をはるかに越えた現代のあらたな創造にほかならないのである。」

 神山の技法について言えば、かれの制作は轆轤で始まる。ふつうの轆轤でな
く、サイズを変えられるよう紐で縛った轆轤である。その轆轤のうえに予定する
おおきさに合う木の板を据える。作品が形付けられるまで分厚い土の紐を置いて
いく。そして、凹凸を決める。また時に、側面を鋭い直立したエッジになるよう
に発展させる。太い土の紐は、その作品固有の概念に基づきながら、上へ、外へ
と拡がっていき、それぞれの作品は、それぞれ独自の概念を表出する。

いったんスタジオでの制作が始まると、作品は機能的な形から彫刻的な形へと変
化し、花生けは花生けのメタファーを持った彫刻作品になる。機能的で伝統的な
壺が花生けの機能を隠し持ちながら展開されるのだ。作品の開口部とほかの部分
の釣り合いの関係は熟考され、作品は内側から作られる。作品の内側の空間を注
意深くみてみると、外側の空間あるいは外形は、内側と直接つながっていること
がわかる。口は両者の接点であり、神山は、そこから無と有とを同時に創造する
のだ。開口部の内側の空間の形や大きさは作品全体にかかわる重要な要素で、作
品のバランスはこの口によって決められる。また、口の近くや内側にできる影
は、作品に彫刻的な完成度を付与するのに重要な役割を持つ。

 彼の面取りは劇的である。神山は信楽の山から掘り出された目の荒い黄瀬土
を、両手でピンと張られたピアノ線で一瞬にして切り取る。それは、まるで斧を
振り下ろして木を割るようである。そして、指や道具を使って土の中に長石を押
し込み、ほとんど見えないように切断面を滑らかにするかと思えば、ある部分は
面取りで残った荒い表面をそのままにしておく。彼は焼成中に問題が発生せぬよ
うに粘土の厚さにも細心の注意を払う。最後に、これらのフォームを注意深く乾
燥すれば、窯に入れる準備が整う。

 神山は国際的な展覧会を開催している。ヨーロッパのオランダ、アメリカの
ニューヨーク、メトロポリタン美術館やSOFA(ブラウングロッタアート)での展
覧会、そして、フランスやチリ。彼は制作し、また、教えることもある。彼の
ワークショップでの実演は劇的なパフォーマンスとなる。観客は彼がピアノ線を
ギロチンのように手に持って面取りをするさまを、息を止めて見入る。
東京の高
島屋ギャラリーで行われた、最近の展覧会で、カナダ・トロントのガーディナー
美術館のスーザン・ジェフリーズは次のように評している。


  
「ヘンリー・ムアーの作品に触発された神山は、彫刻の可能性に満ちたマッ
スと飛跡に目を捉えつつ、大胆なやり方で粘土に接近する。彼は不規則な動きで
鋭利な矛先の跡を残して土を切る。それによって、地殻プレートのぶつかり合い
のように張力と圧力が鬩ぎあい、幾何学的な面が構成される。ざらざらした部分
と滑らかな部分。穴窯での焼成は土の表面に不思議な色の諧調を生み信楽に特徴
的な長石の固まりを突出させ、釉薬をかけていないありのままの表面を美しく飾
る。」

 
先史時代、古い琵琶湖は、周囲の山から砂・土壌・有機物を集め、この場所に
位置していた。古代の地殻変動の間、この湖底には信楽の山も沈殿していた。そ
れ以来、豊かな沈殿物は何世紀もの間、やきものの原料だけでなく、穴窯や登り
窯のための豊富な薪をもたらした。神山は黄瀬土を好んで用いる。ルイーズ・ア
リソン・コートも『信楽・陶工・谷』という自著のなかで、黄瀬の町は5つの公
認の茶壷の産地のひとつであると書いている。これらの茶壷は、現在、滋賀県の
美術館で見ることができる。焼き締められた土には長石や硅石が豊富に含まれ、
自然なきめの表面にしばしば白い点を残す。また、窯焚きのあいだに灰が硅石や
融けた長石と化合し、緑の色合いになったり、光沢をもったりして、自然の釉薬
となる。釉薬を掛けないこの焼成の過程は焼き締めとして知られ、陶土は温度が
上れば上るほど、赤くなる。


 神山はそれぞれの作品を炎や隙間風、灰の動きを予想しながら注意深く窯詰め
をする。いくつかの作品は、尖った先が炎を分けるように窯の棚に据えられ、そ
のまわりに火が走ることで両面に灰がとどまる。また、棚から張り出しておかれ
た作品の棚の陰になる部分は火と灰から守られるため、土の赤い色がそのまま残
る。穴窯の上方に置かれる作品は煙で燻されて灰色になり、激しく燃える火のそ
ばの低い場所にある作品は窯中を飛び散る灰から緑色になる。神山は、窯の中で
も風の勢いの弱い部分に好んで作品を置く。空気の少ないところでは、輝く光沢
ではなく落ち着いた仕上がりが望めるからである。神山は窯に作品を並べるのに
2日、焼成に一週間、窯を冷まして作品を取り出すのにさらに一週間を費やす。

 はじめの段階では、いろいろな木を使って火をたく。これには普通2日間かけ
る。そのあと、1250度あるいはそれ以上の温度になるまで赤松が使われる。窯だ
しの際に、神山がさらに灰をかける必要ありと判断したものは、もう一度窯に入
れられ焼かれる。

 
1994年に、クリーブランド美術館の学芸員マイケル・カニングハムは神山につ
いて以下のように述べている。

  「第1に、彼の作品は機能的な工芸の世界と優美で落ち着いた純粋芸術の世
界を合わせ持っている。第2に、彼の作品は明らかに長い伝統に裏打ちされてい
る。たとえば、彼のやきものの形や肌合いは、須恵器や土師器の影響を受けてい
る。そして最後に、神山は、肌合いの複雑さ、形態の複合、視覚に関する豊かな
アイデアといった特質をそれぞれの作品に染込ませることができる才能を持ち合
わせている。京都とニューヨークでの今年の展覧会の折にも、クリーブランド芸
術大学訪問中の作品展の折にも、わたしは、彼の手から生み出される次世代の土
のイメージがたのしみであった。」

信楽の谷はたいへん豊饒である。私はここに滞在中、歴史ある信楽の窯の伝統に
つながる才能にあふれた作家たちに出会った。信楽陶芸の森現代陶芸館には日本
現代陶芸、海外の現代アートそして滋賀県内の作品、最近のクラフトややきもの
デザインなどが収蔵品されており、ここにもこの才能の存在は見て取れる。

しかし、神山易久は卓出していて、わたしは彼の作品に揺さぶられた。伝統的な
焼き締めのかたちを超えようとする彼の情熱は稀有である。彼は国際的な陶芸の
世界に達しており、島国である日本的価値のなかに収まることはない。自分自身
の心の声に従えと言った浜田庄二の助言は、彼の創造性を持続し発展させ続けて
いる。何世紀ものやきものの伝統の重みと現代陶芸の自由の狭間にあって、神山
は両者の美学を統合することで卓越した境地に達している。


           
おことわり・文章中のグレイ部分は掲載のために省略された部分です。