Yasuhisa Kohyama MITTAGONG NO KAZE       Essay by Jacqueline Clayton



 「ミタゴンの風」                           ジャッキー・クレイトンニューサウスウェールズ大学教授

 
 
2004年中頃、神山易久は、ミタゴン(オーストラリア・ニューサウスウェールズ州)にある「スタートクラフトセンター」で3ヶ月を作品制作に費やし、その成果を2005年シドニーの個展で披露した。

 形状は日本での作品と共通しているが、朽葉色、黄褐色、琥珀色、橙色といった色合いに、ミタゴンの特徴とそこで感得された経験が反映されている。

 神山の作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館をはじめ、広く海外で展示されてきた。神山が生活と仕事の根拠地としている信楽の古い焼き味を思い起こさせる、艶消しの落ち着いた肌合いの作品は、彼の作品の収集家には慣れ親しんだものだ。灰色や柔らかな青緑の豊潤な色合いが、かちわられたようなかたちにしっかりと色付いているのは、長時間の窯焚きによる結果だ。飾り気のない作品たちである。

 神山は、炎の流れの痕跡をとどめたり、灰がとけて艶やかになったりするようには、窯を焚かない。かろうじて溶けた灰が口や肩のあたりで控えめに発する輝き、静かな変調、やわらかく燻すことによってうまれる静謐な色調を、注意深く時間をかけて、ゆっくりと我々の目の前に提示する。
  
 
しかしながら、オーストラリアで、この独特の色合いに変化が起こった。

森を抜ける細い道が、ミタゴンの滞在先からスタジオまでつながっていた。毎日、その道を通いつつ、神山はさまざまなことに眼を向けた。鳥の飛ぶ姿、渦まく風、その音、多様な形状をもつ葉とその色の変化、冬のユーカリの木陰に群がる原色の野生のオウム。葉擦れの音さえ、松林を吹きぬける日本の風とは同じではない。

 神山との会話には、風土に敏感な彼の思慮深い観察が反映されていて、興味深かった。センターでの制作に際して、彼は、新しい土、日本と全く違う割り木、焚き慣れない窯について考えをめぐらせていた。

 10月遅く、神山は穴窯の窯出しですばらしい色合いが出たことを熱く語った。結果は、まさにかれが望んだとおりのものだった。「まさにミタゴンだ」「オーストラリアらしいものができた」と彼はつぶやいた。

 神山は、この展覧会を「ミタゴンの風」と名づけた。「風」とは、”wind” ” breeze”を意味し、文字通り訳すと、展覧会名は、”Mittagong Winds”となる。神山は、自然現象、特に「風」に関連したタイトルを作品につけることが多い。「風」は体で感得され、日常と深くかかわる。「風」は西洋においては、航海の指針あるいは変化の導き手であると考えられている。しかし、日本において「風」の持つ意味はより複雑である。空気の動きとの関係から離れて、それは、型や傾向という意味も有する。それゆえ、「ミタゴンの風」とは、この土地の風俗や流行や好みを運ぶそよ風なのである。「風」は、「土」と結びつくと、ある場所の自然の特徴を意味し(風土)、「光」という文字と一緒に使われると、景色や自然が美しいという意味になる(風光)。さらに、「風」という文字は、好みや審美眼を表し、「風流:風と流れる」、「風彩:風と彩り」、「風習:風と習わし」など、いろいろな言葉を作り出す。植物や魚は、風により乾燥することから「風味:風と味」に結びつく。

「風」という言葉は、好奇心をそそる。単に物質的な快感を表すだけでなく、美的で、詩的できわめて抽象的でさえある。この展覧会のタイトルは、スタートクラフトセンターでの体験と思弁をもとにした作品を発表したいという神山の思いに発している。「ミタゴンの風」は、力強く新しい作品への微妙な意味合いを含んだ複雑な手がかりとなるだろう。