修験道・密教の祖と言われる人物。 後に神格化された謎の人物。 634年に大和国 葛木上郡茅原(現在の奈良県御所市茅原)に生まれたとされる。 生誕の地とされる所には、吉祥草寺が建立されている。 17才の時に元興寺で学ぶ。 その後、葛城山(金剛山 )で山岳修行を行い、熊野や大峰の山々で修行を重ね、金峯山(吉野)で金剛蔵王大権現を受け取り、修験道の基礎を築いた。 二十代の頃、藤原鎌足の病気を治癒したという伝説があるなど、呪術に優れ、神仏調和を唱えた。 699年謀反の疑いをかけられ、伊豆大島へ流刑となり、701年に疑いが晴れて茅原に帰る。 706年6月7日に68歳で箕面市箕面の天井ヶ岳にて入寂したと言われる。 後の平安時代に山岳信仰の隆盛と共に、「役行者」と呼ばれるようになった。 寛政11年(1799年)には、光格天皇より「神変大菩薩」の諡を賜わった。 天河神社や大峯山龍泉寺など殆どの修験道の霊場は、役行者を開祖としていたり、修行の地としていたりするなど、必ずと言っていいほど、結び付けられている。
戦前の日本で愚連隊の神様と呼ばれた男。 「愚連隊」のスター、横井英樹銃撃事件で有名な安藤昇の兄貴分だった男。 万年東一は生涯組織を作りもせず、属しもしなかった。 そして最後の舎弟であった宮崎学はこの万年東一を兄貴分として尊敬をしている。 1938年(昭和13年)、社会大衆党党首安部磯雄を襲撃した万年東一は、右翼からもヤクザからも神格化され、中国に渡り大陸のならず者と命をかけてわたりあった。 「新橋騒乱事件」や「東宝争議」、「横井英樹襲撃事件」や「反共抜刀隊構想」等に深く関わってはいたが、そこに参画した理由は経済原理などではなく、自らが納得できる義がそこにあるか、の一点だけだった。 依頼を請けて遂行した仕事も、報酬を取りはぐれる事も多かった。 また、手にしたカネも大概は人に譲ってしまい、その生涯を清貧の中で終えている。 児玉誉士夫、笹川良一といった政財界のフィクサーたちと古くからの知己でありながら、カネに汚い彼らを深く軽蔑し、組織に頼るヤクザを嫌い、利害を超えた友情だけを信じた。