興味を持った人物 49 (2010/9/8〜) 森啓成(もりよしなり)
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あ行 梅屋庄吉 1868 - 1934


著者 小坂文乃 :
東京生まれ。中学・高校時代を英国にて過ごす。立教大学社会学部観光学科卒業卒業後、Waterford Wedgewood Japan株式会社勤務を得て、日比谷松本楼入社。現在、常務取締役企画室長。日英協会会員「孫文と梅屋庄吉研究センター」(上海)顧問。2010年上海万博日本館イベントステージにて、の企画、2011年辛亥革命100周年記念に向けた活動を、庄吉の曾孫として行っている。









孫文と梅谷庄吉 =>感動秘話


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孫文 北伐 大演説

小坂文乃 「革命をプロデュースした日本人」著者 2010.6.8


梅屋庄吉夫妻(写真左・右)と孫文(中央)
梅屋庄吉夫妻(写真左・右)と孫文(中央)

梅屋庄吉:



1868〜1934 長崎県出身。日活の創設者にして、孫文の中国革命の援助者。

若くして香港に渡り、写真業で成功。その折に孫文と親交を結び、彼の思想に共鳴して、財政的な援助を行う。

のち、中国を追放されるが、途中滞在したシンガポールで映画に目覚め、帰国後、日本活動写真株式会社(のちの日活)を創立。

映画で稼いだ巨富を、孫文に生涯、援助し続けた。


<Wikipediaより>

梅屋庄吉(うめや しょうきち、明治元年(1868年)- 昭和9年(1934年)11月23日)は、日本の実業家。アジア主義者。



略歴:
1868年、長崎に生まれる。幼少期、土佐藩経営の土佐商会の家主もあった貿易商・梅屋家に養子入りする。一時は米穀相場に失敗して中国へ退転したが、写真術を学んで写真館を経営するなど、香港に貿易商として地位を築いた。

中国革命を企図した孫文に多額の資金援助をし、辛亥革命の成就に寄与している。革命後も、孫文と宋慶齢との披露宴を主宰するなど、たびたび日本に亡命した孫文への援助を続けた。また、頭山満、犬養毅、山田純三郎、宮崎滔天らアジア主義者らと集い、フィリピンの独立運動にも関与している。

その後、映画事業に取り組んで白瀬中尉の南極探検や辛亥革命の記録映画を製作し、これらの事業で得た多額の資金を革命に投じている。

晩年は、千葉県夷隅郡岬町の別荘にて静養した。 日中関係の悪化の際には、外相・広田弘毅に改善の談判に赴こうとした途上、別荘近くの三門駅にて急死した。

その他:
孫文に対する革命への資金援助額については、現在の貨幣価値で1兆円に及ぶとされる。

日比谷松本楼創業者・小坂梅吉と姻戚関係にある。また、日活の前身の一つであるM・パテー商会の起業家の1人でもある。

孫文との交友を記した日記や書簡は、日中関係への配慮から1972年の日中国交正常化まで遺族は公開しなかった。

孫文の死後、4つの銅像を広州、黄甫、南京、マカオに建立した。銅像は文化大革命期に撤去される危険に見舞われたが周恩来の尽力で守られている。

2010年8月24日 - 上海国際博覧会の日本館で梅屋のひ孫が孫中山故居記念館の協力を得て、庄吉夫妻と孫文夫妻の交流のドキュメンタリー、手紙、祈念写真など約74点の展示を始めた。












2009年10月9日 広州市中山記念堂を訪問: