納豆の歴史
 
栄養と効用
 
納豆に合う薬味



■納豆の誕生は弥生時代■

 稲作農耕文化が日本に伝わってきたのは、縄文時代の終わり頃。そして、弥生時代に入ると、大豆をはじめとする豆類の栽培も始まりました。しかし、当時の素焼きの土器で、大豆を煮るのは大変なこと。大豆がやわらかくなる前に、土器の方が壊れてしまうからです。
 そこで、弥生時代の人々は、煮る時間を少なくするために、あらかじめ大豆を叩きつぶしてから煮るという方法をとっていた可能性があります。弥生時代の竪穴式住居は、中に炉があって暖かく、床にはワラや枯れ草が敷き詰められていました。納豆菌にとっては、申し分のない環境だったのです。ワラの上に落ちた煮大豆が発酵し、いつの間にか「納豆」になっていたとしても不思議ではありません。最初は偶然の産物だったかもしれない納豆も、その美味しさと保存性の良さから、次第に製法が工夫され、確立されていったことが伺われます。




■納豆の語源■

 文献をひもとくと、「納豆」という文字が最初に出てくるのは、平安時代に藤原明衡が著した「新猿樂集」です。納豆の語源は、寺の納所(台所)で作られたことに由来するといわれています。”納所”で”大豆”を原料に作られたから「納豆」。至極納得のいくネーミングといえるでしょう。仏教の戒律によって肉食を禁じられた僧侶にとって、納豆は貴重なタンパク質源となっていたのです。
 ただし、平安時代に記録された納豆や古歌に出てくる納豆は、ほとんどが寺納豆のことと思われます。





■糸引き納豆のエピソード■

 水戸納豆で知られる茨城県に残る話しによると、源義家が奥州征伐への途中、水戸付近で休息した折、馬の餌にするワラの上に捨てられた煮大豆がほどよく発酵しているのを発見。義家自ら食べてみたところ、いたく美味であったことから、家来に命じて研究させたのが、今日の糸引き納豆の始まりとか。義家の奥州征伐にまつわる同じような納豆伝説は、岩手県、山形県、栃木県などにも残されています。
 納豆は、戦国武将たちにとっても、大切なスタミナ源だったようです。文禄の役(1592年)で朝鮮へ出兵した加藤清正の軍が食糧難に陥り、すでに空になった味噌袋の中に馬糧の煮豆を入れて行軍していたところ、馬の体温で煮豆が蒸れて糸引き納豆が出来上がり、空腹の武将たちの胃袋を大いに満たしたというエピソードも残っています。




■納豆の商品化は江戸時代中期■

 納豆は、アミノ酸バランスに優れ、ごはんとの相性が実に良いのが特徴です。米に少ないアミノ酸を納豆(大豆)がもち、納豆に少ないアミノ酸を米が持っていることから、お互いの欠点を補い合って、理想的なアミノ酸バランスがもたらされるのです。
 そんな優れた栄養価を持つ納豆も、商品として販売されるようになったのは江戸時代の中期になってからです。「ナット・ナット・ナットー」というかけ声で売り歩く納豆売りが登場したのもこの時代。炊き立てのご飯に熱い味噌汁、お新香、そして納豆という朝食の定番パターンも、どうやら江戸時代にルーツがあるようです。




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